Metallic Guy




第二十二話 穏やかな、前進



「…ちょっと待って鈴ちゃん」

あたしは、思わず鈴音を凝視してしまった。
黒いジャケットにストレートジーンズ姿の鈴音は、綺麗に磨かれた黒いボンネットに寄り掛かる。

「これしかなかったのよ」

「しか、って…」

変な顔をしていた涼平は、おずおずと顔を横へ向ける。あたしは、その視線の先を辿った。
鈴音の寄り掛かっているボンネットから、縦も横も幅もある立派な車体が伸びていた。
ボンネットの鼻先には、車体に負けず劣らず立派なエンブレムが付けられている。
運転席には、かっちりとしたスーツに身を固めた人が座っていた。運転手まで付いているよ。
土手の傍の道路に止めておくには目立ちすぎるため、さっきからやたらと通行人がこの車を見ていく。
あたしは長い車体に並ぶドアの数をちょっと数えてから、鈴音を見上げた。

「これってさぁ、まさかとは思うけど…」

「リムジン」

さらりと言った鈴音は、片手で軽くボンネットを叩いた。

「人数が乗れる車をうちの車庫で探したら、こんなのしかなかったのよ」

「どこの世界でも、高級車の概念は変わらないのですわね。面白いですわ」

白いカーディガンに赤いチェックのミニスカートを着ているマリーは、じっとリムジンを眺める。
そういえば、この人も正真正銘のお嬢様だったっけ。銀河連邦政府の、高官の娘だって言ってたし。
あたしはどこかずれている鈴音の感覚に戸惑いながら、見慣れない長さの車に寄り掛かる鈴音へ言う。

「…だけどさ、鈴ちゃん。たかが自然公園だよ? そりゃ人間もロボットも多いけど、自然公園だよ?」

「そう思ってワゴンでもないかなーとか探してみたんだけどさぁ、なかったのよ」

無駄のない動きで、風に広がった長く艶のある黒髪を掻き上げる。
あまりこの車が好きではないのか、鈴音はどこか不満げな目をリムジンへ向けた。

「うちの父さんの道楽でさ、やたらとこういう車ばっかりあって。仕方ないから、これにしたの」


だけど、やっぱりこれで自然公園に行くのは目立ちすぎる。
あたしは立派な運転席に無表情で納まっている運転手を見て、そう思ってしまった。
今日は、戦う前にあたしがロボット兄弟に約束させた、休みを兼ねた遊びに終始する日だった。
平たく言えば、皆でとにかく遊び倒す休日にしよう、ということだ。
文化祭のごたごたが終わったあとに、皆で話せるだけ話し合った結果、郊外の自然公園へ行くことになった。
小学生諸君の意見と、どうせなら広いところが良いだろう、というわけで決定された場所だ。
ロボットと人間を含めて総勢十二人もいるんだから、広くないと遊べないし。
そんなわけで。高校と小学校に行く途中にある、土手の傍の交差点で、あたし達は待ち合わせていたのだ。


「リムジンかーぁ」

あたしのお下がりのポシェットを下げたクラッシャーが、するりとリムジンの上を通る。
そのボディと同じく黒い車体を見つめていたが、残念そうに呟く。

「だけど乗れないよねー、狭いから。背中のブースター、引っかかっちゃう」

「僕も乗れませんよ。ヘビークラッシャーと似たような理由です」

と、インパルサーも残念そうに首を振る。その両手には、お弁当箱の入った大きな包みがある。
信号の下の電柱に寄り掛かっていたリボルバーは、自分の肩に填った巨大な弾倉へ目を向けた。

「こういうとき、ちぃとばかし面白くねぇよなぁ」

「だぁよねぇー」

頬を膨らませながら、クラッシャーが胸を張った。それを見、マリーは笑う。

「仕方ありませんわよ。あなた方は人間大に造られてはいますけれど、適応するようには出来ていませんもの」


「由佳さん。葵さん達も来ましたよ」

と、インパルサーは包みを持っていない方の片手を挙げて、指した。
イレイザーとさゆりと一緒に歩道をやってきた神田はリムジンに気付いたらしい。困惑したような顔になる。
さゆりもさすがに驚いたのか立ち止まり、まじまじと黒く長い車体を眺めている。
ほう、と声を漏らしながら顎に手を添えた。イレイザーの横長で赤いゴーグルに、車体が映り込む。

「なかなか性能が良いマシンでござるな。この大きさでなければ、余程走るに違いあるまい」

「一応はロールスロイスだからねぇ、この車。エンジンはいいのは確かだと思うわ」

鈴音は、またさらりと高級車の名を出した。鈴音とリムジンを見比べ、神田は呆然と呟く。

「高宮って、お嬢様だったのか…」

「大したもんじゃないわよ、上には上がいるし」

笑いながら、鈴音は首を横に振る。いや、充分大したもんだよ、鈴ちゃんちは。

「ちょーっとうちのお爺ちゃんの事業が成功しただけなんだし。で、父さんがそれを継いで上手いこと拡大しただけ」

「ブルジョワジー…」

神田の後ろからリムジンを見、さゆりが呟いた。イレイザーはさゆりの後ろで立ち止まり、電柱を見上げる。
一歩身を引いて軽くアスファルトを蹴ると、とん、と信号機の上に降りる。身が軽いなぁ。
信号機が付けられた電柱の上に、なぜかディフェンサーが不機嫌そうな顔をして座っていた。
イレイザーはその少し下にある信号機の上に立ち、腕を組んで兄へ顔を向けた。

「黄の兄者。いかがなされた」

「るせぇ」

かなり不機嫌なのか、ディフェンサーは顔を背けてしまった。イレイザーは兄達を見下ろし、首をかしげる。
あたしとパルにはその心当たりはあったけど、この場で言う気はなかった。
不機嫌の理由は、この間、マリーの家から帰るときに、律子へコマンダーになれと逆指名したことだろう。
だけど律子はその指名を受け兼ねたようで、考えさせて、と返して帰ってしまった。
それからは傍目に見ていてもよく解るくらい、ディフェンサーと律子の関係はぎくしゃくしていた。
昨日だって、いつものように屋上でお昼を食べていても、二人はまともに話もしていなかったし。
ディフェンサーはむくれた様子であらぬ方向を見ていたが、ふと、横断歩道を見下ろす。
車の流れが切れ、横断歩道の信号が青になる。反対側には、律子が立っていた。
律子はディフェンサーを先に見つけたのか、ちょっと戸惑ったように足を止めたが、笑う。
小走りにやってくると、鈴音のリムジンの前に止まったが、おずおずと電柱を見上げた。
ディフェンサーは電柱から降りたが、律子に背を向けてしまう。不機嫌を通り越して、意地を張っているらしい。
律子は困ったように目を伏せていたが、あたしを見、ふにゃっと泣きそうな顔になってしまった。

「…美空さぁん」

「まぁとにかく、さっさと乗って遊びに行こうじゃないの。時間が勿体ないわ」

リムジンの前から二番目のドアを開けた鈴音は、ぐいっと律子をその中に押し込んだ。
あたしは鈴音に手招きされて近付くと、腕を引っ張られて耳元へ口を寄せられる。

「相当きてない、イエローフォトン?」

「…きてるよねぇ」

何が来てるのか解らないけど、あたしは苦笑しつつ頷いた。理由は知ってるけど、今は言えそうにない。
幅の広いリムジンの中に入って座席に腰を下ろすと、そのクッションの柔らかさにびっくりしてしまった。
つやつやした白い革張りで、いかにも高級車だ。いや、実際かなりの高級車なんだろうけど。
車内も広いし、装飾もかなり立派だ。こんなに高そうなものを道楽で集める鈴音のお父さんって、一体。
高宮家の金持ちっぷりを感じて呆然としていると、隣へ鈴音が座ってドアを閉めた。
一つ後ろの座席に座ったマリーは足を揃え、頬へ手を添えて笑む。

「まあ。なかなかよろしい車ですわね」

「乗り心地は悪くないのよねー。でも、私はこういうのより、フェラーリみたいな方が好きだなぁ」

後ろへ首を回していた鈴音は、前へ向き直った。深く座り、足を組む。
マリーの隣に座ったさゆりと涼平は、緊張した様子で高級車の車内を見回している。
その後ろの座席に一人で座っている神田は、どこか寂しそうだった。そりゃ、一人じゃねぇ。
ふと、思い出したようにスモークガラスの窓を指してこちらへ顔を向ける。

「なぁ、インパルサー達はどうするんだ?」

「飛んで付いてきますわよ」

そうマリーが返すと、神田の座った座席のドアが開けられた。パルが、あのお弁当箱の包みを差し出した。
大きくて重たそうなそれを受け取った神田が中に置くと、インパルサーは軽く敬礼する。

「では、僕らは上から行きますね。追い越さないようにしますので」

「目的地がどこだかは、オレらはいまいち解ってねぇからな。案内しっかり頼むぜ、運ちゃん」

屈み込んでインパルサーの後ろから車内に頭を突っ込んだリボルバーが、運転席へ顔を向ける。
運転手は一瞬困惑した表情になったが、頷いた。まだこの人は、ロボット兄弟に慣れていないようだ。
リボルバーは車内から頭を抜き、アスファルトを蹴って空中に出た。他の四人も、同じようにする。
鈴音は、運転手へ片手を挙げる。

「それじゃ、お願いね」

「はい、お嬢様。発車いたします」

運転手はハンドル横のキーを回し、エンジンを動かした。軽い震動が起こる。
律子は浮かない表情をしていて、窓の外を見つめていた。これから、どうなっちゃうんだろう。
あたしはちょっとどころか、かなり心配になってきた。




一時間ほど走り、付いた先は郊外の自然公園だった。
休日ということもあり、広い駐車場には家族連れが乗ってきたらしいワゴンや乗用車が所狭しと並んでいる。
あたしはリムジンから降りると、改めてこの車は大袈裟だと思った。まるで空気に合っていない。
前から三番目のドアを運転手に開けられたマリーは軽く頭を下げ、優雅な動作で車から降りて立ち上がる。
インパルサーの作ったお弁当の詰まった包みを持ち、神田はそれを見下ろした。

「どれだけ入ってるんだよ、この中身…」

「十人分くらい入ってるんじゃないかなぁ。マリーさんがよく食べるから、その分多いんでしょ」

包みの中身は、確か五段重ねくらいのお弁当箱だ。今朝、パルが意気揚々と詰めていたし。
昨日の夜からパルが準備していただけのことはあり、おかずだけでもかなりの量だったことを覚えている。
辺りを見回していたさゆりは、あ、と声を上げた。するとその前に、すとん、とイレイザーが降りる。
それとほぼ同タイミングで、残りの四人も降りてきた。ちょっと遅れて、リムジンに付いてきていたらしい。
クラッシャーは降りると同時に近付いてきて、目を輝かせながら自然公園のゲートを指す。

「なんか凄いね! 早く中に入りたいー!」

「だだっ広いだけだし、そんなに大したもんはないと思うぜ?」

「でもでもー、面白そうなんだもーん」

冷めた目をした涼平の前で、クラッシャーはわくわくしている。こういうところは、初めてだからだろう。
神田からお弁当箱の包みを受け取ったインパルサーは、ずいっとあたしに近寄る。

「早く行きましょう!」

「でもその前に、入場料払わなきゃ。えと、いくらだっけ」

あたしが思い出す前に、律子が自分のショルダーバッグからパンフレットを取り出し、広げた。

「えーとね、中学生以上が五百円で、小学生以下は三百円だね」

「あいつら、現金持ってたっけ?」

神田が訝しむと、さゆりが首を横に振る。

「持ってない。だから、私達が払わなきゃ」

そうこうしている間に、ロボット兄弟は子供のようにはしゃぎながら、入場ゲートへ向かっていった。
リボルバーは少し遅れて彼らに付いていったが、充分ボルの助もはしゃいでいる。あんまり、らしくない。


「一番長く稼働しているフレイムリボルバーでも、実年齢は地球で言えば十二年ほどですものね」

くすくす笑いながら、マリーはゆっくり歩いてあたしの隣を抜ける。

「本当に子供なのですから、子供みたいで当然ですわ」

「てことは、ボルの助は実質十二歳? …嫌な十二歳ね」

嫌そうにしながら、鈴音は入場ゲートの手前ではしゃぎまわる兄弟を押さえるリボルバーへ目を向けた。
あたしもそれは、嫌かもしれない。パルはともかくボルの助も年下なんて、少しどころかかなり変な気がするし。
マリーは少し前を歩いていたが、振り返って頷く。

「ええ。ソニックインパルサーとフォトンディフェンサーも、稼働開始時期はフレイムリボルバーとほぼ同時期だったと思いますわ。ですから、実年齢は三人ともそれくらいですわね」

「いっちゃんとクー子ちゃんは?」

さゆりが尋ねると、マリーは少し思い出すようにしてから返す。

「シャドウイレイザーは、間を置いて造られましたから…実年齢は、九歳ぐらいですわ。ヘビークラッシャーは、更に間を置いていましたから、六歳半ほどかしら?」

「…いっちゃん、年下だったんだ」

さゆりは、笑いたいような笑えないような、なんともいえない表情になる。
あたし達より一歩後ろにいた神田はマリーを見、尋ねる。

「つーことはやっぱり、オレらよりは年上だよなぁ、間違いなく。この間から、ちょっと気になってたんですけど」

「はい?」

少し首をかしげて振り返ったマリーに、神田は続けた。

「マリーさんて、本当は一体いくつなんですか? 少なくとも、十代じゃなさそうな…」


「葵さん」

くるりと背を向けたマリーは、横顔だけこちらへ見せる。

「それ以上お聞きになったら、本気で横っ面を蹴り飛ばしますわよ?」


口元は笑っているように見えたけど、目は少しだって笑っていない。ああ、怖いよ怖いよ。
だけど、すぐにその恐ろしい笑みはいつもの可愛らしい笑みに変わった。この落差がまた、末恐ろしい。
マリーは軽い足取りで、入場ゲートへ向かっていった。ふわりと、長い金髪が小さな背を隠す。
あたしは、かなりマリーさんが怖くなった。実年齢は気になるけど、蹴られるのは嫌だ。
神田を横目に見ると、さゆりが呆れたような目で兄を見上げている。

「デリカシーないでしょ、お兄ちゃん」

「少しは女心を考えてみなさいな、葵ちゃん」

けらけら笑いながら、鈴音は先に行った。その後に、律子が続く。
あたしの隣で鈴音を見送りながら、涼平が呟いた。

「…女心ねぇ」

「あたしに聞かないでよ」

「どうせ、姉ちゃんのは参考にもならないだろうしな」

あたしは弟のその答えが少し気に食わなかったが、そんなことで怒るのもなんだと思い、堪えた。
今はそんなことよりも、早く入場したがっているパルやクー子に、入場チケットを買ってやらないと。
いつになくはしゃいでいるインパルサーは、ゲート前でぶんぶん腕を振り回していた。




実年齢は小学生でも、クラッシャー以外は一応は高校生なので、入場料はちゃんと大人料金だった。
なんだか不条理な気がしたけど、考えないことにした。考え始めたら、切りがなさそうだから。
戸惑い気味の係員にチケットを切ってもらい、ロボット兄弟は先陣を切って公園内に突入した。
ゲートから伸びる幅広の歩道に沿って造られた花壇や、その隣にある季節の花の広場。
それだけでもう、ロボット兄弟はかなり興奮していた。物珍しいのもあるのかもしれない。
クラッシャーは満面の笑みを振りまきながら、ぴょんと飛び上がった。

「うっわぁーおう!」

「凄いですね、植物だらけですよ!」

お弁当を振り回さないようにしながらも、インパルサーは声を上げる。
あたしはパルをちょっと押さえながら、前に出る。はしゃぎすぎだ。

「そりゃ自然公園だもん」

辺りの家族連れが、はしゃぎ回るクラッシャーやその後に続く兄達を見ては呆気に取られていた。
こういうところに来ると、どうしても注目を集めてしまう。ロボットだからね。
子供達は五体のロボットを見、感激した様子で親に報告している。親達は、訳が解らないといった顔だ。
マリーは人々へ深々と頭を下げてから、にっこりと微笑んだ。

「ご心配なさらずに。彼らは何もいたしませんわ、遊びに来ただけですのよ」

その笑顔に安心したのか、親達は態度を緩めた。美少女って、こういうときに便利だなぁ。
すぐにでも遊びに行きたいらしいインパルサーは、手元のお弁当箱と、既に行ってしまった兄弟を見比べる。
このままじゃ少し不憫だな。そう思い、あたしは兄弟達の走り去った、広場を指す。

「行ってきても良いよ。お弁当、ちゃんと持ってるから」

「それでは由佳さん、お願いします!」

インパルサーはあたしにお弁当箱の包みを渡すと、軽く歩道を蹴って浮かび上がった。
子供達から歓声が上がったため、彼は一旦降りてから、兄弟達を追って走り出した。
涼平とさゆりも遊びたいのか、さっさと行ってしまった。なんとも、小学生らしい。
あたしはずしりとした重みのある包みをなんとか持っていたが、結構辛い。何せ、十人分だから。
持ち直そうとすると、隣から手が出された。見ると、それは神田だった。

「持とうか?」

「いいの?」

「どうせオレしか持てないだろ、こんなもん」

そう笑ったので、あたしは素直に神田へ渡した。神田にもやはり重そうだったけど、しっかり持った。
このままゲート出口に突っ立っていても仕方がないので、あたしは広場に向かうことにした。
インパルサー達が、遊ぶ姿を見てみたかったということもある。




青々とした芝生の広場では、既にインパルサー達は遊び始めていた。
相手はマリーで、彼女の手には丸くて平べったいものがある。フリスビーみたいだけど、ちょっと大きい。
腰を落としたマリーは直線上に立つインパルサーとリボルバーへ、円盤を持った腕を振る。

「てぇっ!」

勢い良く離されたフリスビーは、がん、と凄い音を立ててリボルバーの額辺りに命中する。
途端に姿勢を崩したリボルバーはよろけたが、倒れる寸前に姿勢を戻して立つ。くるくると、円盤は宙を舞った。
今し方フリスビーの当たった部分を擦ってから、頭上へ落下してきたフリスビーを掴む。

「なぁ、姉ちゃん」

「なんですの?」

リボルバーから投げ返されたフリスビーを、マリーは受け取った。インパルサーは、がしがしと頬を掻く。

「ちょっとこれ、違いませんか?」

「つーかよ、その材質はこの星のプラスチックじゃねぇな?」

額の辺りを擦っていた手を外したリボルバーは、げ、と変な声を出した。黒い手の上に、僅かながら赤がある。
つまり、塗装が剥がれるほどの勢いで投げたというわけか。絶対にそのフリスビー、プラスチックじゃない。
水色のフリスビーらしきもので、マリーは顔を半分隠した。

「あら、なんだと思います?」

「フリーメタルが、十二パーセント混ぜられている。それは、ただの合成樹脂ではござらぬ」

マリーの手元を見下ろしながら、イレイザーは嫌そうな顔になる。

「それは元来、回避訓練用のディスクでござるな…。赤の兄者の塗装が剥がれるほど、固くて当然なり」

「格納庫を探ったら出てきましたのよ。遊べるかと思ったんですの」

悪気のなさそうな笑顔。マリーはまたフリスビー、いや、金属混じりのディスクを投げ飛ばした。
今度はインパルサーに向かい、彼が避ける前にいい音を立てて額に命中する。ディスクは、高く跳ね飛ぶ。
二三歩よろけたインパルサーは片手を伸ばしてそれを手にし、マリーを見下ろす。

「マリーさんが僕らで遊んでませんか?」

「気のせいですわよ」

インパルサーから投げられたディスクを受け取ったマリーは、それを構えた。

「さあ、どんどん行かせて頂きますわよ!」

にやりとした笑みになったかと思うと、マリーは高くジャンプした。
プリーツのあるミニスカートが広がり、その中の細めの太股と小さなヒップと、それを包むパンツが見える。
あの長くてすらりとした柔らかそうな足が、機械だなんて信じられない。どこからどう見ても、生身にしか見えない。
そんなことを考えていると、白いレースのパンツが丸見えの状態になる。マリーが足を広げたのだ。
彼女は空中で姿勢を整えると、左手に持ったディスクを強く投げ飛ばした。

「はっ!」

真正面に飛んできたディスクを受け止めようとしたが、インパルサーはその勢いに負けたらしい。
ぐらりとよろけて、倒れてしまった。どんな勢いで投げたんだ、マリーさん。
すとん、と軽く着地したマリーはどこからかもう一枚のディスクを取り出し、振り上げる。

「まだありましてよ!」

一瞬の後、それはリボルバーの右肩の弾倉に当たった。がこん、と凄い音がする。
リボルバーはなんとか堪えようとしたが、やはりよろけて一歩後退した。足を広げ、姿勢を整える。
芝生の上に落ちたディスクを拾ったリボルバーは、変な顔をした。

「あのよぅ…絶対間違ってるぜ、姉ちゃん」

「間違っていますかしら?」

更にもう二枚、どこからかディスクを出したマリーはきょとんとしている。正しいと思っているのか。
気付くと、他の兄弟達はさっさとどこかに行ってしまっている。逃げたな。
遠くから聞き覚えのある高い声がしたので、見ると、バラ園の方へ小学生三人とイレイザーが向かっていった。
ディフェンサーもどこかへ行ってしまったのか、もう辺りにはいなかった。

「あんなとこがあったんだぁ」

律子が見上げた先を見ると、高台に展望台がある。鈴音も、そちらを見上げる。

「それじゃ、あっち行ってみようか」

「神田君は?」

お弁当箱を下げたままの神田へあたしが振り返ると、神田は仕方なさそうに苦笑した。

「これ持ってちゃ、あの階段は上れないだろ?」

展望台に到達するまでには、結構な長さのある階段が続いていた。確かに、それは無理だ。
普通に昇るだけでもきつそうな感じがするのに、大荷物を持っていちゃまず昇れるわけがない。
あたしは少し悪いような気もしたが、もう鈴音も律子も展望台へ向かっていた。
どうせならと思い、神田の申し出に甘えることにした。

「じゃ、お願いね」

長い階段を昇りながら一度振り返ると、遠目から見ても神田は物凄く寂しそうに見えた。
ちょっとどころか、かなり。神田が哀れに思えてしまった。ごめんよ葵ちゃん。
お弁当箱を下げた神田の背後では、マリーがやたらに元気良く、ディスクを二人に当て続けている。
しばらくすると、マリーはまた二人を倒したらしく、どがっしゃん、と凄い音がした。
直後、あの気持ちの良さそうな高笑いが響いてきた。うん、出来る限り関わらない方が良さそうだ。
パル。マジでごめん。あたしは、今のあんたを助けられない。




展望台への長い階段を昇るのは、運動不足気味の足にはきつかった。
後半になると多少だれてきたけれど、なんとか登り切り、高台に出る。あたし達の他にも先客が、数人いた。
登り切ってから下を見ると、アスレチックと隣接した芝生の広場が見渡せる。他にも、色々見えた。
ガラス張りの大きな温室や、それに隣接した恐らくは資料館。その近くに植物園や、広いピンクの花畑がある。
少し高く立てられた展望台に昇ると、更に遠くまで見えた。市街地まで見渡せる。
雨風に少し汚れた手すりの手前で、律子はメガネを外した。フレームのないそれを畳み、ケースに入れる。

「こういう場所は、外した方が良く見えるから」

「そういえば、遠視だって言ってたっけ」

思い出したように鈴音が言い、強めの風に靡く髪を掻き上げた。弱い香水が、風に広がる。
素顔の律子は、大人びて見えた。普段は言動が幼いからあまり解らなかったけど、その顔立ちは美人の部類だ。
可愛らしさのある丸い感じの目と、バランスの取れた小さめの唇に、すっと通った鼻筋に細めの顎。
長い三つ編みが、風に揺らいでいる。まとめきれなかった後れ毛が、華奢な首筋に落ちていた。
律子は、あたしへ振り向く。

「そうだよ。よく勘違いされちゃって、席も前の方にされちゃうことが多いの」

「確かにそんな感じだよね、りっちゃんて。遠視っぽくない」

あたしは少し汚れた手すりに手を掛け、律子へ顔を向ける。
律子はあまり面白くなさそうに、少し頬を膨らませた。

「いっつも近視だと思われるのも、あんまり気分良くないんだよ。決め付けられちゃうのって、好きじゃないよ」

「あー、それは私もあるわぁ」

頬杖を付いた鈴音は目を細めながら、広大な自然公園を見下ろした。

「私、見た目がこんなんだから、いっつも誰かしら男がいるとか思われてるみたい。誰もいないのにねぇ」

「リボルバー君は?」

そう律子が尋ねると、鈴音はきょとんと目を丸める。少ししてから、吹き出した。
手すりに寄り掛かって笑いながら、手を横に振って否定する。

「ボルの助ー? あれは彼氏にする部類じゃないし、元よりそういう対象に見られないわよ」

「美空さんは違うよね?」

「は!?」

いきなり律子に話を振られ、ちょっと困ってしまった。
律子はあたしを見、どこか羨ましそうに笑う。本当に、りっちゃんは可愛い。

「だって、なんだか最近、インパルサー君といい感じだもん」

「そうそう。何かってーと近くにいるじゃない、由佳とブルーソニックは。ちょっとは進展したの?」

うんうんと鈴音が頷いてから、にやりとした笑みを向けてきた。ああ、まずいわまずいわ。
あたしは進展したことを否定するわけじゃないけど、言いたくはなかった。めちゃめちゃ恥ずかしい。
なんとかはぐらかそうと思ったけど、はぐらかすための口実すら思い付かない。ああ。
胸の奥の痺れが出てきたと思ったら、同時に頬が熱くなった。今、絶対、顔真っ赤だ。
それを見せるわけに行かない。あたしは二人に背を向け、俯いた。

「ごめんお願いそれ以上聞かないで」

「恋する乙女は可愛いわぁ」

そう楽しげに笑いながら、鈴音はあたしの後頭部を軽く叩いた。
鈴音の隣で、律子も笑っているようだった。なんて解りやすいんだろう、あたしって奴は。
ていうか、あたしはマジでパルに恋をしちゃってるみたいだ。自分のことなのに、未だに信じられないけど。


「恋かぁ」

遠い目をした律子は、ふわふわした前髪を指でまとめていた。広めの額が露わになる。

「私、一度もしたこともないなぁ。ちょっと前まで、されてたみたいだけど」

「されてた?」

そうあたしが訝しむと、律子は頷いた。

「うん。されてたみたい。私なんかに」

「律子、誰かに告られたの?」

そう鈴音が尋ねると、律子は渋る。んー、と言いづらそうに顔を伏せた。
しばらく黙っていたが、くるりと振り返って手すりに背を当てる。

「私なんかのどこがいいんだろうね? 自分じゃ、よく解らないけど」

きっちりと編まれた二本の三つ編みが肩から落ち、胸元に落ちて揺れる。
律子の着ているチョコレート色のフレアーロングスカートが、ふわりと風を孕んだ。
広場からの、子供達の歓声が遠くから聞こえている。
律子は目線を落とし、呟いた。



「されちゃったの」







04 6/22