Short Story




ある自動車の恋



私は、彼女に恋をしている。


先日の雨に少し汚れたヘッドライトの向こうから、海を見下ろして背を伸ばす後ろ姿を見つめていた。
括らずに自由にされた長い髪が、海を滑ってきた風になびいている。日光に照らされ、黒が薄くなっていた。
私の駐車された崖は、海が広く見渡せる。といっても展望台ではなく、海沿いを走る細い車道のカーブだ。
崖が迫り出しているので、景色が良い。市街地から離れているから、彼女と二人きりになれる場所だ。
んっ、と高い声を出し、彼女は腕を下ろした。くるりと振り返り、笑ってみせる。

「天気いいねー」

「ああ、そうだな」

ヘッドライトを瞬かせて、私は答えた。彼女、もとい、運転手の春花は、軽くボンネットに座る。
しなやかな髪を掻き上げて、耳に乗せる。白い耳たぶに填められた、小さな金色のピアスが露わになった。
ピアスがちかりと輝き、眩しい。私は、視覚センサーをヘッドライトから、車内アングルに切り替える。
一瞬の後、私の視点はフロントガラス越しになった。ボンネットに座る、春花の背に話し掛ける。

「春花、ウィンドウを開けて換気してもいいか? さっきの男のタバコの煙が、まだ車内に残っているんだ」

「あ、ダメ!」

身を乗り出し、春花はむっとした。張られた頬が、ほんのり赤らんでいる。

「速水さんの名残が消えちゃうじゃない。トゥエルブ、余計な気を回さないの」

「余計か?」

「余計よぉ。意思があるんなら、ちょっとは私の恋心も察しなさい」

こん、と私のフロントガラスを叩き、春花はふにゃりと表情を緩めた。トゥエルブ、というのは私の通称だ。
私の正式名称は、車載型人工知能○一二型。春花は○一二を十二と読み、英語読みにしてくれたのだ。
そして、私の知能が納まっているボディは、ヨーロッパ製のスポーツタイプの車両だ。色は銀で、少々派手だ。
だが、春花が走り屋だというわけではない。彼女は兄から中古でボディを譲り受け、私を搭載した次第なのだ。
流線形のボンネットに、春花は寄り掛かった。肩から黒髪がするりと落ち、ボンネットに広がる。

「トゥエルブ。速水さん、いい人でしょ?」

「タバコさえ吸わなければな。ニコチンタールでフィルターが汚れる感覚は、あまり好きではない」

「神経質なんだから」

「潔癖と言って欲しいな」

少し笑い気味の春花に合わせ、私も笑う。人間に同調するように、私の感情回路は出来ている。
それは時として便利ではあるが、不便でもある。本当の感情を押さえ込まれてしまうことも、多々あるからだ。
今だって、そうだ。先程から春花の繰り返す名、速水を聞くたびに、焦燥にも似た感覚が生まれてくる。
バッテリーは過熱しそうに、エンジンの回転は鈍りそうな気がするほど、感覚が強くなるときもある。
その理由は、至って簡単だ。春花が、速水という男を好いているからだ。
速水。速水亮也、というのがその男の本名だ。春花の通う大学の先輩であり、最近、親交が深まっている。
確かに私も、彼は人間の出来た男だと思う。人工知能でしかない私の人格を尊重し、会話にも配慮が伺える。
一見しただけでは目に付くタイプではないが、付き合いを深めれば、根の良さが解る。そんな、男だ。
だからこそ、春花は惚れたのだろう。そして速水も、少なからず、春花に好意を持っているように思える。
先程、車内で二人が交わした会話を思い出す。どちらも気恥ずかしげに、嬉しげに話していた。
春花も思い出しているのか、目線が遠くなっている。その先には、穏やかな波の揺れる海面が広がっていた。
ついこの間まで、幼さを残していた目は、すっかり大人びている。少女から女に変わった、という感じだ。
切なげな光を宿した鳶色の瞳が、そっと伏せられた。あの目線が私に向くことは、ないだろう。
解り切ったことだ。私は彼女に思いを伝えることはないし、伝えたところで、良い結果が待つはずがない。
だから私は、生涯、物を言う車で終わるつもりだ。そういう稼働の仕方も、ありだと思うのだ。
思考に整理を付けながら、私は春花の横顔を見つめた。焦燥、いわゆる嫉妬が、ぎちりと感情回路に走る。
これは、困ったことだ。思考では納得したはずなのに、感情は一切納得してはいないということだ。
春花の横顔を車内カメラに捉えたまま、私は呟いた。焦燥から起こる苦しみを、回路の底に押し込みながら。

「春花。あの男、速水氏も、君が好きだと思う」

「だといいんだけど」

と、自信なさげに春花は少し笑った。こんなに可愛らしく、愛らしい君が、好かれないはずがない。
私は頷く代わりに、ヘッドライトを点滅させた。二度、白い光が春花の足元を照らす。

「ああ。保証しよう」

「トゥエルブが言うと、それっぽい気がするのが不思議。無駄に説得力があるんだもん」

「無駄とは失礼だな。私は常に、確信を元にして明確な答えを返しているのだぞ?」

「トゥエルブの言い回しが、堅っ苦しいからかなぁ?」

「口調の変更は受け付けないぞ。この口調でなかったら、私は私ではなくなってしまうのだから」

「はいはーい。プライドのお高い、トゥエルブさんだことー」

「どうせなら、自我、と言ってくれ。意味は似ているが、言葉はこちらの方が好きなんでね」

可笑しそうな春花に、私は淡々と返した。どうやら春花には、私に設定された堅実性がプライドに思えるらしい。
いや、実際、私のプライドなのだ。たとえ人工知能であろうとも、己は己。誇りを持つことは無駄ではない。
ボンネットから腰を上げ、春花は崖に近付いた。すぐさま、私は視覚センサーをヘッドライト内蔵のものに変える。
人間の目線に近かった視線が下がり、春花の足元になる。目の前に、彼女のスカートの裾があり、少々戸惑う。
初夏の季節に合わせた薄緑のミニスカートが、強い潮風に翻った。それを押さえ、春花は振り向いた。

「…見た?」

「今更見たところで、動揺することはない。第一、私の視覚センサーは、ブレーキ付近にもあるのだぞ?」

「切っときなさいよ、えっち」

「安全上、それは無理だ。ブレーキ付近のものは、ドライバーの操作状況を把握するためのセンサーだからな」

「トゥエルブ。あんまり真面目すぎるのも、もてないんだぞ?」

「別に私は、女性に好かれようとは思わない。私は、春花を守り、補助するのが役割なのだから」

半分本心で、半分ほど、嘘だ。子供のようにむくれている春花から、私はセンサーを反らし、海へ向けた。
不規則な波の角が、海面に立ち、消えていく。遠くへ伸びた砂浜の手前に、白い泡が線のように続いている。
穏やかな、それでいて熱のある日差しを浴びながら、私は物思いに耽ってしまった。まるで、人間のようだ。
海と空の間を、みゃあみゃあとカモメが飛び回っている。その白い影は、こちらにやってきた。
私と春花の頭上を、すいっと軽やかに飛び抜ける。接近する際に、一声、みゃあ、と鳴いていった。
歓声を上げた春花は、そのまま顔を逸らし、カモメを追う。春花は、無邪気にカモメへと手を振っている。
私は春花の表情を見つめながら、カモメの声を聞き流していた。鳥よりも、こちらを見ていたい。
ああ。やはり私は、彼女に恋をしている。




数日後。私は、春花と速水氏を乗せ、砂浜へ降りていた。
タイヤに砂が絡み、少々不快な感覚だった。普段はアスファルトを走り慣れているので、違和感がある。
いつもは見下ろしていた海面が目の前にあり、私のすぐ隣で波が弾けている。塩と水が、たまに跳ねてくる。
このままでは、車体が錆びてしまいそうだ。そう思いながらも、私は、何も音声変換することが出来なかった。
緊張した面持ちの速水氏が、春花と向き合っている。春花は、すっかり頬を染めて、俯いていた。
どちらから言い出すか、と言った雰囲気だ。別にどちらでも構わないとは思うが、両者にとっては一大事だ。
あまりにも沈黙が続くので、私は視覚センサーを切り替えた。ヘッドライトから、バックライトのものへ。
アングルを少し上向けると、高い崖と、そこから迫り出した道路が見えた。あれは、いつも停車していた場所だ。
これまた、違和感がある光景だった。常日頃見下ろしていた場所を、見上げているのだから。
海に魚が増えてきたのか、海面を舐めるように、何羽ものカモメが飛び回っている。鳴き声が、やかましい。
みゃあ、と高い声が響く。その合間合間に、速水氏の声が混じっていた。
私はそれを聞きたくはないがために、思わず、聴覚センサーを切ってしまった。現実逃避するためだ。
だがそれでも、空気の振動というか、二人の動作の気配は感じられた。速水氏が、一歩、春花に近付いた。
この先は、容易に想像が付く。しばらく間を置いてから、春花は、速水氏の腕の中に納められたようだった。
逃げ出せるものなら、この場から逃げ出したかった。砂を巻き上げ、全速力で、海の中へにでも。
だが、それは出来ない。それは稼働規約に違反することであり、自動消去システムの対象でもあるからだ。
私は衝動と焦燥を押さえ込んでいたが、いつしか、じりじりとエンジンの熱が上がっていった。
オーバーヒートしないように、冷却を駆使する。このままでは、発進する際に支障が生じてしまう。
砂浜にずっと伸びたタイヤ痕を、私はじっと見つめていた。早く、時間が過ぎ去って欲しい。
速水氏に対する嫉妬と、春花に対する苛立ちで、私の思考は焼けてしまいそうだ。強烈な、自己嫌悪が生じる。
彼女が幸せになることが、そんなに嫌なのか。たかが、車載用人工知能のくせして、何が恋だ。
そのうちに、怒りの矛先がおかしくなってきた。いつしか私は、カーナビゲーションの開発者を恨んでいた。
カーナビゲーションが生み出されなければ、私のような車載型人工知能が、造られなかったはずなのだから。
お門違いもいいところの怒りだが、そうして怒っていなければ、気が狂ってしまいそうな気がしたのだ。
不意に、ボンネットに重量を感じた。慌てて視覚センサーを切り替え、聴覚センサーもオンにした。
ヘッドライトの下から視線を上げると、春花が手を置き、気恥ずかしげにしている。その隣の、速水氏も。

「ごめんね、トゥエルブ」

「なぜ謝るんだ、春花」

聴覚を切っていたからか、話の脈絡が掴めない。春花は、やりづらそうに笑う。

「いづらかったでしょ? その…速水さんが私に、告白してたから」


ああ、そうだ。とてもじゃないが、この場にいたくはなかった。


言えるものなら、そう言ってしまいたかった。だがそれは、春花への恋心を吐露する言葉だ。
だから、言えるわけがない。私はその言葉を音声変換の候補から消去し、別な言葉を、並べ立てた。

「視覚センサーは後方へ向けていたし、聴覚センサーは切っていた。私は何も聞いていないし、見ていない」

「だけど、すまないことをしたのは代わりないよ」

申し訳なさそうに、速水氏が言う。私は視覚センサーを、速水氏へ合わせた。

「いや。あなたが、私に謝る理由はない」


謝ることよりも。一刻も早く、春花から離れて欲しい。苛立ちは、じりじりと高まる。
この時ばかりは私も、己の堅実性と理論性が嫌になった。感情のままに、言葉を繋ぐことが出来ない。
繋いだところで、すぐにそれは消去される。理性的でない、との理由だけで、あっさりと。
もう少し融通が利く理性回路であれば、良かったかもしれない。それなら、少しは楽だったかもしれない。
ざあ、と波の音が感じられる。吹き付けてくる潮風が、私の流線形のボディを舐め、通り過ぎていく。
潮の匂いが、いきり立った思考を少しだけ落ち着けさせた。熱を持った思考回路を、冷却しなければ。
次第に回路から熱が抜け、感情も静まってくる。憎しみにも近い焦燥も、平坦な感情へと切り替わっていった。
こういうとき、私は何を言うべきなのだろうか。春花と速水氏を眺めながら、漠然と思考した。
そして、ようやく思い当たった。理性回路を強め、いつにもまして、言葉から感情を失せさせた。

「速水氏。春花を、どうか大事に。あなた方が幸せになることを、私は願っている」

「ありがと、トゥエルブ」

はにかみながら、春花は表情を綻ばせた。今の言葉は、全てが本心だ。嘘などない。
速水氏は、任せておけとでも言うように頷いた。私ほどではないが、彼もまた誠実そうなので、大丈夫だろう。
春花は照れくさくて仕方ないのか、道路の方へ駆け出した。振り返り、言い訳がましく声を上げる。

「私、ちょっと、飲み物買ってくる!」


砂を蹴り上げ、身長のない姿が遠ざかる。春花は時折転びそうになったが、自動販売機へ走っていった。
私の言ったことが、そんなに照れくさかったのだろうか。そう思っていると、速水氏は、ボンネットに手を置いた。

「トゥエルブ…だったっけ?」

「それは、春花が私に付けてくれた通称だ。正式には、車載型人工知能○一二型という」

まぁ、別にどちらでも良いのだが。そうか、と速水氏は笑ってから、ボンネットに体重を掛ける。

「どうせだから、トゥエルブと呼ぶよ。その方が、なんかカッコ良いしね」

「気が合うな。私もその名称は気に入っている」

「これからはよろしくな、トゥエルブ。長い付き合いになりそうだからさ」

速水氏は、親しげな笑みを向けてくる。私は一瞬戸惑ったが、返す。

「ああ、こちらこそ」

「だがさっきは、本当に、すまないことをしたよ」

「謝ることはない。これは、私だけの問題だ」

そうだ。私が、春花に恋心を抱くことさえなければ。速水氏が謝ることはないし、私が苛立つ理由もない。
速水氏は、フロントガラスに顔を近付ける。彼に合わせて、ヘッドライトから車内へとセンサーを切り替える。

「トゥエルブ。春花ちゃんを取っちゃったみたいで、悪いな」

「春花と速水氏は好き合っていたのだから、当然の結果だ」

速水氏を見つめ、私は思考していた。いつまでも、こうやって己を押さえ込んでいられるだろうか。
いや、出来ないだろう。理性回路にも限界があるし、それでは感情回路の劣化が早まり、稼働年数が下がる。
そうなってしまっては、私は春花と共にいられなくなる。好きすぎて壊れては、元も子もないではないか。
数秒間、思考に耽り、私は一つの結論を見つけた。私自身と春花と速水氏のためにも、これが最良だ。
数回、ヘッドライトを点滅させる。決心を固めた私は、速水氏へと、言った。

「速水氏。少し、聞いてはくれまいか。そして一つ、頼みがあるのだが」

「なんだ?」

「私は、春花への恋心を消去しようと思う。これは、あなたのためでもあり、春花のためでもあることだ」

「…それ、本気なのか、トゥエルブ?」

信じがたい、とでも言いたげな表情で、速水氏は私を見下ろした。私は、ヘッドライトを点滅させる。

「至って本気であり、事実だ。だが、消去した以降も、私が春花を慕うことには代わりはない」

「だが、何も消すことは…」

狼狽えたような速水氏に、私は続ける。決心は、揺らぐことはない。

「消さなければ、私はあなたも春花も憎んでしまう。私如きの感情で、あなた方を苦しめたくはないのだ」

「優しいんだな」

尊敬の念が込められた速水氏の呟きに、私は少し嬉しくなる。

「配慮を重んじた思考の結果だからな。そうとも言える」


「本当に、トゥエルブは、春花ちゃんが好きなんだな」

羨望と軽い嫉妬の混じった、そんな声だった。速水氏は、私のボンネットを軽く撫でる。
春花のものとは違う、大きさと熱のある手の感触を、私は味わっていた。ヘッドライトを、二回瞬かせる。

「ああ、好きだとも。だからこそ私は、春花とあなたに迷惑を掛けぬために、恋心を消すのだ」

音声変換を続けながら、私は決心を強くしていった。恋心を失うのは寂しいが、安心もしていた。
これで、春花も速水氏も、嫉妬で憎まずに済む。思考も平静を取り戻すだろうし、焦燥も落ち着くはずだ。
速水氏はなんだか泣きそうにしていたが、顔を上げた。私に、同情でもしてくれたのだろうか。

「それで、オレに頼みってのは?」

「うむ。速水氏には、私以上に春花を好いて、愛して欲しい。最終的に、春花を幸せに出来るのは、あなただ」

「了解したよ、トゥエルブ」

どこか切なげに、速水氏は笑った。こん、とボンネットに、彼の拳が当てられる。

「そこまでして頼まれちゃ、断れるはずもないだろ」

「すまない、速水氏」

「謝るなよ、トゥエルブ。それに、頼まれなくったって、オレは」

そこまで言って、速水氏は言葉を切った。遠くから、缶ジュースを抱えた春花が駆けてきている。
まだ照れくさいのか、困ったような表情をしていた。だが彼女は、とても幸せそうだった。
私は、エンジンの辺りに起きた温かな感覚を、いつになく大事に味わっていた。これも、もうすぐ消える。
速水氏は私を、フロントガラスを見下ろした。照れくさそうにしながら、小さく言った。

「春花ちゃんを大事にするさ」

私は、視覚センサーを切り替えた。ヘッドライトのカバー越しに、徐々に近付いてくる春花を捉える。
息を切らして、長い髪を風に乱されながら、砂浜を必死に走っている。走りにくいのか、速度が遅い。
春花が来る前に、作業を終えてしまおう。私は、感情回路に直結したメモリーの一部、恋の部分を切り離した。
何百、何千にも及ぶ、感情の揺れが納められている部分だ。恋心は、幸せな、それでいて辛い感情だった。
切り離したメモリーを、削除プログラムに移動させる。最終決定作業を行うと、すぐにメモリーは砕け、消え去った。
恋心を消去する感覚は、意外にも軽かった。大量のメモリーを一度に失ったせいで、なんだか妙な感じがする。
私の前へ駆け戻ってきた春花を見、久々に穏やかな気分を味わっていた。恋でなくとも、彼女は好きだ。
冷えた缶コーヒーを速水氏に差し出す春花の横顔を、私は見つめた。そうだとも、これで良いのだ。
彼女を幸せにするためには、これで良かったのだ。きっと。




穏やかな日差しの中、私は海を見下ろしていた。そう、あの場所だ。
空と海に挟まれた崖の上で、春花と速水氏は寄り添っていた。その隣には、少女がいる。
しきりに歓声を上げて、海を眺めている。二人の愛娘の、桜子だ。春花に似て、可愛らしい子だ。
私の視界は、以前よりも少々上がっており、海が見やすい。車高の高いワゴンへ、人工知能が移行したからだ。
以前の幼さを残してはいるが、春花の眼差しは母親のものとなっていた。歓声を上げる桜子を、優しく撫でている。
速水氏も、私の頼みを守ってくれている。春花と桜子を、何よりも大切にして、私も大事にしてくれている。
ふと、桜子は私へ振り返った。頼りない足取りで駆けてくると、背を伸ばし、私を見上げた。

「ねぇ、とえぶる」

「なんだ?」

まだ言葉が明瞭でない桜子は、私のことをトゥエルブとは呼べない。その稚拙な呼ばれ方は、どこか嬉しい。
桜子はにこにこしながら、両親を指した。私のヘッドライトを、小さな手のひらでぺちりと叩いた。

「さくらこは、パパもママもとえぶるも、うみもすきだよ。とえぶるは?」

「ああ。春花も速水氏も、桜子も、私は大好きだ」

桜子に笑いかけるように、私はヘッドライトを弱く光らせた。桜子は、嬉しそうにはしゃぐ。
とえぶるも好きだってー、と声を上げながら、飛び跳ねるように走っていく。そのまま、春花に飛び付いた。
春花は桜子を抱え上げると、良かったねぇ、と笑っている。速水氏は私を見、複雑そうにしたが、妻子へと向いた。
視覚センサーをヘッドライトから車内のものへ切り替え、フロントガラス越しに、崖下の海を見下ろした。
ああ、好きだとも。今も昔も、私は春花のことが好きだ。何せ、私は。


かつて、彼女に恋をしていたのだから。





THE END...


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