Metallic Guy




白い夜明け



かしゃり、と手の中のグラスで氷が動いた。
赤みがかった琥珀色の液体に、水に変わりつつある大きな氷が一つ、浮かんでいた。
グラスを動かしながら、彼は次第に回ってきた酔いに身を任せていた。傍らで、先程から彼女が眠っている。
二人の向かうリビングテーブルには、蒸留酒の入ったボトルと氷の入った入れ物が置かれていた。

「ここまで弱いとはな。まぁ、予想はしていたが」

と、レイヴンは呟いた。過去を思い出してみれば、一度も彼女と酒を飲んだことなどなかった。
隣で寝息を立てる少女のような戦士は、長い金髪に横顔を隠しながら、縮こまるように背を丸めていた。
マリーの手は、固くレイヴンのマントを掴んでいた。黒い布地が、強く引っ張られている。
少しマントを引いてみたが、まるで離れる気配はない。レイヴンは苦笑した。

「やれやれ」

マントを掴まれたまま、レイヴンは酒を傾ける。マリーの前に置かれたグラスは、中身が半分以上残っていた。
体内の人工血液にアルコール分が回るのを感じながら、レイヴンは目の前の大きな窓から街を見下ろしていた。
七百年過ぎたとはいえ、ユニオンの市街地の景色はあまり変わらない。遠くのタワーが、眩しい。
昼間のうちに貯めた日光を発散させるかのように、模造の空を貫いているセンタータワーは、白く輝いている。
レイヴンは目線を動かし、タワーの高さと内部構造を想像していく。グラスを、少し回す。
からからと氷がグラスにぶつかる音が、薄暗く静かな部屋に、いやにはっきりと響いた。

「上から攻めた方がいいか。いや、衛星があるな。だがそいつも先に船で引きつけておけば…」

そこまで考えて、レイヴンは独り言を止めた。戦略を立てることが、クセになっていたらしい。
もう、子供達は手元にいないというのに。もう、彼らを戦わせる必要はないというのに。
レイヴンは自己嫌悪に陥りながら、すっかり薄まってしまった酒を呷る。消化器官の内部が、じわりと熱くなった。
深く息を吐いてから、ずるりとソファーに体を沈める。彼の膝に頭を載せているマリーが、少しずれた。
彼女を落としてしまわないように小さな肩へ手を添えてから、レイヴンはもう一度ため息を吐く。

「いかんな」


マスターコマンダーという男は、レイヴンに今だ取り憑いていた。
戦いに最中に造り上げた、冷徹な指揮官の仮面は、完全に剥がれ落ちていない。
レイヴン・シルバーに戻るまで、まだしばらく掛かるようだ。だがいつか、消してしまわねばならない。
そう思いながら、彼はグラスの中へ酒を注いだ。氷の上を琥珀色が舐め、グラスがその色に満たされていく。
一人称も、なかなか元に戻せなかった。意識していないと、あの口調に戻りそうな気がする。
レイヴン自身は、感情表現が極めて不得手なだけで、冷血で非情な男ではない。それは、自分が一番知っている。
だが、マスターコマンダーは違う。戦いのために全てを切り捨て、手塩に掛けて造り上げた子供達を苦しめた。
全ては彼女のため、と思うが故のことだとは解っている。だが一方で、その戦いを楽しんでいた部分もあった。
己の戦略次第で、全てが左右される力。ロボットとはいえ、人格のある者達を掌握する力。
いわゆる、悪の帝王だ。その深みに填らぬよう気を付けてはいたが、やはり少々填ってしまっていたようだ。
権力と破壊力の味は、なかなか忘れることが出来ない。思考一つで、全てを動かせる快感も。
ほとんど氷の溶けていない酒を呷り、レイヴンは歯噛みした。

「所詮は人間か」

記憶の底から、蘇る。愛する彼女を苦しめ続け、戦いの中に引き込んだ頃のことが。
だが彼女は、その罪を許した。それどころか、あの激しい戦いに入ったのは自分からだと。
そうせざるを得ない状況を作り上げたのは、間違いなく自分だというのに。それを、責めようともしない。
殺されることを覚悟していたから、嬉しかったが辛かった。それだけ、彼女に愛されているということだ。
重ね続けてきた罪を償う手段は、見つからない。いくら思考したところで、結論が思考へと出でる気配がない。
例え自害したところで、それは罪から逃げたということにしかならない。それでは、自分が自分を許せない。
また服役しても、マリーをこの時代へ置き去りにしてしまうだけだ。これ以上、彼女を振り回してはならない。
結論が出るまで、考えるしかない。そう思い、レイヴンはだくだくとグラスへまた酒を注いだ。
押し込めていた感情がほどけていくと、目を逸らしていた苦しみも近付いてきた。
どれだけ遠ざけても、全て自分の問題なのだ。いつか、目の前に舞い戻ってきてしまう。
戻ってきたら、ただひたすらに戦うしかない。自分相手に戦えるのは、自分しかいないのだから。
かしゅり、と氷が滑る。淡い色の口紅が僅かに付いたマリーのグラスは、中で氷が溶け続け、小さくなっていた。
酒が薄まると同時に冷えてきたのか、グラスの表面に水滴が現れている。それが、ついっとテーブルに落ちていく。
レイヴンはマリーのグラスへ手を伸ばそうとしたが、それを下げ、自分のグラスをまた回し始める。
彼女の趣味に合わせた白い内装のリビングに、硬い音が反響する。動かすにつれ、溶けた水と酒が混じり合う。
手袋と装甲越しに、グラスの温度が冷えていくのが感じられてくる。先日新調した、生体神経の感度は上々だ。
大きな窓から差し込んでくる街の明かりが、レイヴンの目元を覆う横長のゴーグルを照らしていた。
その奧で、レイヴンは目を伏せる。ような気持ちで、人工網膜の上へレンズカバーを下げ、半分ほど覆う。


すげぇ、不器用なんだなぁ。オレらの親父は。

今でしたら、僕も少しはあの人の気持ちが解る気がします。

頭良いわりに、ひっでぇ計算ミスしてるけどな。

本当に裏切っていたのは、マスターコマンダーの方でござる。

敵だと思おうとしても、好きなヒトは好きだもんね。


地球で、マリーが事の起こりを話した後に五人の子供達が言った言葉だった。
そんな反応をしていたとは、思いも寄らなかった。レイヴンは、今一度、マリーの話したことを思い出す。
彼らにこそ、許しを乞うてはいけない。彼らがこの時代に現存していたら、の話だが。
レイヴンは、戦いを始めた頃の兄弟達の姿を思い出した。皆、アドバンサーを手に掛けることを苦しんでいた。
人間よりも余程、同族殺しに敏感だ。生まれが違おうが構造が違おうが、マシンはマシンだと思っていたのだろう。
途中、何度兄弟達のコアブロックを消そうかと思ったか解らない。苦しめるくらいならいっそ、などとも考えた。
激しくなる戦いと共に成長し続ける、自我を目の当たりにしていると、その気はなくなっていった。殺せなくなった。
レイヴンが兄弟達に示すことはなかったが、彼なりに兄弟達を愛していた。無論、我が子としてだ。
だからこそ、彼らにこそ自分は殺されるべきだ。レイヴンはそう思いながら、冷えてきた酒を口に含んだ。
温度が下がっても熱いアルコールを飲み下してから、グラスをテーブルに置いた。氷が揺れ、更に溶けていく。
小さな声が洩れた。手の下で、マリーが身を捩る。薄く目を開き、のそりと起き上がった。

「…あら」

「寝ていたぞ」

「まだ眠いですわ」

レイヴンのマントに縋りながら、マリーは寄り掛かる。その体重を受け、レイヴンは振り向く。

「弱いなら弱いと言えばいい」

「お酒を飲むのは、嫌いじゃありませんもの」

少々赤らんだ目元で、マリーは微笑む。エメラルドの瞳が、窓から入る明かりで輝く。
黒いマントの上で波打つ柔らかな髪を背へ放ってから、マリーはレイヴンへ体を寄せる。

「何をまた、怖い顔をしていますの? 私はもう、あなたに銃は向けませんわ。あの子達にも」

「解っている」

「あなたも、向けませんでしょう?」

「解り切ったことだ」

多少呆れたように、レイヴンは言う。マリーは嬉しそうに笑い、彼を見上げる。

「レイヴン。あの子達、今はどこにいると思います?」

「さすがにもう、あのボディは現存してはいないだろう。戦闘も繰り返したようだし、老朽化は進んだはずだ」

顎へ手を添え、レイヴンは思考する。五人のコアブロックの行き先は、大方の予想が付く。

「だからあるとすれば、ユニオンのメインシティ…二十三カ所のどこかだろう。稼働はしていないだろうがな」

「ばらされてしまっているとか、考えたりはしませんの?」

「研究対象として、政府支部に眠っているはずだ。連中は、みすみす自分達の利益になるものを捨てたりしないさ。だが、奴らのコアブロックをばらせるのは、オレだけだ。消去出来るのも破壊出来るのも、再起動出来るのも」

「そうでしたわねぇ」

表情を綻ばせ、マリーはレイヴンの腕を掴む。酔っているせいか、声が少々間延びしている。

「それで、捜し出しますの?」

「いや」

レイヴンは自虐的な笑みになり、マリーから目線を外した。

「見つけたところで、オレはあいつらに殺されるのがオチだ。恨まれているからな」

「そうかしら? あの子達は、レイヴンを殺そうとはしないと思いますわよ。私と同じで」

「解らんさ。奴らはマリーとは違う」

「あなたが思っているほど、嫌われてはいませんわよ」

ゆったりとした動きで、マリーは上体を起こした。ソファーに膝立ちになり、彼と目線を合わせる。
再びレイヴンへ体重を掛けながら、黒いマントの付けられている肩アーマーへ腕を乗せた。

「これはまだ、話していませんでしたかしら」

「何をだ」

「あの子達が、銀河連邦政府と戦う覚悟でユニオンに戻ってきた理由ですわ」

「コマンダーに及ぶ可能性のある危険を、回避するためだろう」

「それと、もう一つ」

顔を上げ、マリーは背を伸ばす。こん、と額を彼の側頭部へ当てた。
銀色のアーマーに覆われている耳元へ唇を寄せると、マリーは囁いた。

「あなたに会うためですわ、レイヴン」


「殺すためにか」

「違いますわよ。あなたと話したいからですわ」

全くもうこの人は、とむくれるように言ってから、マリーは続ける。

「戦いが終わった今なら、面と向かって話せますでしょう? もう、マスターコマンダーではないのですから」

「本当に…そう思うか、マリー?」

慎重に呟いたレイヴンに、マリーは頷く。

「ええ。マスターコマンダーは笑いも泣きもしませんけど、レイヴンは笑いますもの。私にだけですけれど」


長い悪夢は、終わりが見えてきているようだ。
マリーを見つめながら、レイヴンはそんなことを思っていた。戦いが残した闇が晴れるのも、近いかもしれない。
悪夢を始めたのが自分であれば、終わらせるのも自分だ。七百年も、先延ばしにしてしまった決着だ。
許しは乞わない。乞えるわけがない。だがその代わり、彼女や彼らに対してやれる限りのことはするべきだ。
ならば、やることはただ一つ。子供達の願いを、叶えてやるまでだ。
レイヴンは内心で決心しながら、口元を上向ける。近頃、ようやくぎこちなさが抜けた笑顔が出来るようになった。
重厚な肩アーマーへ張り付いているマリーの、頬へ指先を当てて滑らせる。愛しさに任せ、表情を緩める。

「前言撤回だ」

「そう来ると思いましたわ、レイヴン」

「あいつらを捜す。格段に性能を上げたボディを作って、その中にコアブロックをぶち込んで起こしてやろうと思う」

「いいですわね。きっと喜びますわ、あの子達」

酒で上気した頬を更に赤らめ、マリーはレイヴンの首元へ腕を回した。首の後ろで、手を組む。
マリーの背に手を当てて抱き寄せ、レイヴンはにやりとする。ゆっくりと、太い指で金髪を梳いていった。

「出会い頭の一発ぐらいは、我慢せんとな。フォトンディフェンサー辺りが、全力で殴りかかってくるはずだ」

「それを止めるために、フレイムリボルバーがフォトンディフェンサーの後頭部へ右ストレートを打ち込みますわよ」

「で、それを見て狼狽えながら怒るのが、ソニックインパルサーで」

「そして、シャドウイレイザーとヘビークラッシャーは、何もせずに騒がしい兄達を見ているはずですわ」

「違いない」

楽しげなマリーにつられ、レイヴンは笑う。確かに、マリーの言う通りだ。
マスターコマンダーの影は、徐々に消えつつある。彼女といれば、いつか必ず失せるだろう。
そして、子供達を蘇らせたなら、それは速まっていくはずだ。根拠はないが、そんな確信がレイヴンにはあった。
しっかりと抱き付きながら、マリーはレイヴンへ目線を向ける。彼の心変わりが、嬉しくて仕方ない。

「それで、いつからあの子達を捜しに行きますの?」

「その前に」

頬から顎へ手を動かし、引き寄せた。レイヴンは、マリーの唇を自分のそれで塞ぐ。
力を込めると、マリーは少し唇を開いて深くさせる。ゆっくり離れた彼女は、気恥ずかしげに笑んだ。
レイヴンはマリーの唇を指先で軽く撫でながら、髪に隠れた耳元へ口を寄せた。



「お前を妻にする方が先だ」



「ドレスは、一緒に選んでくれませんこと?」

組んでいた手を解き、そっとレイヴンの顔を挟む。マリーの言葉に、彼は穏やかに笑む。

「そうだな。今度はオレが、お前に付き合う番だ」


街を包むスクリーンパネルから、夜の闇が引いていく。
都市の中央を貫くセンタータワーは朝日を反射し、新たな光を大きな窓へ差し込ませる。
地球での日々の写真が貼られたパネルのある白い壁へ、重なった二人の影が色濃く映し出された。


長い長い、夜が明ける。







04 10/15