DEAD STOCK







 赤い空、赤い海、鮮血に染まった服。
 喰い破られた喉を手で塞いでいても、出血量が多すぎて歩くことすらままならなくなり、娘達の力を借りてなんとか 鉄の鳥の沈んでいる場所まで移動した。それでも簡単に死ねないのは、やはりアレのせいだろう。それが少しだけ 喜ばしく、それ以上に空しかった。だが、今は進むしかない。進まなければ、ここまでの旅路が無意味になる。
 少年は、オスカー・ワーカーホリックは、プライスレスは、背筋を伸ばして歩いた。ジガバチの娘達が作ってくれた 階段を下りていき、海の色を赤から青へと塗り替える光の柱に近付き、その間近に浮いているスイートハートの元に 辿り着いた。触角の根本に布切れを結んであるジガバチはこくんと頷き、胸の外骨格を開いた。
 その中に入ったプライスレスは、スイートハートに抱かれて、血の海と青い海の境目に没した。外の景色は見える わけがないので、娘だけが頼りだったが不安はなかった。水圧が彼女の外骨格を締め付けるからだろう、深度が 進むにつれてスイートハートの金属の外骨格は軋み、呻き、悲鳴も漏れた。けれど、止めようとは言わなかったのは、 スイートハートの思い遣りだ。プライスレスには勿体ないほど、良く出来た娘だ。
 ごつん、との振動の後、スイートハートが止まった。程なくして水圧がなくなって、外骨格の軋みも収まったので、 鉄の鳥の中に無事入れたようだ。外骨格が開いたので、プライスレスはスイートハートの体液にまみれながら外に 出ると、空気があり、見覚えのある内装の空間が待ち構えていた。居住区から操縦室を目指そうとしたが、ここへ 来て足腰が立たなくなってしまった。すると、スイートハートは少年を抱え、狭い通路の中をぎしぎしと歩いた。

「おとうたま」

 スイートハートはプライスレスを中両足で抱え上げ、抱き締めてくれた。優しい仕草だった。

「いいことを、するんだよね?」

「ああ」

「おともらちのため?」

「ああ」

「わたちや、いもうとたちは、どうなっちゃうの?」

「俺だって、何がどうなるか解っちゃいねぇよ。だが、俺は特別なんだ。特別だから、特別なことが出来る」

「なんで?」

「いいか、愛しいスイーティ。お前達も、他の連中も、特別って言っちまえば全部特別なんだ。けど、その中でも一番 特別なのは、俺の話を最後まで聞いてくれる奴だ。俺の目を見てくれる奴だ。……そいつも、そいつが好きなやつも、 俺の特別なんだ。馬鹿みたいだよな、そんなことで命を投げ出すんだから。ああ、俺らしくねぇなぁ」

「おとうたま、つらい?」

「いいや。ブッ飛んじまいそうなぐらい、最高にハイだ」

「そっか」

 時折壁にぶつかりながら、通路を塞ぐ隔壁を力任せに破りながら、ジガバチの娘は進んでいく。空間湾曲シールド が二人を受けていれてくれたのは、今や、鉄の鳥の主となっている者の仕業だろう。そうでもなければ、こんな特攻 が成功するはずもない。赤い足跡を連ねながら、鉄の鳥のクチバシに行き着くと、ドアが滑らかに開いた。
 怪魚にクチバシの半分を破壊された操縦室には、樹脂でパッキングされているバードストライクの死体と、血の海 を用いて胴体以外の肉体を成した女が待っていた。自身の血で織り上げたであろう緩やかな赤い布を身に纏い、 寂しげな面差しに弱い微笑みを浮かべた。落胆の色は、隠そうともしなかった。

「なぜ、あなたがここに来るの? あの人が来るものだと思って、ここで待っていたのに」

「ストッキーの手を煩わせるほどのことじゃねぇ」

 余力を振り絞って悪態を吐いてから、プライスレスはガスマスクを剥がすと、殺気立った目で女を睨む。同じ顔で、 同じ顔の女と向き合う。骨格が未成熟な少年の体には不釣り合いな、成熟した女の顔が貼り付いていた。

「あんたの命は、十年以上昔に俺が脅し取った」

「ええ、そうね。クリスタライズのおかげで結晶体になっていた時、私の生首を折って盗んでくれたものね。ついでに 私の顔と命も脅し取ってくれたものね。だから、随分と楽だったわ。終わりが見えているのが、とても楽しかった」

 リザレクションは男が座っていた操縦席に腰掛け、背もたれに悩ましくしなだれかかる。

「そうでもしなければ、私の分身の壁を殺すことなんて出来なかった。壁自体にも私の能力と同等の自己再生能力 があったけど、それも私の本体に依存している能力だったから、結局私の本体を殺さなければならない。けれど、 同時に双方を滅ぼせるほどの能力者は現れなかったし、イミグレーターの作ったクォンタム・ドライブを利用しよう にも、イミグレーターも私の能力を利用しようと企んでいたから、イミグレーターに接触すればやり込められるのは 目に見えていた。それに、私の遺伝子情報ではイミグレーターの産物を動かすことすら出来なかったわ。だから、 混血児が生まれる日を待つしかなかったの。クイーンビーの娼館で、あなたのような能力者が産まれるのを」

 長い睫毛に縁取られた青い瞳が、少年を愛でる。

「あの人と彼に出会えたのは幸運だった。希望を見出せた。痛みの心地良さを知れたから」

「マゾ女が」

「どうとでも言って。私はあの人の心までは奪えなかったけど、私の娘が、私の遺伝子情報を引き継いだ存在が、 私の身体から分泌されたものから作られたものが、あの人を虜にしている。とてつもなく悔しいけど、その事実だけは 嬉しいのよ。ふふ、あなたに解るかしら」

「解るさ」

 頭を擦り寄せてきたスイートハートに素顔でキスをしてやってから、プライスレスは口角を曲げる。

「俺がストッキーにクソミソに嫌われて殺されれば、あんたも死ねる。ストッキーが俺に惚れて生かしてくれるのなら、 あんたは死なない。そういう理屈にしたあんたは、とことん腐っていやがる。ストッキーが触るまでもねぇよ。つか、 俺も根っこから腐っていやがる。あんなクソッ垂れな屑ヴィランに、ここまでせずにはいられないんだからな」

「それがあの人よ。死は救済だからよ。あの人と一緒になって、この星の生と死を司るの。そうすれば、私達は永遠 になれるの。本物になれるの。何者でもなかった、先史文明の人類の家畜に過ぎなかった、私達がよ? それが、 どんなにか素晴らしいことか解るかしら? 解らないでしょう? 解ってほしくもないわ」

「だから、あんたもストッキーを買い被りすぎなんだよ。あの根暗で口下手のおっさんが、あんたの理想とする神様 になんかなれるもんか。屑ヴィランでいるのが丁度良いんだ」

 あまり長引かせると、喉の傷口が塞がってしまう。やっと手に入れた、死への道だというのに。右腕が吹き飛んだ 時よりも、遙かに嬉しかった。プライスレスはスイートハートに抱かれながら、結晶体を側頭部に当てる。小綺麗な 顔を醜悪に歪ませて持ち主に見せつけてやるのが、この上ない快感だった。クリスタライズの肉体と同じ分子構造 を持つ、量子結晶である。文字通り、イミグレーターの科学の結晶だ。
 クリスタライズとは、本来、イミグレーターが造ったクォンタム・ドライブのエネルギー源である量子結晶を量産する ために生み出された生体兵器だったが、紆余曲折を経て肉体と人格を持ち、ヒーローに憧れるようになった。今の 今までは、どんな能力者もクリスタライズを倒すことが出来なかったから、クリスタライズの正体である量子結晶の 種子に戻ることもなかった。だが、彼がクリスタライズを殺し、ジガバチ達が血の海の底から回収してくれたおかげ で、こうしてプライスレスの手に入った。ほのかに熱を放つ菱形の結晶体からは、淡い光が滲み出ていた。

「クリスは良い奴だったよ。立派な正義の味方だよ、俺にとってはな」

「それを私に渡しては、くれないわよね」

「解っているんなら、話は早い」

 量子結晶、俺の願いを聞いて“くれよ”、リザレクションの命をこの世から綺麗さっぱり消し去って“くれよ”、ついで に今度は俺達みたいな連中がのさばれる世の中になって“くれよ”、最後にもう一つ。

「俺とあいつらの腐れ縁が腐り落ちないようにしておいて“くれよ”? 但し、リズは抜きでよろしく」

 量子結晶が砕けた後のことは、覚えていない。覚えられなかった。何せ、プライスレスの能力の範疇を逸脱した 規模のエネルギーが噴出したのだから、意識も記憶も肉体も消し飛んでしまった。リザレクションは最後の最後で 笑みを崩し、この野郎、と悪態を吐いていた。その方が、取り澄まして女神然として振る舞っている様よりも、余程 生き物らしくて魅力的だ。最期に目にしたのは、父親との別れを惜しんで触角を伏せる愛娘の姿だった。
 抱き締めてやれないのが、残念だった。




 前触れもなく、マンホールが弾け飛んだ。
 腹の底に響く爆音と共に汚物が高々と吹き上がり、校庭が下水の内容物まみれになってしまった。そのせいで、 先程の悲鳴とは違った意味の悲鳴が上がり、生徒達が逃げる足並みが一層早まった。ハンナ・バークリーは何事 かと振り返り、ただでさえ歪んだ顔を更に歪めて顎の骨を覗かせた。彼女の視線が外れた一瞬の隙を衝き、少年は 腰に力を入れ直して駆け出した。何がなんだか解らないが、こんなところで殺されたくはない。
 まだ、自分の能力が何なのかすら解ってもいないのに。底が磨り減りすぎて穴が開きそうなスニーカーで懸命に アスファルトを蹴り、息を切らして走るが、不死能力の発現と同時に超人的な体力も得たハンナ・バークリーの前で は自転車とGTカーのようなものだった。折れている足を曲げてすぐに繋げると、一息で校舎の屋上付近まで跳躍 し、壁を蹴って進行方向を変えてから、少年の目の前へと向かってくる。着地した瞬間、重力と自重によって生じる ダメージを相殺するために放った力が大穴を開け、その下にあった配管をへし折った。

「なんで俺なんか狙うんだよ! お前が殺す相手ならいくらでもいるだろ、ほらほらほら!」

 少年は凶相の少女に気圧されながらも校舎を指して喚くが、ハンナは鬱陶しげに眉根を寄せるだけだった。

「なんであいつらなんかを殺さなきゃならないの? ただのゴミなのに?」

「へっ?」

「私は誰よりも強い能力者なんだって、教えてもらった。だから、あんな連中なんて相手にしていると、私の価値 が下がっちゃう。最初は半信半疑だったけど、あの変なラジオとはちょっと違うチャンネルで放送しているヴィジョン を見たら、すぐに解った。私の正体と、あんたの正体は」

「ヴィジョンってなんだよ、ラジオとは別のがあるかよ、つか誰が放送してんだよ!?」

「ああ、そうか、あんたは見たことがないの。じゃあ、特別に教えてあげる。私と話してくれた御礼にね」

 水道管から吹き上がる水を大量に浴びたハンナの足元には、赤い筋が滴り落ちた水溜まりが出来ていて、歩道の 端の排水口にごぼごぼと吸い込まれていく。その赤さに既視感を覚えたのは、あの夢のせいなのか。

「エアウェーブがラジオで話題にしていたアイツは、殺されるべきなんだよ。私達の女神、リザレクションがそう言う のよ。ヴィジョンを通じて、語り掛けてくれるのよ。リザレクションの血に目覚めることが出来るのは、ごくごく限られた 人間と人外だけ。だけど、アイツはリザレクションの血を殺せる、唯一の存在なんだ。だから、私達がアイツを先に 殺しておかないと、現代に甦った女神の血が途絶えちゃうの! そして、あんたはアイツの仲間なんだぁ!」

 ぎらついた目で極めて興奮しながら語っていたハンナの首が、何者かの足に刈られた。鮮やかなエンズイギリで 少女の血みどろの肉体は薙ぎ払われ、体の右半分を路面に擦り付けながら転倒した。それを放った者の背中には 汚物混じりのトレンチコートが舞い降りたが、その裾の破れ目に継ぎ当てされている布の縫い目がハート型なのが やたらと目に付いた。右腕には袖の中身は入っていないらしく、袖は結んである。エンズイギリの姿勢から右足を 軸にして半回転した、長身の男の頭部は黒一色だった。髪も目も鼻も口も耳も首すらも、光沢のない黒いマスクで 覆い隠されている。素材はゴムのように見える。
 蹴りを放った足の長さに見惚れる余裕があったのは、ほんの数秒だった。男は下水を泳いできた後のような猛烈 な腐臭を漂わせていて、少年はそれを吸い込んだ途端、今度こそ嘔吐に見舞われた。背後にあった草むらに頭を 突っ込んでげえげえと吐き戻していると、咄嗟に投げ捨てたガスマスクが黒い肌の男に拾われた。

「お」

 おいやめろ、と言おうとしたが更に胃液が迫り上がり、またも吐き戻した。

「趣味は変わらんようだな」

 語気は平坦だが、耳馴染みのある訛りが端々に付いた口調で言い、男はガスマスクを眺め回した。

「うぇ」

 何のことを言っているのだ、と少年は気分の悪さに辟易しながら顔を上げると、男と目が合った。黒いマスクの目 の位置に付いている細い切れ目の奥には、異様に澄み切った青い瞳が隠されていた。けれど、不思議と威圧感 は感じなかった。それどころか、出来る限り汚い語彙で罵倒してやりたいような、思い切り茶化してやりたいような、 奇妙な攻撃衝動に駆られた。自分でも意味が解らなかった。

「あの阿婆擦れが。退屈凌ぎにはなるが、こうも嫉妬深いとはな。今までの不死能力者共が狙っていたのは、割と どうでもいい連中だったが、ここへ来て狙いを定めてきたのか。下らん」

 ますます萎える、と言い捨ててから、男はマスク越しに左手の手袋を噛んで剥がし、素手を曝す。

「持っていろ」

 と、男が左手で放り投げた手袋は放物線を描き、少年の頭を通り越した。それを目で追っていくと、いつのまにか 見知らぬ少女が立っていて、黒い手袋を受け取った。

「てんそうざひょう、ちょっとずれた」

 顔の右半分を布で覆い隠しているが、それ以外は童話の挿絵に描かれる妖精そのものの容姿だった。但し、男と 同じ匂いをさせていなければ、という条件は付くが。首から下の二次性徴前の肢体を覆う黒いスーツの腰回りには、 ひらひらしたピンクのスカートが付いていて、幼さが強調されている。尖端が尖った耳に虹色に輝く羽に金色の瞳は いずれも神秘的だったが、どれもこれも汚物にまみれていた。それさえなければ、と思わずにはいられない。

「いいさ、気にはしない。慣れている」

 むしろ、俺達にお似合いだ。少年を一瞥してからそう言いきった男は、腐臭を放つ薄いガスを纏った左手を拳に 固め、右半身を削られても尚立ち上がるハンナ・バークリーに歩み寄っていった。

「あんたら、まさか」

 どくどくと心臓が高鳴り、胃液まみれの口の中に別の味が広がる。少年がぎこちなく妖精の如き少女を見やると、 少女はバラの花びらのような唇にそっと指を添えてから、男の背中を指した。少年がそれに従うと、男は左手だけで ハンナ・バークリーを叩きのめしていた。相手が少女であろうともお構いなしに、殴る、殴る、殴る。
 ただ殴るだけでは、不死能力者には通用しない。少年が腰を浮かせかけると、男の拳が埋まった部分から、ハンナ の肌が次々に腐り始めていた。普通の傷であればすぐに治るのだが、腐った肌は治るどころか青黒い痣が徐々 に広がっていき、ついには腐った肉が抉れた。この男と戦っても勝ち目はないと気付いたハンナが身動いでも、もう 手遅れだった。ひぃいい、と恐怖を覚えた少女が後退るも、男は血に汚れた左手を緩めなかった。

「どうした」

 男の腰が入った重たい拳が、古臭いブラウスごと腹を抉る。ブラウスが腐り、肌も腐り、穴が開いた。

「俺が宿敵なんだろう?」

 腹部に開いた穴に左手を突っ込み、内臓を掴み、肌色の腸を無造作に引き摺り出す。咆哮が上がる。

「粋がっていたわりに打たれ弱いな。お前らの間でブラックリストと呼ばれていた奴は、もう少し骨があったが」

 少女のむちむちとした内臓が腐り、呆気なく握り潰され、汚い肉塊となって男の足元に積もった。

「どうした。阿婆擦れの家畜のくせに、根性がないな」

 けひっけひっ、と弱く空咳を出すハンナの頭部を掴んで持ち上げるが、頭皮が腐ってずるりと剥げ、毛の生えた 薄い皮が男の左手に残った。それを鬱陶しげに振り払ってから、男は少女の頭蓋骨を直接握ると、アスファルトに 全力で叩き付けた。ぱきゃあっ、と先程耳にした、あの異音が響き渡る。二度三度と叩き付けられてしまい、顔面も 無惨な有様となったが、それでもまだハンナ・バークリーは生きていた。ずるりと崩れた脳を垂らしながらも手足を 突っ張って立ち上がろうとするハンナに、男は舌打ちするかと思いきや、笑った。
 ハンナ・バークリーという名の少女について少年が知っていることは、限られている。陰気な顔で俯きがちに本を 読み耽っている様と、上位階級の生徒に弄ばれている様と、少年とは違ってカフェテリアの隅に行けるだけの地位は 築けていることだ。それでも、その名と過去を持っていた人間が単なる肉塊に変わる光景を見せつけられると、奇妙な 感情に苛まれた。喪失感、絶望感、恐怖感、そしてそれらを大きく上回る郷愁。
 そんな少女の最期は、生きているのが哀れになる、不死の肉体となった不幸を嘆いてやりたくなるような、ひどい ものだった。男は不死能力者の少女を一息に殺すどころか、戦う余力がなくなっていると解り切っているのに、指の 骨を一本一本折っては引き千切り、腐らせる。その指を束ねて脳を掻き混ぜ、舌を引き抜き、下半身にねじ込む。 腹の裂け目から腸を引き摺り出しては口に突っ込み、顎を蹴って噛み千切らせる。目を背けるべきもので、正視 するべきではないのに、返り血を浴びる男の横顔から視線が外せなかった。
 男がブーツの靴底で目玉を踏み潰すと、肉片はようやく動かなくなった。誰かが通報したのか、緊急車両のサイレン が波状に迫ってくる。中には、ヒーローが出現する際に報じられる警報も混じっている。だが、男と妖精は焦ること もなく、ハンナ・バークリーの死に様を悠長に眺めていた。いきなり現れたことから察するに、瞬間移動のようなこと が出来るから、逃走手段の心配はないのかもしれない。

「おうちにかえったら、おふろ、わかす」

「そうしてくれ」

「ごはんは?」

「発酵食品であれば、なんでもいい」

「うん。わかった」

「で、どうする? 俺の推測では、こいつはあのクソガキの因子を多量に含んでいるが」

「うん。そんなかんじ。どうしようか」

 男と妖精の視線が少年を捉えたので、少年は臆し、草むらにへたり込んだ。

「お……俺も殺すの? それはちょっと勘弁してほしいっつーかちょっと無理だしてかマジ困るから! だから!」

 作業着の尻に泥を擦り付けながら後退る少年に、二人は顔を見合わせて肩を竦めた。笑い合ったのだ。なんで そこで笑うんだよ、俺ってそんなに変なリアクションしたっけ、と少年が戸惑っていると、男は言った。

「せいぜい死ぬな。お前があのクソガキと同一だとは思わんし、思いたくもないが、その面構えは気に入った。今度は あの女の分厚い面の皮を剥がして被っているわけではなさそうだからな」

「へぁっ?」

「今度こそ、俺を殺しに来い。お前にはそれだけの価値があると、俺に認めさせてみろ」

「え、あぁ……? そ、そういえば、さっき、あの電波女が俺があんたらの仲間とかどうとか」

「それを決めるのはお前自身だ。少なくとも、俺はお前に似た奴も、仲間だとは思っちゃいない」

「なにそれ」

 何を言っているのか解らないはずなのに、精神がざわめいた。知るはずのない記憶が、ただの寂しい夢が、錯覚 に過ぎないはずの汚臭が、一つに繋がっていき、目の前の男に収束する。それなのに、男の名前が出てこない。 舌の上で、言葉が転がらない。脳のどこかで覚えているはずなのに、飽きるほど呼んだはずなのに。トレンチコート の襟を立てた男は、口籠もる少年に振り返る。優しくはないが迷いのない眼差しと、目が合った。

「ぁ……あんたの、名前は? 俺は、オスカー・ワーグマン! たぶん能力者、だけどヒーローでもヴィランでもない、 っつーかどっちにもなれないかもしれない。でも、えっと、あんたらを追い掛けてやる! 必ずだ! だから、頼む、 名前だけでも教えてくれよ! なあ!?」

 少年が畏怖と興奮に煽られるがままに問うと、男は少年に背を向けた。

「そうか。覚えたぞ、オスカー。 ――――――俺の名は」





Final.DEAD STOCK







THE END.....




13 10/10



あとがき