アステロイド家族




レイニー・ブルー



 濁った空。穢れた雨。そして、震える魂。


 敗北は、空しい。
 全身にこびり付いた黒々とした機械油は、割れた装甲の間から駆動部分に滑り込み、傷口を浸食していく。
目を覆うカバーは銃撃でひび割れ、視界も砕けている。頼りの武器も沈黙し、ただの物言わぬ鉄塊と化した。
 雨音がやかましい。全身を叩く生温い雨が、鬱陶しい。空中で蒸発した油と埃が凝固した、重たい雨だった。
大規模な戦闘を終えると、いつもこのどす黒い雨が降る。死者達を覆い尽くし、世界を黒で塗り潰すかのように。
嗅覚のセンサーも破壊されているから、油の匂いも感じないはずだったが、記憶回路が映像と経験を重ねた。
だから、油の雨の匂いを感じた錯覚を覚えていた。その雨の一粒が砕けた目に入り、内熱で一瞬にして沸騰した。
左目から、かすかな煙が立ち上る。だが、その煙もすぐに次の雨粒に押し潰され、どろりとした闇が拡大する。
 このまま死ぬのだ。今度こそ負けた。そう思いながら、へし折れたシリンダーに無理を言わせて首を上げた。
そもそも、作戦からして無茶だったのだ。兵力と火力に任せて敵の本陣に強襲を仕掛け、司令官を殺すことなど。
今回交戦した軍、ウィオラケウミオンの司令官は最も知略に長けた男だ。元より、勝てるわけがなかったのだ。
自軍であるルブルミオンの司令官は力に任せた戦法には長けているが、細かな作戦に掛けては一番下なのだ。
この惑星を巡って戦う五つの軍の中でも、破壊力と火力には長けているが、それ以外は間違いなく劣っている。
もちろん、自軍の司令官には誇りを持っている。あれほど勇猛な男は、全宇宙を探しても彼一人だと思っている。
それに、彼には恩がある。下層地区で這いずり回っていたイグニスを、上層の世界へ引き上げてくれたのだから。
だから、負けるわけにも折れるわけにもいかない。しかし、両脚は砕かれ、両腕も落ちていて、意識も弱かった。
その上、ウィオラケウミオンの兵士と交戦した際に動力機関を貫かれてしまったので、全ての回路も飛ぶ寸前だ。
 一度眠って目を覚ましたとしても、次は今の自分でいられるかは解らない。だが、甘い眠気が意識を襲ってくる。
眠れば死ぬ。だが、眠ってしまえば安らかな死を迎えられるとの蠱惑的な誘いが、理性回路の片隅に過ぎった。
いつもであれば、そんな考えはノイズにも劣ると振り払えていた。だが、今度ばかりは負けてしまいそうだった。
 すると、雨音ではない音が聞こえた。瓦礫と鉄屑の下から鈍い呻き声が漏れ聞こえ、徐々に迫り上がっている。
既に事切れた戦士達の死体が騒音を立てて転げ落ちると、それを踏み潰す足が現れ、ゆらりと肢体を伸ばした。

「いつもながら、汚い雨だ」

 その戦士は、清冽な青の装甲を身に纏っていた。背部には三基のスラスターと翼が装備された高機動型だ。
装甲自体は薄そうだったが、傷はあまり付いていない。大方、今し方転げた兵士達を盾にして免れたに違いない。
左肩装甲に刻まれた番号は若く、三桁台だった。となれば、この青い戦士は、士官クラスのエリートなのだろう。
 青い装甲もまた、敵軍の証だった。高速かつ高度な戦術に長け、高出力の電撃を操る、カエルレウミオンだ。
カエルレウミオンはウィオラケウミオンと交戦するルブルミオンに奇襲を仕掛け、両軍に甚大な被害を及ぼした。
嫌な相手が生き延びていたものだ。だが、もう殺してもらった方が楽かもしれない、と思い、イグニスは声を発した。

「おい」

 壊れ掛けた発声機能から零れた声は、自分が知る声よりも遥かに弱く、割れていた。

「…ふん」

 青い戦士はイグニスを一瞥し、ライトイエローのバイザーを伝う黒い雨を拭った。

「何かと思えば、ルブルミオンか」

「お前の銃、貸してもらえねぇか」

「私の銃だと?」

 青い戦士は敵と味方の死体を踏み砕きながら、ウィオラケウミオンの死体に埋もれたイグニスに近付いた。

「そうだ。俺を殺せ。なんかもう、眠いんだよ。ついでに、だりぃんだよ」

 イグニスは嗤った。最早死ぬことしか選べない自分を、生きることを諦めた自分を、戦士の誇りを失った自分を。

「…良かろう」

 青い戦士は左腕を上げ、流線型の装甲の下に隠されていたビームガンの銃身を伸ばし、イグニスに向けた。

「青き稲妻の洗礼を受け、アウルム・マーテルの胎内に還るがいい!」

 これから訪れる衝撃に備え、イグニスは意識を弱めた。だが、予想していた電撃の奔流には襲われなかった。
その代わりに、激しいヒューズが弾けた。視線を向けると、青い戦士の左腕に電流が這い回り、煙が上っていた。

「…ぐ」

 青い戦士は電流を帯びた左腕を押さえると、イグニスの傍に膝を付き、崩れ落ちた。

「我が腕は、己の雷撃の負荷にも耐えられぬほど損傷していたとは…」

「この役立たずが」

 イグニスが毒突くと、青い戦士は雨に汚れたバイザーの奥で目を細めた。

「ならば、貴様を殺す楽しみは次の機会に取っておくとしよう」

「ああ、楽しみにしてるぜ」

「貴様の名は」

「イグニス。ただの尖兵だ」

「我が名はトニルトス。カエルレウミオンの将校だ」

 トニルトスと名乗った青い戦士は右腕で体を支えたが、右腕も故障していたのか、肘から火花が散っていた。

「次に会う時は、アウルム・マーテルの御前だろう」

「言えてるな」

 イグニスは少しだけ首を起こして、淀んだ空を仰いだ。トニルトスの体は傾いていき、死体の中に倒れ込んだ。
金属同士が衝突し、激しい騒音を立てる。油と埃の雨が飛び散り、イグニスのひび割れた視界を更に塗り潰した。
トニルトスは排気を繰り返しながら、残された右腕で左腕のビームジェネレーターを引きちぎり、電流から逃れた。
だが、それきり、トニルトスは動かなかった。バイザーの奥の目には光が宿っているが、声は聞こえてこなかった。
もう死んでしまったかもしれない。だが、それならそれでいい。諦観したイグニスは、徐々に意識を緩めていった。
 誰かが死ぬ様など、嫌になるほど見てきた。苛烈な戦場に放り込まれる以前から、日常的に死を感じていた。
それはイグニスに限った話ではなく、このトニルトスもそうだ。機械生命体として生を受けた以上、戦う運命にある。
機械生命体とは、そうした種族だ。戦うことで本能を満たし、戦うことで己を奮い立て、戦うことで生を勝ち取る。
 赤い装甲を持つ機械生命体は、最強の火力と最強の勇気を有する猛々しき軍、ルブルミオンの兵士となった。
青い装甲を持つ機械生命体は、最高の速度と最高の戦術を有する雷光の軍、カエルレウミオンの兵士となった。
黄色い装甲を持つ機械生命体は、最硬の防御力と最硬の体を有する鉄壁の軍、フラウミオンの兵士となった。
紫の装甲を持つ機械生命体は、最鋭の情報と最鋭の知略を有する影の軍、ウィオラケウミオンの兵士となった。
黒い装甲を持つ機械生命体は、最大の破壊力と最大の重量を有する無慈悲な軍、アトルミオンの兵士となった。
 五つの勢力は、絶え間なく戦いを繰り返している。その戦いが止まった日もなければ、終わった日もなかった。
いつから始まった戦いなのかは、最早解らない。遥か遠い過去から延々と続いている、果ての見えない戦いだ。
それでも、何の疑問も持たずに戦い続ける。同族を殺すことに躊躇いを感じるプログラムは、存在すらしていない。
 躊躇えば、殺されるからだ。




 雨音が、記憶を掻き混ぜる。
 イグニスは徐々に意識レベルを引き上げながら、過去の穢らわしい記憶に浸っていた自分を疎ましく思った。
あの後、戦場を巡回している無人の死体回収作業船のトラクタービームに引き摺り込まれ、回収されたのだ。
イグニスは再生処理用溶鉱炉に投げ入れられる寸前で、味方の兵士に見つけ出され、なんとか生き延びた。
だが、トニルトスがどうなったのかは解らない。仮にあの場を凌いでいたとしても、二度と会うことはないだろう。

「…頭、痛ぇ」

 この痛みは、過去を振り払えない証拠だ。

「くそったれが」

 イグニスは毒突き、ジャンクで埋め尽くされた壁に背を預けた。背中の下で、あの日のように金属が軋んだ。
ガレージの外を見やると、雨が降っていた。清らかな透明の滴が偽物の空から降り注ぎ、地面を潤している。
雨音も柔らかく、雰囲気も優しかった。故郷に降る黒い雨とは主成分からして違うので、落下する際の音も違う。

「道理で、静かなわけだ」

 朝が来たのも忘れて、浅い眠りに溺れていた。イグニスは両腕に抱えていたビームバルカンを、床に下ろした。
この廃棄コロニーは完全循環型だ。だから、定期的に雨も降る。そうなると、ハルの活動範囲もぐっと狭くなる。
雨が降ってしまってはヤブキの農作業も休まざるを得ないし、ミイムの外に洗濯物を干さないので、尚更だった。
 先日、マサヨシに手錠を掛けられて丸一日拘束されたミイムとヤブキは、少しずつだが和解に向かっている。
ミイムのヤブキに対する口の悪さはなかなか直らないものの、態度は柔らかくなり、ヤブキも言い返さなくなった。
それはそれで面白味がない、とイグニスはマサヨシに言ったが、マサヨシは物凄く渋い顔をして首を横に振った。
余程、マサヨシは大変だったのだろう。だから、彼らしくもない手段に出たのだ。その結果は、今のところ好調だ。

「まあ、別にいいけどよ」

 家族関係に神経を割くほど、繊細な男ではないと自覚している。だから、終わったことはもうどうでもよかった。
今、問題なのは、先程見た過去の記憶の奔流だ。とっくに捨てたはずなのに、未だに残滓がこびり付いている。
 母星は滅びた。戦いの末に、惑星の核であり機械生命体を生み出す高エネルギー集積体を破壊したからだ。
それは、金色の光を放ち、あらゆる機械生命体に命を与えてきたことから、金色の母アウルム・マーテルと呼ばれていたものだった。
アウルム・マーテルを得れば、星を生かすほどの力を得ることになり、機械生命体という種を掌握したも同然だ。
それを奪うために、各軍は戦っていた。だが、イグニスがそれを知ったのは、戦いが終盤に向かった頃だった。
それまでは何一つ知らされず、ただ戦い続けていた。星を壊すかもしれない、無謀な戦いに荷担させられていた。
 そして、機械生命体は過ちを犯した。星の中心で、アウルム・マーテルを巡り、五体の司令官達は死闘を行った。
だが、誰一人として生き残らなかった。最強と称されていた五体の機械生命体達は、皆、全滅してしまったのだ。
五体の司令官達は戦闘でアウルム・マーテルに過剰な衝撃と刺激を与えたため、エネルギーが暴走を始めた。
その凄まじいエネルギーは何百万年と続いた戦いで傷んでいた惑星を内から砕き、呆気なく崩壊させてしまった。
イグニスもまたアウルム・マーテルのエネルギーの奔流を受け、惑星の地表から宇宙空間に飛ばされてしまった。
そして、母星は崩壊した。宇宙空間に飛ばされた際に意識を失っていたので、崩壊する瞬間は記憶していない。
イグニスは辛うじて生きていたが、宇宙を気の遠くなる年月を放浪した末にワームホールで太陽系へと移動した。
 そして、マサヨシと出会った。それからはルブルミオンの戦士ではなく、イグニスという男として生きると決めた。
異種族ながらも親しくしてくれるマサヨシが気に入ったこともあるのだが、過去を振り返るのが恐ろしかったのだ。
振り返ってしまえば、己の無力さとつまらなさを実感することになる。それが、どうしようもなく腹立たしかったのだ。
故に、尚更過去は振り返りたくなかった。僅かでも思い出せば、心を構成している精神回路に過電流が走った。

「くっだらねぇ」

 イグニスは自嘲したが、痛みは抜けなかった。既に終わったことを恐れることからして、情けなくてたまらない。
だが、恐怖は終わらない。どれほど感情回路を処理しようとも、アルゴリズムの乱れを直そうとも、消えてくれない。
訳の解らない衝動に似た感情が、内側から迫り上がる。イグニスは居ても立ってもいられなくなり、腰を上げた。
 宇宙に出て訓練でもして、気晴らしでもするしかない。このままじっとしていれば、恐怖に喰い尽くされそうだ。
イグニスは壁に立て掛けていたレーザーブレードを取ると、部品交換を終えたジェネレーターのカバーを閉じた。
正直言って雨に濡れるのは好きではないが、今は仕方ない。イグニスはガレージから踏み出したが、足を止めた。

「ハルじゃねぇか」

 家の玄関先に、ハルが立っていた。長い金髪がツインテールに結われていて、ピンクのリボンも付けている。
ハルはイグニスに気付くと、ぱっと笑顔を見せた。雨に濡れるのも構わず、ツインテールを揺らして駆けてくる。

「おじちゃーんっ!」

 ハルはイグニスの傍まで駆け寄ってくると、小さな両手を広げてイグニスに掲げた。

「これ、あげる!」

「なんだ、こりゃ」

 イグニスは水を含んで柔らかくなった地面に膝を付いて身を屈め、ハルが大切に持っているものを見下ろした。
表は赤く彩色されているが、裏は白い。折り紙だった。複雑な形に折られているが、折り目が甘くよれよれだった。

「これね、ツルって言うんだって。お兄ちゃんがオリガミを教えてくれたの」

 自慢げなハルにイグニスは内心で笑みを零し、ハルの手中からツルを取り上げた。

「そうか、良かったな」

「でね、それね、私が折ったんだよ。凄いでしょ!」

 誇らしげに、ハルは小さな胸を反らす。イグニスはツルを手の中に収め、大きく頷いた。

「おう、凄いな」

「えへへへへへ」

 褒められて嬉しいのか、ハルは両手で頬を押さえた。

「大事にするぜ、ハル」

 イグニスはハルのツルが濡れないように指を曲げてから、立ち上がった。

「俺はこれから宇宙で一暴れしてくる。マサヨシにもそう伝えておいてくれ」

「おじちゃん、お外に行っちゃうの?」

「なあに、体を慣らしてくるだけだ。すぐに帰ってくるからな」

「うん、解った。パパに伝えておくね」

「おう」

 イグニスはそう言ってから、一度ガレージに戻った。ハルからもらった下手くそなツルを、小さな箱に入れた。
その箱が他の部品と紛れてしまわないように置いてから、再び外に出ると、カタパルトに向かって飛び出した。
いってらっしゃーい、とのハルの声が背中に掛けられたので、イグニスはレーザーブレードを持った手を振った。
その幼い声を聞くだけで、心身を浸食する恐怖が緩んでくれる。やはり、ハルの存在はとてもありがたかった。
イグニスが戦い続ける最低限の意義を作ってくれただけでなく、愛らしい言動で荒んだ心も癒してくれるからだ。
 故郷では誰かを愛したこともなかったし、愛されたこともなかった。だからこそ、躊躇いなく戦い続けられていた。
だが、誰かを愛する喜びを知ってしまうと、愛される喜びに目覚めてしまうと、以前の戦い方は出来なくなった。
故郷を滅ぼすための戦いに荷担し、数え切れないほどの同胞を殺すという、許されざる罪を犯した身だからこそ。
 過去が恐ろしく、現在が愛おしい。







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