DEAD STOCK




9.Honey Daw



 クイーンビーとは、愚かな女である。
 悩ましき女王バチが築いた欲望の結晶たる街を望みつつ、マゴットは電子情報端末を操作し、配置と状況を確認 していた。いきなりイカヅチに呼び出されたかと思えば強襲作戦の用立てとは、全く人使い、いや、ハエ使いが荒い 男である。もっとも、イカヅチが金と食糧を餌にして掻き集めた能力者達は充分訓練が行き届いているし、イカヅチ に対する忠誠心も仕上がっているので、今更マゴットが口を挟むような隙間はない。要するに、現場からの生中継 をしてほしいのだろう。メダマは全自動だが、一番面白い場所を撮影するためには操作する必要があるからだ。
 七日前、マゴットはイカヅチに命じられるがままに、イカヅチの電力で生き返らせた電子機器を用いてアッパーの 用いる周波数の電波をジャックし、アッパーの番組を細切れにして合成した偽物の番組を、クイーンビーの色街へ 向けて放送した。それは、生きる上では何の役にも立たない美容と健康に関する番組だった。元々の番組自体が 馬鹿馬鹿しいので、マゴットはとてつもなく空しくなったが作業を終えた。
 クイーンビーは以前からアッパーと天上世界を羨望していて、それ故にアッパーが放送する番組の情報を鵜呑み にしていた。クリスタライズの活躍する番組だけを延々と放送し続けているのが、その証しである。それでなくとも、 クイーンビーは頭の弱い女なのだ。生まれ持った能力の弊害で、自ら分泌する神経毒が全身に回っているせいで 常に酩酊しているせいもあるのだが、物事を深く考えることが出来ない。そのくせ、女王バチとしての縄張り意識と 本能は強烈なので、アッパーからの落とし物を利用して造り上げた戦闘部隊、ジガバチを操って色街に侵入しようと する男達を阻んでは殺して、街の土台である地面に喰わせて発電させていた。どういう理屈で地面が発電するのか はクイーンビーは理解していないようだったが、土台を動かす仕組みは解っていたらしい。

「つまりあれだよ、うん、あれ」

 ごとごとと振動するトレーラーの荷台に腰掛けながら、マゴットは一人で納得した。

「イカヅチは、あの土台が欲しいんだなぁ。勿体ないもんね、あんなハシゴ状神経系の女には」

 ねえ新入り、とマゴットが振り向くと、同じく荷台の中に座り込んでいる男、バードストライクが顔を上げた。鳥を模した 覆面は泥とその他諸々で汚れきり、鍔の広い帽子も折れ曲がっていて、ロングコートは水気を吸って重たくなり、腰の ベルトには鳥は一羽も挟まっていなかった。その背後には、ヴィランの生き残り達がひっくり返っている。

「いきなり鞍替えするのは気に喰わないだろうけど、まあ、勿体ないからね。君達を追尾するためのメダマを配備して おいてよかったよ。おかげで、下水道を通じて逃げ道を教えてあげられたんだから。それにしても、君達みたいな 腕の立つヴィランがやり返されるとはねぇ。プライスレスは前から侮りがたいと思っていたけど、正直驚いたよ」

「あのクソガキは相手にするもんじゃない。殺しても殺しても生き返りやがる。気色悪いなんてもんじゃない」

「彼はスマックダウンみたいな、常識をねじ曲げる能力だからね。正攻法は通用しない」

「だから、スマックダウンでも殺せなかったんだねぇ」

「そういう相手には、なるべく近付かないことだね。それが長生きの秘訣だよ」

 お近付きの印に、とマゴットは乾燥蛆虫を詰め込んだ袋を放り投げると、バードストライクはそれを受け取り、覆面を 押し上げて口の中に乾燥蛆虫を流し込んだ。それを乱暴に咀嚼してから、覆面の位置を戻す。

「スマックダウンとの義理は果たしたからねぇ」

「おや、意外とドライだね」

 マゴットは下両足を組み、水を詰めた瓶を転がしてやった。路面の振動で瓶はぽんと跳ねたが、バードストライクは 難なくそれを受け取ると、再び覆面を上げて水を呷った。一息に半分ほど飲んでから、覆面を下げる。

「俺も生きていかなきゃならない。だから、別にイカヅチに靡いたわけじゃないんだがねぇ」

「皆、そんなもんだよ。イカヅチから、どぎつい電気ショックを受けなければね」

 マゴットは後列のトレーラーに整然と詰め込まれている兵隊達を見、上両足を上向けた。バードストライクは特に 説明されずとも理解したらしく、覆面の下でため息を漏らした。珠玉混合の能力者達は車の揺れに抗わなかった が、呻きもせず、言葉を交わすでもなく、葦のように揺れているだけだった。彼らの年齢も性別もばらばらだったが、 服装は一律で飾り気のない作業着で、皆、両のこめかみの部分にひどい火傷の痕が残っていた。
 あれこそが、イカヅチが繁栄するために築き上げた土台であり、地盤であり、労働力である。イカヅチの能力の 活用法の中でも、最もエキセントリックだ。マゴットはその憂き目には遭わなかったが、イカヅチが市民達を作る様 を見学させられたことはある。ヴィラン同士の小競り合いから逃げるためにサンダーボルト・シティに潜り込んだ者 や、イカヅチを神だとすら思い込んでやってきた者や、行き倒れなどを拾い集めては都市の一区画に住まわせる。 彼らを清潔な暮らしと安定した食事と穏やかな環境に耽溺させ、能力がある者はそれを最大限に引き出させて、 能力がなくともその兆しがある者は鍛え上げて開花させた後、イカヅチの住まうビルで行う宴の席に招く。
 そこで初めて、人々はイカヅチの姿を目の当たりにする。強化ガラスのケースの中に収まった、フルサイボーグ の男と接見する。イカヅチは過去に存在した権力者、主に独裁者の話術や振る舞い方を研究し尽くし、人心掌握に 関する技術も得ているので、程々のユーモアと厳めしさと崇高さを併せ持ったイカヅチを空っぽな人々が信奉 するまでは一時間と掛からない。そして、彼らが分不相応な食事を摂り、密造酒ではない酒を飲み、良い気分に 浸っているところで列席者が腰掛けている椅子から電極が跳ね上がり、彼らの両側頭部を挟み、通電する。
 記憶と感情が吹き飛ぶように、されども理性と能力は吹き飛ばないようにと適度に加減された電流を与えられた 人々は、それからは今まで以上にイカヅチに従順になる。電極を据えられた際にアンテナとなる針を頭蓋骨に 埋められているため、イカヅチが無線で指示を送ればいい。そうすれば、彼らは死ぬまで働いてくれる。死ねと 言えば即座に首を刎ね、殺せと言われれば親兄弟でも即座に殺し、殺し合えと言われれば殺し合う。
 なんとも悪趣味。だが、それがイカヅチの魅力だ。そんなことを考えているうちに、甘ったるい匂いの籠もる色街 が近付いてきた。触角にまとわりつく匂いの粒子が一段と多くなり、心なしか重たくなり、空気も粘ついた。
 下品な女ほど、化粧が濃い。




 ほとんど未消化のまま、甘い蜜が肛門から垂れ落ちた。
 それもそうだろう、胃に入れられた傍からまた蜜を流し込まれるのだから消化出来るわけがない。工場にいた頃 は排泄物はチューブに吸い込まれていたが、クイーンビーにはそんな知恵はないのだろう、溢れた液体はベッドに 染み込んでいく一方だった。そのせいで尻から背中までべとべとして、気色悪い。甘さを感じすぎて舌が痺れている かのようで、喉がざらつき、逆流した胃液混じりの蜜が鼻を塞いでいるので窒息しそうだ。
 デッドストックからスプーン一杯の麦芽糖をもらった時は、あんなにもおいしかったのに。もっと食べたいと思った が、食べさせられすぎると辛いだけだ。咳き込むと、その都度胃袋が跳ねて口の端から胃液と唾液と蜜が零れ、 鼻が詰まって涙が出てくる。その息苦しさで脂汗が噴き出し、内側から圧迫された下腹部からは生温い水までもが 漏れていた。穴という穴から、出せるものを全て出していた。
 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。プレタポルテは身を捩ってチューブを抜こうとするが、マスクがどうしても顔から 剥がれず、爪は頬や顎の肌に食い込むだけだった。黄色と黒の女の姿も見えない。このままでは、死んでしまう。 ああ死んでしまいたい。けれど死ねない。死にたいけど死ねない。
 彼の名を呼ぶ。懸命に呼ぶ。動かない横隔膜で、詰まった喉で、細い吐息で、彼の名を呼ぶ。厚みのない知識と 経験しかない脳に強烈に焼き付いた記憶の中で、燦然と輝く彼の背を思い描く。彼は希望そのものだ。天上世界の、 アッパーの、そしてアッパーの消耗品である人造妖精にとっても、希望になってくれるはずだ。浅はかで稚拙な願望 ではあったが、そう考えると少し気が楽になった。喘ぎながら、プレタポルテは彼を求めた。
 ヒーローを。




 微震の後、轟音と共にビルがしなった。
 恐らくは爆発だろうが、一体何が。右腕の傷口をラバースーツの上から紐で縛り付け、いい加減に止血してから、 デッドストックは鈍い頭痛が籠もった頭を叩いた。しかし、そんなことで内側の痛みが晴れるわけもなく、側頭部に 新たな痛みが増えただけだった。胴体だけではあるが、あの女は手に入れた。どうしても殺せないという事実だけを 知らしめられたが、目的は達成した。問題は、その女を連れていけないということである。
 女の胴体は大きく、重たいので、デッドストックの擦り切れたショルダーバッグに入るわけがない。だからといって、 砕こうにも硬すぎてどうにもならない。クリスタライズの能力で成した結晶は、ダイヤモンド並みの硬度を誇る。滅多な ことではヒビも入らないだろうし、細かくしても重量が変わるわけもない。だが、粉々にすれば女の願いに少しばかり 近付けるのではないかと考えた末、デッドストックはふらつきながらも立ち上がり、女の胴体を蹴っていった。
 ごとん、ごがん、ごずん、と汚れきった絨毯に傷を付けながら、リザレクションの胴体が転がっていく。体力を消耗 した身では、それだけでも随分な重労働だったが、何もしないよりはマシだ。それに、時折襲い掛かる振動がデッド ストックを手助けしてくれた。その甲斐あって、リザレクションの胴体は幅広い階段まで進み、もう一蹴りすると背中 から一息に滑り落ちていった。一度深呼吸してから、デッドストックも階段を下りていった。
 一段一段確実に踏み締めていくと、聞き覚えのある駆動音が聴覚を掠めた。ジガバチである。女王バチとその巣 の異変を察知して、やってきたのだろう。このまま、生きて逃げられるとは思いがたい。しかし、ろくに抵抗せずに せずに殺されるような女々しい趣味はない。デッドストックはリザレクションの胴体の元に至ると、ラバーマスクの下に 左手をねじ込んで手袋の指先を噛むと、勢い良く手袋を外した。

「いよお、ストッキー!」

 ぶびびびびびび、との羽音と共に吹き抜けを迫り上がってきたジガバチの上に、少年が跨っていた。但し、その姿 はデッドストック以上にひどいものだった。オレンジ色の作業着は彼自身か他人の血でどす黒く染まっていて、本来の 色がほとんど残っていなかった。腐肉と思しき崩れた物体が至る所に貼り付いていて、短いブロンドの髪は吐き気が する臭気を放つ腐敗汁によって固まっている。あまりの惨状に、デッドストックは少々毒気を抜かれた。

「……何があった」

「うっわーマジ感激なんだけど、ストッキーが俺の心配してくれるなんて! デレるなんて! うひょほほおぐぇっ」

 いつも通りにはしゃぎだした少年に、デッドストックは間髪入れずに跳ねて一回転して蹴りを加えた。強かに首を 刈られたプライスレスはジガバチの上から落下し、転がったが、ぎゃあと叫んで首を押さえた。

「うっげぇマジビビッたぁ! 首がまた外れるかと思ったぁ! うわあでも無事だし! 俺ってヤベェー!」

「何があった」

 デッドストックは相変わらずのプライスレスの態度に僅かばかり安堵したが、声には出さなかった。プライスレスは しきりに自分の首が繋がっているかどうかを確かめ、捻り、曲げ、反らした。そこで、少年の背中が空っぽである ことに今更ながら気付いた。デッドストックとプレタポルテがハニートラップに連れられてクイーンビーの元に導かれた 直後にでも、彼の全財産が入ったリュックサックが奪われたのだろう。

「一言では言い尽くせないけど、死にそうになったのは見りゃ解るだろ? おかげで一張羅が血塗れでズタボロで、 でも着替えの入ったリュックサックは奪われちまってさぁ、俺の人生詰みそうなんだよ。訳の解らねぇことも多いが、 あのプライドばっかり高くて執念深いヴィラン共が俺を殺しもせずに引き下がったのが一番意味不明すぎ。つか、 あいつらからすれば、俺達はスマックダウンの仇だろ? なのに、バードストライクの野郎は俺の頭に鳥ちゃんを 命中させもせずに引っ込みやがった。なんでだと思う?」

 と、プライスレスが肩を竦めた途端、吹き抜けの壁に映し出されていた空が轟音と共に突き破られ、羽根の付いた 物体が反対側の壁に突き刺さった。プライスレスは上向けていた両手を下ろしてからぎこちなく振り返ると、壁に めり込んでいるのは金属の鳥とも称される巨大な機械だった。赤く錆び付いていて骨組みが露わになっているが、 両翼は辛うじて付いていた。ということは、あれも鳥の範疇に入るのだろう。

「あー、なぁるほどねぇ……」

 じりじりと後退してジガバチの上によじ登ってから、プライスレスはガスマスクの上から顔を覆った。

「一旦引っ込んでから出直して、俺達を娼館ごとぶっ飛ばす気なんだぁー!」

「それはおかしい」

「いや、それはストッキーの方がおかしいって! どう見たって俺達を殺す気だろ!」

「性欲と食欲と暴力だけで生きている男共が、俺とお前を殺すためにわざわざ娼館までもを壊すのか?」

「あっ……まあ、そうだな、うん」

「それと、お前はどうやってそのジガバチを掴まえてきたんだ」

「掴まえたわけじゃねぇよ。こいつらを操作しているのはクイーンビーのフェロモンと神経毒の混じり合った空気と弱い 電気信号なんだけど、そのどれもがグチャグチャだから、俺の声を聞かせ放題ってわけ。どうだ、凄ぇだろ、思い切り 褒めてくれたってもいいんだぜぇ? んー?」

 にたにたと笑ったプライスレスを再度殴り、デッドストックは左手の拳を振った。プライスレスに命じて、ジガバチ にリザレクションの胴体を抱えさせてから、デッドストックもジガバチの上によじ登った。が、人間二人と胴体の重量は かなりのものらしく、ジガバチはよろめいたが、プライスレスが引っぱたくと姿勢を戻して上昇し始めた。

「お前の荷物は誰に盗まれた」

「さあ? 盗んだ奴が解っていたら、ストッキーのところになんて来てねぇよ。そいつを殺しに行っているって」

「そうか」

「んで、どーする? 妖精ちゃんを助けに行く? ヴィラン共と一戦交える? でなきゃ、トンズラぶっこく?」

 へらへらと笑いながら、プライスレスはデッドストックを小突いてきた。デッドストックはガスマスクのゴーグルの奥 を凝視して、少年の目が一切笑っていない事実を認めた。戦えと言いたいのだろう、人造妖精を助けに行けよと怒鳴って しまいたいのだろう、そして俺の全財産を取り戻すのを手伝えとも命じたいのだろう。だが、能力を使おうとしないのは、 少年なりにデッドストックを信頼しているからだろうか。利用し尽くしたいだけではないのか。だとしても、プライスレスが 得る利益とデッドストックが得る利益はイコールではない。むしろ、プライスレスの利益となる行動が自分にとっては 不利益となる場合も多い。となれば、結論はたった一つしか導き出されない。
 事を済ませたのだから、逃げるに限る。





 


13 7/18