機動駐在コジロウ




後悔、サーキットに立たず



 勢い良く視界が上向き、ゴーグルに雨粒が激突する。
 仰け反った勢いでたたらを踏んだレイガンドーはバランサーを駆使して直立し、踏み止まると、警官ロボットに意識 を宿した羽部はボクサーのようなステップを刻んでいた。警官ロボットのボディには対人戦闘用の格闘プログラムが 一通りインストールされてはいるが、レイガンドーの知る限りでは先程のようなアッパーは入力されていない。だが、 あの流れるような体重移動と鋭利な角度のパンチには、嫌と言うほどの覚えがある。

「……岩龍?」

 血肉ならぬ集積回路を分けた兄弟の名を口にしたレイガンドーに、羽部は足を止めて拳を固める。

「そうだね、この僕は骨の髄まで理系だから、地下闘技場で日々ファイトマネーと賭け金を荒稼ぎしていた君に太刀 打ち出来るほどの経験と格闘センスが備わっているわけがないんだよ。だから、不本意が極まりなさすぎていっそ 腹立たしくもあるけど、ムジンに遺っていた岩龍の記憶と経験を借りているってわけさ!」

 再び、水飛沫を散らしながら警官ロボットは身を躍らせる。レイガンドーは攻勢に転じるべく左腕を繰り出したが、 羽部はするりと上体を反らして超重量級の打撃を淀みなく回避すると、レイガンドーの左腕を絡め取ると、背負い、 投げ飛ばした。再び視界がぐるりと巡り、背中からアスファルトに叩き付けられる。

「こ、のぉっ!」

 衝撃の余韻が抜けきらないまま、レイガンドーが強引に立ち上がると、羽部は片膝を上げて跳躍した。回避する 余裕すら与えられずにマスクフェイスに膝がめり込み、またも転倒した。シャイニングウィザードだ。岩龍のファイト スタイルらしからぬ飛び技ではあるが、有効だった。三度地に沈んだレイガンドーは、回路のリミッターが弾け飛び そうなほどの焦燥に駆られながら、ひび割れた視界を睨んでいた。今し方の蹴りで、視覚センサーのカメラが片方 砕けてしまったからである。隙間から雨粒が滑り込み、千切れそうなケーブルに触れてヒューズを飛ばした。

「ほらほら、さっさと起きないとカウントを取るよ? なんだい、RECのメガトン級王者ってのはその程度なのか?  だったら、次の王座決定戦でチャンピオンベルトを手にするのはどこの誰だろうね? ああそうだね、どこぞの子供 が夏休みの工作で作った牛乳パックのロボットだろうね!」

 高らかに罵倒しながら、羽部はレイガンドーに追撃を仕掛ける。左腕を抱えて曲げ、極める。

「さっきから、言いたい放題言いやがってぇっ!」

 今にもねじ切られそうな左腕を解放させるべく、レイガンドーは両足を曲げて上体を持ち上げ、全身を波打たせて アームロックを解いた。その勢いを使って羽部を薙ぎ払うと、羽部は後退ったが怯まなかった。

「やっとその気になってきた? いいだろう、バーリ・トゥードで行こうじゃないか」

「ああ、俺も同意見だよ。どうせ観客はいないんだ、存分にヒールターン出来る!」

 左腕を大きく振り回してから、レイガンドーは倉庫に戻り、隅に置かれていたエンジン式の草刈り機を手にした。 ロープを引いてエンジンを始動させてスロットルレバーを握り、円形の刃を高速回転させた。レイガンドーとの距離を 保ちながら倉庫に入った羽部もまた、背後を探り、壁に立て掛けてあった鍬を手にした。間に挟まれている美月 は二体のロボットを交互に見やり、懇願してきた。

「レイ、羽部さん、お願いだから止めて。二人が戦って何になるの、痛い思いをするだけでしょ!?」

「可愛いことを言ってくれるじゃないか。なあ、こんな奴のどこがいいんだ? ちったぁ頭の回る男かもしれないが、 どうしようもなく口が悪くて根性がねじ曲がりすぎてプライドが変な服を着て歩いているヘビ野郎じゃないか。それを どうして庇おうとする、守ろうとする、好きになろうとするんだぁっ!」

 大股に美月を飛び越えて草刈り機を振り上げ、レイガンドーは羽部に迫る。唸りを上げる円形の刃を右の腕装甲 で受け止め、盛大な火花を散らしたが、羽部は左手で鍬を翻して草刈り機のバーを跳ね上げる。悲鳴に似た摩擦音 を放ちながら中空に逃れた円形の刃に、羽部は鍬を振り翳してへし折る。役に立たなくなった武器を投げ捨ててから、 レイガンドーは壁に掛けられていたツルハシを握り、振るう。

「俺だけを思っていてくれ。そうすれば、俺は誰よりも強くなれる」

 澄ましたマスクフェイスの警官ロボットの面差しは、考えるまでもなく、コジロウに似ている。それが一層腹立たしさ を煽り立て、レイガンドーはツルハシを握る手に過剰なパワーを込めた。

「ロボットのくせに独占欲だなんて御立派なものを持っているの? へえ、馬鹿馬鹿しい!」

 羽部は後ろ手に金属製のシャベルを拾い、一つ、二つ、三つ、と投げ付けてきた。ツルハシで一つ目を叩き落とし、 右足で二つ目を蹴り上げて天井に突き刺したが、少々タイミングをずらして投擲された三つ目のシャベルだけ は逃れられなかった。火薬のないミサイルのように湿った空気を貫いた、使い古された巨大な矢尻は、腹部に 深々と突き刺った。シャベルに切断されたケーブルから漏電し、破れたチューブから循環液が滴る。

「独占欲だと? 違う、俺の感情は真っ当な愛だ!」

 下半身に動力を伝えるギアがずれたのか、レイガンドーは両足を折って膝を付いた。

「愛? 愛ねぇ、愛かぁ」

 余程可笑しいのか、羽部はけらけらと笑いながら、棚に置かれていたガスバーナーを手にした。

「愛なんてものはね、自分で口にした時点で終わりなんだよ。いいかい、あんなにあやふやで適当で不定型なもの に固有名詞を与えることがまずダメなんだ。下らない固定観念が出来上がってしまう。そんなものに頼ろうとすること からして、君はダメだ。本当にダメだ。どうしようもない馬鹿ロボットだ。そういう面倒臭い感情こそ、ほいほい口にする もんじゃない。胡散臭くなるだけさ」

 羽部はノズルからガスを噴出させてから、古ぼけた使い捨てライターを使い、火を灯した。猛烈な勢いで青い炎が 迸り、羽部の手元を中心にして熱風が渦巻いた。美月は目を見開き、青ざめる。

「やめて、羽部さん、レイにそんなことしないでぇ」

「君も結構罪深いよ、美月。君はね、誰に対してもいい顔をしようとするからね。本当は物凄く我が強くて独り善がり なのに、両親がアレだったから良い子でいようとするあまり、ついつい自分を殺している。君が本当に欲しいのは、 この僕なのかい、それともREC王座に胡座を掻きすぎて周りが見えなくなった、馬鹿なロボットなのかい」

 ガスバーナーを携えた羽部はレイガンドーに向き直り、小首を傾げた。

「わ、私は……」

 これから始まる凶行に臆した美月が俯くと、羽部は肩を揺する。

「ああ、どっちも、とか、お友達でいましょう、とか、そういうのは勘弁してもらえるかな。この素晴らしすぎて他人から は評価されようがなかった僕としては、曖昧な関係が一番鬱陶しいんだよ。好きなら好き、嫌いなら嫌い、はっきり 言ってくれないかな。でないと、この僕はいつまでたっても死んでも死にきれないんだよ」

 左半分だけの視界で美月を捉えながら、レイガンドーは微動だにしない両足に動力を送ろうと懸命にギアを回転 させていたが、嫌な音を立てて空回りするだけだった。今の自分と同じだ。

「この僕はね、君が食べたくて食べたくて食べたくてどうしようもなかったんだ」

 ぬるりとマスクフェイスをなぞった様は、警官ロボットの姿でありながらもヘビの姿を思い起こさせた。美月は声を 失い、信じられないと言わんばかりの顔で羽部を凝視する。

「この際だから言うけど、この僕は君をいじめていた女子生徒達を喰ったのさ。覚えているだろう、転校生だからという だけで君を侮蔑して暴力さえ振るおうとした、香山千束のことを」

 羽部の赤いゴーグルが美月を映すと、美月は浅く息を飲む。

「そんな……嘘、だよね?」

「嘘なものか。この僕は君みたいな下等生物の極みに対して嘘を吐くような、無益なことはしない」

 ガスバーナーの青い炎を帯びた警官ロボットの横顔は、無機質であるが故に不気味だった。

「この僕はね、君みたいな年頃の小娘を捕食するのがこの上ない快楽だったのさ。死体なら尚更、抵抗しないから、 いくらでもやりたいことが出来た。けどね、殺すのを渋ったのは君が初めてなんだよ、美月。生きて動いている君を 観察しているのは、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、楽しかった。好意はその延長だよ」

 羽部は硬直している美月の傍を通り過ぎ、膝を折ったREC世界王者の前に至る。

「だから、食べたいけど食べたくなかった。この体じゃ食べるに食べられないけど、殺して処理をしてしまえば、死体 を弄べる。そうだな、それも悪くないね。君がこの僕に好意を寄せてくれるなら、この僕はこの僕の最大限の表現で 好意に返さないといけなくなる。誰かを愛するってことはその相手に対して無防備になることだろう、愛されるって いうのはその相手の情念を受け止めることだろう? 違うとは言わせないよ」

 羽部の右手がレイガンドーのマスクフェイスを掴み、顔を上げさせる。

「ああ、だから俺はお前が許せない! 認められない! 美月がお前に抱いた感情も認めない!」

 左手を挙げたレイガンドーは羽部の左手を掴んでガスバーナーを阻むが、羽部はそれ以上の力で押してくる。

「全く、どいつもこいつも視野が狭いね。いっそのこと、潰してあげよう」

 手首が捻られ、ガスバーナーの炎が上向く。猛烈な熱が一瞬にしてレイガンドーのマスクと塗装を焼け焦がして 黒々と煤けさせ、超強化プラスチックであるゴーグルを溶かし、その奥に隠れていた視覚センサーのカメラに炎が 届いた。視界に青い炎が過ぎった直後にレンズは焼き切れ、砕け、フレームごと熔解した視覚センサーが顔面 からずるりと滑り落ちた。破損した部位から漏電したレイガンドーが濁った呻きを漏らすと、羽部は中身が切れた ガスバーナーを無造作に投げ捨てる。

「これで視界はゼロに等しい。この僕が何をしようと、解るわけがない。そう、たとえば」

 あの子の息の根を止めたとしてもね、と羽部が笑みを零した。次の瞬間、予備動作もなく、レイガンドーの左腕は 伸びきっていた。我に返ると、ひび割れた右目の視界に、内壁に突っ込んでいる警官ロボットの姿が見えた。ほぼ 無意識の動作だったらしい。美月の無事を確かめてから、レイガンドーは腹部を叩く。下半身に繋がるギアが再び 噛み合うことを願い、何度も何度も叩くが、シャベルに抉られた傷口が広がる一方だった。

「そうそう、それ。そんな感じ。それでこそ格闘家だ」

 羽部はまたも笑いながら、破れかけたトタンの壁から背中を抜き、立ち上がった。

「クソッ垂れヘビ野郎がぁあああああっ!」

 立ち上がれない苛立ちを込めてレイガンドーは猛るが、羽部は悠長に笑い続けている。

「そこは四文字言葉で罵倒してよ。その方が気分が出る。ああ、放送コードに抵触するから削除済みなのかな?」

 叩く、叩く、叩く、叩き続ける。それでも、ギアは噛まない。レイガンドーの焦りとは裏腹に、余裕を見せつけている 羽部は怯え切った美月に近付いた。短く悲鳴を上げた美月は後退ろうとするが、足に力が入らないのか、安全靴 の靴底はコンクリートを力なく蹴るばかりだった。羽部の銀色の右手が、美月の頬に触れる。

「や、やぁ」

 歯を食い縛って懸命に顔を逸らす美月に、羽部は腰を曲げて顔を寄せる。

「君の脳はどんな味だろう? 君の内臓はどんな柔らかさだろう? 君の血はどんな色合いだろう? 君の筋肉の 歯応えはどんな具合だろう? 君の骨を砕いた音はどんな響きがするだろう? ああ、楽しみだよ」

「羽部さん、どうして」

「どうしてって聞かれても、この僕の方が困るね。この僕は物心付いた頃からそうだった。それだけのことさ」

 美月の血の気が引いた肌に銀色の指が這い、薄く赤痣を付けていく。

「それでも、この僕が好きだと言うのなら、この僕は喜んで君を食べてあげるよ」

 羽部のマスクフェイスが美月の冷や汗が浮いた首筋に埋まり、銀色の右手が頸動脈を押さえる。震えていた唇が 強張り、涙に濡れていた睫が固まり、視線が遷ろう。精一杯床を踏み締めていた足が弛緩し、両手が下がり、羽部の 左手が美月の細い腰を抱き寄せる。耐え難い苦痛と葛藤と混乱と嫉妬の嵐の中、レイガンドーは己を殴った。

「助けて、レイ」

 鼻に掛かった涙声ではあったが、美月は拒絶の意志を示した。ぎこちなく、懸命に、羽部を押し返そうとするが、 相手の重量が重すぎるので全くの無意味だった。だが、それだけで充分すぎた。
 数十回目の打撃が、ようやく外れたギアを動かした。大腿骨に当たるシャフトがねじ曲がりかねないほどのパワー を伝えて立ち上がり、大股に駆け出し、レイガンドーは羽部の頭部を鷲掴みにした。力任せに美月から引き剥がし、 遠心力を加えながら倉庫の外へと投擲する。倉庫の前のロータリーと道路を横切り、田畑の間に立っている電柱 に突き刺さった。警官ロボット型の砲弾を受けた電柱は下から三分の一ほどの位置が砕け、折れ、倒れた。

「美月」

 レイガンドーが振り返ると、美月は作業着の襟元を掻き合わせながら、唇を噛んだ。

「……うん」

 その反応を了承と判断し、レイガンドーは雨脚が強くなった雨の中に踏み出した。至るところの外装が割れている ので、染み込んでくる雨水で千切れたケーブルからヒューズが飛んだ。バッテリーの残量も乏しく、稼働時間は残り 一分を切っている。電柱の破片に囲まれながら泥の中に座り込んでいる警官ロボットに、狙いを定める。

「ああ、気分が良いな。清々しい。死んでから味わうには、ちょっと勿体ないな、これ。感情のぶつけ合いってのも、 結構いい感じの快楽だったんだなぁ。初めて知ったよ」

 途切れ途切れの電子合成音声を零しながら俯いた羽部に、レイガンドーは訝った。 

「何を白々しいことを言っているんだ」

『これで解っただろう。独占欲ってのは、こんなにも見苦しくて泥臭くて馬鹿馬鹿しくて情けなくて生臭くてどうしようも ないものだってことが。レイガンドー、君のムジンは高性能だ。充分学習出来たはずだ。君達は道具だから成長 は出来ないけど、学習することは出来る。この僕には到底及ばないだろうけどね』

 発声機能が損壊したのか、羽部は音声ではなく無線を用いて意思を伝えてきた。

「何が言いたい」

 レイガンドーが拳を緩めかけると、羽部は泥に汚れた手で顔を覆って頭を反らした。

『もう少し考えてみてごらん、世界王者。この僕に出来ないことは、君には出来る。それだけさ』

 両足を広げて重心を据え、腰を捻り、左のストレートを振り抜いた。警官ロボットの胸部装甲を貫いた拳は電柱の 残った部分に突き刺さり、根本から傾き、倒れた。その際に散った泥水の飛沫を焼け焦げたマスクフェイスに浴び、 レイガンドーはおのずと理解した。羽部鏡一は、敢えてヒールを演じていたのだと。
 その目的は、美月を守るためだ。もう二度と、羽部のような人喰いの化け物に好意を抱かないように釘を刺して おくためでもあり、レイガンドーとの絆を深めるためでもあり、レイガンドーの未熟な情緒を徹底的に鍛え上げるため でもあった。今になって羽部鏡一に対する認識を改めたが、もう手遅れだ。彼は、既に死んでいるのだから。

「レイ」

 か細い声で名を呼ばれ、振り返ると、美月が立ち尽くしていた。

「俺はコジロウと戦ってくる。俺が俺で在り続けるために、美月と生きていくために。だから、しばらくお別れだ」

 羽部の死体であり、コジロウの死体でもある、警官ロボットの残骸の前にレイガンドーは片膝を付いた。

「じゃあ、ムジンを外すって決めたんだね」

 美月が憂うと、レイガンドーは頷く。

「そうだ。岩龍も繋ぎ止めてやる。俺達は、あのスカしたパンダ野郎に振り回されっぱなしなんだ。あいつの都合で 割ったムジンを使って俺達は強くなり、こうして人格も得たが、パンダ野郎に全力で抵抗してやる。俺のマスターは、 未来永劫美月なんだ」

 コジロウに助力すれば、遺産を巡る争いの決着が付けられるかもしれないからだ。それさえ片付けば、また美月 と共に過ごせる。RECの興行も再開出来る。レイガンドーがレイガンドーで在り続けるためには不可欠なムジンが 美月の手元に戻ってこなかったとしても、レイガンドーと岩龍という疑似人格を異次元宇宙なり何なりに繋ぎ止めて おけば、羽部のように再び物質宇宙へと戻ることが出来るかもしれない。
 戦って戦って戦い抜いてやる。REC初代王者の名が伊達ではないことを、美月と手にしたチャンピオンベルトが 無駄ではないことを、美月への思いが嘘ではないことを証明するためにも。

「ごめんね。……ありがとう」

 謝罪と礼を述べてから、美月はレイガンドーの比較的ダメージが少ない部分に寄り添った。降り止まない雨から 守ってやろうと左腕を上げたが、折り悪くバッテリーが限界を迎えた。廃熱を含んだ蒸気を関節から噴出しながら、 レイガンドーは薄れゆく意識の中で美月と目を合わせた。昆虫の複眼のように無数に別れた視界で、無数の美月 が決意の滲む眼差しを注いでいた。羽部から投げ付けられた言葉と、ロボットファイター同士の試合以上に荒くれた 戦いで得た代え難い経験を反芻しながら、レイガンドーはシャットダウンした。
 目覚めた時に、美月が傍にいてくれると信じながら。





 


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