それから、三日後。 アウトゥムヌスは無事に退院したが、すぐに家に帰ることはせずにイオステーションで買い物をすることにした。 アウトゥムヌスは廃棄コロニーの家に移り住んできて一ヶ月以上経ったにも関わらず、私物が少なすぎたからだ。 服はもとい、下着や日用品もアウトゥムヌスのものはなく、家族の中の誰かのものを借りて使っていたのである。 だが、それにも限度がある。いい機会なので、アウトゥムヌスの私物を買い集めるために、買い物に繰り出した。 退院したアウトゥムヌスは、ヤブキがプレゼントしたスカーフを首に巻いて、淡いピンクのワンピースを着ていた。 不完全な体調に配慮して、足元は歩きやすいスニーカー履きだ。いずれも退院前にヤブキが買ってきたものだ。 ヤブキとしては頑張った方だが、ミイムのようにシンプルでありながら可愛らしいファッションには出来なかった。 基本的に、ヤブキは服装に気を遣わない。サイズさえ合えばいいので、色合いやデザインを気に掛けないのだ。 だから、自分でもファッションセンスは皆無だと思っているし、諦めも付いているのだが、こういう時は悔しくなる。 単体では良いと思ったワンピースもスニーカーも、いざ彼女に着せてみるとなんだかちぐはぐに思えてきてしまう。 アウトゥムヌス本人は特に何も言わないので、気遣われているように感じて、尚更ヤブキは情けなくなってきた。 様々な店舗が並ぶメインストリートを並んで歩いていると、急に手が引っ張られた。見ると、左手を掴まれていた。 もちろん、アウトゥムヌスである。何事かとヤブキが立ち止まると、アウトゥムヌスはヤブキの太い指を軽く握った。 「手」 アウトゥムヌスは小声で呟いたが、それきり黙り込んでしまった。きっと、手を繋ぎたいと言いたかったのだろう。 少し顎を引いて唇を引き締めているアウトゥムヌスは、一見すれば無表情に見えるが、緊張しているようだった。 これもまた、照れているのだろう。ヤブキは内心で思い切り弛緩したが、声色を取り繕ってから彼女の手を取った。 「いいっすよ」 小さくひんやりした手を手に包むと、アウトゥムヌスは一瞬視線を彷徨わせたが、ヤブキの手を握り返してきた。 一度気を許したからか、どんどん素直になっている。クーデレってやつかもなこれは、とヤブキは更に弛緩した。 いつもよりも遅めのアウトゥムヌスの歩調に合わせて歩きながら、二人は日用雑貨を扱っている店に入った。 カラフルな店の内装に負けないほどカラフルな雑貨が詰め込まれた棚を巡り、彼女が止まったところで止まった。 アウトゥムヌスが少しでも興味を示したものを見せてやり、選ぶのを手伝いながらも、生活必需品も買っていった。 放っておくと、肝心なものを忘れてしまいかねないからだ。細々としたものを買い終えてから、別の店に入った。 次に入った店は、ブティックだった。ヤブキは彼女を下着売り場に押しやってから、店の出入り口付近で待った。 しばらくして戻ってきたアウトゥムヌスは、興味の示すままに下着を集めたらしく、奇妙なものばかりを抱えていた。 ヤブキは羞恥心に苛まれながら下着を選別し、一般的であろうデザインと用途の下着だけを残し、他は返させた。 下着さえ終われば付き合えるので、二人で一緒に店内を巡り、アウトゥムヌスに似合う服やパジャマなどを選んだ。 時間を掛けて接していると、アウトゥムヌスは態度が無機質なので解りづらいのだが、感性は普通だと解った。 欲しがる服も変なものはなく、むしろヤブキよりも遙かに趣味が良かったほどだ。改めて、女の子なのだと知った。 今まではアウトゥムヌスと連れ立って買い物に行く機会がなかったせいで、知ろうにも知れなかっただけなのだ。 時間を共有するだけで、彼女との距離が狭まっていく。それだけでも幸せでたまらず、ヤブキは満ち足りていた。 だが、この幸せは両親を演じていた科学者を殺し、無数のダイアナから目を背け、偽りに身を浸した末の幸せだ。 一生振り払うことの出来ない罪と、今は逃れられてもいずれは追い付くであろう宿命も、決して忘れてはいけない。 全ての幸福は、犠牲の上に成り立っている。 一通りの買い物を終えた二人は、昼食を兼ねた休憩を取った。 先日ヤブキが世話になったレストランも軒を連ねているレストラン街に行って、最初に目に付いた店に入った。 歩き続けて疲れたらしく、アウトゥムヌスはよく食べた。ヤブキもエネルギーを消費していたので、存分に食べた。 食べるだけ食べて二人の食欲が落ち着いた頃、ヤブキは気付いた。二人の意志は、既に決定しているのだ。 イオステーションにも統一政府の役所は入っているし、どちらも成人しているのでこの場で婚姻しても問題はない。 その方が、面倒が少なくて済む。むしろ、今日手続きをしておかないと次はいつ二人で出かけられるか解らない。 「むーちゃん」 プリンアラモードを食べる手を止めたヤブキは、チョコレートパフェを黙々と食べるアウトゥムヌスに声を掛けた。 「何」 アイスクリームとチョコレートソースを口の周りに付けたまま、アウトゥムヌスは答えた。 「いっそのこと、今日結婚しちゃった方がいいんじゃないっすか?」 その言葉を受け、アウトゥムヌスはスプーンを止めて俯いた。 「嫌っすか?」 ヤブキがアウトゥムヌスの表情を窺おうと身を屈めると、アウトゥムヌスは首を横に振った。 「違う」 「じゃ、ここを出たら役所にでも」 「けれど、まだ」 アウトゥムヌスはパフェ用の細長いスプーンを握り、視線を彷徨わせていたが、自身の左手へと視線を定めた。 視線の先には、色の白い指が揃っていた。そこで、ヤブキも気付いた。まだ彼女に指輪を贈っていなかったのだ。 考えていなかったわけではないが、買い物に夢中になって失念したのだ。ヤブキは、情報端末を取り出した。 ホログラフィーを展開して銀行口座とクレジットカードの残高を確認したが、指輪など買ったら赤字は確実だった。 今までの買い物は全てアウトゥムヌスが出していたし、入院費も治療費だけでなくヤブキの滞在費も出してくれた。 しかし、結婚指輪だけはアウトゥムヌスに買ってもらうわけにはいかない。それ以前に、男としての沽券に関わる。 情報端末のフリップを閉じてホログラフィーを消したヤブキは、パフェの続きを食べるアウトゥムヌスに向き直った。 「むーちゃん!」 ヤブキはテーブルに両手を付き、身を乗り出して彼女に迫った。 「純正金属とか天然鉱石とかじゃなくてもいいんなら、むーちゃんの分だけは買ってみせるっすよ!」 「それは、嫌」 「なんでっすか?」 目を逸らしたアウトゥムヌスに、ヤブキは勢いを失って座り直した。 「…お揃い」 アウトゥムヌスはアイスクリームをたっぷり掬ったスプーンを銜え、呟いた。 「あ、そういうことっすか」 つまり、同じものを買いたいらしい。ヤブキは安堵しつつ、プリンアラモードの器に残ったフルーツを食べた。 「でも、オイラの金がない事実は変わらないわけっすから、オイラがむーちゃんのを買って、むーちゃんがオイラのを買ってくれたらいいっすよ。そうすれば公平っすから。あ、でも、オイラの指に入るかな、貴金属なんて」 「大丈夫。問題はない」 アウトゥムヌスはスプーンを上げて、ヤブキの首を示した。チェーンに入れて首から提げろ、と言いたいらしい。 つまり、ネックレスにしろということだ。それなら農作業も出来るだろうが、ヤブキには気恥ずかしい格好である。 だが、ここまで来ては四の五の言っていられない。ヤブキは腹を括り、プリンアラモードを食べ切ってから答えた。 「んじゃ、それを食べ終わったら、指輪を買いに行くっすか」 アウトゥムヌスは頷き、三分の一ほど残ったパフェを掘り返し、アイスクリームの絡んだフレークを食べ始めた。 ヤブキは綺麗に空になった皿を料理の皿の上に重ねてから、パフェの残りを食べているアウトゥムヌスを眺めた。 ヤブキの視線に気付くと、アウトゥムヌスは顔を伏せたが、パフェを食べてしまいたいので顔を上げざるを得ない。 だが、そうするとまたヤブキと目が合ってしまうので、アウトゥムヌスはまた顔を伏せてしまったが、すぐに上げた。 その仕草だけでも、可愛らしくてたまらない。ヤブキは彼女の些細な動作も見失いたくなくて、見つめ続けていた。 考えてみれば、今日は初めてデートらしいデートをした。またも順番がおかしかったが、それならそれで悪くない。 重要なのは経緯ではなく、その結果だ。 そして、指輪を買った後に籍を入れた。 案の定、ヤブキの戸籍からは綺麗に両親とダイアナの記述が消去されていて、天涯孤独の身にされていた。 だが、今までのことを考えると予想出来たことなので、ヤブキはそれほど驚くこともせずに、婚姻届に記入した。 アウトゥムヌスは買ったばかりの金の指輪を填めた左手の薬指をしきりに気にしていたが、婚姻届に記入した。 婚姻届のデータファイルを戸籍課に提出して、受理されたので、ヤブキとアウトゥムヌスは正式に夫婦になった。 イオステーション内の役所を後にした新婚夫婦は、インテゲル号を停留させているパーキングへと向かった。 しかし、実感はまるでなかった。浮ついた気持ちにはなっていたが、結婚したという手応えが感じられなかった。 手続きも簡単で、婚姻届の記入も素っ気なかったせいもある。だから世の人間は結婚式をするのだ、と思った。 派手なパーティを催して周囲の人間に結婚したことを知らしめることで、自分自身も結婚したことを実感出来る。 けれど、そんな機会はない。それ以前に先立つものがない。一つ問題があるとすれば、帰った後のことだった。 経緯を知っているマサヨシはともかくとして、他の皆はどう思うだろう。まともに祝福してくれるとは到底思えない。 特に、ミイムが問題だ。どれほど罵倒されるか蹴られるか、想像しただけでげんなりしたがここは堪えるしかない。 ヤブキが帰る場所は、名実共にアステロイドベルトに浮かぶ廃棄コロニーしかないのだから、帰る他はないのだ。 ヤブキは今日一日で買い集めた物資が詰まったコンテナを引き摺って、インテゲル号のパーキングに入った。 インテゲル号はスペースファイター形態でメンテナンスドッグに収まっていて、新婚夫婦の帰還を待ち侘びていた。 ヤブキはアウトゥムヌスからもらったインテゲル号の設計図のホログラフィーを展開し、弾薬庫の位置を確かめた。 インテゲル号は純粋に戦闘用に特化した可変型機動歩兵だが、武装は初期状態なので弾薬庫は空っぽだった。 なので、弾薬庫が格納庫の代わりだ。間違えて射出してしまわないように、厳重にロックを掛けておかなければ。 アウトゥムヌスはヤブキの傍から少しも離れたくないらしく、ヤブキのジャケットの裾を掴んで離そうとしなかった。 「お前があれの乗り手か?」 急に、ヤブキの背に声が掛けられた。威圧的な重たい声色の割に口調は軽く、友人に接するかのようだった。 ヤブキが振り返ると、そこには大柄な騎士が立っていた。赤い頭飾りとマントを羽織り、巨大な剣を背負っていた。 だが、すぐに彼がサイボーグだと解った。上下に二つの隙間が空いたヘルムから覗く目は、生体部品製だった。 見るからに高出力なボディなのに、目が生体部品とは珍しかった。余程反射神経が優れているか、酔狂なのか。 「どうなんだよ、若いの」 再度騎士から声を掛けられ、ヤブキは半笑いで答えた。 「んー、まあ、そうっすよ。つっても、オイラはただ乗るだけで戦いはしないんすけどね」 「そりゃ宝の持ち腐れだぜ、おい」 騎士はインテゲル号を見下ろせる窓に歩み寄ると、じっくりと機体を眺め回した。 「翼の下から見える腕の機構だけでも、あいつの格闘性能の高さは解る。近接戦闘用なんだろ、あいつは」 「そうっすけど」 「んで、お前の腕はどうなんだ? 見たことのねぇ顔だが、あれだけの機体に乗るんだ、ちったぁやれるんだろ?」 「いんにゃあ、それがもうさっぱりで」 ヤブキはへらへらと笑い、手を横に振った。 「訓練用宇宙戦闘艇を墜落させたのは五回、訓練用機動歩兵を転倒させるのは数百回、狙撃訓練で的を外したのは星の数ほど、徒手格闘訓練で腕の関節を折られたのは七回、ってなわけでオイラは戦闘に関する才能がゼロを通り越しているんすよ」 「そりゃ冗談だろ?」 半笑いになった騎士に、アウトゥムヌスは平坦に述べた。 「彼は嘘を吐かない」 「オイラがインテゲル号を操縦出来ているのは、インテゲル号の性能がいいからであって、オイラ自身の才能があるってわけじゃないんすよ」 んじゃこれで、とヤブキが立ち去ろうとすると、騎士は呼び止めた。 「まあ待て。だったら、他の腕のいい乗り手に乗ってもらうってことは出来ねぇのか?」 「知り合いにいないこともないっすけど、あの人の専門はスペースファイターっすから。ていうか、何でっすか?」 ヤブキが聞き返すと、騎士は背中に載せたバスタードソードを拳で叩いた。 「ここんとこ、でかい戦闘がなくて体が鈍っちまいそうなんだよ。それでなくても、この間オーバーホールしたばっかりだから、まだ体中の部品が馴染んだ感じがしねぇんだ。だから、お前のインテゲルとかいう奴と手合わせしたかったんだが、肝心のお前の腕がないんじゃどうしようもねぇな」 「え? そんな剣一本で、機動歩兵とやり合うんすか?」 「おう。悪いか」 「いや、悪いとかそういうんじゃないっすけど、ちょっと無謀じゃないっすか?」 「無謀なのは生まれ付きでな」 騎士はからからと笑うと、ヤブキの肩を軽く叩いた。 「変なこと聞いて悪かったな、若いの。他の機動歩兵乗りに当たってみるさ。それがダメだったら、機械生命体でも探してケンカを吹っ掛けてやることにするよ」 「機械生命体なら知り合いっすけど」 騎士は途端に歓喜して、ヤブキの背をばんばんと叩いてきた。 「だったらそれを早く言いやがれってんだよ! だったら、そいつらの居場所と連絡先をだな!」 「それは構わないっすけど、その前に旦那のお名前を聞いていいっすか?」 盛大に背中を叩かれたせいで前のめりになりながら、ヤブキは情報端末を取り出した。 「ん、ああ、そうだな」 騎士は名乗っていなかったことを思い出したらしく、気まずげにヘルムに似たフェイスガードを引っ掻いた。 「ギルディーン・ヴァーグナーだ。傭兵だ」 「オイラはジョニー・ヤブキで、こっちはアウトゥムヌスっす」 ヤブキが新妻を示しながら名乗ると、ギルディーンと名乗ったサイボーグ戦士は僅かに身動いだ。 「ヤブキ…? あ、いや、なんでもねぇ」 ギルディーンは左手の甲に仕込んである情報端末を操作し、ヤブキの情報端末に向けて送信した。 「これが俺のアドレスとスペースファイターの機体識別番号だ。話が付いたら連絡してくれや」 すると、パーキング内に整備完了のアナウンスが響いた。ギルディーンは二人に背を向けると、手を振った。 「ああ、俺の船だ。じゃあな、ジョニー。良い返事を待ってるぜ」 ヤブキは彼の広い背になんとなく手を振り返していたが、彼の姿が見えなくなると、話したことを少し後悔した。 第一印象は、力強いが毒のない男だった。親しげな態度に釣られて話してしまったが、それで良かったものか。 傭兵という人種は有象無象で、皆が皆、マサヨシのように誠実ではない。彼が誰にどう繋がっているか解らない。 だが、話してしまったものは仕方ない。一応、イグニスとトニルトスに話はしてみるが、どうなってしまうことやら。 こうなったら、なるようにしかならない。ヤブキはアウトゥムヌスを促して、コンテナを押してパーキングに向かった。 パーキングに降りる前にあるエアロックでヤブキとアウトゥムヌスは宇宙服を着てから、パーキングへと降りた。 宇宙船を停泊するためのパーキングは、当然ながら宇宙空間なので、宇宙服を着ないことには入れないのだ。 インテゲル号の船腹に接近したヤブキは弾薬庫を開いて、空であることを確認してから、コンテナを押し込んだ。 コンテナのサイズが合うかどうか心配だったが綺麗に収まったので、ヤブキは弾薬庫のハッチにロックを掛けた。 あの日と同じように、ヤブキはアウトゥムヌスを体の前に座らせた状態でインテゲル号の操縦席に身を沈めた。 両足でペダルを踏むために大きく足を開いていて、その空間にアウトゥムヌスの小さな体はすっぽり収まっていた。 宇宙服も彼女の体格にサイズが合うものを調達したので、視界も狭くない。多少の制限はあるが、操縦は可能だ。 パーキングを管理するコンピューターに退出する連絡を行うと、リニアカタパルトが展開し、宇宙空間に伸びた。 電磁力を纏った機体は滑らかに加速しながら宇宙に射出されたので、ヤブキは操縦桿を起こして機首を上げた。 周囲の宙域に障害物がないことを確認し、直線上を航行する宇宙船の機影がないことも確かめてから加速した。 イオステーションと木星の重力圏からも離脱し、火星と木星の間に横たわっているアステロイドベルトを目指した。 操縦桿を握るヤブキの手に、分厚い防護手袋に包まれたアウトゥムヌスの手が添えられ、柔らかく握ってきた。 ヤブキはオートパイロットに切り替えてから、アウトゥムヌスの肩に腕を回して抱き寄せ、そのヘルメットを撫でた。 直接肌に触れられないのが残念だが、今ばかりは仕方ない。だが、その代わり、宇宙で二人きりになれるのだ。 果てのない宇宙を突き進むインテゲル号の振動を背に、アウトゥムヌスの重みを胸に、ヤブキは感じていた。 これから帰る場所にこそヤブキの求める現実があり、未来があり、腕の中には生涯の伴侶となった女性もいる。 過去は途切れても、未来は途切れない。 08 8/25 |