駅前商店街の一角に、他の商店とは明らかに系統の違う店がある。 ヨーロッパ風のデザインのこぢんまりとした喫茶店だが、壁や扉の至るところに、魔法陣が施されている。 二重の円の内側に六芒星と魔法文字が刻んである扉は深い飴色で、建物の雰囲気には、年季が入っている。 その店の中から、駅前広場の様子を窺う影があった。長い黒髪を三つ編みにして、丸メガネを掛けた男だ。 喫茶店のウェイターというよりも執事に近い恰好をしている男は、背後に立っているメイド姿の幼女に向いた。 「見に行こうか、レベッカちゃん」 「えー、でもー、お店番がありますしー」 濃いピンクの髪を頭の両脇でバネ状に巻いた珍妙な髪型の、紺色のメイド服姿の幼女、レベッカは眉を下げる。 「そうよ、グレイス。あなたが経営に本気じゃないもんだから、売り上げが悪いんだから」 店の奥からやってきた女性、ロザリアは男に近寄った。三つ編みの男、グレイスは笑う。 「いいじゃねぇか、どうせ道楽なんだから。採算なんて取れなくてもいいんだよ」 「だからってねぇ…」 ロザリアは窓際に寄り掛かると、かなり丈の短いスカートから伸びた、網タイツに包まれた長い足を組んだ。 「私にこんな恰好させることないじゃない」 「いいじゃねぇか、似合うんだから」 グレイスはにやけながら、妻の恰好を見下ろした。ロザリアは、黒いミニスカートのメイド服を着込んでいた。 エプロンとヘッドドレスと襟元のリボンだけが白で、それ以外は、網タイツもハイヒールもパニエも、全て黒だ。 ロザリアは年齢の割に外見が若く、身長が高いので、思った以上に似合っているので見ている分には良い。 だが、当のロザリアは面白くないようで、しきりにスカートを引っ張っている。不愉快げに、眉を吊り上げる。 「こんなもの着てちゃ、ろくな武器が隠せないじゃないの」 「せっかくいい足してるんだ、見せない方が勿体ないぜ」 グレイスはロザリアの足を眺め、にたりとした。ロザリアは、客の入っていない店内を見渡した。 「そんな下らないことにかまけてるから、いつまでたっても客が入らないのよ」 「あ、動いたみたいだぜ」 グレイスは窓を開けると、身を乗り出した。ロザリアもそうしようとしたが、店の奥から盛大な泣き声がした。 「あら。ヴィクトリアが起きちゃったみたいね」 ロザリアは駅前広場の方を名残惜しげに見やってから、ヒールを鳴らしながら、店の奥へと戻っていった。 グレイスは妻の後ろ姿を見ていたが、駅前広場に向いた。レベッカは椅子を持ってくると、その上に腰掛けた。 二人の目線の先では、戦闘スーツに身を包んだジンガイジャーと、戦闘形態に変身した怪人達が戦っていた。 グレイスはその光景を見ながら、楽しげに笑っていた。どちらが倒れたとしても、こちらにとって都合が良い。 説明しよう! グレイス・ルーは商店街の片隅で風変わりな喫茶店を営んでいるが、それは仮の姿なのだ。 その正体は、古代より伝わる魔法を悪用して裏の世界で暗躍する、他人の不幸が大好きな呪術師なのである。 彼の妻であるロザリア・ルーは元警察官だが、相当なトリガーハッピーで、乱射と殺戮が大好きな冷血な女だ。 二人の娘であるヴィクトリア・ルーは、今はまだ赤子でしかないが、恐ろしい悪となる可能性を秘めているぞ。 レベッカ・ルーはグレイスの作った人造魔導兵器で、見た目は可愛いがその中身はとってもえげつないんだ。 そんなルー一家が経営する喫茶店、魔法喫茶ルーロンは、その名の通りあらゆる魔法でサービスしてくれるぞ。 営業時間は午前十時から午後七時まで。裏の仕事の依頼をするときは、紙のコースターの裏に書いて渡すんだ。 ヒーローと怪人の両者は、駅前広場では手狭になったらしく、戦場を商店街に移して戦闘を繰り広げている。 商店街の一角から、強烈な破壊音が聞こえてきた。 粘液怪人と銀色の骸骨は、取っ組み合いながら商店に突っ込んだ。 ガラス扉を破って陳列棚を倒し、商品を床に散らばらせながら転げ回ってから、お互いに突き飛ばし合った。 ガラス片の散らばる床にかかとを擦らせながら止まった伯爵は、装甲の付いた腕に刺さったガラスを抜いた。 それをぴんと弾き、向かい側に立っているアルゼンタムに投げると、アルゼンタムはその破片を掴み取った。 体格に比例しない大きさの銀色の手にガラス片を握ると、きしっ、と軋ませてから、呆気なく砕いてしまった。 「うけけけけけけけけ」 アルゼンタムは、甲高い笑い声を上げた。足元からつんとしたアルコール臭が漂い、辺りに充満している。 二人が突っ込んだのは、酒屋だった。先程壊してしまった棚には、様々な種類のワインが並んでいたのだ。 血に似た色合いの赤紫が、仮面を伝い落ちた。アルゼンタムはそれを拭うこともなく、伯爵に顔を向ける。 伯爵は缶ビールやチューハイの並ぶ冷却用の棚を背にしていて、背中全体に冷気を浴び、ぶるりと震えた。 「薄ら寒いのである」 「うかかかかかかかかっ! 切るぜ殺すぜ喰っちゃるゼェエエエエエ!」 アルゼンタムは足元の砕けたワインボトルの破片を蹴り飛ばし、天井まで跳ね上がると、天井を蹴った。 その勢いを使って、冷却用の棚の前に立っている伯爵の目の前に飛び降りると、銀色の大きな手を振り回す。 刃の付いた鋭利な指先が、赤紫の首を切り離した。と、思ったが、赤紫の巨体は倒れずに立っている。 「はっはっはっはっはっはっは。浅はかなことであるな、アルゼンタムよ!」 伯爵は切り裂かれた首を繋ぎ直し、ぐるりと頭を回した。アルゼンタムの腕を掴むと、持ち上げる。 「我が輩は優雅で素晴らしく美しく理知的なスライムなのであるぞ、斬撃など一切通用せんのである!」 そのまま、伯爵はアルゼンタムを投げ飛ばした。一升瓶の並ぶ壁に叩き付けると、茶色い瓶の破片が飛んだ。 砕けた一升瓶から溢れ出た日本酒を浴び、魔導金属製の体をてからせながら、アルゼンタムはずり落ちた。 「超酒クセェエエエエ…」 「我が輩にとってはパラダイスであり、ユートピアであり、そして!」 伯爵は両手を広げ、酒浸しの床に付けると、叫んだ。 「ボーナスエリアなのである!」 途端に、床に広がっていた大量の酒が膨れ上がって赤紫に変化し、粘ついたスライムになり、持ち上がり始めた。 倒れた陳列棚や砕けた酒瓶と一緒に持ち上がってきたスライムは、壁に背を埋めたアルゼンタムに寄ってくる。 アルゼンタムは壁から脱しようとしたが、それよりも前にスライムが覆い被さり、柔らかな粘液に埋もれた。 水よりも遥かに重たいものに包まれ、関節の隙間という隙間にスライムが入り込んでしまい、気持ち悪い。 身動きしようとしても、まるで動けなかった。アルゼンタムは赤紫の液体の向こう側にいる伯爵を、睨み付けた。 伯爵は壁とスライムに埋まったアルゼンタムの前にやってくると、悔しげな銀色の骸骨を見、楽しげに笑う。 「はっはっはっはっはっはっは。良い姿であるぞ、アルゼンタム。貴君のような頭のネジが吹っ飛んだイカレポンチが、高貴なる怪人である我が輩に勝てるはずなどないのである!」 「ナァー、オゥイー…」 ごぼ、と仮面の口から泡を吐き出しながら、アルゼンタムがくぐもった声で尋ねた。 「テメェヨォー、なんでまた缶ジュースなんて超ケチくせぇもんをブッ壊したりシィタンダァアアアアア?」 「決まっておる。この我が輩を差し置いて、人間に好かれておるからである」 「ナンダァソリャアアアア?」 「同じ液体として、羨むどころか憎らしくてならんのだ! 特に、炭酸飲料がなんかムカつくのである!」 伯爵は、ぐっと拳を固めた。 「たかが二酸化炭素が入っているだけだというのに、なぜあれほど人間に飲まれているのか理解出来んのである! いや、むしろ、我が輩がその立場にあるべきなのである! 世界中の人間に愛され、好まれ、飲まれ、製造されるべきはこの我が輩こそ相応しいのである! そう思わんかね、いや、そう思うだろうアルゼンタムよ!」 「思わネェナァ」 「なぜそこだけ冷静に返すのであるか」 伯爵は、掲げていた拳を下ろした。アルゼンタムは、ヴァー、と気の抜けた声を漏らす。 「アホくさ過ぎナンダァーヨォー。オイラァ、超絶萎え萎えって感ジィー?」 「我が輩の崇高であり至高の理想を、そんな語尾上がりの言葉で片付けるでない!」 「ヤッテランネェって感ジィー」 アルゼンタムは戦意が失せていったが、ふと、思い付いた。このスライムから、魔力を抜けば脱せられる。 元々、伯爵は五百ミリリットルにも満たない量のスライムに過ぎない。だが、他の液体と同化して増殖を行う。 となれば、その増殖に使った液体から魔力を抜けば、元に戻るはずだ。アルゼンタムは力を込め、魔力を高めた。 「ジンガイパゥワァアアアアアアッ!」 すると、アルゼンタムを包んでいたスライムが震えた。徐々に力を失い、元の酒に戻って滴り落ちていく。 アルゼンタムの胸に填め込まれているスーパー魔導鉱石の光が眩しいほどに強まると、その勢いは更に増した。 伯爵は光の強さに圧倒され、身動いでしまった。衝撃波が店内を揺さぶったかと思うと、スライムが崩れた。 べちゃべちゃっ、と床全体に混じり合った酒が広がり、その中心には酒に濡れたアルゼンタムが立っていた。 その背後には、今し方まで彼が埋まっていた痕跡が残っている。アルゼンタムは、くきっと首をかしげた。 「覚ァ悟シィヤガレェー、粘液怪人ー。よくもオイラをネバネバに閉じ込めてクレヤガッタナァー」 「何をするのであるか、アルゼンタム! せっかく作った我が輩の眷属を、全てダメにしおって!」 伯爵がいきり立つと、アルゼンタムは腰を落とした。緑色のマントが、ぶわりと広がる。 「オイラァハナァアアアアアッ!」 足元のガラス片を砕きながら跳ね上がった銀色の骸骨は、半透明の屈強な胸に、ずぼりと手を突っ込んだ。 赤紫の中で一際色の濃い伯爵の本体を掴むと、ずぶっ、と押し出しながら、アルゼンタムは叫び散らした。 「納豆とかとろろとかオクラとかもずくみてぇなネバネバベチャベチャな食い物が!」 伯爵の胸を貫いたアルゼンタムは、その胴を腕で切りながら、赤紫の巨体の背後に飛び降りた。 「好きじゃネェンダヨォオオオオオッ!」 アルゼンタムの背後で、どぼっ、と粘液が崩壊した。彼の足元には、スライムがでろりと広がってきた。 銀色の手に握られた色の濃いスライムは、ひくひくと震えている。体を失ったからか、少々苦しげだった。 アルゼンタムは手の中の伯爵を見下ろしていたが、それを適当な空き瓶に放り込むと、誇らしげに掲げた。 「オゥイエー! オイラの勝利ダッゼェエエエエ!」 うかかかかかかか、と高笑いするアルゼンタムを、伯爵は焼酎が残っている瓶の中から見下ろすしかなかった。 酒瓶の中、しかも、ワインに比べて相性があまり良くない焼酎の中にいるので、増殖は出来なくなってしまった。 敗北を確信した伯爵は、瓶の中に残っている芋焼酎をじわじわと体に染み込ませながら、思考に耽っていた。 今頃、他の面々はどうなっているのやら、と。 その頃。駅近くの狭い路地では、二人が激闘していた。 黒いジンガイスーツに身を包んだダニエルと赤い装甲服を身に付けたレオナルドが、鍔迫り合いをしていた。 ダニエルは、ジンガイジャーの基本装備であるジンガイブレードで、レオナルドの剣と刃を擦らせていた。 ぎちぎちと金属が軋み、剣を握る手に力が込められる。ダニエルは、背後で燃え盛っているものを横目に見た。 それは、エロ本の自動販売機だった。何を思ったのか、レオナルドは路地に飛び込むなりこれを燃やした。 ダニエルはジンガイブレードを押し込む手を緩めずに、目の前で怖い顔をしているレオナルドを見上げた。 「あれが、お前にとってなんかムカつくの対象なのか?」 「そうだ」 至極真面目に、レオナルドは頷いた。 「大体、あんなものが路地裏にあると素行の悪い連中が溜まってしまう。それに、潔くないじゃないか」 「自動販売機が?」 ダニエルが変な顔をすると、レオナルドは力説する。 「そうだ! あんなものでこっそり買うよりも、女性店員に怯まずに買う方が余程潔いだろうが!」 「なぁ、レオ」 ダニエルは、ぐったりしながらも返した。 「お前、悪役としてそれでいいのか?」 「いや、あんまり」 剣を下げたレオナルドは、目を逸らした。我ながら変だとは思うのだが、それ以外に思い付かなかったのだ。 悪事らしい悪事を行おうとしても、散々頭に叩き込んである法律やその他諸々が思い浮かび、理性が戻ってくる。 なるべく被害を出さないように、市民を脅かさないように、と思えば思うほど、悪事から遠ざかっていった。 悪の秘密結社の一員である手前、やらなければいけないのだが、警察官としての立場をつい考えてしまうのだ。 悔しげでもありやるせないようでもあるレオナルドの横顔に、ダニエルは同情してしまい、苦笑してしまった。 「その気持ちは、私にもよく解る」 手中のジンガイブレードは、プラスチックじみた質感ながらもしっかりとした重量があり、意外に重たかった。 だが、これを振るっている時に違和感を感じないわけがない。そもそも、これが武器だとは思えないのだ。 武器というものは、金属製で、ずしりと重たい拳銃やサバイバルナイフ、マシンガンなどだと思っている。 こんな、おもちゃ屋にでも陳列されていそうなものを振り回して敵を倒せと言われても、戦意が削げてしまう。 増して、迷彩柄の戦闘服ではなく妙ちきりんな全身スーツを着て戦うのだから、違和感は無限大だった。 そのスーツの防御力がどうだとか特殊機能がどうだとか説明されても、実感はなく、胡散臭いだけだった。 ダニエルは背後のビルの薄汚れた窓に映る、黒い全身スーツを着た自分の姿を見、恐ろしく変だと思った。 「ひどい恰好だ…」 「オレもそう思うよ。自分の恰好を直視したくない」 レオナルドは剣を腰の鞘に戻し、がちん、と鍔を鳴らした。マントを翻し、ダニエルに背を向ける。 「一息入れよう、ダニー。オレが爆死するまで、まだ間がありそうだからな」 「その後は、フローレンスの奴が巨大ロボを呼び出して、だな。やれやれ」 ダニエルは、レオナルドに続いて狭い路地を出て、荒れ果ててしまった駅前広場に戻ってきた。 「隊長達が戻ってくるまで、大人しくしていよう。適当に戦うと、無意味に公共物を破壊してしまうからな」 「さっき、酒屋の方から物凄い音がしたが、ありゃ伯爵とアルゼンタムがやらかしたんだな」 笑い声がした、とレオナルドが首を竦めると、ダニエルは顔を引きつらせた。 「なんてことだ」 「戦った後のことを考えていないんだろうなぁ。後で、どれだけ賠償請求が来るやら」 レオナルドは、道路と歩道を隔てている縁石に腰掛けると、足を組んだ。ダニエルも、その隣に座った。 装甲の下を探って、押し潰された煙草のケースを取り出したレオナルドは、その一本をダニエルに渡した。 レオナルドは自分でも一本銜えてから、ダニエルのものと自分のものを見据えて火を灯し、煙を吸い込んだ。 その煙草は、ダニエルはあまり吸わない銘柄の煙草だったが、彼の気遣いをありがたく思い、吸うことにした。 肺まで煙を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出す。駅前広場を見渡すと、かなりひどいことになっていた。 伯爵が、自動販売機の中にあった缶ジュースを吹き飛ばしてぶちまけたスライムが広がり、道路を汚していた。 駅前で客を待っていたタクシー、自転車、バイク、などがべっとりと汚れていて、洗うのが大変そうだった。 伯爵が缶ジュースの内側にスライムを仕込んだ方法は、恐らく、空間転移魔法を使って送り込んだのだろう。 ああ見えて伯爵も長く生きているので、大した威力のものでなければ、大抵の魔法は使えるのだと豪語していた。 なんとも、傍迷惑なスライムだ。ダニエルは煙草を吹かしているレオナルドを横目に見ていたが、ぼやいた。 「レオ。お前やフィリオラはこれといった害を成さないからまだいいが、伯爵は間違いなく倒すべきだな」 「うちの頭もだ。倒してくれ、是非」 レオナルドは携帯灰皿を出し、その中に灰を落とした。ダニエルも、その中に落とす。 「言われなくとも」 レオナルドは煙草を銜え直すと、口の端から紫煙を零しながら、呟いた。 「ブラッドじゃないが、やってらんない、だな」 「そうだな」 彼のぼやきに同意したダニエルは、深く頷いた。煙草を持っている手には手袋が填められていて、煩わしい。 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。経緯も理由も解らないが、いきなりジンガイブラックにさせられた。 リチャードの人の良い笑顔と柔らかな物腰ながら強引な物言いに押され、無理矢理参加させられてしまった。 正義のヒーロー、という響きは少年ならずとも男心をくすぐるものがあるが、その実情は大したことはない。 悪役が暴れ回らない限り戦闘は起きないし、それ以外の目的がないのだから、暇を持て余しているしかない。 そもそも、ジンガイジャーの組織自体が、これといった明確な理由を持って作られたわけではないのだ。 以前にダニエルがリチャードにその理由を尋ねてみたところ、彼は話をはぐらかし、逃げられてしまった。 理由すら知らされずに変身させられた挙げ句、古くからの友人であるレオナルドと、敵対関係になっている。 これが、理不尽でないわけがない。ダニエルは今すぐにここから逃げ出してしまいたくなったが、堪えた。 巨大ロボさえ出てくれば、事は終わるのだから。 その頃。商店街の大通りで、女性戦士達が戦っていた。 ジンガイイエローと化したフローレンスの繰り出すパンチやキックを、変身したフィリオラがくるくると避ける。 ウロコで局部を覆っただけの露出のかなり高い恰好なので、羞恥心が沸き起こり、この場から逃げ出したくなる。 フィリオラは羞恥心をなんとか押さえ込み、戦闘に集中した。魔力を高めて光の刃を作り、片腕に纏わせる。 「ドラゴンッ、ソードッ!」 「ジンガイブレードッ!」 すかさずフローレンスもジンガイブレードを取り出し、構えた。直後、フィリオラが斬り掛かってきた。 「はぁっ!」 「てやっ!」 フィリオラの光の刃を押し返したフローレンスは斬り掛かるが、フィリオラは素早く避けてしまう。 「たぁっ!」 後方へジャンプし、着地したフィリオラは構え直そうとして、動きを止めた。 「あの、フローレンスさん」 「ん、何?」 ジンガイブレードを構えたままのフローレンスに、フィリオラは光の刃を纏っていない方の手を上げる。 「どうして、私達はいちいち掛け声を上げているのでしょうか?」 「上げなきゃダメでしょ、そういうのは。ジャンプする時は前転して、とぉっ、って言うの」 「でも、事ある事に声を出していたらやかましいだけですし、却って隙が出来てしまうような気が…」 フィリオラは、フローレンスの主張の意味が解らず、首をかしげる。 「悪役がゴチャゴチャ言わない! ヒーローものってのはね、疑問を持ったら終わりなの!」 腰に両手を当てたフローレンスは、なぜか威張った。フィリオラは、更に訳が解らなくなってきた。 「え、ですけど…。最後に巨大ロボが出てくるのも、敵が巨大化するのも、決して効率は良くないような…」 「解ってないなぁ」 フローレンスは首を左右に振ってから、人差し指を立てた。 「変身前、変身後のヒーローが散々手こずった相手を、五体合体の巨大ロボで撃沈爆破大勝利をするのが戦隊物のいいところじゃないの。そのカタルシスがあるからこそ、お子様はスーパーヒーロータイムに夢中になり、ヒーロー好きは燃え燃えで、あからさまな着ぐるみだけどカッコ良い巨大ロボにメカ好きはキュンキュンするのよ!」 「きゅ、きゅんきゅん?」 聞いたことのない言葉に、フィリオラが目を丸くする。フローレンスは、うっとりとしながら両手を組む。 「そう! でかくてゴツくてカッコ良いロボットが暴れ回る姿って、キュンキュン来るのよこれがー!」 「え、えぇと…。要は、どういう意味なんです、ブラッドさん?」 フィリオラは反応に困り、商店街の入り口付近に立っている少年に向いた。ブラッドは、うんうんと頷く。 「そうだよ、そうなんだよ。わっかんねぇかなー、その感じ」 「でしょでしょでしょー?」 フローレンスはフィリオラの隣を通り過ぎると、ブラッドの元に向かい、少年の両手をがしっと掴んだ。 「君だけが同士だ、ブラッド君! 一晩どころか三日間ぐらい、特撮ヒーローについて語り明かそうじゃないか!」 「フローレンス姉ちゃんの持ってるデラックス超合金ロボ、いじらせてくれよ!」 ブラッドが嬉しそうにすると、フローレンスは彼以上に喜びに満ちた笑顔になる。 「その代わり、あたしにもブラッド君の持ってる変身ベルトとかなりきりトイとかで遊ばせてちょうだいね!」 そして、二人は語り合い始めた。戦隊ヒーローが仮面ライダーがウルトラマンがメタルヒーローがセイザーが、と。 フィリオラは二人の話す言葉が全く理解出来ず、仲間外れにされたような気分になって、むくれてしまった。 だが、フローレンスとブラッドの話は正にマシンガントークで、フィリオラが割り込める隙など一片もなかった。 仕方ないので、フィリオラは変身を解いて元の姿に戻り、近くにあったベンチに腰を下ろすと、ポケットを探った。 そこからストラップがごっそり付いたパールピンクの携帯電話を出して、フリップを開き、アドレス帳を送った。 カ行の二番目、キースさん、とある番号を選択して通話ボタンを押したフィリオラは、携帯電話を耳に当てた。 しばらくコール音がした後、繋がった。フィリオラはトークを続ける二人を一瞥してから、キースに呼び掛けた。 「あ、キースさんですか? 私です」 『戦闘はまだ終わっていないみたいだけど、どうなっているんだい?』 キースに問われ、フィリオラは返した。 「えーとですね、私はフローレンスさんに放置されまして、レオさんは戦闘放棄して、伯爵さんは負けました」 『チームワークの欠片もないんだね、君達』 電話の向こうで、キースが嘆いた。フィリオラは苦笑する。 「えー、まぁ…。そもそも、私達は悪いことをしたくて集まったわけじゃありませんので…」 『それで、姉さんはどうしているんだい?』 「大御婆様は、えーと…」 フィリオラは、戦闘のせいで人が捌けてしまった商店街を見回した。酒屋では、アルゼンタムが高笑いしている。 伯爵の入った芋焼酎の瓶を掲げて、とても楽しげだ。破壊された酒屋の先の店舗から、破壊音が響いてきた。 それは、書店からだった。ギルディオスのものと思しき怒声と、ヴェイパーのものと思しき足音がしていた。 どうやら、フィフィリアンヌは二人を相手にしているらしい。だが、彼女のことなので、心配はないだろう。 フィリオラのいる位置からでは書店の中が見えないので、彼ら三人の戦いが、どうなっているのかは解らない。 「小父様とヴェイパーさんと戦っているみたいです。本屋さんで」 『それで、君が僕に電話してきたってことは、今回は君が巨大化するんだね?』 キースの言葉に、フィリオラはそちらに意識を戻した。 「あ、はい。そうです」 『それじゃ、後で巨大化するためのエネルギーを照射してあげるよ。ところで、フィリオラ』 「はい?」 『君は、なんかムカつくことってないのかい? ないはずはないだろう?』 「まぁ、ないこともないんですけど」 『じゃあ、なんで悪事を行わないのさ。姉さんや伯爵はやっているんだし、やってもいいんだよ』 「ちょっとだけやってみたいなーって思わないんでもないんですけど、つい、その後のことを考えちゃうんです」 フィリオラはスニーカーを履いた足を投げ出し、ベンチの背もたれに寄り掛かる。 「思うだけなんです、私は。大御婆様や伯爵さんみたいに、思い切ったことって出来ないんですよ」 『極めて健全な意見だね』 キースは感心したような困ったような反応をしたが、すぐに悪役らしい口調になった。 『楽しみにしているよ、巨大化した君の暴れ具合を』 フィリオラが返事をする前に、キースは電話を切ってしまった。フィリオラは携帯電話を閉じ、肩を落とした。 「あー、巨大化かぁー…」 巨大化する、ということを考えただけで、憂鬱になってくる。あれは、考えただけでかなり恥ずかしいことだ。 それでなくても露出の多い変身後の姿で、ビルを遥かに超えた体格になれば、どれだけ肌の面積が増えることか。 しかもそれを、公衆の面前に晒さなければならない。どれだけ恥ずかしいか、想像しただけで参ってしまう。 だが、やらなくてはいけないのだ。うっかりジャンケンに負けてしまった自分が悪いのだから、と思い直した。 駅前広場を見やると、ロータリー付近の縁石に座って喫煙している、レオナルドとダニエルの姿があった。 二人は戦いなど忘れてしまっているらしく、楽しげに言葉を交わしている。レオナルドの表情は、いやに明るい。 フィリオラはレオナルドの笑顔を見つめていたが、ぷいっと顔を逸らした。何か、無性に面白くなかった。 あの表情が自分に向けられていれば、と思ってしまう。大したことではないのに、やたらと不愉快だった。 ダニエルに妬いてしまうなど、自分でも情けないとは思うのだが、感じてしまったものはどうしようもなかった。 フィリオラは足をぶらぶらさせながら、目線を落とした。 「なーんか、ムカつきます」 06 5/11 |