そしてマサヨシは、やたらと尊大な粘液から話を聞き出した。 気を抜くとすぐに己の徹底的な賛辞とうんざりするほどの自己陶酔が始まるので、そのたびに方向性を正した。 そもそも粘液は太陽系の生命体ではなく、何らかの切っ掛けでこのコロニー内に体組織の一部が付いてしまった。 自然環境を整えるために常時循環している水が扶養であったことと気温と湿度の高さが作用し、一気に増殖した。 当初は地上でひっそりと生きていたそうだが、より良い環境を求めて彷徨った末に、海へと辿り着いたのだそうだ。 そこで膨大な水を得た粘液は体積を数十万倍に増殖させた結果、海を覆い尽くすほどの量になってしまったのだ。 だが、マサヨシは宇宙海賊との戦闘で粘液を相手にした記憶はないので、機体に付着して侵入したとは思えない。 となれば、最近このコロニーを訪れた外来者がもたらした、とてつもなく厄介な置き土産だと考えるのが筋だろう。 最近の来客と言えば、カイル・ストレイフとリリアンヌ・ドラグリオン、そしてフォルテ皇女だが、後者は考えにくい。 ただでさえ気を遣う立場のフォルテが、水だけで大増殖する上に尊大という傍迷惑な置き土産をするわけがない。 それにミイムも、惑星プラトゥムに生息している生物にはこんな不気味なものはいるわけがない、との証言をした。 となると、考えられる線はカイル・ストレイフとリリアンヌ・ドラグリオンの新婚夫婦だがそれもまた考えにくかった。 しかし、二人はありとあらゆる惑星を巡る救護戦艦の搭乗員なので、どんな生命体に接触しているかは解らない。 二人も気付かない間に、荷物か何かに付着した粘液の一部をコロニー内に運び込んでしまったのかもしれない。 そうなると、これは事故だろう。いや、事故だと思いたい。こんなおぞましい悪戯を仕掛けてくるとは思いたくない。 マサヨシは頭の中を整理しつつ、ヤブキが叩き割っている薪を焚き火に放り込んで、炎に可燃物を与えていた。 あれから数時間、粘液の体内に溜まりに溜まった数十万トンの水分を蒸発させるために焚き火で煮詰めていた。 粘液本人もこれほど体積が大きいと動きづらいと言ったのだが、一度にこれだけ取り込むと排水出来ないらしい。 最初は熱線を浴びせていたのだが、エネルギー効率が悪すぎたので、地道に焚き火をすることになったのである。 「おぉおおおおおおおお…」 ぶくぶくと泡立つ赤紫色の粘液は、真っ白な湯気を昇らせながら身を震わせていた。 「熱い…」 マサヨシは火の傍にいるためにぼたぼたと汗を落としながら、項垂れた。 「というか、なんで俺が…」 「仕方ないっすよ。ミイムは夕飯の支度があるし、機械生命体の兄貴方は汁だく触手プレイのショックが抜けてないし、かといってサチコ姉さんは五十メートル以内には絶対近付こうともしないしで、オイラが手伝ってるだけまだマシじゃないっすか」 ヤブキは薪を割る手を止め、鉈を振って木屑を落とした。マサヨシは、汗を吸って重くなったタオルで顔を拭う。 「だが、アイヌの涙は風呂に入れるなよ。二度とごめんだ」 「えぇー、こんな時こそ出番だと思うっすけどねー、アイヌの涙」 「いらんと言ったらいらん」 「ちぇー」 頑なにアイヌの涙を拒否するマサヨシにヤブキは残念がりつつ、薪となる木片を足で起こして鉈を刺した。 「ところで、粘液の旦那はどこの生まれなんすか? つーか名前とかあるんすか?」 「うむ…」 ごぶり、と泡を吐き出した粘液は、熱で細胞組織が劣化したために水っぽい肉片を零しながら触手を挙げた。 「我が輩は本体から分離した組織の一部から増殖した我が輩、いわば分身なのであるからして、厳密に言えば我が輩は我が輩本人ではないのである。このように素晴らしき自我はあるのだが、本体が遠すぎることと急激な膨張と増殖を行ったために記憶に劣化が生じ、我が輩が我が輩であると言うこと以外は何一つ思い出せないのである」 「ダビングしたビデオテープで更にダビングを繰り返したら映像がガビガビになる、みたいなもんっすか?」 「まあ…そうなんじゃないのか? というか、ビデオテープってなんだ?」 知らない単語だったのでマサヨシが聞き返すと、ヤブキは両手を広げて長方形の形を作った。 「ああ、知らないっすか? 旧時代に使われていたもので、これくらいの大きさのプラスチックの箱に磁性体を塗ったテープが入った情報記録媒体なんすけど」 「全く解らん」 「そうっすか、マサ兄貴は旧時代に興味がないんすねぇ。色々と面白いんすけどねぇ、レトロな世界ってのが」 ヤブキは木片に刺した鉈を振り上げ、おもちかえりぃー、と訳の解らないことを言いながら地面に叩き付けた。 「だけど、粘液の旦那に名前がないってのはちょっとやりづらいっすね。マサ兄貴、なんかいいのないっすか?」 「物体Xでいいだろう」 「あ、それいいっすね」 マサヨシの投げ遣りな命名にヤブキは乗り気だったが、粘液はかなり不本意らしく、ごぼごぼと泡を吐いた。 「そのような脊髄反射で決めた名など、高尚潔白な我が輩に相応しいわけがないのである!」 「だが、これと同居するのだけは絶対に嫌だ。なあヤブキ?」 マサヨシが不快感を示すと、ヤブキは割った薪を焚き火の中に投げ込んだ。 「そうっすねー。タカビーキャラは既にトニー兄貴がいるし、一見丁寧そうだけど無茶苦茶な暴言もミイムだけで間に合ってるし、オイラも人外萌えの気はあるっすけど、こういうのは勘弁っすね。ていうか、これ以上野郎が増えたってむさ苦しいだけっすよマジで。そろそろ女の子が参入してくれないと、色んな意味でバランスが取れないっすよ」 「失敬な! この我が輩こそが全ての需要と供給を受け持てる究極にして至高の存在であり、あらゆる属性を制覇出来る才能と実力を秘めた無限の価値を持つ男なのであるぞ!」 暫定名称・物体Xは、不愉快げに喚いて水蒸気を噴き出したが、ヤブキはへっと鼻で笑った。 「そんなこと言ったって、粘液は所詮粘液じゃないっすか。ドロネバな物体Xが出来ることと言ったらエロ担当ぐらいっすよ、エロ担当。だけど、ここにいるのは野郎とリアル幼女だけっすし、一人だけいる女性もコンピューターっすよコンピューター。やろうと思えばコンピューター相手でもエロスが出来ないこともないだろうと思うっすけど、リアルでやったらサチコ姉さんから生身で強制ワープの刑を受けそうな気がするんでやらない方がいいっすよ」 「その前に、サチコに近付いた時点で細胞一つ残さずに焼き殺されるぞ」 「それもそうっすね」 マサヨシが真顔になったので、ヤブキは笑った。他人事だからだ。 「とりあえず、これの体積がマイクロコンテナに入るくらい縮んだら、リリアンヌ号に送り付けよう」 マサヨシの提案に、ヤブキは手を打った。 「あ、それいいっすね! あの人達なら、物体Xを綺麗に滅菌処理してくれるはずっすよ!」 「宛名は、ドラグリオンでいいだろう。リリアンヌ先生とケーシー先生のどちらかに届いてくれたら、それでいい」 「なんでなんすか?」 「どっちも俺達と面識があるだろう。だから、事情をきちんと説明すれば、こんな不気味な物体Xを送り付けても処理してくれると思うんだ」 「そうっすね、それが確実ってもんすよね」 うんうん、と納得しているヤブキに、物体Xは煮えた体組織を散らしながら触手を振り回した。 「これこれこれ! 我が輩の意志を無視して処分の話を進めるとは何事か! そのようなデリケートな話題は、我が輩本人の目の前で談義するのではなく、我が輩に知られぬようにこっそりと話し合うのであるが、何かの拍子で我が輩に知られてしまい、そのことを気に病むべきなのである!」 「いつ俺達がお前と仲良くなったんだ。というか、なんだその陳腐なシチュエーションは」 マサヨシは面倒臭くなったので、重ねた薪を足で押して焚き火を物体Xに押し付けて、じゅっと水分を蒸発させた。 その途端、頭上から悲鳴にも似た罵倒が降り注いできたが全て無視し、マサヨシは黙々と薪を積み上げていった。 焚き火の傍の暑さと物体Xの並べ立てる言葉の鬱陶しさが苛立ちを通り越し、憎しみに近い感情が湧いていた。 なんでもいいから、とにかくこれを早く処分したい。だが、宇宙空間に放り出してしまうのも、危険だと思っていた。 物体Xに宇宙空間での適応能力があったら、流れ流れて太陽系の惑星に降りて再び増殖する可能性も出てくる。 そうなれば、その惑星は陶酔と自己顕示欲の固まりである物体Xに覆い尽くされて、色んな意味で地獄が始まる。 全ての新人類のためにも、太陽系の未来のためにも、引いては宇宙平和のためにも、物体Xは処分しなくては。 宇宙には、滅ぶべき生命も存在する。 それから、太陽系標準時刻で一週間後。 辺境宇宙を往く救護戦艦リリアンヌ号の職員居住区内の一室で、レオンハルト・ヴァーグナーは落ち込んでいた。 大きな背を丸めて項垂れるレオンハルトの傍らでは、苦い顔をしたダグラス・フォードが慰めるべきか悩んでいた。 友人であるダグラスの自室を訪れたレオンハルトは、まるで宇宙の終わりが訪れたかのような暗い顔をしていた。 その時点で異様だったのだが、レオンハルトの頬には真新しい赤い痣が付いていて、大きさは女性の手だった。 パイロキネシスを持つエスパーであり、近接戦闘なら元軍人のダグラスにも引けを取らない彼にしては珍しい。 レオなら殴られるよりも先に殴り返しているはずでは、とダグラスが訝っていると、レオンハルトは重々しく嘆いた。 先日、フィオーネの名前で注文したプレゼントが届いたのだが、中身がプレゼントではなく不定形生物だった、と。 フィオーネは喜ぶどころかタチの悪い悪戯だと思い、レオンハルトの顔を見るや否や泣き出し、挙げ句に殴った。 そして、そのままフィオーネは自室に引き籠もり、レオンハルトは仕事どころではなくなったので友人に頼ってきた。 傍目では馬鹿馬鹿しいが、本人達にはとてつもなく重大な事件だ。ダグラスは、己にそれを当て嵌めて考えた。 ダグラスも、機械生命体専門医であるフローラ・フェルムとは男女関係にあるが、彼女の機嫌を損ねると大変だ。 増して、喜んでくれると思ったはずの物が見当違いだった日には、彼女の鋭い爪で引っ掛かれてしまうことだろう。 「最悪だ…」 レオンハルトは数十回目の悲痛な嘆きを漏らし、ダグラスの勧めてくれた強い酒を呷った。 「アントニオがサイコメトリーで調べてくれたそうだが、レオがフィオーネにプレゼントした不定形生物の体組織はうちの艦長のものと一致したそうだ。だが、その体組織に含まれる水の成分はこの艦のものでもなければ近隣の惑星のものでもないそうだ。それと、送り主のマサヨシ・ムラタの身元は既に割れている。うちの患者の一人だ。同梱されていたデータディスクによれば、どういう因果か知らないが彼の住むコロニー内で艦長の分身が大増殖し、多大なる被害を被ったのだそうだ。こちらとしては相応の損害賠償を支払うつもりでいるが、データディスクの文書によれば、賠償はいらないからとにかく不定形生物を完膚無きまでに処分してくれ、だそうだ。今回の件は、マサヨシ・ムラタにとってもお前にとってもフィオーネにとってもタチの悪い事故だとでも思っておくべきだ」 ダグラスが情報端末に入った同僚からのメールを読むと、レオンハルトは空になったグラスに酒を注いだ。 「トカゲ女の仕業か! それともあの腐れシスコンの方か!」 「なぜそうなる。マサヨシ・ムラタが送り主だと言ったばかりではないか」 「あの二人は俺がフィオーネに近付くたびに色々と妨害工作を図っていやがったからな、今度もそれに違いねぇ! つうかそうだ! そうに決まってる!」 「それは完全な被害妄想だ。少しは落ち着け。というか、リリアンヌとケーシーがフィオーネからレオを遠ざけようとしていたのは、ただ単にレオの素行が悪すぎたからだと思うんだが。親族なら当然の心理ではないのか?」 「ダグラス、お前はそれでも俺の友達か」 ダグラスの言葉のきつさにレオンハルトは顔をしかめたが、ダグラスはしれっと返した。 「友人だからこそ言うんじゃないか」 「なんでもいい、とにかく俺はあの二人を消し炭にしないことには気が済まん!」 怒りのあまりに腰を浮かせたレオンハルトを、ダグラスはサイコキネシスを軽く放って座り直させた。 「その前に、まずはフィオーネに謝ってこい。それが筋じゃないか」 「だが、俺はあいつを泣かせて喜ぶような趣味はない!」 レオンハルトは強引に立ち上がろうとするが、ダグラスはそれに応じてサイコキネシスを強めた。 「お前ならやりかねない、と思ったから引っぱたかれたんじゃないのか?」 「…そう思うか?」 急にレオンハルトは勢いを失い、だらりと肩を落とした。ダグラスは、悠長に自分の分の酒を傾ける。 「私も思うぞ。何せ、お前は万年反抗期だからな」 「言って良いことと悪いことってのがあるぞ」 「とにかく、フィオーネの部屋に行って謝ってこい。まずはそれからだぞ、レオ」 「それもそうだな」 レオンハルトは若干渋っていたが、立ち上がった。こうなったら腹を括って、とにかくフィオーネに謝るしかない。 それしか解決策はないのだと、ようやくレオンハルトは覚悟した。自分は悪くないのだが、罪悪感は感じていた。 レオさんの馬鹿、大嫌い、と涙を散らしながら平手打ちしてきたフィオーネの姿を思い出すだけで、胸が痛くなる。 フィオーネの小さな手が作った痛みも痣も大したことはないが、心中は大きく抉られ、鉛が詰まったかのようだ。 レオンハルトがダグラスの自室から出ると、その傍の壁に、目を真っ赤に腫らしたフィオーネが寄り掛かっていた。 「レオさんの情報端末の現在位置を検索したら、ダグラス先生のお部屋だって解ったので」 「その、なんだ」 レオンハルトが謝ろうとすると、フィオーネはぎゅっとスカートを握り締めて俯いた。 「ごめんなさい…レオさん…」 「いや、あれは俺の方が」 「あの後、リリアンヌ姉様にお聞きしたんです。そしたら、新婚旅行の時に、実験用サンプルとして持っていた艦長の体組織の一部を紛失しちゃったんだそうで、それがリリアンヌ号に送り返されてきたんだろうって…。だから、全部私の勘違いで、なのにレオさんを殴っちゃって…」 フィオーネは涙を落とし、肩を震わせる。レオンハルトは居たたまれなくなり、フィオーネの肩を支える。 「もういい。お前は何も悪くないんだ、だからもう泣くな」 「レオさぁん」 フィオーネはぐしゃりと顔を歪めると、レオンハルトに縋り付いた。レオンハルトは戸惑ったが、踏み止まった。 ごめんなさい、と連呼しながらしがみついてくるフィオーネに、レオンハルトは大分場違いな感情を抱いてしまった。 以前抱き締めた時よりも距離が狭い上に、フィオーネが力一杯抱き付いてくるので、その幼い体型がよく解った。 レオンハルトは自分の浅ましさが嫌になったが、泣いている彼女を引き離すのは気が引けるのでそのままにした。 つくづく、人の良い娘だ。だからこそ、裏切れない上に深みに填る。レオンハルトは、無意識に頬を緩めていた。 周囲の様子を窺ってから、レオンハルトはフィオーネの涙に濡れた頬に手を添え、顔を上げさせて唇を塞いだ。 途端にフィオーネは涙を引っ込めて真っ赤になったが、以前のようにレオンハルトを引き離そうとはしなかった。 恥ずかしさのあまりに顔を見せたくないのか、フィオーネは華奢な肩を縮め、レオンハルトの胸に顔を埋めてきた。 「ところで」 フィオーネはレオンハルトの胸から顔を上げずに、小さく言った。 「レオさんからのプレゼントって、一体なんなんですか?」 「ほら、この前、俺の部屋に来た時に、カタログを見ながら欲しがってたじゃないか」 「え?」 きょとんとしたフィオーネが顔を上げたので、レオンハルトは目線を逸らした。 「紫でスケスケなレースのガーターベルトとストッキングのセットを」 数秒間、二人の間に重たい沈黙が流れた。フィオーネは涙も何もかも引っ込んでしまい、後退った。 「違います、それじゃないです、私が見てたのはその隣のページのピンクのネグリジェです!」 先程とは違う意味で真っ赤になったフィオーネはレオンハルトに背を向けると、泣きながら駆け出した。 「やっぱりレオさんなんて嫌いですー!」 その場に取り残されたレオンハルトは、ごん、と壁に頭をぶつけた。まさか、そんなことだとは思わなかった。 ありがちな話だとは思うが、我が身に降りかかると笑うことすら出来ずに、引きつった笑い声が喉から漏れ出た。 扉越しに事の次第を見守っていたダグラスは、先程以上に落ち込んだレオンハルトの姿につい笑ってしまった。 最早立ち直る気力すら失ってしまったレオンハルトの肩を叩いてやりつつ、ダグラスは必死に笑いを噛み殺した。 恋愛は、機微を捉え損ねると一大事だ。 08 7/6 |