機動駐在コジロウ




シュールに説法



 ふと思い立って、自室の整理を始めた。
 浄法寺の住居部分の二階の一室は、かつては寺坂の部屋として割り当てられていたが、今となっては本が山積み になっていて本の倉庫と化している。部屋の四方に本棚を据えてあるが、いずれの棚も隙間なく本が詰まっている ので、これ以上入れる余地がないのだ。かといって、本棚を増やせば床が抜けてしまいかねないので、現在は 本を増やしたら、この部屋の真下の部屋に運ぶようにしている。そうしておけば、万が一床が抜けてしまったとしても 被害は最小限で済むだろう、という希望的観測によるものである。
 父親の蔵書が大半だが、寺坂が買い込んだ本も増えたために、こんな量になってしまった。学のなさを補うためには 読書が一番手っ取り早い、と判断したからだ。だが、父親の蔵書も、寺坂が買い込んだ本も、全部読めた試しは ない。一時期浄法寺に住み着いていた伊織は、退屈凌ぎに読破してしまったようだが。

「えーと、押し入れはーっと」

 最後に増やした本棚をふすまの前に据えてしまったので、押し入れが開閉出来なくなっている。寺坂は押し入れが 隠れている壁に向き直ると、本棚の中身を出し始めた。現在の寺坂のボディは土木作業用や戦闘用ではないので、 中身がみっちりと詰まった本棚を動かしてはオーバーヒートしてしまう。或いは、関節が壊れてしまう。そうなれば、また 無駄な出費になってしまうので、生身の頃以上に慎重になっていた。
 触手があれば一気に出せたんだろうなー、と考えつつ、寺坂は本棚から本を抜いては床に積み重ねていき、全ての 段を空にした。だが、今度は本棚を動かすスペースがなくなってしまったので、本の山を廊下に移動した。それを 終えて本棚を動かせるほどの空間を確保してから本棚を持ち上げると、積年の埃が降り注いできた。生身であれば 盛大に咳き込んでいただろうが、今は気管支もなければデリケートな粘膜もないので、吸い込んだ埃がフィルターに吸着 されるだけで済んだ。そして、ようやく押し入れのふすまが現れた。

「いよ、っと」

 寺坂は力を込め、ふすまを開けた。滑りの悪くなった敷居の上を強引に滑らせると、十数年分の湿気が溜まった空気 が重たく流れ出してきた。皮膚感覚はないので湿気の具合までは感知出来なかったが、吸排気フィルターのセンサーが カビの粒子を検出したと騒いでいるので、この分だと中身はひどく黴びているのだろう。
 最初に出てきたのは、高校時代の私物だった。袖を通した記憶がほとんどない制服は、クリーニングのカバーが 掛けられたままだった。学校指定のネクタイとカッターシャツも同様で、スラックスに至っては硬いプリーツがほとんど 取れていない。制服の下には学校指定の通学カバンと、買ったはいいがただの一度も使った覚えのない教科書が 残っていた。寺坂はそれらを引き摺り出してから、通学カバンをひっくり返した。

「おーおー、ガラクタばっかりだ」

 湿気たタバコにガスの抜けきったライター、十数年前の漫画雑誌、携帯電話、小銭、同級生から巻き上げたものと 思しき携帯ゲーム機、その他、下らないものばかりだった。寺坂は通学カバンの底で折れ曲がっていた生徒手帳を 広げてみると、湿気を吸った紙が貼り付いていて、べりべりと音を立てながら剥がれた。
 生徒手帳の間から出てきたのは、盗んだバイクに跨って中指を立てている少年の写真だった。警察に補導される のは、この写真を撮った二日後だったと記憶している。それまでも何度か補導されていたのだが、その時はバイクの 窃盗だけではなく、バイクを盗む際に持ち主に傷を負わせてしまったので、とうとう逮捕されてしまった。バイクは 大事に扱っていたのでほぼ無傷だったことと、持ち主が厳罰を下さないでくれと言ったらしく、寺坂は刑罰がかなり 軽く済んだ。おかげで呆気なく自由の身となったが、それが尚更寺坂を増長させてしまい、それからも寺坂は子供の 頭で思い付く限りの犯罪を繰り返していた。違法薬物の売買と強盗と強姦だけはやらなかった。というより、田舎 故に物理的に出来なかったのである。その手の怪しげな薬を売る人間なんて一ヶ谷市周辺に出入りしていないし、 強盗しようにも店が少なすぎたし、強姦しようにも若い女性の絶対数が少なすぎたからだ。それが良かったのか、 悪かったのか、未だに判断を付けかねる。
 寺坂の蛮行に溜まりかねた父親によって仏門に叩き込まれたのは、再び窃盗と傷害で逮捕された後だった。少年 刑務所から出てくると、父親の運転する車に押し込められ、山奥の寺院まで運搬されたのだ。何がなんだか解らない うちに剃髪され、私物を取り上げられ、作務衣を着せられ、修行させられた。だが、それでも寺坂善太郎の根性だけは 修正出来なかった。即物的で暴力的で貪欲で、理性のない獣そのものだったからだ。

「あー、くそぉ」

 高校時代の私物を投げ打ってから、寺坂は更に押し入れを掘り返した。続いて出てきたのは、中学時代の名残 だった。袖と襟元が擦り切れるほど着込んだ学ランは、上下とも関節の部分がてかっていた。ネームの刺繍が胸元 に入ったジャージも同様で、洗濯しすぎたせいで色褪せている。だが、通学カバンの中に残っていた教科書とノート は綺麗なもので、授業に出ていたかどうかも怪しいほどだった。
 一度も開いたことのない卒業アルバムも出てきたので、それを広げてみた。まだ幼い顔付きの、地味な制服姿の 少年少女達が整列して記念写真に収まっている。寺坂もその中に紛れていたが、その当時から突っ張っていたので 一人だけ制服を着崩していて、髪も妙な色に染めていた。他人を威嚇したくてたまらないのか、カメラのレンズを 全力で睨み付けている。十五歳のくせに、何を粋がっているのだ。そう思うと、我ながら笑えてくる。
 この頃は寺坂もまだ少しはまともだった。突っ張りすぎていてクラスメイトとの折り合いは悪かったが、斜に構えて いるのが格好良いと思っている数人の男子が連んでくれたので、寂しくはなかった。成績はひどいものだったが、 運動はそれなりに出来たので、クラスの中での身の置き場を作れていた。扱いづらいが悪いやつじゃない、という 位置付けに収まり、寺坂なりに上手く立ち回っていた。その、はずだったのだが。
 転機が訪れたのは修学旅行だった。同系統の男子と同じグループになり、道中でぎゃあぎゃあと騒ぐたびに担任 の教師やクラス委員に咎められたが、旅行という非日常の空気で上がったテンションは落ち着かず、寺坂と男子達 は一向に大人しくならなかった。それでも、越えてはいけないラインは弁えていたつもりだったが、同じグループの 男子生徒が宿泊先の旅館から姿を消した。当然ながら大騒ぎになり、同じグループだったので、寺坂も男子生徒の 行方を捜したのだが、なかなか見つからなかった。それから数時間後に男子生徒は帰ってきたのだが、同じ旅館に 泊まっている別の中学校の教師に腕を引っ張られていた。何事かと担任教師が問い質すと、別の中学校の生徒の 荷物から携帯ゲーム機を奪おうとしていたところを見つけ、掴まえたのだと、相手の教師は報告した。それは本当 なのかと担任教師が男子生徒に問い質すと、寺坂の名を挙げ、盗んでこいと命令された、と言った。
 寺坂がそんなことを男子生徒に命じる理由もなければ、そんなことを言った覚えもなかったが、誰一人として弁解 する機会も釈明する余地も与えてくれなかった。そうこうしているうちに、寺坂は修学旅行のグループから隔離されて 常に教師に監視されながら、楽しくもなんともない四日間を過ごした。
 それ以降、寺坂の中学生活は暗転した。仲良くしていた男子達は寺坂を爪弾きにするようになり、窃盗犯である 男子生徒はやたらと同情されるようになり、学年問わず女子生徒は逃げ出していった。そこで、なんとかして事実を 信じてもらえるように尽力すれば事態は変わったのだろうが、寺坂はそうは思わなかった。何もしていないのに悪事 をしたことにされるのであれば、いっそのこと突き抜けてしまおう、と。
 そして、寺坂は堕ち始めた。手始めに寺坂にありもしない罪を被せた男子生徒を追い詰め、教師や他の生徒から 目の届かない場所で散々虐げた。なんであんなことをしたんだ、と問い詰めると、男子生徒は地べたに蹲ってか細く 泣きながら、本当はゲーム機なんて盗む気なんてなかった、女子の下着を取りに行ったんだ、ととんでもないことを 白状した。更に、本懐を達していたことも。泥と砂に汚れた頬を引きつらせ、笑顔とも言い難い奇妙な表情を浮かべる 男子生徒が気色悪くなって、寺坂はその場から逃げ出した。彼が転校していったのは、その数日後だった。
 寺坂を陥れた男子生徒の名前は、思い出せそうで思い出せない。寺坂自身が、彼の存在そのものを思い出したく ないからだろう。その一方で、男子生徒の言動に影響されて寺坂の根幹がねじ曲がってしまった。堪え性がないの は幼い頃から変わらなかったが、欲望に忠実になっていいんだ、自分が気持ち良ければなんだっていいんだ、という 最悪の開き直り方を覚えてしまった。その結果、寺坂は欲しいものを求め続け、泥沼に沈んでいった。

「あー、くっそー……」

 血液に変わる人工体液の循環速度は一定なので脳の内圧は変わらないはずなのに、頭痛を覚え、寺坂は本の 群れの中に倒れ込んだ。寺坂の背中に薙ぎ払われた本が散らばり、ページが歪んだ。押し入れの奥を見やると、 小学校時代の私物も隠れていた。バラバラに分解された学習机や使い古されたランドセル、無条件に両親を慕って いた頃に描いた図画工作の絵や、幼少期のアルバムもぐちゃぐちゃに押し込められていた。
 思い出せば思い出すほど、自分が嫌になる。過去には、踏み止まるべき場所が何度もあった。その時、即物的な 欲望に流されなければ、我に返っていれば、それなりにまともな世界に引き返せた。だが、まともになることがひどく 格好悪く思えてしまい、結局は悪い方へと流れていった。その結果が、これだ。

「だから、何も残しちゃいけねぇんだよ」

 壁掛け時計が秒を刻む、規則正しい音を聴覚センサーで感じ取りながら、寺坂は板張りの天井を仰いだ。自分が 生き続けたとしても、何の利益にもならないことは寺坂自身が充分理解している。今でこそ、弐天逸流の後片付け とシュユとの交流係として重宝されているが、それは寺坂でなくとも出来ることだ。
 それに、残したら残した分だけ彼女が苦しんでしまう。寺坂は上体を起こし、埃まみれのトレーナーを払ってから、 子供の頃の残滓を掻き集めた。何度も庭と部屋を往復して、制服や教科書や卒業アルバムといったものを庭先に 積み重ね、学習机の部品も一つ残らず運び出した。山積みになった過去の遺物に、寺坂はおもむろにガソリンを たっぷりと掛けた。近付きすぎては人工外皮まで焼けてしまうので、離れた位置に立ってマッチを擦り、過去の遺物の 山に放り投げた。マッチが触れた瞬間に炎が走り、黒煙が噴き上がった。
 燃え尽きるまでに、それほど時間は掛からなかった。




 灰の山に水を掛けていると、道子が帰ってきた。
 寺坂は、煙の代わりに水蒸気が出る電子タバコを銜えて口寂しさを誤魔化しながら、ホースのノズルを操作して 水を止めた。浄法寺のある集落に腰を据えて暮らすようになってから、道子の趣味は少しずつ変わり始めていた。 それまでは生身の頃のオタク趣味を引き摺り気味だったのだが、気持ちに余裕が出てきたからか、浄法寺の庭を 率先して手入れするようになっていた。たまに植木屋を呼んで伸び放題の枝を切らせる程度だった庭木や花壇に、 道子は手を加え始め、その甲斐あってか日を追うごとに綺麗になっていった。墓石に供えるための菊の花も穫れる ようになり、この分では敷地内を耕して畑を作るのもそう遠くないだろう。
 
「ガソリンを使いましたね? ガレージに置いてある缶の位置が変わっていたのでもしやと思ったんですが、案の定 ゴミを燃やしたんですね。だとしても、次からはガソリンなんか使わずに普通に燃やして下さいね。いくら周りに人家 がないとはいえ、延焼したらどうするんですか!」

 いつもの地味な黒髪セミロングに戻っている道子は、目を据わらせてきた。

「庭の真ん中だし、火の番はしていたし、火は全部消えたから問題ねぇよ」

 寺坂は散水用のノズルが付いたホースを引き摺っていき、蛇口の下にあるドラムを回して巻き取り始めた。

「で、何してきたんだ?」

「いえ、これといって大したことじゃありませんよ。伊織君と一緒に山道を歩き回って、野草が生えていそうな場所を 捜してきたんです。前の住人が放棄していった畑も見てきました。伊織君は押し花というか、押し草を作るのが近頃 の楽しみなんだそうで、その草花を見つけた場所と日付を明記しておくんだそうです。で、その押し草を大量の本の 間に挟んで平べったくしてラミネート加工しておくんだそうですよ」

 枯れ葉が付いたジャージを払い、泥汚れの付いた長靴を水で洗い流しながら、道子は報告した。

「なんでだと思います?」

「いおりんがナチュラリストに傾倒しているからだろ?」

「まあ、それもそうではあるんですが、伊織君の痕跡を一つでも多く残しておくためなんだそうです」

 道子は野草の種子が付着した軍手を外し、一粒一粒、種子を剥がしていった。

「伊織君は成虫ですからね。あまり長生き出来ないって、自分で解っているんですよ。アソウギを使った怪人は通常 の生物とは生体構造は若干異なりますけど、原型から逸脱出来てはいないんです。人間とその生物の括りからも 脱せませんし、増して、自然の摂理に逆らえるものではありませんからね。成虫になった段階で、虫は細胞分裂が 止まってしまいます。生殖して遺伝子を残すことに特化した姿だからです。ですが、伊織君には生殖機能は形だけ しかありませんし、あったとしても繁殖する相手がいません。だから、十年も持たないでしょうね。ですけど、りんね ちゃんは人間です。色々ありましたけど、今はごく普通のお年頃の女の子です。余程のことがない限り、何十年 も長らえるでしょうね。伊織君がいなくなってからも、りんねちゃんの時間は続いていくんです。二人が過ごした時間 が幸せであればあるほど、残されたりんねちゃんが寂しがるのは解り切っています。だから、少しでも慰めになれば いい、って伊織君は言っていました。本当に……本当に、お好きなんですねぇ」

 道子は背中を丸め、俯く。

「私だって似たようなものですよ。電脳体だの何だのと言っても、現状の人類の科学力では解明のしようがない事象 なんですよ、幽霊なんですよ、陽炎なんですよ。だから」

 ゆっくりと首を曲げた道子は、垂れ下がった髪の隙間から、寺坂を窺ってきた。

「私の方こそ、いつ消えるか解らないんですよ。寺坂さんが死ぬよりも早く、地球上のネットワークでは私の電脳体 の情報を処理しきれなくなってエラーを起こしてしまうか、致命的なバグが発生してしまうか、私という概念そのもの が消えてしまうのかは解りませんけど、そんなに遠い話じゃないと思います。今だって、寺坂さんが接しているのは 私じゃなくて、私のバックアップの一つかもしれませんし、私の記憶を部分的に引き継いだだけのデータの一部かも しれませんし、ネットワーク上に構築された疑似人格なのかもしれません。私が私だって言う確証はどこにもないし、 あったとしても、それは何の意味も持ちませんよ。だって、私は当の昔に死んでいるんですから」

「なーにを言い出すかと思ったら、そんなことかよ」

 寺坂ははぐらかそうとするが、道子は顔を上げようとはしなかった。

「どうして、燃やしちゃったんですか?」

「俺が何を燃やそうと、俺の勝手だろうが。大体、この家にあるものはほとんど俺のものだしな」

 つか、何を燃やしたのか解るかよ、と寺坂が半笑いになると、道子は庭の隅にある植木に指差した。その枝に、 中途半端に燃えて舞い上がった紙片が引っ掛かっていた。校名と校章が入った、卒業アルバムの切れ端だった。 それを見れば、道子でなくとも大体の見当は付く。寺坂がどう誤魔化そうかと考えあぐねていると、道子はシリコン製 の唇を噛み締めた。その仕草は、生身だった頃と変わらなかった。

「……そうですか」

 ちょっとは残しておいてほしかったんですけどね、と呟いてから、道子は重い足取りで玄関に向かっていった。その 背を見送ってから、寺坂は禿頭を押さえた。つまり、道子は寺坂を知りたいのだろう。どういった経緯を経て現在に 至ったかを知るためには、当人の過去の遺物を見ることが手っ取り早いからだ。だが、それらはガソリンとマッチで 綺麗さっぱり燃え尽きてしまった。けれど、見たいと言われても、見せられるようなものではない。
 何も残さないと決めた。そうすることで、寺坂に囚われ続けている道子を解放してやれるのだと信じているからだ。 道子は死んだかもしれないが、死んだからこそ自由になるべきだ。美野里のように、見苦しく執着し続けては道子が 哀れだからだ。だから、道子に何をどう思われようとも受け流すのが一番だ。
 そう、思ってはいるのだが。





 


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