機動駐在コジロウ




前門のトラブル、後門のオラクル



 日を追うごとに、電脳世界では御鈴が広まりつつあった。
 弐天逸流の信者達による布教活動と工作活動によって不特定多数の人間の目に留まるようになり、御鈴の歌う 狂気じみた歌詞の楽曲が至るところで流れるようになっていた。最初に動画をアップロードしてから二週間も経って いないはずなのに、ありとあらゆる動画投稿サイトの再生回数ランキングでは常に上位にランクインし、CDの発売も 決定している。雑誌に載せるための写真もうんざりするほど撮られ、ゴーストライターが書いたインタビュー記事も 出来上がっているし、週刊少年漫画雑誌の表紙を飾るグラビアも出来上がっている。御鈴という偶像の少女は、 伊織の理解の範疇を越えて成長し続けている。まるで、自分を覆う殻が厚みを増していくかのようだ。
 それが、気色悪くないわけがない。アイドルなんて右から左へと消費される量産品なのだから、偶像としての役割 を終えたらフェードアウトするのだろうし、どうせ一年も経たないうちに忘れ去られてしまうだろうが、それでもなんだか 落ち着かない。りんねを長らえさせるためとはいえ、本当にこれでいいのだろうか。
 悩みすぎて寝付きが悪くなった伊織は、布団の中で何度も寝返りを打った。だが、眠気は一向に訪れず、反対に 目がやたらと冴えてきてしまった。退屈凌ぎに枕元にある携帯電話を取り、ホログラフィーを展開させると、青白い 光が暗い部屋を照らし出した。御鈴の動画を再生すると、頭痛がするような歌詞が流れ出した。

「うー……」

 何度聞いても、恥ずかしくてたまらない。伊織はたまらず布団を被り、耳を塞いだ。一曲目はボーカロイドなどが よく歌っている、テクノポップなメロディーに斜に構えた歌詞を合わせた曲で、伊織もそれは悪くないと思っていたし、 これからもそれでいくのかと思っていた。二曲目は、サブカルに傾倒し始めた女子中高生が好みそうなゴシック調の メロディーにバラだの死だの血だのといった退廃的な単語をちりばめた曲だった。もちろん衣装も曲調に合わせた もので、アイラインがやたらと太い化粧に辟易した。三曲目はがらりと趣を変えた正統派のラブソングで、綺麗事を これでもかと詰め込んだ歌詞に寒気を覚えたものだが、それもまた若年層には受けたようだった。四曲目はロック 調のエレキギターのリフが効いた楽曲で、この頃になると終末思想が全面的に押し出されてきていた。
 アルマゲドン、ラグナロク、審判の日、天使のラッパ、箱船、ニルヴァーナ。そういった単語か、それに準じた表現 の歌詞ばかりになり、最終的には信じる者は救われるといった内容で締めていた。それまでに発表した楽曲も端々 にそういった表現があり、甘ったるいラブソングにしても歌詞を要約すれば、世界が終わる日は近いからその前に 心中して結ばれてしまいましょう、という代物だった。
 そんな歌をりんねに歌わせ続けるべきではない。吉岡りんねが人並みの生活を送れるようになった時に、有名に なっていることは彼女の歩みの枷となる。世間からは忘れ去られても、個人からは忘れ去られないだろうし、りんね が御鈴として振る舞っていた頃のことを忘れたとしても、誰かが覚えている。それがある限り、りんねは本当の自由を 手に入れられない。いつまでも、いつまでも、誰かの人形として生き続けなければならない。

「つか、マジでこれでいいのかよ」

 りんねを守り、生かし、長らえるために、弐天逸流に従うことを選んだ。だが、それは正しかったのか。

「お嬢……」

 愛しい少女の顔を撫で、華奢な体を抱き締め、背を丸める。誰が敵で、誰が味方で、何が悪で、何が正しいのか。 それを見定めて行動するためにも立ち止まることは必要であって、大きなものに縋って流されるのは状況を凌ぐため には必要なことなのだ。りんねもきっと解ってくれる。受け入れてくれる。なぜなら、伊織のいかなる行動もりんね を思ってのことだからだ。だから、りんねも伊織を認めてくれるはずだ。
 そこまで考えて、伊織は全力でその思考を否定した。そんな打算的な考えを孕んだ好意なんて、りんねに抱いた ことなどない。好かれるために相手を好く、だなんて、その前提があることからして好意ではない。自分を肯定して もらいたいがための手段に過ぎない。伊織も少なからず自分を他人に認めてほしいという欲求は備わっているが、 自分を肯定してもらうことを前提とした好意を抱くほど、自惚れてはいない。

「ん」

 不意に、右手が勝手に動いた。りんねの意思だ。伊織は布団から這い出ると、肉体の本来の主の意思を妨げない ように力を抜いた。りんねの意志が宿った右手は携帯電話を掴み、ホログラフィーを消すと、テキスト入力画面を 開いた。ぎこちない動きでホログラフィーのキーボードが叩かれ、入力された文字が並んでいった。

『ふじわらくん』

 その呼び方は、りんねが吉岡めぐりという名で生きていた頃のものだ。今となっては遠い過去となった高校時代が 思い起こされ、伊織はなんだか柔らかな気分になった。

「お嬢……じゃなくてもいいか、呼び方は」

『うん』

「何がいい」

『なまえ』

「下の方か?」

『うん』

 りんねに肯定されて、伊織は妙に気恥ずかしくなった。けれど、悪い気はしない。りんねもまた、伊織に気を許して くれたという証拠だからだ。伊織さん、ではなく、藤原君、に変わったのは、それが本来のりんねの性格なのだろう。 今まで伊織達が接してきたりんねは、りんね本人ではなく、その肉体を間借りしていたラクシャのものだった。故に、 りんねは長らく本来の自分を押し殺されていた。だから、巣の外に出たばかりの雛鳥も同然であって、言葉も片言 なのだ。その辿々しさが愛らしいと感じるのは、冷酷なリアリストだったりんねとの落差が激しいせいだ。

『そと、でた?』

「出てみたが、この建物がある空間は閉じているんだとさ。コンガラで複製された空間だそうだが、俺にはどういう 理屈でそうなったのかはさっぱりだ。通常空間への出口はあるらしいが、弐天逸流の教祖のシュユでなきゃ、操作 出来ないんだそうだ。だから、俺達は逃げ出せねぇんだ。電波ソングでファンを掻き集めて信者にして、そいつらの 信仰心を利用してシュユを復活させたいんだそうだが、その後が解らねぇんだ。俺はともかくとして、お嬢は殺され ねぇだろうが、まともに生かすはずがない。フジワラ製薬も、お嬢の血肉を使いまくって生体安定剤を作っていた からな。死なない程度に切り刻まれるんだろうさ」

『なまえ』

「あ、すまん。言った傍から」

 りんねに指摘されて気付き、伊織が柄にもなく照れると、りんねは返した。

『きをつけて』

「あー、まー、うん」

 意識すると余計に照れ臭くなり、伊織は曖昧に答えた。右手の親指が動く早さが、少しだけ増す。

『ふじわらくん』

「んだよ」

『ごはん、おいしい?』

「割とな。まともに味覚があるっつーのは、結構楽しいことなんだな」

『いいなあ』

「お……じゃねぇ、えーと」

 背筋がむず痒くなってきた伊織は、画面から顔を逸らしながら彼女の名を呼んだ。

「りんねも俺らみてぇな具合だったのか? つか、体は人間だったんだろ?」

『うん。でも、ぜんぶじゃまされたから、わからなかった』

「一から十まで?」

『うん。ねるときも、おきるときも、おトイレも』

「そりゃひでぇな」

『でも、ちくわはわかる』

「ああ、だから好きだったのか」

『うん。すき』

「で、その、りんねはアイドルごっこを続けたいと思うか?」

『たのしい。でも、よくない』

「俺も好きじゃねぇよ。自分でもりんねでもねぇ人間がでかくなっていくのが。つか、助けてもらった義理っつーのは あるけどよ、潰れるまで利用されたくねぇんだ。でねぇと、りんねが保たねぇしな。なんとかして脱出して、寺坂にでも 連絡を取れればいいんだが。あいつは屑でクソな坊主だけど、俺らみてぇなのを無下にはしねぇから」

『てらさか?』

「酒とタバコと車と女にどっぷりな生臭坊主だよ。出来れば、あの野郎だけはりんねには会わせたくねぇんだけど、 四の五の言っている場合じゃねぇしな。なんとかして、外に出る方法を考えねぇと」

『うーん』

「ああ、考えておいてくれよ。俺も考える。二人でなら、なんとか思い付くかもしれねぇしな」

『うん。がんばる』

「そのためには、体力を温存しておかねぇとな。おやすみ、りんね」

『おやすみなさい、ふじわらくん』

 手短に打ち込んだ後、右手は畳の上に落ちた。それきり、右手は動かなくなった。伊織はりんねが入力した文章を 全て保存してから、携帯電話の電源を落として枕元に放り投げた。借り物の心臓が痛み、心なしか顔が火照って いる。自分は彼女で彼女は自分なのだから、意識しても照れる意味などないのに。そう思おうとしても、伊織の内 に疼く甘ったるい感情が日に日に大きくなっていた。
 ただ、吉岡りんねを守りたいだけだ。伊織は遺産から生み出された道具であり、生体兵器であり、それを操る力を 備えている者に傅くのが役割なのだから。だから、あまり意識するものではない。大体、伊織は生物学的には人間 からは懸け離れているし、りんねに抱いた特別な感情が発展したところで、何にもならない。りんねも伊織のことを それほど意識していないだろうし、異性として認識されているかも怪しい。吉岡めぐりだった頃も、ラクシャの命令に よって伊織に近付いてきたのだろうし、その延長で告白の真似事をしたのだろうから。
 あまり考えすぎない方がいい。過剰な期待を抱けば抱いた分、現実に打ちのめされた時のダメージが重大になる のは解り切っているではないか。何度となく自戒した後、伊織は肉体的な疲労とりんねの意思との会話を行ったこと で生じた脳の疲労に任せて眠りに落ちた。どろりとした睡眠に浸りながら、夢を見た。
 青空の下、見覚えのある田舎道を駆け回るりんね。その表情は溌剌としていて、銀縁のメガネも外していて、素顔 で自由を謳歌していた。伊織は彼女に続き、田舎道を歩いている。怪人体だった。二人の進む道はひどい砂利道 で雑草も生え放題だったが、りんねはそれに構わずに歩いていく。進んでいく。向かっていく。けれど、不意に彼女 の足が止まった。伊織も立ち止まる。怯え気味のりんねが振り返ったので、伊織がその視線を辿ると、輝く光輪を 背負った巨躯の異形が触手をうねらせながら二人を見下ろしていた。のっぺらぼうの頭部からは表情が読めず、 不気味さに拍車が掛かっていた。触手が迫る。りんねは逃げる。伊織は彼女を守る。
 逃げて、逃げて、逃げ切った。




 鼻歌交じりにパソコンを操作するサイボーグの背中は、とにかく姿勢が悪かった。
 サイボーグボディを交換して無事に復帰を果たした鬼無克二は、現場に配属されると同時に情報収集と工作活動 を一任された。以前のスレンダーなボディに酷似したデザインのボディの至るところからケーブルを伸ばし、部屋中を 埋め尽くしているコンピューターに接続し、日がな一日パソコンをいじり回していた。
 パソコンとコンピューターに備え付けられている冷却装置だけでは到底間に合わないので、室内にはクーラーが 何台も設置されている上にサーキュレーターが回転しているが、それでも尚、機械熱が籠もっていた。鬼無の背を 見下ろしながら、周防国彦はなんともいえない気持ちになった。壁沿いにずらりと連なるパソコンデスクに収まって いるパソコンの壁紙やスクリーンセーバーは美少女アニメばかりで、鬼無が自身の聴覚センサーに直結させている オーディオではアニメソングを延々と流しているらしく、曲が切り替わるたびにアニメのタイトルが表示されていた。
 こんな奴が本当に使えるのだろうか。そして、信用出来るのだろうか。最新の医療技術のおかげで右足の銃創が 大分回復し、右目に義眼の移植手術を受けた周防は、その右目を通じて部屋を見回した。フルサイボーグほどの ずば抜けた性能はないが、ズームが可能なので今後の役に立つだろう。だが、まずは視力の違う両目のピントを 合わせることに慣れなければ。そして、この男にも。

「ステマ、ステマ、ステマだらけーっと」

 鬼無はぱたぱたとキーボードを叩きながら、小刻みに肩を揺する。

「投稿日時をいくらいじったって、アーカイブに残ってないんだからバレバレなんですけどー? ほとんどがBOTじゃ ないですかーやだー。コピペツイート多すぎー、どんだけ複アカ持ってんのーうわー。桑原れんげよりもモロすぎー。 オワコンー」

「ネットを見回るのがお前の仕事か、良い身分だな」

 周防が呟くと、鬼無は横顔だけ向けてきた。鏡面加工されたマスクフェイスに、アイドルの動画が映り込む。

「てかー、今はネットが全てじゃないですかー。テレビはステマだらけでCMだらけでオワコンだしー、ドラマもクソで アイドルとか歌の売れ方なんてマーケティング次第だしー、それでなくてもつまんないしー。だから、どいつもこいつも ネットに入り浸るけど、そいつらも頭がクソだから嘘を丸飲みして大炎上しちゃうんですー。てか、この御鈴っていう アイドルもそうですねー。顔とスタイルは吉岡りんね御嬢様のコピペだから、それなりに売れるし受ける感じはする けど、あざとい! ぴかりんジャンケンよりもあざといっ!」

「何だよそれ」

「あざとさの代名詞ですってー、これだから情弱は」

「知らねぇよ、そんなもん」

 知っていたとして、何の役に立つのやら。周防が呆れるが、鬼無は饒舌に語り続ける。

「てか、御鈴の歌はどれもこれも狙いすぎてアウトすぎー。ボカロ厨、中二病、スイーツ、と入れ食いなのがまたクソ すぎてー。最新の曲はまあいい感じかなーって思うけどー、一般層向けにしちゃカルト的でー。てかー、こんなのが 受けるなんて世の中クソ以下だろー。アニソンの方が余程音楽してるしー、芸術だしー」

「お前は否定からしか入れないのか」

「てか、リアルに肯定するようなものなんてありますかー? 俺は二次元の住人ですからー」

「それはそれとして、さっさと仕事を片付けろ。お前の仕事は情報収集と統制だろうが」

「情報収集に切りがあるわけないですってー。てか、統制するにしてもハッキング用のソフトが足りないんでー、適当 なサーバーから盗んでこなくちゃならないしー。ネットは広大だわー、ゴーストが囁くのよー」

「ますます意味が解らん」

 周防はぼやいたが、情報処理に長けたサイボーグである鬼無が情報を掻き集めなければ、備前美野里率いる 一派の出方も定まらない。周防も鬼無も美野里の手足であり武器だが、頭脳である彼女の判断がなければ行動 すらも許されていない。実際、周防は美野里に連れてこられた建物に缶詰になっていて、傷の治療が終わっても 外に出してもらえなかった。物資は足りているので支障はないが、ストレスは溜まってくる。

「んでー、この御鈴たんの出所を探ろうとしているんですけどー、IPアドレスを辿ってもホストが割り出せないんです よー。動画サイトを覗いてみたんですけどー、海外のサーバーを経由して投稿しているみたいでー。まー、それ自体 はあるあるすぎて今更感が物凄いんですけどー。で、その経由したルートを辿ってみたんですけどー、変なところで ブツ切りになっちゃっててー。プロバイダの住所も架空だしー」

「佐々木長光絡みの住所だから、じゃないのか?」

「それだったらー、政府の方にブロックされまくっているから逆にバレバレですってー。設楽道子っつーか、アマラの 仕業だったら完璧すぎてやっぱりバレバレですしー。なんてーのかなー、道を歩いていたら途中で急に消えたって な感じですかねー? でもまー、探し出してみせますけどー」

「御鈴が吉岡りんね本人である確証はないが、今はその線しかないからな」

 周防は右目を瞬かせ、鬼無の横顔を見据えた。二人に命じられた任務は、新免工業の戦闘員となった藤原忠に 襲撃された末に行方をくらました、吉岡りんねの捜索と奪還だった。りんねと共に行方不明になった藤原伊織も、 見つけ次第回収する手筈になっている。佐々木つばめの警護は厳しくなる一方だから、佐々木つばめのスペア である吉岡りんねに目を付けたのだろうが、目的はそれだけではないだろう。

「備前美野里の正体は調べたのか」

 足元を這い回る大蛇のようなケーブルを跨ぎながら、周防が問うと、鬼無は笑った。

「当たり前ですってー。つか、真っ先に調べましたってー、みのりんのこと。でもー、あの人は行き遅れのスイーツ女 のくせしてネットは全然やっていないみたいだしー、SNSだってゼロでー、メールだって他人とはほとんど交換して ない感じですねー。友達いないのかなー? うっわぁー、ぼっち乙ー」

「だから、備前美野里の個人情報はほとんど手に入れられなかったのか」

「ですねー。つか、今時有り得ないでしょー。アカウントの一つも作らないだなんてー」

「だったら、我らがボスの正体を突き止めるのは他の方向からだな。あまり探りを入れすぎるとせっかく皮を繋いだ クビが飛ぶぞ、いいところで手を引いておけ」

「なんですかー、その上から目線ー。うわームカつくー」

「俺はお前が嫌いだからだ」

「俺だって、すーちゃんのことなんて嫌いですってー。てか、全人類が嫌いですってー。ふへはっ」

 気の抜けた笑いを零した鬼無に、周防は背を向けてドアノブに手を掛けた。

「だったら、お前はどういう人間なら好きになるんだ?」

「人間なんてオワコンですってー」

 だから誰も好きになりませんってー、と鬼無はへらへらと笑った。裏を返せば、誰からも好かれる自信がないから 先に相手を嫌っておく、という自己防衛だろう。周防はその態度に心底苛ついたが、それを顔には出さずに廊下に 出た。残暑の湿った熱気が籠もった廊下は息苦しく、周防の苛立ちを一層増させた。
 窓越しに見える夜景は窓明かりがまばらで、ここが地方都市なのだと解った。都心であれば景色に見覚えがある だろうし、ランドマークになるビルがいくつもあるからだ。だが、このビルの周辺は建物の数も少なく、いずれも低い ビルばかりだ。もしかすると、一ヶ谷市に程近い土地なのかもしれない。となれば、一乗寺に再会出来る日も遠くは ないと考えるべきか。彼は、いや、彼女は周防にどんな顔を向けるだろう。それを思うだけで、心中が疼く。
 業の深さが、劣情を濃くしていく。





 


12 10/24