Metallic Guy




第一話 はじめまして、こんにちは



セミが、うるさい。


部屋の中が妙に暑く、体中がべったりしている。
いつも以上の蒸し暑さに、今日は雨なのかなとか思ってみたけど、外は暗くない。
いつものようにぎんぎらの太陽が照っていて、枕元の目覚まし時計がその光を反射していた。
眩しい。
おまけに、暑い。
八月の始め、夏休みの真っ直中だから当然と言えば当然か。暑くないと、それっぽくない。
自分の汗が染み付いたシーツの上で、体を捻った。
今まで下にしていた部分に風が当たって、ちょっとだけ冷えて気持ち良い。
しばらくぼんやりしていたが完全に目を開き、よれたシーツを凝視しながらはたとあたしは気付いた。

風がある。

同じく枕元に置いたエアコンのリモコンを見てみたけど、作動はしていない。
丸っこいピンクのクマが文字盤の目覚まし時計を見てみると、その時間はもう9時過ぎだった。
まさか母さんが窓を開けてくれているとは思えないし、窓を開けるその前に、絶対に起こされているはずだ。
弟がそこまで気の利いたことをするはずもないし、第一あいつはあたしの部屋に近付かないのだ。
だから、風があることが凄く変なことだと確信した。

ぐしゃぐしゃになったオレンジ色のハイビスカス柄のタオルケットの下から、体を起こした。
すると。
視界に、変なモノが入ってきた。



割れた窓に、壊れた壁。
その向こうに見える空には入道雲が続いていて、飛行機雲が一本。
折れ曲がったカーテンレールの端から、見事なまでに無惨に破けたパウダーピンクのチェックが続いている。
そこら中にガラスの破片やらコンクリートやらが散らばっていて、フローリングは少々危険に見えた。
そのカーテンは、変に大きく膨らんであたしのいるベッドの前に転がっていた。
大きさとしては人間くらいだけど、普通の人間よりも一回りくらい大きい。
足が見当たらないから、両膝を抱えて背中を丸めて俯せになっているのだろう。
そのポーズに、あたしは「風の谷のナウシカ」の巨神兵が戦車に引っ張られていくシーンを思い出した。
丁度あんな感じなのだ。あれほど大きくはないけど。

こんなものが突っ込んで、こんなにガラスが割れても目が覚めなかったとは。凄いな、あたし。



ふと、それから妙なモノが突き出ていることに気が付いた。

たぶん肩辺りから、にゅっと二本。薄っぺらいモノが。
たぶん背中からも、ぐいっとこっち側に向いてこれよりも少し厚いモノが。
背中の方から出ているモノはカーテンを破っていて、先が見えていた。


青い。
凄く鮮やかな、マリンブルーだ。



それはぺかっと太陽光を跳ねていて、妙に綺麗だ。
ちょっとだけ、あたしはその色と光に見とれていた。

すると。

その青が、動いた。



パウダーピンクのカーテンが動いて、中から何かが出ようとしている。
その様子はまるで、セミが脱皮をするみたいな感じに見えた。
しばらくもぞもぞとしたあと、それは、顔を出した。


「…こんにちは」

なんて間の抜けた言葉なんだろう、とあたしは自分に思った。
でも出てしまったものは、どうしようもない。
だってそれは人間だとは到底思えなかったけど、もしかしたら中身は人間なのかもしれない、と思ったのだ。


見た感じ、それはヘルメットみたいだった。
見事なまでにまるっとした丸みはあるけど、どこかシャープな印象を受けるのは頭の両脇、耳の位置に銀色のアンテナみたいなのがあるせいだろう。
だけどそれはアンテナにしちゃ太く、先がナイフみたいに尖っている。刺さったら痛そうだ。
サングラスみたいなレモンイエローのゴーグルが目で、口元は顎の方がちょっと細いマスクみたいになっている。
つまり、表情が解らない。
首から下の胸は盛り上がっている。でも女性っぽくはなくて、胸板って感じだ。
ここの青はちょっと薄くて、さながらスカイブルーだ。
腰の辺りはやけにスレンダーで、細い。良いラインしてるじゃないか。
でも要所要所ががっしりしてるし、手も大きいし座り方が女々しくないから、きっと男だ。


そう。

ロボットなのだ。



まるでテレビの特撮ヒーローみたいな感じだけど、あれほどデザインはごちゃごちゃしていない。
必要最小限の装飾をしてるだけ、みたいな、控えめなロボットだ。
でもこんなにでっかいものが、いくらロボット工学が進んできたからとはいえ開発されていたとは思えないし、されていたとしてもあたしの家では絶対に買えない。と、思う。
もしかして眠ってる間に時間が百年ぐらい過ぎたのかな、とかも思ったけど、いくらなんでもそれだけは有り得ない。


あたしがそんなことをぼんやり考えていると、そのロボットが、言った。



「こんにちは」

思ったよりも人間ぽくて、機械が発したにしては優しげな、下手をすれば軟弱そうな青年の声だった。
うん、あたしの読みは間違っていない。男だった。
彼はカーテンを体に引っかけたまま、立て膝になってあたしを見上げる。
肩幅もあるし、両肩に例の翼があるから結構大きい。
そして、申し訳なさそうに大きな体を縮めながら後頭部へ手を当てた。

「あの…ここ、どこでしょうか」


弱い風が抜けて、千切れたカーテンの端がひらひらした。
薄暗い部屋の中で、そのレモンイエローのゴーグルが少しだけ光っているのが解る。
あたしはその色が綺麗だな、と思って見つめながら、言った。


「あたしの部屋よ」

馬鹿みたいな答えだ。でも、あたしも混乱している。
彼は何か困ったように顔を伏せたが、もう一度顔を上げた。

「えと、ここはヒセントウクイキワクセイ・バンゴウナナハチロクヨン…ですよね?」

「は?」

気の抜けたあたしの声が出るまで、たっぷり三十秒はあったと思う。
いきなりそんな言葉を言われても、寝起きと言うこともあるし、当てはめる漢字が出てこなかったからだ。
恐らくは、非戦闘区域惑星・番号七八六四、なのだろう。それはどこなのだろうか。
ここは地球だ。
そう思い、あたしは彼を見下ろした。

「ここ、地球よ。東京の端っこ」

一息吐き、続ける。

「んで、あたしの部屋。美空由佳の部屋よ」


自分で自分のフルネームを言うのも、変だと思った。
でもそうでもしなきゃ、彼には解らないと思ったからだ。
彼はまるで人間が入っているかのように良く動く太めの指先を広げ、ほっそりしたマスクの顎に手を当てている。
チュイン、と小さなモーター音がしたのは、彼が首を前に倒したからだろう。
しばらく考えるようにしていた。
その間、あたしはぼんやりするしかない。
何が何だか解らないのはあんただけじゃないのよ、ロボット君、と内心で呟いていたけど。


ロボット君はカーテンを体の上から外すと、足元のガラス片を踏み潰しながら立ち上がった。
さらばあたしのカーテン。
フローリングの上へ無造作に放り投げられたそれを見ていると、無性に泣きたくなってくる。
買ってもらったときから、相当なお気に入りだったのに。まさかこんなことでダメになっちゃうなんて。
だけど、さすがに彼があたしの心を読んでいるわけもなく、あたしとは対照的に多少落ち着いた様子で言った。

「失礼しました。僕はブルーソニックインパルサー、と申します。ここは現住民名称・地球という惑星なんですね」

ふう、と両肩を落とすような仕草をした。その右肩には、002といういかにもロボットっぽい数字がある。

「良かった。本隊からはそんなに離れていない…」



「ユカさん、でしたっけ?」

やけに流暢な日本語だ。多少堅苦しいけど。
あたしは頷いた。

「ええ。自由の由に、佳境の佳って書くの。あんたは…長いわね、ブルーソニック…インパルス?」

ブルーインパルス、という単語が思い出された。
あれは自衛隊の演習飛行をする部隊だ。名前だけ似ているけど、それとはさっぱり関係がないようだ。


「インパルサーです。地球の言語に合わせると、僕の名前はそうなります」

かちり、と片手を広げて胸に当てた。
凄く滑らかな動きで、ちっとも無駄はない。ゲームのCGを見ているようだ。
やけに紳士的な態度を取ったまま、ブルーソニックインパルサーと言う名のロボット君はあたしへ頭を下げた。

「すいません、窓、破ってしまって。着陸しようと思ったんですが、姿勢を整えようと思ったときにはこの星の重力に掴まってしまって…」


つまり、着陸を失敗してあたしの部屋に突っ込んできた、ということらしい。
こいつはドジだ。凄くドジなんだ。
本人も情けないみたいで、背中に伸びている二枚のジェット機みたいな翼がへたれていた。動くんだ、そこって。
笑っちゃいけないと思ったけど、見た目強そうだから余計に可笑しい。
徐々に顔が緩んでいくのが解って、彼から目を逸らした。直後、あたしは思い切り吹き出していた。
あたしの様子に、インパルサーはますます情けなくなったのか、ぐったりと膝まで曲げている。

「本当にすいません…」


あたしは、変なことが起こりすぎてカーテンや窓のことで腹を立てるのを忘れていた。
散々笑っているうちに思い出したけど、恐縮しきりのインパルサーに今更怒っても、どうしようもないと思った。
それに、今窓のことを言ったら、今にも死にそうな雰囲気を漂わせているインパルサーは粗大ゴミの埋め立て地にダイブして自殺しかねない。
そんなことになったら、さすがに気分が悪い。
あたしは、そう思いながら笑うのを堪えようとしたけど、やっぱり無理だった。おかしいものはおかしい。
すると、インパルサーはおずおずと言った。

「あの…由佳さん?」


「はい?」

あたしは笑いを堪えながら、彼を見上げる。
インパルサーは泣きそうな声を出した。

「僕…悪いこと、しましたよね。なのになんで、笑ってるんです?」

「通り越しちゃったの」

「はあ」

良く解らないや、と付け加えると、頬だと思われる部分を指先で掻いていた。
散々笑って涙の滲んだ目元を擦ってから、あたしは言った。

「ね」

「はい?」

「あなた、どこから来たの? 宇宙人なの?」

「いえ、宇宙人と言いますか」

両手を揃え、背筋を伸ばした。
インパルサーの身長は相当に高い。二メートル近くはあるに違いない。
背筋と一緒に首も伸ばして顔を上向けたから、ベッドに座っているあたしからはその目は見えなくなった。

「コズミックレジスタンス・第二攻撃隊所属のヒューマニックマシンソルジャーです。つまり、その」

と、言いながら顔を下げた。あの数字の002は、第二攻撃隊だから、ということか。
あたしは英語と思しき部分を、日本語に直訳してみた。

「ロボット戦士ってこと?」


「ええ、そうです」


中身は人間じゃなかった。
あたしのパステルカラーより淡い期待は崩れ去った。でも、もうそれほどショックは大きくなかった。
インパルサーは少し動けばすぐにモーター音がするし、関節を動かすとそのたびにがちんがちん金属がぶつかる。
間違いなくロボットなのだ。インパルサーは。
レジスタンス、ってことは反乱軍なのだろう。コズミックが付くから、宇宙反乱軍てことだろうか。
なんともSFじみた話だけど、こうしてインパルサーを目の前にすると嘘だとは思えない。いや、むしろそっちの方が、変なことだけど相当に現実味がある。

あまりにも素っ頓狂すぎて。



インパルサーの冷たそうな青い体を見ていると、暑さを忘れそうになる。
でも、彼がぶち抜いた壁からは、アスファルトや車の排気で暖まった空気が風に揺られて入ってきた。
途端に蒸し暑さが戻って、肌がべったべたになった。
首筋に張り付いた髪とTシャツを剥がしながら、あたしはベッドから降りて足を切らないためにスリッパを装備した。
そして腰に手を当て、ぐっと彼を見上げる。

「とりあえず、一度こっから出てくれない?」

「はあ」

「着替えたいから」

「外装交換ですか? あなた方有機生命体もオーバーホールなさるんですか?」


「するわけないでしょ」

よく漫画とかでロボットがやる、あのボケ方だ。基準はあくまでもロボットだからなんかずれる、ってあれ。
そう来るだろうと思っていたけど、実際にやられると実に気が抜ける。
あたしはげんなりしながら、インパルサーの少しぬるい金属の手を掴むと、ドアへ押しやった。

ドアの前に立たせると、やっぱりインパルサーはでかい。ドアよりもでかいのだ。
あたしの身長が一メートル六十ちょいだから、充分見上げてしまう。
彼は困ったようにドアノブを掴むと、ひとしきりがしゃがしゃ鳴らしてやっとこさ開け、体を屈めて廊下へ突っ込んだけどすぐに部屋に体を戻してしまった。
レモンイエローのサングラスが、あたしを見下ろす。

「えと…出られません」

「どうして」

「ハイパーアクセラレーターブースターのバランサーギミック…要するに、これが」

と、背中と肩に伸びてる翼を指した。

「引っかかっちゃうんです」


たぶん英語っぽい言葉の後に、やけに気弱な声。
そんなの体を横にして屈めて捻れば出られるだろう、とあたしは思わず声を上げてしまった。
インパルサーはおろおろと身を引き、俯いた。

「ですが…」

「そのくらい出来るでしょ、普通」

「また壊してしまったら…」

「あんたねぇ…」

「すいません」

今度は、泣きそうな声を出した。
本当にこいつは、宇宙から来たロボット戦士なんだろうか。頼りない、物凄く。
仕方なしに、あたしは見事に空が見えるようになった窓へ、顔を向けた。
鉄骨とかが露出したその向こうを指す。

「じゃ、あそこから出て」

「はい」

ゆっくりと足をひきずるように、情けなさそうに肩を落として窓へ向かった。
彼は一度あたしへ振り返ると、人間ならば泣いているだろうと思われる口調で言った。

「あの…」

「何?」

「ダメです」

「どうして? あんた、空飛べるんでしょ? ハイパーブースターとやらで」

「ハイパーアクセラレーターブースターは、この星の大気を燃焼して飛ぶもんじゃないんです。これは、アンチグラビトンエネルギーを使って浮遊した状態の時に加速するためのもので…つまり、その」


「反重力エネルギーがない、ってこと?」


「簡単に言えば、そういうことになります」

インパルサーは片腕を上げてその装甲を開き、軽く何かを押していく。
すると、ぺかっと半透明の映像が出てきた。ホログラフィーってやつだろう、きっと。
それは丁度MDくらいの大きさで、薄い画面みたいなものの中には見たこともない文字が並んでいる。
中心に大きく赤い×が出ていて、それを見た途端インパルサーの腕は落ちた。バッテンは宇宙共通らしい。

「アンチグラビトンエネルギーは、アンチグラビトンコントローラーを使うと同時に精製するエネルギーなんですが、着陸の際にアンチグラビトンコントローラーが重力制御の過負荷で壊れてしまったようで…」

今度こそ、インパルサーは自殺しそうに見えた。いや、このまま放っておくと絶対にする。
電池切れが近いラジオみたいに、どんどん声が弱くなってくる。
がっくりと頭を落としたその上には、漫画であれば縦線が入っていることだろう。
彼はしゃくり上げているのか、肩が震えている。

「だから、この高さからだと…今度こそ地面に大穴です」



「もーいい」

情けない。情けなさ過ぎる。ロボットとして。
あたしはぐったりしながら、ドアを指した。

「最初から、こっちから出れば良かったのよ」


「はい」

インパルサーは、顔を上げて頷いた。


あたしはドアを全開にした。
するとインパルサーはあたしの言った通りに体を屈め、翼を引っかけないように体を捻って、ゆっくりと前傾姿勢になりながら廊下に出た。
彼がまた何か言おうと振り返ったので、さっさとドアを閉めてしまった。
いい加減に着替えたい。
本当はシャワーも浴びたいところだけど、そんな暇はなさそうだ。
まずべったべたになったTシャツを脱いでベッドの上に放り投げ、ハーフパンツも放る。下着を出そうとタンスを開けて探っていると、廊下で大きな声がした。
いきなりがばっとドアが開いて、インパルサーがあたしに向かって叫んだ。

「由佳さん、あの、僕、何も!」


その背後で、ぽかんと突っ立っている弟が声の主だったようだ。
そりゃ驚くだろう。まるでアニメからすっぽり出てきたみたいなロボットが、目の前にいたのだから。
弟、涼平は手に持っていた漫画を取り落とすと、恐る恐るインパルサーを指した。

「姉ちゃん、これ、何?」


「ロボット」


「そりゃ見れば解るけど、なんで、うちなんかに」

「あたしが知るかい」

「だよ、なあ…」



ちりん、と壊れなかった方の窓の下で風鈴が鳴っている。
ガラスがぶつかり合う綺麗な音が、変な空気の間に広がった。



呆然と立つ男二人を見ながら、あたしは言った。

「インパルサー」

「あ、はい」

「ドア、閉めて?」


ばたん、とドアが閉められた。
その向こうで、インパルサーが涼平になじられている。デリカシーとか、なんとか言われている。
弟よ、それは無理な話だ。ドジで気弱で情けないロボットが、いきなり女性への配慮とか思い付くわけもないから。
そんなに要領の良いロボットだったら、あたしはとっくにリビングへ降りて彼と話しているはずだから。



あたしは引っ張り出した下着を着替えながら、呟いていた。



「…ラブコメ?」



一昔前のラブコメじみたシチュエーションが、次から次へと起きた。
まさかあたしは、こいつと恋でもするのか。考えたくはない。考えなかったことにしよう。
空から降ってきたけど神様の美少女なんかじゃなくて、ドジだけど紺色ワンピースのメイドでもなくて、ロボットだけど髪の毛がピンクなキラキラしたアンドロイドでもなくて。
でもだからといって、イケメンの天使でも悪魔でも死に神でも時空警察でも未来の旦那でもない。


変なロボットだ。

しかもマスクフェイスと来ている。
これで美形だったらもう少し許せたかもしれない。いや、同じか。

どっちにせよ、あたしにはロボットを愛する趣味などないのだ。




ああ。やっぱり、セミがうるさい。






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