「ハァイ」 待ち受けていた彼女の目は、ネオンライトを浴びて青く輝いていた。鋭い耳が、ぴんとする。 その光を消すような位置に着地し、大きく広げていた翼を畳む。ビルの屋上に、大きな影が伸びた。 灰色の体毛に覆われた太い腕を、足元へ付けるように身を屈めてから、スコットは牙の並ぶ口を開く。 「三分十五秒遅れ、だな」 「あの二人と話し込んできたの? 仕事に私情は混ぜるものじゃないわ、スコット」 「混ぜてないつもりだったんだが…やっぱ、そうも上手くはいかねぇな」 腰を下ろし、スコットは大きくて丸みのある耳を掻いた。長い爪が、灰色の短い体毛を掘る。 小さくため息を吐いてから、彼はアーミーズボンの後ろへ手をやる。ホルスターの隙間から、煙草を取り出した。 この星に来てから、スコットはこれをなんとなく吸っている。白いパッケージから一本出し、口元に挟む。 ライターの小さな明かりに照らされ、アレンはその煙草に顔をしかめた。彼女の背後で、長い尾が大きく揺れる。 「体に悪いわよ、そんなもの。呼吸器系の嗜好品なんて、前衛的で害だらけで私は嫌いよ」 「オレは好きだがね。庶民的で」 深く煙を吸い、スコットは強く息を吐き出した。白い煙が、暗闇に広がる。 アレンの背後には、銀河警察のパトマシンが浮かんでいた。高層ビルの屋上には、まるで似つかわしくない。 白い塗装の二人乗りのマシンは、コンクリートから十センチほど浮上して、待機していた。 今は消されているが、その白く流線形のボディの上には赤いパトライトが並んでいる。警察である証だ。 半開きにされたドアの奧には、ロングバレルのライフルが、彼らの代わりにシートへ横たわっていた。 スコットは携帯灰皿を取り出し、煙草をざりっと金属板へ押し付ける。煙が、途切れた。 「気分の悪い作戦だな。ブルーソルジャーズを囮に使って、ゼルを誘い出すなんてのはなぁ」 「ゼルの手足だった部下達の大半を挙げたんだから、今度は本体、コアブロックにいらしてもらうのが筋なのよ」 「解ってるさ。だがなぁ…」 スコットはそう呟き、ライフルへ弾を装填する彼女を眺めていた。控えめな胸を覆う黒い装甲が、ぎらついている。 細身ながらも筋肉質なのは、戦闘向きなメタモロイドの特徴だった。背は低めだが、筋力で体重はある。 強靱な脚力を秘めたしなやかな足を曲げ、足首のホルスターにハンドガンを差した。アレンは、顔を上げる。 「あの、外ハネの女の子? 確か、ブルーコマンダーだっけ」 「異種族間の叶わぬ恋を間近に見せつけられると、同情もしちまうさ。オレらの作戦で、傷付かなきゃいいが」 じゃきり、とアレンはライフルの銃身を動かした。身の丈もありそうなそれを、装甲の乗った肩へ担ぐ。 ヘアバンドでまとめられた前髪を掻き上げ、市街地を見下した。切れ長の目が、僅かに細くなる。 「その時はその時よ。メタモロイドほどじゃないにせよ、女は強いからなんとかなるわ、たぶんね」 「ひっでぇ。たぶんかよ」 「やっぱり、代わりましょうか? コマンダーズへの接触役。同情すると後が辛いわよ、死んじゃったときとかね」 ばん、とパトマシンのドアを蹴るように閉めた。アレンは、ブーツの足跡を手袋で拭う。 二本目のマイルドセブンをくゆらせていたスコットは、俯く。ゴーグルの奧から、目線が上がる。 「いや、オレがやる。ゼルの逮捕までは、オレに任せてくれ」 「あら。正義のヒーローにでもなるつもり?」 「その逆だ。ぎりぎりまでゼルを遊ばせて、奴にボロを出させる。だからオレは、むしろ悪役だな」 煙草を携帯灰皿に押し付け、火を消す。スコットは立ち上がり、それを胸ポケットへ突っ込んだ。 ばさり、と翼を広げる。給水タンクの影から、光と音の止まない繁華街を見下ろした。 そのまま欠けた月の浮かぶ夜空を見据え、その一点を睨む。スコットは口元を歪め、牙を覗かせる。 「最低だぜ、ダチとしてはな。ソルジャーブラザーズの敵を、わっざわざ誘い出してるんだからよ」 「ゼルを捕まえたあとに、言い訳でもしたら? 逮捕のためには仕方ないことだったんだー、って」 「他人事みてぇに言うなよ、アレン」 「他人事よ。私はあんたみたいに、事件関係者とフレンドリーになろうなんて、お気楽な思考は持ってないもの」 平和すぎるわ、と付け加え、アレンは馬鹿にしたように笑う。薄い唇の隙間から、鋭い八重歯が見えた。 スコットは肩を竦め、おーやだやだ、と首を横に振る。両手を上向けて、顔を逸らす。 「そんなんだから、アレクシア、お前は友達が少ないんだぞー? あ、だから男も出来ないのか」 「嫌な上司みたいなこと言わないで。だけど、相手が居ないからって、あんたと深い仲になるつもりもないわ」 「オレだってごめんさ。あんたの牙は男じゃなくて、犯人を噛むためのもんだしな。浮気したら殺されちまう」 「馬鹿、そこまでしないわよ。せいぜい威嚇射撃よ。ま、あんたの趣味はあの子達みたいな、若い子だものねぇ」 と、皮肉めいた口調でアレンは呟いた。彼女は、カラーリングリーダーに関わる少女達を思い出していた。 スコットの報告書のデータと、最初に調べたときの顔写真と、それぞれの名前を重ねて人物像を作る。 四人の少女達と二人の少年は、いずれも年相応の性格と思考をしていた。戦闘経験があるのは、少年一人だ。 アレンからしてみれば、この世界の温度はぬるいと感じていた。メタモロイドの世界とは、懸け離れている。 警官になるために生み出されたため、物心付いた頃から戦い続けてきた。だから、余計にそう思えるのだった。 アレンは、先程の映像を思い浮かべる。スコットの付けたゴーグル越しに見た、ブルーコマンダーの表情だ。 好きな男、この場合はロボットだが、それと一緒にいる際の幸せに満ち足りた顔。 スコットにからかわれた通り、アレンは彼よりも交友が少なく、当然ながら好き合うような男もいない。 だから、平和そうに恋に生きる少女の姿が、羨ましくもあり、ほんの少し妬ましくもあった。 「ユカ・ミソラだったっけ、あの子の名前?」 「ブルーコマンダーはな。可愛いぜー、あの子は。制服もいいが、私服も悪くないな」 「子供じゃない。でも、あれで十七歳って幼すぎない?」 「メタモロイドの尺度で考えるなよ。この星の人間は二十年で成人なんだから、あれでいいのさ」 「私達より五年も成人が遅いなんて。変な感じね」 「一緒にいりゃ慣れるさ、そんなもん。あ、レッドコマンダーもいいぜー、美人で。しかも、アレンより可愛げがある」 「どうせ私は、生まれたときからのポリスマンよ。仕事と犯罪者が恋人なの」 スコットの軽口に少々腹を立てながら、アレンは彼に背を向けた。調子が狂う相手だ。 ここ数年、二人は仕事で組んでいる。事件捜査も戦闘も、スコットが前衛になることが多い。 だが、未だに気が合わない。戦闘のタイミングは訓練で合わせたのだが、性格はどうにもならなかった。 アレンは無理に合わせることはないと思い、必要以外は口を利かないことにしたが、スコットがそうさせなかった。 やたら話し掛けてくる。戦闘中はさすがにないが、必要以上に話し掛けてきては、いちいちちょっかいを出す。 それが苦手だと何度も意見したり示したりしたが、スコットが過剰な接触をやめることはなかった。 この状態はもう二年も続いているため、さすがにアレンも諦めた。妥協する代わり、言い返すことにしたのだ。 メタモルモード、いわゆる半獣形態のスコットは巨体を持て余していて、ぺたんと座って足を投げ出していた。 その姿に、アレンはあまりいい気はしなかった。今は、仕事の真っ最中なのに。 「何よ、その格好。あんたは子供?」 「足が重いんだよ、この体になると。アレンはそういうことねぇ?」 「嗅覚と聴覚が強くなりすぎて、ヒューマニックに戻っても二三日辛いのよ。だから私は」 「メタモるのが嫌い、なんだよな。神経質すぎるぜ、アレンは」 「デリケートって言ってくれる?」 そう言い返しながら、アレンは首に掛けていたマスクで鼻と口を覆う。これがなければ、硝煙に鼻がやられる。 更にヘルメットを被って尖った茶色の耳を中に納め、ぱちん、と留め具でマスクと繋いだ。 暗視機能の付いたゴーグルをヘルメットから出して目を保護してから、アレンはスコットを見上げる。 「この国じゃ言うらしいじゃない、お犬様って。私はそのお犬様で生類だもの、憐れんで欲しいわ」 「イヌって言うよりキツネだぜ、アレンは。毛色も明るいしな」 「どうせなら、純粋なイヌかオオカミをジーンブレンドして欲しかったわ。半端に別の種類が混じってるんだもの」 ゴーグルを下へ向け、アレンはふさふさとした尾を持った。それを、ゆらりと揺らす。 「ま、メタモロイドはミックスが基本だから、妥協してるけど」 「オレもコウモリが基本だが、残りは…」 そこまで言いかけて、スコットは立ち上がった。翼を閉じ、素早く銃を抜く。 腰を落として構える彼の睨む先へライフルを向け、アレンは辺りへ素早く視線を巡らせる。 鋭敏な聴覚とパトマシンのソナーからの情報を合わせ、敵影を捜す。マシンの駆動音が、近くにいる。 アレンはライフルを肩に乗せ、スコットの持っているのと同じ、大型の拳銃を取り出し、じゃきんと銃身を動かす。 巨体の影に入り、とん、とスコットの腰へ背中を当てた。ソナーの敵影を確認しつつ、その方向を見た。 「近いわ。二体だけど、まだ来ない」 「大方、狙撃タイミングを狙ってるのさ。だが来ないところを見ると、こりゃ近接向きのマシンか」 スコットは声を落とし、目の前のビルの側面を見上げる。ネオンが映り込み、無数の窓には逆文字が光っている。 ぴん、とトランスレーターを填めた耳が伸びる。スコットの聴覚に、マシンソルジャーのがなりが聞こえてきた。 それは二人の立つビルの屋上を巡るように動いていたが、不意に上昇した。スコットは、声を上げる。 「上だ!」 スコットの声と同時に、アレンは彼から背を外して駆け出した。スコットも、翼を広げて身を引く。 隣に立っている背の高いビルから飛び出した機影が、膝を曲げて落ちてきた。 ばん、と激しい衝撃がコンクリートに広がった。逆噴射なしに着地したマシンソルジャーは、立ち上がる。 ローズレッドのゴーグルアイに照らされたボディは、細身ながらも、至るところに武器が装備されている。 左肩の004が、シャドウイレイザーの系列のマシンソルジャーであることを示していた。 その一体が姿勢を正した直後、もう一体が落下してきた。パトマシンに落ちた影が、一瞬の後に立体になる。 ばぎゃん、と勢い良く白いマシンは貫かれた。真上から潰されたパトマシンが、金属の軋む悲鳴を上げる。 白いボディを突き抜いた長い足と、かぎ爪の付いた腕がずぼりと抜かれる。左右のドアが、どん、と下に落ちた。 スクラップと化したパトマシンから飛び出し、着地した。その左肩には、やはり004がある。 じゃきん、とかぎ爪を更に伸ばしたそのマシンソルジャーは、弾かれるように駆け出した。 アレンは前を塞がれる前に、横に回り出た。かぎ爪のマシンソルジャーが振り向いた瞬間、引き金を数回引く。 二発がゴーグルへ命中したが、一発は肩の関節に埋まる。それでも、ダメージは充分だった。 ぐらりとそのマシンソルジャーがよろけ、倒れる。すると、スコットの方が見えた。二体のシルエットが、動く。 どん、と銃声が響いた。スコットはマシンソルジャーの頭部へ銃口を当てていたが、それを外すと、煙が昇った。 センサー系統を破壊されたため、よろけて倒れる。スコットはナイフを抜き、倒れた相手に近寄った。 上向いているために、マシンソルジャーの首筋に隙間が覗いている。そこへナイフを当て、どん、と突き立てた。 「なーんかこれも、気分悪ぃな」 「マシンでしょ、相手は。無機物の固まりよ」 ぴん、とアレンは腰の鞘からナイフを抜く。同じようにマシンソルジャーの首へ当て、深く突き立てる。 薄めの装甲の隙間に刃を差し込み、ざしゅりとケーブルを切断する。こうしないと、再起動の可能性があるのだ。 力一杯押し込んで全て切断してから、アレンはナイフを抜いた。銀色に、オイルが少し絡んでいる。 「…確かに、オイルは血みたいだけど」 「だろ? こいつらにコアブロックがあったら、オレはここまで出来ないぜ」 抜いたナイフを軽く拭いてから、スコットは足首のケースへ戻す。きん、と鞘と柄が鳴る。 「こいつらも、可哀想っちゃ可哀想だけど」 「同情してたら殺されるわよ。可愛い女子高生じゃなくて、コンバットマシンなんだから」 「ええ、解ってますとも」 苦笑混じりに、スコットは無惨なパトマシンへ振り向いた。炎上してはいないが、もう動かせそうにはない。 アレンは、ため息を吐く。大型拳銃を脇のホルスターへ戻してから、スコットを見上げた。 「始末書は、後で私が書くわ。それよりも、早いところ援軍を呼ばないとね。転送反応が、ここから七百離れた位置に四つあったって、そのパトちゃんが断末魔で教えてくれたわ」 「七百って…あー、そこから距離を詰めて、ブルーソルジャーズをやる気だな。あの二人は、ここから六百だ」 「早いところ行きなさいよ。援護したいのは山々だけど、私は飛べないから。気を付けなさいよ、スコット」 ゴーグルを開け、アレンは直にスコットを見上げた。丸く大きな瞳孔が光を受け、僅かに萎む。 だん、とコンクリートを蹴って上昇する。スコットは骨張った翼を大きく広げ、ぶわりと羽ばたかせた。 重力制御を用いて飛行しているため、浮上してから状態が安定するまで、数秒掛かってしまうのだ。 スコットは、トランスレーターに内蔵したソナーでインパルサーのパルスを探る。ここから、ほぼ直線の位置にいた。 「まんまと時間を稼がれた、ってことか。填めるつもりが填められたな」 「さっさと行きなさいよ。神経質なお犬様より、可愛い女子高生の方が好きなんでしょ」 「馬鹿言うな、あれは単なる目の保養だ。勘違いするなよ、アレクシア」 と、スコットは手を振りつつ、背を向けた。ばん、と翼が広げられて皮が張られる。 横顔だけ向けたスコットは、にやりと口元を上向けて笑った。 「女子高生に妬くなんて、お前らしくないぜ?」 一瞬、アレンは言い返すタイミングを逃してしまった。 すぐにスコットは前傾姿勢になり、翼をグライダーのように広げてビルの隙間を滑り抜けていった。 灰色の巨体が遠ざかるのを見送りながら、アレンはマスクを緩める。片方を外して、ヘルメットの脇に垂らす。 先程の戦闘のせいで、硝煙とオイルの匂いが残る空気を感じながら、アレンは彼の去った方を見下ろした。 あれは単なるからかいに過ぎない、と解っていながらも、スコットの言葉が無性に腹立たしかった。 「誰が、あんたなんか」 ヘルメットを外したアレンは、嫌そうに吐き捨てた。 「何考えてるのよ、あの馬鹿は」 アレンは、いやにスコットを意識した思考と発言をした、自分が信じられなかった。 ブルーコマンダーの少女の、恋心について考えてしまったせいだろうか。その、影響なのかもしれない。 胸に妙な熱があるのは、脇に差した大型拳銃にまだ熱があるせいで、鼓動の速さは戦闘で神経が高揚したせい。 彼の去った方から目線を外せないのは、同僚として心配だから。彼女は、そう自分を納得させていた。 そうでもしないと、動揺を押さえ込むことが出来そうになかったからだ。 スコットの消え去った方向は、きらびやかなネオンが雑然と組み合わさり、夜の闇が消えている。 ビルの間を擦り抜けてきた、排気ガス混じりの埃っぽい都市の風が、アレンの柔らかな前髪を揺らす。 ふわりと尾を動かし、アレンは背を向けた。これ以上、見ていてもどうしようもない。 これ以上、意識しては。 「私も馬鹿ね」 アレンは自虐的に呟き、ライフルを担ぎ直した。 今は、それどころではない。早く援護に行かないと、本気で危ないかもしれないのだから。 壊れたパトマシンとマシンソルジャー二体を睨むことで、意識からスコットを払拭した。 彼への私情に、振り回されていいのは。 ちゃんと、仕事を終えたあとだ。 04 9/4 |