機動駐在コジロウ




毒を以てドロップを制す



 膨大な画像と文書ファイルを眺めていくうちに、解ったことがある。
 羽部鏡一が自身の歪んだ性癖を自覚する決定打となった出来事である。それは、姉である砂井久実が交通事故 で肉体に重大な損傷を受けたことだ。腹部を強打して内臓がほとんど破裂してしまったが、幸いなことに頭部は傷 が少なく、脳も無事だった。そして処置を受け、フルサイボーグと化した。その際に羽部は、久実の首から下の肉体 を目の当たりにしていた。肉体を荼毘に付して処分するか否か、を家族に決めさせるために行われる措置で、普通 であれば損傷の激しい部分は露わにせず、比較的傷の少ない手足などを部分的に見せるだけだ。
 だが、羽部は砂井久実の魂を失った肉体を全て見た。棺桶に入れられて荼毘に付される前に、一度、実家まで 運ばれた際に蓋を開けて観察した。子供の頃に虫やトカゲを掴まえては解体して遊んでいた頃と変わらず、単純な 好奇心だったのかもしれない。デジタルカメラで撮影された写真の数々は、ピントもひどくずれていて、アングルも 平坦なものばかりだったからだ。その出来事を境に、水面下に潜んでいた羽部の猟奇性が完全に開花した。
 最初に殺した、高校の同級生の妹である小学生女子の写真は特に数が多かった。その頃は殺し方も不器用で、 手順も悪かった。口を塞いで手足を縛り、なるべく血を流さないように窒息死させてから、幼い肉体を舐め回すよう に観察してから解体していった。太股の肉を削ぎ落として細切れにしたものも撮影されていたので、恐らく、少女の 肉片を口にしたのだろう。食人を好む性癖は、アソウギによる怪人化とは関係なしに持っていたようだ。
 それから、羽部は次々に少女達を捕らえては手に掛けていく。息絶えた少女達を存分に蹂躙した後、その血肉を 切り刻んで食する量も増えていき、砕いた骨から零れた髄液を啜ったであろう後の写真もあった。そのうちに、羽部 は本能的に気付いたらしい。常人とは違う味がする、人間もどきが存在している事実を。

「……くそぉ」

 ひどく咳き込んでから、周防はトイレのレバーを曲げた。電気は止まっても、水道料金は自動引き落としになって いたらしく、トイレは上下水道が通じていて水が流れてくれた。それがありがたくもあり、恨めしくもあった。胃液の味 がする口中を濯いでから胃液混じりの水を吐き捨て、再度レバーを曲げて水を流してから、周防は再びパソコンに 向かった。本当は逃げ出したくてたまらないが、そんなことでは捜査が滞る。仕事が終わらなくなる。
 それから、羽部は解体した少女達を食しつつ、人間もどきと常人を区別する方法を独学で見つけた。人間もどきは シュユの分身と言えるゴウガシャを用いて生み出されているため、人間とは生体構造が全く違う。一見しただけで はその違いは解らないし、だからこそ、今の今まで人間もどきは社会に紛れていた。だが、人間ではない生き物は 区別が付いていたらしく、羽部の飼っていたグリーンパイソンは人間もどきの匂いにひどく反応した。羽部はそれ を知ると、グリーンパイソンをカバンの中に入れて片時も離さずに街中を出歩き、グリーンパイソンの鋭い嗅覚に 反応した人間を追い掛けては居場所を突き止めるようになった。表計算ソフトを使い、人間もどきと思しき人物の 名前と住所をリストアップしたファイルをいくつも作っていた。そのファイルの中身と政府が入手した弐天逸流の信者 名簿と照会してみると、八割以上が一致していた。羽部の読みは正確だったのだ。
 弐天逸流の信者達は、ゴウガシャの能力を使って人間もどきとして蘇らせた家族や友人や恋人の存在を世間に 知られたくないという負い目があった。弐天逸流の洗脳が弱いと尚更で、取り戻したはずの幸福の不自然さに臆し、 破滅に怯えながら暮らしていた。羽部はそこに付け入り、少女や若い女性ばかりを狙って手に掛け、捕食した。

「羽部……。なんて奴だよ、お前は」

 周防は嫌な汗が滲んだ手をスラックスで拭ってから、また別のフォルダを開いた。今度は、フジワラ製薬の研究所 でアソウギを用いた改造手術を受け、怪人になっていく過程の写真とレポートが現れた。被験者は次々にアソウギ に対する拒絶反応を起こして倒れ、発狂し、溶解していったが、羽部だけは最後まで自我を保ち続けていた。怪人 と化すための材料として選んだ、ペットのグリーンパイソンも最後の最後まで可愛がっていたらしく、緑色の細長い 体を羽部の腕に巻き付けている写真も残っている。だが、その次の写真では、グリーンパイソンはアソウギの海に 浸されて溶けていた。更にその次の写真には、ヘビ怪人と化した羽部自身の姿が収まっていた。
 フジワラ製薬は、完成された怪人である羽部を重宝していた。羽部と伊織以外の怪人達は、湯水のように高価な 生体安定剤を投与しないと形すらも保てないほど不安定だからだ。だから、フジワラ製薬の社長である藤原忠は、 羽部を繋ぎ止めておくためにどんなこともした。被験者という名目で掻き集めた少女達を羽部に差し出し、研究との 口実で蹂躙させ、解体させていた。その結果、アソウギに関する研究が著しく進んだこともまた事実ではある。
 藤原忠と密接に関わるようになった羽部は、次第に藤原伊織に対して敵対心にも等しい感情を抱くようになった ようである。完璧な怪人、地球上の生物からは逸脱した生物である伊織に危険な実験を持ち掛け、怪人にすらも 至らなかった化け物を殺して喰えと命じたり、生体安定剤に毒性の強い薬品を混ぜてみたりと、これでもかと虐げて いた。藤原忠はそれを咎めもしなかった。伊織は羽部の悪意を耐えきった。汚泥と毒物と塵芥を煮詰めていくかの ように、アソウギを軸とした狂気が濃く、強く、深くなっていった。
 それと並行して、羽部は自身の親族について調べ回っていたらしい。戸籍謄本をスキャンした画像が複数あり、 公文書には羽部は砂井家の養子であると印されていた。祖父の愛人が産んだ子だ、と砂井久実は言っていたが、 祖父は羽部を息子だとは認知していなかった。ならば、羽部は誰との間に産まれた子供なのだ。周防でさえも不安 になったのだから、当の本人である羽部は尚更だった。探偵や興信所に頼んで更に深く調べてもらった結果、羽部 はおぞましい事実に直面した。羽部の父親は戸籍上の祖父ではあることには変わりなかったが、産婦人科で羽部 鏡一を出産したのは、祖父の実の娘である砂井久実の母親だった。つまり、久実と羽部はれっきとした男女の双子 であったが、兄妹としては育てられなかった。そればかりか、愛人の子として扱われて、産まれながらに差別されて 生きてきた。その理由は、祖母の面影を残す娘と孫に祖父が偏愛を抱いていたからだった。砂井家の誰とも関係の ない羽部という名字は、祖父の知人の名字だったようだ。羽部は産まれて間もない頃に羽部家の養子となったが、 再び祖父の手元に戻され、理不尽極まりない環境で育てられたのだ。
 羽部が女性に対して恐怖を含んだ執着心を抱いた理由が、少しずつ見えてくる。彼は母親を求めていた。父親も 求めていた。家族そのものを求めていた。けれど、羽部はそれを得られないこともまた自覚していた。血族だけで 完結している閉じた一族である砂井家から逸脱しきれないことも承知していた。誰も愛せないことも、愛されない ことも、愛という感覚自体が理解出来ないことも。故に、これまで以上に死体愛好にのめり込んでいった。

「そのくせ、女々しい初恋なんかしやがって」

 一通りフォルダを開けて目を通した後、周防はデータをダウンロードし終えたメールを開き、添付されていた画像 を見て毒突いた。小倉美月の写真ばかりだったからだ。どうやって隠し撮りをしたのかは定かではないが、羽部は 事ある事に美月の写真を撮ってはパソコンに転送していたらしい。いずれ帰宅してから整理するつもりだったのか、 ピントがずれていてもお構いなしだった。美月の笑顔、美月の寝顔、美月の横顔、美月の後ろ姿、美月美月美月、 小倉美月の洪水だった。こんなものをレイガンドーが目にしたら、さぞや怒り狂うだろう。
 スライドショーのように美月の写真を閲覧していくと、次第にカメラアングルが変わってくる。舐め回すような視線で 撮影していたものが、次第に距離を置くようになり、美月の部位だけではなく全身も収めるようになった。ぎこちない 好意が端々から滲み出ていた。携帯電話を手放す直前に撮影された写真には、アイドルじみた衣装を着た美月が つばめと御鈴様と談笑している後ろ姿が映っていた。美月に近付きたくとも近付けない羽部の心中のもどかしさが、 手に取るように伝わってきた。その写真を最後に、羽部の痕跡は途絶えていた。
 大量のデータを圧縮してメモリースティックにダウンロードさせると、それを抜き、内ポケットに入れる。周防は心中 の苦味に苛まれ、奥歯を噛み締める。一生理解出来るはずもなければ、理解したいとも思っていない相手なのに、 羽部の苦悩が理解出来てしまう。ほんの少しだけまともな側面があっただけなのに、針で小さな穴を穿たれた だけなのに、羽部の禍々しさまでもが飲み込めてしまいそうになる。それが、どうしようもなく怖い。
 一旦、内閣情報調査室本部に戻り、画像の山を捜査資料として提出しなければ。部屋から出た周防は、道路に 面した通路に立つと、タバコを銜えて火を灯した。狂気が圧縮された空間から解放された直後だからだろう、都会の 喧噪がとても優しく感じた。現場保存のために靴に被せていたビニールカバーを外し、丸めながら、周防は偏頭痛 をに苛まれていた。自分自身が倒錯していることを自覚した瞬間から芽生える愛があるのだと、周防は身を持って 知っているからである。一乗寺昇、もとい、一乗寺皆喪に惹かれるようになった原因が異常だったからだ。
 無邪気な連続殺人鬼。悪意のない殺意。好意の果ての殺戮衝動。それらを抱えて生きていた少女、もとい、少年 が政府の手によって暗殺者に仕立て上げられていく経緯を資料で見た時、背筋がざわめいた。一乗寺の中性的な 外見と殺人鬼らしからぬ明るい笑顔が、どうしようもなく周防の興味を惹き付けた。磨き上げられた刃物を美しいと 感じるような、機能美を追求されたデザインの拳銃に色気を覚えるような、そんな感覚に陥った。それが何から何まで 歪みきった恋だと自覚するまでには時間が掛かったが、自覚してからは雪崩れ落ちる一方だった。
 羽部は美月を捕食したいと願いながらも、愛するが故に喰えなかった。周防は愛して止まない一乗寺を守ってやり たいと願いながらも、乱暴に扱わずにはいられなかった。だから、解ってしまう。周防の背後で巨大なヘビが鎌首を もたげ、牙を剥いているような気がしてならない。その正体は、言わずもがなだ。
 これ以上深入りしては、頭から飲まれてしまう。




 内閣情報調査室本部で報告と資料の提出を終えた後、周防は帰路を辿った。
 一ヶ谷市内に設置されている検問を通り抜けるのがいつになく億劫で、一刻も早く帰りたくてたまらなかった。集落 に到着し、一乗寺と同居している合掌造りの古い家に戻ってくると、玄関に明かりが付いていた。ガレージに愛車を 入れていると、廊下を小走りに駆ける軽い足音が近付いてきた。愛して止まない女の気配だけで、周防は場違いな 疼きを覚えてしまい、猛烈な自己嫌悪に陥った。ガレージのシャッターを閉めてから玄関の引き戸を開けると、そこ にはエプロン姿で満面の笑みを浮かべている一乗寺皆喪が待っていた。

「おっかえりなさぁーい!」

 主人を出迎える小動物のように飛び付いてきた一乗寺を受け止め、周防はその体を抱き締めた。

「ただいま」

「すーちゃん、あのね、今日はね」

 夕食の内容について自慢げに話し出した一乗寺を、周防は強引に黙らせた。唇を塞いで体を引き寄せ、その体温と 柔らかさを貪った。息苦しげに一乗寺は藻掻くが、それを力ずくで押さえ込む。そうすることで、少しでも羽部の残滓 から浴びた毒気を洗い流したかったからだ。周防が体を離すと、赤面した一乗寺は濡れた唇を押さえた。

「だぁから、言ったでしょー……」

「すまん」

 周防が平謝りすると、一乗寺は呆れ気味に咎める。

「羽部ちゃんはね、俺達とどこか似ているんだよ。だから、アソウギにも馴染んだ。すーちゃんだってそうだよ。俺に 惚れちゃうぐらいだもん、心の底がぐにゃって曲がっているんだよ。それがぴったり填ったから、俺はすーちゃんに 惚れたし、すーちゃんも俺に惚れたの。羽部ちゃんだって同じだよ。だから、心配だったんだぁ」

「すまん」

「で、何か解ったの?」

 一乗寺はころりと態度を戻し、いつも通りに甘えてきた。周防は彼女により掛かり、重たい口調で返す。

「解りたくないことばっかりが解ったよ。おかげで疲れちまった」

「大丈夫。すーちゃんは羽部ちゃんとは違うから」

 一乗寺に頭を軽く叩かれ、周防は少し緊張が緩んで半笑いになった。

「だといいがね。それで、夕飯は何なんだ?」

「んーとね、肉にはうんざりしていそうだなーって思って、焼き魚と根菜の煮物にしてみたんだけど」

「ああ、そりゃ最高だ」

「じゃ、着替えてきてね! スーツのままだとアレだし! きゃっふー!」

 一乗寺は子供っぽく歓声を上げると、浮かれた足取りで明かりの付いている台所へと駆けていった。その足音が 遠ざかっていってから、周防は腰を上げた。二人で寝起きしている部屋に行き、スーツを脱いで部屋着に着替えて から台所に行くと、一乗寺は忙しなく準備をしていた。一乗寺が二人暮らしには大きすぎる冷蔵庫を開ける瞬間、 周防はぎくりとしたが、その中身がごく普通の食料品だと知って安堵した。
 羽部の部屋の冷蔵庫には、人間もどきと常人を綺麗に解体して部位ごとに分けてある肉が、臓器が、骨が、眼球 が、冷凍または冷蔵保存されていたからだ。それ以外のものは、フジワラ製薬が製造していたD型アミノ酸を含んだ スポーツドリンクと、赤いカプセルである生体安定剤しか入っていなかった。改めて、羽部は常人ではなかったのだ という事実を叩き付けられた。そして、ベランダの片隅には鉢植えがあり、そこには華奢な女性の手首が腐葉土に 植えられていた。爪にパールピンクのマニキュアを塗っていた女性の手首の切断面からは細い根が生えていて、 乾燥して裂けた皮膚の間からは葉が伸びていたが、長期間水を与えられなかったために萎れていた。頭部らしき ものが埋まっているプランターも視界の隅に見えたが、正視出来なかった。
 羽部の部屋で散々味わわされた毒気が周防の心身から抜けるまでは、もうしばらく時間が掛かりそうだ。夕食に 並んだ料理は、焼き魚は少々焼けすぎていて、レンコンとニンジンの煮物は火が通りきっていないらしく、歯応えが 硬かったが、どちらも味は真っ当だった。だから、経験を積めば改善されていくだろう。
 夕食を終えて風呂にも入ると、気持ちが切り替わってきた。風呂から上がった周防が居間に戻ると、パジャマに 着替えてタオルを被ったままの一乗寺が、テレビの前で膝を抱えていた。周防は彼女の隣に腰掛けると、肩に 腕を回してやった。それだけで嬉しいのか、一乗寺はにこにこしながら寄り掛かってきた。

「んー、なあに? さっきの続きでもしちゃう?」

「そりゃまた後でだ」

「なんだ、結局するの。ふふ、すーちゃんも好きだね」

 でもそこが好き、と一乗寺は笑いながら、周防が肩に添えた手に自分の手を重ねてきた。

「すーちゃん。俺、すーちゃんが好きになってくれるから色んなことが好きになれるんだよ。羽部ちゃんもさ、そんな 感じだったんだよ。ミッキーが羽部ちゃんのことをちょっと好きになってくれたから、羽部ちゃんも普通の好きっての が理解出来るようになったんだ。俺達みたいなのはさ、普通ってのが理解出来ないわけじゃないんだ。理解出来る ようになるために必要な経緯や、学習や、経験がないからだよ。経験しないと解らないことなんていくらでもあるし、 感情の機微なんて特にそうだよ。りんねちゃんとかいおりんと接していると、余計にそう思う。皆、産まれてきた時は 空っぽなんだよ。その穴に何を詰めていくかで、どうなるかが決まるんだよ。そういうのって、体が人間だろうが人間 じゃなかろうが関係ないんだ。だから……羽部ちゃんは、最初からその穴がヘビの形をしていたんだよ」

 一乗寺は周防の胸に頭を預けながら、上目に見上げてきた。

「だからさ、すーちゃん。あんまり羽部ちゃんに入れ込まない方がいい。今度こそ喰われちゃうよ」

「言われなくても、そうするつもりだ」

「今度、一緒にどこかに出掛けようよ。休暇取ってきてよ。これだけ働いたんだもん、お休みをもらったって文句は 言われないはずだよ。二人で色んなことをして、色んな場所に行って、色んなもので埋めていこうよ。そうすれば、俺 とすーちゃんの心の根っこのぐにゃってしているのが、ちょっとはマシになるかもしれないし」

「手始めに旅行にでも行こう。上の連中を脅してでも、休暇をもぎ取ってきてやる」

「うん、それがいい! 温泉宿とか行きたい! だったら、どこに行くかを決めないとね!」

 わーいわあーい、と一乗寺は子供っぽくはしゃいだ。周防は彼女が被っているタオルを押さえて、濡れ髪を乱して やった。全身で好意を振りまいてくる一乗寺を受け止めてやりながら、周防は釣られて笑っていた。どこに行こう かと喋り続ける一乗寺に相槌を打っているだけでも、心中が解れてくる。穏やかな世界に引き戻される。
 理解出来ないものが恐怖の対象となり、恐怖を乗り越えようとせんがために危害を加えるようになることは、どの 世界に置いても珍しいことではない。羽部に限った話ではなく、誰しもが持っている感情だ。だが、その恐怖の対象 と通じ合えるようになったら、計り知れないカルチャーショックを受けるだろう。それをやり過ごせるか否かは、当人の 問題だ。周防はそれを受け止め、嚥下した。だが、羽部はそうせずに堕ちていった。
 ただ、それだけの違いだ。






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