それから、二年後。 異能部隊基地の右手奥にある工房は、今日も稼働していた。鋼を打ち付ける音が、外まで漏れ聞こえている。 遠目には倉庫にしか見えないが、その中身は魔導兵器製作用の工房となっていて、フローレンスの持ち場だ。 彼女は休日を利用して、魔力と蒸気を用いて体を動かす鋼の巨人、ヴェイパーを造り出しているのである。 だが、こうして、フローレンスがヴェイパーの製作に取り掛かるまでには、様々な紆余曲折があったのだ。 魔導兵器は、単なる兵器ではない。火薬の代わりに魔法を、鉛玉の代わりに魔力を使う、特殊な兵器なのだ。 それらを製作開発するためには、共和国軍だけでなく、魔導師協会からの許可と承認を得なくてはならない。 その上、魔導兵器を造るためには免許が必要で、魔導師協会に赴いて魔導技師免許を取得しなければならない。 魔導技師は、合法的に魔法を操り商売をするための魔導師とは違う職業だ。その免許取得試験は、難しかった。 魔法の知識だけでなく、機械技師としての技術や実力も問われるので、魔導師に比べて勉強量が遥かに多い。 無論、フローレンスは試験を受けたのだが、勉強不足と焦りで何度も落ち、五度目の試験でやっと合格した。 それが、一年前の出来事である。そして、晴れて魔導技師となったフローレンスは、彼の製作を開始した。 だが、それもすんなりと始められたわけではなかった。資金繰りや材料の調達に、かなり手間取ったのだ。 ヴェイパー製作のための五十万ネルゴは、フローレンスの提案通り、ギルディオスが軍用船を売って作った。 しかし、当然ながら、部隊の中から船を売ることを反対する声がいくつも出ていて、収めるまで手間取った。 それをギルディオスがどうにか丸め込み、船を使う任務の際には海軍から借り入れることで決着が付いた。 この騒動の最中、異能部隊の副隊長であるダニエルは終始渋い顔をしていた。色々と、言いたいらしかった。 だが、何も言わなかった。と言うよりギルディオスが、全責任はオレが持つから、と彼を宥め続けたのだ。 上官のやることだし、そういうつもりなら、ということでダニエルは一応妥協したが、不安なものは不安だ。 ヴェイパーの製作は、ある意味での賭けだ。成功したら素晴らしい戦力になるが、失敗したら金の無駄だ。 ダニエルは、それが最も不安なのだ。だが、ギルディオスとフローレンスは、不安ではないらしかった。 絶対に成功する、という理由のない確信をして、ヴェイパーに力強い鋼の体を与えるべく必死になっている。 工房の中からは、魔導金属を鍛えるフローレンスの猛りが聞こえる。鉄槌を、鋼に振り下ろす音が続いている。 だあらっしゃ、どちくしょう、くらいやがれぇっ、と女らしさの欠片もない荒い叫びが、延々と繰り返されている。 営舎の窓からフローレンスの工房を見ていたダニエルは、彼女の言葉の荒さに顔をしかめ、眉根をひそめた。 「少しは大人しくやれないのか」 「仕方ねぇよ、ダニー」 大きな机に向かっているギルディオスは、装甲用の合成魔導金属の請求書に、異能部隊の名を署名していた。 「魔導金属ってのは、魔力を込めて鍛えたら鍛えるほどに強度を増すんだとよ。気合いと根性と魔力を入れてぶっ叩いてやらねぇと、ただの鉄と同じになっちまうんだよ。それぐらい、知っているだろ?」 「まぁ、知っていますよ。私も魔導師の端くれですから」 ダニエルは視線を上げ、念動力で上下式の窓を押し上げた。弱い風には、鉄の焼ける匂いが混じっている。 「ですが、隊長」 「んあ」 ギルディオスがやる気なく返事をすると、ダニエルは机に向かう上官の背に目を向ける。 「ヴェイパーが出来上がったら、実戦にアイゼン曹長と共に投入するおつもりですか?」 「当然だ。つっても、試運転は嫌んなるくらいにやらせるけどな」 ギルディオスは羽根ペンをペン立てに差し、布でインクで汚れた銀色の手を拭う。 「ヴェイパーは、フローレンスと一緒に戦いてぇっつってんだ。やらせてやろうや」 「アイゼン曹長は後方支援要員です。彼女の能力は、戦闘には極めて不向きです。それは、ご承知のはずでは」 ダニエルが意見すると、ギルディオスは上体を逸らして大きな椅子にもたれる。 「お前、フローレンスの書いたヴェイパーの設計図を見ただろ? ヴェイパーは、各関節を思念で操って体を動かす構造になっているんだ。つまり、全身にある通力板に作用出来るくらい強い思念だったら、ヴェイパー本人じゃなくても体を動かせるってわけだ。ヴェイパーの知能は幼児と同じだから、ヴェイパー一人だけで戦うのは、まだ無理だ。だから、フローレンスが思念でヴェイパーを操縦し、戦うのさ。そのためには、お互いが近くにいた方がいい。思念っつーのは、距離が空いちまうと感度が下がっちまうからな。それが戦闘なら尚更だ。瞬間で判断を要求されるから、傍にいて、状況に応じた指示を出さなきゃならねぇからな」 「ですが、その思念を送る役割がアイゼン曹長である必然性が見えません。エリック中尉ではいけませんか?」 ダニエルが不可解げにすると、ギルディオスは頭の後ろで手を組んだ。 「エリックの野郎は、フローレンスに比べて出力が弱いんだ。あいつは思念の精度だけはおっそろしく高ぇけど、逆を言えばそれだけ制御に気を遣って力を使っているってことになるんだよ。オレが以前にそれを指摘したら、あいつもそれを自覚していたよ。だが、どうにも出来ねぇんだとよ。力のクセとか特徴とかは、生まれつきのものだから、自分で意識して変えることは出来ないのさ。他の連中にも計算してもらったり試験してもらったんだが、ヴェイパーを操縦するためには相当な思念の出力が必要らしい。瞬間的じゃなく、長い時間高出力で放出しても疲弊しないぐれぇの能力者じゃないと、逆にヴェイパーから跳ね返ってきちまって危険なんだそうだ。魔導金属は魔力伝導率が良いが、良すぎるからな。その辺の条件と、ヴェイパー本人の希望がかち合うのがフローレンスだけなんだよ」 「しかしですね」 ダニエルが更に言おうとすると、ギルディオスは頭を反らした。トサカに似た頭飾りが滑り落ち、揺れる。 「なんだぁお前、そんなにフローレンスが心配か?」 「上官として気掛かりなだけです。それにあれは、元々危なっかしくてどうしようもないですから」 「まぁな。頭は悪くねぇし気立ても良いしツラも可愛いし体も申し分ないんだが、突っ走るクセがあるんだよなぁ」 戦場で真っ先に死ぬなこりゃ、とギルディオスは半笑いになる。ダニエルは、苦々しげにする。 「ですから、気掛かりなのです。何かと隊長に頼って来る辺りも、自立心がない証拠です」 「そのうちどうにかなるさ。フローレンスも、いつまでも子供じゃねぇよ」 ギルディオスの気楽すぎる態度に、ダニエルは僅かに苛立ちを感じた。 「ですが、あれはもう二十歳になっています。結婚していてもおかしくない年齢なのに、あの落ち着きのなさはどうかと思います。隊長は、問題だと思わないのですか」 「あんまり」 「あなたという人は…」 ダニエルが呆れると、ギルディオスは肩をちょっと竦めた。 「無理に矯正したって、いいようにはならねぇよ。それに、お前らは人間だ。ちょっとぐらい、おかしいのが普通さ」 「我々は戦闘部隊です。規律が取れていてこそ、機能を果たせる存在です」 「訓練所の教官みてぇなことを言うなよ、ダニー。そんなんじゃ、つまらねぇだろ?」 さぁーて様子でも見てくっかー、とギルディオスは反動を付けて体を起こすと、立ち上がり、部屋を出ていった。 扉が閉まるのを見届けてから、ダニエルは額に手を当てた。彼のことは尊敬し、好いているが、たまに頂けない。 成長して知識を得、大尉にまで昇進して副隊長になると、少年兵であった頃には見えなかったものが見えてくる。 例えばそれは、ギルディオスの人間性であったり、その性格から起きる問題であったり、作戦の緩さであったり。 昔は、それらを全て引っくるめてギルディオスという男を信頼していた。頼れる上官であり、また、父親だった。 だが、今となっては、鼻に突く部分が多い。嫌いになったというわけではないが、無条件に好きではなくなった。 ダニエルは、それが寂しいと感じていた。ギルディオスに対して懸念を持つことは、自分でも、いい気はしない。 あれだけ尊敬していた相手であり、心の底から信頼していた上官だからこそ、フローレンスのように信じていたい。 しかし、もう無理だ。一度でも、ギルディオスの指揮官としての実力を疑ってしまうと、疑念は消えなくなった。 今は、ギルディオスは大それた失敗はしでかしていないし、部下の命も守っているが、いつか必ず均衡は崩れる。 ギルディオスは戦士としては優れているが、指揮官には向いていない。統率力はあるが、冷静さに欠けている。 フローレンスとヴェイパーの一件にしても、私情を捨てて考えれば、フローレンスの要求は受け入れられない。 だがギルディオスは、フローレンスとヴェイパーの気持ちを汲み取り、挙げ句の果てに海上戦力の要を売った。 戦闘部隊の指揮官ともあろう者が、機動力と輸送力を兼ね備えた戦力、軍用船を手放すなど狂気の沙汰だ。 それを売った金を、実戦で使えるかどうかも定かではない魔導兵器に注ぎ込むことなど、常識外れも極まりない。 ダニエルは、今まで押し込めていたため息を吐き出した。胸の内に溜まった苛立ちも、共に吐き出したかった。 「全く…」 誰に当てるでもない呟きを漏らし、ダニエルは窓の外に目をやった。工房から、フローレンスが出てきている。 汗と埃にまみれているが、目だけは情熱に輝いている。普段以上に生き生きとしていて、笑顔も明るかった。 鉄槌を振る作業のために、いつもは縛ってあるだけの長い金髪をまとめてあるが、解けて後れ毛が落ちている。 工房にやってきたギルディオスに、フローレンスはしきりに成果を話している。今度はどこの部品が出来る、と。 矢継ぎ早に言葉を並べ立てるフローレンスに、ギルディオスは感心したように頷いては、相槌を打っている。 フローレンスは、ヴェイパーが出来上がっていくこととギルディオスが来てくれたことが嬉しいのか、声が大きい。 なので、気を向けずとも会話が聞こえてきて、基地全体に聞こえている。ダニエルは、またも顔をしかめていた。 だがそれは、フローレンスに落ち着きがないことに苛立ったわけではなく、妙に不愉快な気持ちになったからだ。 何がどう面白くないのか、自分でもよく解らない。だが、無性に面白くなく、フローレンスから目を離せなかった。 彼女の視線の先には、上官がいた。 それから、更に二ヶ月後。ヴェイパーは、完成した。 ずんぐりとした体形。蒸気釜に似た胸部。太い手足。表情の出ない顔。背中と左側頭部には、金色の排気筒。 その胸には、青い魔導鉱石を填めるための台座が付いていた。六角形の窪みが空いた、魔導金属製のものだ。 彼の前に立っているフローレンスの手には、窪みと同じ大きさに加工した、六角形の青い魔導鉱石があった。 彼女の華奢な首筋にも、それと同じ形だが遥かに大きさの小さい、青い魔導鉱石の首飾りが下げられている。 それは、青い魔導鉱石を加工する際に出た原石から削り出した、彼の分身とも言える魔導鉱石の欠片だった。 この欠片を通じて思念を送れば、普通に送った時以上の精度で思念を送ることが出来、意思の疎通も向上する。 乱雑に物が散らばる工房の中は、熔鉱炉の火が落としてあるので薄暗くなっており、熱も籠もっていない。 ヴェイパーを見上げていたフローレンスは、背後のギルディオスに振り向いた。ほんの少しだけ、不安げだ。 「じゃ、この子、填めますね」 「接着は魔法か?」 ギルディオスが言うと、フローレンスは六角形の魔導鉱石を裏返した。そこには、魔法陣が刻まれている。 「はい。台座のものは物質の結着で、こっちのは融解のなんです」 「つまり、魔法で溶けた石が台座にくっつくのか」 「そういうことです。ネジなんかで乱暴に留めるよりも、余程確実ですから」 フローレンスはヴェイパーに向き直ると、手のひらに余る大きさの六角形の青い魔導鉱石をそっと撫でた。 「ヴェイパー、今、体をあげる。ずっと待たせちゃって、ごめんね」 そう呟いてから、顔を上げた。思念を細く伸ばして出し、ヴェイパーの全身に仕込まれた通力板に作用させる。 すると、関節の噛み合わせが独りでに動き、ヴェイパーの巨体は傾いだ。身を屈め、フローレンスに近寄る。 上体を曲げた姿勢だが、安定しており倒れる様子はない。足の裏が大きく造られているから、保てているのだ。 フローレンスは手を伸ばすと、ヴェイパーの胸元の台座に青い魔導鉱石を填め、手を押し当てて魔力を注いだ。 台座と魔導鉱石に刻まれていた魔法が発動し、僅かに魔導鉱石が引っ込んだ。融解した石が、結着したのだ。 魔導鉱石が外れないことを確かめてから、フローレンスは身を引いて、再び思念を送って鋼の体を操作した。 ぎっ、と体を起こしたヴェイパーは、直立した。見た目には変わっていないが、雰囲気は大きく変わっていた。 ただの金属の固まりに過ぎなかった巨体には、生気が宿っている。目には見えない、魔力だけの些細な気配だ。 横に隙間が空いた、目元を覆う横長の装甲が下に向いた。首が動き、顔が下げられ、目線が彼女を捉える。 「おはよう、ヴェイパー。あたしが解る?」 フローレンスが微笑むと、鋼の巨人は小さく頷いた。 「うん」 魔力と思念で金属板を震わせた、人から懸け離れた声に似せた振動音。だがそれは、確かに、人の言葉だった。 フローレンスは、みるみるうちに満面の笑みになった。ヴェイパーの丸っこい胸に手を当てると、身を乗り出す。 「じゃ、呼んでみて!」 「ふろーれんす」 「じゃ、あっちの人は?」 フローレンスがギルディオスを示すと、ヴェイパーはぎこちない動きで右手を挙げ、敬礼した。 「たい、ちょう」 「そうだよ、隊長よ! あたしとあんたの上官!」 やったやったぁ、とフローレンスはその場で飛び跳ねている。ヴェイパーは、フローレンスに手を伸ばす。 「う゛ぇいぱー、は、う゛ぇいぱー。ふろーれんす、の、ともだち」 「うん、あたしもヴェイパーの友達! ずっと前からね!」 フローレンスは、ヴェイパーの巨大な手の指先を掴んだ。ヴェイパーは、頷く。 「ずっと、ずっと、まえ、から」 「隊長、ありがとうございます!」 フローレンスはヴェイパーの腕にしがみ付きながら、笑った。ヴェイパーも、声色を少々柔らかくさせた。 「ありがとう、ござい、ます」 「いいってことよ」 フローレンスの笑顔と心底嬉しそうなヴェイパーに、ギルディオスまで嬉しくなった。やはり、やって良かったのだ。 ヴェイパーを造ることを良しとした後も、本当にこのままやってしまって良いのかと、思ったことは少なくない。 船を売ってまでやることか、機動力を捨てるのか、他の隊員に迷惑を掛けるのか、一人の我が侭を通すべきか。 などと、様々なことを思い悩んだ。だが、間違っていない、必ず良い方向に向かうのだから、と思い直した。 フローレンスのとても幸せな笑顔や、ヴェイパーの幸福に満ちた言葉を聞いていると、正しかったのだと思える。 ギルディオスは、内心で目を細めていた。我が子のようなフローレンスが、幸せになるのはとても良いことだ。 「たい、ちょう」 ヴェイパーは前傾気味にしていた姿勢を戻して、ギルディオスに向いた。 「これから、よろしく、おねがい、します」 「おう、よろしくな。ヴェイパー」 ギルディオスが返すと、ヴェイパーは慣れない手付きで敬礼した。腕に感じるフローレンスの体温が、柔らかい。 石の状態では温度だけしか伝わってこなかったが、鋼の体を得て意思を隅々まで行き渡らせると、感覚が広がる。 魔導金属製の肌を撫でる風や、腕に寄り添っているフローレンスの肌の滑らかさと弾力や、己の声の震え。 どれもこれも新鮮で、どれもこれも素晴らしい。工房の中は薄暗いが、開け放たれた扉の向こうは明るい。 ああ、光だ。フローレンスと出会った日に見た朝日や、彼女の部屋の窓から差し込む光よりも、鮮やかだ。 これからは、彼女と共に戦い、彼女と共に生き、彼女と共に在ることが出来る。なんて、素晴らしいことなのだ。 経験も知性も乏しいので、その素晴らしさを上手く言葉に変換出来ない。それが、もどかしくてたまらない。 だが、それでもいい。言葉など使わずとも、自分とフローレンスの間には、思念という手段があるのだから。 ヴェイパーは、敬礼していた手を下ろし、フローレンスに触れた。長らく願っていた、彼女がここにいる。 そして、己も、ここに在る。 青き石に己を沈め、魂を震わせていた男がいる。 彼は彼女を思うが故に外を望み、彼女もまた彼を望むが故に鋼の体を成した。 有機と無機。生者と鋼。人と機械の間に流れるのは、互いへの思いと。 弛まぬ、絆なのである。 06 9/9 |