アステロイド家族




この宇宙の片隅で



 四人の住む廃棄コロニーは、アステロイドベルトの片隅に浮いている。
 アステロイドベルトに無数に存在する岩石の一つを改造して建造されたもので、外見はただの小惑星である。
マサヨシらがこのコロニーを発見したのは、全くの偶然だ。宇宙海賊との交戦中に被弾し、退避して流れ着いた。
最初はただの小惑星だと思っていたのだが、サチコが小惑星をスキャンして調べ、擬装された隔壁を発見した。
パスワードもロックも掛けられておらず、何の苦もなく侵入出来たので、警戒しながらコロニー内部に降下した。
コロニー内部はごく一般的な居住用コロニーで、軍事施設もなければ研究施設もなく、オートガンすらもなかった。
人影はないが植物だけは生い茂っており、高濃度の酸素が充満していたので、大分前に廃棄されたようだった。
植物栽培プラントを突き破って成長を続けていた太いツタや逞しい根は、コロニー内部を這い回って伸びていた。
 ハルは、その中心で眠っていた。ツタに締め付けられているコールドスリープ・ポッドの中で、彼女は凍っていた。
余程長期間保存されていたのだろう、生体反応はかなり低く、覚醒させなければ緩やかに死を迎える状態だった。
マサヨシがコールドスリープを解除してやると、目覚めた少女は意識が戻り切っていない瞳で二人の男を捉えた。
マサヨシに目を留めた少女は、外見に見合った幼い笑顔を浮かべると、舌っ足らずな声で、パパ、と呼んできた。
 当然、マサヨシは戸惑った。少女はおぼつかない足取りで近付いてきてマサヨシに縋り付き、パパ、と呼んだ。
少女は警戒するどころかマサヨシに気を許しきっていて、マサヨシが少しでも離れると途端に泣きそうになった。
イグニスは、放っておけ、構うんじゃねぇ、と拒絶した。サチコも、また眠らせておくべきだ、と意見を述べてきた。
マサヨシもそう思わないでもなかったので、一度は振り払ったのだが、少女は何度も転びながら追いかけてきた。
 パパ、パパ、と繰り返しながら、少女は小さな手を伸ばしてきた。その姿の痛々しさに、マサヨシは心が痛んだ。
マサヨシが駆け寄って抱き起こしてやると、少女は泣き笑いに似た表情を浮かべて、マサヨシにしがみついてきた。
その瞬間、マサヨシは躊躇いが消えた。どんな事情があったにせよ、彼女はマサヨシに助けを求めていたのだ。
だが、その気持ちを汲むどころが蔑ろにしてしまった。マサヨシは申し訳なさに苛まれながら、少女を抱き上げた。
二人から強く反対されながらも、マサヨシは少女をスペースファイターまで連れていき、水と食糧を与えてやった。
完全に目を覚ましても、少女はマサヨシをパパと呼んでいた。父親じゃない、と言い聞かせても、呼び続けていた。
それが延々と続くと、マサヨシはいつのまにかパパと呼ばれることに抵抗が失せ、少女にハルと名付けてやった。
 それから五日間、奇妙な共同生活が始まった。マサヨシのスペースファイターの損傷は、思いの外ひどかった。
手持の工具とコロニー内で見つけた部品で修復出来ないこともなかったが、損傷が大きいので手間が掛かった。
ハルと名付けられた少女は、それを興味深げに見ていた。イグニスのことも、おじちゃん、と呼ぶようになった。
サチコのことも、お姉ちゃん、と呼ぶようになり、マサヨシだけでなく二人にも懐いて笑顔すら見せるようになった。
そして五日が過ぎ、スペースファイターの修理が完了する頃には、イグニスとサチコもハルを受け入れていた。
 一度情が湧いてしまうと、後は簡単だった。マサヨシとイグニスは廃棄コロニーに拠点を移し、暮らし始めた。
それはもちろん、新しい家族のハルのためだった。まだ幼い彼女を一人にしておくのは、とても心配だからだ。
以前は木星の衛星軌道上のコロニーに住んでいたのだが、コロニー暮らしは金が掛かって掛かって仕方ない。
だが、この廃棄コロニーならば、スペースファイターのガレージ代やアパートの家賃を毎月払う必要などない。
定期的に氷を運び込めば自動的に解凍して浄水してくれるし、植物プラントを使えば野菜はいくらでも作れる。
そして何より、このコロニーにはハルがいる。どこを取ってもいいこと尽くめだったので、引っ越す他はなかった。
それが、二年前の出来事だ。それから二年間、マサヨシとイグニスは今まで以上に充実した日々を送っていた。
 火星のフォボスステーションから帰還したスペースファイターは、岩盤に擬装されている隔壁の前で制止した。
サチコが遠隔操作を行って隔壁を開くと、合金製のカタパルトが現れる。大型宇宙船用なので、かなり巨大だ。
マサヨシのスペースファイターは小型艇なので、三分の一もない。戦闘艇と戦士を載せ、カタパルトは降下した。
カタパルトが降下していくと、頭上では隔壁が閉鎖される。第一層、第二層、第三層、とゆっくりと降下を続ける。
そして第六層まで降りると、エアロックに入った。隔壁に頑丈なロックが掛かると、徐々に空気が充満し始めた。

〈隔壁異常なし、空気圧異常なし、人工重力、0.95G、各乗員の生体反応にも異常なし、オールグリーンよ〉

 サチコの決まり切った報告を聞き終えてから、マサヨシは体を固定していたベルトを外した。

「ハルはどうしている?」

〈私の目の届く場所にいてくれたわ、一応はね〉

「一応ってことは、どういうことだ?」

 マサヨシは操縦席から離れて倉庫に向かい、買い込んだ食料品の箱を取り出した。

〈三十二分十五秒前から、姿が見えないのよ。家の中にいないことは確かだけど、それ以外は掴めていないわ〉

「とりあえず、うちに帰ろう」

 マサヨシは一抱えもある食料品の箱と日用品の箱を船外に出すと、イグニスはその二つの箱を片手に収めた。

「やっぱりお前は電卓女だな、サチコ。コンピューターならコンピューターらしく、全部調べやがれ」

〈私の役目はマサヨシのサポートなんだから、マサヨシの判断を扇ぐのもちゃんとした仕事なのよ。あなたと違って私は自分の立場をしっかり弁えているから、過ぎたことはしないのよ〉

 マサヨシの背後から、球体の機械がふわりと滑り出てきた。サチコの端末の一つで、彼女の体の一部でもある。
野球ボール程の大きさの銀色の球体は、解像度の高いレンズと各種センサーが付いているスパイマシンである。
その外見を簡単に表現すれば、機械の目玉だ。愛嬌のない見た目をしているが、それは性能重視である証拠だ。
マサヨシが改造を加えて音声機能を付けたので、喋ることも出来る。コロニー内部での、サチコの姿とも言える。

「相変わらず、お前は現場ってのを解ってねぇな」

 だから好きになれねぇ、とぼやきつつ、イグニスは大きな手のひらに二つの箱を載せてエレベーターに向かった。
マサヨシはサチコと共にそれを追い、三人は居住スペースまで降下した。その間、イグニスはサチコをなじった。
サチコはしれっとした物言いでそれを受け流すが、イグニスにとってはそれすらも癪に障るのか文句は止まない。
マサヨシは二人を宥めるのを諦めていたので、特に何も言わず、エレベーターが最下層まで降りるのを待った。
 二人の言い合いは、マサヨシにとってはBGMにも等しかった。




 四人の住む家は、廃屋を改造したものである。
 植物に浸食されて壁が壊れてしまった建物の骨組みに、新しい建材で壁や屋根を填め込んで家らしくした。
配管や配線も行って水道や電気も整え、必要最低限の生活スペースを作り、マサヨシとハルの部屋も作った。
人数が少ない上に土地が広いので、平屋建てだ。この家を造る際に最も働いたのは、当然ながらイグニスである。
だが、当のイグニスは家に入ることは出来ても二人と一緒に住むことは出来ないので、かなり残念がっていた。
なので、イグニスは自分のために大型のガレージを家の傍に建造して、多少強引だが一緒に住めるようにした。
そのことは大喜びしたのはイグニスだけではなく、ハルもだった。これで一緒に寝られる、とはしゃぎ回っていた。
 マサヨシが玄関のドアを叩くが、返事はなかった。マサヨシは扉を開けて入ると、玄関には靴が散らかっていた。
それは、ハルの小さな靴だった。マサヨシは靴を並べ直してから、広いだけで家具のないリビングに声を掛けた。

「ただいま、ハル」

「おーい、帰ってきたぞー。って、やっぱりいねぇな」

 イグニスは箱を玄関に置いてから玄関を覗き込むと、ドアとイグニスの頭の隙間からサチコが滑り込んだ。

〈ハルちゃん、どこに行ったのかしら〉

「隠れているってこともあるかもしれないな」

 マサヨシは二つの箱をキッチンに運び込んでから、リビングの左奥にあるハルの部屋のドアを叩いた。

「ハル、いるか?」

 だが、やはり返事はない。ドアを開けるも、ベッドはもぬけの殻で、寝乱れたシーツや毛布だけが残っていた。

「じゃ、俺の部屋か?」

 マサヨシは自室のドアを開けるも、そこにもいない。今度はマサヨシの部屋の窓の外から、イグニスが覗き込む。

「かといって、俺のガレージでもなさそうだ。おい、電卓女」

〈私に命令出来るのはマサヨシとハルちゃんだけよ〉

 つんとした態度で、サチコはそっぽを向いた。言い返そうとしたイグニスを、マサヨシは制する。

「サチコ。ハルがどこにいるか解るか?」

〈ええ、もちろんよ!〉

 サチコの声色は途端に明るくなったので、その変わり様にイグニスは嫌悪感を示した。

「裏表のある女は嫌いだ。特に、減らず口はな」

〈外野は無視して話を続けましょう。ここまで近付くと、詳細な情報が探知出来るようになったから報告させてもらうわね。ハルちゃんの生体反応はこのエリアから出ていないから、近くにいることは確かだわ。バイタルの異常もないようだから、特に問題は見当たらないわ。位置はここから七百二メートル八十三センチ、つまり、畑にいるわ〉

「畑?」

 マサヨシが聞き返すと、サチコは頷くように球体を上下させた。

〈ええ、畑よ。三ヶ月前にあなた達が耕して種を作付けしておいた、あの畑よ〉

「と、いうことは」

 イグニスは腰を上げて体を起こし、周囲を見渡した。入念に手入れをしたので、今はツタも根も除去されている。
サチコの言う畑は、放置された末に暴走した植物プラントから離れた場所に作ったもので、元々は公園だった。
植物プラントで栽培される野菜とは違った野菜を作るためと、ハルの情操教育のために作った小さな畑である。
靴が脱ぎ散らかされていたのは、靴を履き替えたからだろう。畑には長靴で行くように、と言い聞かせてある。
マサヨシは改めてハルの部屋を見たが、ピンク色の可愛い寝間着はきちんと折り畳まれてベッドに載っていた。
その代わり、クローゼットが開かれたままで、ハンガーが床に転げ落ちている。自分で着替えて外に出たのだ。

「どうする、迎えに行くべきか?」

 イグニスの提案に、マサヨシは頷いた。

「そうだな。その方がいい」

〈残念だけど、その必要はないみたいよ〉

 サチコは窓から外へ出ると、畑の方向にレンズを向けた。イグニスも気付いたのか、嬉しそうな声を漏らした。
マサヨシも外に出ると、二人に倣って畑の方向に向いた。雑草が生い茂った石畳の上を、小さな影が歩いている。
長靴の底をぺたぺたと鳴らしながら歩いていたが、時折よろけた。なんとか踏ん張るも、またしても崩れかけた。
それが何度か続いていたが、遂に転んだ。マサヨシは駆け寄ろうとしたが、踏み止まり、その様子を見守った。
イグニスも腰を軽く浮かせていたが、マサヨシが駆け出さないのを見ると、焦れながらも座り直して腕を組んだ。
小さな影は震えながらも起き上がり、目元を拭った。散らばってしまったものを掻き集めて、布袋に入れている。
それを引きずりながら歩いていたが、マサヨシらの姿に気付くと立ち止まった。泥だらけの顔を緩め、声を上げた。

「お帰りなさい、パパ、おじちゃん、お姉ちゃん!」

 この少女こそが、愛娘、ハルだった。ピンクの長靴も半袖シャツもジャンパースカートも、どろどろに汚れていた。
色白な肌も、長い金髪も、純真な光を宿した青い瞳も、ふっくらと丸いバラ色の頬も、全てが泥にまみれていた。
ハルは布袋を引きずって駆け出そうとしたが、袋の重みに負けてつんのめってしまい、またもや転んでしまった。
その拍子に袋の口が緩み、中身が零れ出した。それは、まだ青いトマトや小振りなカボチャなどの野菜だった。

「あーあ、もう見ちゃいらんねえ」

 居たたまれなくなったイグニスが立ち上がると、ハルはぐずりながらも起き上がり、叫んだ。

「パパもおじちゃんもお姉ちゃんも、おうちで待っててよ! 私がごはん作るんだもん!」

「作るったって、それはまだ喰えないやつばっかりじゃないか」

 イグニスが近寄ると、ハルは泥と涙に汚れた頬を膨らませた。

「作るんだもん! おじちゃんにも食べてもらいたいんだもん!」

「気持ちは嬉しい、滅茶苦茶嬉しい、嬉しくて嬉しくてたまんねぇ。だがな、ハル。俺は有機物は喰えないんだよ」

 イグニスは心底残念がりながら、首を横に振った。ハルは小さな唇を曲げると、下を向いた。

「だって、パパのごはん、あんまりだから…」

〈あらあら。ハルちゃんにダメ出しされちゃったわね〉

 サチコに茶化され、マサヨシは苦々しげに呟いた。

「だが、あれだけはどうにも上手くならないんだ。頑張ってはいるんだが」

「お留守番だってお着替えだってちゃんと出来るんだもん、だからごはんだって作れるよ!」

 今度は意地になったのか、ハルはイグニスに詰め寄った。イグニスは指先を伸ばし、ハルを慎重に撫でた。

「だが、今はまずお風呂に入ろうな。そんなに汚れてちゃ、お前の可愛さが台無しだ」

「じゃ、パパと一緒に入る。頭、洗ってもらう」

「俺とじゃダメか?」

 イグニスはかなり期待しつつ、自分を示した。

「おじちゃん、大きすぎて洗いっこが出来ないんだもん。それに、おじちゃん、お風呂場に入れないもん」

 ハルのもっともな言葉に、イグニスはひどく落胆した。

「入れるもんなら入りてぇんだが、物理的な問題ってぇのがあってだな…」

〈完璧にフラれたわねぇ、イグニス〉

「うっせぇ黙れ電卓女!」

 悔し紛れに喚いたイグニスは、サチコの球体に拳を振り上げた。サチコは加速し、素早く飛んで回避する。

〈このスパイマシンを壊したりしたら、あなたの稼ぎからちゃあんと天引きしておきますからね?〉

「今日という今日は許さねぇからな、サチコー!」

〈おほほほほほほほほほほほ、捕まえてごらんなさーい〉

「なぁにがごらんなさーいだ!」

 てめぇこの野郎、とむきになったイグニスはサチコを追い回すも、サチコはイグニスの指先に掠りもしなかった。
宇宙空間ではなく人工重力圏であることがネックになり、イグニスの動きは宇宙空間に比べると鈍くなっていた。
サチコはそれを計算に入れて、スパイマシンの反重力装置とスラスターを上手く操作し、見事に回避していた。
それがイグニスの怒りに火を注ぐのか、イグニスの動きは次第に荒くなってしまい、サチコは避け続けていた。
 マサヨシはその光景を見つつも、地面に座り込んでいるハルに近寄ると、ハンカチを取り出して頬を拭った。
泥と涙に汚れていた頬を綺麗にしてやると、ハルは大きな目を瞬かせながら顔を上げ、マサヨシに飛びついた。

「パパ!」

「そうか、俺の料理はそんなにまずいか」

 苦笑いするマサヨシに、ハルは眉を下げた。

「うん。だって、パパのごはん、苦いかしょっぱいかなんだもん」

「それについては謝るよ、ハル。でもな、青いトマトはまだ取っちゃダメだって言っただろう?」

「だって、パパとおじちゃんにごはんを作ってあげたかったんだもん」

「じゃ、今日はお手伝いをしてくれないか。ハルが手伝ってくれたら、少しは俺の料理もマシになるかもしれないな」

「うん、お手伝いする! 私、頑張るね!」

 マサヨシの腰に短い腕を回し、ハルは力一杯抱きついてきた。マサヨシは身を屈め、ハルの頭を撫でる。

「その前に、まずは風呂に入ろう。本当に泥だらけだもんな」

「パパのごはんはあんまりだけど、お風呂は大好き」

 ハルは目尻に涙が残っていたが、満面の笑みを浮かべていた。マサヨシはハルを抱き上げ、布袋も拾った。

「ありがとう、ハル。気持ちだけはしっかりもらっておくよ。だが、次からは一緒に畑に取りに行こうな」

「うん。解った。次からはそうするね」

 ハルはマサヨシの首に腕を回すと、頬を擦り寄せた。

「お帰りなさい、パパ」

「ただいま、ハル」

 マサヨシはハルの柔らかくも泥臭い頬の感触を味わい、目を細めた。ハルの気持ちだけでも、胸が一杯になる。
未熟な野菜を収穫してしまったことは怒るべきことかもしれないが、その行為自体は好意に基づいたものなのだ。
だから、怒るよりも感謝する方が先なのだろう。ハルは感謝されたことが嬉しいのか、だらしなく顔を緩めている。
マサヨシはハルの髪の隙間から零れる土の匂いと子供の匂いを感じながら、風呂に入るべく、我が家へと戻った。
 さあ。家族団欒の始まりだ。







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