薄暗いリビングには、僅かに彼女達の気配が残っているような気がした。 ゆっくりと降り積もっていく白い雪が、窓の外を降りていく。赤茶けた地面を、隠していった。 テーブルを占領していた皿も片付けられていて、今は食器棚の中で重なっている。 ガラスを乗せたリビングテーブルを挟んで並べた白いソファーに身を沈め、外を眺めた。 徐々に淡い色合いに変化していく光景が、まるで夢の中のように思えた。ぼんやりと、その雪を見つめる。 あまり冴えていない私の思考を支配しているのは、数時間前にスコットが話していったあのことだ。 月の裏側。 そこに、あの男がいる。 地球での穏やかな日々が忘れさせていた、あの感情が呼び起こされてしまう。 右手で左腕を掴むと、疑似脂肪と人工血液に包まれたメタルフレームが内部に感じられた。 私とあの人をこの体にした、あの男が近くにいる。この星の、衛星に。 そう思うだけで、生身の方の手なのに、フレームを軋ませるほど力が入ってしまう。 ぎしり、と金属の軋む音が、静かなリビングに響いた気がした。聞こえるはずもないのに。 背を丸めて、偽物の腕で偽物の足を抱く。生温い温度が、頬に当たる。 「レイヴン」 時間が経つほどに軋みを増す心に、彼の名を与える。これで、ほんの少しは楽になれるから。 また、会いたい。それだけのはずだったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。 私はただ、あの人の傍にいられれば良かった。それだけなのに。 涸れて尽きたと思っていた涙は、彼の子供達に会うことで蘇ってきた。それが、少し嬉しかった。 彼と同じ鋼の体をした、私と彼の心を分け合って生み出された五体の子供達。 彼らと日々解り合えることが嬉しくて、楽しくて、辛い。子供達の表情には、あの人の影がちらつくから。 みしり、と疑似表皮に爪が埋まる。脳の痛覚へ、直接その感覚がやってきた。 爪を思い切り立てて痛みを強め、高ぶりそうな神経を諫めた。窓から忍び寄る寒さが、足にまとわりついている。 この星は、もう冬だ。やってきたときは、夏だったのに。 季節が巡るのは、なんて早いんだろう。顔を上げて、世界を静寂で支配せんとする白を見上げた。 この世界は、戦いを知らない。 地下のスペースシップ内部で眠る銃器の固まり、私の愛機が場違いなものに思えた。 実際、場違いに違いない。この惑星のあらゆる国では戦いが絶えないけど、この国にはないから。 そこに戦闘兵器を持ち込んだことは、本当に良かったのだろうか。 鋼の兄弟を連れてきたことも、間違いではなかったのだろうか。 彼らが見せる表情や、日々の暮らしぶりは、今まで私が見てきたものとはまるで違う。 それを見るたび、間違いではなかった、と思える。いや、思いたい。 彼ら兄弟を連れてきた結果、この星へ戦いを持ち込んでしまったのは私だ。あの男との、決着も。 本当なら、誰も巻き込むべきではなかった。 いっそ、逃げてしまいたい。 今すぐレイヴンの元へ行って、脳髄だけでもいいから、彼と一緒にいたい。 そのまま永久に、戦いから、何もかもから逃げてしまいたい。けれど。 逃げたところでどうなるというのだろう。何も解決しないし、何も変わらない。 そうだ。その退路をなくすために、私は地球へやってきた。 私自身の逃げ道を完全に破壊するために、ゼルの逃げ道も潰すために。この星へ。 雪は、まだまだ降り続けている。 胸元に下げた、彼との記憶を握り締める。 私の体温が移って、小さなデータチップは冷たさを失っていった。 「愛していますわ、レイヴン」 心の奥に溜まっていく、ゼルへの憎悪が痛かった。 ここまで強く人間を恨んでしまう自分が、どんな暗闇よりもどす黒い感情の感覚が。 無理をしてでも笑っていなければ、心はどんどん錆び付いてしまう。 怒りも悲しみも軋ませてしまうくらい、強い錆が生まれてしまう。 彼女達に、この錆を与えてはいけない。戦いを知らない、彼女達には。 私だけでいい。私だけが、この思いを感じていればいい。 だから、レイヴン。安心して、眠っていて。 怒りも悲しみも忘れたまま、ユニオンの地下深くで眠り続けていて。 その間、ずっと。 「私が、戦っていますわ」 愛しています。心から。だから私は、戦えている。 どんなに強い相手が来ようとも、どんなに恐ろしい思いをしようとも。 あなたが生み出してくれた、あの子。プラチナに乗ってさえいれば、何物も敵ではない。 それが、たとえ。 昔の部下であろうとも。 逆三角のシルバーメタリックに、唇を寄せる。 あの人に愛されていた記憶を思い起こすと、少しだけ、心の錆は和らぐ。 けれど、憎しみも蘇る。あなたから体を奪った、あの男のことも思い出してしまうから。 全てが片付いても、心の錆は消えないだろう。忘れてしまうことも、ないだろう。 いつかの日に感じた、あなたの体温を思い出す。あれほど温かくて心地良いものは、他にはなかった。 以前、ソニックインパルサーが私へ言ったことは間違いではなかった。 私はまだ、恋をしている。 間違いなく、恋は続いている。あの人が、心から愛しくてたまらない。 憎もうと思っても、憎めないはずだ。 愛しているのだから。 ソファーに横たわり、私は高い天井を見上げていた。夜の闇が、体中に染み渡ってくる。 目を閉じると、外の冷たさが感じられた。雪に吸い込まれたはずの音も、僅かに聞こえる。 そのままでいると、ゆったりと眠気が押し寄せてきた。 体を横にすると、かしゃり、と銀のチェーンが擦れて音を出した。それを握り締め、睡魔に身を任せる。 闇の中へ自分が沈むような感覚を覚えたかと思ったら、そのまま眠りに落ちていた。 せめて、夢の中では。 あの人が、幸せでありますように。 04 7/20 |