台風が近付いている、と昨日の天気予報は言っていた。 それは、外れていなかった。 色んな意味で。 寝返りを打つと、体の下がふわんと揺れる。 マットレスの感触に、やっとあたしは自分の部屋に戻ってきたのだ、ということを強く感じた。 まどろみながら、シーツに顔を埋めてもう少し寝ようと思った。 だけど。 「ジャスジャスジャスティー!」 やけに元気な声がする。 「カイカイカイザーッ!」 薄目を開けて机の隣、タンスの上を見ると、CDコンポからずるっと長くケーブルが伸びている。 その先を辿ると、変なポーズを取っているインパルサーが目に入った。 耳の位置から伸ばした黒いケーブルを掴んでぴんと伸ばして、またポーズを変えた。 拳を握った右手を前に突き出し、大きく足を広げて胸を反らしている。 そして右手を胸に当て、歌う。 「轟けーっ正義のジャスティコールっ! 炸裂ーっ勇気のカイザァーナックル!」 カイザーナックル、の辺りで拳が突き出された。 それ程大きな声ではない。 でも、騒がしい。 あたしが起き上がると、インパルサーはあたしに気付いた。 ケーブルを引っ張ってぱつんと軽く外すと、途端にCDコンポからその歌の続きが流れてくる。 インパルサーは一歩踏み込んで停止ボタンを押してから、あたしに敬礼した。 「おはようございます」 「朝っぱらから…何してんの」 「歌ってたんです」 「見りゃ解る。ジャスカイザーのCDなんて…涼平が貸したの?」 「はい。貸して頂きまして、由佳さんが起きるまでずっと歌ってました。十五回目です」 至極楽しそうに、インパルサーはまたあの変なポーズを取った。 「ジャスティス! カイザーッ! ジャスカイザーっ!」 「…解ったから」 あたしはぐしゃぐしゃの髪を掻き、息を吐いた。 そうなのだ。 この間、あたしの部屋の壁はすっかり元通りに直った。 その結果、どういうわけだか済し崩し的にインパルサーと、部屋を一緒にされてしまったのだ。 確かに、あたしはこいつのコマンダーというか、保護者みたいな立場だけど。それにしたって安直すぎると思う。 でも、なぜいきなり目覚まし代わりにジャスカイザーの歌を聴かされなければならないのか。 この歌は別に嫌いでもないし、やたら直情的でうるさい歌詞がちょっと気になるだけで、ノリの良さは好きだ。 だけど、目覚めの時に聴くような歌でもないと思う。 あたしはベッドから降り、彼を見上げた。 「同じの何度も歌ってて、飽きないの?」 「いいえ」 インパルサーは、満足そうに首を横に振った。 「とっても楽しいです」 ああ、子供っぽい。 一応はあたしに気遣ってくれているのか、声量は控えめだ。 でも、動きが騒がしいし歌だからやかましいことには変わりがない。 ここ二三日のインパルサーは、今までの謙虚さが緩んでいて、傍目に見ても元気一杯だ。 その理由は、あたしが一番よく解っている。 もう戦わなくて良いし、戦うことになるかもしれない心配もなくなったからだ。 だけど、いきなりここまではっちゃけてしまうこともないだろうに。 やっぱり、あたしとパルはラブコメには縁遠い。 窓を開けながら、鉛色の空を見上げる。 通りで朝から気温が低いと思ったら、雨が降りそうなのだ。 窓から頭を出してその空を見上げていると、背後からインパルサーも同じように外を見た。 「凄いですねー…あの中、きっと帯電してますよ」 「他の星でも、雲の中はカミナリが出来るの?」 そう言ったあと、あたしは思い出した。 金星のガスの中は物凄い雷雲があって、強烈なカミナリが走っているらしい、ということを。 そんなものがあるくらいなら、きっと他の惑星にもあるだろう。 インパルサーは頷いた。 「はい。今上空で行われている放電現象と似たような自然現象は、他の惑星でも珍しいことではありません。そうですか、あれはこの星ではカミナリと言うんですね」 「それじゃあさ、パルの方じゃ何て言うの?」 「インパルスです」 照れくさそうに、インパルサーはあたしへ顔を向けた。 あたしは窓枠に寄りかかり、もう少し高く空を見上げる。 「カッコ良いじゃない。でも、青い雷光はちょっとカッコ付けすぎじゃないの?」 「青…ああ、ブルーですか」 インパルサーは胸に手を当て、少し身を屈めた。 「それはカラーリングネームで、僕と同シリーズのヒューマニックマシンソルジャーなら皆ブルーが付くんです」 「名字みたいなものってこと?」 と、あたしが言うと、彼は首をかしげた。 「それともまた少し違いますが…」 「要するに」 あたしは窓枠から離れ、クローゼットに向かう。 服を取り出しながら、一度彼に振り返った。 「パルの名前は、ソニックインパルサーってことか」 「認証番号や型番などを省略すると、そうなります」 インパルサーは、こちらへ体を向けた。 すると、タイミングを合わせたかのように空にカミナリが走った。 一瞬、翼のあるシルエットが出来る。 数秒してから激しい雷鳴が轟き、後からやってきた音がごろごろと唸る。 彼はじっと街を睨んでいたが、不思議そうに呟いた。 「こういうときは地下からインパルスタワーでも出すものですが…出さないんですね」 「なにそれ?」 「インパルスのエネルギーを回収して都市のエネルギーにすると同時に、災害対策も出来るエネルギーアブソープシステムです。まだ、地球では作られていないんですね」 カミナリをエネルギーにする。 確かに、それは技術が進めば出来そうな話だと思う。 だけどカミナリのパワーが強すぎて、地球では成し得ないことだ。 インパルサーのいた星、というか世界はそれが可能な辺り、文明の進化の度合いが桁違いのようだ。 どれだけ違うのかは、見当が付くわけがないけど。 また、閃光が空を駆け抜けた。 数秒後、がらがっしゃーんと凄い音がする。 あたしは服を抱えたまま、それを眺めた。 ずしりと重たそうな雲を破るように、青白い雷光が走っていく。 「すっごいなぁ」 「でも…どうかな…」 唐突に独り言を呟きながら、彼は手をぎっしょんがっしょんと握ったり開いたりした。 首を捻ってみたり腕を回してみたり、一通り関節を動かしている。 そして頷き、安心したように呟いた。 「大丈夫だ。元に戻っている」 「何が?」 「耐液体機能です。アンチグラビトンコントローラーの故障の弊害を受けないために大半の機能を落としていたんですけど、アンチグラビトンコントローラーが直ったので試しに復旧させてみたんです。ほら」 そう言って、彼は手を差し出した。 「降雨現象があるのならば、これは一番先に回復させておくべき機能だと思いまして。もう、これで僕はいかなる液体に触れても大丈夫です」 関節部分に銀色が露出していたが、その上ににゅっと黒い何かが被って隠れた。 どうやら、これが耐液体機能らしい。確かにゴム素材みたいで、水を通さなさそうだ。 よく見ると、他の関節も同じような黒い被いが出て塞がれている。 インパルサーはぐるっと肩を回してから、ばっと素早く拳を突き出す。 腰を回して交互に蹴りを出し、最後にもう一度高い蹴りを出したまま、言った。 「支障はありませんね」 「大半って、半分くらい落としてたの?」 「ハンブン…いえ、五十パーセントよりも多いです。基本は六十パーセントなのですが、故障もあったので近頃はずっと十五パーセントだけ機能を稼動させていたんです」 「それを六十パーセントまで上げたってこと?」 「いえ、まだ四十パーセントです。急激に稼動率を上げてしまうと、また故障を起こしてしまいますし」 「慣らしってことか」 「そうです」 インパルサーは、あたしが着替え始めたので背を向けた。 彼は彼なりに、気を遣ってくれているらしいのだが、どうせなら出てくれた方がいいと思う。 今度、そのことを言っておこう。いくらロボットとはいえ、男は男なのだからやりづらいのだ。 あたしは彼に背を向け、スカートのベルトを締めた。 カレンダーを見、そして掛け時計に目を向ける。 午前八時十五分。 あたしはカレンダーの書き込みと時計を見比べ、ぎょっとした拍子に素っ頓狂な声が出てしまった。 「りゃ!」 「どうかしましたか?」 と、彼が振り向く。 あたしは机の上のショルダーバッグを掴むと、ドアを開ける。 「早く行かないと、陸上部の練習終わっちゃうのよ」 「リクジョウブ?」 「この間作った記事、見て貰わなきゃならないんだもん」 そう言い、あたしはドアを閉めた。 階段を下りて、リビングに入る。 ダイニングキッチンには母さんがいて、あたしを見て少し笑った。 「あらあら、やっと起きたの。間に合う?」 「かも」 あたしはテーブルの上にあったハムとレタスのサンドイッチを取り、急いで食べ始めた。 マヨネーズに混ぜてあるマスタードの量が少し多めで、母さんが作ったにしては結構辛めの味付けだ。 そのことを不思議に思っている間に、それを食べ終えてしまった。そんなに量がなかったのだ。 サンドイッチが乗っていた皿を流しに置くと、あたしは、隣でポットに紅茶を淹れている母さんに言った。 「これ、おいしかったけどちょっと辛いよ」 「あら」 母さんは紅茶の入ったポットと小綺麗なティーカップを乗せた盆を持って、少し不思議そうな顔をする。 「あの子、あなたに言わなかったの?」 「何が?」 あたしはコップに注いだ麦茶を飲み干し、きょとんとした。 誰が、あたしに、何を。 でも今はそんなことを気にしている暇はない。 さっさと顔を洗って、髪を整えて、顔もちょっといじってから行かなくてはならない。 洗面台に走っていくと、階段の上にインパルサーがいるのが見えた。 彼が様子を伺っていることが不思議だったが、これもまた気にしてはいられない。 今は、急がなくては。 陸上部の練習には、なんとか間に合った。 記事は、坂下先生に見てもらえて、無事にOKを貰うことが出来た。 だけど、あまり状況は芳しくなかった。 高校に着いてしばらくした頃、どんよりした空から強い雨が降ってきて、練習が中止になったのだ。 校舎の窓から見下ろすグラウンドは、すっかり海になっている。広い水たまりが繋がっているから、そう見える。 あたしがぼんやりしていると、先程OKを頂けたあたし達の記事をひらひらさせながら、鈴音がやってきた。 鈴音はあたしの隣に立ち、外を眺めた。 「凄い雨ねー…」 「傘、忘れた」 「また?」 鈴音はあたしの呟きに、呆れたように笑って窓枠に手を掛ける。 背後を、運動部員達が通っていく。この先は昇降口だ。いつも薄暗いけど、天気が悪いせいで更に薄暗い。 荷物をまとめて引き上げる部もあれば、体育館で続行するのか、反対方向に向かっていく部もある。 あたしは雷鳴の轟く空を見、項垂れた。 そうなのだ。こういう時に限って、なぜか傘を忘れてしまうのだ。 「あーもう、あーもうこんちきしょー!」 鈴音へ振り向くと、彼女は頬杖を付いていた。美人は、これだけでも絵になるから凄い。 白い頬を支える細い手首に、腕時計のチョコレート色の細い革ベルトがよく似合っている。 あたしは、その隣でへたり込んだ。 「なんでこう、いっつも忘れるかなぁ、あたしは…」 「ま、頑張れ」 鈴音は笑った。他人事だからだ。 「私は折りたたみ一個しかないし」 「いっつもこうだから、ビニール傘が玄関に溜まって溜まってさぁ…」 あたしは、窓枠に背をもたせかけて苦笑した。 「いい加減にしなさいって、母さんに怒られてしまいましたよ」 ふと、あたしは昇降口へ顔を向けた。 ジャージ姿の男子生徒の一団が、騒がしくやってくる。いつも元気なことだ。 上級生なのは、そのジャージの色が赤いことですぐに解った。白抜きのローマ字の校名が、背中に入っている。 あたしは、すぐにその中に園田先輩を見つけ、思わず目で追っていた。無意識に、追ってしまう。 ああ、相変わらず凛々しいお人だ。 陸上部の先輩達と笑い合っていても、一番目立っている。顔立ちが、ということもあるけど、それ以上の何かだ。 とにかくあたしには、園田先輩の存在が強烈なのだ。 半ば呆然としながら眺めていると、園田先輩はこちらに気付いたのか軽く手を振ってくれた。 うわ。 直後、とにかくどきどきして緊張して、動けなくなってしまった。関節が固まったみたいだ。 そうして固まっていると、いきなり片手がぐわっと持ち上げられる。 鈴音が、強引にあたしの手を掴んでいる。ああ、あなたってヒトは。 しばらくこの状態のまま、強制的に手を振らされていた。あたしは、なすがままだ。 そうこうしている間に、園田先輩は部員諸君と共に昇降口を後にした。 あたしは片手を持ち上げられた変な格好のまま、ぼんやりとその後ろ姿を見つめていた。 まるで何かで固定されたみたいに、視線が逸らせない。 しばらくして、やっと鈴音はあたしを解放した。 直後に振り返り、詰め寄る。 「何をしますかー!」 「いけない?」 にやりと薄い唇を上向け、鈴音はあたしの額を小突いた。 「いけない、っていうか…その、困る」 あたしは言葉に詰まりながら、俯いた。 実際、ただ見られただけで固まってしまったし、何も出来なくなった。 そんな状態であんなことをされたら、きっと変な表情になっていたに違いない。 心の準備など出来やしないけど、出来る前にやられたらたまったもんじゃない。 俯いたまま悶々としていると、鈴音があたしの肩を叩いた。 「ま、頑張れ。青い夏はまだまだ長いぞー」 鈴音はそう言い残し、昇降口へ行ってしまった。 あたしが止めようとすると、申し訳なさそうに外を指す。 「バスの時間、来ちゃうから。じゃね、由佳」 あたしは、止めることも出来ず、ただ突っ立っていた。 黒い折りたたみ傘を広げた鈴音は、じゃ、と手を振って雨の中を駆けていった。 それに手を振り返しながら、あたしは内心思っていた。 薄情だぞ、鈴ちゃん、と。 「どうしよ…」 雨は、どんどん激しくなるばかりだ。 あたしはとりあえず昇降口で靴を履いたが、出ることも出来ずに立ち尽くしていた。 視界が悪くなっていて、校門の向こうが煙っている。 悶々としていると、背後に足音がした。まだ、誰か残っていたのか。 振り返ると、神田が靴箱からスニーカーを出していた。それを足元に置いてから、あたしに振り向いた。 「あれ」 「神田君」 あたしは、なんとなく身構えてしまった。 意識されている相手と二人きりなのだから、当然と言えば当然かも知れない。 神田は一度目線を逸らしたが、またすぐにあたしへ戻した。神田も神田で、身構えたのかもしれない。 スニーカーを履いてから、傘立てからグレーの大きめな傘を抜く。 「美空。傘、忘れたのか?」 「そんなとこ」 あたしは神田に背を向けた。 すると、その傘が目の前に突き出される。 「貸そうか」 「そんな、悪いよ」 なんとなくやりづらくて、あたしは首を横に振った。 神田は所在なさげに傘を引っ込め、ぱちんと留め具を外して広げる。 銀色の傘の先っぽをコンクリートに当てたまま、さっぱり雨の止まない空を見上げた。 「じゃ、途中まで送っていこうか」 「途中までって?」 「その…」 神田は、ジャージのポケットに手を突っ込んだ。 「オレと方向、一緒だろ」 「でもさ、神田君は歩くと遠くない? バス使ってるぐらいだし」 「それくらい、どうってことないよ。練習もそんなになかったし」 相当照れくさいのか、途中から声が上擦っている。 あたし以上に、神田は青春している。 なんとなくそれがおかしくて、微笑ましくて、少し笑ってしまった。 このまま神田を突っ返してしまうのはあまりにもかわいそうに思えたので、あたしは頷いた。 「いいよ」 そう言った途端、神田は一瞬、凄く嬉しそうな顔をした。だけど、すぐに元に戻した。 きっと、内心はガッツポーズでも決めているに違いない。 神田はいそいそと傘を差すと、昇降口から出た。あたしの方へ半分以上傘を突き出して、雨の中待っている。 あたしは、それじゃ相合い傘にもならないだろうと思いながら、傘の半分以上を占領した。 ぱしゃん、ぱしゃん、と調子の合わない足音が続いている。 時折隣を車が通って水を跳ねていくけど、あたしは見事に被らない位置にいた。 その代わりに、思い切り掛かっているのは当然神田だ。頼んでもいないのに。 おまけに、傘の下には三割くらいしか入っていないこともあって、頭から足までびしょ濡れになっている。 心なしか、いや、あからさまに寒そうなその姿を見上げる。夏とはいえ、雨は雨だ。 「大丈夫?」 「まぁな」 神田は、元気そうな笑顔を向けてくれた。 だがすぐに顔を逸らし、正面を見る。 あたしはなんとなく、その横顔を眺めていた。 園田先輩程じゃないにせよ、神田はそこそこ顔立ちが整っていることに気付いた。 好青年、というか、人の良さそうな感じなのだ。実際、そうなのだろうけど。 並んでみて初めて解ったけど、身長もそこそこある。あたしより頭一つ高いから、百八十、といったところか。 でも、インパルサーよりは低い。パルがでかすぎるのだ。 唐突に、神田が振り向いた。 「何?」 「なんでもない」 あたしは曖昧に笑い、手を横に振る。 「でもホント大丈夫? あとでちゃんと体温めておかないと、風邪引いちゃうよ」 「解ってるって」 と、神田はやはり嬉しそうに笑った。 「大会の予選も近いし、そうそう体調を崩すわけにいかないしな」 神田は、悪いやつではない。ただ、あからさまに意識されていることが解るから、相手にしづらいだけだ。 でもインパルサーと一緒で、色恋の相手として見ることは出来ない。 だけど、園田先輩には絶対手が届かない。と、思う。 パルは問題外だ。 うーん。 なんで、そこでパルまで出てくるんだ? 04 3/19 |