機動駐在コジロウ




雨降ってジョブ固まる



 つばめは面食らっていた。
 黒板の前でちょっと居心地悪そうにしているのは、転校生だ。今度は、人間の意識を使って自我を確立した疑似 人格ではなく、しっかりと生身を持った三次元の存在だ。それについては問題はないし、肉体を持った存在が机を 並べて勉強してくれると張り合いも出るし、クラスメイトがいるのはいいことだ、と桑原れんげの一件で身に染みて いるので追い出す気は失せていた。だが、問題はある。山ほどある。数え出したら切りがないほどに。
 数日間留守にしていた分校は、心なしか埃っぽくなっていた。つばめとしては朝方に軽く掃除をしようと思っていた のだが、道子と雇用契約について話さなければならなかったので、登校時間がすっかり遅くなってしまった。生徒が 一人きりしかいない上に教師の勤務態度が悪いので、遅刻しようがサボろうが文句は言われないのだが、そういう 環境だからこそ自律していなければならない。だから、つばめは出勤する美野里と道子を見送ってから、登校時間に 間に合うように自宅を出て教室に入ったのだが、そこに教師と転校生が待ち構えていたというわけである。

「というわけで、転校生の藤原伊織君でぇーす」

 教壇に立った一乗寺が黒板の前に立っている軍隊アリ怪人を示すと、藤原伊織は触角を片方曲げた。

「おう」

「……えーと、ちょっと待って、今、言いたいことを整理するから。何がどういうわけなんだか」

 自分の机に付いたつばめはカバンを置き、中身を取り出し、コジロウを背後に待機させてから、一呼吸置いた。

「あんたってさ、あのダムの戦いで死んでなかったの?」

「まぁな。見りゃ解るし」

「転校してきたのって吉岡りんねの命令?」

「違ぇし。俺の独断っつーか」

「今までどこで暮らしていたの? てか、何を食べて生きてきたの?」

「クソ坊主の寺。で、クソ坊主のろくでもねぇ料理」

「え、ええ!? まあいい、驚くのは後だ。で、なんで転校してこようだなんて思ったの?」

「思ったっつーか、学校には途中までしか行ってねぇから、また行きてぇなーって言ってみたらクソ坊主が勝手に」

「あんたが転校してくることに、先生は反対しなかったの?」

「全然」

「ここ、曲がりなりにも中学校なんだけどさ、それでもいいの?」

「気にしねーし」

 伊織は言葉短く、だが的確に答えた。つばめは一旦椅子に座り直し、担任教師を見上げる。

「先生、それでいいんですかぁ?」

「いいんじゃないのー? まあ、よっちゃんがいおりんを匿っていたのはあんまり良くないことではあるけど、政府に 通報しちゃったら狙撃されて確保されて冷凍保存されて死刑よりもひどい目に遭うのが目に見えているから、そっち の方が人道的に正しいって言えば正しいからね。面白味はないけどぉ。で、いおりんは俺が教鞭をベチンバチンと 振るう分校に通ってくれれば監視する手間も省けるから、無駄な税金を使わなくて済む。それどころか、いおりんの 更正プログラムを組めるようになるかもしれなーい。でもって、つばめちゃんが寂しくなーい」

 一乗寺のへらへらとした語り口に、つばめは再び腰を浮かせた。

「だっだけど、こいつは私を殺しかけたんですよ!? 先生も見てたでしょ、ドライブインで! でもってダムの時には 巨大化して私を腹の中に入れて、人喰いの化け物で! てかなんですか、いおりんって! 呼びやすいけど!」

「でも、いおりんの体液はアソウギだし、アソウギは今はつばめちゃんの所有物だから、つばめちゃんがみっちゃんの 力を借りて管理しておけば、いおりんはつばめちゃんを襲わないんじゃない?」

「そ、そりゃそうかもしれないけどっ!」

 つばめは歯痒くなるが、一乗寺は黒板に伊織の名を書いたチョークをペン回しの要領で回す。

「それにさぁ、みっちゃんもビジネスライクに雇ったじゃない。だから割り切っちゃえば? 今度のクラスメイトだって、 まともとは言い難いけど桑原れんげに比べれば何十倍もマシだって。俺もちょっとは遣り甲斐が出るしー」

「でも、道子さんとこいつは根本的に違うような……」

 つばめが目を据わらせて軍隊アリ怪人を睨むと、伊織は艶やかな複眼につばめを映し込んだ。

「んだよ。道子、お前の方に付いたのか?」

「付いたっていうか、まあ、色々あって遺産を管理してもらうために雇ったんだよ、道子さんのこと。でも、それとこれ とは全く関係ないからね! 道子さんのことも全面的に信用したわけでもなければ許したわけでもないし、あの人が いないと、遺産を管理出来ないからアソウギに溶かされちゃった人達が元に戻せないからであって!」

 気圧されないようにとつばめが力一杯声を張ると、伊織は触角を両方立てた。

「あいつら、元に戻るのか?」

「うん、まあ。時間も掛かるし、一度に元に戻せる人数は限られているけどね」

「そっか。なら、いい」

「いいって、何が?」

 つばめが聞き返すと、伊織は爪を上げて隣の教室を示した。

「ウゼェな、てめぇにはどうでもいいだろ。つか、俺の机、持って来なきゃならねーし」

 伊織は引き戸を開けて廊下に出ようとしたが、体格が良すぎるので頭部が引っ掛かってしまい、一度腰を屈めて から廊下に出た。コジロウも似たようなことをしなければ教室には入れないので、つばめは若干親近感を抱いたが、 すぐに振り払った。いかなる事情があろうとも、藤原伊織が敵だったのは明確な事実であり、人喰いの化け物で あることも変えようのない現実だ。だから、机を並べることには抵抗があったが、伊織も一個の人格を持った存在で あり、十代の青年であることもまた変わりはない。頭ごなしに否定するのはどうかと思うが、自衛のためには危険を 排除すべきだ。だが、しかし。
 つばめが悶々としていると、伊織は埃まみれの机と椅子を担いで戻ってきた。机を並べるためには移動する必要 があったので、つばめはコジロウの手を借りて自分の机と椅子を窓際に運んだ。伊織は自分の机と椅子を廊下側 に置くと、座ったが、怪人体なので腰の後ろから飛び出した腹部が邪魔をしてしまい、中腰のような状態になった。 これでは勉強するどころではない。見るに見かねたつばめは、倉庫も同然の隣の教室に入ると、制服が汚れるのも 構わずに掘り返した。そして、ようやく背もたれのない椅子を見つけ出し、教室に戻った。

「これで良し」

 つばめが背もたれのない丸椅子を伊織の前に置くと、伊織は丸椅子とつばめを見比べた。

「つか、てめぇ、なんでそんなことすんだよ」

「どうせ勉強するなら、座り心地の良い椅子の方がいいに決まっているからだ」

 つばめは制服に付いた埃を払ってから、自分の席に着いた。伊織は不可解そうではあったものの、つばめの好意 を無下にはしなかった。自分が持ってきた椅子を教室の隅に移動させてから、丸椅子に腰掛けた。丸椅子の脚が 長めであるのと伊織自身の体格が大きすぎることが相まって、机の中に膝を入れたら机が浮き上がってしまった。 なので、伊織は下両足を外に出して座り直した。大股開きで行儀は悪いが、机は浮き上がらなくなった。

「よぉーし、それじゃ授業を始めちゃおう」

 一乗寺はにんまりしてから、黒板に書き記した伊織の名を消し、板書を始めた。相変わらずのハイペースな授業 で、受ける方の苦労を一切考えていない内容ではあったが、まどろっこしくないので飽きが来ない。伊織は授業内容 を解っているのかどうかが少し気掛かりだったが、中学校までは卒業している、と言ったので大丈夫だろう。つばめは 背後のコジロウを見やると、コジロウはすかさず身構えてくれた。何か起きたとしても、彼がいるならば。
 不安と警戒心と共に一抹の嬉しさを抱えながら、つばめは今日の分の授業を全うした。数学、国語、英語、体育、 と一通りこなしていったが、伊織は暴れ出すことはなかった。それどころか授業を受けるのが楽しいらしく、触角 が時折跳ねていた。体育の時間はドッジボールだったが、伊織が加わってくれたおかげで初めてまともにゲームが 成立した。いつもはコジロウを含めても三人しかいなかったので、三角ベースをするのが精一杯だった。
 だが、そのドッジボールは壮絶だった。故に、つばめは早々に緩いボールを受けて外野に避難すると、同じく緩い ボールを受けて外野に避難した一乗寺と共に、恐ろしい速度でボールを投げ合っているコジロウと伊織を眺める ことに決めた。コジロウは外野にいるつばめを守るという大命題があるので一歩も引けを取らず、伊織は生来の性分 が負けず嫌いなのか、コジロウのボールを確実に受け止めて力一杯投げ返した。どちらも剛速球で、殺人的な速度 が出ていた。その結果、ドッジボールであるにも関わらずラリーが続き、昼休みも午後の授業も潰れてしまった。
 その後、伊織は寺坂が作ってくれたといういい加減な料理が詰まった弁当を喰らい、午後の授業が潰れたせいで 多くなった宿題を受け取って下校した。登下校の道中で吉岡一味の残党に見つかったりはしないのか、とつばめが 懸念を示すと、伊織はその質問には答えずに跳躍した。見つからないほどの速度で移動すればいい、ということを 言葉ではなく行動で示したかったらしい。実際、伊織の姿は一瞬で遠ざかり、気付いた頃には山間に消えていた。

「……これでいいのかなぁ」

 つばめは通学カバンを背負い、コジロウを伴って下校した。

「アソウギがつばめの管理下にある以上、藤原伊織はつばめに危害を加えることは不可能だ。よって、危険はない と判断する。万が一、藤原伊織が反逆した場合、本官がつばめを護衛する」

 コジロウは冷静に述べてくれたが、つばめはもやもやとした感情を拭いきれなかった。

「うん。それは大丈夫だと思うんだけど」

 これでは、誰が敵で味方なのかが解らなくなりそうだ。だが、そもそも敵とはなんだろう。つばめが相続した遺産と 莫大な財産を目当てに襲ってきた吉岡一味は、明確な敵ではあるが、その吉岡一味から別離した者達は敵だとは 言い難くなってきた。当初は、吉岡一味はつばめを手に入れたいがために狙ってきたのだ、とばかり思っていたが、 事が進展してくると、吉岡一味の構成員はそれぞれの背後組織の方針に従って行動しており、それぞれの背後組織が 所有する遺産を管理したいがためにつばめの管理者権限を手に入れようとしている、ということが解ってきた。前回の アマラの一件のように、状況に応じて手を組んだ方が事態が好転するということも。吉岡りんねが助力してくれたか 否かは、未だに不明だが。
 世の中は、つばめが思っているよりもずっと複雑だ。遺産一つ取っても、その能力は遺産の本来の用途に従って 使われていることは皆無だ。コジロウの動力源である無限動力炉のムリョウにしても、人間大のロボットを動かす だけでは役不足だ。けれど、遺産を有している者達はその使い方が間違っていないと信じ、その結果、多数の人間 に多大な悪影響を及ぼしている。何が正しくて何が間違っていて何が歪んでいるのか、見極めていかなければ。
 それが、遺産を管理する力を持つ者の責任であり、仕事だ。




 伊織、羽部、そして道子。
 短い間だったが、彼らと共に過ごした時間は濃密だった。皆、己の個性を尖らせて生きていた。最終的には人間 ではなくなった道子でさえも、常に作り笑いではあったが生き生きと日常を過ごしていた。メイドとしての仕事は偽り ではあったが、本当に家事をするのが好きだったのだろう。そうでもなければ、毎日のように隅々まで掃除し、洗濯を してアイロンを掛け、味は最悪だったが料理を振る舞うことなど出来はしない。
 冷蔵庫に残っていた料理を取り出し、電子レンジで温めてから、少し食べてみる。案の定の不味さで、甘いものと 塩辛いものが全く馴染んでいなかった。見栄えだけを重視した結果、そうなってしまうのだと薄々感づいていたが、 それを指摘するのは気が咎めた。道子が楽しそうに料理をする様を見るのが好きだったから、余計なことを言って 道子の顔を曇らせたくなかった。もっとも、いずれ注意しなければならない、とは思っていたが。
 だが、その機会は失われた。二度と彼女は戻ってこない。それはそうだ、自分が殺せと命じたからだ。武蔵野は 命令には逆らわないし、こちらの命令に対して疑問を抱くような男ではない。だから、現に道子は死に、狙い通りに 電脳体となって桑原れんげに反逆し、佐々木つばめと共にアマラを沈静化させた。それでいい。

「静かですね」

 それなのに、後悔が過ぎる。

「それでいいのです」

 りんねはティーカップを持ち、唇に寄せるが、不意に桑原れんげの言葉が蘇る。そんなことだから、りんねちゃんは ずうっと独りぼっちなんだよ。たった一人の友達も、つばめちゃんに取られちゃうんだよ。

「お黙りなさい!」

 それを振り払うべく、りんねは虚空に声を張る。しかし、それが消え失せると、耳が痛むほどの静寂がやってくる。 気を逸らそうと本を広げるが、文字の羅列は頭に入ってこない。紅茶の味も解らない。

「ああ……」

 真意を口に出そうとしても、喉が震えない。言葉にならない。それが当たり前であって、疑念を感じるだけ無駄だと 知っているはずなのに、今だけはそれが憎らしい。だが、もう涙も出ない。出せないからだ。

「いえ、お気になさらず。なんでもありません」

 地下階から上がってきた高守が不安げな目を向けてきたので、りんねは首を横に振った。高守は後ろ髪を引かれ つつも階段を下りていき、作業に戻った。また何かしらの工作を行っているのだろう。彼の手先の器用さは驚異的 だ、ハルノネットの電源を掌握する作業もほんの数分で行ってしまったほどだ。船島集落の菜の花畑に対人地雷を 埋めて地雷原にした時もそうだった。だから、まだ大丈夫だ。高守と武蔵野がいるのだから、勝ち目はある。

「姉御、おるけぇのう!」

 ベランダ越しに、人型重機の岩龍が呼び掛けてきた。りんねは顔を上げ、彼に向く。 

「何か」

「姉御、ワシャあ必殺技を習得したんじゃ! 水神のムラクモの激龍斬なんじゃ!」

 ほうれっ、と岩龍はニンジャファイターの真似事をしてみせる。余程りんねに見てもらいたかったのか、何度も何度も 同じポーズと決めゼリフを繰り返している。御上手ですよ、とりんねが御義理で褒めてやると、岩龍はキャタピラで あるにも関わらず、その場で飛び跳ねてはしゃいだ。岩龍が幼い仕草で飛び跳ねるたびにその重量に応じた震動 が発生し、ティーカップもがちゃがちゃと飛び跳ねて中身が飛び散ったが、りんねは岩龍を咎めなかった。
 他人が自我を惜しみなく発揮している様を見るのは楽しい。自分にはそれが出来ないからだ。唯一許されている のが、ちくわである。だからこそ、りんねはちくわを愛して止まない。りんねにとっては、穴の開いた円筒形の練り物 が自由の象徴だからだ。だから、今夜は思う存分ちくわを食べよう。夕食のメニューは決まっていないし、ちくわだけ は冷蔵庫に常備してある。どうやって食べよう、焼くのもいい、煮るのもいい、揚げるのもいい、細かく刻んで煮付けて 炊き込みご飯にしてもいい。ちくわでさえあれば、りんねに束の間の自由を与えてくれるのだから。
 小さな球体の水晶のペンダントを握り締め、口角を上向けた。





 


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