DEAD STOCK




7.Prison Task



 巨漢の拳が真っ先に抉ったのは、少年の腹だった。
 リュックサックに背中を埋めたプライスレスは、ガスマスクの下で目玉を剥いて掠れた吐息を漏らしたが、間もなく 嘔吐してうずくまった。この分では、また骨が何本か折れたかもしれない。スマックダウンはオレンジ色の作業着 から拳を抜くと、何事もなかったかのように歩いてきた。前回の二の舞にならないために、プライスレスの厄介な能力 を手っ取り早く封じ込めたのだ。脅されないためには、声を封じてしまえばいいだけだからだ。
 デッドストックも、お喋りが過ぎるプライスレスに常々施している手段である。能力のベクトルは違えども同系統で あるスマックダウンが、それに感付かないわけがない。デッドストックは鎖のリーチと人造妖精の様子を窺いつつ、 威圧感を与えるためか、悠長に距離を詰めてくるスマックダウンを見据えた。

「なあ、おい」

 スマックダウンは檻の前に至ると、デッドストックの脇に足を上げ、わざとらしく鉄柱を蹴り付ける。派手な金属音 にプレタポルテは驚き、目尻に涙を溜め始める。

「お前が何をしてぇのかは大体の想像が付かぁなぁ。このルートで行きゃあ、クイーンビーの巣に辿り着くからよぉ。 そこで、この人造妖精を売っ払って良い夢見ようって腹だろぉ?」

「そう思うなら、思っておけばいい」

「だぁからよぉ、そのスカしたツラが気に入らねぇんだぁよぉおおおっ!」

 痛烈な膝蹴りがデッドストックの顎に打ち込まれ、上下の歯が乱暴にぶつかる。目の奥で火花が飛び散り、振動 による目眩に襲われながら、デッドストックはラバーマスクの下から垂れ落ちてきた生温い液体に気付いた。唇か、 舌か、どちらかを噛み切ったらしい。口中に鉄錆の味が広がるが、すぐに腐って饐えた味に変わる。

「いつもいつも、お前はそんな感じでよぉ」

 痛みと血の味に喘ぐデッドストックの襟首を、スマックダウンは掴み、片手で持ち上げる。簡単に足が浮く。

「ヴィランのくせして、まともな振りをしやがってよぉ。それが一番、ドタマに来る!」

 檻に背中を叩き付けられる。背骨が痺れ、脳天が揺さぶられ、手足がだらりと垂れる。

「イカヅチの野郎もそうだがよぉ、奴はまだマシだ。イカレていやがるってことを隠す気はねぇようだし、イカレてねぇと 凌げねぇ世界だからよぉ。だが、お前はそうじゃねぇ。自分が真っ当だと、正しいと、そんなことを信じていやがる のが見えるんだよぉ。正しいことなんてありゃしねぇ、全部が全部間違っていやがるからだよぉっ!」

 二度、三度、後頭部が鉄柱の間にねじ込まれ、頭蓋骨が歪みそうになる。

「お前ってぇ奴ぁ、リズに義理立てでもしてんのかよ?」

 なぜ知っている。ひぅっ、と万力のような怪力を誇る手に喉輪を喰らいながらも息を吸おうとしたデッドストックに、 スマックダウンは哄笑した。その堂々たる野太い声に促され、バードストライクが笑う、それに釣られて他のヴィラン 共も笑い始める。腹の底からの嘲りと侮蔑が込められた、悪意の固まりだ。
 惚れてもいない。愛してもいない。だが、あの女の願いを叶えようと行動理念を据えることのどこが恥か。脳の奥 に火傷に似た痛みが走り、デッドストックはラバーマスクの下で突き出していた舌を歪め、端が切れた唇を曲げて、 スマックダウンの手に素手の左手を押し付けようとした。が、スマックダウンの左手がそれを阻む。

「毎度毎度、同じ手しか使わねぇのかよぉ」

 スマックダウンの手には、ラバー素材の手袋が填められていた。デッドストックの左手を手中に収めると、ごぎ、と 一息で指の骨を全て折った。燃え盛る炎に手を突っ込まれたかのような高温と激痛が、背骨から脳天から何から 貫き、デッドストックは思い切り仰け反った。だが、喉を押さえられているので悲鳴も出せない。折れた指が皮膚を 破って肉を裂いており、ぼたぼたと血が散らばった。

「俺は強ぇ。誰よりも強ぇ。大事なのは、それだけだろぉ?」

 お仕置きだ。

「ぐべぁっ!」

 じっくりとその言葉を聞かせられた直後、鉄塊よりも重たく、銃弾よりも熱い物体が下腹部を抉る。内容物などと いう生易しいものではない、内臓自体が迫り上がってくる。血なのか胃液なのか、はたまた内臓の破片なのかは 定かではなかったが、体温よりも少し熱い液体が噴出する。ラバーマスクの下はべとべとに汚れ、溢れたものが胸元 から股間を濡らして妙な光沢が生まれた。息を吸うだけでも肋骨が歪んで痛み、肺が膨らまない。

「俺達はなぁ、ヴィランだろうがヴィジランテだろうが能力のねぇ屑だろうがなぁ、変わらねぇんだよ」

 お仕置きだ。

「ぇあぼっ」

 スマックダウンは黒いラバースーツから拳を抜き、デッドストックの頭部を掴んで顔を上げさせる。

「ゴミ溜めの住人だ。アッパー共の業を償わされている囚人だ。それである限り、どう生きたって何をしたって結果は 変わらねぇんだよぉ! ヘドロにまみれて死ぬだけに決まってんじゃねぇかよぉおおおっ!」

 強烈なアッパーで、首から頭が外れそうになる。

「……ぅ、ぶぇ」

 そんなこと、解り切っている。解っているから、下らないことを貫いてみたくなるのだ。デッドストックはそれを言葉に しようとしたが、喉から声を出せなかった。足が引っ張られたので目をやると、プレタポルテがデッドストックの足を 懸命に揺さぶっていた。金切り声に近い泣き声を出していたが、スマックダウンの声が大きすぎて聞こえなかった。 人造妖精の涙を溜めた目と、腐った男のどろりと濁った目が合う。

「ちったぁ楽しませろ、ガス野郎」

 スマックダウンは拳を下げると、デッドストックの血に汚れたラバー製の手袋を曲げ、挑発してきた。それに応じる のはやぶさかではないが体が動かない。立て続けにお仕置きを喰らってしまった腹部はぶよぶよと不気味に弛んで いて、血と体液が混じったものが溜まっている。腹筋もそれなりに鍛えていたつもりではあったが、相手が強すぎては 打撃を防げるわけもない。これからは、もう少し真面目に筋肉を付けた方が良さそうだ。
 横っ面を殴られて項垂れると、ラバーマスクの中に広がっていた体液が流れ、耳の穴に入ってきた。その時点で 腐敗が始まってガスが発生し、鼓膜が圧迫されたらしく、音の聞こえ方が一段とおかしくなった。水の中に潜った かのような、ぼわんとした違和感が鬱陶しい。だが、この状況では耳に入った体液を抜けるわけがない。デッドストック は苦痛とは異なる煩わしさの中、数十発目の拳を受けたが、予想以上に軽かった。
 気のせいかと思ったが、その後も痛め付けられても痛みをそれほど感じなかった。痛いことには代わりはないの だが、ごく普通の打撃なのだ。お仕置きは骨身に染みる攻撃で、防具を付けていても通り抜けるので、そう簡単に 立ち直れるものではない。それでなくてもスマックダウンは怪力で、小石程度なら素手で握り潰せるはずなのだが、 これではプライスレスの打撃の方がまだ痛いだろう。となると、これは、つまり。

「そういうことか」

 と、口に出したつもりだったが、ごぼっと喉から口に体液が迫り上がっただけだった。拳を振りかぶってきた巨漢に 目の焦点を合わせるだけでも体力を消耗したが、反撃しなければ何にもならない。勝機というには浅はかではある が、行動に出ないよりはマシだ。デッドストックは寸でのところで身を屈め、スマックダウンの拳を避けた。がごぉん、と スマックダウンの打撃が鉄柱を鳴らし、鎖が揺れる。
 無傷の右手を地面に付けた状態で下半身を思い切り飛ばし、スマックダウンの首筋に鋭い蹴りを加える。小気味 良い音が響いただろうが、聞こえないのが惜しい。これは延髄切りだったか、と今更ながら思い出しながら、首筋を 押さえて少しよろめいたスマックダウンを見据えた。ぼやけた目を凝らすと、巨漢が怒鳴ったらしいが、その言葉は もう何も聞こえてこない。雑音と濁った音の不協和音しか、脳に至らない。
 苛立ったのか、スマックダウンはプレタポルテの側の鎖を掴むと、引っ張った。当然ながら人造妖精の短い足が 無理矢理開かされ、股間が鉄柱にめり込む恰好になる。スマックダウンは手近なメダマを掴まえるとプレタポルテに 突き付け、在られもない姿を大衆に知らしめた。幼いなりに羞恥を感じたのか、プレタポルテは顔を横に振る。
 そこで、デッドストックは自分の側の鎖を勢い良く引っ張り返した。鎖の合わせ目がスマックダウンのラバー製の 手袋に噛んでいたからか、スマックダウンの怪力にラバー製の手袋が耐えきれなくなったからか、紙切れのように 引きちぎれて素肌が露わになった。それを、見逃すはずがない。
 デッドストックはラバーマスクの下に鎖を絡めた右手を突っ込み、体液を存分に擦り付ける。スマックダウンが 鎖を放り出そうとした瞬間に振り回して手のひらに叩き付け、僅かに怯ませる。その隙に右手を振りかぶり、巨漢の 素肌の左手に手を滑り込ませた。握手ですらない殴打の末、スマックダウンの手が早々に腐り始める。
 罵倒されたような気がしたが、聞こえないので意味はない。あの時、スマックダウンは徹底的に痛め付けて確実 に仕留めたはずなのに、なぜ再び立ち上がって現れたのか。その理由を考えるだけで、背筋が総毛立つ。
 己の血反吐を武器にしてスマックダウンに二度三度と拳を浴びせ、左手のみならず、喉を腐らせ、腹部は衣服 ごと腐らせてやってから、デッドストックは至近距離を漂っているメダマを手招いた。メダマは従順にデッドストック の傍に寄ってきたので、デッドストックはぐちゃぐちゃに折れた左手の甲でラバーマスクを上げて口の中に溜まった ものを全て吐き捨てた。歯が何本か混じっていた気がしたが、数えるつもりはなかった。

「見ているか、聞こえるか、屑共が」

 ラバーマスクを下ろして体裁を整えてから、デッドストックは腹部に開いた穴から内容物を垂れ流しているスマック ダウンにメダマを向けさせた後、再び自分に向かせた。声がまともに出ているかは怪しいが、舌は動いている。

「俺が殺してやる」

 そう言い終えて間もなく、メダマは煙を吹いて落下した。どうやら、デッドストックの体液が繋ぎ目から機械の中に 入り込んで回路を腐食させてしまったらしい。用済みとなったメダマを放ってから、デッドストックはスマックダウンの 胃の内容物を素手で探って胃液ごと腐らせた。その中で唯一腐らなかった肉片を見つけ出すと、握り締める。これが リザレクションの肉片であり、スマックダウンがそれを口にして蘇ったことは明白だ。だから、彼女を殺せば、この男も 再び死んでくれるのだ。あの女の願いを聞き届けてやれると思うと、心臓が高ぶった。
 腐れ、死ね、殺してやる。そう強く念じると、デッドストックが生まれ持った忌まわしい力が高ぶり、じゅわりと汚い泡 が沸き上がって腐り果てた。呆気なくとろけた肉片を捨てて踏み躙ると、体液と血の海に突っ伏して息も絶え絶えだった スマックダウンが突如起き上がった。そして、死力を振り絞って何かを叫んだ後、手近な石を投擲した。
 だが、その攻撃はデッドストックにもプレタポルテにもプライスレスにも向かわなかった。スマックダウンの投げた 石に脳天をかち割られ、脳漿を噴出しながら仰け反ったのは、クローズラインという名の女だった。程なくして彼女 の能力が失われ、四角く区切られて浮かび上がっていた地面が崩れ始める。スマックダウンの凄絶な笑い声は、 耳を塞がれていても良く聞こえた。骨が揺さぶられ、直接脳に叩き込まれるほどの声量だったからだ。
 最期まで、悪辣な男である。




 左手の骨を一本一本曲げ、元の位置に戻していく。
 その度に激痛に見舞われたが、悲鳴を押し殺して作業を繰り返していくと、本来あるべき形に戻ってきた。全身に 掻いた脂汗がラバースーツを皮膚に貼り付けさせていたが、その脂汗が腐敗してメタンガスが溜まりつつあった。 それを抜く必要も出てきたが、まだそんな余裕はない。散々抉られ、捻られた内臓が繋がり、元の位置に戻るまで は腹に力を入れることすら出来ないのだから。
 すん、すん、と洟を啜る音が間近から聞こえてくる。狭苦しい檻の中で膝を抱えているプレタポルテが生きている 証拠だ。その傍には、土の壁が崩れ落ちてくる直前に傾いた檻の中に駆け込んできて命を繋いだプライスレスが 背中を丸めている。殴られた腹がまだ痛むらしいが、プライスレスは手回し式充電器を回していた。

「で、どーすんだよ」

 檻の中は狭く、酸素も限られているので、遠からず窒息死する。スタンドライトに照らされているプライスレスから 投げ掛けられた文句に、デッドストックはまともに機能し始めた横隔膜を使い、喋った。

「上に出る」

「どうやって」

「ぷーりゅうー」

「俺のガスがある」

「そりゃそうかもしれねぇけど、ガスは何かに詰めておかねぇと。広い場所ならともかく、こんなに狭い場所でメタン ガスを振りまいて着火させたら、それこそ一瞬でお終いだ」

「うぃい」

「袋なら、そこにあるだろう」

 そう言って、デッドストックは檻から少し離れた位置で土塊に潰されているスマックダウンを示した。

「うげ。いくらなんでも、それってダーティすぎじゃね? だって、スマックダウンのクソ親父をガス爆弾にしたら、その モツがぶちまけられるってことだろ? 嫌だよ、あんな野郎のモツなんて」

 プライスレスは声を潰すが、デッドストックは言い返す。

「殊勝なことを言っている場合か。それが嫌なら、お前のハラワタを腐らせるまでだ」

「そりゃ勘弁。つか、ストッキーがスマックダウンに勝てるとは思ってなかったぜ、ぶっちゃけた話」

「にょん」

「奴の能力の理屈が、お前と同じだと聞かされたからな。それさえ解れば、どうにでもなる。それはどうでもいいが、 なぜスマックダウンは味方の脳天を割ったんだ? そのせいで、余計な手間が増えた」

「味方じゃねぇよ。俺が知る限り、あのクローズラインって女はヴィジランテだ。若い頃にはヴィラン崩れだったって 話を聞いたことがあるけど、女だし、能力の使い方が下手くそだったから野垂れ死にかけていたところをイカヅチに 拾われたんだそうだ。で、クローズラインが拾われてから数年後に、イカヅチのギンギラギンな都市が完成したって ことを顧みると、クローズラインはイカヅチの都市の盾にされていたってことだな。だから、今までスマックダウンとか クイーンビーに都市を襲われずに済んでいたんだ。……てぇことは何か、スマックダウンは差し違えてでもクローズ ラインを殺す気でいたのか? 自分が死んでも構わねぇって思うようなタマじゃねぇだろ、あいつは」

 訝しげに首を捻ったプライスレスに、デッドストックは胃液混じりの唾液で口中を潤してから返す。

「スマックダウンが死んでもバードストライクがいる。バードストライクが死んでも他のヴィランがいる。奴はこの世界 を牢獄だと言った。俺達は囚人なのだと。だから、自分の死さえもどうでもいいんだろう」

「わっかんねぇなあー、そういうのは。俺はヴィランだけど、スマックダウンの考えはちっとも解らねぇし、ストッキーが 言いたいこともイマイチピンと来ねぇや」

「うぃ」

「俺はヴィランじゃない。ヴィランに分類され、ヴィランと連まなければ食い扶持を得られなかったから、ヴィランという 括りに填め込まれただけだ。だが、俺からすればヴィジランテは全て同類だとしか思えないように、アッパーもまた アッパーという範疇でしか捉えられないように、ヴィランもそう思われている。スマックダウンは暴力だけでヴィランを 掌握し、ヴィランの象徴たる男となっていたが、それ故にヴィランの概念に取り込まれたとみていいだろう」

「ストッキー、脳みそ腐っちゃった?」

 何真面目なこと言ってんの、と半笑いになったプライスレスに、デッドストックは自由の利く膝を打ち込んだ。

「退屈だから、下らんことを考えただけだ」

「うげぼぇっ、うー……もうゲロすら出ねぇや。んじゃ、とっとと脱出しよーぜ。でねぇと、酸欠になっちまう」

 今の時点で結構クラクラするしぃ、とぼやいたプライスレスに、デッドストックはプレタポルテを預けた。檻の鉄柱の 幅が狭かったことと、檻自体が恐ろしく頑丈だったことが功を奏して出来上がった僅かな空間から、デッドストックは 這い出したが、少し動くだけで無数の針を差し込まれたかのような激痛に苛まれた。それを堪えて、大量の瓦礫と 土塊に圧迫されて内容物を至る穴から噴出しているスマックダウンの死体に手を伸ばした。左手はまだ手袋を被せ られそうにないので、骨が折れたままの左手で瓦礫を浴びすぎて赤黒く変色した皮膚に触れた。が、その時。
 黒く尖った爪が土を掻き分けて現れ、スマックダウンの血肉に噛み付いた。





 


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