アステロイド家族




春色ピクニック



 ほんの小さな、行き違い。


 ミイムが家族に加わってから、一週間が過ぎた。
 母親を切望していたハルはもちろんのこと、マサヨシもイグニスもミイムがいる日常に徐々に慣れつつあった。
それまでは朝方は冷え冷えとしていた家に料理による熱が広がって空気が暖かくなり、いい匂いも漂っていた。
造ったはいいがあまり使われていなかった物干し場には、綺麗に洗われた洗濯物が何枚も翻るようにもなった。
仕事の忙しさで疎かになっていた掃除も行われたので、部屋の隅に溜まっていた綿埃や砂埃が一切なくなった。
使い切れなくて余ってばかりいた食料や出来の悪い野菜も美味しく料理され、マサヨシとハルを満たしてくれた。
 ミイムは本当に家事が好きらしく、みぃみぃと鳴き声のような口癖を繰り返しながら、忙しそうに立ち回っていた。
イグニスとは異星人同士なのでそれなりに話が合うようだったが、サチコは未だに機嫌を直してくれていなかった。
ナビゲートコンピューターが機嫌を損ねるという話は今まで聞いたことはなかったが、現にサチコは拗ねている。
マサヨシはサチコの機嫌を取ろうと思ったが、放っておけば元に戻るだろう、とも思い、敢えて手を出さなかった。
機嫌を損ねたといっても、彼女はれっきとしたコンピューターなのだから、時間が過ぎれば処理を終えるだろう。
そう思っていたのだが、三日過ぎても四日過ぎてもサチコの不機嫌は収まらず、日に日にひどくなる一方だった。
 そして、七日目もサチコは不機嫌だった。マサヨシは、リビングテーブルの充電スタンドに乗った球体を見た。
サチコの本体であるナビゲートコンピューターのメインプロセッサーは、マサヨシのスペースファイターの中にある。
よって、サチコはコロニー内部で活動する際には、スペースファイターの偵察用のスパイマシンを使用している。
スパイマシンは用途別にあるのだが、サチコが最も気に入っているのは、最も小型の球体型スパイマシンだった。
その理由は、ただ単にエネルギー消費量が少ないから、というだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
そんな理性的で効率的な手段を好むサチコが、エネルギー消費量の大きい感情回路を酷使し続けるのは妙だ。

「サチコ」

 マサヨシが声を掛けると、銀色の球体は充電スタンドの上でくるっと半回転した。

〈なあに、マサヨシ〉

「いつまで拗ねているんだ」

〈誰も拗ねてなんかいないわよ〉

「じゃあ、どうしてそんな態度を取るんだ」

〈だから、誰も怒ってもいないし拗ねてもいないって言っているでしょ?〉

「いい加減に機嫌を直してくれ。でないと、危なくて仕事にも出られないじゃないか」

〈ご安心を。私はどこかの誰かと違って、私情を仕事に挟むほど低レベルなAIは持っていませんから〉

「だが、ずっとその調子だと俺もやりづらいぞ」

 マサヨシはサチコに近付き、その冷ややかな表面に触れた。サチコはぐるりと回転し、レンズを向けてくる。

〈それぐらい、私にだって判断が付けられるわよ。予測プログラムは常に最新版にアップデートしてあるんだから〉

「じゃあ、どうして機嫌を直さない」

〈そんなこと言われても…。困っているのは私もなんだから〉

 サチコはレンズを下げ、目を伏せるような格好をした。すると、庭からミイムの声が聞こえた。

「洗濯物、全部乾きましたよぉー! ふっかふかですぅー!」

 ぱたぱたとサンダルを鳴らしながら、ミイムは洗濯物の詰まったカゴを抱えてリビングに戻ってきた。

「みぃ、パパさん、サチコさんとお取り込み中でしたかぁ?」

「いや、大したことじゃない」

 マサヨシがミイムに向くと、ミイムは明るい笑顔を見せた。

「じゃ、ボクはこれからハルちゃんと洗濯物を畳みますぅ。ハルちゃん、ボクのお手伝いをしたいんですって」

「よろしく頼むよ、ママ」

「みぃ!」

 張り切ったミイムは、足早にハルの部屋に向かっていった。長いエプロンの下で、短いスカートの裾が翻った。
スカートの下から伸びる白い尻尾は、上機嫌に揺れている。ミイムの機嫌は、サチコとは正反対のようだった。

〈またノーパンだったわね〉

「見えるのか? というか、見たのか?」

 マサヨシが聞き返すと、サチコは経口の大きいレンズを動かしてみせた。

〈ええ、もちろんよ。私の目は一級品よ、撮影出来ない映像なんてないんだから〉

「スカートの下に何も履かないのは、尻尾を出しておくためだって説明されただろうが。俺も最初は驚いたが」

〈素直な感想を言ってもいいかしら〉

「なんだ」

〈品がないわね〉

「まあ…それは間違いないな。俺の感性では、まず理解しがたい」

〈じゃ、マサヨシは嫌いじゃないの?〉

「好きとか嫌いとか、そういう問題か?」

〈だって、あの子が来てから随分楽しそうなんだもの〉

「そりゃそうだろう。経緯は普通じゃないが、俺達に家族が増えたんだからな。それも、母親役が」

〈ということは、マサヨシの奥さんってことになるのよね。ノーパンだけど〉

「いや、なぜそこでノーパンを強調する?」

〈強調すべき事項だと判断したからよ。マサヨシ、まんざらでもないみたいね〉

「そう見えるか?」

〈見えない方がおかしいわ〉

 サチコの口調は硬く、冷淡になっていた。元々電子合成音声なのだから、暖かみがあるわけがないのだが。
だが、普段の柔らかい口調ではなくなっていた。あからさまな苛立ちが込められていて、怒りが見え隠れする。
ハルの前ではさすがに柔らかい口調で喋っているのだが、マサヨシやイグニスの前となると途端にこれだった。
正直、やりづらかった。イグニスだけならまだしも、マサヨシにまでそんな態度を取られると対処に困ってしまう。
 二人だけのリビングは、居心地が悪かった。




 イグニスは、増築用の資材を運んでいた。
 住人が増えたとあっては、部屋を増やさなければならない。そのために、宇宙ステーションで資材を買い付けた。
少々足が出てしまったが、この際は仕方ない。留守番が増えた分だけ仕事を増やして、補填すればいいだけだ。
家の増築は、造る時と同じくイグニスの仕事だった。人の手では数週間掛かるが、イグニスなら半日程度で済む。
建築用ロボット代わりに使われていることは少々不愉快だが、出来ることは実行するのが共同生活の基本だ。
それはコロニー暮らし以前の軍隊時代も同じことで、割り当てられた仕事は全力を尽くすのが義務であり使命だ。
 なので、今回もそうだった。家の周囲は真っ平らなのでどこにでも増設出来るが、ミイムの希望は南側だった。
廃棄コロニーは完全循環型で小型の地球を再現したようなものなので、一応、東西南北もないわけではないのだ。
だが、既に南側はハルの部屋になっていたので、隣の南西側に部屋を増設することでミイムは納得してくれた。
 イグニスは担いできた鉄骨や資材を置き、サチコが造った設計図のホログラフィーを増設する場所に投影した。
サチコの設計図は事細かで、寸法も0.1ミリ単位で書かれている。彼女の几帳面さに、イグニスはげんなりした。
だが、これに従わなければどうなるか解ったものではないので、今ばかりはサチコの言う通りにするしかなかった。

「おじちゃーん!」

 イグニスが土台を造るために地面を掘り返そうとしていると、ハルの弾んだ声が聞こえた。

「ハル、何してたんだ?」

 イグニスは大型のシャベルを地面に突き刺すと、身を屈め、ハルの部屋に近付いた。

「うん、あのね、ママのお手伝い!」

 窓を開けて身を乗り出したハルは、畳まれた洗濯物とミイムを指した。だが、その半分はぐちゃぐちゃだった。
だが、もう半分は寸分の隙もなく折り畳まれている。ぐちゃぐちゃになっている方が、ハルの仕事なのだろう。
ハルのベッドに座って手早く洗濯物を折り畳んでいたミイムは、窓の外にいるイグニスに気付くと、会釈してきた。

「みぃ」

「ん、そうか。えらいぞ、ハル」

 イグニスが褒めると、ハルはふにゃっと顔を緩めた。

「えへへへ」

「イギーさんはぁ、何のお仕事ですかぁ? みゅみゅうん?」

 洗濯物を畳む手を止め、ミイムもイグニスを見上げた。イグニスは、愛称で呼ばれたことに若干戸惑った。

「ん、ああ、お前の部屋を造ろうと思ってな。いつまでもリビングで寝てるわけにはいかねぇだろ」

「みぃ。ボクは平気なんですけどぉ。ここのソファー、柔らかいですからぁ」

「まあ、気にしてんのは俺じゃなくてマサヨシの方なんだがな」

 イグニスは、窓の外で胡座を掻いた。ミイムはほんのりと赤らんだ頬を、そっと押さえた。

「そんなぁ、ボクの身元を引き受けて下さっただけでも充分なのに、みぃ…」

「良かったね、ママのお部屋も出来るんだ。ありがとう、おじちゃん!」

 ハルの明るい笑顔を向けられ、イグニスは弛緩した。

「これぐらい、どうってことねぇよ」

「だったら尚のこと、ボクは一生懸命働かなきゃならないですぅ! みゅみゅう!」

 ミイムは両手を胸の前で組み、微笑んだ。格好こそ所帯じみているが、その微笑みは慈母の如く美しかった。
姿形だけでなく、表情の一つ一つも完成されていた。洗濯物を畳んでいた手付きさえ、どこか気品があった。
だが、イグニスは微妙な気持ちでそれを見ていた。ミイムの美しさを、素直に受け止めることが出来なかった。
しかし、最近のマサヨシはいつになく表情が緩んでいる。内心では、少しどころかかなり喜んでいるのだろう。
仮初めの母親を得たハルが幸せそうだから、なのかもしれないがマサヨシ自身もミイムが気に入っているようだ。
 それはそれでアリなのかなぁ、とイグニスは思った。付き合いは長いが、彼の全てを知っているわけではない。
だから、知らない一面があったとしても、不思議ではない。むしろ、そうであると考えた方が自然かもしれない。

「ね、おじちゃん」

 イグニスは思考に浸っていたが、ハルに呼ばれて現実に引き戻された。

「なんだ、ハル」

「私、ピクニックに行きたいな」

「なんでまた急に」

「だって、ママとは行ったことがないんだもん。お弁当持って、一緒に山に登りたいの!」

 ハルは窓枠に手を掛け、上半身を乗り出した。それが危なっかしく思え、イグニスは手を差し伸べた。

「おいおい、窓から落ちるなよ」

「山って、あれのことですかぁ?」

 窓枠から落ちてしまいそうなハルを後ろから抱え、ミイムは窓の外に見えるこぢんまりした山を指した。

「でも、ここってコロニーなんですよねぇ? ボク、中に山があるコロニーなんて初めてですぅ、みぃ」

「だが、それだけじゃないんだぜ。山の他にも、川やら海やら森やらとあるんだ」

「みぃ! ボク、見てみたいですぅ!」

 ハルを抱えたまま、ミイムは尻尾をぱたぱたと振った。

「山の上からだと全部見えるんだよ。私、どこに何があるか全部覚えているんだから!」

 得意げなハルに、イグニスは顔を近寄せた。

「だが、その前にマサヨシに話を付けねぇとな。ついでにサチコもだ」

「うん。それにね、お姉ちゃんに元気になってほしいんだ」

 ハルはミイムのエプロンを付けた胸に縋りながら、イグニスを見上げた。

「お姉ちゃん、なんだか調子が悪そうだから。一緒に遊べば、元気になってくれるかなって思ったの」

「ありゃ調子が悪いっつーよりも、ただの嫉妬っつーかなんだがな」

 イグニスは苦笑いしつつ、頬杖を付いた。

「要するに、あいつは面白くねぇんだよ。自分の居場所をミイムに取られちまったようなもんだからな」

「ふみゃあん、ボクのせいですかぁ?」

 困惑するミイムに、イグニスは肩を竦める。

「それ以外に考えられるかよ。電卓女のクセして、一人前に母性なんか持ちやがってよ。全く、難儀な女だぜ」

「でも、私はお姉ちゃんもママも大好きだよ? なのに、お姉ちゃんはママのことが嫌いなの?」

 悲しげな顔をしたハルを、イグニスは見下ろした。

「気に食わないってのは確かだな。だが、このままギスギスされたんじゃ、仕事に支障が出ちまう」

「ボクはサチコさんのことは嫌いじゃないですぅ。パパさんの大事なパートナーなんですからぁ、仲良くしたいですぅ。でも、ボク、ナビゲートコンピューターとお友達になったことはありませんから、どうしたらいいか…ふみゅ…」

 しょんぼりと長い耳を下げたミイムは、今にも泣き出してしまいそうだった。

「ここは一つ、ハルの作戦を頂こうじゃねぇか」

 イグニスが言うと、ハルはきょとんとした。

「さくせん?」

「チームワークを養うためには共同作業を行うのが一番だ、って教官どのも仰っていたしな。サチコの下らん嫉妬を抜きにしても、全員で山登りをするのはいい考えだと思う。山っつっても、標高は五百メートルぐらいだけどな」

「あ、それはボクも解りますぅ、イギーさん。集団行動の大切さは学校で教わりましたからぁ」

「なら、話は早いな」

 イグニスがハルに目線を向けると、ハルは窓枠に小さな手を掛けた。

「つまり、皆でピクニックに行けば、お姉ちゃんとママは仲良しになるってことだよね!」

「俺の計算上ではな」

「じゃ、私、パパにお願いしてくる!」

 ハルは床に下ろしてもらうと、部屋を出て足早にリビングに向かった。程なくして、マサヨシを呼ぶ声が聞こえた。
マサヨシは渋るどころか快諾していたが、サチコの態度は芳しくなかった。やはり、ピクニックに行く必要がある。
イグニスはマサヨシとサチコの間に広がる温度差を感じ取りながら、事の現況とも言えるミイムに目線を向けた。

「なあ…」

「みぃ?」

 イグニスの問い掛けに、ミイムは金色の瞳を丸めて首をかしげた。

「いや…なんでもねぇ…」

 イグニスは発声回路まで出かかった言葉を飲み下し、はぐらかした。ミイムは、なんだか訝しげな目をしていた。
だが、イグニスがそれ以上問い掛けてこないと解ると、畳んでいる途中だった洗濯物を畳む作業にまた戻った。
 これでいいのだろうか。イグニスは久し振りに深く思い悩んでいたが、今、自分がやるべきことを思い出した。
とりあえず、今はミイムの部屋を造ることが重要な仕事であって、現状について悩むことは後回しにするべきだ。
そう思ったイグニスは地面を掘り返し、鉄骨や建材を埋め込み、土台を造り上げ、壁や窓を手際良く填め込んだ。
 やはり、悩むよりは体を動かす方が性に合っている。







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