機動駐在コジロウ




アバターも笑窪



 カメラのフラッシュが大量に瞬く。
 画面が白飛びするほどの閃光が延々と続き、フラッシュの数に応じたレンズを向けられている少女はにこやかに 手を振っていた。四方八方からもテレビクルーがライトを照射しているが、少女の足元には影はなく、どれほどの光を 浴びようとも体の色彩に変化は起きなかった。会社関係者がずらりと揃っている長机に用意されていたミネラル ウォーターのボトルを手にしようとするも、少女の指先は擦り抜けてしまい、はにかんでみせるとまたもフラッシュ が瞬く。本尊と豪奢な仏壇が備わった仏間には似合わない大型液晶テレビの中で、微笑み、全方向に愛想を 振りまいているのは、桑原れんげだ。ハルノネットの新社長として、就任記者会見で発表を行っている。
 
「要するにだな、あれは概念の固まりなんだよ。立体映像とはちょっと違うんだな」

 そう言ったのは、法衣を着崩して胡座を掻いている寺坂善太郎だった。

「概念?」

 って何、とつばめが問うと、寺坂の隣でだらしなく寝そべってテレビを見ている一乗寺昇が言った。

「あれをこうすりゃこうなる、っていう法則みたいなもんだね。その辺を説明するのは面倒臭いしー、学校から資料を 引っ張り出してきてまとめるのも面倒臭いから、もう俺の主観で説明しちゃう。そもそも、本を正せば桑原れんげって いうのは普通の人間だったのね。まー、紆余曲折あって死んじゃって、よっちゃんの寺に納骨されているけどね。 で、あの概念娘は、その桑原れんげの名前と外見の情報と人格の残り滓みたいなものを掻き集めて出来上がって いるのね。でも、それだけじゃ桑原れんげは具現化しない。せいぜい、ちょびっと成長した人工知能になるのが限界 だったのよ。だけど、あいつは遺産であるアマラの能力を使って明確な概念を形作ったの」

 アマラってこれくらいの長さの針ね、と一乗寺は指を開いて数センチの空間を作る。

「でも、どうやって桑原れんげはアマラを手に入れたの? そもそも、なんで遺産がばらけているの?」

 つばめが問うと、寺坂は禿頭を掻き毟る。

「その辺のことは知っていたって教えられるかよ。一乗寺に聞け、そんなもん」

「えー、俺もよく知らないー。桑原れんげってのが俺達の意識に滑り込んできて第三者的な視点を作ってその 延長で自我を拡張した挙げ句に個体として明確な自我を確立したってことは把握しているんだけどー」

 ごろりと回転した一乗寺に、寺坂は毒突いた。

「だったらなんで俺んちに来たんだよ! 帰れよ!」

「えぇー、いいじゃーん。どうせ暇なんでしょー?」

 一乗寺は頬杖を付き、にやにやする。寺坂はつばめとコジロウを見、残念がった。

「だったら、せめてみのりんも連れてこいよ。つっまんねー」

「お姉ちゃんは仕事だし、私も訳が解らないうちに先生に連れてこられたんだもん」

 ねー、とつばめがコジロウを見上げると、コジロウは頷いた。

「その通りだ」

「だって、あのままの状態だったら、俺達だけじゃなくてコジロウまで桑原れんげに意識を侵食されたままだったんだ もーん。だから、差し当たって桑原れんげが手を付けられない場所に来たの。よっちゃんちはまあ、なんていうか、 桑原れんげにとってはエアーポケットみたいな場所だからね」

 うふふ、と一乗寺は笑う。

「でも、それの何が拙いのかすら私にはよく解らないんだけど。そもそも、桑原れんげって……誰?」

 つばめは法事などで使うであろう厚手の座布団に座り、テレビを見上げていた。ドライブインにて小倉美月とその ロボットであるレイガンドーと会い、突如現れた吉岡一味の配下である人型重機の岩龍と一戦交えた末、コジロウと 手を繋いで帰宅したことはよく覚えている。その道中で、今日の夕飯は何にしよう、予習と復習が早めに終わったら コジロウの外装を磨いてあげようか、などと他愛もない会話をしていたことも、しっかりと記憶している。だから、今夜 の夕食は冷蔵庫に残っている食材で在り合わせのカレーを作ろう、との結論を出したことも、コジロウの外装を磨く ために買い込んでおいたカーワックスとスポンジを玄関先に出しておいたことも、美野里の帰宅時間を把握するため に事務所に電話したことも。けれど、桑原れんげに関する記憶は一切合切残っていない。
 けれど、つばめの手元にあるノートには、見知らぬ人間の字で一乗寺の板書を書き写してある。ドライブインにて 誰かが抹茶アイスを食べていたのはうっすらと覚えているが、それが誰なのかがよく見えない。美月とその誰かが 会話している様を目にしたが、興奮気味にレイガンドーの部品について熱っぽく語る美月の横顔しか覚えていない。 その誰かが桑原れんげなのだということは薄々覚えているのだが、桑原れんげに関する記憶が焦点を結ばない。 まるで、誰かが記憶の中に細切れにした写真をばらまいていったかのように。

「まあ、元を正せば、これなんだがな。桑原れんげってぇのは」

 腰を上げた寺坂は廊下に面した障子戸を開き、中庭に面した窓の下にずらりと並ぶ骨壺の中から、骨壺を一つ 手にした。ぱっと見ただけでも、数十人分の遺骨があった。うえ、とつばめが思わず声を潰すと寺坂は、仏さんには 礼儀を弁えろよ、と諌めてきた。寺坂はつるりとした白磁の骨壺を持ってくると、つばめ達の前に置いた。

「これが、桑原れんげだ」

 ごっとん、と重みのある音と共に畳に据えられた骨壺には、その通りの名札が貼られていた。桑原れんげ、享年 十七歳。名札には細かな個人情報が記載されていたが、住所や電話番号を見てみても、つばめには今一つぴんと 来なかった。それどころか、薄ら寒くなってきた。

「……もしかして、あれ、幽霊とかじゃないよね?」

 怯え半分につばめがテレビを指し、ハルノネットの今後の展開について語るれんげを指すと、寺坂は笑う。

「そんなに可愛いもんじゃねぇよ。幽霊ならまだマシだ、人間をビビらせるだけなんだから。だが、この桑原れんげは そうじゃねぇ。被害者って言えば被害者ではあるが、加害者って言えば加害者だ。アマラにいいように使われている んだからな」

「そもそも、アマラは情報処理能力に特化した遺産なの。つまり、遺産全体を管理するスパコンみたいなもん」

「こんなに小さいのに?」

 と、つばめが先程の一乗寺の手振りを真似て指を曲げ、数センチの隙間を作ると、一乗寺は頷く。

「そうなの。ま、オーバーテクノロジーに人間の感覚を適応するのがそもそもの間違いなんだよね。アマラの本質は 情報処理能力じゃなくて、ネットワーク内に意識を連結した異次元宇宙を構築することにあるの」

「へ?」

 いきなり話がぶっ飛んだ。つばめは面食ったが、寺坂は話を続ける。

「噛み砕きまくって消化出来るレベルで言うとだな、インターネットとかの中に新しい世界を作れるんだよ。一昔前の 語彙で言うところのバーチャルリアリティだな。だが、バーチャルでもなんでもないんだよ、アマラに掛かると。あれは また別の高位次元宇宙と接続して量子アルゴリズムで情報処理を行うから、つまりなんだ、っておいどうした?」

「意味解らない! 何言ってんのかさっぱり解らない!」

 つばめは畳に突っ伏し、意味もなく殴り付けた。そうでもしないと、発散出来そうになかったからだ。

「SFとか読まないのかなぁ、最近の子供は。ハイペリオンでも読めば解るよ、なんとなーく」

「俺だって隅から隅まで理解している訳じゃねぇが、そういうことだってことぐらいは解るんだがな。なんとなーく」

「結局あんたらもなんとなくじゃないか」

 大人二人の頼りない語彙に、つばめは顔を上げた。すると、コジロウが腰を曲げて覗き込んできた。

「一乗寺諜報員と寺坂住職の意見を総括すると、アマラとはネットワーク上に形成した異次元宇宙の内部にて量子 アルゴリズムによる情報処理を行う能力を備え持った量子コンピューターの一種であり……」

「もっと総括して。要約して」

「その命令は」

 コジロウが言い淀んだので、つばめは押し切った。

「要約して! 未だに携帯も持たないしネットもやらないアナクロな私が解るぐらいに!」

「……了解した」

 コジロウは頷き、しばしの間の後に言い直した。

「アマラとは佐々木長光氏が所有権を持つ遺産の一つであり、とにかく物凄いコンピューターである」

「また随分とざっくりした語彙にしやがったな」

 寺坂が苦笑すると、一乗寺はへらっとする。

「つばめちゃんだからねぇ」

「うん、なんとなーく解った。で、そのアマラがテレビに映っている桑原れんげの正体なの?」

 とりあえず話の軸を理解したつもりになり、つばめが二人に話を振ると、一乗寺は座布団を抱いて寝そべる。

「そう言うとちょっと語弊があるんだな、これが。桑原れんげっていうのは、その骨壺の中の人の名前なのであって、 テレビの中の桑原れんげはその名前をファイル名にして作り上げた疑似人格みたいなもんなのね。名前を付けると 概念が個体化するってのは昔からよくあるじゃない、都市伝説とかね。口裂け女とか人面犬とか、いたかもしれない けど本当にいるわけじゃないモノの噂だけが世間を駆け巡った挙げ句、今では立派な妖怪扱いだ」

 それと一緒、と一乗寺が締めたが、つばめはまた混乱してきた。

「え、えー? つまり、ええと、そのなんだ、桑原れんげは妖怪になるの? コンピューターなのに?」

「まあ、桑原れんげ本人に取っちゃ妖怪レベルの怪異だろうぜ」

 寺坂は灰皿を持ってくると胡座を掻いて座り、法衣の懐から出したタバコを吸った。

「つまり、桑原れんげってのは不特定多数の人間の意識で作った幻影なんだよ。で、その型になっているのが本物 の桑原れんげの人格であり、外見であり、人生なんだ。だが、あくまでも情報だけで作った空っぽの偶像に過ぎない から、見る者によってその外見や性格が微妙に違ってくる。だから、つばめの見た桑原れんげは、つばめの理想を 如実に写し取ったものなんだ。都合の良い友達だっただろ?」

「う、うん」

 そう言われてみると、確かにそうだ。つばめは俯き、畳の目を凝視した。朧気な記憶を貼り合わせ、繋ぎ合わせて 思い出してみると、そうかもしれない。いや、そうなのだ。具合が悪くなったりして授業に出られなかった時、ノートを 取ってくれるようなクラスメイトなんて今まで一人もいなかった。自分より不幸な身の上の誰かが欲しかった。そうで あれば、なんで自分だけ、と腐らずに済むからだ。そして、自分が言えないことを言ってくれる誰かがいてくれたら、 自分だけが抱え込まずに済むのに、とも。

「だが、それもさっきまでのことなんだ。他人の主観と視点を元にして自我を構築した概念は、最早一個の人格だ。 放っておいたら拙いことになるのは、まず間違いない」

 寺坂はタバコの煙をため息混じりに吹いてから、灰皿に灰を叩き落とした。 

「具体的には?」

 つばめが尋ねると、一乗寺がごろりと一回転して仰向けになった。

「さぁて問題です、桑原れんげが人格構築のための糧にしてきたのはなんでしょーか?」

「えーと、私とかミッキーとかの意識?」

 つばめの頼りない答えに、一乗寺は天井を指差した。

「及第点。ですが、桑原れんげは人格を構築しただけでは飽き足りず、ハルノネット自体を利用して社長に就任すると いうマジ有り得ねーエクストリーム暴挙に出ましたー。その動機と理由はなんでしょーか?」

「なんですかその語彙は。あー、えーと、ネットを利用して他人の意識を集めるため、とか?」

「及第点。では、そのエクストリーム暴挙の果てには何が待っているでしょーか?」

「そんなもん知りません。私は桑原れんげじゃないんだし」

「せめて回答欄には記入してから提出しろよぉー」

「えー、うーんと……」

 一乗寺に不満を漏らされ、つばめは渋々考え込んだ。正直言って、何が何だかさっぱりなのだが。

「桑原れんげが全世界的ブームになるように情報操作される、みたいな?」

「大正解」

「え?」

 いい加減な答えだったのに。つばめが目を丸めると、一乗寺は起き上がり、乱れた髪を掻き上げる。

「桑原れんげは他人の主観や意識を束ねて確立した自我に明確な情報と概念を与え、こっちの世界にアバターを 生み出すつもりでいるんだよ。たかがコンピューターの分際で生意気にも」

「アバターって何?」

 新しい単語の意味が解らず、つばめがコジロウに問うと、コジロウは答えた。

「アバターとは、インターネット上のコミュニティ内にて作り出した仮想現実内の分身という意味の英単語だ」

「じゃ、その桑原れんげ自身がそのアバターってことじゃないの? こっちの桑原れんげの」

 と、つばめが骨壺の桑原れんげを指すと、寺坂は手を横に振る。

「だから、骨壺の桑原れんげがアバターになる、ってことだ。異次元宇宙と現実を入れ替えるつもりなのさ」

「そんなこと出来るの?」

 嘘だぁー、とつばめが半笑いになると、コジロウが真顔らしき声色で返した。

「理論の上では可能だ」

「で、その桑原れんげの突拍子もない計画が成就したらどうなるんですか?」

 つばめが挙手しながら質問すると、一乗寺はにこにこしながら答えた。

「別にどうもしないよ。世界がひっくり返るわけでもなければ核戦争が起きるわけでもなし、量子コンピューター内の 仮想現実がマジモンの現実になって逆転するわけでもなし、ゲームがリアルになるわけでもなし。だけど、一つだけ すっげー問題がある。それはなんでしょーか?」

「桑原れんげの人格を構築するために必要な意識と主観と視点を作るために、アマラは不特定多数の人間の脳に働き かけてくる。要は洗脳みたいなもんさ。だが、誰も彼も洗脳される自覚もねぇし、洗脳されたところで別段支障は 出ねぇけど、アマラを使って人間の思考と意識を掌握出来るとどこぞの誰かが知ったら、どうなると思う?」

 つばめが答える前に寺坂が言い、サングラスの下から鋭い目を上げる。

「たとえば、吉岡りんねとか?」

 怖気立ったつばめに、一乗寺は親指を立てる。

「この世は資本主義の地獄と化すね! 間違いなし!」

「じゃ、止めないとヤバいじゃん!」

 つばめが今更ながら危機感を覚えると、たぶん無理だな、うん無理、と寺坂と一乗寺が同意見を述べた。今までの 回りくどくて理屈っぽい説明は何だったのだ、とつばめが苛つきそうになると、寺坂は本物の桑原れんげの遺骨が 収まっている骨壺を触手の右手で撫でさすりながら、桑原れんげの現状と現時点での名前を口にした。その名を 聞いた途端、つばめもすぐに諦観に襲われた。それでは、勝ち目すらないではないか。

「ところでさぁ、物凄ーく根本的な質問なんだけど、寺坂さんと先生はどこでその話を知ったんですか? その、なんだ、 量子コンピューターだとか異次元宇宙だとかいう、すんごい電波な話を」

 動揺と混乱と危機感が一巡した末に冷静になったつばめが質問すると、寺坂は骨壺を小突く。

「そりゃ、桑原れんげから教えてもらったんだよ」

 そう言われた途端、混乱が再び舞い戻ってきた。桑原れんげと言われても、どの桑原れんげなのかすらも判別が 付けづらい。最低でも、桑原れんげは三人、いや、三種類ある。本物の生きた人間であった桑原れんげ、電脳世界 の概念を人間にもたらして幽霊のような幻影を見せて自我を作り上げた桑原れんげ、そして、両者の狭間に存在する アバターの桑原れんげ。区別を付けるだけで手一杯になり、つばめは頭を抱えてしまった。
 ふと気付くと、再び降り出した雨が屋根を叩いていた。





 


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