アステロイド家族




ライフ・イズ・ドッグ



 体長4.2メートルの愛玩犬。


 朝が来るだけで、憂鬱になる。
 朝なんて来なければいいと、何度願ったことだろう。ガレージの隙間から差し込む人工日光が、心底憎らしい。
イグニスの手で修理された両腕を組み、緩く排気を吐く。これなら、困難な作戦を行う時の方がまだ気が楽だった。
戦いは楽だ。敵軍を殺し、情報を奪い、勝利を収めればいい。だが、この廃棄コロニーでの暮らしはそうではない。
生温く水っぽい炭素生物達が鬱陶しい。その中でも特に煩わしいのが、ハルと呼ばれている矮小な個体だった。
 トニルトスは苛立ちを込め、浅い眠りを取っているイグニスを睨んだ。イグニスはそれに気付いて、顔を上げた。
腕に抱いていたビームバルカンを足下に置いて上体を反らし、ごきりと首を捻ってから、イグニスは片手を上げた。

「おう、起きたか」

「気安く声を掛けるな」

 トニルトスは一蹴し、顔を背けた。イグニスは、分厚い装甲の乗った肩を回す。

「だが、話し掛けなきゃどうしようもねぇだろ。俺が構ってやんなきゃ、お前みたいなのはすぐにハブられるからな」

「誰が貴様などに構われたいものか」

「俺だってお前なんて構いたくねぇよ。でも、放っとくわけにはいかねぇだろ」

 よっと、とイグニスは腰を上げると、トニルトスの前を過ぎてガレージのシャッターの前に立った。

「それに、お前は今や我が家の愛犬だからな。下手な扱いをしたらハルから怒られちまう」

「私は気高きカエルレウミオンの戦士だ、愛玩動物に成り下がった覚えはない」

 トニルトスは毒突くが、イグニスは笑うだけだった。がらがらと耳障りな音を立てながら、シャッターが上がった。

「俺からしてみりゃ、羨ましいことこの上ねぇんだけどな」

 その思考回路が全く理解出来ず、トニルトスは言い返す気力も失せた。おう、とイグニスは明るい声を発した。
ガレージの外には、あの矮小な炭素生物の幼生が立っていた。逆光を浴びて、腰上まである金髪が輝いている。

「おはよう、おじちゃん、トニーちゃん!」

 幼女、ハルは炭素系固形燃料が入った器を抱えており、小さな両手は真っ黒く煤けていた。

「はい、トニーちゃんの朝ご飯。ちゃんと食べてね」

「丁重に喰えよ、トニルトス」

 イグニスは身を引き、ハルをガレージ内へと促した。ハルはトニルトスの前までやってくると、器を差し出した。

「はい、どうぞ」

「いらん」

 トニルトスが一瞥すると、ハルはむくれてトニルトスに器を突き出す。

「ちゃんとご飯を食べなきゃ、大きくなれないんだよ! 良い子だから食べなさい!」

「機械生命体は生を受けた時点で成体であり、肉体的に成長することはない。それに、その固形燃料は炭素で構成されている。エネルギー効率が悪すぎて、摂取するに値しない物質だ」

「…むぅ」

 ハルは眉を吊り上げ、トニルトスに押し付けた。

「好き嫌いしちゃダメなんだから! ほら、良い子だから食べて!」

 その様子を、ガレージの外から見ている目があった。気配に気付いたイグニスが向くと、ヤブキが立っていた。
ヤブキは両手で円筒状の小型燃焼炉を抱え、どんよりとした雰囲気を漂わせながらハルの持つものを見ていた。

「オイラの練炭…」

「あ、やっぱりヤブキの所有物だったか」

 その言葉で、イグニスは腑に落ちた。この家で、前時代的なローテクノロジーを好むのはヤブキぐらいなものだ。
ヤブキの抱えている小型燃焼炉の中は黒く煤けており、恐らく、この中で炭素系固形燃料を燃焼させるのだろう。
だが、小型燃焼炉の直結している動力機関は見当たらないので、イグニスには燃焼させる意味が解らなかった。

「これっすか?」

 ヤブキはイグニスの視線に気付き、小型燃焼炉を掲げた。

「七輪っすよ、七輪。いい一夜干しが手に入ったから焼こうと思ったんすけど、肝心の練炭がないとなると…」

「液体燃料じゃダメなのか?」

「そんなことしたら、干物どころか七輪が吹っ飛ぶっすよ」

「なんでぇ、役に立たねぇ道具だな」

「調理器具なんすから、耐久性能が低いのは当たり前っすよ」

 ヤブキは名残惜しげにトニルトスの餌と化した練炭を見つめていたが、未練を振り切るために背を向けた。

「仕方ないっす。味気なくて風味も出ないっすけど、電気コンロで焼くっす。一夜干し、喰いたいっすからね」

 ああ、オイラのホッケが、とヤブキはぼやきながら母家に戻っていった。イグニスは、その気持ちが全く解らない。
機械生命体は人間とは違ってエネルギーを摂取して生命活動を行っているが、エネルギーには味の差などない。
エネルギーの純度や種類によって吸収効率や動力機関の燃焼効率の違いは出るが、味を感じたことはなかった。
そもそも、機械生命体には味覚という概念が存在しない。口に近い器官はあるが、舌に当たる器官はないのだ。
だから、マサヨシから味覚のことについて教えられた時は、味覚がとてつもなく無駄な知覚だとしか思えなかった。
増して、摂取する食糧の味についての執着など到底理解出来るはずもなく、それが気色悪くてたまらなかった。
今となっては味覚がある方が楽しいのではないか、と思えるようになったが、根本的な部分はやはり理解不能だ。
 イグニスは、トニルトスの動向を見守った。炭素系固形燃料は吸収効率も燃焼効率も悪いが、エネルギーだ。
先日の戦闘で受けた傷が完全に回復していない今、トニルトスとしては少しでもエネルギーを摂取したいはずだ。
だが、あまりにも吸収効率が悪いと消化不良を起こす可能性もあり、せっかく治った機関部に過負荷が掛かる。
トニルトスの感情回路からかすかに漏れているパルスにも躊躇いが若干含まれており、その気持ちはよく解った。
しかし、その迷いはエネルギーを摂取するか否かであり、ハルの気持ちについては完膚無きまでに無視している。
ハルの関心を受けているのにその態度とは、ふてぶてしすぎて憎たらしい。イグニスは、一瞬で強烈に苛立った。

「喰えよこの野郎」

「そうだよ、食べてよトニーちゃん」

 ほうら、とハルはトニルトスに練炭を差し出した。トニルトスはそのしつこさに辟易し、語気を強めた。

「だから、摂取しないと再三言っているではないか」

「喰えっつってんだよ愛玩犬!」

 イグニスはトニルトスの背後を取ると首を腕で締め上げ、治りきっていない腕を捻って極めた。

「う、ぐぉっ!」

 腕を捻られた際に神経回路を痛覚信号が駆け抜けたため、トニルトスは抵抗するタイミングを失ってしまった。

「ほうら、喰えったら喰え!」

 イグニスはトニルトスの背中を膝で押して無理矢理前のめりにさせると、顎を掴み、顔を覆う外装を開かせた。
その下からは、口に当たる器官が現れた。トニルトスは身を捩るも、口にも指を突っ込まれて開かれてしまった。

「ほれ今だ、喰わせてやれ!」

「ありがとう、おじちゃん」

 ハルはにっこり笑ってトニルトスに近付き、強引に開かれた口の中に炭素系固形燃料をざらざらと流し込んだ。

「ごちそうさまは?」

「誰が言うかっ!」

 トニルトスはイグニスの手で口を塞がれながらも、発声器官を用いて叫んだが、また無理矢理上を向かされた。
そのせいで口から燃料タンクに繋がるチューブの中を炭素系固形燃料が落下し、吐き戻すことも出来なくなった。

「良い子良い子」

 ハルは満足げにトニルトスを撫でていたが、ミイムに呼ばれたので、ハルは返事をしてから出ていった。

「ハルも好き嫌いするんじゃねぇぞー」

 イグニスはトニルトスを押さえ付けたまま片手を上げてハルの背に手を振りながら、ひどく弛緩した声を発した。
トニルトスは口を押さえられて腕を極められて背中を膝で抉れられていたが、次第に怒りが込み上がってきた。

「…屈辱だ」

 トニルトスは怒りに任せ、イグニスの腹部に力一杯肘を打ち込んだ。

「放せこの蛮族!」

「ぐぶぇっ」

 イグニスは治りきっていない部分を狙われたため、激痛に襲われて反射的にトニルトスから放れた。

「いきなり何しやがる!」

「それを貴様が言うか!」

 トニルトスは激昂したが、腹部の燃料タンク内で未消化の炭素系固形燃料がごろごろと動き、不快感が生じた。
時間を掛けて処理すれば燃焼出来ないこともないが、処理が完了するまでの間は、石に似た異物感に苛まれる。
それが、この上なく気分が悪かった。腹部を押さえて背を丸めたトニルトスに、イグニスは場違いな言葉を掛けた。

「どうだ、ちったぁペットの喜びってのを味わえたか?」

 トニルトスは迷わず拳を振り、イグニスの顔を殴り飛ばした。だが、殴った途端に腕のシャフトが悲鳴を上げた。
イグニスが垂れ流す悪態を聞き流しながら、トニルトスはずきずきと痛む右腕で異物感の広がる腹部を押さえた。
自分でも、理性回路が保っているのが不思議だった。この両腕に備えられた武器が万全なら、皆殺しにしていた。
体が万全でないからこそ、誰も殺せないだけだ。全快したら誰も彼も殺してやる、とトニルトスは恨みを募らせた。
 思考回路が焼け付くほどの、殺意が漲った。




 今日の朝食では、ヤブキが妙に落ち込んでいた。
 マサヨシはヤブキの作った寸分の隙のない和食を食べていたが、特に失敗したような料理は見当たらなかった。
ホウレン草の巻かれた卵焼きは程良く焼き色が付き、味噌汁のダシも香り高く、白飯も艶やかでふっくらしている。
前日から仕込んだ筑前煮も味が染み込んで根菜も柔らかく煮え、ホッケという名の魚の干物も綺麗に焼けている。
いつも通り、ヤブキは真っ先に食べ終えていたが、見事に骨だけを残して食べ切ったホッケの皿を見つめていた。

「どうした、ヤブキ」

 マサヨシはホッケを食べつつ、尋ねた。ヤブキはマサヨシに視線を向け、力なく答えた。

「いや…なんでもないっす、なんでも…」

「だったら心配するだけ脳細胞の無駄遣いですぅ」

 ミイムはキュウリのぬか漬けを囓っていたが、マサヨシの隣に座るハルに話し掛けた。

「ハルちゃん、トニーさんのお世話は順調ですかぁ?」

「うん。おじちゃんが手伝ってくれたから、トニーちゃんにちゃんと朝ご飯食べさせてあげられたの」

 上機嫌なハルは、ホウレン草の巻かれた卵焼きに箸を突き刺し、頬張った。

「次はお散歩に連れて行かなきゃだね。パパも一緒に行こうよ、トニーちゃんのお散歩」

「あれを散歩させるのか?」

 マサヨシが少々戸惑うと、ハルは頷いた。

「だって、ワンちゃんはお散歩させなきゃダメなんだもん。それに、今日はパパはお仕事ないんでしょ?」

〈だったら付き合ってあげなさいよ、マサヨシ。トニルトスと交流を深めるためにも行くべきだわ〉

 リビングテーブルの充電スタンドの上で、サチコが言った。マサヨシはハルとサチコを見比べたが、了承した。

「解った。今日は俺も付き合おう」

「わぁーい、パパも一緒だー」

「しかし、あれをどうやって散歩させればいいんだ」

 マサヨシはヤブキの淹れた緑茶を啜りつつ、思案した。普通に連れ合って散歩したとしても、ハルは不満だろう。
ハルがトニルトスに求めているのは、大型犬の立ち振る舞いだ。首輪を付けて引っ張らなければ雰囲気は出ない。
だが、それをトニルトスが了解するわけがない。プライドの高い彼のこと、そんなことをすれば反抗することだろう。
というより、トニルトスでなくても反抗する。そういった特殊な性癖を持っていない限り、不愉快なのは至極当然だ。
これ以上トニルトスの人格を蹂躙しないためにも、手を打たなくては。そもそも、ペット扱いからして誤りなのだが。
万が一、怒り狂って暴れられたら一大事だ。そうなってしまっては、我が家が破壊されるだけでは済まないだろう。
しかし、ハルの機嫌を損ねては後が大変だ。マサヨシは両者を天秤に掛けて考えていたが、答えは出なかった。
 三日前、マサヨシはトニルトスの精神状態を窺いつつ、太陽系に到達するまでの経緯を聞き出そうと話し掛けた。
だが、トニルトスはマサヨシの言葉に耳を貸すはずもなく、太陽系に至った理由は戦うためだとしか言わなかった。
手段だけでも聞き出そうとしたがそれも話してくれず、誰がイグニスとトニルトスと引き合わせたのか解らなかった。
結局、トニルトスから得られた情報は、母星を滅ぼしたルブルミオンが卑劣で下劣で劣悪かということだけだった。
トニルトスから情報を引き出す代わりに、マサヨシもイグニスと出会った経緯を話したが興味すら持たれなかった。
家族に関する話は尚更興味を向けてくれず、マサヨシがどれほど言葉を連ねようと、返事すら返してくれなかった。

「ふみゅうん、お散歩ですかぁ、いいですねぇ」

 ミイムは他人事だからか、にこにこしながら自分の茶碗に二杯目の白飯を盛った。

「でも、トニーさんの首に付けられるようなでっかい首輪がありますかぁ?」

「機動歩兵拘束用のレーザーバインドなら、俺の船に装備してあるが」

 マサヨシが何の気なしに言うと、ミイムはにんまりした。

「じゃ、それで首根っこを縛って引っ張ればいいですぅ。頭から罵倒して蹂躙して天より高いプライドをベッキベキにへし折って価値観を崩壊させてから弱みに付け込んで揺さぶれば、きっと素直なワンちゃんになってくれますぅ」

 それは人道的にどうかと思う。マサヨシはミイムの物騒な提案を聞き流して、他のアイディアがないかと考えた。
ミイムの言いたいことも解らないでもない。だが、そんな手荒な真似をしてはトニルトスとの溝が深まる一方だ。
トニルトスは、捕虜でもなければ犯罪者でもない。家族として受け入れるつもりだったからこそ、回収したのだ。
上手く行けばトニルトスもイグニスのように戦力になるかもしれないので、味方に付けるに越したことはなかった。
 だから、気を遣わなければならない。






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