Metallic Guy




第十七話 忍者の、試練



日の傾いてきた空は、さっきよりもっと寒くなっていた。
薄暗くなってきた市街地には、家々の窓の明かりと繁華街のぎらついたネオンが目立ち始めた。
線路沿いに飛びながら、その向こうにある大型量販店の看板を見つけた。ライトアップされて、よく目立っている。
あたしはその看板の手前、駐車場を見回した。その中に、メロンパン売りのワゴンは見当たらない。
インパルサーの胸当たりを軽く叩くと、彼はあたしに顔を寄せる。ゴーグルが、ほの明るい。

「ありましたか?」

「ないよ。普通は一つくらい、あるもんなんだけどねー」

こんなに見つからないなんて、珍しい。今日はもう、ほとんどが撤収してしまったんだろうか。
あたしは寒さを堪えながら、インパルサーの右後方を飛ぶイレイザーへ目を向けた。
商店街でクラッシャーと別れてからというもの、押し黙ったままだ。赤いゴーグルが、遠くを睨んでいる。
一番星が見えた夜空の下をロボット二人と飛ぶのは、変な感じだ。寒くて仕方ないし。
あたしはパルの胸の、エンジンが入っている辺りに手を当てた。ああ、暖かくて心地良い。
その部分に体を寄せていると、真剣な横顔でイレイザーが呟いた。

「拙者は、何の役にも立てぬ、ということか…」

「そんなことはないと思うけど」

と、あたしが慰めてみたが、イレイザーは首を横に振った。
さっきのことを、気にしているようだ。いっちゃんも、それなりに悩んでいたのか。
イレイザーは市街地を見下ろし、少し自虐的に笑う。

「拙者は、あらゆる面で弱すぎるのでござる」

「僕は、シャドウイレイザーが弱いとは思いませんが」

インパルサーはするりとイレイザーの前に滑り、顔を向ける。イレイザーは目を逸らした。
あたしは、夜景が少し映り込んでいる二人のゴーグルを見比べた。どっちも色が綺麗だ。
レモンイエローのゴーグルの奥で、パルはサフランイエローの目を細める。

「暴走した僕を、最初に止めてくれたのはあなたじゃないですか」

「拙者は…ただ、ヘビークラッシャーを守ろうと」

「ですが、最初に立ち向かってきたのはあなたです。それだけは、紛れのない事実です」

そう頷き、インパルサーは前を見、徐々に降下を始めた。イレイザーも同じようにする。
市街地の明かりが、次第に近付いてくる。風が冷たく、あたしの足は冷え切っていた。
インパルサーはイレイザーを見、頷いた。兄の態度だ。

「自分が弱いと解っているなら、強くなれますよ。絶対に」

「そういうものでござるか?」

「そういうものです」

「ならば、兄者」

するりとあたし達の前に滑り込んだイレイザーは、真剣な顔になる。
ぐっと拳を握り、語気を強めた。

「拙者も、強くなれるのか!? 誰も恐れずに、済むようになると言うのか!?」


「そうなりたいから、あなたはさゆりさんの任務を引き受けたんですよ」

真っ直ぐに、インパルサーは弟を見る。その先で、イレイザーは少し口元を緩めた。
パルは体を強張らせたままのイレイザーに、もう一度深く頷く。

「大丈夫です、シャドウイレイザー。あなたは、強いんですから」

「拙者が?」

信じられないのか、驚いたようにイレイザーは迫った。
ちょっと身を引いてから、インパルサーは続ける。

「そうですよ。以前のように、簡単に光学迷彩を使わなくなったじゃないですか。それだけで、かなりの進歩です」

そう言われて気付いたのか、イレイザーは意外そうな表情になる。
あたしも気付いた。そういえばここんとこ、イレイザーの姿はまともに校内にある。消えるのは、ごくたまにだ。
それだけ人間に慣れた、というか、他人に接することに慣れてきたということだ。偉いぞ、いっちゃん。
イレイザーはしばらく黙っていたが、ゆっくりと顔を逸らしてしまう。

「だが…それは、さゆりどのが」

「それでも、進歩は進歩です」

そう返してから、ふと、インパルサーは地上を見下ろした。あたしもその方向を見る。
あたし達の直線上の道路に、派手なロゴが車体に書かれたワゴン車が止まっていた。甘い匂いが感じられる。
ワゴンの前のテーブルには、いくつもの丸っこいものが並べられている。それを求めて、既に何人か並んでいた。
あたしは目を凝らして確認した。うん、あれは間違いなく。

「いっちゃん、メロンパン!」

「誠にござるか、由佳どの!」

と、イレイザーは嬉しそうに声を上げ、あたしの指した方向をじっと睨む。
しばらく見ていたが、不思議そうに首をかしげた。何か気になるんだろうか。

「だが、あれのどこがメロンなのか解らぬ。メロンというのは、青くて編み目のある果実ではないのでござるか?」

「見た目がメロンっぽいから。それだけだよ」

あたしも実のところはよく解っていなかったが、たぶんこんなとこだろう。だって知らないんだから。
インパルサーは、通学カバンを探り出した弟へ顔を向ける。イレイザーはがばっと広げ、中を調べていた。
しばらくごそごそやっていたが、申し訳なさそうに顔を上げた。そして、すいっと片手を伸ばす。

「度々申し訳ないが、由佳どの。兄者…その」

「後でちゃんと返してよ。あたしもそんなにお小遣い多くないんだからね」

あたしはインパルサーの腕に下げられた、自分の通学カバンを開けた。中から、二つ折りの財布を取り出す。
白くて丸っこいうさぎの付いた財布のファスナーを開けて、中の小銭を確かめる。あんまりない。
仕方なしに百円玉と五十円玉を取り出して、イレイザーへ手を伸ばした。が、イレイザーは近付いてこない。
しばらく待ってみても同じことで、離れた位置で顔を逸らしている。努力はしているのか、腕はこちらに伸びている。
あたしはさっさと帰りたいのと、さっさと目的を果たしてもらいたくて、多少やけになってしまった。
片手に握った百五十円を振り上げ、ぽいっと空中へ放りながら声を上げた。

「さっさと取る!」

薄暗い中で、二枚の白銅貨がくるくる回ってどこかへ飛んでいく。受け取らないなら、取らせるまでだ。

「うぉう!」

ぎょっとしたのか、変な声を上げたイレイザーは急降下した。あんたのせいだぞ。
あたしは財布を閉じて通学カバンに突っ込む。しばらくしてから、自分のしたことの凄まじさを思い知った。
すぐ上で、インパルサーが呆然としたような声で呟く。

「投げることは、なかったんじゃないですか?」

「うん…」

あたしはあの百五十円が回収されなかったら、と思い、ちょっとぞっとした。やりすぎたなぁ。
ゆっくりと上昇してきたイレイザーは、硬く右手を握り締めていたが、それを開いた。
中にはちゃんと、あたしの放った百円玉と五十円玉がある。良かった良かった。
イレイザーはそれを大事そうに握ってから、メロンパンを販売しているワゴンを見下ろした。

「あそこでメロンパンとやらを売りさばいている女人にこれを渡せば、メロンパンが手に入るのでござるな」

「そういうこと。それくらい、出来るよね?」

と、あたしが返すと、イレイザーは泣きそうな声を出した。

「解らぬ。だが、頑張ってみるでござる。さゆりどのが、ご所望なのでござるから」

弱々しい動きで、イレイザーはワゴン車のある位置へ降りていった。
その頼りなさ過ぎる背を見つつ、あたしはパルを見上げた。彼は、少しだけ肩を竦める。
ゆっくりと歩道に降りたイレイザーは、それだけでもう緊張してしまっているのか、体を強張らせている。
あたしはもういい加減にして欲しかったが、最後まで付き合うしかない。
来るところまで、来てしまったんだから。




歩道に降りると、イレイザーはじっと人の列を睨んでいた。
百五十円を持っている右手はなんとか緩くしていたが、代わりに左手がぎちぎちに握られている。
販売員の女性の声が、元気良く響いている。そのおかげか、客の入りは良い。どんどん売れていく。
ふんわりと甘いパンの匂いに、あたしはちょっとお腹が空いた。さっさと帰って、夕飯食べたいなぁ。
切ない気分になっていると、インパルサーは体を曲げてあたしを覗き込んできた。

「どうかしましたか?」

「お腹空いた」

「そう言われましても…」

困ったように、インパルサーは後頭部に手を当てた。あたしも困っている。
今食べたら夕飯を食べられなくなるかもしれないから、あまり食べるべきじゃない。そう母さんに言われてるし。
だけど、お腹は空いている。イレイザーを見ると、まだ人の列を睨んで動かない。
なんとか進もうとしているようだが、それでも足はなかなかアスファルトから離れていない。情けないぞ。
あたしはまだまだ時間が掛かりそうだと思い、辺りを見回した。すると、いいものを見つけた。
赤く側面を塗られた自動販売機が、煌々と輝いていた。そのラインナップは、冬仕様だ。
あたしはパルの腕に下げられている自分の通学カバンを開き、財布を出す。何か飲めば、凌げるかもしれない。

「ちょっと買ってくるー」

「あ、待って下さいよ!」

インパルサーは弟とあたしとちょっと迷ったようだが、すぐに追ってきた。
あたしが自販機の前に付くと、すぐ後ろにインパルサーも止まる。蛍光灯に照らされ、青がぎらつく。
パルは物珍しげに、自販機を上から下まで眺めた。見たことはあっても、使ったことはないようだ。
HOTの欄にいくつか並んでいる缶の見本で、どれにするかあたしが選んでいると、彼はじっと自販機を見ていた。
あたしは自販機を指すと、パルは振り向いた。

「やってみたいの?」

「はい!」

思い切り、インパルサーは頷いた。自販機如きで、やけに張り切っている。
あたしは何にしようかしばらく考えていたが、ココアが目に止まる。甘いし好きだから、これにしよう。
そうパルに言おうと思ったけど、その前に彼は行動を開始していた。
自分の通学カバンから百二十円を取り出したインパルサーは、ざらっと投入口に突っ込む。
勢い良く片手を振り上げたかと思うと、どかん、とチョップでボタンの一つを押した。大袈裟なことを。
一秒ぐらいの間の後に、ごっとん、と鈍い音がした。あたしは屈み、取り出し口に被せてある透明の蓋を開けた。
手にした感触は冷え切っていて、今のあたしにとっては飲みたくもない類のものだ。もっと体が冷えてしまう。
見覚えのある印刷の缶が、ライトの下に露わになった。赤いラベルの、それは。

「ドクターペッパー…」

「それ、おいしいんですか?」

と、自販機を押したことで満足したのか、楽しそうな声でインパルサーが尋ねてきた。
あたしはドクターペッパーを睨んでいたが、飲む気はちっとも起きなかった。かなりまずいという評判だし。
ここで冒険してしまうのも一つの手だとは思うけど、今はそれどころではない。お腹が空いた。
冷え冷えとした缶を握りながら、あたしはふと、さっきのことが気になった。

「どうしてお金なんて持ってたの?」

「お父様とお母様が、人間社会に出るならばキンセンカンカクも知っていた方がいいと仰りまして」

そう言いながらインパルサーはカバンを探り、青いイルカの形をした小銭入れを出した。
薄っぺらい小銭入れのファスナーを開けて、こちらに向ける。その中にあるのは、百円玉や五百円玉だ。

「毎月千円だそうです。ですが僕は、あまり使い道を知らないので…。由佳さん、教えて頂けませんか?」

「いいけど、何に使う気? 千円なんて、すぐになくなっちゃうし」

「そこなんですよね」

イルカの小銭入れを通学カバンに入れてから、インパルサーは腕を組む。

「欲しいものは色々ありますけど、どれも予算範囲を越えていますから」

「ジャスカイザーのおもちゃとかって、結構高いもんねー」

「はい」

かなり残念そうに、パルは呟いた。やっぱりそれだったか。
CMとかでジャスカイザーのおもちゃの値段は、基本的に千円以上のばっかりだ。
インパルサーは手を広げて半端な大きさの空間を作りながら、ほう、と息を漏らした。

「アウトロードが欲しいんです」

「ジャスカイザーじゃなくて?」

「はい。ヤンキーチェーンのギミックが気になるんです。それに、あの突き抜けたデザインも素敵ですし…」

マスクの下は、きっとおもちゃ売り場にいる子供の顔だろう。そんな声だった。
あたしには、アウトロードの持っているあのチェーンの名前が、馬鹿馬鹿しく思えて仕方なかった。
どこぞの暴走族みたいな武器だと思ったら、案の定ストレートな名前だ。もうちょい捻れないのか。
子供に人気はあるのかなぁ、アウトロード。少なくとも、あたしはあんまり好きじゃない。
どちらかっていうと、サンダードリラーの方が好きだ。扱い悪いけど。
そんなことを考えていたけど、やっぱりお腹は空いていた。もう一度、自販機へ向き直る。
今度は自分でお金を入れ、HOTのココアを押す。すぐさま取り出し口へ、ごとん、と重い音がする。
握ると熱いココアの缶を取り出してから、あたしは片手にドクターペッパーを持ったままだったことに気付いた。

「これ、どうしよう…」

とりあえず、あたしは冷たい方の缶をパルに渡した。彼は、わざわざ両手でドクターペッパーを受け取る。
しばらくどうするか迷っていたようだったが、丁寧に通学カバンへ入れた。
あたしは歩道の縁石に腰を下ろすと、パルも同じようにする。隣に、影が出来た。
ココアを開けて飲むと、甘さがじんわりお腹に染み渡る。ああ、これよこれ。だから甘いものは好き。
それを飲んでいると、インパルサーがあたしを見ていた。あたしは缶を口から放し、彼を見上げる。

「何?」

「おいしそうですね」

と、どこか羨ましそうにインパルサーは笑った。ゴーグルに、自販機の明かりが映っている。
あたしはココアをもう少し飲んでから、足を前方に投げ出した。とん、と靴底が地面に当たる。
パルに抱えられている間、ずっと膝を曲げっぱなしだったから固まってしまったのだ。
温かい缶を両手で包んで、膝の上に置いた。缶の底が、冷えた足には気持ちいい。

「おいしいよ」

「そういえば結構前に、由佳さんはこんなことを僕に聞いてきましたよね?」

片手を挙げ、指を立てながらインパルサーはあたしを見下ろす。

「僕が幸せか、って」

「ああ、そんなこと聞いたかも」

「かも、って…聞きましたよ。ちゃんと覚えてるんですから」

ちょっとむくれながら、パルはあたしを指す。すぐにそれを下げ、自分の膝の上に手を置いた。
背後の道路を、何台も車が通っていった。生温い排気が抜け、直後に冷たい風が吹き付けてきた。
だけど、それは丁度インパルサーに遮られてあたしにはあまり当たらなかった。いい風除けになっている。
パルは胸を張り、こん、ともう一方の手を胸に当てた。

「それで色々考えたんですけど、僕が一番幸せだと感じているときって、なんだと思いますか?」

「あたしに聞くの?」

ちょっと変な感じだ。パルは頷く。

「なんだと思います?」

「解らないよ。だって、それはパルのだもん」

見当も付かない。多少予想はしてみたけど、どれも的外れな気がする。
あたしはそう思い、ココアの残りを傾けて飲み干した。ちょっと冷めてきているけど、まだ温かい。
パルのゴーグルには、寒空を飛んだせいで血の気が失せ気味の、あたしの顔が映っていた。



「由佳さんが幸せそうな顔をしているのを見るのが、一番幸せです」



ごお、と背後を大型車が走っていった。排気混じりの風が、あたしの髪を揺らす。
なんか、聞いてるだけで恥ずかしい。そんなんで本当に良いのか、パルは。
胸に当てていた片手を下ろして膝の上に置き、彼は言う。

「だから、僕達のことで悲しまないで下さい。本当に、僕達は大丈夫ですから」

「いっつもそんなこと言うよね、パルは」

「いつも由佳さんは言い返しますよね。何がそんなに、不服なんですか?」

と、身を屈めてインパルサーはあたしを覗き込んできた。あたしは顔を逸らす。
両手に握り締めたココアの缶は、すっかり冷えていた。飲み口の端が、ぎらりと光を跳ねている。

「そりゃ、だって」

「友達だからですか?」

「それもそうだけど…」

それとは、何か違う。あたしは空き缶を、こん、と縁石に置いた。
パルが大事だ。他の兄弟達も大事で好きだけど、それとはちょっとだけ違う大事だ。
何がどう違うのか説明が付けられそうで、付けられない。これも、あたしの恋心なのだろうか。
近頃は、余計に明確じゃなくなった。前よりもぼやけて、好きの境界が薄らいでいる。
だけど、あたしがパルを好きなのは代わりがない。恋にせよ、友達だからにせよ。
この曖昧な感じをなんとか言葉にしようと思っていると、額辺りに手を当てられた。くいっと顔を上げさせられる。
視界に入ったのは、あのマスクだった。傍らの道路を通る車のヘッドライトの逆光で、青が薄く見える。
少し傾けられた彼のマスクは、この前と同じ位置、額の真ん中に当てられた。ちょっと冷たい。


「僕は」

マスクの奥から、落ち着けたパルの声がする。

「由佳さんが好きですから、悲しんで欲しくないんです。悲しませたくないんです」


胸が、痛い。
考えが余計にまとまらなくなって、視界には彼の首筋しか目に入らない。
その下には、厚みのあるスカイブルーの胸板がある。背中の翼の輪郭がぎらりと照らされ、薄らいだ。
あたしはちょっと手を伸ばして、額に付けられたままのパルのマスクを外した。
体を傾けて、とん、とその胸板に当てた。中のエンジンが、唸っているのが解る。
平らに見えるけど実際は僅かにカーブの付いている胸板に、頬を付ける。
パルの手があたしの肩を軽く掴んで、胸板から離した。
マスクは開いていなかったけど、背を曲げてあたしに顔を寄せている。
一度それを愛おしげに髪に当ててから、頬に手を添えた。あたしはつい、その手の冷たさにびくりとしてしまった。
その反応に驚いたのか、パルは手を引っ込めてしまう。あたしは笑いながら、彼のマスクを指先で押す。

「ちょっとびっくりしただけだよ」

そう言われて安心したのか、パルはもう一度手を頬に添えてきた。今度は、あたしの体温で冷たくない。
大きくて硬い、装甲に包まれた手に少し体重を掛けてみる。優しい動きで、受け止めてくれた。
その手があたしの顎に向かおうかとしたその時、あの声がした。



「あーにっじゃぁー!」


すると、凄い速さでインパルサーは手を放した。ずさっと後退り、出来る限りあたしから距離を開いてしまった。
まだ感触の残る頬を擦りながら手前を見ると、片手に紙袋を握り締めるイレイザーが突っ立っている。
緊張し過ぎたのか、ゴーグルの色はぎんぎんに強く、赤紫になっている。こいつは緊張すると、こうなのか。
どっかどかと大股に歩いて戻ってきたイレイザーは、紙袋を握っていない方の手を、ずいっとあたしに差し出す。
開かれたダークパープルの手の中には、三枚の十円玉があった。おつりらしい。
あたしはそれを受け取ってから、隣でぐったりと体を曲げているインパルサーを見下ろした。

「パル、いっちゃん戻ってきたんだけど」

「え、あ、そう…ですか」

振り向いたインパルサーは、ゆっくり肩を落とした。自分からしてきたくせに、情けない。
イレイザーは誇らしげに紙袋を掲げ、声を上げる。緊張が突き抜けて、むしろハイテンションだ。

「拙者はやれた、やれたでござるよさゆりどのー!」

浮かれまくっているが、その息はかなり荒かった。頑張りすぎたらしい。
いつになく元気の良い弟の姿と、座ったままのあたしを見比べたインパルサーは、どこか残念そうに息を吐く。
もしかして、最後までやる気だったのか。いや、そうとしか思えない。
さっきだってデコにあれだし、調子に乗ってきている。一線に、自分から近付いている。
今更ながら、あたしはあのまま進んでいたらどうなっただろうかと思い、頬が熱くなってきた。
緊張も遅れてやってきてしまい、頭の中がぐるぐるする。恥ずかしいとか言っておきながら、結局気障じゃないか。
イレイザーが戻ってこなければ、マジでどうなってたんだあたし達。
考えたくはない。恥ずかしいから。
ふとインパルサーを見ると、両手でマスクを押さえて俯いていた。やっぱり恥ずかしいのか。
あたしはなんとなくパルと目を合わせたくなく、顔を逸らす。すると、歩道の先に影があった。
薄暗い中に目立つマリンブルーが、呆れたように見ていた。


「なあ」

大きな腕を組み、首を捻った。
ディフェンサーは嫌そうに口元を歪めながら、兄と弟を見比べる。

「何やってんだ?」

途端に、妙な動きをしていたイレイザーが止まった。がさり、と紙袋も止まる。
インパルサーは顔を上げ、なんとかゴーグルの色をレモンイエローに戻す。
あたしは、なぜこんなところに唐突にディフェンサーがいるのか解らなかった。タイミング良すぎ。
ディフェンサーは近付いてくると、あたしを見下ろした。大きな手で、がしがしと後頭部を擦る。

「インパルサーの兄貴と由佳が一緒にいるのは解るんだけどよ…なんで、シャドウイレイザーまでいるんだ?」

「それはこちらのセリフですよ、フォトンディフェンサー。なぜ、こんなところにいるんですか?」

と、大分落ち着いたような声で、インパルサーが聞き返す。元に戻っている。
ディフェンサーは、片手でくいっと夜空を指す。

「マリーんとこにいたんだけど、ずっと訓練に付き合わされちまっててさぁ。やっと終わったから、気晴らしにな」

「ずっと、ってそんなに長いこと訓練してたの?」

あたしが聞き返すと、ディフェンサーは頷く。

「ああ。神田の部活が終わってから、ついさっきまでだ。もう凄かったぜー、マリーの蹴りっぷり」

「そんなに?」

「おうよ。戦闘のド素人の神田を、攻める攻める。攻撃受けるたびに、吹っ飛ばれちまうナイトレイヴンを、いちいちシールドで受け止めなきゃでさあ」

数えるのも嫌なくらいな、とディフェンサーは苦笑する。

「オレがいなきゃ街中大穴だらけになってたぜ、絶対」


「荒っぽー…」

あたしは、ナイトレイヴンがプラチナに蹴られまくる様子を想像した。
かなり強烈だ。見た目的にはナイトレイヴンの方が強そうだから、余計に。
だけど何度も受け止めた、ということは、蹴られて飛ばされてもすぐに神田は立ち向かったということだ。
マリーが立ち上がるよう強要したのかもしれないけれど、どちらにしたって、どちらも凄い根性だ。
神田をそこまで駆り立てるものは、なんなんだろう。


「筋は悪くねぇんだよなー、葵ちゃん」

両手を後頭部で組み、ディフェンサーは胸を反らす。

「だけど経験だけが足りねぇんだ。あんなんじゃ、足手纏いで終わるかもなー」

「それじゃ、神田君も戦うの?」

これは、もうそうとしか思えない。あたしは、思わず尋ねる。
ディフェンサーは青くて丸みのある目を、にやりと細めた。

「手は多い方がいいからな。動かせる奴は、動かした方がいい」


「いつ頃、戦うことになるの?」

これが、一番気になった。だけどディフェンサーは答えず、顔を背けた。
イレイザーは大事そうにメロンパンを抱え、夜空を見上げた。市街地の明かりが、夜の闇を弱くしている。
赤いゴーグルに、街灯の明かりを映す。その横顔は、戦士の表情になっていた。

「今はまだ、拙者にも解らぬ。敵の動きが感じられぬのだから、答えることは出来ぬでござる」


インパルサーは、イレイザーと同じように空を見上げた。
ディフェンサーも二人と同じ方向を見たので、あたしはその目線の先を見た。
半分程に膨らんだ月が、青白く輝いていた。その周囲の星は、月の明るさに薄らいでいる。
いつかの夜は、月ではなくて花火が見えていた。でも今度は、あの日の戦いの比ではないのだろう。
マリーが神田をしごく理由も、きっとそれだ。激しい戦闘に耐えうる人間に、神田を戦士に仕立てるために。
戦いたくはないし、誰も戦って欲しくはない。だけど、それだけじゃダメだ。何かしたい。
出来ることがあるならば、パルに、皆にしてやりたい。


だけど。


あたしには、一体何が出来るんだろう。







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