Metallic Guy




第十四話 恋心、乙女心



「運動会?」

タマネギを白いプラスチックのまな板に置きながら、マリーは不思議そうに顔を上げた。
白い三角巾に包まれたふわふわした金髪を揺らがせながら、彼女は首をかしげる。意味が分からないようだ。
あたしは皮を剥き終えたニンジンをまな板に置いてから、返す。

「そう。涼平とクー子のいる小学校で、来週の日曜日にあるの」

「聞き慣れない行事ですわね。競技大会とは違いますの?」

「似たようなもんよ」

流し台でジャガイモを洗い終えた鈴音は、それをボウルの中に落とす。

「競技をするのは全部小学生だから、そんな大層なもんじゃないけどね」

「よく解りませんわ」

そう呟きながら、マリーは黒板へ顔を向けた。そこには、クリームシチューの作り方が書いてある。
調理実習ということもあり、家庭科室は騒がしい。あたし達は、どういうわけだか同じ班になったのだ。
マリーはおもむろに包丁を手に取ると、逆手に柄を握った。包丁を持っていない片手を、頬に添える。

「ですがなかなか面白そうなので、行ってみることにいたしますわ」

タマネギをまな板に置くと、マリーは大きく振りかぶった。そんなに力を入れなくても。
一直線に逆手持ちの包丁を振り下ろし、すぱっと両断してしまった。どん、とまな板に刃が突き刺さる。
皮が付いたまま半分に切られたタマネギと、包丁が刺さったまな板を、あたしは呆れながら眺める。

「マリーさん、それ、違う」

「はい?」

きょとん、とエメラルドのような瞳が丸まる。

「そんなに力入れて切らなくたって、タマネギは切れるよ」

「一発で敵を仕留めるには、これが一番ですの」

と、マリーは微笑んだ。鈴音は変な顔をする。

「タマネギは敵じゃなくて、食材なんだけど」

まな板から包丁を引き抜いたマリーは、また逆手に持って振り下ろした。ひゅん、と軽く刃先が走って怖い。
今度はタマネギは四等分されたが、皮は付いたままだった。何か、順番が間違っている。
そしてもう一度切られたタマネギは、綺麗にくし形に八等分された。マリーは、その前に包丁を置く。

「切りましたわ。これでよろしいですの?」

「よくないよ。ていうか皮が残りまくってるし」

あたしはリンゴのようなくし形のタマネギを手に取る。手間が増えただけだ。
マリーはあたしを見上げ、軽く首をかしげた。動作の一つ一つが、やけに可愛らしい。

「ですが、切れと」

「そもそもその切り方、何?」

「…何、でしょう?」

自分でも解りかねるのか、マリーは苦笑しながら、八等分のタマネギを一つ手に取った。
皮を剥き終えたジャガイモを水を張ったボウルに落としてから、鈴音はマリーを見下ろす。

「もしかしてさ、マリーさんて料理したことないの?」

「うふふ」

照れくさそうに、マリーは曖昧な笑顔になった。そして、こくんと頷いた。
あたしは八等分のタマネギの一つを、マリーに渡す。このままじゃ、タマネギは使い物にならないからだ。

「でも、ちゃんと皮だけは剥いてね。それだけしたら、まぁなんとかなるだろうから」

マリーはあたしの渡したタマネギを見、仕方なさそうに呟く。

「解っておりますわ。一度引き受けたことですもの、最後までやりますわよ」

あたしは鈴音と顔を見合わせてから、皮を剥ぎ始めたマリーを眺めた。
敬語を使うな、との指示の後、もう一つ彼女からあたし達に指示があったのだ。
サイボーグだから、軍人だから、ということであまり特別に接せず、対等に同年代の女子として接してくれ、と。
なんでも、訓練に明け暮れていたせいでまともに学園生活を送れなかったから、今度こそ、ということらしい。
あたしも鈴ちゃんもマリーさんの気持ちが解らないでもないので、それに従っているというわけだ。
いや、従っているというよりも、パル達の関係者から、友達に関係が移行した、という方が正しいような気がする。
マリーはタマネギの皮を一枚一枚剥ぎながら、タマネギの刺激に大きな瞳を潤ませていた。




屋上に来ても、今日はお弁当を食べる必要がなかった。
四限目に作ったシチューやサラダなどを食べたので、それがお昼の代わりになっていた。
その事情を知っているからなのか、それとも先日のディフェンサーとのことがあるせいなのか、律子はいなかった。
鈴音はあたしと一緒になってフェンスに寄り掛かってはいたが、どこかぼんやりしている。
その目線は、グラウンドに向けられていた。あたしはつい、その先を追う。
男子数人とインパルサーが、揃ってサッカーをしている。屋上に来ないと思ったら、遊んでいたのか、パル。
グラウンドでサッカーボールを蹴り上げた人影に、女子の団体と思しき甲高い声が上がった。騒がしい。
あたしはその見覚えのある姿を、見下ろした。

「相変わらず人気だねぇ」

「全くねぇ」

と、どこか上の空の様子で、鈴音は呟いた。
あたしはそれを不思議に思いながらも、またサッカーボールを追いかける制服姿の人物を見下ろした。
遠目に見ても人の良さそうな顔立ちはよく解り、長い足がまた強くサッカーボールを蹴り上げた。
そのまま高く飛び上がったボールは、一直線にゴールへ向かうかと思われた。
が、それはインパルサーがジャンプして受け、くるっと体を捻って反対側のゴールへ叩き込まれた。凄いぞ、パル。
あまりの事に唖然としていたが、すぐに彼は笑い出した。爽やかで、なんとも元気の良い笑顔だ。
彼の名は、杉山聡という。サッカー部の部長で、三年生だ。
人当たりがいいということもあるけれど、なにより見た目が良いので女子に人気がある。

鈴音の目線は、さっきからずっと杉山先輩で止まっている。何か、おかしい。
あたしが覗き込んでみても、反応しない。

「鈴ちゃん?」

「今こいつを落としたら、グラウンドは大騒ぎどころじゃないかもねぇ」

「は?」

「ん」

鈴音は胸ポケットから、淡いブルーの封筒を取り出した。その宛名には、万年筆で高宮鈴音様、とある。
その封は開けてあり、少し乱暴に便箋が押し込まれていた。あたしはとりあえず、それを受け取る。
白い便箋を取り出して開き、読んでいく。角張った文字で書かれた、ラブレターの常套文句が並んでいる。
それを読み進めて二枚目をめくり、あたしはぎょっとした。その下の、署名に。

「…マジ?」

「マジ」

ぼんやりしながら、鈴音は頷いた。
あたしはさらりと流れた艶やかな黒髪に隠された横顔と、便箋を見比べた。
でも何度見ても、きちんとした字で、書いてあるのだ。杉山聡、と。
他の学年やクラスにも似たような名前の生徒はいるけど、この字を使うのは杉山先輩だけだ。

「せめて伝えるだけでも、と思い…」

そうあたしが読み上げていくと、鈴音が続けた。

「この手紙を送ることといたしました。だってさ」

「鈴ちゃん、これ、ボルの助知ってるの?」

あたしには、それが一番恐ろしかった。ボルの助、杉山先輩に戦いを挑むんじゃないだろうな。
鈴音は顔を上げ、ふわりと長い髪を掻き上げた。

「知ってるわよ。大体、そいつを下駄箱から持ってきたのはボルの助なんだから」

「うっわぁー…」

「昨日の帰りだったかなぁ」

と、鈴音はマスカラで重たそうな睫毛を伏せた。

「いつものことだから明日読もう、と思って下駄箱の奥に突っ込んだら、わざわざボルの助が出したのよ」

あたしには、リボルバーのその行動がさっぱり理解出来なかった。
通常の彼の思考ではない。むしろ、鈴音に恋をするように迫っているようなものじゃないか。
少し強い風が吹き抜け、あたしの髪を広げた。鈴音は髪を押さえ、またグラウンドを見下ろした。
片方のゴールを塞いでいるリボルバーは、楽しげに笑っている。その前で、インパルサーが派手に転ぶ。
あたしはつい、リボルバーをまじまじと眺めてしまった。鈴ちゃんの話が、信じられない。
どうかしちゃったんじゃないのか、ボルの助。




五限目は、英語の授業だった。
すらすらと書かれた英文が黒板に並び、あたしはそれを写し取るのに必死だった。英語は得意じゃない。
インパルサーはまるでコピーするかのように書いていて、あっという間にノートを埋めている。早すぎだ。
その隣、廊下側に座るリボルバーは何をするでもなく、じっと鈴音と先生を見比べていた。無表情で。
こんなに感情が解らないリボルバーは、気持ち悪い。あたしはそう思いながら、がりがり書いていく。
黒板に英文を書き終えた先生は振り返り、チョークを下ろして、高宮、と鈴音を指した。
鈴音はすぐに立ち上がり、教科書を片手に英文を読み上げていく。綺麗な声で、一度も詰まらない。
リボルバーは鈴音の後ろ姿を見、少しだけにやりとしたが、また無表情に戻した。やっぱり気持ち悪い。
インパルサーもそんな兄が変だと思っているのか、あたしを見、首をかしげた。うん、あたしも変だと思うよ。
鈴音が座ってから、先生は教科書を丸めて持ち、振り返った。

「中間テストはすぐに来るから、この辺りの予習復習はしっかりしとけ」

更に先生の話は続いたが、鈴音はやっぱり上の空だった。どこを見ているんだろう。
あたしは鈴音とリボルバーが気になってしまい、先生の声があまり頭に入ってこなかった。ああもう。
後でインパルサーに、先生が何を言っていたか教えてもらおうと思いながら、鈴音の横顔を眺めた。
すっと通った鼻筋から薄く形の良い唇が半開きになり、頬杖を付いているため、白い指先が添えられている。
細い首筋は襟元と黒髪に隠されていたけど、鈴音がそれを払ったため、露わになった。綺麗だなぁ、鈴ちゃん。
相変わらず美しい。マリーさんは優しげな雰囲気の美少女だけど、鈴ちゃんはきりっとした美人だ。
そりゃもてるわけだ、と改めてあたしは納得した。だけど、あんまりもてるのも大変に違いない。
結局、あたしはずっと鈴ちゃんに見とれてしまった。
授業受ける気あるのか、あたしよ。




帰り道も、やっぱりあたしは鈴音とリボルバーが気になっていた。
そんなことを考えながら歩いているせいで時折転びそうになりながらも、歩いていく。
並んで歩くインパルサーは、不思議そうにあたしを見下ろした。

「由佳さん、どうかしたんですか?」

「んー」

あたしは、隣のインパルサーを見上げた。

「なんか、よく解らなくってさぁ」

「フレイムリボルバーのことですか?」

「やっぱ、パルも変だと思う?」

あたしが立ち止まると、インパルサーも立ち止まった。西日の中に、二人分の影が伸びる。
パルの翼のある影がずっと長くなって、手前の電柱を陰らせた。レモンイエローのゴーグルが、ぎらりとする。

「確かに少し変でした。ですが、彼のコアブロックのパルスには異常はみられませんでしたよ?」

エネルギー不足でしょうか、と呟きながら、インパルサーは歩いていった。あたしは慌てて彼を追う。
足の長さや歩幅が違うせいなのか、パルは歩くのが早いため、すぐに離されてしまうのだ。
背の低い塀を右へ曲がって直進し、また一度左へ曲がる。奥の方に、うちの赤い屋根が見えてきた。
インパルサーに追いついて隣を歩いて進み、とりあえず少しだけ前に出た。が、また追い越される。
彼はこちらに振り向き、後頭部に手を当てた。あたしが遅れていることに気付いたらしい。

「僕、早いですか?」

「早いよ」

「そうかなぁ…」

僕は急いでいないのに、と首をかしげながら、インパルサーはうちの門の前に止まった。
その前で、クラッシャーが涼平と遊んでいた。キャッチボールだったらしいが、どっちも息が上がっている。
この狭い道路で本気で投げ合っていたのか、所々どちらも汚れていた。
クー子はソフトボールを握った手を振りながら、するりとあたし達の前に降りてきた。

「おかえりー、おねーさんにインパルサー兄さん」

「ただいま」

と、あたしが言うと、涼平はぐったりした顔をしていた。片手のグローブを外し、手を振る。
汗の滲んだ額をTシャツの袖で拭ってからあたしを見上げ、クラッシャーを指した。

「クー子の相手すんの、楽じゃねぇよ。すげぇ高さから投げてくるんだもんなぁー…」

「たった五メートルじゃんよー」

「それが高いっつってんだろ。常識で考えろよ」

相当に疲れたのか、涼平は深く息を吐く。クラッシャーはまだ遊びたさそうに、ソフトボールを握っている。
インパルサーは妹の尖り気味のヘルメットを撫で、長身を屈めた。

「そろそろ日が暮れますから、後は中で遊ぶことにしませんか?」

「そだね。おかーさんも帰ってくるし」

クラッシャーは頷き、ふわりと浮かんで門を越えた。
あたしは門を開けて入ると、涼平も付いてきた。そんなにハードなのか、クー子と遊ぶと。
インパルサーは最後に入って門を閉め、やはり大きな歩幅でやってきた。



リビングで、インパルサーはテレビを凝視して正座していた。ジャスカイザーの日だからだ。
そろそろ話も佳境が近付いているとかで、四十何話らしい。正義の組織の面々は、宇宙に出ていた。
ジャスカイザーを先頭に宇宙を航行していたが、案の定敵が出現したため、火星に降りて戦っている。
それを涼平も無言になって、じっと見ていた。話の展開が早いから、目を離せないんだそうだ。
クラッシャーはうさぎのメガブラストを抱きながら、そんな二人を呆れたように見ている。
あたしは甘ったるいカフェオレを飲みつつ、ソファーの上に浮かぶクラッシャーを見上げた。

「クー子はアニメ好きじゃないの?」

「こういうのより、夜のドラマの方が好き」

と、クラッシャーはメガブラストの後頭部を顔に押し当てる。なかなか趣味がませている。
ソファーにもたれながら、あたしは小さな末っ子に言う。

「ボルの助ってさぁ、常に直情だよね」

「うん、そうだよ。でもね、だからこそリボルバー兄さんは強いんだ。攻撃に迷いがないから」

クー子は、ショッキングピンクの目を細めた。ボルの助は、戦士としては割と尊敬されているらしい。
あたしは足を組んでから、少しずつ浮かび上がって天井に近付いていくクラッシャーを目で追う。

「だぁよねぇー…でもだったら、なんでボルの助は他人のラブレターをわざわざ鈴ちゃんに渡したんだろ」

「へ?」

きょとんとしたように、クー子の小さな口が半開きになる。
くるんと体を回してあたしの真上に滑り込み、ぎゅっとメガブラストを抱き締める。

「その差出人に突っ返したり、突撃したり、フルパワーで砲撃仕掛けたりしたんじゃなくて?」

「そうらしいのよ。鈴ちゃんによると、わざわざ持ってきたんだとか」


「…何それ何それなぁによそれぇー!」

しばしの沈黙の後、クラッシャーは力一杯絶叫した。
手が緩んだのか、どさりとメガブラストは落とされ、あたしの頭上に命中した。結構重い。
それをどけると、すぐさまクラッシャーはにじり寄ってきた。目を見開き、両手で頬を押さえている。

「ぶっちゃけ有り得ないー! ていうかマジなのそれ、おねーさん!」

「マジだよ。やっぱ、そう思うよねぇ」

あたしが返すと、クー子は頷く。

「思う思う。らしくないよー、リボルバー兄さん。他人の恋の応援なんて、似合わないよぅ」

「変でしょ?」

あたしは目の前のクラッシャーから少し離れるため、ずり下がった。近付きすぎだ。
クラッシャーは両手を胸の前で組み、くいっとかしげて顔の脇に添えた。なんだそのポーズは。

「どっか故障でもしちゃったのかなぁ。でーも、最近フル装備で戦ってないし、そっちの方が有り得ないー」

更にクラッシャーが何か言おうとしたが、その前に涼平が声を上げた。

「聞こえないからちょっと黙ってろよ、クー子! 姉ちゃんも!」


命令されたことで、クラッシャーは渋々黙って、メガブラストを抱えてあたしの隣に降りた。
あたしもとりあえず黙った。インパルサーがこちらを向いていて、ゴーグルの光が強まっていたのだ。
ちょっと雰囲気が怖いし、なによりゴーグルの光がぎらついている。きっとあれは怒っているのだ、そうに違いない。
しばらく彼はこちらを向いていたが、すぐにテレビへ向き直り、またきっちり正座した。
ジャスカイザーの派手な必殺技が決まり、敵は宇宙空間で大爆発した。いつもの通りの勝利だ。
しばらくして、やっとジャスカイザーは終わった。次回もまたジャスティ! とジャスカイザーが言い、CMになった。
インパルサーはふう、と一息吐いてから立ち上がり、涼平を見下ろす。

「色々と伏線が消化されてきましたね。でも、アウトロードのキャラ違ってきてませんか?」

「まぁなー。どんどん丸くなってきたっつーか、棘が消えたっつーか」

オレは前の方が好きだったなぁ、と呟きながら、涼平はビデオデッキを止めた。あたしにはさっぱりだ。
インパルサーはあたしを見下ろし、腕を組んだ。

「確かにそれはおかしいですね。フレイムリボルバーらしからぬシンキングパターンです」

いきなり話が戻ったので、あたしは一瞬答え損ねた。
その代わりに、クラッシャーがインパルサーの前に降りる。

「絶対おかしいよねー。修理のついでにオーバーホールしたときに、変なのでも入れちゃったのかなぁ」

「念のため、今度マリーさんにボディメンテナンスを行ってもらいましょうか」

と、インパルサーは勝手なことを言った。それはいくらなんでも一足飛びだ。
でも、あたしもだんだんそんな気がしてきた。本当に、ボルの助は故障してんじゃないだろうか。

ふと、弱い風を感じた。
いつのまにか窓が開け放たれていて、レースカーテンがひらひらしている。
すると、頭上に影が出来た。見ると、天井から逆さになってイレイザーが張り付いている。あんたのせいか。
くるっと回転して床に着地し、インパルサーの後ろに隠れる。まだ人見知るようだ。

「兄者、ヘビークラッシャー。そちらの方が有り得ぬ話でござる。赤の兄者のどこにも異常はない」

「ていうかいつ入ったの」

「そんなことは、どうでもいいでござる。赤の兄者は故障などしておらぬことは、拙者のマルチソナーが保証しよう」

「どうでも良くないよ」

そうあたしが言っても、イレイザーは腕を組んで顔を背けてしまった。全く。
クラッシャーはメガブラストを抱っこしながら、くりんとショッキングピンクの目を四男に向けた。
途端にイレイザーは態度を綻ばせ、いからせていた肩を少し下ろした。クー子は、兄を覗き込む。

「イレイザー兄さん、さっちゃんちに帰らないの?」

「帰る途中でござる。葵どのを持って帰ってきてくれ、とさゆりどのに命令されてしまったのでな」

と、イレイザーは逆手に窓の外を指した。よく見ると、うちの庭に制服姿の神田が転がっていた。なんてことだ。
あたしがつい彼を眺めていると、神田は起き上がって土に汚れた制服を払う。
彼はイレイザーを見、嫌そうな顔をした。短く切られた硬そうな髪を掻きながら、呟く。

「全く…途中で地面に放り出されて何かと思ったら、こんな用事かよ…」

「長居は出来ぬ。三分でさゆりどのの元へ戻ることとしよう」

神田から目を逸らしながら、イレイザーは庭に降りた。そしておもむろに、神田を肩に担いだ。
くるりと背を向けて飛び上がり、住宅街の屋根を飛び跳ねてすぐに遠ざかっていってしまった。
降ろせぇ、と悲痛な神田の絶叫が、夜に切り替わりつつある空に響いて、消えた。
あたしはそれを見送ってから、窓を閉めた。大変そうだね、葵ちゃん。
インパルサーは窓の前に立ってぼんやりと空を見上げていたが、くるりとあたしへ振り向いた。

「人見知り、直ったのかと思いましたがまだまだのようですね」

「神田君から、目ぇ逸らしてたもんねぇ…」

なんて進歩のないロボットだろうか。あたしは、心底呆れた。
涼平はメガブラストの長い耳をぱたぱたさせて遊んでいるクラッシャーに、げんなりしたように言う。

「それよりもあのシスコン、どうにかならねぇのかよ。今日もこっちの学校に来てたしよ…」

「なーらないもーん」

ぽん、と高くメガブラストは投げられた。それを、クー子は受け止める。
白いタオル地のうさぎをぎゅっと胸に抱き締めてから、クラッシャーはテレビの前の涼平を見下ろす。

「私が造られた時から、兄さん達はずっとこう。何言っても、何しても、こういうことを全然やめてくんないの」

「クー子は気にならないの?」

あたしが尋ねると、クラッシャーは笑った。

「もう慣れちゃったもん」


「パル」

「なんでしょう」

「やめないとだよ、そういうの」

と、あたしはパルを見上げた。パルは、少し首をかしげた。

「はぁ」

「兄としてダメでしょそういうの。ずっと続けてると、いつかはクー子があんたらから離れちゃうよ」

「ええ。そう思って、前々から努力しようとは思ってはいるのですが…」

インパルサーは後頭部に手を当て、身を屈めた。ゴーグルが陰る。
少し顔を上げ、彼の目線がクラッシャーに向いた。クー子は、少し笑う。
インパルサーはあたしを見下ろしながら、情けなさそうに呟いた。

「ダメなんですよね」

「どうして」

「ヘビークラッシャーは、僕ら四体のメモリーバンクから十パーセントずつメモリーを引き継いでいるんです」

インパルサーはスカイブルーの胸板に、広げた手を当てる。

「そのこともあるのですが、どうしても突き放す、ということが出来ないんです」

困ったように、彼は頬を掻いた。

「突き放したせいでヘビークラッシャーが笑ってくれなくなったら、と思うと…。だから、ダメなんですけどね」


「僕達に笑いかけてくれたのは、ヘビークラッシャーが最初でしたから」

とても嬉しかったんです、と、インパルサーは笑う。シスコンには、大層な理由があったようだ。
クラッシャーは照れくさそうに笑い、メガブラストの丸っこい腹部に顔を埋める。やーん、とか言っている。
ということは、それまで誰も笑わない状態のまま、戦っていたということか。想像するだけで、なんて苦しいことだ。
それじゃあ、四人揃ってシスコンにもなるわけだ。だけどそれにしたって、イレイザーのは凄まじすぎる。
いつかなんとかして欲しい、とは思うけど、こればっかりはさゆりに任せるしかない。
頑張れ、さゆりちゃん。イレイザーのシスコンを止められる立場にいるのは、君だけだ。




翌日。
二限と三限の間の休み時間を利用し、あたしと鈴音は女子トイレにいた。
女子がわっと入ってきたが、またわっと出ていった。いつも思うけど、ここまで一緒にする意味はあるのだろうか。
あるとすれば、そうやって行動することで結束を固め、グループ内で友達としての地位を確率するためだろう。
鏡の前の鈴音は、ポケットから取り出した色の薄いリップグロスを唇に乗せていた。
指先で端を整えてから、鏡の前に置いたハンカチにグロスのケースを包んでからポケットに入れる。
あたしは手を洗って拭きながら、鏡と睨み合う鈴音を見つめた。昨日同様、彼女はどこか上の空なのだ。
いつもならここで眉も多少整えていくのだけど、それを忘れている。こっちもこっちで、らしくない。
前髪をいじりながら、鈴音はため息を吐いた。鏡から離れ、あたしを見下ろす。

「鈴ちゃん、なんかあったの?」

そう尋ねると、鈴音は少し笑った。それは、冷笑に近い。

「下らないことだけどね」

「ボルの助と関係ある?」

「あると言えばあるかもしれないけど、これは私の問題だから」

彼女の目が、廊下へ向けられた。騒がしく、生徒達の声が聞こえてくる。
しっとりと黒い虹彩に、ドアのガラスに反射した光が映り込んでいる。何を見ているのだろう。
鈴音の表情は、硬かった。

「由佳」

「ん?」

あたしはオレンジのチェック柄のタオルハンカチを握り締めた。ちょっと、怖い。
鈴音はあたしから目を外し、鏡に映る自分へ向けた。その中の鈴音も、やはり表情が硬い。
薄く形の良い唇が、開かれる。


「私ね」

続きが言い出されるまで、時間が、止まったような気がした。



「少しだけ」

鈴音の横顔が、陰る。

「杉山先輩、好きだったのよ」



思ってもみない、告白だった。
色恋沙汰にはあたしより興味がない鈴音も、恋をしていたということか。
しかもそれは、例のラブレターの主が相手だ。
あたしは必死に鈴音が恋をしていたのか、ということを思い出そうとしても、まるで出てこない。
していたとしても、あたしには言わなかったのだろう。鈴ちゃんは、そういう人だから。
でも、過去形だ。だけど、好きだったんだ。杉山先輩のことが。
どうするのさボルの助。あんたの勝ち目は、欠片もなくなったんじゃないか。
遠い目をして口元を上向けていた鈴音はクリーム色の水盤に寄り掛かり、呟いた。

「馬鹿みたいな話だけどね。一年の頃だし、もうそんなに好きでもなんでもないんだけど」

さらりと流れた黒髪を、無駄のない動きで耳元に掛ける。
銀色の小さな丸いピアスが、きらりとする。

「ちょーっと、ぐらっと来ちゃったかな」


予鈴が鳴って、鈴音は顔を上げた。廊下を幾人も生徒達が行き、教室へ向かっていく。
あたしの隣を抜け、トイレの扉を押し開けながら、鈴音は一度振り返った。
いつものような落ち着いた表情に戻ると、軽く手招きする。

「さっさと行かないとだよ。次、音楽だから移動しないとだし」

「うん」

あたしは生返事をして頷いたけど、付いていけなかった。
それ以上何も言わずに鈴音はドアを出、締めた。なんか、いきなり鈴ちゃんが遠くなった気がする。
あたしと鈴ちゃんの間に、隠し事はないと思っていたから、余計に。ちょっと、いや結構ショックかもしれない。
先程の告白が頭の中をぐるぐるしてしまい、全然落ち着かない。早く、授業に行かないと。
とりあえずトイレから出て廊下に出ると、インパルサーがあたしの教科書とノート、ペンケースを持って待っていた。
彼は廊下の奥を差し、あたしを見下ろす。

「由佳さん、早くオンガクシツへ行きましょう。まだ、間に合いますから」

「パル」

あたしはついさっきの出来事を言いたくなった。
だけどなんとか自制し、教科書などを受け取ってパルに背を向ける。
背後で、インパルサーは首をかしげたのか、キュインと軽くモーターが動く。

「なんですか?」

「なんでもない」

ああ、言いたい。物凄く言い出したいけど、言ったら鈴ちゃんを裏切ることになってしまうだろうから。
インパルサーはあたしを見下ろしていて、影の中でレモンイエローが目立っている。

「由佳さん。先程の鈴音さんの言っていたこと、誰にも言わない方が良さそうですね」

「…聞いてたの?」

「ここにいたら、聞こえてしまったんですよ。不可抗力です」

と、申し訳なさそうにインパルサーは苦笑した。
彼はあたしの横を通っていった。あたしはそれを追う。
人の少なくなった薄暗い廊下を歩いていくと、特別教室の名前が入った表札が見えてくる。
音楽室へ向かいながら、あたしはリボルバーの行動の理由が解った気がした。
そう考えないと、腑に落ちないのだ。とてもボルの助らしくない行動だけど、そうとしか思えない。



リボルバーはきっと、鈴音が杉山先輩のことが好きだったことを知っている。

そして、彼はそれを。


応援しようだなんて、思ってるんじゃないだろうか。







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