DEAD STOCK




7.Prison Task



 生温く、生臭く、気怠い。
 イカヅチの造り上げた都市の牢獄はさぞや劣悪な環境かと思いきや、思いの外快適で、拍子抜けしてしまった。 空気が濾過されているのでガスマスクを外しても呼吸は楽で、汚染物質が肌を刺す感覚もなく、部屋の中は程良い 温度と湿度に保たれていた。一定時間ごとに、スマックダウンが集めたゴロツキ共を含めた人数分の食事の配給も あり、透き通った水も与えられた。飼育されているのだ、という単語が頭を何度も過ぎった。
 こうやって与えられるがままに受け取っていると、体も心も腑抜けになってしまう。スマックダウンはガスマスクの 裏側を布で拭い、長年使い込んでいるせいで真っ黒になったフィルターを外して埃を落としたが、そんなものが慰め にもならないことは承知している。スマックダウン自身は能力を持って生まれたために汚染物質への耐性は極めて 強いのだが、このガスマスクもフィルターもなんとなく捨てられないのだ。これといった思い入れもないのだが、毎日 のように被っていると自然と愛着が湧く。強化ガラスを一瞥し、久々に目にした己の素顔を視界の隅に収める。

「で、どうするね」

 スマックダウンに声を掛けてきたのは、ゴロツキ共の退屈凌ぎのカードゲームには加わっていないバードストライク だった。彼はいかなる場合であろうと、鳥のクチバシを模した覆面を外そうとはしない。その下に隠されている素顔 はスマックダウンも一度も目にしたことはないが、長らく付き合っていると、素顔なんてどうでもよくなる。誰も彼もが 持って生まれた能力を元にした通称で呼び合うように、本名を知らないように、相手がそういうものなのだと把握して いるだけで充分だからだ。

「このままだと、あいつら、本当にダメになっちゃうんだがねぇ」

 壁にもたれているバードストライクは、殺してから日数が経ったせいで干涸らび始めている鳥の死骸を手にしては 具合を確かめた。スマックダウンはガスマスクを弄びつつ、カード代わりの紙切れとコイン代わりのスプーンの行方 に一喜一憂しているゴロツキ共を見やった。

「ダメになる奴ぁ、最初からその程度だったってぇことだ」

「そりゃそうだけどさ。あいつら、一応、あんたの兵隊だろう?」

「使える奴は使う、使えねぇ奴はお仕置きする、それだけだ」

「相変わらずだねぇ」

「俺はアッパー共のケツの穴を舐める趣味もねぇが、イカヅチのクソをありがたがって喰う趣味もねぇよ。この街は 牢獄まで御立派だが、どこもかしこも、イカヅチの野郎が垂れ流した小便みてぇなクソ電気を元にして造ったもの だと思うと、ちょっと小綺麗な肥溜めだとしか思えねぇなぁ。出てくるメシにしても、奴のゲロだ。そんなクソッ垂れな ものをありがたがっていられるほど、俺は馬鹿でもねぇし、クソでもねぇ。ただ、怠ぃんだよぉ」

「傷はもう治りきっただろうに」

「俺は同じ轍は踏まねぇ主義でなぁ」

 スマックダウンは、カードゲームの輪から少し離れた場所で金代わりの乾燥糧食を数えている、ピープホールに 目をやった。途端にピープホールは顔を上げ、真空パックされている乾燥糧食を両腕一杯に抱えて小走りにやって きた。覗き見が特異な能力の持ち主だけあって、イカサマを駆使してカードゲームでは大勝ちしていたようである。 スマックダウンはレンズを首からいくつも提げた男の手中から乾燥糧食を叩き落とすと、襟首を掴む。

「おい、あの壁女はどうなった」

「へぇ、ああ、クローズラインですかぁ?」

 ちょいとお待ちを、とピープホールは両手を上げたので、スマックダウンは襟首を放した。

「クソ女がどれだけ壁を造ろうが、奴が女である以上、ぶち込める穴があるはずだぁなぁ」

「ええ、ありましたよ、ありましたけどねぇ」

 ピープホールは牢獄の周囲に目を配らせてから、ひどい猫背の背中を更に丸め、声を潜める。

「ここの部屋、穴だらけなんですよ。だから、ちょっとしたことでもイカヅチに感付かれちまいますよ」

「そりゃ、俺達みたいなのは監視されない方がおかしいだろうけど……」

 バードストライクは腕を組み、ぐるりと室内を見回した。スマックダウンもそれに倣った。牢獄の住人達に圧迫感を 与えないクリーム色に塗られた壁、通路に面した窓付きの壁、分厚い金属製の扉、食事の配給を行うための窓、 剥き出しのトイレ、洗面台、寝床、薄っぺらい寝具、ゴロツキ共のゴミ同然の荷物の山。通気口と消火設備に目を 向けるが、それらしいものは見当たらない。だが、能力に伴って覗き穴を見つける才覚も備えているピープホール の言葉なのだから、嘘ではあるまい。
 ピープホールは何枚も重ねて着ている擦り切れた上着の下から、黒い小石を落とし、それを床に擦らせて記号と 文字を連ねていった。その方向に従って気を付けて見てみると、壁の繋ぎ目、照明の蔭、扉のビス止めなどに偽装 された監視カメラが見つかった。となれば、同じ数だけの盗聴器が仕掛けられていると考えていい。スマックダウンは ピープホールの手から小石を奪うと、がりがりと床に擦り付けた。筆談するためだ。
 とにかく壁女の穴を教えろ、とスマックダウンが書くと、ピープホールはその後に若干苦労しながら書いた。その 内容を読んで意味を理解した後、スマックダウンはおもむろに文字が刻まれた床にお仕置きを喰らわせた。唐突な 破砕音と衝撃にカードゲームをやっていたゴロツキ共はぎょっとし、カードが散乱した。

「次の配給は何時間後だぁ?」

 スマックダウンはガスマスクを被り直し、その下で口角を歪めた。

「ざっと三時間後だね」

 バードストライクは、ゴロツキ共の持ち物を使って作った即席の水時計を示した。正確ではないが、目安としては それだけで充分だった。ならば、イカヅチの部下が食糧の配給にやってきた時にお仕置きし、事を始めればいい。 スマックダウンは腕力が戻ってきた手を握っては開き、握力を確かめた。が、それから程なくして、給仕用の窓が 開けられた。配給の時間ではないはずだが、と皆が訝っていると、その窓から女が顔を覗かせた。

「どーもー」

 真っ直ぐ切った前髪に後ろ髪、紐とベルトだらけの服装。クローズラインである。

「ボスが御仕事を頼みたいそーなんでー、はいー、どうぞー」

 クローズラインは窓から小さな機械を投げ込むと、力一杯閉めた。小さな機械は床に転がり落ち、回転した後に スマックダウンのつま先にぶつかった。手のひらに収まるほど小さく、精密な機器が詰まった、長方形の平たい板 だった。スマックダウンが訳も解らずに眺めていると、その機械から聞き覚えのある声が流れてきた。

『御機嫌よう、スマックダウン』

 イカヅチだった。これが世に聞く電話か、とスマックダウンは理解し、その機械に言い返す。

「お前に機嫌なんざ窺われたくもねぇなぁ」

『君に回りくどい話をするだけ、電力と糖分の浪費だ。簡潔に言おう、デッドストックを殺戮するショーを行ってくれ』

「あぁ?」

『この頃、私の支配下にある市民達はアッパーの番組だけでは満足しなくなってしまってね。そこで、確実に面白い 番組を放送しようと考えたのだよ。報酬はヴィジランテとなる権利と、我がサンダーボルト・シティの永住権だ』

「そんなもん、誰が欲しがるかよ」

『無論、それだけで君が動くとは思っていないよ。だから、クイーンビーの娼館の上級会員権も差し上げよう』

「誰がお気に入りだ?」

『それは無論、私の電撃に耐えきれる女さ』

「だろぉなぁ。んで、本物の上級娼婦をヤれるんだろうなぁ?」

『ああ。約束しよう』

「お前にしては、まともな取引材料じゃねぇかよぉ」

『必要なものがあれば、こちらで用意しよう』

「そうだな……。まともに動く車とメダマ、ついでに壁女を寄越せ」

『クローズラインをか? いいだろう、そのように命じておく』

 スマックダウンはそう言い終えるや否や、小型の機械を握り潰した。バッテリー溶液と思しき液体を滴らせる破片 を床に落としてから、スマックダウンは足で踏み躙った。ヴィランである自分が、イカヅチの命令を聞くわけがない。 イカヅチもスマックダウンが言う通りにしてくれるとは思っていないだろう。デッドストックを殺すという名目で自由に するのも、甘ったるい報酬をちらつかせるのも、スマックダウンがデッドストックを殺す様を放送するのも、ヴィランの 頂点に立っていたスマックダウンまでもがイカヅチの膝下に下るのだということを知らしめるためだ。スマックダウン がイカヅチに襲い掛かろうとも、イカヅチには返り討ち出来るだけの戦力と人材があることもまた、イカヅチの自信の 根源だ。いかに頑丈で怪力なスマックダウンといえども、唐突な雷撃は防げないし、お仕置きも出来ない。
 どう転んでも、イカヅチにいいようになる。アッパーの世界とその産物を餌にしてヴィジランテを飼っているイカヅチ にしてみれば、アッパーの産物の極みである人造妖精を鎖で繋いでいるデッドストックは、目障りなのだろう。人造 妖精もついでに殺してしまえばイカヅチを落胆させられるだろうが、それだけだ。どうせなら、人造妖精を使い切って しまいたい。餌としても、女としても、罠としてもだ。スマックダウンは汚れた手を壁で拭い、片方の眉を上げた。
 良い考えを思い付いた。そのために必要な能力を持った能力者も、手元に揃っている。クローズラインの能力と、 ゴロツキの一人であるターンオーバーの能力と、使い道が見当たらないがとりあえず拾っておいたヴィラン崩れの フライングソーサーの能力と、バードストライクの能力に幅を持たせれば、どうにでもなるはずだ。
 思う存分、暴れてやる。




 メダマ、メダマ、メダマ。
 相手は監視していることを隠す気はないらしい。トレーラーのコンテナの周囲を、唸りを上げて飛び交う金属製の 球体を横目に見、デッドストックはラバーマスクの下で舌打ちした。あのドーム状の倉庫でジャクリーン・ザ・リッパー と一戦交えた後に追撃がなかったのは、泳がせておくためだったらしい。あの時はメダマを奪うことを最優先にして いたのと、天候が悪かったせいで、そこまで気が回らなかった。
 となれば、この窮地も早々に感付かれているだろう。デッドストックは行く手を塞いでいる瓦礫の山を見、盛大に 二度目の舌打ちをした。クイーンビーの娼館のある街は塔からは離れているのだが、華やかで毒々しい女の園に 至るまでの道が平坦であるはずもなく、ヴィランでもヴィジランテでもない賊に襲われることも多々あった。その度に 応戦しては死体を増やして進路を切り開いてきたのだが、さすがに瓦礫の山とは戦いようがない。

「むぉん」

 倒壊したビルの瓦礫が積み重なって道路を塞いでいる様を見、プレタポルテが実直な感想を述べた。

「ああ、山だ」

 デッドストックも似たような感想を返すと、瓦礫の山を見回っていたプライスレスが戻ってきた。

「ダメだダメだぁー、どこの道も塞がっていやがる。この間はこのルートで通れたはずなんだけど、瓦礫の山の上から 見てみたら、道路がどこもかしこも分断されているか塞がれていやがる。どこぞの能力者同士で小競り合いでもしたの かもしれねーけど、マジ迷惑すぎだし。つか、ウゼェしダリィし燃料切れしそうだし」

「だが、引き返すとなると時間が掛かる。燃料を買うとなると、無駄金を使う羽目になる」

「うぃ」

「そりゃそうだけど、トレーラーを捨てていくわけにもいかねぇだろ? 貴重な移動手段だしさぁ」

「時と場合による。ここからであれば、クイーンビーの色街まで歩いていけなくもない」

「うぃ」

「正気かよ、ストッキー」

「俺は常に本気だ」

「うぃ」

「そりゃ歩いていけなくもねぇかもしれねぇけど、何キロあると思っていやがる!」

「動かなければ何も始まらん」

「うぃ」

「あーもう……。こうなっちまったら、ストッキーは頑固なんだよなぁ。参るぜ」

 プライスレスはぐちぐちと文句を零しながらも、トレーラーの運転席に乗り込んだ。

「とりあえず、一度引き返して別の道を行ってみようぜ。乗り捨てるかどうかは、その時に考えればいい」

 一度落としたエンジンに再度火を入れようとしたが、空回りするばかりで、なかなか動き出さなかった。その度に プライスレスの汚らしい罵倒が聞こえてきたが、デッドストックは足に絡み付いてきたプレタポルテを追い払うのに 忙しかった。ここ最近、やたらとべたべたしてくるようになったのだ。鬱陶しくてたまらないが、無下にしすぎると 泣き出してしまうから、相手にするしかない。デッドストックはプレタポルテとの距離を測りながら、その頭を小突いた。
 デッドストック以外の誰かに懐かれても困るが、まとわりつかれても困るからだ。だが、プレタポルテはそれが嫌では ないらしく、きゃっきゃとはしゃいだ。想像とは異なる反応に辟易しつつも、機嫌が良ければその分扱いやすくなるので、 デッドストックはぞんざいながらも人造妖精を構ってやった。
 これでは、どちらが主人なのか解らない。




 


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