近くて、遠い。そんな人。 疲れた足を引き摺って、家路を辿っていた。 慣れない高校生活と運動部の練習で、疲れ果てていた。眠気も少し感じていたが、空腹の方が余程強かった。 家に戻ったらなんでもいいから食べてしまおう、と思いながら、家々の明かりが並ぶ住宅街の中を歩いた。 辺りは既に真っ暗で人通りはなく、時折車が通るぐらいだ。十月に入って気温が下がり、風は冷ややかだ。 住宅街の中でも太い道路をだらだらと歩いていると、目の前にフェンスに囲まれた平坦な土地が現れた。 立ち入り禁止、との看板が張られたフェンスの奧には何もなく、ただ、だだっ広い地面が広がっている。 かつてそこにあったものを、思い出すことが出来ない。そもそも、関わらなかったのだから、覚えていない。 あれから、もう五年も過ぎたのか。健吾は暗がりの中に沈んだ、中学校のあった場所をぼんやりと見つめた。 五年前の、丁度今頃だ。四歳年上の姉、礼子が通う中学校がテロリストに襲撃されて、戦闘が起こったのは。 あの日、何が起きたのか、健吾はよく知らない。姉は自衛隊の関係者だが、健吾は身内の一人に過ぎない。 事件の後に教えてもらおうと聞いても、姉は首を横に振るだけだった。機密事項だから、としか言わなかった。 あの日を境に、姉は表情を変えた。元から表情は多い方ではなかったが、遠くを見て、険しい顔をしていた。 そして、中学校の三学期が終わると同時に、姉は家を出ていった。戦いに行くのだと、父と母が説明した。 健吾は、なぜ姉が戦いに行くのか、何と戦うのか、なぜ戦わなければならないのか、全くもって解らなかった。 父と母に説明してもらおうと思っても、何も知らないんだ、と二人は悲しげに言った。やはり、機密なのだ。 確かに、姉はとんでもないものに関わっていた。陸上自衛隊の保有する、国家機密扱いの人型自律実戦兵器に。 そして、それに関連して、シュヴァルツ工業の戦闘ロボットや高宮重工の機密などにも、深入りしていた。 きっと姉は、それらの情報を漏らさないために、戦闘能力を磨いて機密を守るために自衛隊に行ったのだ。 その時、姉はまだ十五歳だった。健吾は、その時の姉の年齢を越えたが、戦いに出るなど考えられない。 何度となく、姉の心境をなぞってみたり想像してみたりしたが、何もかもが解らないので怖いばかりだった。 姉ちゃんも、怖かったんじゃないだろうか。いや、怖くないわけがない。十五歳と言ったら、ほんの子供だ。 健吾はフェンスの奧を見つめていたが、歩き出した。すると、学ランを着た背に硬いものが当てられた。 「動くな」 押し殺した、低い声が間近から聞こえた。健吾が身動ぐと、背中に当てられたものがぐいっと押し込まれる。 誰だ、何だ、いつのまに。健吾は緊張と恐怖で心臓が高鳴り、息が詰まった。背中のものは、やけに硬い。 そして、熱い。鋭くはないのでナイフではないようだが、だとしたら、きっとこれは拳銃か何かだろうか。 走れば逃げられるかもしれない。だが、恐怖で走れない。健吾が歯を食い縛っていると、言葉を掛けられた。 「さっさと帰らないと、夕ご飯に間に合わないんじゃないの?」 背中に当てられていたものが、呆気なく外された。健吾が恐る恐る振り返ると、頭一つ小さい影が立っていた。 だぼっとしたパーカーとジーンズを着た、女だった。髪は短く切られ、化粧気はなく、肩幅の狭い小柄な女だ。 その手には、缶コーヒーがあった。どうやら、それを押し付けていたらしい。車のライトが、女を照らし出す。 「久し振り」 強烈なハイビームで浮かび上がった顔立ちは、五年分の年月は過ぎていたが、間違いなく姉の礼子だった。 なぜ、姉がここにいるのか。健吾は信じられない思いでいると、礼子は片手に提げたコンビニの袋を上げる。 「今日、帰ってきたの。で、買い出しに出てたの。そしたら、あんたがいたの」 礼子は、中学校跡の傍にある児童公園を指した。 「あっちでなんか食べる? 夜食にしようと思って、色々と買ってあるんだけど」 「いや、そうじゃなくって。なんで、姉ちゃん…」 いきなりのことに戸惑い、健吾は何か言おうとしたが上手く出てこない。礼子は、弟に缶コーラを投げ渡した。 「とりあえず、話したいことがあるなら座って話そうよ。立ち話ってのもなんだし」 「ああ、うん…」 健吾が頷くと、礼子は隣を過ぎた。二十歳になっているはずなのだが、十五歳の頃とあまり変わっていない。 身長は、健吾が追い越してしまっている。中学三年になってから一気に伸びたため、今では百七十センチ程だ。 だが、姉の身長は未だに百六十センチ足らずらしく、小さい。顔立ちは少し大人びた気がするが、変わらない。 健吾は、なんだか妙な気分になった。ここにいる姉は本当に姉なのか、過去の姉なのか、解らなくなりそうだ。 しかし、背中に缶コーヒーを押し付けられた感触はありありと残っているし、少し前を姉の背が歩いている。 戸惑いは残っていたが、その背を追った。 児童公園の街灯の下にあるベンチに、姉と弟は並んで座った。 礼子はコンビニ袋から取り出したカレーパンを健吾に渡してから、自分はメロンパンを取り出して食べている。 健吾はカレーパンと一緒に先程のコーラを飲んでいたが、横目に姉を窺ってみると、ぼんやりと食べている。 蓋を開けた缶コーヒーを傍らに置いて、遠くを見ながら、思い出したようにメロンパンを囓っては咀嚼している。 健吾はコーラを半分ほど飲んでから、カレーパンを口に押し込んだ。それを食べていると、礼子が小さく呟いた。 「身長、いくつ?」 「百七十ちょい」 健吾が返すと、礼子は缶コーヒーを傾けた。 「時間、感じるなぁ…」 街灯が近いので、先程よりもよく顔が見えた。横顔は母親に良く似ていたが、眼差しは鋭く、雰囲気は硬かった。 雰囲気も、健吾の知っている礼子のそれではない。記憶の中にある姉は、物静かで本を読んでいるものばかりだ。 意地悪はしないけど口が悪く、優しくないかと思えばたまに優しく、でも、基本的に何を考えているか解らない。 掴み所がない、そんな印象しか残っていない。だから、姉から感じる鋭利なものには、違和感だけを感じた。 地味な紺色のパーカーは、ワンサイズ大きいようだった。袖も裾も長いので、股下まですっぽり覆われている。 「ああ、これ? 昼間に買ってきたの。家にいる時ぐらいは、自衛隊のジャージは着たくないから」 健吾の視線に気付き、礼子はパーカーの袖を引っ張った。 「グロック26とコンバットナイフと、防刃装備をしてあるの。だから、このサイズにしたんだよ」 「姉ちゃん、家に帰ってきたんだろ? だったら、どうして、銃なんか持ってんだよ」 健吾が問うと、礼子は缶コーヒーを下ろして息を漏らし、肩の力を抜く。 「クセだよ、もう。長いことシュヴァルツと戦ってたから、武装してないと、落ち着かないんだよね」 「どれぐらい?」 答えてくれないだろうとは思っていたが、一応尋ねてみた。んー、と礼子は少し唸る。 「大体、四年ぐらいかな。まだ色々と燻っているけど問題の大部分は潰したし、シュヴァルツ工業の幹部連中は再起不能にさせたから、一応終わったかな。だけど、気は抜けないね。残党とか他の犯罪組織とかがいるから」 「へぇ」 何があったのかまるで想像が付かないので、健吾は気の抜けた声しか出せなかった。世界が、違いすぎる。 礼子は缶コーヒーを飲み干すと、缶をコンビニ袋に突っ込んだ。そして再び、メロンパンの残りを食べ始める。 健吾も、カレーパンの続きを食べることにした。二人とも食べ終えた頃、礼子は健吾に目を向けてきた。 「で、そっちはどう?」 「どうって、何が」 健吾が礼子に目をやると、礼子はメロンパンの袋を握り潰した。 「高校だよ。彼女出来た? 一発ヤッた?」 「…いきなりそんなこと聞くなよ」 「その感じだとまだだねぇ」 「余計なお世話だよ」 健吾がむっとしながら言い返すと、礼子は背を丸めて頬杖を付いた。 「いいなぁ」 押さえていたが、羨ましげだった。冷淡だった表情が崩れ、眉尻が下げられていて、いやに切なげな顔だった。 それが、意外だった。健吾の知る姉は、あまり泣きもしなければ怒りもしないので、こんな顔はしなかった。 礼子は、深くため息を吐いた。一度目を閉じたがすぐに開くと、切なげな表情を消し、普段のようにさせた。 「ま、いいんだけどね…」 諦めと、後悔と、自嘲。それらが複雑に入り混じった呟きは、児童公園の前を通った車の轟音で掻き消された。 健吾は、何も言えなかった。姉から発せられる緊張感を肌で感じていると、先程の恐怖が蘇ってきそうになる。 背中に当てられたものが缶コーヒーだと解っても、心臓を握られたような強い畏怖の感覚は、全身に残っている。 いきなりそんなことをしてきた姉に対する腹立たしさもあったが、それは、ほんの些細なものでしかなかった。 姉が、哀れに思えて仕方なかった。先程の小さな呟きの余韻は健吾の耳に強く残り、簡単には消えそうにない。 だが、何も言えない。言えることが見つからない。何か言ってやるのが弟の役割だ、とは思うが、思い付かない。 小学生に過ぎなかった五年前には解らなかったことが、高校生になった今なら、実感として理解出来ていた。 昔は、意志を持ったロボットと共にいられる姉が羨ましくて、ヒーローのように思えて、誇らしくも思っていた。 たまに話してくれる訓練の話や、北斗と南斗の超人的な能力を教えられても、ただ無邪気に凄いと思った。 羨ましいと同時に、妬ましくもあった。だがそれは、特殊機動部隊とチーム・グラントの初戦の後には失せた。 その頃は米軍に所属していたグラント・G率いる人型戦闘兵器部隊、チーム・グラントに姉達が敗れたからだ。 健吾の中では、北斗と南斗は無敵だった。実際に見たことも話したこともないが、姉の話を聞いてそう感じた。 そして、そんな彼らと共に戦う姉は絶対に守られ、安全な立場にいるのだと、無条件に信じ込んでしまっていた。 だが、それは大きな間違いだった。チーム・グラントに敗北した姉は、自衛隊の病院の一室で、泣いていた。 六月の終盤のあの日のことは、まだ覚えている。朝早くに両親に連れられて、健吾は遠くへと出かけていった。 東京都を出て富士山方面に向かい、知らない道をずっとずっと通った先にあった、大きな自衛隊の病院。 その奧の個室で、礼子は虚ろな目をしていた。両親らと共に病室に入ると、礼子は両腕を抱き締めて泣いた。 姉が取り乱す様など、初めて見た。だから、健吾は何も出来ずに、泣き喚く姉を宥める両親の姿を見ていた。 何度となく絶叫しながら、姉はひたすら泣いていた。何が起きたのか、健吾にはまるで想像も付かなかった。 その時の姿と、先程の表情が重なる。最初のお見舞いから一週間後にまた尋ねると、姉は落ち着いていた。 今度は、怖いくらいに平静だった。思い詰めた眼差しでどこかを見ていて、笑うどころか泣きもしなかった。 一週間の間に姉の中で何が起きたのか、やはり解らない。だが、きっと、何かがあったのは間違いない。 姉ちゃん。呼び掛けようとして、飲み込んでしまった。健吾は己の内に渦巻く感情を持て余し、目を伏せた。 姉には、会いたかった。中学校の卒業と同時に姿を消してから、ようやく、健吾は礼子の存在を意識した。 それまではずっと、空気と同様の存在だった。自分が生まれるより前から家にいて、いないことはなかった。 だから、これからもずっとそこにいるのだと思い込んでいて、だから尚のこと、姉の出征には動揺した。 その事前には姉や両親から話はされていたのだが、今一つ現実感がなく、そんなことはないと思っていた。 だが、姉は家を出た。高校ではなく自衛隊に向かい、健吾の想像を遥かに超えた世界で、戦っていた。 だから、会いたかった。なぜ行こうと思ったのか、なぜ行かなければならなかったのか、などを聞きたかった。 しかし、いざ聞こうとするとまとまらない。健吾が言葉を選んでいると、礼子はスニーカー履きの足を投げ出した。 「健吾」 礼子の声に健吾が顔を上げると、礼子は幼めの顔立ちに似合わない鋭い眼差しを向けてきた。 「徒手格闘術、教えてあげようか。殺し技じゃなくて、関節を外すぐらいのやつをさ」 「なんだよ、いきなり」 「それぐらいしか出来ないから」 「何が」 健吾が問うと、礼子は笑みとも自虐とも付かない表情を浮かべ、口の端を歪めた。 「家族らしいこと、ていうか、姉弟らしいこと。勉強は一応してあるけど、高校の範囲とかは知らないし、ろくでもないことばっかりだから教えられるはずなんてないし。私には、まぁ、うん、男って呼べる存在はいるけど人間じゃないし、こんな性格だから恋愛のどうこうとか教えられないし、男兄弟じゃないから突っ込んだ話は出来ないし、長いこと離れていたからあんたのことなんてよく知らないし、でも、せっかく帰ってきたんだからちょっとはらしいことしたいなぁって思ったんだけどさ。ダメだ、なんにも思い付かない」 一気に喋ってから、礼子は前髪を乱し、あー、と変な声で唸る。 「あーもう、はっずかしい。こんなこと、言うつもりなかったんだけどなぁ」 「何、どうかしたん?」 気恥ずかしげな礼子に、健吾が不思議がると、礼子は顔を逸らした。 「別に。どうもしてない。ただ、なんていうか、帰ってきたのは良いんだけど、何をしたらいいのか解らなくて」 「家には帰ったの?」 「帰ったよ。夜間訓練明けだったから午前中に着いて、お母さんと長いこと話し込んで、それから出てきたの」 そしたらあんたがいた、と礼子は健吾を指した。 「家に帰るまで付けようかと思ったんだけど、変な場所に突っ立ってぼけっとしてたから声掛けちゃったわけ」 何してたの、と礼子に尋ねられ、健吾は言葉を濁した。姉を思い出していたから、などとはとても言えない。 「…別に」 「ま、いいけどね。興味ないし」 礼子はパーカーの大きな袖口に隠れていた手首を出し、腕時計の文字盤を見ると、ベンチから立ち上がった。 「そろそろ行こうか。お母さんのカニグラタンが焼けた頃だろうから」 「あ、うん」 健吾は礼子に続いて立ち上がり、通学カバンとスポーツバッグを担いだ。姉の並べた言葉は、少し、悲しかった。 考えてみたら、そうだ。国家機密のロボットと共に戦いに身を投じると言うことは、世間から離れるということだ。 そんな状態でも、礼子なりに頑張ろうとして健吾に声を掛けてきたのかと思うと、こちらまで気恥ずかしくなった。 嬉しい、というより、照れくさい。会いたかったのは本当だが、こうして面と向かうと、接し方に迷ってしまう。 我ながら、面倒な性分だ。素直になればやりやすいものを、薄っぺらくて下らない意地が、勝手に現れてくる。 姉は、児童公園の出入り口で立ち止まっていた。車止めに腰掛けて、なかなかやってこない弟を待っている。 「帰りたくないの?」 「そうじゃねぇけどさ」 健吾は意地や照れを振り払い、歩き出した。姉と並んで歩道を歩き始めて、少しした頃、緊張混じりに言った。 「あのさ、姉ちゃん」 「何」 礼子は、素っ気なく聞き返してきた。健吾も、努めて素っ気なくする。 「その、なんつーか、なんで、戦いに出たんだよ?」 「そりゃあ、まぁ…」 礼子は歩調を緩めると、次第に目線を落とした。こちらもこちらで、気恥ずかしいらしい。 「私がやらなきゃ、あんたらがやられるから」 「どういう意味だよ」 「聞いての通り」 少々乱暴に言い放った礼子は、歩調を早めた。 「大体、私以外の誰が、囮兼戦闘員兼馬鹿ロボット共のお守りを引き受けると思ってんの。私が抜けたらまた他の誰かが面倒な目に遭っちゃうかもしれないし、中途半端に関わっていたらあんたらにも影響が出ないとも限らないし、その影響ってのが略取だけとは限らないし、ってことでね」 「リャクシュ?」 「誘拐のことだよ。ちったぁ本を読んだらどうだ」 礼子は健吾の数歩前を歩いていたが、立ち止まり、振り返った。照れ隠しなのか、口元を歪めている。 「まぁ、つまり、私が戦うのはね、あんたとかお父さんとお母さんとかなっちんとか、その辺を守るためなんだよ」 「なんか、姉ちゃんっぽくねぇ」 「私だってそう思うけどさ。でも、そうなんだから仕方ないじゃん。単純明快、かつ短絡的な動機なんだよ。それ以上でもそれ以下でもないし、間違っても社会正義とか地球の平和とか宇宙の存続とかに目覚めたわけじゃないから。そこんとこ、履き違えないでよね」 「そうだったんだ」 健吾が漏らすと、礼子は、やけに強く言い切る。 「そうなんだよ!」 「やっぱり、怖い、よな?」 今なら聞いても良いだろう、と健吾は続けた。礼子は振り返らずに、頷いた。 「当たり前だよ。五年も経つけど、やっぱり慣れない。戦うのが怖くない時なんてない」 「でも、戦うんだ」 「だって、私が戦わなきゃどうしようもないし、それに」 礼子は横顔だけ健吾に向けると、ほんの少し、笑った。 「私は、一人じゃないから」 「北斗と南斗のこと?」 「まぁ、それだけじゃないけどね」 礼子は、家に向かって歩き出した。姉の言ったことが、思っていたよりもずっと平凡で、健吾は安堵していた。 なんだ、そんな理由だったのかよ、と拍子抜けしている傍らで、でも、そういうもんだよな、と納得もしていた。 やはり、姉は姉なのだ。姉はいつのまにか遠くに行ってしまったと思っていたが、結局は近いところにいたのだ。 それだったら、健吾も理解出来る。礼子の実力には到底敵わないだろうが、大事な人を守れるなら守りたい。 礼子は、その範囲を広げただけなのだ。自衛隊と特殊機動部隊と高宮重工に関わることで、彼らの力を借りて。 健吾は歩調を早め、礼子の隣に並んだ。昔は姉の方が上にいたのに、気付いたら姉を見下ろせる位置にいる。 そういえば、言っていないことがあった。健吾は、無表情に歩き続ける礼子を見、出来るだけ普通に言った。 「姉ちゃん、お帰り」 「…ただいま」 間を置いて、礼子が返した。その声は平坦だったが、感情は押し殺していたが、僅かながら嬉しそうだった。 素直に嬉しがれよ、と健吾は思ったが、人のことは言えない。嬉しいのに嬉しがらないのは、自分も同じだ。 礼子は母親似だが健吾は父親似で、姉は内向的だが弟は割と活発で、あまり似ていないと良く言われている。 だが、姉弟はやはり姉弟らしく、根本は似ているようだった。似ていない方がいいような、部分だったが。 街灯と家々の明かりが落ちた歩道を歩いていくと、家が近付いてくる。健吾には、なんのことはない光景だ。 だが、礼子にとっては、特別だろう。そう思いながら再度見下ろすと、礼子の横顔には笑みが浮かんでいた。 五年間。短いようで、長い月日。その間、姉はずっと戦い続けてきたのだ。戦士と呼ぶに、相応しい人間だ。 その戦士が、帰ってきた。また姉が戦いに出向いてしまう前に、言えることは言えるだけ言おうと思った。 手始めにもう一度、お帰り、と言っておこう。 戦士への、労いを込めて。 06 9/16 |