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わたしのかぞく



「説明しよう! 魔法少女ときめきリップルとは!」

 マッハチェイサーのヒーロー体質の根源である想像具現化能力を付与された星形のコンパクトを使い、星と各種 特殊効果が煌めく背景の中で変身している波号を背にしながら、正弘が力説した。

「魔法の国でありとあらゆる幸福に包まれながら産まれたお姫様、プリンセス・リップルは、その幸福レベルの高さ から魔界の魔王に妬まれ、生まれて間もなくありとあらゆる幸福を奪い去られてしまった! だが、命を奪われる前 に両親の手で人間界に養子に出され、正体を隠してみなしごとして慎ましやかに暮らしていた! 貧しくも穏やかな 日々を送っていたが、ある日、ありとあらゆる幸福を喰らい尽くそうと魔界軍が人間界に進軍してきたのである!  地球の危機に瀕したその時、波号の元に魔法のコンパクト・ハッピースターが届き、波号は変身したのである!」

「変身の呪文はー?」

 光のリボンに包まれながら波号が尋ねてきたので、正弘は波号を制した。

「ちょおっと待って、今考えるから! 十秒だけ待って!」

 と、言い終えた正弘はマスクの内側でぶつぶつと独り言を漏らしていたが、親指を立てた。

「魔法少女ときめきリップルの変身の呪文は、きらめきときめきりるりるぷるるーんっ、だ!」

「解ったぁ! きらきらときめきりるりるぷるるーんっ!」

 波号はにんまりすると、光を帯びている星形のコンパクトを掲げてバレリーナのように上体を反らした。得意げに 波号の変身シーンに魂を抜かれたように見入っているチヨは、感心しすぎて拍手すらしていた。それもそうだろう、 生まれてこの方魔法少女アニメなど見たことがないのだから。
 光のリボンが音を立てて弾けると、波号の両足にはフリルの付いたニーハイソックスと星の飾りが付いたショート ブーツが付き、続いて両手には淡いピンク色の長手袋が付き、両肩にはリボンがなびくパフスリーブが付き、背中 には小さな羽根が付き、胸元には星形のコンパクトと同じ形の半透明のブローチが付き、セミロング程の髪は一気に 伸びてふわふわしたツインテールになり、目元にはアイシャドウが入り、頬にはチークが、小さな唇にはピンクの グロスが、首にはレースのチョーカーが、そして最後に星形のコンパクトが変形して魔法のステッキが現れた。

「きらめきときめき、あなたのハートに幸せ流星群!」

 波号、もとい、魔法少女ときめきリップルはウィンクしてから魔法のステッキを構え、背景に星を散らした。

「魔法少女ときめきリップル!」

 それらのホログラフィーを少し離れた場所から投影しているのは、他でもないイレイザーであった。変身シーンの 光のリボンやコスチュームを装着した途端に弾ける光や、マッハチェイサーの能力だけでは補えない部分を強引に 造り出していた。モーションキャプチャーと同時に情報処理して光学処理もしなければならないので、かなり計算が 面倒臭かったが、波号を魔法少女らしく見せるためには変身シーンが不可欠なのだ。

「ねえねえ、魔法の呪文は!?」

 ときめきリップルはツインテールを揺らしながら正弘に駆け寄ると、正弘は少し考えた後、豪語した。

「ときめきリップルの魔法の呪文は、どきどきはぴはぴりるるんるーん、だっ!」

「どんなことが出来るの?」

 はしゃいだときめきリップルがかかとを上げて正弘に詰め寄ると、正弘はしたり顔らしき声色で言った。

「なんだって出来る! なんせ、ときめきリップルは幸福を司る魔法少女だから、幸福を与えるという名目ならどんな 種類の魔法だって扱えるんだ! インテリジェンスデバイスもカートリッジもいらなきゃソウルジェムだっていらないから 濁ることもないしグリーフシードもいらないし魔女化しない! 青天井で無制限、正に最強の魔法少女なんだ!」

「いきなり中二病設定にするんじゃねぇっ!」

 正弘が広げた大風呂敷に動揺したのは、ときめきリップルの魔法のエネルギー源であるマッハチェイサーだった。 ときめきリップルの星形のコンパクトが具現化する魔法は波号自身の精神力が根源ではなく、マッハチェイサーの 想像具現化能力が根源なので、変な魔法を乱発されればその分マッハチェイサーが消耗してしまうのである。ただ でさえ不安定な波号の精神力をやたらに削るのは拙いだろう、ということでそういう設定にしたのだが、まさか正弘が 変な設定を付け加えるとは思ってもみなかった。打ち合わせの段階では、普通の魔法少女だったのだが。

「んじゃ、早速使ってみるね!」

 ときめきリップルは小走りに駆けて空っぽの校舎から飛び出し、砂浜に出ると、魔法のステッキを構えた。

「どきどきはぴはぴっ」

 片足立ちになってその場で一回転した後、魔法のステッキを新体操のバトンのようにくるくると回す。

「りるるんるーんっ!」

 最後に魔法のステッキを突き出すと、星の部分が白い光を放った。

「海がゼリーになぁーれっ!」

 効果音を付けるとするならば、ぽわわわわーん、とでも形容すべき脱力する効果音と共に発射された星形の光 が海に吸い込まれ、広がると、波音が止まった。持ち上がりかけていた波飛沫が固まり、打ち寄せていた波も固まり、 潮風が甘ったるくなった。ときめきリップルはスキップしながら海に近付き、魔法のステッキで固まった波を小突くと、 ぷるんとした手応えが返ってきた。指先で掬って舐めてみると、甘く爽やかな後味のゼリーになっていた。

「ミント味だ!」

「そりゃ、どうも……」

 いきなり広範囲の魔法を使用されたため、マッハチェイサーは頭痛を起こしてへたり込んだ。

「じゃ、次は何がいいかなぁーん」

 ときめきリップルは振り向いて皆に向き直ると、魔法のステッキを掲げた。と、その時。

「うわはははははははははっ、貴様が魔法少女ときめきリップルかぁああああああっ!」

 今更ながら戻ってきたパワーイーグルはときめきリップルの背後に飛び降り、宣戦布告するかのように指差した。 ときめきリップルはパワーイーグルに向き直ると、魔法のステッキを構えてちょっと眉を吊り上げる。

「あっ、あなたはお父さんだけど本当は私のお父さんじゃなくて実は魔界の将軍さんね!」

「また余計な設定を……」

 マッハチェイサーが嘆くと、パワーイーグルはヒーローらしい順応性でバトルスーツをを魔界の将軍っぽい格好に 変化させると、ときめきリップルの前に歩み出て胸を張った。

「うわはははははははははっ、見抜かれてしまったのであれば仕方ないっ! いざ尋常に勝負っ!」

「で、あっちのトキの小父さんは私を魔法の国に連れ戻すためにやってきた魔法の国の軍人さんね!」

 と、ときめきリップルが魔法のステッキで朱鷺田を示したので、朱鷺田は面食らってタバコを落とした。

「へっ!?」

「んでもって、いっちゃん兄ちゃんは機械の国から魔法の国の力を盗みにやってきた怪盗さんなのね!」

 と、ときめきリップルの魔法のステッキが向き、動揺したイレイザーはホログラフィーが揺らいだ。

「拙者もでござるか!?」

「ついでに言えば、お爺ちゃんは死神の国から人間の魂を奪いにやってきた悪魔さんなのね!」

 と、ときめきリップルが魔法のステッキをラミアンに向けると、ラミアンはうやうやしげに一礼した。

「そうとも、よくぞ我が素顔を見抜いた」

「更に言えば、イグニス兄ちゃんはマグマの国から世界を焼き尽くすためにやってきた放火魔なのね!」

 と、ときめきリップルがイグニスを差したので、イグニスは少し萎えた。

「俺だけ変な役職だなぁ……」

「もう一つ言えば、マッハ兄ちゃんはヒーローの国から人間界に研修にやってきた見習いヒーローなのね!」

 と、ときめきリップルに断言され、マッハチェイサーは苦笑いした。

「それはむしろ俺よりも美花なんだが、まあ、いいか」

「もっと言えば、お母さんは魔法の国の女王様だったけど私が呪われた影響で魔物に姿を変えられたのね!」

 と、ときめきリップルが宣言すると、ゾゾは微笑んだ。

「そうですとも、そうですとも」

「おまけに言えば、へーちゃんは昆虫の国の騎士で私の許嫁だけど人間界に来たら化け物扱いされたのね!」

 と、ときめきリップルがヘラクレスに叫ぶと、ヘラクレスは両上足を挙げて咆える。

「おおおおおおっ! おれ、はごう、まもる!」

「ちなみに言えば、正弘兄ちゃんは未来の国からやってきた漫画とプリキュア大好きな機動刑事なのね!」

 と、ときめきリップルが正弘に言い放つと、正弘は少し残念がった。

「どちらかって言えば仮面ライダーの方が良かったかな」

「最後に言えば、お姉ちゃんは平凡な村娘だったけど神様に見初められて神様の国に嫁いだお妃様なのね!」

 と、ときめきリップルがチヨを指し示して締めると、チヨははっと我に返って手を横に振った。

「おら、そっげん柄でねぇよう!」

「てなわけだから、皆、それぞれの姿になぁーれっ!」

 ときめきリップルは魔法のステッキを両手で握り締めると、勢い良く回転してから突き上げた。一際鮮烈な星形の 光が迸り、絨毯爆撃の如く発射され、辺り一帯に流星群が降り注いでくる。その星の光が触れると、パワーイーグル はツノもあれば牙も爪もある凶悪極まる魔界の将軍になり、朱鷺田は装飾がごてごてして実用性が薄そうな魔法の 国の軍服姿になり、イレイザーはシルクハットに燕尾服にマントという在り来たりな怪盗姿になり、ラミアンは大鎌に コウモリの翼に黒いマントというタロットカードのような死神姿になり、イグニスは常時火炎を身に纏っている怪人に なり、マッハチェイサーは元々の姿ではあったが見習いと書かれたタスキが付き、ゾゾは単眼トカゲのまま魔法の国の 女王に相応しいドレス姿になり、ヘラクレスは騎士らしい勇ましい甲冑姿になり、正弘はサイボーグボディの上に機動 刑事っぽい未来的なアーマーが備わり、チヨはマーメイドラインのウェディングドレス姿になった。

「死ぬぅ……」

 想像具現化能力を限界まで搾り取られたマッハチェイサーが突っ伏すと、パワーイーグルが励ました。

「踏ん張れっ、踏ん張るのだっ、マイサァアアアアンッ!」

「あらまぁ」

 ゾゾが光り輝くドレスの裾を抓んで頬に手を添えると、チヨは首まで赤らめた顔を覆って座り込んだ。

「ああっしょーしいやぁ、しょーしいやぁー! こっげんええべべ、おらには似合わんてー!」

「ふむ、これはなかなか」

 ラミアンが大鎌を軽々と振り回してみせると、イグニスは燃え盛る己の体を見下ろしてぼやいた。

「投げやりにも程があるだろ、俺のだけ……。なんつったっけ、あれだ、ヒューマントーチみたいだな……」

「拙者、紋付き袴の方が良かったでござる」

 洋装の衣装を見回しながらイレイザーが呟くと、無駄な勲章をじゃらつかせながら朱鷺田は毒突いた。

「勲章つっても、全部が全部デタラメじゃねぇか。なんでロシアとアメリカのが混じってんだ、馬鹿にしてんのか」

「機動刑事でも、まあ悪くないか」

 正弘は全身を覆っている未来的なアーマーを見回し、一応納得した。

「おれ、つよい! かっこう、いい!」

 ヘラクレスが甲冑をがっちゃがちゃ鳴らしながら己を鼓舞すると、ときめきリップルは魔法のステッキを振った。

「どきどきはぴはぴりるるんるーんっ! この島ぜーんぶっ、とっても素敵な遊園地になぁーれっ!」

 その魔法の言葉に、マッハチェイサーが戦慄したのは言うまでもない。が、魔法の力を裏付けるためには不可欠 なので、マッハチェイサーは正に死ぬ思いで想像具現化能力を引き摺り出した。しかし、無理に無理を重ねていた ために途中で卒倒してしまったため、パワーイーグルがマッハチェイサーの後を引き継いでときめきリップルの魔法を 全力で具現化させた。しかし、パワー重視のヒーローであるが故に想像具現化能力が低めのパワーイーグルには かなりきつく、魔法を具現化し終えた頃にはパワーイーグルもひっくり返ってしまった。
 その甲斐あって、とっても素敵な遊園地は完成した。




 そして、皆、夜通しで遊んだ。
 正確には、全力で遊ばざるを得なかった。波号、もとい、ときめきリップルは現実ではろくに子供らしい遊びをする ことが出来なかったため、ここぞばかりに遊んで遊んで遊び倒した。アトラクションのハシゴに始まり、ヒーローショー ごっこ、煌びやかなパレード、着ぐるみと記念撮影、ソフトクリームの食べ歩き、などと、思い付く限りに動き回った。 ときめきリップルは終始駆け回っていて、腰を落ち着けていることはほとんどなかった。あれに乗ろう、これをしよう、 それを食べよう、あっちに行こう、と全員を振り回した。その結果、ときめきリップル以外は疲労困憊した。
 とっても素敵な遊園地の休憩スペースは、正に死屍累々だった。御機嫌で椅子に座っているのはときめきリップル だけで、他は座ることすらままならずに倒れていた。特にひどいのがパワーイーグルとマッハチェイサーの親子で、 俯せのまま微動だにせずに唸り続けていた。想像具現化能力を過度に行使すると、いかに規格外の体力の持ち主 であるヒーローといえども著しく消耗するからだ。唯一起き上がったのは、ニコチン切れに陥った朱鷺田だった。
 
「畜生……」

 どうやっても脱げない魔法の国の軍服を緩めながら上体を起こした朱鷺田は、ポケットを探るが、タバコはどこにも 入っていなかった。というより、元々の服のポケットが魔法の国の軍服で塞がれているからだ。すぐに吸えないと なると余計に吸いたくなってくるもので、朱鷺田は魔法の国の軍服の内側に手を差し込み、なんとかタバコを入れた ポケットを探り当てた。服の合わせ目から内ポケットに手をねじ込んで引き摺り出したものの、ライターを入れていた のはまた別のポケットだった。また引き摺り出すのは骨が折れるのでその辺に火はないものか、と見渡したところ、 黒煙を上げながら轟々と燃え盛っているイグニスが目に付いた。朱鷺田はイグニスから火をもらってタバコを銜え、 肺に味わい慣れた煙を吸い込んだ。親しみ深い味が体中に染み渡ると、少しだけ気が紛れた。

「おい」

 朱鷺田が不躾に声を掛けると、ときめきリップルは顔を上げた。

「なあに?」

「俺達をいつまでこんな茶番に付き合わせるんだよ」

 朱鷺田はときめきリップルの向かいに座ると、ため息混じりの煙を吐いた。

「もうちょっと、もうちょっとだから」

 そう言って、ときめきリップルは白いテーブルに広げた原稿用紙を見下ろした。

「あと、一行だから」

 原稿用紙三枚分の拙い作文は、ほとんど出来上がっていた。ときめきリップルは鉛筆を握り締め、俯く。

「全部が全部どうしようもない我が侭だってこと、自分でも解っているもん。皆をいつまでも引き留めていられないって ことも、外の世界に戻って戦わなきゃいけないことも、私のやるべきことも」

「解っているなら、お前はまだまともだ」

 朱鷺田は手近な皿を引き寄せ、灰を落とした。

「でも、嬉しかったな。一杯一杯、我が侭聞いてもらって。魔法少女にもしてもらって」

 ときめきリップルは魔法のステッキをそっと撫で、愛おしげに頬を緩める。

「家族が欲しいってずっと願っていたから、色んな能力が暴走した挙げ句にこんな世界が出来ちゃった。でも、ここで 過ごせば過ごすほど、どんどん欲深くなっていくの。最初はお父さんとお母さんだけだったのに兄弟も増えていって、 トキの小父さんみたいな人まで呼び寄せちゃった。嬉しいし、幸せだし、楽しいけど、段々怖くなってきたんだ。もしも ここから出られなかったらどうしよう、元の世界がなくなっていたらどうしよう、私自身が消えちゃったらどうしよう、って 思うようになったから。でも、この素敵な世界を終わらせたら、私の居場所は今度こそなくなっちゃうかも、ってことも 思っていたから、作文の続きを書く気にはなれなかったの」

「それが、なんで心変わりしたんだ」

 朱鷺田が低く問うと、ときめきリップルは鉛筆を両手できつく握る。

「私は本当にろくでもない生まれ方をしてどうしようもない生き方をしてきたけど、トキの小父さんはそうじゃないの。 辛いことも大変なことも嫌なこともあったのに、逃げたりしないで戦って生きている。だから、小父さんの家族になって くれる人は世界のどこかに必ずいるはず。そう思ったら、私はなんてひどいことをしているんだろうって思って」

「変な奴だな。だが、俺に同情するのは一万年早い」

 朱鷺田がときめきリップルの額を弾くと、あうっ、とときめきリップルは仰け反る。

「いったぁーい! 何するのぉ!」

「願望と欲求は違う、そこんところもよく覚えておけ。忘れなきゃな」

 朱鷺田はときめきリップルの額の赤い痣を再度弾くと、ときめきリップルは涙目で朱鷺田を睨んできた。

「なんだよぉもうー!」

「俺は家族が欲しいとはちらっとは思うが、似たようなのはいないわけじゃない。特定の女に情を注いでみたいとは 思うが、そんな労力を費やすぐらいなら部下を扱いて部隊を鍛え上げる。俺の血を引いた子供がいれば少しぐらい は人生の懸念が晴れるとは思うが、どこぞの女に種を仕込む暇があったら俺の銃に弾丸を込める。居心地良くて 暖かな家庭を築ければ少しは安らげるとは思うが、そんなものを作る余力があるぐらいならテロリストの脳天を撃ち 抜く。それだけの話なんだよ。俺はお前ほど幼くもなければ、若くもない」

「だからって、何もかも諦めちゃうの? そんなのって寂しいじゃない」

 ときめきリップルが唇を尖らせると、朱鷺田はタバコを銜え直した。

「諦める、だぁ? そんな青臭いこと、誰が考えるもんか。さっきも言っただろうが、俺は家族を作らないし求めない 代わりに部下と部隊を守っているんだよ。あいつらは騒がしい上に面倒臭くて手が焼けるったらねぇ、あいつらだけで 手一杯なのに自分のガキや女房なんていたら忙殺されちまう。だから俺は、寂しくもなきゃ侘びしくもない」

「オトナだなぁー……」

 朱鷺田の横顔を見つめながらときめきリップルが感嘆したので、朱鷺田は急に照れ臭くなって語気を荒げた。

「当たり前だ、俺はお前の五倍は生きているんだぞ!」

「じゃ、安心した」

 ときめきリップルは原稿用紙に最後の一文を書き加えると、椅子から降り、変身を解除した。

「私ももうちょっと頑張ってみる! トキの小父さんみたいにはいかないだろうけど、精一杯戦ってみる!」

「何と戦っているのかは知らねぇが、死ぬなよ?」

 朱鷺田が波号の髪をぐしゃりと乱すと、素顔に戻った波号は笑みを返した。

「うん、ありがとう。小父さんこそ、長生きしてね?」

「お互い様だ」

 朱鷺田は波号から手を離すと、波号はその手に作文を押し付けてきた。

「それじゃ、ばいばい! 皆にも伝えておいてね、すっごく楽しかったって! すぐに皆の記憶からは消えちゃうだろう けど、でも、とってもとってもとおーっても幸せだったのは本当だから!」

 小さな手を力一杯振りながら、少女はとっても素敵な遊園地から去っていった。ゲートをくぐり抜けてアトラクションの 脇を通り過ぎ、その先にある草むらに挟まれた一本道を駆けていく。いつのまにか夜明けが近付いていて、波号 の小さな後ろ姿は鋭く差し込んできた朝日に掻き消された。その足音が聞こえなくなった頃、朱鷺田は波号の作文 を広げてみた。諸悪の根源であり全ての元凶である作文は短く、単純だった。


 わたしのかぞく  はごう

 わたしには、かぞくがいます。
 とってもすごくてでたらめでとってもすごいスーパーヒーローの、おとうさんがいます。
 おりょうりじょうずでいつもにこにこしていてすごくやさしい、おかあさんがいます。
 まっかでつよくてちからもちだけどちょっとらんぼうな、イグニスおにいちゃんがいます。
 まんががとくいでプリキュアがだいすきでまじめな、まさひろおにいちゃんがいます。
 いつもげんきいっぱいであかるくってわたしをかわいがってくれる、チヨおねえちゃんがいます。
 とってもおっきくてかたくてツノがりっぱですごくなかよしな、ヘラクレスがいます。
 ガレージにいるけどだいがくにかよっていてロボットにへんけいする、マッハチェイサーおにいちゃんがいます。
 どこにいるかわかりづらいけどみんなをたすけてくれる、パープルシャドウイレイザーおにいちゃんがいます。
 おすもうとぼんさいとじだいげきがだいすきでへんなことばづかいの、ラミアンおじいちゃんがいます。
 
 けれど、みんなみんな、わたしのかぞくではありません。
 みんなみんな、わたしがよそのせかいからひっぱってきたんです。

 きょうはみんなでかいすいよくにいきました。
 たのしかったです。
 きょうはみんなでなつまつりにいきました。
 たのしかったです。
 きょうはみんなでキャンプにいきました。
 たのしかったです。
 きょうはみんなでおかいものにいきました。
 たのしかったです。
 きょうはみんなではなびをしました。
 たのしかったです。
 きょうはみんなでうみづりにいきました。
 たのしかったです。

 そんなたのしいのがずっとずっとつづけばいいけど、つづかないってことはしっています。
 だから、ほんとうはちょっぴりたのしくありません。

 きょうはトキのおじさんがきてくれました。すごくこわいひとだけど、すごくさびしそうでした。
 だから、トキのおじさんはわたしとかぞくになってくれるかなっておもったけど、そんなことはありませんでした。

 きょうはみんなとまほうしょうじょごっこをしました。
 すごくすごくすごーくたのしくて、たのしすぎて、かなしくなりました。
 だから、もうおわりにします。みんなみんな、ありがとう。

 ついしん トキのおじさん、タバコがなければもっともっとすきでした。


「一端の口を利きやがって」

 朱鷺田は短く言い捨ててから、原稿用紙を丸めて皿の中に入れ、吸いかけのタバコを添えた。程なくしてタバコの火 が燃え移り、薄い紙が変色して細い煙を上げる。原稿用紙が灰と化していくに連れて、倒れ伏していた皆の姿が 薄らいでいった。この世界共々、消えるのは時間の問題だ。朱鷺田も例外ではない。

「悪い気はしなかったがな」

 束の間ではあったが、夢を見させてもらったからだ。有り得るはずのない世界を、望めば望むほど遠ざかる幻想 を、欲することすら憚られた安寧を、味わうことが出来たのだから。原稿用紙の端にまで火が及び、朱鷺田の意識も また皆と同じく薄らいだ。目が覚めたら、またいつもの日常に戻るのだろう。屍臭と血臭が硝煙に絡み付き、生と 死が肉薄した苛烈な戦場に身を投じる日々が始まるだけだ。

「あばよ、波号」

 吸いかけのタバコを皿の中に放り込んだ朱鷺田は、近寄る現実に身を委ねた。

「次に会う時は、敵同士かもしれないがな」

 その時は、躊躇いなく引導を渡してやる。たとえ相手が子供だろうが何だろうが、汚れ仕事を引き受けるのが特殊 機動部隊であり、隊員達に命令を下す朱鷺田の仕事だ。シンプルかつストイックな世界の居心地良さを思い出すと 同時に、銃の重みと狙撃の快感が懐かしくなってくる。南国の楽園も消え、遊園地も消え、潮の香りも消えていくが、 朱鷺田の手のひらには少女の繊細な髪の手触りがいつまでも染み付いていた。女に好きだと言われたのは、初めて だったからかもしれない。我ながら情けない動機に恥じ入っていると、重機の駆動音が聞こえてきた。反射的に拳銃に 手を掛けた朱鷺田が身を翻すと、そこには若い女を伴った人型多脚重機が立っていた。

「また変なのが出てきやがった」

 朱鷺田が毒突くと、人型多脚重機、小松は頭部を一回転させてから朱鷺田を捉えた。

「空間と次元の修復作業が完了した。波号の不安定な能力による干渉と並列空間の歪曲によって偶発的に発生した エアポケット的な空間は消滅しつつある。それを報告に来ただけだ。意識があるのはお前だけか」

「お前だけだけケケケケケケケ?」

 女、ミーコがぐりんと首を半回転させると、朱鷺田は一瞬ぎくりとしたが堪えた。

「どうしてそれを俺に報告する?」

「どうもこうもない。ただ報告するだけだ。報告しなければ誰も事実を知り得ず、事実を知り得なければ完結せず、 完結しなければ終結しないからだ。たとえお前がそれを記憶し続けようがしまいが関係はない、ただ終わったという 事実を生み出す必要があるからだ。だから、お前に伝えに来ただけだ」

「だけだけダケケケケケケケ!」

 ミーコが手足をばたつかせると、小松は身を反転させて遊園地の外に戻っていった。

「俺はまた作業を続ける。ワン・ダ・バは不安定だ、俺とミーコが生体部品となった今でも不安定極まりない。それ故に 些細な変化で多次元宇宙に接触しては不可解な事象を起こし、演算能力を無益に浪費してばかりいる。だから、 俺はミーコと共に動き続けなければならない。だが、それでいい。俺は生体部品であって明確な自我を持った一個の 生命体ではなく、生命体であることも望んでいない。ただ、ミーコと共に在ればそれでいい」

 そう言い残して、人型多脚重機は去っていった。波号と同じ道を辿って、シリンダーを上下させて排気を残しながら 外へ向かっていった。彼らを見送ってから、朱鷺田は少し考えた後に遊園地の外に足を向けた。他の者達の姿は 最早目視することすら敵わず、朝靄に溶けてしまった。いつまでも自分だけが残っているということは、この馬鹿げた 世界に未練がある証拠だ。甘っちょろくなったもんだ、と自嘲しながら、朱鷺田はコルト・キングコブラをホルスターに 戻してから、最後まで残っていた正面ゲートを抜けた。その先には海はなく、曲がりくねった道が続いていた。
 波号の未来を示すかのように。




 雑然と積み上がった書類と山盛りの吸い殻と底を突いたコーヒー。
 疲れた目を開けると、見慣れた天井が飛び込んでくる。面倒な諸事情で自衛隊駐屯地から都内某所のビル内に 移転した特殊機動部隊本部だ、と思い当たるまでに少々の間があったのは、今し方まで見ていた夢の内容が強烈 すぎたからだろう。朱鷺田は皮脂やら何やらでべとつく髪を掻き乱してから、全身の力を抜くように息を吐いた。

「珍しいこともあるもんですねぇ、隊長が寝落ちするとは」

 書類の山越しにこちらを覗き込んできた鈴木礼子が言うと、その斜向かいに座る伊原英介が笑う。二人共スーツ 姿ではあったが、どちらもまともに帰宅出来ていないので着崩してある上に乱れ気味だった。

「ここんとこは忙しすぎましたから、無理もないですけどね。神田さんなんて、やっと今朝に帰れたほどですし」

「で、なんかいい夢でも見ていたんですか?」

 書き上げた書類をとんとんと揃えてから、礼子が立ち上がった。朱鷺田は姿勢を直し、目をこじ開ける。

「何を根拠にほざきやがる」

「えっらい良い笑顔だったもんで」

 少しにやけながら書類を差し出してきた礼子に、朱鷺田は言い返す。

「馬鹿言え」

「喩えて言うならば、親戚の子に懐かれちゃってウゼェとか思っちゃいるけど内心は超絶嬉しい叔父さん、みたいな 顔をしていましたよ。うっかり写メってしまうほどでした」

「おい!」

 思わず朱鷺田が腰を浮かせると、礼子は足早に自分のデスクに戻っていった。

「冗談ですって、そんなもんばらまいたって誰も喜びません」

 全く、と文句を口の中で殺しながら、朱鷺田は礼子が持ってきた書類を処理した。迷彩服ではなくスーツ姿の礼子は 今もあまり見慣れないが、伊原は元々はスーツ寄りの制服組だったので良く馴染んでいる。この中で一番スーツが 似合っていないのは自分であると自覚しているが、事務作業の間だけの辛抱だと言い聞かせている。だが、その 事務作業がなかなか終わらなかった。銃は手早く撃てるが、書類はそうもいかないからだ。
 疲れすぎたから、妙な夢を見たに違いない。無限に輪廻する南国の楽園、その輪廻を支える少女の渇望、そして 少女に掻き集められた奇妙奇天烈な家人達。だが悪い気はしない、と夢の中の自分もそう言っていたし、目覚めた 朱鷺田の胸中にも手応えのない温もりが残っていた。寝覚めのタバコに手を伸ばしかけたが、一瞬躊躇ったのは、 あの作文の文面がまだ頭にこびり付いているからだろう。今更ながら自分の女々しさに気付いてしまったが、それを 振り払うためにもタバコを銜えて火を灯した。渋く苦い煙を肺に収めてから緩く吐き出し、また吸う。
 あの娘は、今、幸せなのだろうか。




 誰かに乞われた気がした。
 だが、どこの誰だろう。そもそも、どこの誰が呼んでいるのだろう。それ以前に、自分は誰なのだろう。朧な記憶の 海を泳ぎながら、意識の内に差し込んできた一筋の光を辿っていく。分厚く重たい潜水服の内側に押し込められて いたかのような心中が解けていき、とても優しい手がそっと背中を支えて水面へと導いてくれている。
 寂しい、悲しい、切ない、侘びしい、空しい、冷たい、暗い。長らく胸の内を支配していた気持ちがほろりと崩れて、 母の胎内に似た温水に溶けて消えていく。手を伸ばして懸命に外を求める。内側にはない世界を欲する。現実の中 にこそ真実はあり、真実の先にこそ事実は存在している。拙い幻想が弾け飛んだ今、残ったのは、純粋な渇望だ。 ずっとずっと求めていてくれた、ずっとずっと見ていてくれた、ずっとずっと守っていてくれた、本当の家族と言える人の 元へ向かいたいという率直な気持ちだけが意識を突き動かしている。
 戦いは終わったのだと、生き長らえたのだと、過去の自分が教えてくれている。あの男はいない、あの星もない、 あの宇宙怪獣もいない、だから今こそ目覚める時なのだとかつての自分が急かしてくる。かすかな恐怖と躊躇いを 越え、狂おしき夢と幻想を切り捨てる。そして、閉ざしていた心と共に瞼を開いた。

「おはよう、紗奈美」

「全く、紗奈美はお寝坊さんっすねぇ」

 泣き笑いの顔で髪を撫でてきてくれているのは、母となる女性。その肩を支えているのは、父となる男性。二人に 笑顔を向けたい気もしたが、死んだも同然だった体はすぐには言うことを効かなかった。だから、時間を掛けて体の 自由を取り戻してから、両親に全力で思いを注ごう。そんな小さな決意を胸に秘めながら、どこかの世界から自分を 乞うてくれた誰かに思いを返した。たとえ届くことはなくとも、無益ではないはずだから。
 波号は死んだ。だけど、山吹紗奈美は幸せだよ、と。








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