機動駐在コジロウ




捨てるカードあれば拾うカードあり



 その男は、再び目覚めた。
 仮組みのサイボーグボディは外装を貼り付けておらず、人工臓器が丸出しになっていた。生命維持用の外部接続 人工心肺から伸びる数本のチューブが金属の生首の根本に差され、人間の心拍数と同じタイミングで酸素と栄養を 流し込んでいる。人間らしい形を成しているのは肋骨に酷似した胸部フレームと背骨に当たるシャフトぐらいなもの で、両手足は接続すらされておらず、原形を止めていない。傍目に見れば、組み立て前のサイボーグだ。
 だが、その正体は、フジワラ製薬の社長である藤原忠の成れの果てである。ここまでバラす必要はあったのか、と 武蔵野は若干訝りながらも、不格好な機械の体に閉じ込められた藤原忠を見下ろした。哀れな男の周囲では白い 防護服に身を包んだスタッフが走り回っていて、藤原忠の抜け殻の肉体を切り刻み、次々に真空パックにしている。 さながら、食肉用に加工されたかのようだ。藤原忠はアソウギで生体改造を行っていないが、アソウギに全く 接触していない、というわけではない。本人が知らない間に、どこかしらを汚染されていた可能性もある。故に、新免工業 は、レーザーガンで腹部を狙撃して藤原忠に致命傷を負わせ、回収し、サイボーグ化手術を施した。

「おい、こいつと会話は出来るか?」

 武蔵野がスタッフの一人に尋ねると、医療スタッフは答えた。

「いえ、今のところは各種センサーを接続していませんので、何も感じ取れませんが」

「それが仕上がるのはいつ頃だ?」

「本社の方針が決まってからになりますね。今、指示を仰いでいます」

「先に決めとけって言ったのになぁ。これだから参るぜ」

「ええ、全く。おかげで現場はばたばたしてますよ」 

 武蔵野の愚痴に医療スタッフは苦笑して、また仕事に戻っていった。防護服姿の者達は難解な医療用語だらけの 会話を繰り返し、時に叱責にも似た語気で指示を飛ばしながら、藤原忠の残骸を加工していった。血の一滴すらも 零さず、骨の一片すらも落とさずに、分厚いビニールの袋に詰め込んでクーラーボックスに押し込めている。それが どこに行くのかは、武蔵野は知っている。知っているが、あまり思い出したくない場所だ。

「武蔵野さん、お疲れ様ですー」

 語尾を上げながら声を掛けてきたのは、新免工業の社員である戦闘サイボーグ、鬼無きなし克二かつじだった。

「ご苦労だったな、鬼無。あの社長をここまで引っ張ってくるのは骨が折れただろう」

 武蔵野が労うと、長身のサイボーグの青年は肩を竦めた。鈍色の細長い手足は金属製のムチのようにしなやか で、各関節だけでなく、微妙な筋肉の動きも再現して外装が細かく前後している。頭部はつるりとしたヘルメット状で 表情は一切出ない構造になっており、人間らしさは皆無だった。胸部から胴体にかけてのラインは戦闘機のノーズ コーンを思わせる流線型で、腹部の駆動部分が蛇腹に近い構造なので、細長い手足も相まって鋼の昆虫のような 印象を受ける。申し訳程度に着ている迷彩柄の戦闘服が、人間であることを辛うじて知らしめていた。

「フジワラ製薬の怪人共が溶けて行動不能に陥っていたのと、コジロウが大破寸前だったおかげで、なんとか上手く いきましたよ。損害は出ましたけどねー、中性子砲の暴発でー」

「武藤の奴の脳みそは焼け残ったのか? スナイパーだったんだろ?」

「ええ、これっぱかし。棺桶に入れられるのは外装だけでしたねー。いくら積層装甲のフルサイボーグって言っても、 至近距離で中性子砲がズバーンじゃ助かるわけがないですよー」

 そう言って、鬼無は親指と人差し指を曲げて小さな空間を作った。一センチもなかった。

「そもそも無茶なんですよねー、ナユタの兵器運用って発想自体が。あれって見た目は綺麗ですけど、その正体は 莫大なエネルギーの固まりっていうか、エネルギーに変換される一歩手前の中性子の結晶体、っつーかで。中性子 なんてものは人間の手に余る物質ですし、それにショックを与えてエネルギーに変換するのはいいですけど、その 後が問題なんですよねー。いつも決まって爆破オチですからー?」

「ダム湖の上でさえなかったら、伊織、いや、アソウギごと吹っ飛ばしていたか?」

「んー、それはどうでしょーね。アソウギをぶっ飛ばしたら、そのついでにつばめちゃんも木っ端微塵になっちゃう じゃないですか。そんなことになったら、誰がナユタを大人しくさせてくれるんですー?」

「お嬢の生体情報でイケるんじゃないのか」

「んなわけないじゃないですかー、武蔵野さん。そりゃ、りんねちゃんの生体情報でもそこそこは出来ますけど、そこ そこはそこそこでしかないんですから。いくら美少女でも、本物には勝てませんってー」

「佐々木の小娘と、弁護士の女もいるじゃないか。あと、その、なんだ、桑原れんげか?」

「つばめちゃんは許容範囲ですけどー、俺のストライクゾーンからはちょっとずれてますねー。みのりんは丸っこくて ムチムチな感じがそそりますけどー、なんかこう、来ないんですよー。生理的にダメ、みたいな? で、れんげちゃんは 地味すぎて盗撮し甲斐がないっつーかでー」

 だから御嬢様の写真ないですか、と鬼無が真顔と思しき声色で尋ねてきたので、武蔵野は邪険にした。

「ないよ、そんなもん。散々見ているだろうが、ライフルのスコープ越しに」

「あれじゃダメですってー、満足出来ません。覗きしているみたいで燃えるっちゃ燃えるシチュエーションですけど、 俺、どちらかってーと盗撮の方が好きですー」

「覗きとどこが違うんだよ。というか、お前の性癖は相変わらず倒錯しているな」

「性癖ってのは、皆、歪んでいるものですって。何度も言っているじゃないですかー、覗きと盗撮は違うって。覗きは リアルタイムですけど、盗撮ってのはあれです、宝箱を開ける感覚なんですよ。で、大抵アングルは下からじゃない ですか。だから、相手の顔も解らないってのもまたいいんですよ。よくあるじゃないですか、後ろ姿とか足だけを見て ムラムラッと来たから前に回ってみたら残念すぎる、ってのが。でも、盗撮はですね、最後の最後まで顔が解らない のがいいんですよ。レッツ脳内補完ですよー」

「お前、サイボーグ化する前に一度脳みそが潰れただろ?」

 武蔵野が苦笑いすると、鬼無はけらけらと笑う。

「よく言われますねー。でも、俺の場合は元からですからー。サイボーグになったおかげで色々と便利になって、今と なっちゃ覗き放題盗撮し放題で、毎日がパラダイスですよ。監視カメラだらけの管理社会万歳!」

「あんまり調子に乗っていると、道子に見つかってお前の隠しフォルダの動画がばらまかれるぞ。特に、お嬢の動画 なんて取っておいたら一発でアウトだ。ボディの電圧を変えられて脳みそを焼き切られるぞ」

「その辺は武蔵野さんがなんとかしてくださいよぉー、ほら、同僚のよしみでぇー?」

 鬼無は急に弱腰になったが、武蔵野は腰を上げた。

「自分の尻は自分で拭え」

 外見だけ見れば、鬼無は最新鋭のスレンダーなサイボーグだ。従来の戦闘サイボーグは、戦闘能力とパワーを 同列に扱っていたがために重量級になっていたが、近頃ではその風潮が見直されてきている。確かにサイボーグは 生身の人間の盾となり、矛となり、最前線に切り込んでいくのが仕事ではあるが、分厚い外装を備え持った人型 の物体を遮蔽物として設置するだけならロボットでいい。力任せに暴れて敵を乱すだけだったら、生身の人間である 必要がない。そこでサイボーグのスタンスが大幅に見直され、革新的な技術を数多に盛り込んで生み出されたのが、 鬼無のような次世代の戦闘サイボーグである。
 これまで普及していた武骨な戦闘サイボーグとも、ハルノネットが販売している肉体の欠損を補うためのマネキン 人形のようなサイボーグとも、根本から異なっている。一般家庭の電圧による充電を五時間行えば六十八時間稼働 可能な超小型バッテリー、人間の関節を研究し尽くして開発したパワーゲインが限りなくゼロに近いギア、シャフト、 関節、軍事用の精密な探査機器を元にして尚かつ改良を加えた各種センサー類、演算能力を引き上げた補助AI。 高性能と呼べる素材を溢れんばかりに押し込めたが、その結果、常人ではボディを持て余してしまうことが判明 した。長らく戦闘サイボーグとして戦っていた人間が特に嫌がったのは、ハルノネットのスーパーコンピューターに 迫る勢いの演算能力を持つ補助AIだった。優秀すぎる補助AIは時として人間の意志を否定し、陵駕し、己の肉体で あるかのようにサイボーグボディを操ってしまうのだ。故に、被験者は次々と音を上げ、新免工業から去っていった者達 も少なくなかった。お蔵入りかと思われた時、主に海外の紛争地域で武器の売買を行っている部署から、負傷した 戦闘サイボーグの青年がやってきた。開発スタッフが被験者にならないかと声を掛けてみると、青年はあっさり承諾 してくれたばかりではなく、誰もが持て余した新世代のサイボーグボディを使いこなしてみせた。その青年の名こそが 鬼無克二であり、武蔵野と同様、佐々木長光の遺産相続を巡る争いに荷担している部署の一員である。

「お?」

 鬼無が何かの通信電波を拾ったのか、鏡面加工が施されたマスクフェイスを上げた。

「武蔵野さん、本社から返事が来ました」

 作業服姿の社員が駆け寄ってきて、武蔵野にPDAを差し出した。

「で、どうしろってんだよ」

 武蔵野はPDAを受け取ると、そこから投影されているホログラフィーに指を滑らせてファイルを解凍させ、文書を 展開した。鬼無もすかさず首を突っ込んできたので、武蔵野は鬼無を追いやってから文面に目を通した。
 新免工業の幹部社員の署名捺印が並ぶ重要書類には、フジワラ製薬の社長、藤原忠の処遇について事細かに 書き記されていた。延命措置を施すこと。脳とサイボーグ化に不可欠な神経系以外の生体組織を全て保存し、本社 を経由して研究部に送付すること。フジワラ製薬には死亡届を出してもらうように手を回すこと。藤原忠が意識を回復 して自我が明瞭である場合、その意志を尊重すること。それによって利益が生じると見受けられた場合、本社に 伝達して指示を待つこと。藤原忠が新免工業に反逆の意志を持っていた場合、本社に相談の上で処分を行うこと。 などなど、項目だけでも五十近くあった。だが、その全てを守り通せるとは思いがたかったので、武蔵野は現場主任 を呼び付けて相談して守れるものと守れないものを選別させた。その後、藤原忠と意思の疎通が取れるように各種 機材を接続させ、改めてフジワラ製薬の社長と対面した。
 機械の首に収まっている男は、填められたばかりのセラミック製の眼球を動かして辺りを窺ってきた。そこに写る のは、寂れた工場と、それに似合わない最新鋭の設備と、白い防護服を着た人々と、表情は出ないが喜色満面と いった立ち振る舞いの昆虫じみた戦闘サイボーグと、自動小銃を下げた筋骨隆々の男だった。藤原は舐めるように 視線を動かして外界を捉えていたが、武蔵野を見咎め、発声装置から生前のそれに似た合成音声を発した。

「君には見覚えがあるな、うむ。息子の同僚で、新免工業の」

「武蔵野だ。で、藤原さんよ、今の状況が理解出来るか?」

 武蔵野が自動小銃の銃身でぐるりと辺りを指し示すと、藤原は頷くかのようにセラミックの眼球を動かす。

「それなりにはな。だが、真っ当に殺されたとばかり思っていたものだから、復活時のセリフを考え忘れてしまったでは ないか。悪役といったらあれだろう、序盤で呆気なく倒された怪人が後半で再生怪人として復活するんだが、雑魚 戦闘員と同程度の扱いしか受けないのだよ。で、その時に、あの時の恨み、とかなんとか余計な前口上を述べる のだがね、その無様さが好きなのだよ。解るかい?」

「聞いちゃいねぇよ、そんなこと」

 武蔵野も特撮は好きなので解らないでもないが、今は同意出来ない。業務中だからだ。

「うーむ、それは残念無念。で、ざっとでいいから、誰か事の次第を説明してくれないか? あれから何日経った?  誰が勝った? 誰が負けた? 私の息子と部下はどうなったのだね? どうせ解り切ってはいるのだが、確認して おかないことは落ち着かんのでな」

「奥只見ダムの戦闘から一週間が過ぎた。お前らは負けた。羽部はトンズラしたが、伊織の行方は解らん。怪人が 溶けたアソウギは、佐々木の小娘が鉄の棺桶に入れて一切合切持っていった。ついでに言えば、あんたの会社は 三木志摩子って女のものになっていやがる。あの女、秘書じゃなかったのか?」

「三木君らしいことではないか。彼女は昔から強かでねぇ、妻の真子と組んで会社の利権をほとんど手中に収めて いるのだよ、これが。おかげで今や、私の権限で扱える利権は怪人絡みの部署しかなくなってしまった。社員も大半は 私ではなく三木君を社長として扱っていてね。おかげで好き勝手に悪の組織ごっこが出来たのだから、決して悪いこと ではなかったね。もっとも、それもこれも三木君が私を含めた怪人達を疎んでいたから、ではあるのだがね」

「悔しくないんですかー? 会社、乗っ取られちゃって」

 鬼無が不躾に尋ねたので、武蔵野は少し慌てた。が、藤原は笑うだけだった。

「悔しいも何も、会社の運営に私は情熱を抱いていないから、悔しがる理由がないのだよ。まあ、羽部君や怪人に なることを進言してくれた者達と出会える切っ掛けになってくれたのだから、感謝はしているが。私の目的は今も昔も 一つだけだ、素晴らしき悪役であれ! ただそれだけに過ぎん!」

「なんかよく解らないですねー、この人」

 変態ですねー、と鬼無が武蔵野に同意を求めてきたので、武蔵野はそれをあしらった。

「お前が言うな。で、なんでそんなに悪役になりたいんだ、あんたは?」

「ははははははは、そんなのは解り切ったことよ! って、言ってみたかったから言ってみたが、実のところはそんな に解り切ってもいないんだな、これが。人間ってのはそんなものだとも」

 段々と調子が戻ってきたのか、藤原は饒舌に喋った。元からお喋りなのだろう。

「私は物心付いた頃から、なんかこう、反社会的なことに憧れていたのだなぁ。中二病ってやつ? だが、私の親は そういうのを許さなくてなぁ、怪獣のソフビも怪人のソフビも買ってもらえなかったのだ。あっちの方が格好良いだろ、 デザインも設定も。全身タイツを着てヘルメットを被ってお揃いの武器を使って綺麗事にどっぷり浸かっている連中 に比べて、怪獣も怪人も出たとこ勝負だ。戦えば後がない、だが戦わなくても後がない、商品展開的に。一話限りの 使い捨て怪人であろうとも、ストーリーの中盤で交代を余儀なくされる幹部怪人であろうとも、長いこと引っ張ったくせに 倒される時はあっさりしているボス怪人も、まー、格好良いんだ! 特に散り際が潔くてな!」

 そう言いつつ、藤原はぐるりと首を稼働させる。生首に接続されているケーブルも動く。

「だから私もそういう人生を選んでみようと思ったのだが、親がな! いい歳こいてこんなこと言うのは寝小便をする よりも恥ずかしいったらないんだが、うちの親は私の意見を聞き入れようとしなかったのだ! 一切合切! だから、 親の手のひらでゴロンゴロン転がされるように見せかけて堕落してみようと頑張った結果、思い付く限りアソウギ を悪用してみたのだが、大した結果が出なかった! で、その後は君達も知っての通りだ!」

「だから、嫁さんに伊織を産ませたのか?」

「うむ。だが……伊織は、上手く出来すぎた」

 藤原は初めて言い淀み、目線を伏せた。

「正直言って、伊織がまともに産まれるとは思ってもみなかったのだ。真子が不妊であることを知った上で結婚した のは、アソウギによる実験を行ってみるためだったのだが、一度で受精したのだ。しかし、真子自身には遺産との 互換性はない。アソウギや他の遺産と接触した過去もない。それなのに、伊織を孕んだのだ。産まれたら産まれた で、伊織は人間の血肉しか受け付けない体だった。おまけに凶暴だった。だから私は、伊織に喰われないように するために伊織の全てを肯定してやったのだ。母を喰らおうが、他人を喰らおうが、何を喰らおうが、褒めてやった。 故に伊織は私に対して敵意は抱かないようだったが、好意は抱いてくれなかった。まあ、そうだろうな。頭ごなしに 否定するのも愛情ではないが、ピンからキリまで肯定するのも愛情ではない。安易な手段に過ぎん。よって私は、 伊織の親として務めるべきことが出来なかった。だから、現実逃避してだな、趣味に突っ走っていたわけだが」

「おかげでこっちは良い迷惑だ。余計な損害を出しちまったよ」

 武蔵野は辛辣に吐き捨てたが、藤原はすぐに復調した。

「だが、我が息子が暴れたおかげで実証出来たデータも多かろう! 羽部君が調子に乗って道子さんに変なことを してくれたおかげで、遺産同士の互換性も証明出来たわけだしな! アソウギとアマラ、二つの能力を合わせれば そりゃあもう面白いことになるに決まっている! 合体ってのはテコ入れの基本だからな!」

「そりゃーまー、そうですけどー」

 鬼無がへらへらすると、藤原は片目のシャッターを開閉させた。ウィンクしたつもりらしい。

「と、いうわけでだな、新免工業の諸君! 私が持つアソウギに関する情報とフジワラ製薬の裏金を譲渡するから、 それを元手に私に思い切りテコ入れしてくれないだろうか! もうガッツンガッツンに!」

「……あ?」

 意味が解らない。武蔵野が半笑いになると、鬼無が両手を叩き合わせた。

「てぇことはあれですねー、戦闘サイボーグにしてくれーってことですね! わーお!」

「ははははははは、解っているじゃないか、そこの虫みたいなキモい青年!」

「鬼無ですよー、名乗り忘れてました。でも、もう一度そんなことを言ったら、脳みそ握り潰しますよー?」
 
「ははははははは、そりゃあいい。何が出てくるか見てみたいものだな」

 藤原と鬼無が本気とも冗談とも取れない会話を交わしていたが、武蔵野は横槍を入れた。

「あんた、正気かよ? 俺達もあんたらの敵対組織同士じゃないか、それなのに改造してくれって、どんなふうに いじくられるのか解ったもんじゃないぞ? こいつみたいにされるかもしれないんだぞ?」

 武蔵野が鬼無を指すと、鬼無はむっとした。

「武蔵野さんも脳みそ引き摺り出されたいんですね、解りますー」

「ははははははは、って何度笑っても噎せないのがいいな、機械の体は。私の本気具合を示すために、まずは裏金 の在処から教えようではないか。えーと、文字入力するのはどの辺だ? 発声ソフトはここだから……」

 それからしばらく、藤原は黙り込んでいたが、文字入力ソフトと連動しているモニターを発見したのか歓喜した。

「おお、これだこれだ! メールを打つよりも簡単だな!」

 藤原のバイタルを表示しているモニターの一つが切り替わり、複雑なグラフが消えて単調なテキストが現れた。そこ には数字がずらずらと羅列され、八桁の口座番号と四桁の暗証番号が三十個近く並んだ。

「三木君に感付かれる前に引き出してきてくれたまえ。生体認証が必要だったら、私の指紋やら静脈やらを適当に 使ってくれ。私の記憶が正しければ、合計額は三億に届くだろう。それだけあれば、大抵のことは出来るな?」

「で、俺達がその金であんたを改造したとして、あんたは何をするんだ?」

 武蔵野は電子光作と通信系を担っているスタッフに藤原の口座番号を示し、すぐに調べるように命じた。

「ははははははは、この世で最も悪いことさ。悪役の極み、邪悪の限り、悪鬼修羅の如く!」

「親殺しか?」

「いや、私の親はどちらも既に死んでいる。伊織が喰ってしまった。よって、私が殺すのは伊織だ。血縁関係は 皆無ではあるが、戸籍の上では我が子。愛情を注いだつもりでいたが、それは届いていなかった。しかし、伊織は 凶暴であるが故に純粋だ、哀れなほどにな。私のことを今でも信じているかもしれん、爪の先程度かもしれんが。 それを裏切ってやれば、伊織はどんな思いをするだろう! 更に、伊織が特別な感情を抱いているであろう娘、 吉岡りんねを目の前で殺してやれば、伊織はどんな顔をするのだろう!」

 藤原の人工眼球がぐるりと上向く。 

「生憎だが、お嬢と伊織はそこまで親密じゃないぜ」

 武蔵野が一笑に付すが、藤原は黙らない。

「伊織は暴力と食欲の固まりだ、常に飢えている! その伊織が、なぜ食欲を抑えていたと思うかね! 武蔵野君 や他の面々を喰わずに長らえられていたのは、機動駐在コジロウに対する生物的な本能に由来する戦闘意欲だけ ではない、特定の個人に対する特別な感情だ! それがあるから、伊織は私を喰わなかった! そして、武蔵野君 達が守ってきた麗しき御令嬢も喰わなかった! ああっ、なんといびつで美しいのだろうか、獣と人の狭間に揺らぐ 哀れな息子よ! ふははははははははは!」 

 こりゃ本物だ、と武蔵野は顔を歪めそうになったが堪えた。パイプ椅子を蹴り飛ばしながら通信スタッフが慌てて 駆け戻ってきて、声を上擦らせながら武蔵野に報告してきた。裏金が実在していた、それを一旦新免工業の口座に 転送させた、と。わー凄いですねー、と鬼無は無邪気に喜んだ。藤原は得意げに高笑いを放った。
 にわかに工場内が騒がしくなった。本社への連絡を行う者、サイボーグ技術課に連絡を入れる者、藤原忠の裏金 の隠し口座の存在を抹消するために電子工作を行い始める者。ただの戦闘員に過ぎない武蔵野と鬼無はそれらの 仕事が出来るはずもなく、所在を持て余した結果、藤原の与太話の聞き役になった。鬼無は語気こそ柔らかいが 辛辣な言葉であしらい、藤原もまた鬼無の柳のような態度に負けじと痛烈な語彙を使ってきた。武蔵野はサイボーグ 同士の刺々しい会話に加わることはなく、どちらの話も聞き流しながら、伊織の顔を思い出していた。
 記憶に残っていたのは、不機嫌そうな表情だけだった。





 


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