非武装田園地帯




第十話 体育祭



 登校すると、校内の雰囲気は普段と違っていた。
 教室はがらんどうで、校舎内にはほとんど人間が残っていない。その代わり、グラウンドは生徒だらけだった。
本部と放送用のテントが設営されており、グラウンドのネット側には大量の椅子が三つに分けられて並んでいた。
四角形に並べられた椅子の固まりの後ろには、それぞれ大きなボードがあり、その軍のスローガンが書いてある。
 右側から、赤軍、黄軍、青軍だ。ポスターカラーで描いた色鮮やかなイラストが、グラウンドを見下ろしている。
グラウンドの四方にはスピーカーが設置され、グラウンドに向いた窓からはスローガンの横断幕が下がっている。
体育祭役員や、それぞれの軍団のリーダー達が忙しくしている。体育祭が開幕するまで、もうしばらくあった。
 百合子は、それを昇降口の手前の階段から見ていた。冷たいコンクリートに腰を下ろして、ぼんやりしている。
頭には、青のハチマキを巻いている。つまり青軍だ。ヘアバンドのように巻いて、後頭部でリボン結びにしている。

「敵勢だな」

 その声に百合子が顔を上げると、正弘がいた。百合子を見下ろしていて、よ、と片手を挙げる。

「オレは黄軍だからな」

「鋼ちゃんは赤軍でしたー」

 百合子がむくれると、正弘は笑う。ハチマキを頭に巻けないので、右の二の腕に黄色のハチマキを結んでいる。

「仕方ないさ、こういうのは」

「透君も赤軍でしたねぇ」

 百合子が言うと、正弘は屈んで百合子と視線を合わせた。

「みたいだな」

「どうせなら先輩と一緒が良かったなー。そしたら、まだ寂しくなかったのにぃ」

 百合子が頬を膨らましたので、正弘はもっともだと言わんばかりに頷いた。

「全くだ。だが、ゲームとしては、三つ巴の方が盛り上がるのは確かだからな」

 二人の傍を通りすぎる生徒達は、正弘に視線を向けては逸らし、お喋りを続けながらグラウンドに向かった。
また、百合子も同じように見られる。一年生はそうでもないのだが、三年生は百合子に興味を持った目を向ける。
正弘と接しているからなのか、小さすぎる体が目立つからなのかは解らないが、どちらにせよ気分は良くない。
 百合子は、赤軍側のボードの下に透の姿を見つけた。他の生徒は半袖ジャージだが、彼女だけは長袖だった。
紺色のハーフパンツから伸びる足は細く、頼りない。百合子が手を振ると、透も百合子に気付いてくれた。
だが透は、二人に手を振ることはなく、小さく右手を挙げただけだった。実に透らしい、大人しい反応だった。
 鋼太郎も同じように、赤軍の二年生の席にいた。百合子と正弘の姿に気付いたのか、大きく右手を挙げる。
正弘はその手に手を上げ返し、百合子も軽く手を振った。正弘は手を下ろして立ち上がり、階段を下りる。

「ゆっこは行かないのか?」

「行けるものなら行きたいですよ、そりゃ」

 百合子の不満げな口調に、正弘は彼女がここにいる理由を察し、謝った。

「悪い」

「気にしないで下さい、いつものことですから」

 百合子は立ち上がると、ハーフパンツの裾を直した。スカートがないので、細すぎる足がより露わになっている。
それを痛々しいと感じるのは、いけないことだと正弘は思った。百合子の体について、何も言ってはいけない。
彼女の体の小ささをとやかく言うことは、サイボーグボディについて色々と言われるのと同じことだからだ。
だから、下手に幼い体格を哀れんだり痛々しいと感じたりするのは、百合子の自尊心を傷付けてしまいかねない。
正弘は、救護も兼ねた本部のテントに向かう百合子の背を見送ってから、グラウンドに向かって歩き出した。
 体育祭が、始まる。




 選手宣誓が終わり、競技が始まった。
 各学年で百メートル走を行う。今は、一番最初の一年生が走っていて、スタートラインに一列に並んでいる。
その様子を、百合子は眺めていた。テントの中のパイプ椅子に腰掛け、半袖ジャージの上に長袖を着ている。
 スタートの合図と共に駆け出した生徒達の姿を、羨ましく思いながら見ていた。せめて、一つは出たかった。
だが、かかりつけの医師に相談したところ、百合子の体は激しい運動に耐えられそうにないと言われてしまった。
新しい人造心臓を取り付けて血液の流れを以前よりも増やし、成長を促進させたといっても、まだ少しだった。
 元から弱い体であることや、長い間入院していたことなどが影響し、身長も体重も思うようには増えてくれない。
自力で登下校を行えるようになったといっても、それを終えたらぐったりしてしまい、授業に集中出来ない。
一時間目は我慢出来ても二時間目からは体力が続かず、保健室のベッドで横になっていることも多かった。
 思うようにいかないが、焦ってはいけない。下手に荒っぽいことをしたら、病気になってしまうかもしれない。
そうなってしまうのは一番いけないので、百合子は無理をしてしまいたい気持ちを抑えながら、過ごしていた。
体育祭に向けて練習を繰り返すクラスメイト達の様子を遠巻きに見ている時は、まだ我慢できたが、今は別だ。
こうして、晴れの舞台に出ることが出来ているのが、羨ましくて仕方ない。だが、現状で妥協しなくては。
 小学生の頃は、もっとひどかった。小学校の運動会は秋の初めだったのだが、その頃はいつも入院していた。
夏場の暑さと秋の涼しさが混じり合う季節の変わり目は、特に体調を崩しやすく、肺炎になった時もあった。
悔しくて、苦しくて、やりきれなくて、泣いてばかりいた。なぜ自分だけ、と思ってしまうことも多かった。
 その頃に比べたら、今はかなりいい。熱もそれほど出なくなったし、何より中学校にちゃんと通えている。
それだけで充分だ。それだけでいいんだ。高望みをすると痛い目を見るのは、誰でもない、自分自身なのだから。
百合子は、隣のパイプ椅子に座っている養護教諭を窺った。この学校に来て二年目の、二十代後半の教師だ。

「白金さん、何かあったらお手伝いを頼むわね」

 養護教諭、烏丸小夜子は百合子に微笑んでみせた。百合子は頷く。

「はぁい」

「今日は日差しが強いから…」

 小夜子は、少し心配げに眉を下げた。百合子は背を丸めて、頬杖を付く。

「誰も貧血とか起こしたりしないといいですねー」

「ケガもね」

「でも、私が外に出てない分、具合が悪くなる人間は一人減ってますから」

 百合子の明るい笑顔に、小夜子は一瞬切なそうにしたが笑い返した。

「ええ、そうね」

 一年生の半分は、百メートル走を終えていた。透は最下位だったらしく、6と書かれた旗の後ろ側に座っている。
百合子の視線に気付き、透はちょっと顔を伏せた。情けないのか、それとも気恥ずかしいのかは解らなかった。
 一年生が終われば、二年生がスタートする。名簿順なので、鋼太郎は男子の二番目の中の一人になっている。
生身だった頃は、大抵、一位か二位だった。他の子供よりも多少立派だった体格に相まって、足も速かった。
短距離は特に得意で、よく百合子に自慢していた。だが、サイボーグとなった今では勝手が違っている。
歩くことに比べて走るのは多少難しいのと、他の生徒に対する気負いもあり、練習では順位は芳しくなかった。
 鋼太郎は、そのことについて何も言わなかった。百合子にも言えないような、複雑な気持ちだったのだろう。
その心境は、百合子にも解る。たとえ鋼太郎が相手であっても、口に出せないようなことはたまにある。
 今も、そうだ。こういうことは、言える時が来たら言うだけでいい。言えなかったら、言えないままでいいのだ。
一年生が、全員走り終わった。クラスはAとBの二つしかなく、人数もそれほど多くないので、展開は早い。
二年生の男子が走る番になったので、鋼太郎は同じクラスの男子の中に混じり、グラウンドに出ていった。
 最初の組の後ろに、名簿順に並ぶ。右から四番目からなので、そこに立つと他の生徒とは圧倒的に背が違う。
他の男子の身長が、百六十から百七十程度なのに対し、鋼太郎は二百八センチもあるので飛び抜けて高い。
何はなくとも、目立ってしまう。周囲の視線を感じて鋼太郎が少し困っていると、背後から呟きが聞こえた。

「いいよなぁ、ロボットは」

 明らかに、鋼太郎を馬鹿にした言葉だった。

「電気喰ってりゃ、それでいいんだから」

 誰が言ったのかは、あまり考えたくなかった。鋼太郎はそれに言い返してやりたかったが、ぐっと堪えた。
言い返すことが一番良くないのだ。相手を煽ってしまったら、相手は調子に乗って余計なことまで言ってくる。

「何とか言えよ、このロボット」

 殴り掛かれば、相手は死ぬ。この体は強固だ。拳は凶器だ。生身の頃は訳が違うのだから、怒るべきではない。
鋼太郎は激しい苛立ちを押し殺し、四番目のトラックの前にしゃがんだ。クラウチングスタートの形で、構える。

「反則野郎」

 そう聞こえた瞬間、スタートの合図があった。鋼太郎は振り返ることはしないまま、一直線に走っていった。
走るのは、歩くことよりも面倒だ。ぐらぐらと揺れる視界を補正しなければならないし、バランスにも気を遣う。
歩幅が大きくても、スピードがなければ意味はない。鋼太郎は姿勢制御に集中してしまい、速度は出せなかった。
 ゴールに飛び込んだのは、三番目だった。練習の時の成績にひどさに比べれば、可もなく不可もなく良い方だ。
三位の人間が並んでいる旗の後ろに立っていると、三番目の組がスタートし、しばらくした後に全員がゴールした。
 鋼太郎に文句を言っていたらしい生徒は、得意げににやにやしている。何が面白いのか、鋼太郎には解らない。
他の生徒は、その生徒と鋼太郎を見ている。鋼太郎がその生徒を無視していると、彼の方から近付いてきた。

「あーあ。いけないんだー。ロボット使うのは反則なんだぜー」

 その生徒はいやにおかしな口調で言ったため、数人の生徒が笑った。鋼太郎は、振り返らずに言う。

「てめぇは小学生かよ」

 それだけ言って、無視した。その生徒はまだ何か言ってきたが、鋼太郎は聴覚のレベルを下げて音を弱めた。
その代わりに集音機能を使い、その生徒の声を拾っていた。何かあったら、メモリーからダウンロードすればいい。
教師にでも提出すれば、こちらに非がないことが証明出来るからだ。もっとも、そんなことにはならないだろうが。
 この生徒以外にも、鋼太郎をからかってくる者はたまにいる。だが、過度に接しては来ず、少しやったら離れる。
鋼太郎が反応しないのが面白くないのか、それとも逆襲を恐れているからか、どちらにせよ大したことではない。
サイボーグが、物珍しいだけだ。サイボーグになってしまったのは不運だが、それが悪いことであるわけがない。
単なる言いがかりにいちいち反応していては、きりがない。鋼太郎は視覚に集中し、辺りの様子を確かめていた。
音は聞こえていなくても、目で見ていれば次に何をすればいいのか解る。すると、聴覚に鋭くノイズが走った。
 故障か、と思っていると、その音の周波数が調整された。鋼太郎が少し聴覚を戻すと、そのノイズが音に変わる。
聞こえるか、鋼、オレだ、正弘だ、と繰り返されている。だが、他の生徒達には聞こえていないようだった。
どうやらこれは、正弘がサイボーグだけに聞こえるように声を調整して喋っているらしい。鋼太郎は、耳を澄ます。

『よく我慢した』

 正弘の声だ。鋼太郎が彼の方向を見ると、正弘もこちらを見ていた。

『それでいいんだ、鋼。ああいう連中は、オレ達が何もしてこないから言うだけなんだ』

 鋼太郎は正弘に言葉を返したかったが、どうすればいいのか解らないので、そのままにしていた。

『だが、何かしたら、面倒なことになる。それは解るな』

 正弘の声は電子的な高ぶりが混じっていて、若干上擦っているように聞こえた。

『すぐに飽きる。それも解るな』

 鋼太郎がほんの僅かに頷くと、正弘も頷いたのが見えた。

『それでいいんだ。それで』

 正弘の声は続く。

『それで、この声、ちゃんと聞こえているか? 声の音域をマイナスにまで下げればサイボーグにだけ聞こえる声が出せるらしいんだが、やってみたのは初めてなんだ。自衛隊とか特殊部隊が、使っている方法らしい。オレの声はちゃんと聞こえているよな、鋼?』

 鋼太郎が正弘の方に向くと、正弘の声色に安堵が混じった。

『ああ、ちゃんと聞こえているみたいだな。なら、良かった』

 視界の隅では、あの生徒がにやついている。鋼太郎が正弘の声に集中している間にも、言っていたのだろう。
その生徒に感付かれないように視線を動かすと、ゴール地点近くに立っている担任教師が不愉快げにしていた。
あの分だと、教師は気付いている。だったら後は教師に任せておけばいい、と鋼太郎は視線を元に戻した。
 サイボーグは世間にあまり数がいない分、扱いもデリケートだ。なので、サイボーグが絡むと何かと潔癖になる。
あの生徒は、後できつく叱られるに違いない。彼は教師の視線には気付いていないらしく、まだにやにやしている。
 鋼太郎はもうそちらに視線を向けることはしなかった。号令が掛かったらしく、他の生徒達が一斉に立ち上がる。
それに合わせて聴覚を元に戻し、鋼太郎も立ち上がる。先頭の生徒に続いて、ぞろぞろと席に戻っていった。
 途中で、テントの前を通り過ぎた。養護教諭の隣に座っている百合子は、暇そうな顔で鋼太郎を見つめていた。
鋼太郎は百合子をちらりと見たが、視線を動かした。赤軍の一年生の方に向け、ごく自然に、透の姿を探した。
 偶然、透と目が合った。大振りなメガネが光を跳ね、短めに切られた髪が色白な頬に影を落としている。
鋼太郎の目線に気付いた透が、笑った。気恥ずかしげに目元を緩めて、口元はあまり動かさずに微笑んでいる。



 鋼ちゃん。



 不意に。脳裏に、透の声が蘇った。





 


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