機動駐在コジロウ




好きこそもののジャンキーなれ



 翌日。武蔵野はりんねに命じられ、一ヶ谷駅に赴いていた。
 無論、宇宙山賊ビーハントの使者と落ち合うためである。りんねらしからぬ行動の連続に戸惑ってはいたものの、 ニンジャファイター・ムラクモの関係者であるならば、ムラクモに関する話を聞けるかもしれないとの期待も胸の内で 燻っていた。しかし、浮かれてしまっては年長者としての立場もなくなるばかりか、武蔵野巌雄という人間の沽券に すら関わってくる。外人部隊や警備会社という名の傭兵部隊に所属して前線を渡り歩き、至るところに古傷が残る 男が特撮番組にうつつを抜かしていいはずがない。現実の生臭さをこれでもかと思い知ってきたのだから、作り物の 綺麗事まみれのヒロイズムなど真っ向から否定すべきなのであって、鼻で笑うのが正しい。
 だが、好きなのである。ニンジャファイター・ムラクモを初めて見たのは、遺産の所有者である佐々木長光が死に 瀕しているから遺産を所有する組織と一戦交えることになるかもしれない、と新免工業から連絡を受け、紛争地帯 から日本に引き揚げてきた時だ。早朝、成田空港に降り立って待合室のテレビを退屈凌ぎに眺めていると、それが 始まった。ニンジャファイター・ムラクモの第七話で、鬼蜘蛛のヤクモが初登場した話だった。地獄の釜の蓋が開いた ことによって宇宙の片隅に生まれた悪の権化、宇宙山賊ビーハントと、その略奪と虐殺を阻止してこの世の平和 を守ろうとするニンジャファイター達の間に颯爽と現れたのが、鬼蜘蛛のヤクモであった。当初、彼女は敵か味方か 解らないポジションに立っていて、ビーハントの怪人達を倒してしまうとニンジャファイターが取り戻した秘宝を盗み、 逃げ去ってしまった。
 なんとなくストーリーの続きが気になった武蔵野は、新免工業が仮住まいとして与えてくれたマンションにて、再び ニンジャファイター・ムラクモを見たのだが、鬼蜘蛛のヤクモは秘宝の力を使い、古びた神社の御神体にされていた 恋人の魂を解放した。が、霊力を持たない人間に過ぎなかった恋人は、蘇るや否や秘宝の力で暴走し始める。と、 同時にビーハントの怪人が秘宝を奪い去っていき、打ちひしがれたヤクモを倒してしまった。そこへ登場するのが、 正義の味方であるニンジャファイター達である。水神から転生した戦士であるムラクモは穏やかな青年で、ヤクモ の失敗を咎めはしたが一途な愛を評価してくれた。他のメンバーは不満げではあったが、ムラクモがそう言うのなら と一応許してくれた。そして、妖怪だった前世の記憶と共に元々高かった霊力を全て解放したヤクモは、ムラクモから マガタマックスを受け取ってニンジャファイターに変身し、ビーハントの怪人を見事打ち倒したのである。恋人の魂も 改めて昇天し、少年に転生した結果、数話後にヤクモと運命的な再会を果たして恋人同士になった。ファンの間では ヤクモ編とも称されている七話から十話は、武蔵野の一番のお気に入りだ。
 どうせ会うなら、その鬼蜘蛛のヤクモがいい。他のニンジャファイター達も格好良いし好きなのだが、ヤクモの魅力 には敵わない。転生して間もないために少年となった恋人と再会した、ヤクモの可愛らしさは筆舌に尽くしがたい。 などと、どうしようもないことを考えていると、武蔵野の乗っているジープの窓がノックされた。

「……あんたか」

 相手の身分を問い質す前に、武蔵野は全てを理解した。パワーウィンドウを下ろして見上げると、そこにはチクワ 入道その人が立っていた。一ヶ谷駅前を行き交う人々は遠巻きにしていて、携帯電話のカメラで撮影してくる人間も 少なくなかった。武蔵野はニンジャファイター・ムラクモの関係者に会えないことに落胆したが、それを顔に出さない ように尽力しつつ、改めてチクワ入道を見上げた。

「お嬢があんたのことをやたらと気に入っちまってな」

「ふははははははっ! と、笑っておけばとりあえず格好が付くのは間違いないのだワ!」

 チクワ入道に扮した藤原忠は胸を張ろうとしたが、顔が填った輪に手足が生えた体形なので胸自体がなかった。

「とりあえず、乗れよ」

 武蔵野が後部座席を示すと、チクワ入道は横向きになり、後部座席のドアを開けた。乗り込もうとするが、輪っかの 直径の方が後部座席のドアよりも広いらしく、何度入ろうとしてもぶつかってしまい、乗り込めなかった。ううっ、と チクワ入道が情けない声を漏らしたので、武蔵野は運転席から下りた。

「乗れないなら乗れないとさっさと言え!」

「それを言ったら、武蔵野君の沽券に関わるような気がしていたのだワ」

「そのくらいのことで自尊心が傷付くような人生は送っちゃいない。あと、その語尾を止めてくれないか」

「チクワ入道として呼ばれたからには、ワシはチクワ入道として振る舞うべきなのだワ!」

「その割には口調が落ち着いてないぞ。カマっぽくなってきやがった」

「あ、言われてみれば本当なのだワ。ああっ」

 チクワ入道は言われて気付いたが、語尾に合わせた口調の女っぽさを直せなかった。武蔵野は藤原忠扮する 宇宙妖怪を別荘まで連れて行かなければならないのかと思うと気が滅入ってきたが、りんねの命令である以上は 従う義務がある。そういう雇用契約だからだ。
 その後、武蔵野はチクワ入道をどうにかしてジープに乗せようと奮闘したが、チクワ入道はどうあっても後部座席 には入らなかったので、思い切って幌を外してトランク部分に座らせた。その結果、幌がないせいで走行中は強烈な 風が吹き付けてきてオープンカーのような状態となり、特撮用のサイボーグなのでやたらと重量のあるチクワ入道の せいで後輪が潰れてしまったが、どうにかこうにか走行した。急カーブの多い山道に差し掛かると遠心力に従って チクワ入道が外に転げ落ちそうになったが、チクワ入道自身の踏ん張りでなんとか持ち堪えた。
 いつもの数十倍も気を遣った運転をしたため、別荘に到着した途端、武蔵野はどっと疲れた。反面、チクワ入道で ある藤原忠はサイボーグなので肉体的な疲労は一切感じていないどころか、吉岡りんねに会えるのだとはしゃいで すらいた。少し前までは商売敵であった相手なのだが、美少女だからか。

「ようこそいらっしゃいました、チクワ入道さん。御苦労様でした、巌雄さん」

 別荘の玄関先では、りんね自ら出迎えてくれた。武蔵野は意外に思いつつも、来客を示した。

「というわけで、連れてきたが」

「ふはははははははっ! ワシこそがチクワ入道なのだワ!」

 チクワ入道は体を傾けながら玄関に入ると、ちくわの填った両腕を掲げて己を鼓舞してみせた。

「まあ……」

 悩ましげなため息を漏らしたりんねの表情は恋する乙女のそれだった。ちくわに恋をするなよ、と武蔵野は言って やりたかったし、その中身は伊織の父親なのだと教えてやりたくもなったが、意地でそれを堪えた。おかげで無意味 に力んでしまい、右手に握り締めたイグニッションキーが手のひらに食い込んで痛かった。

「では、こちらへどうぞ」

 天使のような微笑みを浮かべたりんねは、チクワ入道をリビングに導いた。この女も笑うことがあるんだな、だが その相手はちくわで入道でおっさんなのだ、と思うと、武蔵野は不意に笑えてきたがこれも堪えた。

「おお、チクワ入道じゃのう!」

 すると、裏庭で一人遊びをしていた岩龍が戻ってきて、ベランダの窓からリビングを覗き込んできた。チクワ入道 は身動ぎかけるも、自分のキャラクターを解り切っているので、チクワ入道らしく切り返した。

「ふははははははっ、我こそは宇宙山賊ビーハントの宇宙妖怪、チクワ入道なのだワ! おぬしは何者だワ!」

「ワシャあ岩龍っちゅうんじゃ、よろしゅうのう!」

 岩龍が笑いかけるように一つ目のスコープアイのシャッターを狭めると、チクワ入道は頷いた。

「うむ! 宇宙山賊ビーハントの野望はまだまだ潰えていないのだワ! 次こそは、憎きニンジャファイターに痛い目 を見せてやるのだワ!」

「その前にワシが叩き潰してやるけぇのう、首を洗って覚悟しとけぇよ、ってビーハントの首領に伝えておいてくれん かのう。ニンジャファイター達がピンチの時は、ワシが正義の味方になっちゃるけぇのう!」

 子供っぽく意気込んだ岩龍に、チクワ入道は癪に障ったのか言い返した。

「正義の味方になんぞならんでもいいのだワ! 大体、君は悪役側のロボットなのだワ! それなのに正義の味方 に感情移入するだなんて、万死に値するのだワ! そこに正座するのだワ、悪役の何たるかを外部記憶装置からも 溢れるほどにみっちり教え込んでやるのだワ!」

 チクワ入道がベランダの窓を開けて岩龍に詰め寄ろうとすると、りんねがキッチンから戻ってきた。

「チクワ入道さん。粗茶でございますが」

「う、うむ」

 話の腰を折られたチクワ入道は、大好きなニンジャファイターを否定されたことでむっとした岩龍と睨み合いながら もソファーに腰掛けた。道子が暮らしていたこともあって、この別荘の家具はサイボーグにも対応した仕様なので、 特に問題はない。あるとすれば、クッションの減りが異様に早くなるぐらいだが。
 上機嫌のりんねが差し出してきたのは、華やかな香りの紅茶とちくわの天ぷらだった。高守に手伝ってもらったの だろうか、からりと揚がっている。これにはさすがにチクワ入道、もとい、藤原忠も戸惑った。不安げに視線を上げて 武蔵野を窺ってきたが、武蔵野は素直に喰えと合図した。チクワ入道は覚悟を決めると、太い指でぎこちなくティー カップを持って啜ってから、ちくわの天ぷらを箸で突き刺して口に運んだ。

「旨いのだワ」

 それはそうだろう、りんねのために吉岡グループから送り届けられるちくわは高級品なのだから。武蔵野も何度か りんねに勧められるがままに食べたことがあるが、魚のすり身の味と香ばしさが程良い味わいだった。だから、その ちくわの天ぷらが不味いわけがない。もっとも、道子はそういった素材の味をグルカ兵の如く抹殺していたが。

「チクワ入道さん。私はチクワ入道さんを雇用したいと思いまして、宇宙山賊ビーハントの方々と電話でお話ししたの ですが、宇宙山賊ビーハントは山賊であって会社ではないから不可能だ、とのお返事を頂きました」

 りんねは紅茶でちくわの天ぷらを食べながら、残念がった。

「それは仕方ないのだワ。宇宙山賊なのだから」

 チクワ入道もちくわの天ぷらを食べていたが、その様は共食いにしか見えない。

「ですが、個人としての御契約ならいかがでしょうか。お給料は弾みます」

 この程度に、とりんねが契約書を差し出すと、チクワ入道は囓りかけていたちくわを取り落とした。武蔵野もチクワ 入道の頭越しに契約書を見、目を疑った。日給、三十万。月給ではないかと見直したが、やはり日給だった。業務 内容は至ってシンプルなもので、遺産相続争いに荷担する必要はなく、別荘の住人になってくれるだけでいい、との ことだった。チクワ入道は一旦箸を置いて紅茶を飲み干すと、不意に立ち上がって武蔵野の手を掴んだ。

「御不浄を拝借するのだワ!」

「どうぞ、ごゆっくり」

 りんねに朗らかな笑顔で見送られながら、武蔵野はチクワ入道に引き摺られてリビングを後にした。抵抗出来る ほどの余力がなかったのだ。行き着いた先は一階の廊下の奥で、チクワ入道は武蔵野を放り投げてから頭を抱え ようとした。が、頭が輪に一体化しているので、輪の上半分を手で掴んだだけだった。

「武蔵野君、これは非常に由々しき事態なのだワ……」

「お嬢の暴走を止められそうにはないが、あんたが雇われるとなると、俺達の側としては悪い話じゃないがな」

 武蔵野は諦観した結果、新免工業の立場と藤原忠の成すべき業務内容に照らし合わせた発言をした。

「だがっ、それだとワシの信念に反するどころか腸捻転を起こすのだワ! 大体、そういう感じのハートフルな展開 の役者はワシじゃない奴がするべきなのだワ! だから、ワシは雇われるわけにはいかないのだワ! 御嬢様の手中 に収められてから行動に出るだなんて、そんな三文芝居の裏切りはごめんなのだワ!」

 チクワ入道はきっと目を吊り上げた、かのような気持ちで武蔵野を睨み付けてきた。が、武蔵野も睨み返す。

「仕事の効率とあんたの信念、どっちに比重を置くべきか解っているだろう。仮にも管理職だったのならな」

「そんなものは決まり切っているのだワ! 信念のない仕事なんてつまらないのだワ!」

「俺が言いたいのはそういうことじゃない、個人的な価値観を抑えて局面を見通してだな」

「視野を広くしたがために肝心なことを見逃すのはごめんなのだワ!」

「だから……」

 会話は成立しているが、話が通じない。武蔵野が苦々しく思っていると、廊下の窓の外から岩龍が顔を出した。

「小父貴、何をぎゃあぎゃあ騒いどるんじゃ?」

「あー、その、なんだ」

 武蔵野は少し考えてから、要点だけをぼかした説明をした。

「チクワ入道の野郎は、お嬢に雇われたくないんだとよ。お嬢はその気だから、俺は反対するつもりはないんだが」

「ワシもごめんじゃけぇ。ニンジャファイターを倒そうとする奴なんかと、一緒に仕事はしたくないけぇのう」

 岩龍は目を据わらせ、チクワ入道に凄んできた。が、チクワ入道は怯まない。

「ワシだって口調が若干被っている奴と馴れ合うのは嫌なのだワ!」

 窓越しに睨みを利かせている人型重機とチクワ入道は、あまりにも可笑しかった。どちらも真剣であるからこそ、 奇妙極まりない。武蔵野はまたも表情を押し殺すと、深呼吸して気分を落ち着けてから考えた。チクワ入道に扮して いる藤原忠が吉岡一味に加わり、りんねの寵愛を受けるようになってくれれば、新免工業の今後の攻勢が非常に やりやすくなる。藤原忠は息子である伊織を己の手で始末することを望んでおり、伊織を挑発して、誘き出したいが ためにりんねも手に掛けようと目論んでいる。りんねと伊織を始末出来れば、新免工業は佐々木つばめとコジロウ に戦力を集中出来る。そうすれば、確実に新免工業の目的が果たせる。
 新免工業と契約を結び、特注品の戦闘サイボーグとなって戦うと決めたからには、新免工業側の決めたシナリオ に従って動いてもらわなければ支障が出る。藤原忠の意を汲んだ作戦でもあるのだから、尚更だ。ちくわに焦がれる りんねの気持ちを利用するようで若干気が咎めるが、それはそれだ。あくまでも仕事なのだから。

「でしたら、こうしたらいかがでしょう」

 不意に声を掛けられ、武蔵野とチクワ入道がぎょっとして振り返ると、にこやかなりんねが立っていた。

「チクワ入道さんは常人の理解を超えた存在ですから、この世界での物理的法則は通用いたしません。ヒヒイロカネ を使用して生み出された武器でなければ、宇宙妖怪にはダメージを与えられないことから察するに、チクワ入道さんは 異次元宇宙に存在しているものとみていいでしょう。ですので、試用期間を設けて、コジロウさんと戦って頂こうと 考えました。宇宙妖怪は通常兵器が通用しないのですから、コジロウさんと一戦交えられても平気でしょうし」

 それはあくまでも劇中の設定であって、現実とは無関係なのだが。武蔵野はサイボーグ化したばかりで実戦経験が 皆無の藤原忠のためにもそう言ってやりたかった。ここで無理をして、補助AIと機体に過負荷を掛けた挙げ句に フィードバックしたダメージで脳に損傷を受けでもしたら後が面倒だからだ。だが、チクワ入道に成り切っている 藤原忠は一歩も引かないどころか、りんねの申し出を受けた。

「やってやろうじゃないのだワ!」

「まあ、なんて頼もしい御言葉でしょうか」

 りんねがうっとりと目を細めると、ふはははははっ、とチクワ入道は無意味に高笑いした。これで、もう引っ込みすら 付かなくなった。しかし、チクワ入道がコジロウと戦って無事でいられるものか。きっと、武蔵野はその茶番劇にも 付き合わなければならないのだろう。一発でKOされる様が目に浮かぶようである。りんねはと言えば、チクワ入道の 一挙手一投足に悩ましげなため息を零している。だが、ちくわだ。輪入道だ。そして、おっさんなのだ。
 何一つ理解すべきではない、ということだけは理解出来た。




 更に翌日。
 山盛りのちくわを頬張ってはいたが、りんねの表情は冴えなかった。それもそのはず、コジロウに襲い掛からせた チクワ入道は、コジロウが振り下ろした鮮やかなチョップで倒されてしまったからである。そもそもチクワ入道は実戦 向きではないサイボーグなのであり、遺産による絶大なパワーと数々の戦闘経験を持つコジロウが相手では勝負に すらならないことは解り切っていた。だが、りんねは譲らなかったし、チクワ入道自身も引かなかった。その結果が、 この有様である。武蔵野は賞味期限が近付きつつあるちくわを機械的に消化しながら、リビングに目をやった。
 そこには、コジロウのチョップで真っ二つにされたチクワ入道のサイボーグボディが転がっていた。藤原忠の生身の 脳が収まっているブレインケースは、駆動部分の配置の都合で左寄りになっていたので無傷だった。藤原忠の正体 が知れると困るので、武蔵野は早々にブレインケースを回収して新免工業のサイボーグ技術部に届けたのだが、 問題はチクワ入道のサイボーグボディだった。りんねが頑なに回収を拒み、別荘に持ち帰ったのだ。もちろん、 製造元であるヒラタ造型に掛け合って即金で買い上げた。

「儚い恋でした……」

 切なげに睫毛を伏せたりんねに、武蔵野は咳き込んだ。

「こ、恋だったのかぁ!?」

「全てに置いて理想の御方でした。ああ、それなのに」

「おいおい」

 武蔵野が頬を引きつらせると、りんねは一度瞬きした後、口調を改めた。

「と、つばめさんの言動を元にした行動パターンを取ってみましたが、あまり参考にはなりませんでした。私が愛して 止まないちくわを原型に作られたチクワ入道さんでなら、と思ったのですが、成果は上がりませんでした」

「……おいおい」

 では、今までの言動は。武蔵野が同じ言葉を繰り返すと、いつもの澄まし顔に戻ったりんねはちくわを囓った。

「まさか、私が本気であのような行動に出たとお思いなのですか?」

 嘘に見えなかったのだが、と武蔵野は言いかけたが、ちくわと共に飲み込んだ。

「先日のアマラの一件の切っ掛けとなった、美作彰さんの桑原れんげに対する妄執にも言えることではありますが、 無機物、或いは概念に偏愛を抱く経緯と理由と心境のいずれもが理解しがたかったのです。一個の人格を持った 人間であればまだしも、美作彰さんは概念の固まりである桑原れんげに己の概念を乗算した結果、道子さんに己の 妄執を強要するに至りました。人間の行動理念は不可解なものばかりではありますが、突出して理解出来ない事象 でした。ですが、人間の心理構造について知るためには不可欠だと判断しましたので、常日頃から理解しがたいと 思っている、つばめさんのコジロウさんに対する言動をトレースして自分なりにアレンジを加え、演じてみたのですが、 一層不可解さが増しただけでした。無益な時間を過ごしてしまいましたね」

 りんねは甘辛く煮付けられたちくわを箸で切り、囓った。

「……む」

 背を丸めて朝食を食べていた高守も同意したのか、小さく頷いた。

「ですが、巌雄さんはどうお思いになりましたか? 巌雄さんは年齢を重ねておられますので、男女経験はそれなりに おありですよね? 私は恋愛感情に振り回されるつもりはありませんし、そもそも異性にそういった感情を覚える ことはありませんし、繁殖を目的としない性交は一切行わないつもりですので、男女の機微を感じ取れるような経験 も主観も持ち合わせていないのです。ですので、巌雄さんの御感想を窺いたいのですが」

 ちくわの輪切りがたっぷりと混ぜ込まれた炊き込みご飯を盛った茶碗を持ち、りんねは武蔵野に話を振った。

「俺か?」

 ストレートな質問に武蔵野が少々慌てると、りんねは醤油と出汁の染みた御飯を口にする。

「ええ、そうです。他に誰がいらっしゃいますか? もっとも、風俗店で春を売る女性達しか相手にしたことが ないのでしたら、質問自体をなかったことにいたしますが」

「大人を馬鹿にするもんじゃない」

 武蔵野はりんねの言葉のきつさに辟易しつつも、冷めた緑茶を傾けた。恋の記憶、と言われて思い出せるのは、 彼女のことだけだ。それ以前に感じた薄っぺらい恋慕や、性欲に由来する感情の揺らぎなんて、子供騙しもいい ところだった。本物の恋と呼べる感情は、彼女に対するものしかない。

「惚れようと思って惚れられるようなものじゃない。手を出すべきじゃない相手ほど、いい女に見えちまうんだ。それに 気付いた時には、もうお終いなんだ。振りをしているうちにその気になることもあるかもしれないが、所詮はごっこ 遊びだから、熱が上がるのも早いが冷めるのも早い。だから、お嬢が実験してみたことは間違いじゃないんだが、 それじゃ解るものも解らねぇよ。だが、なんでお嬢は佐々木つばめの真似をしようと思ったんだ?」

 先程の腹いせも込め、武蔵野はりんねを見返す。だが、りんねが動じるはずもない。

「今後の業務を執り行いやすくするためです。それ以外の理由が必要ですか?」

「出来れば、あってほしいね」

 武蔵野はそう言い捨て、朝食に戻った。飽きもせずにちくわを食べ続けるりんねを視界の隅に入れていると、彼女の 横顔と重なり合いそうになる。何度忘れようとしただろう、何度振り切ろうとしただろう、何度思いを遂げようとした だろう。だが、その度に武蔵野は自分を制してきた。それが自分の役割であり、仕事であり、立場なのだと解って いたからだ。どこかで一歩でも踏み外していたら、今の状況はない。
 その選択が正しかったのか否かは、これから判断が付く。過去が未来に報いるのか、過去が未来を裏切るのか。 いずれにせよ、正しかったのだと信じて進んでいくしかない。藤原忠のブレインケースが新免工業に届いたのならば、 あの男は巨体の戦闘サイボーグとして生まれ変わって、遺産相続争いに絡む戦いに躍り出てくる。一度倒れた ドミノを止める術はない。どこまでも、崩れ落ちていくだけだ。
 今度こそ、止めてはいけない。





 


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