アステロイド家族




たった一人の戦争



 貫け。その思いを。


 小惑星の一つに、銀色の円筒が突き刺さっていた。
 全長十メートル、直径七メートル。表面には繋ぎ目は一つもなく、つるりとした縦長の卵のような物体だった。
銀色の卵は強烈な太陽光線を反射し、煌めいている。卵の胴体部分にだけ、一本だけ細いラインが伸びている。
注視すると、それは文字だと解った。宇宙連邦政府が超広範囲に普及させた最も汎用な言語、第一公用語だ。
 ジョニー・ヤブキ専用可変型機動歩兵在中。確かに、中型機動歩兵が丸々入ってしまうほどの大きさだった。
だが、こうして目にしても納得することは難しい。展開が唐突すぎたために、思考が現実に追いつかなかった。
マサヨシの操縦するHAL号の左翼に宇宙服を着て立ったヤブキは、視覚機能を最大限に使って文字を読んだ。
しばらく眺めたが、それでもまだ現実感が沸かない。ヘルメットを被った首を捻りつつ、HAL号の機内に戻った。
扉を閉め、エアロックが閉じたことを確認してから、ヤブキは宇宙服のヘルメットを脇に抱えてコクピットに入った。
 コクピットには、パイロットスーツを着込んだマサヨシが待っていた。だが、その面差しは家庭でのそれとは違う。
眼差しは鋭く、表情は硬い。ハルやミイムに見せる穏やかで愛情に溢れた父親の顔ではなく、戦士の顔だった。
彼の座る操縦席の傍らには、レースがたっぷり付いている黒のワンピースを着たアウトゥムヌスが立っていた。
 黒のスカートはパニエで膨らみ、底の厚いブーツは滑らかな黒で、頭部はやはり黒のヘッドドレスを付けている。
いつもであれば化粧は一切施さない顔にも、暗い色合いの口紅やアイラインやアイシャドーが入れられている。
いわゆる、ゴシックロリータの恰好だ。これもまたミイムの持ち合わせていた服だが、持っている意味が解らない。
だが、似合わないこともない。しかし、背景がスペースファイターのコクピットでは、違和感しか生まれなかった。
けれど、状況には添っている。コロニーを出る時、ヤブキは火星へ妹の墓参りに行くのだと他の家族に説明した。
ゴシックロリータの原型となる服装は喪服なので、少しどころかかなり派手だが、間違っているわけではなかった。

「あれは、あなたのために私が造り上げた機体」

 マスカラの付いた長い睫毛を瞬かせたアウトゥムヌスは、ダークレッドの口紅が載った唇を開いた。

「あなたの望むままに動き、あなたの思うままに戦い、あなたの意志のままに変形する」

「はあ」

 生返事をしたヤブキに、アウトゥムヌスは黒いマニキュアを塗った指先を向けた。

「全ては、あなたのためにある」

「スーパーロボットものの主人公になった気分っすけど、正直言って困るっすね。敵っつっても二人だけだし、動機はめっちゃ情けないし、むーちゃんの言うことが大業過ぎて何が何だか」

 肩を竦めたヤブキに、マサヨシは目を向けた。

「それは俺も同じだ、ヤブキ。アウトゥムヌスのプレゼントがなかったら、俺の機体でも貸すつもりでいたんだがな」

「お気持ちだけで充分っすよ、マサ兄貴」

 親しげに笑ったヤブキに、マサヨシは笑みを返すわけにはいかなかった。事を終えたら、殺すと約束したのだ。
この時点ではヤブキはマサヨシの家族だが、彼が己の両親を殺した直後から彼の立場は家族ではなくなるのだ。
それもまた、ヤブキ本人からの申し出だった。この宙域への移動中、ヤブキはいつものような口調で話してきた。
 理由がどうあれ、人殺しは許されない。マサヨシらのように、生きるために他人に手を掛けるわけではないのだ。
そして、両親もこれといって犯罪を犯したわけではない。ただ、ヤブキにとっては許し難いことをしたというだけだ。
最愛の妹、ダイアナを寂しがらせ、泣かせ、間接的だがその死の原因を作ったというだけで殺したわけではない。
たったそれだけだ。客観的に考えれば、死んだ妹のために両親を殺しに赴くヤブキは、とんでもない愚か者だ。
だが、マサヨシにはそれを諫められるほど偉くはない。だから、ヤブキが思いを遂げる様を見届けてやるしかない。

「んで、むーちゃん。あの機体はどんなのっすか?」

 ヤブキがアウトゥムヌスに問うと、アウトゥムヌスはモニターの一つに手を差し伸べた。

「全長七メートル、全幅十メートル、総重量二十トン。中距離戦闘型機動歩兵。搭乗者の任意により、スペースファイターへの変形が可能。主な武装は、背面部に搭載された電磁レールガン、両腕に搭載されたビームバルカン、高出力レーザーブレード」

 コクピットの左側のモニターでは、アウトゥムヌスの述べた通りの性能の可変型機動歩兵の映像が回っていた。
マサヨシの所有するHAL2号に比べ、あらゆる部分の性能が格段に上がっており、デザインからして違っている。
 無骨な外装と露出した武装で兵器然とした雰囲気のあるHAL2号に対して、この機体の外装は洗練されていた。
指先のマニュピレーターの性能一つ取っても、センサー類の位置にしても、スラスターの角度にしても秀逸だった。
戦闘の相手としても、もう一人の相棒としても、機動歩兵との付き合いの長いマサヨシにはそれらがすぐに解った。
訓練学校すら卒業出来なかったヤブキもある程度は解るらしく、機体の細部を見ては感嘆した声を漏らしていた。

〈確かに優れた機体だけど…ヤブキ君に操縦出来るのかしら?〉

 モニターの向こう側から不安げなサチコの声がすると、アウトゥムヌスは常套句を述べた。

「大丈夫。問題はない」

「まあ、やることは至って簡単だからな。失敗する方がおかしいぐらいだ」

 マサヨシは、ヤブキの横顔を見やった。ヤブキは操縦席の背もたれに腕を掛け、マサヨシを見下ろす。

「そうっすよそうっすよ。マサ兄貴は、オイラがやることやり終えた後に出てくるだけでいいんすから」

「それで、報酬は何だ。俺の手を借りるんだ、相応の見返りがないとな」

「オイラの部屋にある物、全部売り払っちゃっていいっすよ。フィギュアやらデータディスクやらの一つ一つの値段は大したことないっすけど、まとめて売り捌けばちょっとした額にはなるっすから」

「妥協しておくよ」

「集めるのに金と時間を大分掛けたんでちょっと名残惜しいっすけど、死んじゃったらアニメも特撮も観られなくなるっすからね。悔いはなくしておいた方がいいっすよ」

「あっちの方の悔いはないのか?」

 マサヨシがアウトゥムヌスを指すと、ヤブキは気恥ずかしげに顔を伏せた。

「ないわけじゃないっすけど、まあ、それでもいいかなぁって…」

「かなり狭いが、船室はあるぞ。使うなら早くしておけ」

「使わないっすよ!」

「だったら、後で使いたいとか言い出すなよ。火星に向かったら、それで最後なんだからな」

「解ってるっすよ」

 ヤブキは少々動揺に上擦った声で返し、再びモニターを見上げた。父親から連絡を受けてから、四日が過ぎた。
グリーンプラントで落ち合う日は、今日だ。太陽系標準時刻では早朝なので、ヤブキに残された猶予は後僅かだ。
 いつ頃、両親がグリーンプラントに現れるかは解らない。場所の指定はあったが、時刻の指定まではなかった。
早く行って待ち伏せるか、遅く出向いて急襲を掛けるか。効率的なのは後者だが、ヤブキが選んだのは前者だ。
明確な殺意を抱いていても、やはり親は親だ。何かの瞬間に殺意が失せることがないかと、少し期待している。
人を殺すのは怖い。増して、それが親なら尚更だった。ここまで来たのに、まだ迷ってしまう自分が心底嫌になる。
けれど、安堵もした。どれほど両親を恨んでいようとも、人殺しにはなりきれない自分の生温さにほっとしていた。

「ダイアナ」

 ヤブキは情報端末を操作し、亡き妹のホログラフィーを投影した。

「これで、兄ちゃんはダイアナからは嫌われちゃうんだろうな。だって、ダイアナが大好きな父さんと母さんを殺すんだから。でも、いいんだ。ダイアナが死んでからは、兄ちゃんもずっと寂しかったんだ。嫌われたって、憎まれたって、恨まれたって構わない。ダイアナの傍に行ければ、なんだっていいんだ」

 ヤブキは目線を上げ、妹のホログラフィー越しに未来の妻を見つめた。

「色々とありがとうっす、でもってごめんっす、むーちゃん。本当に結婚することは出来なかったけど、むーちゃんが嫁になるって言ってくれて、オイラと一緒にいてくれて、オイラは物凄く嬉しかったっす。今まで好きな人はいないわけじゃなかったけど、オイラ、こんなんだから告るとかそれ以前の問題で、女の子と手を繋いだこともなかったし、付き合うなんて夢のまた夢で、結婚なんて絶対出来ないって思っていたから、だからめっちゃめちゃ嬉しくて」

 情報端末を閉じたヤブキは、アウトゥムヌスと向き直った。

「むーちゃんがオイラに何をさせたいのかはよく解らないっすけど、オイラがやりたいようにやることがむーちゃんにとっての利益になるんだったら、それもまた嬉しいっす」

「あなたが喜ぶ理由が解らない」

「まあ…なんていうか」

 ヤブキは照れくさそうに言葉を濁していたが、笑った。

「オイラはミイムが言うように何の役にも立てない底辺の中の底辺野郎っすから、せめてむーちゃんの役には立ちたいんす。ダイアナのためでもあるし、オイラ自身のためでもあるけど、むーちゃんのためならもっと頑張れるんす。あ、そこで、なぜ、とか聞いちゃダメっすよ。とっくに解り切ったことなんすから」

 その言葉に、アウトゥムヌスは開きかけた薄い唇を一旦閉じてから、再び開いた。

「理解している」

「バリエーションが増えたな」

 二人の会話を聞き流していたマサヨシはベルトで体を固定すると、操縦桿を取ってボタンに指を掛けた。

「それで、アウトゥムヌス。俺はヤブキを乗せて、あの機体を火星まで引き摺っていけばいいのか?」

「その必要はない」

 アウトゥムヌスはマサヨシに顔を向け、一度瞬きをした。

「あの機体は可変型機動歩兵。可変時の航行速度はこの機体に劣らない」

「だったら、オイラはあっちに移るっすよ。その方が、船の重量が減って速度も出せるっすからね」

 ヤブキはコクピットから出ようと歩き出したが、宇宙服の腰の部分を引っ張られた。アウトゥムヌスだった。

「私はあなたの傍にいる。それが、私の役割」

「え? でも、機動歩兵のコクピットって原則一人用っすから、むーちゃんがいくら小さくても…」

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスの躊躇いのない眼差しが、ヤブキを見上げてくる。ヤブキは、マサヨシと顔を見合わせた。

「でも…」

「宇宙服ならもう一着予備があるが、着るんだったらまずそのヒラヒラしたのを脱げ。でないと、入らんぞ」

 マサヨシは通路の壁に造り付けられたロッカーを顎で示すと、アウトゥムヌスはスカートの裾をつまんだ。

「道理」

「でも、ここで脱いじゃダメっすよ!」

 ヤブキが慌てると、アウトゥムヌスは僅かに目を見開いた。

「なぜ」

「いいから、船室の方で脱いでくるっす!」

 ヤブキはアウトゥムヌスの背を押して船室に押し込んでから、コクピットに戻ってきた。

「女連れの戦いか。いい気なもんだな」

 マサヨシの皮肉に、ヤブキは苦笑した。

「オイラも色々と甘いなーって思うっすけど、どうせ一回こっきりっすから。でも、むーちゃんだけは絶対に傷付けないで下さいっすよ。オイラのことは光学兵器でもなんでもいいから瞬殺してくれて構わないっすけどね」

「善処するさ」

 マサヨシは前方に浮かぶ銀色の円筒に向けて船体を進めながら、ヤブキに問うた。

「ところでお前は、あの機体にどんな名前を付けるつもりなんだ? アウトゥムヌスか、それともダイアナか?」

「そうっすね…」

 ヤブキはしばらく考え込んでから、機体に与える名を述べた。

「インテゲル。むーちゃんの名前と同系統の言葉で、無邪気って意味っすよ。ダイアナがそうだったっすから」

「アウトゥムヌスと?」

「そうっすよ。むーちゃんの名前の由来とか、オイラなりに結構調べてみたんすよ。幼馴染みっすけど、むーちゃんは謎だらけっすから、せめてその名前の意味ぐらいは知りたいと思ったんす」

「それで、アウトゥムヌスはどんな意味なんだ?」

「秋っすよ。眩しい夏が終わった後に来る、なんだか寂しい季節の名前っす」

「秋か」

 マサヨシは独り言のように漏らし、船体を停止した。銀色の円筒に寄り添い、進入口と思しきハッチに接近した。
ゴシックロリータの衣装を脱ぎ、化粧を落としたアウトゥムヌスに宇宙服を着せてから、ヤブキは宇宙空間に出た。
ヤブキに続き宇宙に出たアウトゥムヌスは、意外にも慣れた様子でスラスターを用いてハッチに難なく近付いた。
むしろ、ヤブキの方が危なっかしかった。訓練学校で教え込まれているはずなのだが、動作がいちいち頼りない。
こんなことで、本当に戦えるのか。マサヨシはヤブキに対する不安を抱きつつ、モニター越しに二人を見守った。
 二人の姿が円筒の中に消えると、モニターは静まった。十数分後、円筒の滑らかな表面に無数の溝が走った。
正しく、卵の殻を砕くかのようにヒビが入った円筒は、上部から順番に外壁が剥離していき、宇宙空間に散った。
チャフをばらまいたかのように散らばった銀色の殻から宇宙に生まれたのは、赤銅色の装甲を持つ兵器だった。
確かに、アウトゥムヌスからのプレゼントに違いない。外装の色は、彼女の長い髪の色と全く同じだったからだ。
 インテゲル号と名付けられたばかりの雛鳥は、巨大だった。アウトゥムヌスのスペック通り、最新鋭の機体だ。
近接戦闘向きの頑強な手足、分厚い外装、そして強烈な破壊兵器。その背には、スラスターの翼が付いている。
やたらと脚部がごてごてしているのは、可変型である証拠だ。可変すると、脚部が機体の大部分を占めるからだ。
機首部分に変形する頭部も、通常のセンサー類が詰まっているだけの頭部と比較すると構造が大分複雑だった。
慣らしをしているのか、インテゲル号は両手を上げて拳を握ったり、膝を曲げてみたり、銃を出してみたりと忙しい。
マサヨシが封鎖していた通信を開くと、程なくして未知の周波数の通信が入った。無論、インテゲル号からだった。

「こちらHAL。インテゲル、具合はどうだ?」

 マサヨシが声を掛けると、すぐに返事があった。

『こちらインテゲル。いやもう、マジ凄いっすよ! 操縦桿がちょっと多くて解りづらかったんで、補助AIに機能を直結させて操縦してるんすけど、レスポンスが早いのなんのって! オイラも訓練用機動歩兵を操縦したことはあるっすけど、あれとこれとじゃ比較する気にもならないっす!』

「そのまま出るか? それとも、しばらくこの宙域で慣らすか?」

『大丈夫っす。これなら、移動しながらでも充分慣らせるっす』

「だが、俺の操縦は優しくないぞ。それでもいいんだな?」

『マサ兄貴が優しいのは家の中だけってことぐらい、オイラだって知っているっすよ』

「言ってくれるじゃないか」

 マサヨシは唇の端を引きつらせ、操縦桿を倒した。加速を始めると、モニターの片隅でインテゲル号が変形した。
三十秒と経たずにスペースファイター形態へと変形したインテゲル号も加速して、HAL号にぴたりと並走してきた。
マサヨシは機体の速度を調節してインテゲル号との間隔を整えてから、最加速し、因縁の火星へ向けて発進した。
 ヤブキの両親が帰ってくるタイミングが早すぎる上、ジェニファーの姿が見えないのは、どう考えても怪しかった。
ヤブキの両親が搭乗していた開拓植民船スペレッセ号が太陽系に帰還した、とのニュースは、まだ届いてない。
 ジェニファーの所有するダンディライオン号なら、性能も出力も申し分ないので惑星プラトゥムへの航行も可能だ。
火星周辺の宙域を探索すれば、ダンディライオン号は見つかるかもしれないが、これもまた彼女の仕事なのだ。
責める気もなければ、怒る気もない。むしろ、ヤブキに決着を付けさせてくれるのだから、喜ばしいとすら思った。
今度会った時には、酒でも奢ってやろう。表立った感謝をするわけにはいかないが、個人的には感謝したかった。
 その時には既に死んでいるであろう、ヤブキの代理として。







08 8/17