ヴィクトリアは、退屈していた。 占術の店を休みにするとやることがない。溜まった家事は終えてしまったし、買い物に行くには早すぎる。 新聞も読み終えたし、普通の鉢植えに見せかけて育てている魔法植物の手入れも朝のうちに終えてしまった。 もちろん、朝食も食べ終えてしまった。一人分なので、作るのも食べるのもそれほど手間取らずに終わってしまう。 仕方ないので、一番最初に目に付いた本を捲っていた。共和国から持ち出した魔導書で、随分読み込んでいる本だ。 魔法を制限された環境とはいえ、勉強を欠かせば腕が落ちる。せっかく修練したのだから、腕を落としたくはない。 それを三分の一ほど読み終えた頃、気配を感じて顔を上げた。直後、裏口が叩かれて、明るい挨拶も聞こえた。 ヴィクトリアは足早に二階から降りて、裏口の扉を開けた。訪問者は、幼馴染みであり同志、リリとロイズだった。 二人が入ってから、ヴィクトリアは扉を閉めて鍵を掛けた。薄暗い室内に入ると、リリの足元の影が奇妙に歪んだ。 そこから銀色の装甲を被った頭部が現れ、両肩と翼の付いた腕が引きずり出され、最後に長い足も外に出た。 フリューゲルは伸びをしてから、ヴィクトリアに挨拶してきた。家の中なので、その鳴き声は無遠慮に大きかった。 「くけけけけけけけけ! 来てやったんだぞこの野郎ー! 感謝しやがれってんだぞヴィクトリアー!」 ヴィクトリアは長い髪を払い、素っ気なく切り返した。 「それで、今日は何か用事でもあって?」 居住部分である二階に繋がる階段を上りながら、ヴィクトリアは二人と一体に尋ねた。 「いつもと同じく、特にあるわけないだろ」 ロイズは、狭い階段の天井に頭をぶつけないように身を屈めた。 「街に出るのも悪くないんだけど、遊ぶとなるとお金が掛かっちゃうしね」 ちょっと申し訳なさそうに、リリは肩を竦めた。 「くけけけけけけけけけけけけけ! 相変わらず湿気てる家だなこの野郎ー!」 盛大に両腕を振り上げたので、フリューゲルの両翼は土壁に衝突し、ぱらぱらと細かな破片が飛び散った。 「うるさいのだわ」 ヴィクトリアは、ぴんと指を弾いた。途端にフリューゲルはつんのめり、頭から転倒した。 「くきゃっ!」 「いつから家の中は治外法権になったんだよ?」 魔法使うなよ、とロイズがぼやくが、二階に上がったヴィクトリアは取り澄ましていた。 「あら。私がいつ魔法を使ったのかしら。指を弾いたらその拍子に馬鹿鳥が転んだだけなのだわ」 「また屁理屈言っちゃってぇ」 リリが苦笑すると、起き上がったフリューゲルは、よたよたと這いずって階段を上る。 「いっ、痛くないんだぞ…この野郎…」 「とりあえず、上がりなさい。私は退屈しているのだわ。話し相手にでもなりなさい」 ヴィクトリアは、一階の店舗よりも手狭な居間兼台所に入った。ロイズは居間に入ると、カバンを床に放った。 リリは階段を上り終えるとしゃがみ、魔法による痛みに苦しんでいるフリューゲルの手を掴み、引っ張り上げた。 共和国を出る際に能力を大幅に削られてしまったため、戦闘能力や飛行能力だけでなく防御力も減ってしまった。 以前は弾丸どころか砲弾も跳ね返せるほど硬い装甲だったのだが、それも二十分の一になり、人並みになった。 なので、以前なら痛くも痒くもなかったかなり弱い魔法も効くようになってしまい、生身の人間並みである。 禁書回収作業のために共和国中を荒らしに荒らしていた魔導兵器の面影は、今となってはどこにも残っていない。 しかし、こうなることはフリューゲル自身が望んだことなので、込み上がってくる罵詈雑言を必死に押し殺していた。 階段を這い上がって二階に辿り着いたフリューゲルは、痛みが響く頭をさすりながら立ち上がろうとした。 だが、縦に長い体格が災いして今度は天井に頭をぶつけてしまい、二度目の痛みにフリューゲルは悶絶した。 リリが慌てて支えるも、フリューゲルの足元は崩れた。近くにあった棚に衝突し、その中身がいくつか落下する。 「早く、半分引っ込んで!」 これ以上被害を広げてはいけない、とリリは影を広げて異空間を開き、フリューゲルをぐいっと押し込んだ。 「くきぇかっ!」 いきなり下半身を影に引きずり込まれ、フリューゲルはよろけた。だが、今度は床に突っ伏しただけだった。 「これはこれで面白いのだわ」 床に這い蹲る鋼鉄の鳥人を見下ろし、ヴィクトリアは唇の端を持ち上げた。 「そうかなぁ…」 ロイズはフリューゲルに若干同情し、眉を下げた。リリは、棚から落ちたものを拾い集めた。 「ごめんね、ヴィクトリア姉ちゃん」 「壊れていなければよくってよ」 ヴィクトリアは紅茶を淹れるべく、台所の棚から茶葉の入った缶とティーポットを取り出した。 「あ、あそこにも」 落ちたものを拾って棚に並べ直す途中で、リリは手を止めた。調度品の影に転げ落ちたものが隠れていた。 度の入っていない古びたメガネだった。ヴィクトリアはメガネを掛けないので、彼女の父親の遺品に違いなかった。 「これって、あれだよね」 リリはそのメガネを拾い、ヴィクトリアへと渡そうとした。 「ヴィクトリア姉ちゃんのおとう」 さんの、と言おうとして、リリは急に気が遠くなった。仰け反って倒れそうになったが、金属の手に支えられた。 両手を伸ばしてリリの背を支えていたフリューゲルは、全身から力が抜けてしまったリリを床へと座らせてやった。 するとリリは、レンズの丸いメガネを手慣れた仕草で掛け、まるで男のように足を大きく広げながら立ち上がった。 何度か目を瞬かせてから、辺りを見回した。やや身を引いたフリューゲルとロイズを一瞥し、ヴィクトリアに向いた。 その瞳には驚愕と共に歓喜が満ちていて、徐々に目を見開いた。ヴィクトリアに歩み寄ったリリは、口を開いた。 「ロザリア!」 リリはヴィクトリアに向けて手を伸ばすも、ヴィクトリアは不愉快げに眉根を歪めた。 「悪ふざけはおよしなさい。早く、お父様のメガネを返すのだわ」 「馬鹿言え、これはオレのだぜ。自分のものをどうして返さなきゃならねぇんだ?」 すると、リリは目を吊り上げ、メガネを掛け直した。 「うー、あー!」 リリの影に膝から下を埋めた状態で、フリューゲルは頭を抱えた。 「なんか頭がざらざらするんだぞこの野郎! つうか変だ、変だ、変だ!」 「なんだよ、お前は。ていうか、なんでオレの影に埋まってんだよ?」 他人を見る目でフリューゲルを見下ろしたリリは、片足を上げて中を覗き込んだ。 「こりゃまた変な構造の魔法だなぁ、おい。影自体は大していじられてねぇが、この鳥野郎とオレの 魔力中枢そのものに手を加えてやがる。妙に体が重いと思ったら、異空間の生成と鳥野郎の魂の維持に 魔力のほとんどを回しているせいか。異空間の安定性は保てるかもしれねぇけど、そんなことをしちまったら 肝心の魔法が使えなくなっちまうじゃねぇか。趣味悪ぃな」 リリはメガネの奥で目を細め、ロイズを見据えた。 「おいダニエル。オレのロザリアからとっとと離れてくれねぇか。目障りなんだよ、さっきから」 「は…?」 ロイズが呆気に取られると、リリは唇をひん曲げた。 「ていうか、ここはどこなんだ? 結局、ブリガドーンはどうなっちまったんだ?」 「ブリガドーンって…。あなた、あれがどれだけ前の出来事か忘れたの? もう十年も前のことなのだわ」 ヴィクトリアが口元を引きつらせると、リリはきょとんとした。 「十年…って、そりゃ嘘だろロザリア」 「嘘なもんかよ。一体どうしたんだよ、リリ。大体、ヴィクトリアはヴィクトリアでロザリアじゃないだろうが」 ロイズが語気を強めると、リリはヴィクトリアをじっと見つめていたが、ロイズに向いた。 「これがヴィクトリアだと? どこからどう見たって、オレの愛妻じゃねぇか。そりゃオレの魔法と魔力で ちょいとばかり若作りしてるかもしれねぇけど、オレの可愛い可愛いお姫様とは大きさが違いすぎるぜ? 戦いすぎて とうとうどうにかなっちまったのか、ダニエル」 「だから、なんで僕が父さんになるんだよ。訳解らないよ」 「父さん? じゃ、お前はダニエルじゃないのか?」 「だから」 ロイズがむきになりかけると、ヴィクトリアはよろけるように歩み出てロイズを遮った。 「あなた、まさか…お父様なの?」 「本当にロザリアじゃなくて、ヴィクトリアなのか?」 リリも歩み出し、ヴィクトリアを求めるように両手を広げた。 「お父様って、嘘だろ? だって、グレイスさんは十年前に死んだじゃないか。僕らの目の前で」 ロイズが重たく事実を述べると、途端にリリの表情が引きつった。 「だったら、ここにいるオレはなんなんだ? お前がダニエルじゃないとしたら、誰なんだ?」 「ロイズなんだぞこの野郎! ちなみにオレ様は最強最速最高の魔導兵器、フリューゲル様だあーっ!」 フリューゲルは意味もなく両腕を広げ、高笑いした。だが、その高笑いは空しく部屋の中に響き、消えた。 誰も彼も、沈黙していた。リリは丸メガネの奥で青い瞳を震わせ、ヴィクトリアは畏怖と歓喜の間で揺れていた。 そしてロイズも、皆に不安げな眼差しを向けていた。しばらく三竦みのような状態が続き、部屋の空気は緊迫した。 三人とも黙ってしまったのでフリューゲルは所在がなくなってしまい、翼を閉じて影の中に下がり、様子を窺った。 柱時計の振り子の音だけが、繰り返されていた。 紅茶の柔らかな湯気が、古びたメガネを曇らせた。 度が入っていない真っ平らなレンズにはヒビが走っているが、蝶番やツルは手入れが行き届いている。 年季こそ入っているが錆びてはいない。父親の遺品なので、ヴィクトリアが入念に手入れしていたのだろう。 そのメガネの奥にある青い瞳は、ヴィクトリアの淹れた紅茶を宝石か何かのように眺め回していたが、飲んだ。 紅茶を半分ほど飲み終えてから、リリの姿をした別人はティーカップを置き、椅子の背もたれに体重を預けた。 「落ち着いて考えてみりゃ、至極単純な話だったな」 全身の力を抜くように深く息を吐いたリリ、もとい、グレイスはからからと笑った。 「オレが死に際に出しちまった思念の一部がブリガドーン崩壊で発生した魔力の奔流に押し流されて、 オレのメガネにこびり付いてちまってたんだな。ついでに言えば、この体はフィリオラの娘だな? あいつも 魂と体にずれがあるから霊魂とかに憑依されやすかったんだが、こいつも多少なりともその体質を受け継いでいる みてぇだな。魂は人並みなのに肉体は竜寄りなもんだから魔力中枢だけが大きくなっちまって、空洞が出来てるんだよ。 その鳥野郎と感覚を繋いでいるおかげでその空洞は塞がれているが、危なっかしいことには変わりねぇな。まあ、 そのおかげでオレはリリに憑依出来たんだがな」 「体はリリなんですから、もうちょっとそれらしくしてくれませんか?」 その仕草に、ロイズは顔をしかめた。顔と声はリリなのに口調と表情は男そのものなので、違和感が凄まじい。 「ええ、見れば見るほどお父様だわ。言葉遣いも態度も表情も、お父様そのものなのだわ」 だが、ロイズとは逆にヴィクトリアは感嘆していた。懐かしさのあまりに、頬もうっすらと紅潮させていた。 「つまり、このオレは残留思念でしかないわけだから、本体のオレとは別物ってことになるのか」 グレイスはヴィクトリアの作った甘ったるいクッキーを口に放り、咀嚼する。 「道理で記憶がぶつ切りだと思ったぜ。ちゃんとした頭も魂もないわけだから、ブリガドーンの戦闘より以前のことが 上手く思い出せなくて当たり前だな。確かに死に際の記憶で一番強烈なのはブリガドーンだが、だからってそれだけ 覚えているのも変な話だぜ。それ以外にも色々とあったはずなんだがなぁ」 「死んだっていう自覚はあるのかこの野郎?」 床に胡座を掻いているフリューゲルが尋ねると、グレイスはフリューゲルの魔導鉱石を指す。 「お前だって、肉体はとっくの昔に滅びてんのに、魔導兵器に改造される直前に殺された記憶は持っているだろ? それと同じだよ。オレはオレだが、オレであってオレでない存在なんだ。だから、オレ自身の身に起きたことも客観視 出来るんだよ。簡潔に言い表せば、オレはグレイス・ルーという男の写真みてぇな存在なんだ。グレイス・ルーに 酷似しているが、グレイス・ルーそのものじゃねぇ。オレの愛しのギルディオスやお前ら魔導兵器は、魂そのものを 魔導鉱石に封じ込めているおかげで明確な自我を持っているわけだが、オレはそれほど高度な存在じゃない。リリの 魔力をちょいと拝借してメガネに封じ込められた魔力残量と思念を調べてみたが、呆れるくらいに薄かったんだよ。 この家中に充満しているヴィクトリアの魔力とリリの憑依体質があったからこそオレは目覚めたわけだが、それが なかったら後二三ヶ月のうちに消えていただろうな。もっとも、こうして目覚めちまったから、消えるまでの期間は もっと短くなるだろうがな」 「お父様は消えてしまわれるの?」 ヴィクトリアが胸の前で手を組むと、グレイスはひらひらと手を振る。 「そりゃそうさ。思念てぇのは元々不安定なものだから、本体がとっくの昔に死んだんじゃ保てなくて当然なんだよ」 「じゃあ、どのくらい思念は保つんですか?」 ロイズが問うと、グレイスはメガネの蔓を指先で押し上げた。 「んー、そうだな。この感じだと、保って一日ってなところだな」 「短いと捉えるべきかしら、それとも充分だと思うべきかしら」 ヴィクトリアは切なげに頬に手を当て、俯く。ロイズは、その横顔を見やる。 「僕としては、充分だと思うけどな。なんだったら、こう考えればいい。僕は父さんとお別れ出来たけど、 ヴィクトリアはそうもいかなかったから、今度こそちゃんとお別れをする機会なんだよ」 「あなたにしては、まともな意見なのだわ」 ヴィクトリアはロイズを見やるが、ロイズはその視線に返さずに紅茶を傾けた。 「そりゃどうも」 その様を、グレイスは凝視していた。ヴィクトリアのあしらいは冷たいが、言葉尻は決して険悪ではなかった。 ロイズもやる気のない態度で返しているように見えるがそれでいてぞんさいではなく、仲の良さが滲み出ていた。 目測で二人の間の距離を測ってみると、近かった。テーブルが小さめだというせいもあるが、椅子の距離が狭い。 対して、向かい側の椅子は一脚だけだ。元々、この家の訪問者はリリとフリューゲルとロイズぐらいなのだろう。 だから、椅子も三脚しかない。その上、リリにはグレイスが憑依しているので、向かい側に座らせるのが当然だ。 だが、それにしては慣れている雰囲気がある。部屋全体を見回して、台所に備えられた食器棚の中身も見た。 女の一人暮らしにしては、食器の数が多いような気がする。二人が遊びに来るから、準備しておいたのだろう。 テーブルに並ぶティーカップの内側にこびり付いている茶渋の濃さも、グレイスのものだけが明らかに薄かった。 それを見るだけで、何がどうなっているのか把握出来てしまう。グレイスは深い絶望に苛まれつつ、吐き捨てた。 「お前らって出来てんの?」 「…そう見えるんですか」 予想に反して、ロイズはとてつもなく嫌そうな顔をした。 「じゃ、これと?」 グレイスが自分自身を、つまりリリを指すと、ヴィクトリアは目を逸らした。 「私に同性愛の趣味はなくってよ、お父様」 「じゃ、出来てんじゃん!」 苛立ちを露わにし、グレイスは子供のように拗ねた。 「出来てるっていうか、出来させられたっていうか、そんなところですよ」 ロイズは甘くした紅茶を飲み下し、気怠げに頬杖を付いた。 「付き合うより以前に僕はまだ学校を卒業していないし、お互いに気心が知れすぎているから多少関係が 変わっても根本的な部分はちっとも変わらないんですよ。働こうにも授業があるから働けないから金がなくて、 この町まで来るための馬車代を捻出するのだって大変なんですよ。だから、そうちょくちょく会ってられませんって。 異能力が使えれば空間湾曲で一発なんですけど、連合軍と国際政府連盟の派遣した監視役の諜報員が四六時中 辺りをウロウロしているから使えないんですよ。だからって、ヴィクトリアに金を出させるのは癪だし、というか嫌なんですよ。 一回でも借りを作ったら、後で何倍返しにさせられるか解ったもんじゃないんで」 「あら、失礼ね。単位は十倍から始まるのだわ」 ヴィクトリアは、にやりと目を細めた。その親しげなやり取りに、グレイスはむくれた。 「やっぱり出来てんじゃねぇかよ。あーもう、面白くねぇなー!」 「素直すぎるんだぞこの野郎」 グレイスの態度に呆れ、フリューゲルはかくっと首を曲げた。 「だって、面白くねぇんだもん! そりゃオレは残留思念かもしれねぇけど、思考とか記憶とか感情とかは まるっきりグレイス・ルーなの! だから、丹誠込めて育てた一人娘のヴィクトリアがあの軍隊馬鹿の息子なんかと くっついたかと思うと、はらわたが煮えくり返って骨も肉も溶けちまいそうなんだよこんちくしょー!」 大きく体を反らし、グレイスは喚いた。かと思うと上体を戻し、ロイズを指した。 「決めた! おいロイズ、オレと戦え! でもってヴィクトリアを返せ!」 「戦えって…そんな無茶苦茶な」 ロイズは唖然としたが、フリューゲルは急に機嫌良くなった。 「くけけけけけけけけけけけけけ! 戦え戦え、なんか面白そうだから戦いやがれってんだよこの野郎ー!」 「けれど、お父様。その体はリリのものなのだから、お父様の思うようには扱えなくってよ。それに、 外に出たりしたら、厄介な連中がいるのだわ。リリに憑依しているのであれば、私達の事情は把握しておられるでしょう?」 ヴィクトリアの言葉に、グレイスは不満げに口元を曲げた。 「まあな。自我がはっきりした時にリリの記憶を読み取ったから、解っているけどよ」 でも、とグレイスはテーブルに身を乗り出した。 「他の連中にも知られなくて、オレ達の力が存分に使えて、戦っても誰の迷惑にならない場所はあるんだぜぃ!」 「それって、あれかな」 嫌な予感を感じ、ロイズはやや身を引いた。だが、グレイスはテーブルに手を付いて迫ってくる。 「勘だけは良いな、青二才。そうさ、常人には絶対に入り込めないがオレ達なら入れる身近で確実な異空間!」 グレイスは唐突にロイズの胸倉を掴むと、引き寄せて額を付き合わせた。 「精神世界ってやつだよ」 突き合わせた額から流れ込んできた荒々しい魔力の奔流に押し負ける形で、ロイズは意識が遠のいてしまった。 だらりと両手を下げて突っ伏してしまったロイズの姿に、ヴィクトリアはやや驚いていたが、グレイスに向き直った。 「お父様、少し乱暴ではなくて?」 「どこがだよ。オレの体じゃないから魔力の出力も安定しないもんだから、手加減するしかなかったぜ」 グレイスは文句を言いながらも、ヴィクトリアの顎に手を添えて引き寄せた。 「ヴィクトリア。お前は、本当にロザリアに似てきたな」 「お父様…」 ヴィクトリアは、照れと嬉しさで頬を染めた。直後、意識が柔らかく引き込まれ、深い眠りの奥へと沈んだ。 完全に意識を失ったヴィクトリアをテーブルに寝かせてから、グレイスは影の中にいるフリューゲルに向いた。 「お前も来るか、鳥野郎」 「そっちにリリがいるんだろ? リリがいるならどこへだって行くんだぞこの野郎!」 フリューゲルがばさばさと翼を揺らすと、グレイスはにっと笑った。 「そんじゃ、一緒に遊ぶとしようじゃねぇか」 グレイスの手が魔導鉱石に触れると、軽い電流のような鋭い思念が魂を走り、フリューゲルの意識も失せた。 だらりと両腕を投げ出して眠り込んだ魔導兵器を見下ろしていたが、グレイスはメガネを押さえて目を閉じた。 リリの魔力を使って造り上げた精神世界は当然ながらリリの意識を根底にしており、そこに三人を連れ込んだ。 だから、グレイスもそこに行けばいい。探り当てた道筋を感覚に刻みつけながらも、寂しさで胸が痛んでいた。 残留思念に過ぎない存在だと解っていても、グレイス・ルー本体ではないと知っていても、切ないものは切ない。 世界一愛おしい娘は、いつのまにか親の手から放れて巣立っていた。両親の死が、甘えていた少女を 成長させたのだ。喜ぶべきなのだろうが、それ以上に空しい。それを紛らわすためにも、ロイズをこの手で叩き潰さなければ。 黒い快楽が、胸中にじわりと広がった。 08 1/11 |