DEAD STOCK




Nest Box



 雛鳥には、破るべき殻が幾重にも与えられている。
 まず最初に、遺伝子の適合率が低ければ受精卵の時点で廃棄される。その次に、培養器の中での育成速度が 遅ければ生育不良として廃棄される。更にその次に、新生児の時点で脳の発達が悪ければ廃棄される。更にまた その次に、能力を引き出すために脳に埋め込まれる電子部品が馴染まなければ死亡する。などと、立ちはだかる 障害は数え上げていけばきりがない。それらを全て乗り越えた頃には、十万体もの兄弟は一万分の一にまで減って しまっていた。だが、その後もまだ障害はある。最後の最後まで生き延びた個体であろうとも、能力に目覚めること が出来なければ、廃棄処分されて訓練用のデコイとして扱われてしまう。
 その運命を嘆いたこともなければ悲しんだこともないのは、それ以外の環境を知らずに生きてきたからだ。両手 に載せた鳥の模型を見つめ、少年は黒い塗料で作られた瞳を親指でなぞった。プラスチックの冷たさとつるりとした 感触が返ってきた。重さはせいぜい百数十グラムで、中身は空っぽだ。子供のオモチャだ。
 しかし、これには翼がある。少年は鳥の模型を右手で持ち上げると、目を細めた。集中力を高め、息を詰め、目標 を見定める。出力を調整したトラクタービームで空中に固定されているのは、頭に袋を被らされている少年だった。 細い四肢は弛緩しきっていて、抵抗する気配もない。個体識別番号を記された服を脱がされた少年は、代わりに 真っ白で真っ新な服を着せられていた。上下に分かれておらず、背中に付いているファスナーには電子ロックが 掛けられているので、それを解除してもらわなければ脱ぎ着出来ない服だ。排泄すらも許されない。だが、それを 屈辱だと感じた子供は一人もいなかっただろうし、これからもいないだろう。管理されることに対して、疑問を持つ ことすら愚問だからだ。個体識別番号を呼ばれた少年は、手にしていた鳥の模型を放った。
 紙飛行機を宙に飛ばすのと全く同じ動作で空中に放たれた鳥の模型は、少年の手から離れて間もなく急加速し、 目標に激突した。加速させる加減を間違えたらしく、激突した際に発生した衝撃波が脇腹の肉をごっそり抉った。 血飛沫の粒が散らばり、未発達の筋肉と骨格に包まれていた内臓が零れ出し、空っぽの細い腸が漂った。

『命中精度が予測の数値を下回っている。修正せよ』

「了解」

 少年はもう一つの鳥の模型を手にすると、息を詰め、目標を睨んだ。肉体の内容物を撒き散らしている目標は 出血多量で痙攣しているが、両手足の拘束が解けないので胴体が不規則に跳ねるだけだった。的は小さいが、 位置さえ確実に認識すれば命中させられる。過去の訓練での経験を元にし、脳内を駆け巡る血流を制御する かのようなイメージを作り、鳥の模型のクチバシを的に向ける。それは、目標である少年の心臓だ。
 直後、鳥の模型が少年の胸に大穴を開けた。




 少年を取り巻く世界は、イミグレーターの世界だった。
 母なる星を捨てて外宇宙へと旅立った人類、イミグレーターを突き動かす原動力は、地球への望郷の念だった。 度重なる天変地異によって環境が激変していようとも、故郷であることに代わりはないからだ。地球に住んでいた 経験がある第一世代はもちろん、その後の世代にもその望郷の念は受け継がれた。というより、遺伝子レベルで 刷り込まれていた。だから、皆、実物の地球は知らなくとも、その構造や外見は知り尽くしていたし、現在の地球 を弄んでいるアッパーと地球を汚染し続けているダウナーに対しては、並々ならぬ憎悪も抱いていた。その二つの 極端な思想が、歴史の浅い民族を束ねていた。
 当初は移民先の惑星を見つけるために建造された宇宙の箱船は、その役割を果たすことはなく、太陽系の周囲を 取り巻いているオールトの雲の中を彷徨い続けていた。そうなった原因は多々あるのだが、太陽が生み出す重力の 井戸から脱するために確立された空間跳躍理論に致命的な破綻が見つかったから、という説が最も有力とされて いる。もっとも、それは第五世代のイミグレーターが過去の世代に責任を押し付けるための与太話である、と いう噂もまことしやかに囁かれてはいるのだが。
 少年は、イミグレーターが地球を取り戻すために生み出した生体兵器の一種であり、汚染された地球を浄化して イミグレーターに適応した環境に改変するための鍵だった。しかし、真っ当に地球環境を整えていては何億年もの 時間が掛かるので、地球の概念そのものを塗り替えてしまう方が余程手っ取り早い。神の所業といっても過言では ない大業を可能にしたのが、量子コンピューター、通称クォンタム・ドライブであった。
 クォンタム・ドライブとは、イミグレーターの最大の発明である。破綻していて役に立たないとばかり思われていた 空間跳躍理論を、遺伝子操作によって生み出された科学者が計算し直して修正したところ、長らく人類が切望して いた量子コンピューターを作り出す足掛かりとなった。それを下地にして改良を加えた後、完成したのが、宇宙の 箱船に無限の動力を与えてくれる量子エンジンだった。その無尽蔵な演算能力によって、どれほど研究しても解明 することが出来なかったダウナーの能力の仕組みを分析出来たばかりか、地球の衛星軌道上に放棄されている 宇宙ステーションを再起動させることも出来た。クォンタム・ドライブの力を借りたイミグレーターは、第五世代以降の 子孫に大幅な遺伝子操作を加え、地球を奪還する作戦に本腰を入れ始めた。
 だが、地球環境はおぞましい変化を遂げ、アッパーはダウナーと住む世界を隔てるために壁を作って地球全体 を覆い尽くしてしまっていた。その壁を形成しているのは鉱物でもなければ金属でもなく肉だった。宇宙ステーション から投下した探査機を使って調査した結果、壁を構成している物質の正体が判明した。遺伝子情報を持ち、蛋白質と ミネラルと水分を含み、骨格と臓器を宿している、不老不死の女性だった。
 アッパーは地球を包む女性の肌に住み着き、ダウナーはその女性の肌の下で這いずり回っていた。地球の外側 にいるイミグレーターが地球に降り、クォンタム・ドライブを作動させるには、その女性の肌の下に潜り込む必要が あった。だが、女性が生き物である以上、穴を開けてもすぐに塞がってしまうだろうし、免疫に異物として認識されて 排泄されてしまうので、そう簡単に滑り込めまい。そこで考え出されたのが、娯楽に耽溺しているアッパーに愚かな 習慣を授けることだった。アッパーが常時見ている立体映像の番組、ヴィジョンの放送局をジャックして番組内容を 改変し、アッパーにリアル路線のヒーロー活劇を見せた。新たな娯楽と刺激にアッパーは狂喜し、イミグレーターの 予想を遙かに超える効果が現れた。それ以降、アッパーはイミグレーターが時折送り込む人材を犯罪者として認識 するようになり、ダウナーの蔓延る地下世界に送り込んではマンハントを楽しんだ。時には地下世界で秀でた活躍を していたダウナーを引っ張り上げ、ヒーローに仕立て上げたりもした。
 機が熟した頃、少年は宇宙ステーションに移送された後、アッパーの娯楽に消費される犯罪者に姿を変えて地球 へと降下した。能力を拡張するために頭部に埋め込まれた電子部品の数が増えたため、中世ヨーロッパのペストの 医者が付けていたような鳥を模した覆面を付け、電子部品を覆い隠した。
 狭い檻の中、オレンジ色の作業着に身を包んだ少年は、イミグレーターの上層部から下された命令を幾度となく 反芻していた。先発のイミグレーターがダウナーと交配した末に産まれた混血児は、潜在的にクォンタム・ドライブ を操作する能力を持っている可能性が高い、のだそうだ。これまでに誕生したイミグレーターとダウナーの混血児は 十人にも満たず、その中で概念操作系能力を持つ者がいるのかどうかも不確かではあったが、可能性があるという のであれば行動しなくてはならない。その概念操作系能力者が発見出来なければ、ダウナーと交配し、次世代の 混血児を産み出せ、という命令も下されていた。少年は頭蓋骨を通り抜けて脳に直接突き刺さっているケーブルの 違和感に顔をしかめながらも、イミグレーターが切望して止まない地球に至る瞬間を待ち侘びた。
 太陽系外周部から始まった長い旅の終点は、ゴミ溜めだった。




 それから、二十年以上もの年月が過ぎ去った。
 手足が細く色も白かった少年は、時間の経過と共に手足が伸びきり、身長がやたらと高くなった。地下世界での 生活にも、七転八倒しながら慣れていった。宇宙の箱船の中で受けた教育はほとんど役に立たず、イミグレーター の常識は一切通用せず、誰も彼もが欲望を滾らせて生きていた。動物というには汚濁していて、人間というには理性 を欠きすぎていた。けれど、馴染んでしまえば楽なもので、立ち回り方さえ間違えなければ殺されそうになることも なくなった。そして、いつしか少年は、個体識別番号ではない名を名乗るようになった。

「バードストライクってぇのは、お前だぁなぁ?」

 訛りがきつすぎて聞き取りづらい言葉を吐き付けてきたのは、見上げるほど大柄な男だった。がっしりとした骨格 を分厚い筋肉が覆い尽くしていて、古めかしいガスマスクを被っている。綺麗に剃り上げられた頭部の左側頭部には ドクロのタトゥーが入っていて、厳めしい顔を支える首は筋肉が張り詰めていて恐ろしく太い。

「ああ、そう呼ばれてはいるねぇ」

 使い慣れたダウナー言語で言葉を返してから、かつての少年、バードストライクは鍔の広い帽子を上げた。男の 名も正体も素性も、遺伝子情報さえ知っている。なぜなら、目の前に立つ大男は、バードストライクが長年探し求めて いたイミグレーターとダウナーの混血児だったからだ。お仕置きという言葉さえ付ければ、いかなる相手やモノにも 攻撃を加えられる能力の特異さは、ダウナーの間でも評判になっていた。ダウナーの中でも特に凶悪な能力者 達、ヴィランと関わりながら調べていくうちに、大男の母親はヴィラン崩れの娼婦であると知った。大男の母親は、 娼婦に身を窶す以前は吐き付けた唾を炎に変える能力を用いて悪行の限りを尽くしていたが、ヴィラン同士の抗争 で敗北した後にクイーンビーの娼館に端金で売り飛ばされた。その娼館にて、地下世界を辛うじて生き延びていた 先発隊のイミグレーターが彼女を孕ませ、産ませたのが、この男だった。その名を、スマックダウンという。

「ちぃとぉっ!」

 スマックダウンは腰を捻って大きく振りかぶり、バードストライクの腹に拳を埋めた。鉄塊にも等しい打撃をもろに 浴びせられたバードストライクは呆気なく吹き飛ばされ、背後の瓦礫に叩き付けられた。息が出来ず、声も出せず、 膝を折って咳き込むしかなかった。スマックダウンの重たい足音が迫り、つま先が顎を上向かせた。

「ツラ、貸せぇや」

「……あ?」

 ようやく見つけた概念操作系の能力者を観察するために、スマックダウンには不用意に近付かずにいたのだが。 バードストライクが掠れた声を漏らすと、スマックダウンはごきりと太い首を鳴らす。

「ここんとこ、俺の周りを嗅ぎ回っていたのはお前だろぉ?」

「さあてねぇ」

「良い度胸してんじゃねぇかぁっ!」

 ぐぎぃっ、と底が磨り減った靴底に喉を潰され、バードストライクは大きく仰け反った。その拍子に鍔の広い帽子も 吹き飛ばされそうになるが、反射的に帽子を押さえた。そうしなければ、頭部に埋め込まれている多数の電子部品 のケーブルが露出してしまうからだ。後頭部は髪を伸ばして隠してはいるが、額に近い部分は誤魔化しようがない。 覆面の下で喘ぎながら、バードストライクは涙の滲んだ目でスマックダウンを仰ぎ見る。
 勝てるわけがない。地下世界で培った経験が、即座に結論を出した。イミグレーターの小手先の戦闘術では、日々 命懸けで戦い抜いてきたヴィランに敵うはずもない。増して、それがスマックダウンでは尚更だ。有象無象の 悪人共を力で押さえ付け、拳一つでヴィランをまとめ上げた男なのだ。だが、こんなところで死んでは、当初の目的 を果たすどころではなくなる。そこでバードストライクは、賭けに出た。彼を騙せれば、こちらの勝ちだ。

「……ちょっと、思い違いをしているんじゃないのかねぇ?」

 一つ大きく咳き込んでから、深呼吸し、バードストライクは声色を整える。

「俺はねぇ、あんたの手助けをしたいって思っているのさ」

「んだぁ? しらばっくれてんじゃねぇぞぉ、鳥野郎がぁ」

「あんたはイカヅチに一矢報いたい、そう思っているんじゃないのかい?」

「あの屑野郎にむかついてんのはなぁ、俺に限った話じゃあねぇ。お前もヴィランの端くれなら、イカヅチの馬鹿 がどれだけ馬鹿なのか、解るだろぉがぁ」

 体毛が濃く太い眉を寄せ、眉間にシワを刻んだスマックダウンは、バードストライクを見下ろしてくる。

「その、クソッ垂れヴィジランテをぶちのめす手伝いをしたいと思っていてねぇ」

 寄せられた眉の片方が上がったことを、バードストライクは見逃さなかった。興味を持った証拠だ。ならば、彼に 付け入る隙が出来たというわけだ。バードストライクはもう一度咳き込んでから、スマックダウンを取り巻く状況と 矛盾がない程度に思い付きを話し始めた。正直、バードストライク自身はヴィジランテであるイカヅチに対してはそれ ほど興味はない。御山の大将に過ぎないからだ。
 もうちょい話を聞かせてくれや、とスマックダウンはバードストライクの襟首を掴み、持ち上げた。そのせいで首が 締まりそうになったが、バードストライクを殺さずに生かしてくれたのであれば充分だ。問題は、その場の思い付き だけの作戦を実行に移せるかどうかである。それが上手くいかなければ、今度こそ殺される。例の壁が分厚すぎて 地下世界からはイミグレーターと連絡を取り合えないので、せめて壁を支えている塔を倒さなければならない。が、 その塔を取り囲む形で街を作ったイカヅチとヴィジランテをどうにかしなければ、近付けもしない。だから、ヴィランを 焚き付けるのはいい手だ。バードストライクはずれた帽子を被り直してから、大男の背を追った。
 けれど、その背に近付く勇気はなかった。







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