機動駐在コジロウ




毒を以てドロップを制す



 気の滅入る仕事ばかりだ。
 所轄の警察官だった頃は、青臭い功名心故にこういった難事件に関わりたいと内心で願っていた頃もあった が、現実は映画や推理小説のように格好良いものではない。靴底と神経を磨り減らすだけだ。周防国彦はコーヒーを 啜りつつ、捜査資料を読んだ。遺産に関わる争いが収束したが、それ以降周防の仕事は増える一方である。弐天 逸流がシュユから株分けされた植物を用いて産み出していた人間もどきは、社会に深く根を張っていたが、シュユと 異次元宇宙との接続が切れた際に一株残らず死に絶えた。その際に露呈したのは、遺産を用いた技術の脆弱性と 危険性だけではなかった。人間の心根の弱さと浅ましさが剥き出しにされた。
 もっとも、それは人間もどきだけに限った話ではない。フジワラ製薬がアソウギを使用して産み出していた怪人達 もまた、同様だ。新薬の被験者としてフジワラ製薬に集まった者達は、皆、陰鬱な問題を抱えていた。引きこもり、 鬱病、ネットゲーム中毒、自傷、その他諸々だ。フジワラ製薬の社員がプロパーとして出入りしていた病院の心療 内科でカウンセリングを受けていた患者も少なくはなく、あなたの病気に良く効く薬があるがまだ認可されていない、 だから被験者になってくれないか、などとフジワラ製薬の社員に言われ、誘われるがままにフジワラ製薬の研究所 に連れ込まれていたそうだ。そう証言してくれたのは、アソウギから解放されて元の姿を取り戻した人々だ。彼らは 管理者権限所有者である佐々木つばめの力により、タイスウに保存されていたアソウギから一日おきに八人ずつ 元に戻っていったのだが、全員が元通りになる前に遺産は異次元宇宙の彼方に消え去ってしまった。だが、物質 宇宙に留まっているシュユが彼らの遺伝子情報を異次元宇宙からダウンロードし、クテイが眠りに付いていた桜の 木の根を用いて、彼らに再び命を与えている。

「それでめでたしめでたし、ってのが普通なんだが」

 周防はモニターを消したタブレット端末をテーブルに置いてから、上体を反らした。

「この人達って、どうなるの?」

 死亡届が出ているんでしょ、と言いながら、一乗寺皆喪はコーヒーメーカーからポットを取った。周防が空になった マグカップを差し出すと、煮詰まり気味の濃いコーヒーを注がれた。

「それなんだよ。一応、一ヶ谷市内にN型溶解症の隔離地域って名目で民家を借り上げている居住区があるから、 そこに全員住まわせているんだが、どうにもこうにも。新しく戸籍を作るのも簡単じゃないが、いつまでも宙ぶらりん のままってわけにもいかないし、それぞれの意思もあるが、それぞれの事情の背景もある。問題だらけだ」

 周防は髪を掻き上げ、随分と伸びていることに気付いた。内閣情報調査室の職員達の三割が人間もどきになって いた影響で慢性的な人員不足に陥っているので、周防は欠けた捜査員の穴を埋めるために息つく暇もなく仕事に 追われている。そのせいで、散髪に行く余裕すらなかったのだ。

「俺がまた手伝えたらいいんだけど、そうもいかないしねー」

 一乗寺は周防の向かい側に座ると、煮詰まったコーヒーに砂糖を二杯入れてスプーンで掻き混ぜる。

「部署が部署だから、他の官庁から捜査員を引っ張ってくるわけにもいかないからな。過労死しないように努力する しかなさそうだ。後片付けが終わるまで、子供を作る暇はないな」

 周防が嘆くと、一乗寺はむくれた。

「えぇー、やだぁ」

「やだじゃない。ミナだって、学校があるだろうが」

「どうせ来年になったら、つばめちゃんと美月ちゃんは卒業しちゃうからどうってことないもん。りんねちゃんだって、 分校から卒業したら通信制の学校を受験することになっているもん。だから、俺の出番はもうじき終わるの」

「だからってな、作って産むだけで終わりじゃないだろ。産んだからには、育てなきゃならない」

「頑張るもん」

「この前まで男だった奴にそう簡単に母性が芽生えるとは思いがたいし、何より、お前だから余計に不安なんだ」

「すーちゃん、俺とヤリたくないの? それとも、他の女で抜いてきちゃったの?」

「違う、そういう意味じゃない」

「すーちゃんがそんなこと言うんだったら、もう一緒にお風呂に入ってあげなーい。寝る時に手を繋いであげなーい。 行ってらっしゃいとお帰りなさいのイチャイチャをしてあげなーい。とっておきの下着を着てあげなーい」

「最後のは余計だ」

「事実じゃんかよー。それで、明日は何時に出るの?」

 一乗寺は甘ったるいコーヒーを啜りながら目を据わらせると、周防は答えた。

「明日からは事実関係を整理するための捜査に入る。だから、日が昇る前に出掛けると思っていてくれ」

「それじゃ、一週間は帰ってこられないってことか。あー寂しい、寂しいったらないやぁ」

「俺もそうだ。だから、大人しくしていてくれ」

「で、何の捜査? 吉岡グループは自殺に見せかけた暗殺を防止するために幹部社員をほぼ全員逮捕してあるし、 新免工業は兵器売買のカドで立件してあるからどうにでもなるし、フジワラ製薬はいおりんのお母さんとその恋人の 秘書さんから証言を引っ張り出している最中だし、ハルノネットはみっちゃんの作ったネットワークとアルゴリズムを 利用して情報を一切合切洗い出している途中だし、弐天逸流は元信者の洗脳を解いている段階だし」

「羽部鏡一が関連していると思われる殺人事件だよ」

「ああ、羽部ちゃんのねぇー。でも、なんで? 今まで、羽部ちゃんの起こした事件って、ほとんど立件されもせずに スルーされていたんでしょ? それなのに、どうして今更掘り起こすの? そりゃ、時効制度はなくなったけどさ」

「羽部が殺していた人間のほとんどが、人間もどきだったからだよ。フジワラ製薬に入社してからは弐天逸流の信者 名簿を手に入れていた可能性があるから、それを元にして人間もどきを見つけ出していたんだろうが、それ以前は どうやって生身の人間と人間もどきを区別していたのかが解っていないんだ。まあ、遺産絡みの大事に比べれば、 重箱の隅もいいところだが、事実関係を洗えるだけ洗い出しておいた方が今後に役立つかもしれん。些細なこと ほど、重要な情報だったりするからな」

「気を付けてね、すーちゃん」

「羽部の関係者に聞き込みをするだけだ。だから、危ない目には遭わんさ」

「あんまり深入りすると、ヘビに噛まれちゃうよ?」

 一乗寺の尖った眼差しに、周防は頬を持ち上げた。そんなこと、今更言われるまでもない。長年内閣情報調査室 で捜査に当たってきたのだから、身に染みている。事件に深入りしすぎて、迂闊にそちら側に引き摺り込まれない ように気を張るのは基本中の基本だ。周防の知る限りでも、羽部鏡一は犯罪史に名を残しかねないほどの人数を 殺してきている。そのくせ、羽部鏡一は頭から尻尾の先まで自信に満ち溢れていた。自尊心で心身を塗り固めて、 誰も彼もを見下していた。怪人であったことを含めても、羽部鏡一は極めて特殊な事例だ。周防が共感出来る要素 など、何一つ見当たらない。だから、覗いたところで底すら見えない深淵だ。
 死んだヘビに喰らい付かれるわけがない。




 羽部鏡一。フジワラ製薬正社員、薬品開発課所属、研究員。
 享年二十六歳。都内の私立大学の生物理工学部、遺伝子工学科を卒業した後、フジワラ製薬に新卒採用され、 表向きは新薬の開発を行っているが、その実はアソウギを用いた怪人を開発している研究所に配属される。以降、 羽部はアソウギの実験台として研究所に送り込まれた被験者にアソウギを投与し、怪人を生み出す研究に携わる 傍ら、自らも実験台となってグリーンパイソンと融合し、ヘビ怪人となる。それを境にして、フジワラ製薬内での羽部 の地位は急上昇し、実質的に社長である藤原忠の直属の部下となり、吉岡グループが立ち上げた遺産奪取作戦 にも深く関わることとなる。そして、フジワラ製薬、吉岡グループ、弐天逸流を点々としたが、同じ怪人であった備前 美野里と交戦した後に、D型アミノ酸の分解酵素を浴びて溶解し、死亡。その後、彼の残留思念をインストールした ムジンの破片を搭載した警官ロボットが、REC所属のロボットファイター、レイガンドーと交戦したとの証言もある が、公文書には記録していない。出来るわけがないからだ。
 周防が知っているのは、その程度のことだ。羽部鏡一がヘビ怪人となった後の出来事は、今は然したる重要性は ない。無力な青年に過ぎなかった彼が、いかなる動機で殺人を繰り返し、何人の少女に手を掛けたのか。それが 最も重要な案件だ。早朝に集落を出た周防は、愛車のセダンを運転しつつ、一乗寺が朝食にと作り置きしてくれた おにぎりを囓っていた。男だった頃からずぼらだった彼女の料理の腕前は今一つで、おにぎりの具は真っ当なもの ではあったが、塩加減を間違えたらしく、やたらと塩辛かった。それでも、形だけはそれなりに整っていたので少しは 進歩しているらしい。料理の出来はともかく、気持ちがありがたいので、周防は米粒一つ残さずに平らげた。
 高速道路から降りて国道を走り、北陸地方の片隅にある田舎町に向かった。羽部の生家の住所は事前に調べが 付いていたので、それをカーナビに入力して案内させた。ホログラフィーモニターに表示された矢印に従って進む に連れて道は狭くなり、路地は入り組み、家々も古めかしくなってきた。家の周囲にある田畑には住民と思しき 人影がちらほらと見えたが、皆、周防の車を凝視してきた。余所者が珍しいからだろう。
 羽部の生家は、狭い集落の最も奥にあった。高い塀に囲まれており、敷地内には年季の入った土蔵があった。 だが、手入れが行き届いていないのか、仰々しい瓦屋根の端には苔が生えていて庭は荒れていた。羽部の親類 が住んでいるのかどうかも怪しく思えたが、家と隣接している車庫のシャッターは開いており、タイヤに湿り気のある 泥が付いた軽トラックが収まっていた。ということは、この家に住人がいるとみて間違いない。

「何か、御用ですか」

 不意に、背後から声を掛けられた。周防は咄嗟に脇のホルスターに手を掛け、振り返る。

「この家の方ですか」

「ええ、まあ」

 そこに立っていたのは、色褪せたシャツとジーンズを着た、二十代後半の女性だった。色気もなければ飾り気も なく、どんよりとした目で周防を捉えていた。周防はホルスターから手を外し、内ポケットから警察手帳を出した。

「羽部鏡一さんのことで、少しお話を聞かせて頂けませんか」

「どのことですか」

「どのようなことでも構いません」

「あの人、死んだらしいですね。政府の人が、うちにそれを伝えに来ましたから」

「ええ、お気の毒ですが」

「いいことじゃないですか」

 笑いもせずに呟いた女性は、どうぞ、と周防を促してきた。周防は女性を注視してくる他の住民達を気にしながら、 導かれるままに家に上がった。荒れた外見とは裏腹に家の中は小綺麗だったが、障子が閉め切られているので 薄暗かった。細長い廊下を歩くと板が軽く軋み、女性の背では一括りにされた髪が尻尾のように揺れた。
 居間に通された周防に、女性が緑茶を淹れてくれた。彼女しか住んでいないらしく、裏庭に干してある洗濯物は 一人分しかなかった。女性は砂井久実と名乗った。周防も名乗り返してから、居間と連なっている仏間を見やった。 床の間と隣り合っている仏壇には黒塗りの位牌が四つ、並んでいた。擦り切れた生活感が漂っている居間の片隅 には、最新型のパソコンと共に大型の電子機器が据え付けられていた。日本製ではないらしく、電子機器には英語 のロゴが付いていた。それには、見覚えがあるような気がした。

「失礼ですが、砂井さんは羽部さんとはどういった御関係で」

 周防が問うと、久実は両手で湯飲みを包み、薄緑色の水面に目を落とした。

「たぶん、兄妹です」

「では、血の繋がりがないんですか」

「んー……半分、いや、もうちょっと少ないかなぁ。うち、ちょっとややこしいんです。私はあの人よりも一つ年上では あるんですけど、あの人を産んだのは私の母親じゃなくて、祖父の愛人なんですよ。でも、その愛人さんがあの人 を産んですぐに死んじゃったものだから、うちに引き取られて、兄妹として育てられたんです。昼ドラみたいだけど、 現実となると嫌なものですよ。私も、私の両親も、あの人をどう扱っていいのかが解らなかったし。祖父はあの人を それなりに大事にしていたけど、祖父が亡くなってからは持て余されるようになって。羽部っていうのは、祖父の名字 です。私の名字は父親のです。だから、違うんです」

 久実は眠たげな表情のまま、淡々と語る。

「でも、別に虐待とか、そういうのはなかったんですよ。私も、私の両親も、そこまで冷血じゃなかったから。だけど、 あの人は生まれつき他人との付き合い方が下手くそだったみたいで、優しくすればするほど噛み付いてくるんです。 あ、物理的にじゃなくて、精神的に。プライドの固まりで、ちっとも融通が利かなくて。自分がこうしたいと思ったことを 貫き通すためなら、どんなことでもしていました。誰よりも勉強して、色んな本を読んで、この集落の誰も行ったことが ないレベルの高い高校に進んだんです。でも、その頃からだなぁ……」

 久実は両手の間で湯飲みを転がし、水面を波打たせた。

「あの人、子供の頃からちょっと変だったのは確かなんですよ。解剖が好きっていうか、生き物を壊すのが趣味って いうか、まあ、そんな感じです。子供が生き物を残酷に扱うのは、まあ、普通のことではあるし、私もちょっとだけは 身に覚えがありますよ。でも、あの人の場合、バラした後にじっくり中を眺めるんです。それをスケッチしてみたり、 内臓を取り出してみたり、まあ、色々とやっていました。他に遊び相手がいなかったから、そうやって一人遊びをする しかなかったのも確かではありますけどね。私だって、遊び相手ぐらい選びますから」

 久実の語り口はぼんやりとしていたが、言葉の端々に羽部への嫌悪感が滲んでいた。

「あの人、高校に通うようになってから、ちょっとだけ活発になったんです。本当にちょっとだけ。その原因は、高校 で女の子と仲良くなったからなんです。でも、それはあの人を馬鹿にするために仕組まれたことだって私はその高校 に通っている友達から聞いていたので、なんだかなぁって思いながら遠巻きに見ていたんです。で、しばらくしたら、 馬鹿にされていることに気付いたみたいで。その女の子にも、かなりひどいことを言われたみたいで。それからどう なるのかなぁって思っていたら、なんか、その女の子の妹が行方不明になっちゃって」

「誘拐されたんですか」

「たぶん、違います。その場で殺したんじゃないかなぁ。で、色々といじくり回してから、その辺に埋めたんじゃないか って。まあ、証拠なんてないですけど。十年も前の話だし、死体も見つかっていないし」

「砂井さんは、どうしてそうお思いになるんですか」

「だって、あの人、よく喋るようになったから。虫とかトカゲを殺して遊んだ後、ちょっとだけお喋りになっていたから、 たぶんそれと同じことかなぁって。まあ、その内容はとんでもないので、あんまり聞きませんでしたけどね。まともに 聞いちゃうと、こっちの頭がおかしくなりそうなことばっかり喋っていたから」

「羽部さんは……なんというか、突飛な性格でしたからね」

 羽部の特異性は、周防も身を持って知っている。周防が苦笑すると、久実は訝ってきた。

「刑事さん、あの人のことを調べてどうするんですか? 立件するんですか?」

「N型溶解症の感染が拡大してしまったことにはフジワラ製薬も深く関係しているので、事実関係を整理するための 情報が必要なんです。羽部さんは、特に重要な部署で働いておられましたから」

「そうですか。じゃ、裏山でも掘り返してみればいいですよ。きっと、殺された女の子の骨が出てきますよ。あの人 のことを知るには、それが一番確実ですからね」

「それは事実なんですか?」

「それはさっき言いましたよ。証拠もなければ死体もないって。でも、間違いなくありますよ、骨が」

「どうして通報しなかったんですか?」

「だって、私まで殺されちゃうから。それは嫌だから。祖父も両親も死んじゃったから、私がこの家とか土地を相続 することになったんですけど、あの人が頻繁に出入りしていた裏山もその中に入っているんです。殺されることは 嫌だけど、なんか、あの人のことを気にしているだけでも嫌だから、関わりたくないから」

「だから、何も言わずに黙っていたと?」

「だって、あの人、東京の大学に進学したから。もう二度と帰ってこないって解っていたから、余計に。目を合わせる のも嫌、同じ空間にいるのも嫌、同じ時間を過ごすのも嫌、同じ血が流れているって思うだけでも嫌、あの人の手で 触ったものも嫌、あの人に殺された子に関わるのなんてもっともっともっと嫌」

 嫌、嫌、嫌。そう繰り返す久実は、薄ら笑いを浮かべていた。羽部と二度と関わらずに済む、解放感からだろう。 そこまで嫌われれば、羽部でなくても歪む。周防は寒気を覚えながらも、久実から必要な情報を得ると、早々に 家から出た。エンジンが冷え切ったセダンに乗り込み、暖機していると、バックミラーに玄関先に出てきた久実の 姿が映った。彼女もまた自尊心の塊だ。だから、羽部を徹底的に見下して自尊心を保っているのだ。だが、久実 はそれに気付いていないのか、それとも気付いていないふりをしているのか。
 どちらにせよ、羽部鏡一との血の繋がりを感じずにはいられない。周防はハンドルを回してアクセルを踏み、車を 発進させた。集落を出るために細い道を通っていくと、住民達がこちらを窺ってきた。異物を拒絶する目で、周防と その車を睨め回している。バックミラーに目をやると、久実が生気のない顔を向けていた。羽部のそれと似通って いる吊り上がり気味の目を限界まで見開き、薄い唇を弓形に曲げて八重歯を覗かせていた。
 爬虫類が威嚇する様に、よく似ていた。






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