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「おい、女王」

 テーブルの上で湯気を立てる鍋を見据え、人型カブトムシ、カンタロスは不愉快げに触角を立てた。

「そのうざってぇ熱源は何なんだ。でもって、その虫はどこのどいつだ」

「虫……? ああ、カニだよ」

 繭は菜箸を土鍋に入れて、昆布の煮え具合を確かめた。その傍らには、タラバガニの足が山積みになっている皿が あり、小鉢にはポン酢の瓶が添えられていた。上機嫌に頬を緩めながら、繭はとろとろに煮えてダシがすっかり 出た昆布を取り皿に引き上げた。粘膜じみた光沢を帯びた昆布はカンタロスにしてみれば異様な物体でしかなく、 感じ慣れない匂いに触角がひん曲がった。赤と白の外骨格を纏ったタラバガニも同様で、独特の刺激臭が切断面 から漂い、触角にまとわりついた。人型昆虫の体液に比べれば酸味は薄いが、人間の体液のような塩辛さがあり、 まともな生物だとは思いがたい。だが、繭はやけに嬉しそうに土鍋の中に未知の生物の節足を入れている。

「カニ鍋って一度やってみたかったんだぁ。前は一人で全部食べられないから作れなかったし、作ったところで余る だけだから作るに作れなかったけど、今はいくらでも食べられちゃうからね。カニ、カニ、ターラバガニー」

 妙な節を付けながら未知の生物の名を連呼した繭は、火の通った節足を箸で掴んだ。それを解して小鉢に入れ、 ポン酢を垂らして頬張った。悲鳴に似た歓声を上げて身を捩ると、繭は陶酔した。リビングの隅で胡座を掻いている カンタロスはかちかちと爪で外骨格を小突き、機械の脳と生身の脳の間を駆け巡った苛立ちを誤魔化そうとしたが、 収まりが付かなかった。上右足を伸ばして繭の関心を一心に受けているタラバガニを鷲掴みすると、顎を開いて その中に放り込み、ごりごりと咀嚼して飲み下した。異臭を放っているわりには味は淡泊で、今一つだった。

「ろくでもねぇ虫を喰いやがって」

 苛立ち紛れにカンタロスが吐き捨てると、繭は空っぽになった皿と湯気を立てる土鍋とカンタロスを見比べて いたが、目元に涙を溜め始めた。カンタロスは奇妙な爽快感を覚えながら、複眼を逸らす。

「喰うなら、もっとまともな虫を喰え」

「馬鹿、カンタロスの馬鹿! まだちょっとしか食べてなかったのにぃっ!」

 繭はカンタロスに箸を放り投げると、キッチンのカウンターに置いてあった財布を握り締めて飛び出してしまった。 玄関からはしきりに罵倒する言葉が聞こえていたが、鍵を開け、自転車に乗って家から遠ざかっていった。恐らく、 鍋に入れるためのカニを手近な店で買い直すのだろうが、その道中で人型昆虫に感付かれたりはしないだろうか。 万が一見つけられでもしたら、これまでの苦労が台無しだ。カンタロスは顎を擦らせていたが、仕方なく腰を上げると リビングの掃き出し窓を開けた。昆布とカニの匂いが混在した湯気を撒き散らす土鍋を一瞥してから、羽を開いて 震わせて床を蹴り付けて上昇した後、後左足で掃き出し窓を閉め、繭の匂いを追って夜の街に飛び出した。

「……面倒掛けやがって」

 巣に連れ帰ったら、存分にいたぶってやる。


11 3/13 豪烈甲者カンタロス



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