横濱怪獣哀歌




流レニ伴ワレヨ



 幼い発電怪獣が泣き止んでから、狭間はその心中を聞き出した。
 横浜一帯の新たな電源となるべく、小笠原諸島から連れてこられた発電怪獣バンリュウは、怪獣の中でも過激な 思想を持つ派閥、強硬派と接触することを恐れている。バンリュウは穏健派だが、怪獣同士の派閥争いに加わる つもりもない。小笠原諸島近海にいた時と変わらず、のんびりと過ごしていたい。人間に電気を与えて生活を支え、 喜んでもらいたいとも思っている。他の発電怪獣達とも仲良くしたいと願っている。だが、強硬派に脅されたら、 強硬派に接触したことで強硬派に傾いたと思われて穏健派の怪獣達に嫌われてしまったら、その変化を光の巨人 に感じ取られてしまったら、と考えれば考えるほど不安が膨らんでいく。

「だから、動けなくなったのか」

 狭間は岩場に胡坐を掻き、バンリュウと向き合っている。その膝の上に座るツブラは呆れている。

「バンリュウ、コワガリ」

〈だって……こわい……〉

 ぐずっと鼻を鳴らしたバンリュウは、波間に鼻先を没し、ぼちゃぼちゃと涙を海に散らした。

「おのぼりさんというよりも、登園拒否をする幼稚園児の如しだね」

 狭間の隣で仁王立ちしている羽生は、白衣の裾が海風で翻っている。その度に、研究者らしからぬ原色の紫の スラックスがちらちらと見えた。相変わらず趣味が悪い。

「え、その、羽生君はお子さんのご予定でもあるのかい?」

「ないよ、あったとしても君なんかに言うわけがないだろ、この僕と満月の問題であってだね」

「子供のあしらい方なんて知らないわよ、私」

「俺も知らないですよ、そんなの」

「シーラナーイ」

〈だったら、いったいなにしにきたのぉ……〉

 四人と一匹の会話を耳にしたバンリュウは嘆き、しゃくり上げた。狭間もそれはもっともだと思ったが、この問題 の全てはバンリュウが意固地になっているせいなので、バンリュウに言われる筋合いはない、と思い直した。すると、 バンリュウは狭間の感情を感じ取ったらしく、体のほとんどを海中に沈めてしまった。

〈がんばれっていわれてがんばれたら、だれもくろうはしないよ〉

「そりゃそうかもしれんが」

〈ひとのこにだってあるでしょ、こわいものは。だったら、ぼくのきもち、わかるよね〉

「解る。が、解るからこそ、どうにかしないとならんとも思っているんだ」

〈なんで?〉

「トラブルの根源から潰さないことには、いつまでたっても同じことの繰り返しになるからだ。俺なんかが九頭竜会と まともに立ち向かえるわけはないし、立ち向かうとしてもツブラの力を借りることになるだろうが、九頭竜会の興味を 俺から逸らしてやらないことには死ぬまで命を狙われる。それもこれも、強硬派のカムロのせいなんだが……」

〈うわあああああっ、やっぱりこわい、こわいっ〉

「あ、やべ」

 うっかり強硬派の名を出してしまった。狭間は後悔したが、もう手遅れだった。落ち着きかけていたバンリュウは 再びパニックに陥り、その場で回転して渦を巻いている。そのせいで浦賀水道の海流が大きく乱れ、鳴門の渦潮の 如し大渦がいくつも出来てしまった。幸い、海上保安庁の小型船舶は引き揚げた後だったので、無用な被害は出ず に済んだが、無数の大波が岩場に激突しては砕け散った。台風の最中のようだ。

「カムロって怪獣の名前?」

 愛歌に問われ、狭間は返す。

「ええ、そうです。九頭竜会の御嬢様の麻里子さんの髪の毛に成りすましている小型怪獣で、髪の毛の一本一本が 毒針になっていて、その毒針を九頭竜会の組員と麻里子さんに刺して操っていると本獣が言っていました。それと、 九頭竜会が所有している山と一体化している怪獣の名前はゴウモンといって、人間を麻痺させる成分を含むガスを 発生させる能力があるんですけど、その名前と能力の割には穏健派なんですよ」

「ああ、あの山ね。群馬と栃木の県境にある山で、名前は確か……」

 愛歌が言いかけると、羽生が強く言った。

「ミカドダケだ。御の門に岳と書く。元々、御門岳の所有者はその土地の人間だったんだが、戦中戦後のゴタゴタで 山の登記が二束三文で買い上げられたんだ。ドイツ人の資産家にね。そのドイツ人は真っ当な商売人でもなければ 学者でもなく、言うならばペテン師だ。本人は魔導師だの魔法だのと言い張っていたようだが、怪獣と人間の結合 手術なんてものは多少の知識と技術があれば誰にでも出来ることだ。術後の経過を無視すればね。そのドイツ人だけ でも厄介なんだが、その弟子がもっと煩わしくてね。二度と会いたくないよ」

「あら、随分とお詳しいのね」

 説明する手間が省けたと言わんばかりの愛歌に、羽生はただでさえ吊り上がった目を更に釣り上げる。

「色々あってね」

「ドイツ人の資産家って、それ、もしかしてヴォルケンシュタイン家ですか?」

 嫌な予感に苛まれた狭間が小さく挙手して発言すると、鮫淵が答えた。

「あ、うん、そうです。旧ドイツ軍の軍医で、中世のいかがわしい技術の研究者で、財源がよく解らないけど資産は たっぷり持っていた一族です。今は本国に戻っちゃったみたいですけど。日本に来たばかりの頃は横浜に住んでいた そうですけど。で、その、狭間君、ヴォルケンシュタイン家のこと、どこで聞いたんですか」

「俺のバイト先の古代喫茶・ヲルドビスのマスターが奉公していたのが、そのヴォルケンシュタイン家だったんです」

 狭間は苦い気持ちになり、顔を逸らす。出来れば知りたくなかったが、知ってしまったものは仕方ない。

「道理で、九頭竜会が元町の辺りでは大人しくしているわけだよ。狭間君は知らないだろうが、九頭竜会は過去に 解散する寸前まで追い詰められたことがあるんだ。中国マフィア、渾沌との抗争が激しくなりすぎて、あの御嬢様 も抗争に巻き込まれて危害を加えられた。九頭竜総司郎と腹心の部下達が死ぬ気で暴れまわったおかげで、最後の 最後で九頭竜会が勝ったけど、勝利の代償はとてつもなく大きかった。組員の大多数が死ぬか逮捕されるか入院 するかでいなくなっていたし、何よりも活動資金を使い果たしてしまった。そこで九頭竜会に援助を申し出たのが、 先述のヴォルケンシュタイン家ってわけだ。その甲斐あって九頭竜会は持ち直し、御嬢様も回復し、今に至るわけ だが、そのヴォルケンシュタイン家が何もせずにいるのが不気味なんだよ。ヴォルケンシュタイン家の元使用人の 海老塚甲治が経営する喫茶店を元町に置いたぐらいで、それ以外は何もない。嫌な静けさだよ」

 羽生が一息に説明してくれたおかげで、狭間は海老塚とヴォルケンシュタイン家と九頭竜会の関係性について考え込む 必要はなくなったが、別の疑問が湧いた。

「羽生さん、なんでそんなに九頭竜会の事情に詳しいんですか?」

「色々あるんだよ、この僕だからこそね」

 話が脱線したよ、と羽生は顔を逸らす。

「愛歌さん、俺」

 狭間がアルバイトの辞意を口にしようとすると、愛歌はにんまりする。

「ヲルドビスのバイト、辞めるなんて言わないでよね? 生活費を折半してくれなきゃ追い出すわよ?」

「ですよね……」

「ネ!」

 消沈した狭間を、ツブラがばしばしと叩いてきた。小さな手で、たまに触手で。励ましているつもりらしい。

〈だから、こわい。ひとのせかいも、こわい……〉

 小刻みに震えているバンリュウを、鮫淵がじっと見つめていた。研究者としての眼差しとは異なる、同情と共感が 混じったものだった。声が聞こえなくとも、バンリュウが怯え切っているのは誰が見ても解る。

「えと、その、狭間君。バンリュウはまだ怖がっているんですか?」

「ああ、はい。人の世界も怖いって言い出しました」

 鮫淵に聞かれたので、狭間が聞き取ったバンリュウの言葉をそっくり伝えると、鮫淵は考え込んだ。

「なるほどなぁ……。どちらの派閥にも入ろうともしないということは、中立派、或いは保守派という新たなカテゴリー に所属することになってしまうわけで、けれど、その中立或いは保守派はどちらでもないからこそ味方が少ないわけ であって。うん、それは確かに恐怖だよ。怪獣は僕達とは違う生き物だけど、群れる性質はある。僕達が日常生活 で使う動力源の小型怪獣達は、加工され、機械に入れられ、人間に使われることで都市の大きさに見合った規模の 群れを形成している。群れが大きいと、タテエボシのような超大型怪獣に接近されたとしても、縄張り意識の強さで 超大型怪獣の接近を阻止出来るし、最悪、群れ全体を暴走させて自衛することも出来るだろうね。大きな流れに 押し流されるのは楽ではあるけど、その分、己の自我や自意識といった人格じみたものが薄らぐ。それはそうだ、 巨大な機械の歯車になるようなものだからだ。バンリュウのような大きさの怪獣は、体格に応じて脳の体積も大きく なるから、自我も強くなるし、知性も発達する。自我は武器であり、権力である一方、異端の証でもある。だから、 バンリュウの恐怖は自我の強さの証明であり、怪獣としての立場の高さを示していることでもあるけど」

「と、鮫淵さんは言っているがバンリュウはどう思う」

 淀みなく話す鮫淵を示して狭間が尋ねると、バンリュウは首を縮める。

〈いや、その……。べつに、そこまでふかくかんがえてもらわなくてもいいんだけど、な……〉

「まあ、好きに考えさせてやろうや。鮫淵さんのクセみたいなもんだから。どうしても自力で動きたくないって 言うのなら、巨大化したツブラに運び出してもらうって手もあるぞ。最終手段だが」

 狭間の提案に、バンリュウは逆方向にも首を捻る。

〈あれ、あついから……。ちょっと、こまる〉

「熱い? ツブラが? どこを触っても冷やっこいんだけどなぁ」

〈あついんだ、すごく。だから、やけどするの、こまる〉

「怪獣も火傷するのか」

〈するよぉ。かいていかざんにちかづきすぎたりすると、すぐにやけどしちゃうよ〉

「送電線を体に巻き付けられるのは痛いのか?」

〈いんべとうでれんしゅうしてもらったんだけど、そのときはあんまりいたくなかった。うごけなくなるのは、ちょっとだけ たいへんだけど、そうでんちゅうはたいおんがさがるから、じっとするしかなくなっちゃうんだけどね〉

「発電怪獣も大変だな」

〈たいへんだけど、ぼくががんばると、にんげんがよろこぶし、ぶんめいがはってんするんでしょ? だから、ぼく、 いっぱいがんばらなきゃならないんだ。だけど、がんばろうっておもえばおもうほど、イナヅマみたいにがんばれる かなぁっておもっちゃって、そうおもうと、もっともっとこわくなるんだ〉

「イナヅマはイナヅマで、バンリュウはバンリュウだ」

〈びっくりしたら、ていでんしちゃうかもしれないよ〉

「停電なんざ珍しくもなんともない」

〈こわくなったら、うみにもぐっちゃうかもしれないよ〉

「送電線さえ切れなきゃ大丈夫だ」

〈いやなことがあったら、ないちゃうかもしれないよ〉

「それはまあ……聞き流してやる」

〈つらいことがあったら、にげだしちゃうかもしれないよ〉

「そういう時はツブラに連れ戻させてやる」

〈かなしいことがあったら、ずっとずっとないちゃうかもしれないよ〉

「おー、泣け泣け。で、気が晴れたら、また仕事に戻ればいい」

〈ぼくのはなし、きいてくれるんだね〉

「俺はそれが仕事だ。日当十万のためだ」

〈みもふたもない〉

「世の中、そんなもんだ」

〈ありがとう、ぼくのはなしをきいてくれて。おかげで、ぼく、ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけだけど、がんばれる かもしれない。だから――――〉

 少しだけ声に覇気が出てきたバンリュウは水面から顔を出し、首を伸ばして顎を開いた。太い牙の隙間から海水の瀑布 を落としながら、咆哮を放とうと喉を膨らませた。と、その時。 

〈いい加減にしなさあああーいっ!〉

 海中から怪獣の怒鳴り声が響き、海面が盛り上がって割れた。そこから出現したのは、ヤシガニ型の発電怪獣、 ガニガニだった。ガニガニは一際巨大な鋏足を振りかぶると、それをバンリュウの横っ面に思い切り叩き付けた。 巨大な鋏足に強かに殴られたバンリュウは真横に薙ぎ払われ、浦賀水道の真ん中にひっくり返った。ガニガニは 体中に巻き付いた千切れた送電線から漏電させながら、鋏足で海面を殴る。

〈これ以上の我が侭は許さないんだからね! 発電怪獣の先輩として、怪獣のお兄ちゃんとしても!〉

 ねえ聞いてるの、ねえってば、とガニガニはバンリュウを揺さぶるが、バンリュウはガニガニの鋏足に強かに 殴られた衝撃と精神的なショックで気が遠くなってしまったようだった。その証拠に、バンリュウの声が聞こえなくなった。 ガニガニはいいことをしたと思い込んでいるようだが、その逆だ。せっかくバンリュウの決心がまとまりかけていたと いうのに、後一歩というところだったのに。狭間はツブラを見下ろすと、ツブラは口から触手を伸ばした。
 それもこれも、日当十万のためだ。





 


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