ドラゴンは笑わない




邂逅前夜



フィフィリアンヌは、墓を掘り返していた。


無数の墓石が並ぶ市民共同墓地は、闇に包まれていた。翳った月と、まばらに見える星だけが明かりだった。
がしゅ、と土が抉り取られる音がした。墓土を載せたシャベルを持ち上げた小柄な影は、土を後ろに放り投げた。
弱い月光が、マントを羽織った背を照らしていた。墓を掘る手を止め、濃緑の髪を掻き上げて額の汗を拭う。
フィフィリアンヌは息を吐き、シャベルをざしゅりと地面に突き刺した。白い手は汚れ、乾いた土が付いている。
掘り返していた場所のすぐ後ろにある墓石に座り、手を払った。足を組むと、傍らに置いたカバンに目をやる。
革製のカバンの上には、魔女のような帽子が置かれていた。その下には、大量の薬瓶が詰め込まれている。
中でも一際異彩を放つフラスコが、青白く輝いていた。球体に満ちていた赤紫色のスライムは、うにゅりと蠢く。

「いやはや、いやはや。貴君の神経の図太さには、ほとほと呆れてしまうのである。真夜中に他人の墓を暴くとは、正気の沙汰とは思えんな」

ごぼり、と吐き出された気泡と共に低い声が響いた。フィフィリアンヌは鋭さを持った赤い瞳を、伯爵に向ける。

「貴様のように捻じ曲がっているよりは良いだろう」

「はっはっはっはっはっはっは。それを言うならば、我が輩よりも貴君の方が数段捻くれているのであるぞ」

伯爵は身を捩り、触手のような先端を伸ばした。すぽん、とコルク栓を抜き、地面の大穴を覗くように向ける。
フィフィリアンヌの掘り返した穴は、縦に長いものだった。その中には、大きめな木製の棺桶が入っていた。
独特の匂いを放つ土山が作られ、その周囲を淡い光が漂っていた。丸みのある光球が、光の帯を引いて滑る。
僅かに黄色掛かった赤い光球は、しきりに土山と棺桶の上を行き来している。その光は、炎にも似ていた。
フィフィリアンヌは腕を組み、動き回る光球、魂を見つめた。色が明確なので、感覚を上げずとも見える。
魂の声は、フィフィリアンヌの感覚に届いていた。だがそれは、精霊の囁きよりも弱く、虫の鳴き声よりも儚かった。
フィフィリアンヌは目を閉じて、魔力を高めた。片手を赤い光球へと差し出し、魔力を用いてこちらに引き寄せる。
彼女の目の前にやってきた魂は、炎を揺らめかせた。魔力を受けて意識が明確になったらしく、途端に炎が盛る。
めらめらとした熱と強い明かりに、フィフィリアンヌは目を開けた。目に刺さってくる強い光に、眉を曲げる。

「なんだ、やかましいな」

伯爵はすいっとコルク栓を持ち上げ、彼女に向けて振ってみせる。

「いやに元気の良い魂であるな。この男、本当に死して五年も過ぎているのであるか?」

「墓石に刻まれた死亡年月日を信じればな」

フィフィリアンヌが伯爵に返すと、魂は言い返すかのように炎を強めた。煌々とした鮮やかな赤が、墓場を照らす。
魂の炎と熱を浴びながら、フィフィリアンヌは少し感心した。予想していた以上に、この男の魂は活力が強いようだ。
墓石から下りたフィフィリアンヌは、墓石の隣に置いてあったカバンに手を突っ込み、がちゃがちゃと中を探る。
薬瓶を押しやって伯爵のフラスコを地面に放り、カバンの底から手を引っ張り出し、ずるりと外に引き出した。
カバンから出された彼女の手には、銀色の楕円形の板が握られていた。魂が放つ光で、表面がぎらりと照った。
厚みのある金属板には、魔法文字が彫られていた。その中心部分は、赤く大きな魔導鉱石が填め込んである。
少女の指先が、金属板に刻まれた文字をついっと撫でていく。フィフィリアンヌは、満足げに目を細めた。

「なかなかの出来だ」

魂はするりと身を下げ、少女の頭上にやってきた。そして、楕円の金属板と魔導鉱石を見比べるように揺らいだ。
訝っているのか、慎重な動きで巡っている。フィフィリアンヌがその魂へ向けて手を差し出すと、手の上に来る。
目元を強め、フィフィリアンヌは魂の中心をじっと見据えた。白い光球が、赤い炎に丸く包まれていた。
しばらくそうしていたが、フィフィリアンヌは頷いた。土の中に転げていたフラスコから、伯爵は触手を伸ばす。

「それで良いのであるな、フィフィリアンヌよ」

「ああ。これが最適だ」

フィフィリアンヌは魂の下から手を外し、指を弾いた。直後、ごっ、と音を立て、桶が墓の上に降ってきた。
墓石の上に乗った桶を取り、ごとりと地面に置いた。手近な小石を拾うと、桶の周囲に二重に大きく円を描く。
二重の円の間に、魔法文字を書き連ねる。きっちりとした神経質そうな文字を書きつつ、フィフィリアンヌは言う。

「魂の形状も平常、未練の強さも残留思念の濃度も具合が良い。生前は傭兵だったようだし、生命力も十分だ」

「本人に生きる気がなければ、魂から意識体への変化は出来ないのである。まぁ、妥当なところであるな」

「そういうことだ」

フィフィリアンヌは魔法文字を書き終え、上半身を起こした。カバンに手を突っ込むと、ワインボトルを取り出した。
コルク栓を指で叩くと、ぽん、と独りでに抜ける。フィフィリアンヌは瓶に口を付けると、赤ワインを胃に流し込む。
喉を鳴らして半分ほど飲み、フィフィリアンヌは口元から瓶を外した。肩を上下させて息を吐き、唇を拭う。

「しかし、この男の身辺は面白いな。洗えば洗うほど、妙な影が見えてくる」

「うむ。我が輩と貴君にとっては、都合の良い暇潰しになりそうなのである」

伯爵は、掘り返された穴に向けて視点を向けた。棺桶の蓋を留めている釘は、錆付いてすっかり赤茶けていた。
フィフィリアンヌは残ったワインを、どぼどぼと桶に注いだ。渋みのある葡萄酒の匂いが、土の匂いに混じる。
空になった瓶を傍らに置き、フィフィリアンヌは薬瓶を数本取り出す。一番大きな瓶は、赤い液体が満ちている。
その赤い液体の瓶を開け、フィフィリアンヌは指で中のものを掬い取った。ぺろりと舐めて味わい、飲み下す。

「防腐処理が甘かったか。多少鮮度が落ちたが、仕方あるまい。蛋白質は腐敗が早いからな」

「はっはっはっはっは。貴君という女は、血も根性も元から腐っているのである、今更何を言うのであるか」

高らかに笑い声を上げた伯爵を、フィフィリアンヌは睨み付けた。

「腐敗する一歩手前のような状態で生き続けている貴様には言われたくはない」

「はっはっはっはっはっはっは! 我が輩は高貴であり優雅な存在である、故に腐ることはないのであるぞ!」

「この間の雨期に、カビがびっしり生えて形相が変わり果てたのはどこの誰だ」

「あれは貴君の整備不良である! 我が輩のことをほったらかして、三日も眠りこけていたのは貴君であろうに!」

「眠っていたのではない。読み止しになっていた本を全て読み終えていただけだ」

「なお悪いのである!」

「恨むのであれば、カビの根源である菌類を恨め。私は貴様の世話を三日ほど完全に忘却しただけであり、カビの繁殖と貴様の腐敗には一切関与していないのだからな」

「開き直らないで欲しいのである!」

「いちいち根に持たないで欲しいな。鬱陶しい」

フィフィリアンヌは素っ気無く返し、瓶の中身を桶に開けた。血液がワインと混ざり、鉄臭さに酒精が加わる。
これは、昨日フィフィリアンヌが採取した己の血液だった。取り出してから一晩経ったので、粘り気が出ていた。
血液とワインを手で掻き回していたが、手を抜いた。たぽん、と波紋が広がり、赤い滴が指先から滑り落ちた。
フィフィリアンヌは、赤く染まった指を舐めて配合を確かめた。他の瓶も開けて、妙な色の薬液を流し込む。
赤ワイン、高魔力を有する者の血液、魔力安定剤、魔力凝結剤、魂と魔導鉱石の癒着を促すための複合融和剤。
様々な色の液体が、平たい桶に満ちた。混ぜ合わせるうちに他の色は消え、赤い海のような液体となった。
その中に、フィフィリアンヌは楕円形の板を浸した。赤黒い海に沈んだ銀色の板は、魂の明かりを受けて輝いた。
銀色の中心に据えられた魔導鉱石の上に、魂が降りてきた。炎に似たオーラが、粗く削られた石の表面を照らす。
フィフィリアンヌはそれを一瞥し、墓穴に向き直る。棺桶の頭上へ回ると穴に入り、棺桶の底に手を入れて掴む。
両手に力を込めて腰を落とし、フィフィリアンヌは一度呼吸した。そして、どがっ、と力一杯棺桶を押し上げた。
穴の中から、棺桶の上半分が現れた。フィフィリアンヌは穴から出て身を引くと、棺桶は傾き、倒れ込んできた。
倒れてきた棺桶は、どごん、と穴のふちに底を当てた。その瞬間、長方形の箱の中からやかましい金属音がした。
フィフィリアンヌは斜めになった棺桶の蓋に手を掛け、ぐっと引き上げる。ばりっと釘が抜け、隙間が開いた。
闇の奥で、何かが光る。フィフィリアンヌはべりべりと蓋を剥がし、棺桶の後方に放り投げてから中を覗いた。
そこには、朽ちた死体はなかった。代わりに、錆びた甲冑が入っており、バスタードソードを抱いて眠っていた。
ヘルムには、流線型の隙間が左右に二つずつ、上下に開いていた。目線を下げると、表面に血飛沫がある。
フィフィリアンヌは胸に抱かれた剣を、強引にどかした。腹部には穴が開いており、染みが貼り付いている。
剣で出来たであろう深い傷を、フィフィリアンヌは眺めていた。その奥に、白い欠片がいくつか転がっている。
フィフィリアンヌは腹部装甲の留め金を、ぱちん、と外した。甲冑を開くと、中には人骨が丸々入っていた。
この男は、戦いの装備のまま葬られたようだった。空洞の装甲の中には、朽ちた肋骨と背骨が散らばっている。
背骨の一つを取り、フィフィリアンヌは月光に掲げた。そして目の前に持ってくると、砕けた脊椎をぺろっと舐めた。
味は、悪くなかった。新鮮とは言いがたいが、悪いものでもない。この状態であれば、魂の癒着液に使えるだろう。
フィフィリアンヌは棺桶に背を向け、どぽん、と赤い海の満ちた桶に骨を落とした。伯爵は、彼女を見上げる。

「ふうむ。薬液の総額は金貨二百枚、魔導鉱石は金貨五百枚、金属板の加工代は金貨五十枚か。貴君にしては、大分差っ引いたのであるな」

「赤の他人を起こすだけなのだから、無駄に金を掛けてもどうしようもあるまい」

フィフィリアンヌは、桶の前に膝を付いた。骨の欠片をべきりと砕き、粉を散らすと、赤黒い液体に波紋が広がる。
伯爵は、ごとり、とフラスコを前進させた。桶の傍までやってくると、ぐにゅっと先端を伸ばしてみせる。

「あまり貴君らしからぬ言葉であるな、フィフィリアンヌよ。無駄金を使うのが好きではなかったのかね?」

「どうせこの男を目覚めさせたら、維持費が掛かるのだ。報酬は残しておいたほうが良いだろう」

「それもそうであるな。金は余らせた方が楽しいのである」

「竜王からせしめた破格の高額報酬だからな。残しておけば、使い道はいくらでもある」

さて、とフィフィリアンヌは立ち上がった。桶の真上に片手を出して魔力を高めると、弱い風が周囲を巡った。
彼女の魔力に呼応し、赤い魔導鉱石は淡い光を宿した。波打つ水面に、赤みを含んだ光が映って揺れた。
フィフィリアンヌは、目の前に浮かんでいる魂へ手を伸ばした。少女の手中に、すいっと魂がやってくる。
魂の明かりを受けて、赤い瞳の瞳孔がぎゅっと縦長に細まった。フィフィリアンヌは、淡々と魔法を唱えた。

「空を忘れ、大地を離れ、時を見失い、光を受けぬ者よ。眠りの奥より、我は呼ぶ」

魂の揺らめきが、激しくなった。フィフィリアンヌは続ける。

「その御魂に、安らぎと幸せのあらんことを。静寂の石は我が手にありて、汝を求めるなり」

風が、魂を包む。更に激しさを増す炎に照らされながら、少女は声を張る。

「彷徨える心よ。この言霊を感じるならば、いざ、我が手中に参りたまえ」

血の海が、泡立った。銀色の金属板を中心にしてごぼがぼと気泡が爆ぜ、じゅっ、と蒸発して湯気が昇った。
炎の固まりと化した魂は、赤い魔導鉱石の真上に浮かんでいた。どぼっ、と赤黒い液体が膨らみ、散らばる。
その飛沫の一つが、フィフィリアンヌの頬を滑る。すぐ傍から、ワインと薬液の混じった匂いが感じられた。
炎の魂は、徐々に形を変えた。流線型の隙間が開いた頭部が生まれ、強固な装甲のような胸部が生まれていく。
装甲の形の肩からは腕が伸び、胸の下から胴が生まれ、腰の下から足が生えてきたが、その全てが炎だった。
最後に、頭部にトサカに似た炎の頭飾りが溢れた。棺桶に入っていた全身鎧に似た姿となった男は、猛った。
獣じみた咆哮を、幾度も夜空に放つ。そのたびに光度が増し、墓場を支配していた闇を焼け焦がしていった。
炎の甲冑は唸りながら、肩を怒らせる。フィフィリアンヌがフラスコの中の伯爵を見下ろすと、伯爵は呟いた。

「未練たらたらのようであるな」

「恐らく、この男は殺されたのであろう。それも、ろくでもない方法でな」

フィフィリアンヌは、炎の甲冑を見上げた。魔力はそれほど感じられなかったが、荒ぶる感情は伝わってきた。
言葉とも猛りともつかない唸りが、徐々に落ち着いてきた。炎の甲冑は少女を見下ろしたが、夜空を仰いだ。
がぼっ、と彼の足元で赤黒い液体が沸騰する。炎の甲冑は拳を握り締め、苦々しげに言葉を洩らした。

 オレの、馬鹿野郎。

「我、汝の御魂に触れし者。我、汝の心に触れし者。冥界と現世の狭間に漂う者よ、我が問いに答えよ」

フィフィリアンヌは大柄な炎の甲冑を、ずいっと指差した。

「汝の名を問う」

 オレか。

「貴様以外に誰がいる」

 それもそうだな。んで、オレはなんでここにいる。

「死んだからに決まっているだろう。馬鹿か貴様は」
 
 ああ、オレは馬鹿だよ。とんでもねぇ馬鹿だ。あんなことになるまで、兄貴を放っておいちまった。

「それが未練か。兄を救えずにいたことが貴様の未練だというのか」

 違ぇよ。

「ならばなんだ」

 オレが馬鹿なばっかりに、みぃんな不幸にしちまった。

「それは誰だ」

 皆だよ、皆。守ってやるって決めた女との子供も守れねぇし、片割れも救えねぇし、ダチも悲しませちまった。

「それでいいのか」

 良いわけがねぇだろ馬鹿野郎。このまんま全部を放り出して、あの世になんて行けるもんか。

「なるほど。それが貴様の未練か。いい根性だな」

 たぶんな。一番強ぇのは、メアリーとランスを残して逝っちまったことだけどな。

「そうか。貴様には妻子がいるのだな」

 ああ、いるぜ。この世でいっちばん好きな女と、オレの血を分けた大事な子だ。

「会いたいか?」

 会いてぇさ。すぐにでも飛んでいって、謝ってやりてぇよ。死んじまって悪かった、ってな。

「ところで」

 んだよ。

「貴様、いい加減に名乗れ。私が最初に問うたのはそれであって、貴様の未練ではないのだぞ」
 
 え、ああ、悪ぃ悪ぃ。すっかり忘れちまってたぜ。

「それで、貴様の名はなんと言う」

 ギルディオス・ヴァトラス。しがない傭兵だよ。

それを言い終えると、炎の甲冑は静まり始めた。蛇の舌のように揺らめいていた火が、次第に勢いを失っていく。
腕が消え、腹から下の炎も弱まって消え失せた。上半身だけとなった炎の甲冑は、一度、竜の少女を見下ろす。
無表情なヘルムと、赤い瞳がかち合った。炎で出来たヘルムの隙間が、一瞬、笑いかけるように細められた。

 あばよ。話、聞いてくれてありがとな。

直後。ぼぅ、と炎は形を失い、甲冑の姿をなくした。丸く小さな魂に形状を戻すと、ゆっくりと降下する。
すっかり煮え立った桶の中央に向かうと、銀色の金属板に填め込まれた赤い魔導鉱石へと近付いていった。
魂が魔導鉱石に触れたと思うと、炎は消失した。泡立っていた血のような液体も落ち着き、湯気を上らせ始めた。
フィフィリアンヌは頬を拭ってから、熱く煮えた液体に手を差し込んだ。顔をしかめながら、金属板を掴む。
血の海から銀色の金属板を取り出すと、かなり熱していた。ローブの袖を伸ばして手に被せ、両手で持つ。
フィフィリアンヌは、赤い魔導鉱石を見据えていた。ほのかに光っていたが、徐々に光を失っていき、静まった。
小さく息を吐いてから、フィフィリアンヌは熱の残る楕円の金属板を抱えた。後は、この状態を持続させればいい。
竜王からの依頼である、死者の魂を復活させる研究の実験は、とりあえずは成功した。だが、問題はこれからだ。
魂を魔導鉱石に癒着させただけでも無理が掛かっているのに、自我を保たせ、肉体も持たせなくてはならない。
自我を保たせるためには、継続して魔力を注げばいい。だが問題は、肉体とする器をどうするか、だった。
一からホムンクルスを作るのは骨が折れるし、そんなことをしてはせっかく削減した経費が更に掛かってしまう。
かといって、人造魔物を作るほどの技術と暇もないし、魂を移すに最適な新鮮な人間の死体も手元にはなかった。
熱の残る金属板を抱えながら、フィフィリアンヌは棺桶の中を見下ろした。まさか、骸骨を使うわけにもいくまい。
開かれたままの腹部装甲を見ていたが、ふと、目線を上げた。顔を背けているヘルムが、目に留まった。
この男の甲冑を、そのまま使えばいい。簡単だし、修繕費ぐらいしか掛からないだろうし、なにより確実だ。
魂の居所には、生前にその者が執着を持っていたものである方が良い。実際、この男の魂は甲冑の姿と化した。
フィフィリアンヌは熱の冷めてきた金属板を、カバンの中に押し込んだ。棺桶に寄り、中身を掴んで持ち上げる。
がしゃがしゃっ、と激しく鳴りながら、甲冑は引っ張り出された。棺桶から上半身だけが出、がくっと首が曲がる。
泥と赤黒い薬液で汚れた服を払ってから、フィフィリアンヌは甲冑のヘルムを開けた。中には頭蓋骨があった。

「面倒だな」

ちぃ、と小さく舌打ちしたフィフィリアンヌは、かしゃっとヘルムを閉じた。ヘルムに手を載せ、唱える。

「鎧に守られし彼の者の肉体よ、外界に脱せよ!」

すると、ごがっしゃ、と甲冑の上に骸骨が降ってきた。脊椎と骨盤が砕けていて、上半身と下半身が分離している。
フィフィリアンヌは乱暴に骸骨を払いのけると、甲冑の腕を肩に担いだ。背中を曲げて甲冑を背負い、投げた。
直後、墓土の山の上に甲冑が勢い良く叩き付けられた。フィフィリアンヌは姿勢を戻すと、軽く手を払った。
湿った墓土には、甲冑が頭からめり込んでいた。伯爵はフィフィリアンヌの背を見上げ、楽しげに嘲笑する。

「はっはっはっはっはっはっは。粗暴極まりないのであるぞ、フィフィリアンヌよ」

「面倒だったのだ」

フィフィリアンヌは素っ気なく返し、甲冑を墓土から出した。錆び付いた銀色の装甲は、泥で汚れていた。
それを地面に放り投げてから、フィフィリアンヌはカバンへと歩み寄った。空の瓶を片付け、中に押し込んでいく。
伯爵はフラスコの中に戻り、コルク栓を締めた。フィフィリアンヌはそれを拾い、腰のベルトに付けた金具に挟んだ。
帽子を被ってツノを隠し、マントを整える。カバンを肩に掛けてから、変な格好で転がっている甲冑の元へ戻った。
フィフィリアンヌは甲冑を起こし、その両腕を肩に乗せた。甲冑を背負ったフィフィリアンヌは、歩き出した。
だが、身長が足りないので、甲冑の下半身は引き摺られた。がらがらがら、と空洞の金属を引きずる音が響く。
地面には、えぐられた跡が続いていた。フィフィリアンヌは気にせずに歩き、墓石の並ぶ丘へと向かっていった。
丘を登っていくと、東の空が白み始めていた。甲冑を背負って引きずる少女の影が、丘の下まで伸びている。
朝日の暖かさを感じながら、伯爵は視点を動かした。フィフィリアンヌに担がれた、大柄な甲冑を見上げてみる。
彼の今後を思い、少しばかり同情した。フィフィリアンヌに関わることがどういうことなのか、説明したくなった。
だが、この男はまだ目覚めてはいない。魂を魔導鉱石に繋げられただけであり、体を与えられてはいない状態だ。
話し掛けても反応は返ってこないだろうし、明確な意識がないのだから、先程のやり取りも覚えていないだろう。
そのうち、同情が邪心へと変わった。この男をからかって遊び倒し、暇潰しにしてしまおう、と伯爵は内心で笑う。
どうせ、目覚めたところですぐにやることなどないのだ。それに、この男は傭兵だ。弁はあまり立ちそうにない。
どれだけやり込めるか想像しただけで、ぞくぞくするほど楽しかった。伯爵は、沸き起こりそうな高笑いを堪えた。
夜明けに背を向けて、三人は歩いていった。だがこの時点では、正確には二人と一体であり、三人ではない。
彼らが三人となるのは、翌日の夜明けのことだった。




夏が終わった、秋のある夜。竜の少女は彼を見定め、眠りを妨げた。
虚ろな意識に未練を満たした重剣士は、竜の血を羊水にし、再び現世に生まれ出る。
甲冑を魂の器とした彼が、彼女らとの日々を始めるまで、もうしばし。

三人が邂逅を果たす、前夜のことである。






05 8/24