Metallic Guy




第七話 戦士と、日常



隣に置いた紙袋を覗き、また締めた。
すっかり冷めてぬるくなってしまったカプチーノを飲み、あたしは息を吐いた。
手前を見ると、薄暗い店内からだと外がやけに明るい。人も、相変わらずの多さだ。
少し強めの空調が、寒く感じられた。
一人でコーヒーショップの席に座っていると、話す相手が居なくて寂しいものだ。

あの後、あたしとパルは、一応仲直りした。
どっちも言い過ぎた、話が早急すぎた、てな具合に。
でも色々と考えてみたら、あたしはなんて恥ずかしい行動をしていたのだろうか。背中にデコよ。
その辺りの照れくささもあったし、いい加減にエプロンとカーテンを買いに行きたかったので、現在に至る。
鈴音を誘っても茶化されてしまいそうなので、敢えて電話しなかった。


紙袋の中身のエプロンは、良くあるジーンズ地のシンプルなやつだ。結構大きい。
あたしの趣味ではないけど、インパルサーに似合うであろうエプロンはこれくらいしかなかったのだ。
なんとなく頼んでしまったカプチーノを飲み干し、そのエプロン入りの隣の紙袋を少し覗いた。
こっちの中身は新しいカーテンで、柄は前のと同系統のピンクだけど、今度のは大きめのガーベラ柄だ。
これを部屋の窓に掛けた図を想像し、悦になる。これでやっと少女趣味な部屋に、戻ってくれそうだ。
その紙袋の中には、ついでに買ったインパルサーへのおみやげがある。これで喜ぶのかどうかは、解らないけど。
でも、あんなにひどいことを何度も言ってしまったのだ。これくらい、しないと気が済まない。
そんなことを考えていると、ふと、手前に誰か立ち止まった。
席は他にも空いているから相席にならなくても、と思いながら顔を上げると、ちょっと驚いた。

少し照れくさそうな表情で、神田が立っていたのだ。

あたしは、とりあえず向かいの席を指す。

「…座る?」

「んじゃあ」

手にしたアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いてから、神田はあたしの指した椅子に座る。
背負っていたデイパックを下ろし、足元に落とした。
あたしは尋ねる。

「お盆なのに、こっちにいるの?」

「うちの両親、どっちも実家が近いんだよ。里帰りったって、日帰りなんだ」

そう言い、神田はガムシロップを入れないままアイスコーヒーを飲んだ。
苦そうだけど、苦くないらしい。どうやら、神田は甘党ではないようだ。

「そういう美空は」

「…んー」

思わず目を逸らし、言葉を濁してしまった。
言うまでもないだろう、神田よ。あんたなら知っているはずだ、あのことを。
すると神田は台風の翌朝を思い出したらしく、ああ、と頷いた。

「あの青いのがいるせいか?」

「ご名答。ていうか、神田君に見られたから父さんの実家に行けなくなったんだけどね。あたしだけ」

「ごめん。オレのせいか」

「いいよ、そんなに大した事じゃないし。それより、誰にも言ってないよね?」

「ああ」

神田は真剣な表情になる。

「色々考えたんだけど、誰にも言ってない。まだ美空に、あれがなんなのか確認してなかったしな」

「確認したら言うの?」

「そんなわけないだろ。オレを信じてくれないのか」

と、神田は少し笑った。
あたしは腕を組み、ついでにテーブルの下で足も組む。鈴音の真似だ。

「何があっても言わないこと。言ったら」

「解ってる。だけどさあれ、青くて背が高いってのは解ったけど、一体何なんだ?」

神田はガムシロップを開いて、アイスコーヒーに入れた。でもそれは半分で、ポーションの中に残っている。
そんなんで甘いのか。そんなんじゃ、甘いとは全然思えないぞ。
絶対甘くないであろうアイスコーヒーをストローで掻き回しながら、神田は椅子の細い背もたれに寄り掛かった。

「なんか、ロボットみたいに見えたけど」

なかなか鋭い。
さすがに運動部だから、視力は悪くないようだ。

「それ、全部ここで話させる気?」

「あ、ああごめん」

あたしが言うと、神田は申し訳なさそうな顔になった。
仕方ない。こんな場合は、こうするしかないだろう。

「とりあえず、あたしのうちに来て話さない? いるし」

「いる、って?」

「青いの」

「マジでいいのか?」

「その代わり、何もしないでよ。あたしにも、青いのにも」

「信用されてねぇなー…」

神田は苦笑する。
そりゃだって、今も昔もあんたとあたしはただのクラスメイトでしかないのだ。
これといって仲が良いわけでもないし、たまに話すぐらいだ。そんなんで、全面的に信用する方が無理だ。
あたしは頬杖を付く。

「そだ。あたしんちの青いの見たんなら、今度は鈴ちゃんとこにも行かないとね」

「なんで高宮が」

「似たようなの、鈴ちゃんとこにもいるから」

「…マジかよ」

神田はそう呟き、うはぁと変な声を洩らした。
あたしは頷き、にやりとした。

「マジ。でも、どっちのことも誰にも言わないって約束してね」

「見返りは?」

「…何期待してんの」

呆れてしまった。
すぐに神田は笑って、はぐらかした。
あたしは立ち上がって荷物を抱え、カフェオレの入っていたカップを持った。
すると神田は半分以上残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干し、だん、とテーブルに置いた。胃に悪いぞ。
あたしは彼を指し、胸を張る。

「いい? 何かしたら」

「したら?」

「股間に十回膝を入れてやる」

ああ。
我ながら、なんてはしたない脅し文句だろうか。だけど、これしか思い付かなかったのだ。
神田はその様子を想像したのか、思い切り口元が引きつった。ちょっと言い過ぎたかも知れない。
しばらくすると、なんとか頷き、足元に置いたデイパックを担いだ。

「…解った。でもそれ、マジか?」

「マジもマジよ」

もう一度、神田の表情が歪んだ。
それくらいの覚悟をしてもらわないと、こちらとしては安心出来ない。
一応は、あたしも女なのだから。




日光で熱くなった門を開き、後ろに突っ立っている神田へ振り返った。
彼が門の中に入った後、門を閉めた。
裏山のセミの鳴き声は、相変わらず騒がしい。一体、何匹いるんだろうか。

あたしは薄暗くひんやりした玄関に入り、スニーカーを脱いで廊下に上がる。
神田はあたしのスニーカーの隣で靴を脱ぎ、上がった。

「お邪魔します」

「どうぞ」

あたしはそう言い、リビングへ向かった。
磨りガラスの填ったドアを開け、中に入る。空気が、ちょっと冷たく乾いている。
ダイニングキッチンの隣を通って、リビングの手前に出た。

そこに、彼は立っていた。
インパルサーは何かしていたのか、妙なポーズだった。
両手の拳を握り、前後に足を広げて腰を落としている。まるで格闘技の構えだ。
あたし達に気付いたのか、その構えを解いて振り向いた。

「あ、由佳さん。おかえりなさい」

「ただいま」

あたしは、背後の神田を見た。
案の定、母さんや鈴音と同じようにぽかんとしている。ま、いつものことだ。
インパルサーは敬礼し、軽く頭を下げる。

「初めまして。あなたは確か…雨の日に、由佳さんを降雨から守ってらした方ですよね?」



沈黙が、長く続いた。




しばらくして、ようやく神田は落ち着いたようだった。
あたしが出したアイスティーを、神田はやっぱりストレートで飲んでいる。
ソファーの隣に正座するインパルサーは、レモンイエローのゴーグルに神田を映している。
そして、神田と向かい合わせにソファーに座ったあたしを見、少し首をかしげた。

「そういえば、エプロンて買ってきて頂けたんですか?」

「ああ、うん」

あたしは隣に鞄と一緒に置いた紙袋を開け、中身を取り出す。
値札が付いたままのジーンズ地のエプロンを広げ、インパルサーに差し出す。

「これ。どう?」

「ありがとうございます」

彼はそれを受け取り、立ち上がって胸の前に当てた。
そして頷き、嬉しそうな声を上げた。

「わぁ、いいですねこれ!」

「あ、でも使う前に値札切らなきゃ」

「それくらいなら」

と、インパルサーはおもむろに値札とエプロンを繋ぐ糸を持った。
ぱつん、と軽く引きちぎって、ゴミ箱に投じた。ハサミいらずとは、なんとも便利なことだ。
そしてエプロンの背中のボタンを外し、肩紐をアーマーに乗せて早速着ている。
その姿は、ふりふりエプロンの新妻姿より余程良い。同系色だからだろうか、結構様になっている。
エプロンの両端を掴んで広げ、声を上げた。

「どうですか、由佳さん?」

「いいよー」

そうあたしが笑うと、くるんと一回転してみせた。乙女チックな。
ひとしきりうわぁ、とか歓声を上げているインパルサーを、神田は変な顔で見上げている。
そう感じるのはもっともだ。いかついロボットが、エプロン着て喜んでいるのだから。
神田はアイスティーを半分程飲み、呟いた。

「美空」

「何?」

「…こいつ、何?」

明らかに、神田はインパルサーと関わったことを後悔している。
あたしが彼を紹介する前に、先にインパルサーが神田を見下ろした。
ぱしん、と敬礼する。

「どうも、名乗り遅れました。コズミックレジスタンス…ではないですね、もう。現コマンダー、ユカ・ミソラ直下のヒューマニックマシンソルジャー、ブルーソニックインパルサーと申します。以後、お見知り置きを」


「コズミックレジスタンスじゃないの?」

と、あたしが尋ねると、インパルサーは後頭部を押さえた。

「もう、存在しませんから。それに、今の僕は銀河連邦政府の管理下に置かれているわけでもありませんし」

「だからあたしの直下か」

ちょっと、恥ずかしくなってきた。
ユカ・ミソラコマンダーとは。まるでどこかのアニメみたいな言い方じゃないか。
神田は更に複雑そうな表情になっていて、腕を組んで唸っている。当然だ。
インパルサーは神田を指し、首をかしげた。

「こちらは?」

「あ、その」

神田は顔を上げ、なんとか笑った。

「神田葵。美空とクラスが同じで」


いきなり話しかけられて、戸惑いもするだろう。
ていうか、神田の下の名前、初めてちゃんと聞いた気がする。葵とは、また随分と可愛い名前だ。
あたしはアイスティーにガムシロップとレモンを入れ、スプーンで掻き回す。
からからと氷が滑る。程良く甘くなったそれを飲み、ふと思い出した。
カーテンの入った袋の中に、一緒に突っ込んであった薄べったい紙袋を取り出し、中身を出した。

「そだ。パル、これもあげる」

それをインパルサーへ向けた途端、一際嬉しそうに声を上げた。

「ジャスカイザーだー!」


その声に神田は、更に難解そうな顔をした。
これは、絶対にあたしがパルへのおみやげを出すタイミングが悪かった。
カタカナにふりがなが振ってあるような、厚紙で出来た子供向けのアニメ絵本。これが、おみやげの正体だ。
それを手にしたインパルサーはフローリングに座り、早速中を見ている。そして時折、うわぁ、とか言っている。
恐る恐る、幼児の如き行動を繰り返すインパルサーを指し、神田は呟いた。

「こいつ…マジで、何?」

「ロボット」

「見りゃ解るけど、にしたって、にしたってさあ…」

神田は、深くため息を吐いた。

「もうちょい、ロボットってのはカッコ良いもんじゃね?」


ごもっとも。




ジャスカイザーのアニメ絵本を読み終わったインパルサーは、エプロンを脱いで畳んだ。
その上に、大事そうに絵本を置く。本当に嬉しかったらしい。
ソファーに座るあたし達へ振り返り、顔を上げた。

「えと、すいませんでした」

頬を掻き、神田に顔を向ける。

「あんまりにも由佳さんから頂いたものが嬉しかったもので、つい」

「いや、いいよ、気にしなくて」

げんなりしたように、神田は力なく笑っていた。

「で、インパルサーっつったっけ?」

「はい」

インパルサーは頷いた。

「僕の基本性能は他のカラーリングリーダーと変わりませんが、機動力を重視されているために削れるだけ重量を削っているので、装甲が一番薄いです。両腕には二連式のノーマルマシンガンを内臓してありますが、どちらも今は弾を抜いているのでご安心を。レーザーソードも二本持っていますが、どちらもバッテリーは抜いてあります」

一息吐いてから、彼は続けた。

「つまり、今の僕は完全に武装解除しています。一応格闘戦は出来ますが、丸腰も同然ですので」


インパルサーとしては、神田に怖がるな、と言いたかったらしい。
だけどそれは武器の名前を羅列してしまったことで、逆効果だったようだ。
神田は顔を伏せ、膝の間で組んだ手を握り締めている。
これもまた、当然の反応だ。
今まで見たことも、いや、一度ちらりと見ただけのものの正体が戦闘ロボットだ、と本人が言っている。
しかもそれは目の前に座って、じっと自分を見ているのだ。怖いだろう、きっと。
あたしはパルと接することに慣れているし、一度彼の体に備えられた武器も見たことがある。
だけど神田にとっては今まで一度も見たことのないものや、聞いたことのない単語が続く。
いきなり慣れろ、という方が無理な話だ。


神田は、氷が溶けて薄まった、残り少ないアイスティーを飲み干した。
深く息を吐いてから、額を押さえる。

「…マジかよ」

「うん」

あたしは、アイスティーの入ったグラスを握る。

「抜いた弾は全部パルが握り潰したから、ホントにないよ」

「なんでだ」

「あたしが、戦うなって命令したから」

神田を見据え、強めに言う。

「それに、一度だってパルは撃ったこともないし、レーザーソードだって、刃を出したことなんてない」


「…これからは、どうだか」

訝しげに、神田が呟いた。
インパルサーは立ち上がると、睨むように神田を見下ろした。長身も相まって、かなり威圧感がある。
だけど彼は何も言わず、神田も目を合わせようとしない。
レモンイエローのゴーグルの光が、少し強くなった。これは、結構まずいかも知れない。

あたしは立ち上がり、パルの胸を軽く小突く。

「パル、怒っちゃダメ」

「ですが、由佳さん」

「神田君は困ってるだけ。怒ったって、どうしようもないの」

「ですが」

「パル」


「…了解しました」

なんとか堪え、インパルサーは座り直した。
神田も緊張が解けたのか、肩を落としている。
インパルサーは一度マスクの中で息を吐き、あたしへ顔を向ける。

「すいませんでした。でも、僕は」

「解ったから。だけどそんなに怒らなくても良いの」

「はぁ」

多少腑に落ちない、というような声をインパルサーは洩らした。
そしてもう一度神田を見、呟く。

「僕はあなたのような考え方にも、接され方にも、慣れています。ですが、由佳さんは違います。確かに由佳さんは僕のコマンダーですが、僕のするであろう、してきたであろう行為とはまるで関係はありません。なのに」


その言葉に、神田は意外そうな顔をした。
神田としては思い掛けない言葉だったのか、まじまじとインパルサーを眺めている。

「てことは、お前…」


「僕は」

インパルサーは、少し照れくさそうな口調になっていた。
軽く頬を掻いていて、硬いものが擦れ合う硬い音がしている。
そして、顔を上げた。

「由佳さんが、大好きですから」



ここで、あたしはやっと気付いた。
今の状況と、成立している面倒な関係図を。

インパルサーと、神田と、そしてあたし。

立派な三角関係だ。あ、でも。
三角にするには、あたしが二人の内どっちかを思ってなければいけないから、線は一本足りていない。
それでも、面倒なことになっていることには変わりない。
ああもう全く、あたしというやつは。
なんで、わざわざお膳立てしちゃったんだろうか。しかも自分から。
下手をしたら、野郎同士の修羅場になるであろう状況なんかを。しかもあたしのうちで。


馬鹿だ、あたしは。







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