機動駐在コジロウ




対岸のカーニバル



 奥只見シルバーライン。
 雨垂れによる汚れが目立つアーチ状の看板を通り抜け、そのまま突き進んだ。途中で一度給油を兼ねた休憩を 取ったが、それ以外はずっとハンドルを握りっぱなしだった。だが、ここからが本番だ。ポンティアック・ソルスティスの コーナリング性能を徹底的に発揮出来る山道に入るのだから、気合いが入らないわけがない。
 寺坂は絶妙なブレーキングと共にステアリングを回転させて車体を滑らせ、きついカーブに突っ込ませる。途端に 助手席に乗る一乗寺ははしゃぎ、脳天から出したような黄色い声を上げた。トンネルの落盤事故以降は通行止めが 続いているので、対向車は一台も来ないと解り切っているから、スピードは思い切り上げられる。愛車の流線型の ボンネットをガードレールかトンネルの側壁にキスさせたりしなければいいだけのことだ。今まで、どれほど高価な スポーツカーを手に入れたとしても、その性能を生かせる道で、己のドライビングテクニックを試す機会はなかった。 せいぜい夜中の峠道を走り回る若者を追いかけっこをする程度であり、本気で実力を発揮することは出来ず終い だった。だが、今は違う。佐々木つばめの追跡と救出という大義名分があるのだから。

「すっげーよっちゃん、アクセルベタ踏みしてんじゃーん」

 助手席でにこにこしている一乗寺は、急加速してドリフトしつつ急カーブを鋭く攻める車のスピードをものとも していなかった。寺坂は楽しすぎて下がる気配すらない口角に痺れさえ覚えながらも、ハンドルを回す。

「俺の可愛いポンちゃんの実力はこんなもんじゃないぜ、ひゃっほう!」

「ま、事故らないようにねー。途中でこの車ごとよっちゃんがオシャカになったら、色々と面倒だしぃー?」

「この俺を舐めてもらっちゃ困るぜ!」

「うん、舐めない。たぶん塩っ辛いから。でも、なんで急にやる気になってくれたの? その方が楽だけどさ」

「走りたい気分になったってだけだ!」

 走行音に負けじと声を張り上げながら、二人は言葉を交わした。シルバーグレイのオープンカーが流星の如く通り 過ぎた後には黒々としたブレーキ痕と排気が残り、静かな山間には相応しくない生臭坊主の高笑いも響き渡った。 そんな寺坂を横目に、一乗寺はスナイプライフルを手際良く組み立てていた。

「で、なんで、つばめは連れ去られた先が奥只見だって解ったんだ?」

 落盤事故を知らせる立て看板が見えたので速度を落としつつ、寺坂が尋ねると、一乗寺は答えた。

「あー、そんなん簡単だよ。だって、連中はこのトンネルの中で俺とつばめちゃんを襲ってきたんだもん。楽しい社会科 見学を台無しにしてくれちゃってさぁ。トンネルを落盤させる仕掛けを施したのは吉岡グループか他の企業だった かもしれないけど、今はそんなのどうでもいいの。トンネルの通気口と水脈を通り抜けてきた粘液が怪人化して俺を 襲ってきたんだけどね、イマイチ本腰入れていなかったんだよね。撃っても一撃でビチャッと吹っ飛んじゃうし、形も 不安定だしでさぁー、ぶっちゃけイラッと来たね。てか、俺とつばめちゃんを本気で殺す気は更々なくて、ただここに いるって教えたかっただけな感じ?」

「なんだよそりゃ」

 車止めの三角コーンの前で停車した寺坂は、右腕の触手を戒める包帯を緩めた。

「倒しに来てほしいんじゃないの?」

「はあ?」

 寺坂は声を裏返しつつも触手を伸ばして三角コーンを絡め取り、草むらに無造作に放り捨てた。おおう便利すぎ、 と一乗寺が軽く拍手してくる。お前に褒められても嬉しくねぇ、と言い返してから、寺坂は右腕に包帯を巻く。

「何かってーと形から入るじゃない、フジワラ製薬の社長はさー。良く解らない衣装にしてもそうだし、息子の扱いに してもそうだし、つばめちゃんを巡る遺産争いにだって真っ先に首を突っ込んできたしね。たぶん、あのおっさんの頭の 中だと、悪役は悪ければ悪いほど先陣を切るものなんだと思うよ。でも、全部追っついてなぁーい」

 緩く発進した車体の揺れも構わずに、一乗寺はライフルを組み立て終えてマガジンを差し込んだ。

「じゃ、一体何がしてぇんだよ、フジワラ製薬の社長のおっさんは」

 寺坂が不可解そうに眉間を顰めると、落盤した岩に塞がれたトンネルを見、一乗寺は腰を上げる。

「それを俺に聞いてどうすんの。本人に聞いてよね?」

「ま、それもそうだな」

 立ち入り禁止、との立て札とロープが張られたトンネルの前にポンティアックを止めて、寺坂はエンジンを切った。 トンネルの天井から崩落した大量の岩石に塞がれていて、一乗寺がつばめの入った箱を弾頭代わりにして空けた 車一台分の穴は、内側から岩石を積み上げられて塞がれていた。そして、彼がいた。
 満身創痍の警官ロボットが、山積みの岩石と一心に戦っていた。両足のタイヤはバースト寸前まで酷使したのか、 溝が削れ切っていて光沢さえ帯びている。破損した左腕を足下に置き、無傷とは言い難いが稼働する右腕を何度も 何度も岩に叩き付けているが、決定打となる一撃を放てないのか、岩石が中途半端に抉れるだけだった。コジロウは 二人が到着したことに気付きはしたが、すぐにまた岩石を殴り付け始めた。

「おい、コジロウ」

 寺坂が声を掛けると、コジロウは一旦手を止めて振り返る。

「所用か」

「お前のアホみたいな腕力でもぶち抜けないのか、この岩は?」

 寺坂が訝ると、コジロウは何度も殴り付けたために指の関節が潰れかけている右手を掲げる。その手の甲には 縦長の穴が空いていて、オイルが幾筋も伝い落ちていた。

「先程の戦闘により、本官は左右の腕が破損し、著しく出力が低下している」

「じゃ、どうすんだよ?」

 両肩を竦めながら寺坂が一乗寺に問うと、防弾チョッキを着てライフルを背負った一乗寺は言った。

「今回はつばめちゃん入りの箱もないし、よっちゃんの車には弾薬なんて洒落たものは乗っけていないけど、まあ、 手がないわけじゃないよ。コジロウが殴って壊せないブツなんて、そうそうあるものじゃない。てぇことはつまり、内側 から何者かが邪魔をしている。でも、その相手は」

 間違いなく人間じゃない。この上なく楽しげに言った一乗寺は、ライフルのコッキングレバーを引く。

「フジワラ製薬がどれだけふざけていようが、遊びでやっていようが、政府に楯突いた時点で犯罪なのさ。でもって、 この俺に目を付けられたからには、どこの誰であろうが無傷では帰さない。つか、殺しちゃうからね。手っ取り早い のは敵のアミノ酸をぶち壊して、生命として成り立たないようにしてあげること。火炎放射とか滅菌とかもこれまでに やってみたけど、紫外線放射装置の次に効果が出たのはこれだからね。ちゃっちゃらーん、ウラン弾」

「おいおいおい!」

 寺坂が勢い良く後退るが、一乗寺はしれっとしている。

「大丈夫だってー、ガンマ線のちょい強いやつが数十秒間しか出ない金属で作ってあるしぃー。アソウギと一体化した 怪人の体内に取り込まれたら排出されないように、D型アミノ酸を元にした有機化合物で弾薬をコーティングして あるから、そんなにビビるほどものじゃないってー。よっちゃんってば情けないなぁ」

「情けがないのはてめぇの方だ!」

 寺坂は愛車を盾にして身を隠し、怒鳴った。一乗寺は山積みの岩の隙間を探すべく、見回す。

「ま、これを撃ち込んだら、怪人化した人間は元に戻れないだろうねぇー。つばめちゃんの管理者権限でアソウギを 操作したとしても、その怪人の元の姿はおろか遺伝子情報も把握していないつばめちゃんじゃ、粘菌に戻すだけで 精一杯だろうしぃー? そもそも、怪人化した時点で人権なんてないから、どうにだってなるしぃー?」

 変に語尾を上げながら、一乗寺は岩をよじ登り、岩と岩の細い隙間にライフルの銃身を差し込んだ。

「敵も味方も、人間を人間だと思っちゃいねぇな」

 愛車の影から顔を出した寺坂は、トランクの上に腰を下ろした。

「そう。だから、世にも下らない戦いに巻き込まれた人間を救おうだとか、守ろうとか、助けようとか、元に戻そうとか、 甘っちょろいことを考えちゃったら終わりなんだよねぇ。俺達がすべきことは、国家転覆さえ可能にする遺産を操る鍵と なる管理者権限を持った女の子を守ること。それ以外は、本気でどうでもいい!」

 腹に響く銃声が何発も轟く。五発分の薬莢を散らした後、一乗寺がライフルを抜くと、その銃身にはねっとりとした 粘液が絡み付いていた。一乗寺は素早く岩の上から飛び降りて車の元に戻ると、コジロウも後退させた。

「じゃ、俺のことも割とどうでもいいんだな?」

 したり顔の一乗寺を横目に寺坂が毒突くと、一乗寺は両手を上向ける。

「よっちゃんはそんなにどうでもよくないなぁー。だって、よっちゃんを遊べなくなるとゲーム出来ないし、車もバイクも 借りパク出来なくなっちゃうし。軽トラ、ダメにしちゃったから、新しい車が来るまでは退屈なんだもん」

「俺の価値はその程度か。解りやすくて結構だがな」

「この世で最も強いのは正義でも悪でもなんでもない。私利私欲だってことぐらい、よっちゃんも知っているでしょ?」

「まぁな。だが、それとこれとは話が別だ。俺の車もバイクも死守してやるよ」

「えぇー、けちんぼー」

「ハーレーはともかく、ドゥカティは絶対に触らせやしねぇからな。タンデムするのはみのりんだけなんだよ」

「えぇー、ずるぅーい。でもその割に、みのりんはよっちゃんにちっとも靡かないのはなんでー?」

「それが解ったら、俺はとっくの昔に……」

 二人の愚にも付かないやり取りを背に受けながら、コジロウは岩石に塞がれたトンネルを見据えていた。ライフル の弾丸を撃ち込まれた部分の岩が剥がれ、バウンドしながら転げ落ちてくる。その岩の裏面には、粘液が隙間なく 貼り付いていたが、次第に鮮やかな緑色から汚らしい茶色に変色していった。
 それを切っ掛けに、岩が崩れ始めた。コジロウの拳に抉られた最も大きな岩が零れると、その周囲を囲んでいた 岩が支えを失って外れ、更にその上下に填っていた岩が動き、トンネルの手前に小山を作り上げていく。程なくして 流れ出した緑色の粘液は、傷だらけの道路に広がるに連れて腐臭を放ち始めた。せめて人間の姿に戻ろうとした 者達もいたらしく、所々で泡立って波打ったが、放射線によって遺伝子情報を破壊されたために生まれ持った姿に 戻ることは出来ず終いだった。彼らを水溜まりと同じように踏み付けてから、一乗寺はトンネルの出口を塞いでいる 粘液と岩の固まりに銃口を向け、躊躇いもなく狙撃した。こちらも五発撃ち込み、薬莢が跳ねる。
 程なくして出口を塞ぐ岩も崩れ始め、鮮烈な光が差し込んでくる。一乗寺が促すよりも早く、コジロウはタイヤを 出して急発進していった。壊れかけた右腕一本で頭上に降ってくる岩と粘液を振り払い、擦り抜け、二本のタイヤ痕を 残してダム湖へと駆け抜けていった。一乗寺は寺坂の袖を引っ張って先を指し示すが、寺坂は一乗寺を突っぱねて 愛車に戻っていった。連れない態度の寺坂に不満を零しつつも、一乗寺はコジロウの後を追い掛けた。
 目的地はすぐそこだ。




 数多の意識、数多の声、数多の情念。
 アソウギとその中に溶けた人々を喰らった伊織に飲み込まれ、つばめは自分の形を見失いかけていた。アソウギは 管理者権限を持つつばめを無遠慮に溶解することはない、とは感覚で解っている。重たいゼリーのような液体が 手足にまとわりついているが、ただそれだけで、鼻と口から入り込んで喉を塞いでこようとも窒息させるようなことは なかった。理屈は見当も付かないが、呼吸が出来るようにしてくれているらしい。それを踏まえると、アソウギもまた コジロウと同じ遺産であり、つばめの支配下にある物体なのだと朧気に理解出来てくる。
 けれど、アソウギには意志はない。差し出されたものを飲み込んで、受け入れて、混ぜ返して、飲み込んだ相手の 遺伝子が叫ぶ姿形に作り替えるだけなのだ。コジロウのように自由に動き回ることも出来なければ、タイスウのよう に強固に構えていることも出来ない。状況に応じて己も変容することを求められている。そうでもなければ、遺産で ありながらも、管理者権限を持つ者以外に操られることもなかっただろう。

「あなたは役割が違うんだね」

 つばめが声を発すると、喉の震えに合わせて液体が波打ち、振動が音となって粘液に塞がれた鼓膜に己の声が 返ってくる。それに呼応し、アソウギはつばめの顔の周囲の粘液を分けて空間を作ってくれた。と、同時に肺と喉に 充ち満ちていた粘液が引き摺り出され、嘔吐感に似た気色悪さからつばめは盛大に咳き込んだ。口の中に残って いた唾液混じりの粘液も吐き捨ててから、つばめは一度深呼吸して肺を膨らませる。

「教えて。アソウギとその中にいる皆。あんた達は本当に、こんなことをしていたいの?」

 声が聞こえる。自分を変えたかった人々の声、目の前の現金が欲しくて自分を見失った人々の声、自分という ものを損なってもいいと覚悟を決めて怪人と化した人々の声、人間であることを疎んで化け物になる道を選んだ 人々の声。そして、心中が剥き出しになった伊織の声。
 人間を喰わなければ生きていけない。母親でさえも喰わなければ生きていけない。どこかの誰かを喰わなければ 生きていけない。人間として生まれたはずなのに、物心付く前に人間ではなくなった。人殺しを肯定することに抵抗 はあれど、人殺しを否定しては自分を肯定出来ない。だから、理性も正気も情緒も損なった、化け物となって生きて いく他はない。だから、人殺しを肯定出来る背景を作ってくれる父親には感謝している。伊織の血肉となってくれた 母親にも、人並みに柔らかい情を抱いている。けれど。

「そう思うんだったら、なんで自分に逆らわないの?」

 誰だって腹が減る。生きていけば腹が減る。

「だったら、自分一人で死ねばいい!」

 体液の七割を補っているアソウギの自己再生能力が、決して死を許さない。たとえ細切れになろうが、アソウギが ある限りは再生してしまう。そんなことが出来たなら、とっくの昔にそうしている。

「それじゃ、私がそうしてやる」

 なぜ怒る。これは俺の問題であって、お前の問題ではないだろう。そして、お前もまた俺と同じ道具なんだ。

「道具だから、管理されなきゃならないんでしょ? そのためにいるのが、この私なんでしょ?」

 だが、お前も所詮は。 

「うっるさぁああああいっ!」

 腹の底から声を張り上げ、つばめはアソウギを振り払う。顔に貼り付いた粘液を拭い去って捨てると、伊織自身を 睨み付けるような気持ちで目を据わらせる。どいつもこいつもぐちゃぐちゃで、ねばねばで、べとべとで、自分自身を 否定することしか始めていない。そんなことだから端金に目が眩んで、悪い方向へと滑り落ちていく。
 手近なアソウギを一掴みしたつばめは、それを力一杯握り潰した。すると、周囲のアソウギが震える。怯えたよう に脈動し、粘液の壁がほんの少しばかり遠ざかる。

「ろくでもない人生自慢だったら、私に勝てるとは思うなよ? 理不尽な人生自慢も、不幸自慢も、どんな自慢も全部 まとめて掛かってきやがれ! 子供に説教されて恥ずかしいって思ったな? じゃあまだ救いはあるじゃんか、感覚 はまともってことじゃないか! このドログチャな状態が嫌だとか辛いとか面倒だとか苦しいとか思っているんなら、 どいつもこいつも私の支配下に入りやがれ! それが嫌ならっ!」

 フルパワーのコジロウと戦わせて一滴残らず蒸発させてやる、とつばめは親指を立てて首根っこを断ち切る仕草を してみせた。途端にアソウギの脈動が早まり、色が変わっていく。緑色から黄色へ、黄色から青色へ、青色から赤 へ、目まぐるしく変貌する。結局、怪人と化した人々に共通しているのは、現実逃避したいが死ぬのは怖い、という ことだ。伊織にしても、状況に流されてばかりだ。つばめは、腕を組んで仁王立ちした。
 他の怪人達とアソウギはともかく、伊織はつばめに屈するつもりは更々ないようだった。同情心を煽るようなことを 言ったのは一時だけで、またいつもの調子に戻ってしまった。だが、その方がやりやすい。つばめの方も全力で伊織を 嫌いになれるからだ。敵対関係にあるのだから、それが自然だ。
 本番はこれからだ。





 


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