命を削り、魂を震わせろ。 昼下がりは、なんとなく退屈だ。 午前中は何はなくとも忙しく、家事に追われているが、昼食を終えてしまえばハルはすんなりと寝入ってしまう。 昼食の片付けを終わらせて乾いた洗濯物を畳んでしまえば、夕食の支度を始めるまで時間の余裕が生まれる。 秋も終盤なので、ヤブキの畑仕事も落ち着いた。来年のための準備もあるそうだが、夏場ほど忙しくなかった。 ミイムはリビングのソファーに腰掛けて、編み棒を動かしていた。サイコキネシスで、毛糸玉を浮かばせている。 ミイムが引くと毛糸玉もくるりと回転し、毛糸が伸びてくる。秋も終盤に差し掛かり、山の木々も色褪せてきていた。 冷え込みも厳しくなり、作り物ながら本格的な冬がやってくる。そのための防寒具を、準備しておく必要があった。 先日の買い出しでハルの好みであるピンクの毛糸を買ってきたので、ハルのためのマフラーを編み始めていた。 ミイムの生活能力を支えている側近のルルススの記憶の中には、ありがたいことに編み物に関するものがあった。 おかげで、ミイムは難なく編み物が出来ていた。その記憶がなければ、編み物の手順すら解らなかったことだろう。 ハルの体格に合わせた長さなので、これなら二日もすれば出来上がる。その次は、マサヨシの分を編んでやろう。 柔らかな毛糸の手触りが心地良く、単純作業は続けているうちに楽しくなるので、ミイムは自然と頬を緩めていた。 「むーちゃん、まだ起きないんですかぁ?」 ミイムはマフラーを編む手を止めずに、リビングに戻ってきたヤブキに声を掛けた。 「見てるこっちが気持ち良くなるぐらい爆睡してるっすよ」 ヤブキはミイムの隣に腰掛けると、ホログラフィーモニターのスイッチを入れ、適当にチャンネルを回した。 「でも、珍しいっすね。むーちゃんがお昼寝するなんて。ミイムじゃあるまいし」 「ハルちゃんと一緒のお昼寝は、とっても大事なボクの日課なんですぅ」 「で、そのハルも今はお昼寝中っすか。午前中、一杯遊んだっすからねー」 「それで、パパさんとは連絡が付きましたぁ?」 「それが全然っすよ」 ヤブキは作業着のポケットから情報端末を取り出すと、操作した。 「いくら呼び掛けても、応答してくれないんすよ。サチコ姉さんもなんす」 「だったら、どこにいるのかぐらいは解るんじゃないんですかぁ?」 「解らないことはないんすけど、理解出来ないんすよ」 ヤブキはミイムの前に情報端末を差し出し、マサヨシの情報端末の現在位置のホログラフィーを展開させた。 「これって、まさか地球ですかぁ?」 太陽系の星図上で点滅しているマサヨシの現在位置は紛れもなく、太陽系第四惑星、地球だった。 「でも、地球って原則的に立ち入り禁止の惑星じゃありませんでしたかぁ? 統一政府がいつも言ってますぅ」 ミイムがヤブキに問うと、ヤブキは首を捻った。 「そうなんすよねー。放射能まみれで環境が破壊されまくったせいで絶え間なく砂嵐が吹き荒れているし、それ以外にも色々と危険なんで、余程の緊急事態か学術調査以外じゃ降りることすら禁止されてるんすよ。てーことは、マサ兄貴は地球近くの宙域でやられでもしたんすかね? んで不時着しちゃってー、とか?」 「パパさんに限ってそんなことあるわけないじゃないですかぁ」 ミイムはヤブキを見上げ、むくれた。ヤブキは情報端末のフリップを閉じると、ポケットに押し込んだ。 「でも、万が一ってことがあるじゃないっすか。もしそうなったら、オイラが出るっすよ。インテゲル号で」 「あんたなんかが助けに行ったら、助かるものも助からねぇんだよアホンダラですぅ」 「まあ、マサ兄貴のことっすから、大丈夫だと思うんすけどねー」 「きっとすぐに帰ってきますぅ! だから、今日の夕ご飯はパパさんの好きなお料理にするんですぅ!」 「んで、マサ兄貴って何が好きなんすかね?」 ヤブキの言葉に、ミイムは途端に勢いを失って長い耳を下げた。 「特に好き嫌いがない人ですからぁ、ボクには今一つ解らないですぅ」 「考えてみれば、オイラ達ってマサ兄貴のことはほとんど知らないっすよね」 ヤブキは、枯れ葉の混じった冷たい風が吹き付けてくる掃き出し窓を見やった。 「マサ兄貴がオイラ達に過干渉してこないから、オイラ達もマサ兄貴に過干渉しないせいなんすよね。でも、それだけじゃないんすよね。なんていうか、あの人には壁みたいなものがあるんすよね。まあ、それはオイラ達のせいかもしれないんすけど」 ヤブキの含みのある言い回しに、ミイムは思わず目線を落とした。ミイムも、マサヨシには嘘を吐かせている。 皇太子であったことや祖国を捨てた過去を隠してくれるようにと頼み、マサヨシはその約束を守ってくれている。 ヤブキもまた、自身が進化した旧人類であることや、両親を演じていた二人の科学者を殺したことを隠している。 ミイムもヤブキも互いの真実は知らないが、どちらも家族に対して嘘を吐いていることは、薄々感じ取っていた。 「マサ兄貴が帰ってきたら、色々と話し込みたいっすね」 ヤブキが呟くと、ミイムは頷いた。 「みぃ」 二人はこれ以上この話題に触れるのは危険だと思い、どちらからともなく話題を逸らし、どうでもいい話をした。 真実から目を背けるのは、決して悪いことではない。微妙な均衡を保つためには必要なのだと、どちらも思った。 だが、それを続けるのは易しいが、いずれ歪みが生まれる。思いやれば思いやるほど、関係がねじ曲がっていく。 どこかで歯止めを掛けなければ、この生活に終わりが訪れる。元より不安定な関係なのだから保つのは難しい。 けれど、皆が皆、継続を望んでいる。帰るべき場所を失い、或いは捨て、行くべき場所すらも見つからないからだ。 彼は家長であると同時に、この狭い世界の柱なのだ。 同時刻。地球。 ワープドライブを行って地球の衛星軌道上に移動したマサヨシらは、アウルム・マーテルの頭部を追跡していた。 次元管理局局長ステラ・プレアデスの策により、アウルム・マーテルはワープドライブの際に分子構造が乱された。 直径百万メートルを超える範囲のワープドライブに突入したが、過剰なワープエネルギーを浴びせられてしまった。 アウルム・マーテルはエネルギー生命体だが、エネルギーの分子を凝結させて、質量を造り出すことが出来る。 それ故に、エネルギー分子同士の均衡を掻き乱してしまえば分子の結合は脆くなる、とステラは読んだのである。 彼女の読みは成功し、全長百万メートルだったアウルム・マーテルの首から下は崩壊し、宇宙空間に飛び散った。 だが、五人の機械生命体の意識が宿っているせいなのか、大脳中枢が入っている頭部はあまり破損しなかった。 そして、アウルム・マーテルの本体と言える、超高濃度のエネルギー集積体である心臓も無傷で地球に落下した。 マサヨシは地球の大気圏に突入しながら、息を詰めていた。大気との摩擦で機体は揺れ、エンジンは鈍く唸る。 軍隊時代では大気圏に突入する訓練は行ったことはあったが、実戦で大気圏に突入したのは数えるほどだった。 元より、マサヨシは宇宙戦が専門だ。空気摩擦もなければ抵抗もない宇宙を飛び回ってこそ、真価が発揮出来る。 HAL号は大気中であろうとも水中であろうとも飛行出来るタイプだが、大気の中を飛ぶのはかなり久し振りだった。 操縦桿の手応えが重たく、翼が空気で粘ついている。エアインテークに砂が入り込み、耳障りな音を立てていた。 大気中の放射能含有量を感知するガイガーカウンターはレッドゾーンを振り切る勢いで、相変わらずの環境だ。 宇宙服を兼ねたパイロットスーツを着ていなければ数分もせずに放射能に汚染され、遺伝子が破壊されてしまう。 もしも敵に撃墜されたら、その瞬間に死が待っている。考えようによっては、地球は宇宙よりも余程危険な場所だ。 〈アウルム・マーテルの頭部のトレースが完了したわ! 落下地点は日本の関東地方よ!〉 サチコの報告に、右翼に掴まっているイグニスが言った。自身でシールドを張っているため、割と余裕だった。 『カントー? って、どの辺だ?』 『恐らく、あの矮小な島国の下部だ。奇妙な形状の半島よりも内陸側の地点に、母の頭部は向かっている』 トニルトスが左手を伸ばし、広大な大陸に寄り添っている島国を差した。こちらもまた、シールドを張っている。 〈心臓のトレースも完了したわ! そっちは千葉県沖の太平洋上よ! といっても、もう海なんかないんだけどね〉 サチコの言葉通り、眼下に広がっている太平洋は干涸らびており、赤茶けた砂嵐が乱暴に吹き荒れている。 『俺だったらあっちの広い大陸に落ちるがね』 と、イグニスは太平洋の西側にある縦長の大陸を指したが、トニルトスは素っ気なかった。 『貴様の趣味など誰も聞いておらん。だが、きっと、カントウ地方への落下はサピュルス司令官の御意志なのだ』 『勝手に決め付けるんじゃねぇよ! ルベウス司令官に決まってんだろ!』 「お前らはガキか」 二人の子供染みた言い合いに辟易し、マサヨシは毒突いた。だが、二人はそれ以上言い合おうとはしなかった。 今の状況が状況だけに、軽口を叩き合っている余裕もなくなってきたのだ。それは、マサヨシも同じことが言える。 今度ばかりは、生きて帰れる保証はなかった。一瞬でも気の迷いや死の匂いを感じたら、それこそ死んでしまう。 だから、油断しないためにも生へ執着するしかない。勇敢な戦士ではないから、戦うことには恐怖以外は感じない。 エースと呼ばれていた時代があっても、それはただ単に操縦が割と上手かったなのであって、戦士とは言い難い。 マサヨシよりもレイラ・ベルナールの方が余程戦士らしい。援護や奇襲は得意だが、最前線で戦うのは不得意だ。 だが、援軍は期待出来なかった。先程次元艦隊に連絡したところ、全艦が深刻なエネルギー不足に陥っていた。 搭乗員の生命維持装置を動かすだけで精一杯で、とてもじゃないが地球まで来て戦闘には参加出来ないそうだ。 他の艦隊に連絡を取ったが、火星艦隊も木星艦隊も全滅し、軍事面は手薄な月からの援軍は期待出来なかった。 だから、今、まともに戦えるのは、マサヨシとイグニスとトニルトスだ。背水の陣とは、正にこのことを言うのだろう。 「俺は心臓を追う。だから、生首はお前らでどうにかしてくれ」 マサヨシが言うと、二人は両翼の上で頷いた。 『勝手に死んだら承知しねぇからな!』 『事を終えたら、そちらに向かおう。我が翼が折れていなければ、だがな』 日本列島への降下を始めたマサヨシは、イグニスとトニルトスが離脱したことを確認して、ハンドルを収納した。 巨体の二人を翼に乗せたままでは、まともに飛行出来るわけもなく、イオンエンジンの消耗も激しくなってしまう。 HAL号の機首を上げて左翼のエルロンを出し、右旋回しながら徐々に高度を下げて、金色の母の頭部を追った。 地球との大気摩擦で表面が燃焼したアウルム・マーテルの頭部は、豊かな金髪は散り散りになり、無惨だった。 ふくよかな頬も黒く焦げ、エメラルドグリーンの瞳孔も濁り、瞼が吹き飛んで眼球が露わになり、歯も折れていた。 全長十六万メートルの頭部が関東地方に没した直後、恐らくは埼玉県付近を中心にしたクレーターが生まれた。 続いて、金色の光を放ち続ける全長七千メートルの心臓も太平洋に落下して、こちらもクレーターを生み出した。 イグニスとトニルトスは直径三千二百万メートルものクレーターの南端に降下し、その中心に向かって飛んだ。 少し飛んだだけでも、大粒の砂が全身を打ちのめしてくる。クレーターの内側はひどく熱し、所々赤くなっていた。 「ルベウス司令官!」 通信電波を交えてイグニスが呼び掛けると、トニルトスも続いた。 「サピュルス司令官!」 二人の声は轟音に掻き消されたかと思われたが、竜巻のような上昇気流で舞い上がる砂煙の中心が割れた。 焼け焦げた頭部が、頸椎を支えにして起き上がった。皮膚が溶け落ちて頭蓋骨が露わになると、それが砕けた。 全ての機械生命体の母であり、金色の天使の頭蓋骨から生まれたのは、かつての主の姿を残した異形だった。 ルベウスの右腕、サピュルスの左腕、トパジウスの胴体、アメテュトスの右足、オニキスの左足で構成されていた。 頭部は、見たこともない形状の銀のマスクフェイスだった。吊り上がった目に光が入り、首が動き、二人を捉えた。 脳を構成していたエネルギー分子を再構成して造り上げた肉体は、全長一万メートルを悠に超える巨体だった。 「お前ら、無事だったんですか、タフな連中だ、でござる、だよ」 五人の声が次々に重なり、次の声に掻き消される。たった一つの体を、五つの人格が共有しているせいだった。 「今の俺、僕達は、マジで不完全、な融合を遂げてしまい、行動も言動も統一出来ないの」 ぎこちなく腕を伸ばしてきた異形の機械生命体は、二人を見つめてくる。 「地球の環境が、予想以上に悪化して、しちまってたせいで、拙者の予測通りの効果は得られず、なかったの」 サピュルスの左腕が軋み、奇妙に曲がった指先が上がる。 「だがな、いいことも、一つだけなら、あったので、んだよ」 「それは何でありますか」 イグニスの問いに、異形の機械生命体は五人の声で、言葉で答える。 「次元管理局の姉ちゃんが、僕達に与えた報復行為の影響で、アウルム・マーテルのエネルギーバランスが崩れたから、拙者達の意識が少しばかり上位に、出てこられるようになったの」 「では、いずれ明確な自我を取り戻すことが出来るのですね!」 歓喜したトニルトスに、異形の機械生命体はぐにゃりと首を曲げた。 「そりゃ違う、んですよトニルトス、上位っつっても真ん中ぐらいだしよ、アウルム・マーテルの心臓がこの宇宙に現存している限りは、私達の意識は長く保てないの」 赤く熱した砂を踏み締めた異形の機械生命体は、僅かに声を震わせた。 「だから、いずれまた、俺達は、あの滅びの天使に、戻っちゃうの」 「滅びの…? それは違います、司令官、アウルム・マーテルは全ての機械生命体の母であり神なのです!」 イグニスが困惑しながら反論すると、異形の機械生命体は首を横に振るように捻った。 「それは違うぜ、間違いなんです、アウルム・マーテルってのはな、拙者達兄妹に命を与え、あなた達に命と力を与えてくれたけど、そりゃ全部、アウルム・マーテル自身が、活性化するためのことで、拙者達はアウルム・マーテルという物質に活性を与えるためだけに、ずうっとずうっと戦わされていたの」 「それは、どういう意味なのですか」 動揺のあまり、トニルトスの声色は上擦った。異形の機械生命体は、ぶつ切りの言葉を連ねる。 「俺達兄妹はアウルム・マーテルに、身を投じて命を落とした瞬間に、同化してからやっと、永きに渡る愚かな戦いの意味が、解ったの。知っての通りアウルム・マーテルってぇのはエネルギー生命体だが、アウルム・マーテル単体では繁殖も増殖も活性化も出来ないんです、だけど俺達がアウルム・マーテルに接触して、悲願であった命を得た瞬間から、アウルム・マーテルは恐ろしい本能に目覚めたの。奴は俺達に命を与えると同時に戦闘衝動を植え付けやがって、愛情を憎悪に反転させたばかりではなく、俺達に次々に同族を生み出させて、激しい戦争が始まるように仕向け、殺し合わせたの。その目的はただ一つ、僕達やあなた方はアウルム・マーテルにとっては分子の一粒にも等しかったので、分子同士を衝突させて新たなエネルギーを生み出させては、惑星フラーテルの中心で貪欲にエネルギーを吸収し、死体回収船で死んだ子達を集めて食べていたの」 「司令官、それは」 理解出来ない事実の羅列に、イグニスは後退った。トニルトスも、かたかたと震えていた。 「では…私達は…。母と思っていた存在に利用され、喰われていただけなのですか…?」 「ああそうだ、それが真実なんです、嘘じゃねぇぞ、信じたくはないであろうが、辛いけど信じて」 異形の機械生命体は胸に両手を当て、二人の前に膝を付いた。 「俺達を許してくれなどとは、絶対に言いません、だがなこれだけは、言わせてほしいのでござる、ほしいんだ」 ただ二人だけ生き残った戦士に、かつて最強と謳われていた五人の司令官は謝罪を述べた。 「ごめんな、さい、よ、でござる、ね」 異形の機械生命体は胸に当てていた手を広げ、二人に向ける。 「かつて俺が、僕が、俺が、拙者が、私が、心から愛していた人が、生きていた、この地球に、再び降り立つことが出来て、もう心残りはないの。それによ、僕達はもう、罪を償う術はねぇし、更なる殺戮を繰り返す可能性があるのでござる、だからお願い」 五人の声が、重なった。 「殺してくれ」 差し伸べられた赤と青の腕から逃れるように、イグニスは首を横に振って後退ったが震えを堪えきれなかった。 あの戦いがそんなものだとは知りたくなかった。思いたくもなかった。認めたくもない。だが、思い当たる節はある。 戦いとなれば、どんなに心優しい機械生命体も歓喜していた。死ぬことが名誉だと思って、皆、戦いに出ていた。 死んだ者がどこに行くのかは、知らなかった。解らなかった。きっと再生されているのだろうとばかり思っていた。 だが、違った。生きた者は母の命を滾らせ、死んだ者は母の血肉となり、母と呼んでいた者は母ではなかった。 サピュルスの記憶は嘘ではなかったのだ。あれこそが真実だった。だが、それはたった一つの出会いで劇変した。 「…では、プロケラも喰われたのですか」 トニルトスが低く呟くと、異形の機械生命体は頷いた。 「ああ、そうです、あいつは、彼女は、あの子も」 「では、私が取るべき行動はただ一つです、司令官!」 トニルトスは長剣を引き抜き、砂嵐の吹き荒れる空に突き出した。 「我が命はカエルレウミオンより与えられ、カエルレウミオンに尽くすためにあり! 我が同胞にして最愛なる戦士、プロケラの栄誉を奪い去りし悪魔に報いることこそ、私が成すべき任務だ!」 「トニルトス…」 イグニスが呆気に取られると、トニルトスは切っ先をイグニスに据えた。 「剣を取れ。そして勝利の暁には、貴様の首を刎ねる」 「…馬鹿言え」 イグニスはトニルトスの手元を見、苦み混じりの笑いを零した。剣を支えるトニルトスの手も、僅かに震えていた。 結局、真実に怯えているのは同じなのだ。精一杯の虚勢を張り、武器を取り、戦士らしく振る舞っているだけだ。 強く在れと思うから、強くなれた気がするだけだ。感情回路がある以上、込み上げる恐怖を克服するのは無理だ。 しかし、どれほど激しい恐怖に襲われていても、立ち上がって背筋を伸ばし、剣を取り、目の前の敵を滅ぼせる。 それが機械生命体だ。植え付けられただけの本能だと解っても、数百万年も戦い抜いた経験は否定出来ない。 「首が飛ぶのは、てめぇが先だ」 イグニスはレーザーブレードの柄を抜き、赤い光で刃を成した。 「俺が殺すまで、絶対に死ぬんじゃねぇぞ!」 「貴様もな!」 長剣を構えたトニルトスは熱した砂を蹴り、飛び出した。イグニスもレーザーブレードを構え、地面を蹴り付けた。 クレーターが出来た際の衝撃で脆くなっていた地面は呆気なく砕け、吹き荒れる暴風に巻き込まれて消え失せた。 異形の機械生命体は二人の攻撃を受け止めるべく、立ち尽くしていたが、びくんと痙攣して仰け反り、咆哮した。 「我が名はタルタロス!」 誰の声でもない、濁った叫声を吐き出した異形の機械生命体は、二人を見定めて飛び出した。 「我こそは、宇宙の主なり!」 巨体が躍動する。目に染みるほど鮮やかな赤と青の腕が振り抜かれ、同じ色を持つ戦士達を弾き飛ばした。 攻撃を防ぐ間もなく、二人の体は軽々と吹き飛ばされた。タルタロスと名乗った者の指に、胴体を抉られていた。 放射能の砂嵐に満たされた宙を舞いながら、イグニスとトニルトスは砕け散った武器を握り締めて悟っていた。 この瞬間に、五人の意識が消滅したことを。感じ慣れた機械生命体のシンキングパルスは、完全に消えていた。 そして、タルタロスと名乗る者の意識からはアウルム・マーテルの歌声と同じパターンのパルスが溢れ出していた。 これが母の正体であり、偽りの笑みを浮かべた天使の素顔だ。タルタロスはオイルに汚れた指を舐め、笑った。 深淵より這い出してきた悪魔が、地球に降臨した。 08 9/21 |