アステロイド家族




リアル・ワールド




 嘘のない世界。


 宇宙が、裂けていた。
 救護戦艦リリアンヌ号のブリッジで、ゲルシュタイン・ヘドリッヒは銀河系に及んだ大規模な異変を傍観していた。
艦長席から見下ろす管制席では、管制官達が目まぐるしく報告を続けている。だが、異変は次々に起きていた。
重力は乱れ、星の配置は崩れ、空間は歪み、暗黒物質が消えた影響で、断裂空間は発光しているように見える。
次元断裂現象の中心点は、太陽系であった。更に細かな座標を調べると、アステロイドベルトの一角だと解った。
メインモニターに映し出されている銀河系は、まるで巨大な斧で断ち切られたかのように真っ二つに割れていた。
断裂の幅だけでも数百光年分はあり、断裂の全長は銀河系を超越しており、今も尚その規模は拡大しつつある。
 現在、リリアンヌ号は次元断裂に程近い宙域を航行していた。いつものように、惑星を巡って治療を行っていた。
その惑星での仕事を終え、次なる惑星へ旅立つために宇宙空間に出た際に、前触れもなく次元が断裂したのだ。
リリアンヌ号の進行方向の宇宙空間に光が駆け抜けたかと思うと、空間そのものが割れ、暗黒物質が消滅した。
次元の歪みなどとは桁が違うスケールの異変は、当然ながらリリアンヌ号に対しても多大な影響を及ぼしていた。

「入るぜ、ゲルシュタイン」

 リリアンヌ号のブリッジに入ってきたのは、愛妻のポッドを携えた傭兵、ギルディーン・ヴァーグナーだった。

〈すまないねぇ、ゲルシュタイン。近くを飛んでたあたしらを回収してもらっちゃってさ〉

 ポッドに接続されたスパイマシンを使い、ポッドの中身の生体コンピューター、メリンダ・ヴァーグナーが言った。

「あ、小父様。ご無事だったんですね」

 管制席からフィオーネが振り向くと、ギルディーンは片手を挙げて見せ、それから操舵席を見やった。

「何がどうなってやがるのか、とりあえず報告してくれませんかね!」

 気を抜けばすぐに傾きそうな操縦桿を懸命に支えながら、レオンハルト・ヴァーグナーが叫んだ。

「俺に解るわけねぇだろ、そんなもん」

 ギルディーンは肩を竦めてから、愛妻を抱えたまま軽く飛び上がり、ゲルシュタインの艦長席の手前に着地した。

「なんだ、生きておったのか。つまらん男だ」

 ゲルシュタインの入ったワイングラスを持ち、艦長席に身を沈めていたのは、リリアンヌ・ドラグリオンであった。

「艦長はそっちだろうが」

 ギルディーンが彼女の手元のワイングラスを指すと、リリアンヌは悠長に足を組んだ。

「どうせこれは座ることが出来んのだ、有効活用してやっておるだけだ」

「全く…」

 ギルディーンは非常事態であってもまるで態度の変わらない彼女に少し呆れたが、気を取り直した。

「んで、お前らの方で何か解ったのか? 俺の方じゃさっぱりだ、メリンダが吹っ飛びそうになっちまうからな」

〈あたしの演算能力じゃあ、全然足りないからねぇ。あんたらだったら、ちったぁ解るんじゃないのかい?〉

 ギルディーンの足元に置かれたポッドから、メリンダが尋ねた。リリアンヌの手元で、ゲルシュタインは笑う。

「はっはっはっはっはっはっはっはっは。我が輩達とて、万能ではないのである。この艦のコンピューターはいずれも高性能ではあるが、救護戦艦と銘打っている限り、最優先するべきは数千人の患者に他ならないのである。故に、我が輩達が感知しておる情報はそれほど豊富ではなく、我が身を守れる程度のものでしかないのである」

「これだけの規模の事象だ。私達の管轄ではない」

 リリアンヌはもう一つのワイングラスを手にすると、艦長席の下からワインボトルを取り出し、栓を抜いて注いだ。
ゲルシュタインの体にも赤紫の液体を浴びせてから、リリアンヌは慣れた手付きでグラスを傾けて、一口飲んだ。

「こんな時に酒なんか飲むんじゃねぇよ」

 ギルディーンは艦長席の背もたれに寄り掛かり、腕を組んだ。

「趣味は悪くねぇけどさ」

「この事象が起きる少し前に、我が艦から優秀なる看護士が姿を消したのである」

 艶やかに輝く粘着質の肉体を捩り、ゲルシュタインはワインを全身に行き渡らせ、吸収した。

「その名はヒエムスと申す、銀髪の麗しき女性である。しかし、我が輩は彼女を採用した覚えもなければ、どの職員も彼女を面接した覚えもなかったのである。しかし、ヒエムスはこの艦に馴染み、小児科の看護士としてカイル・ストレイフを始めとした小児科医に助力していたのである。宇宙連邦政府を始めとしたありとあらゆる情報機関を使い、彼女の生まれ故郷や経歴や足取りを探ってみたのであるが、ヒエムスに関する情報は何一つとして見つけ出せなかったのである」

「ヒエムスの外見は地球人類に酷似していたが、その生体構造は極めて特異だった」

 ゲルシュタインに続き、リリアンヌが論文を読み上げるように淡々と述べた。

「神経、臓器、骨格、皮膚、そのいずれもが微々たる進化を遂げていたのだ。特に構造が異なっていたのは脳で、新人類とは全く違う部分を使って思考しておった。旧人類は触れることすら出来ず、新人類は掠める程度でしか使うことの出来なかった部位を最大限に活用し、脳内伝達物質を隅々まで張り巡らせ、常に情報を得ては蓄積し、分析し、思考しておったのだ。フローラを経由して彼女の思考をある程度読み取ってみたのだが、思考波自体に電子的に思えるほど高度な変換と圧縮が掛けられていて、内容を察することは不可能だった。つまり、ヒエムスは新人類はおろか我ら竜人をも容易に超越し、銀河系に息づくあらゆる生物を凌駕しておるのだ」

「何がなんだかさっぱりだが」

 ギルディーンが首を捻ったが、ゲルシュタインはそれを無視して更に続けた。

「科学技術の進歩と共に宇宙への理解を深めたことで、我らは空間を操る術を手に入れたのである。しかし、それでも空間の全てを掌握出来ることはなく、次元の歪みの向こうに存在する異なる宇宙に畏怖し、こちら側からは筆の先で触れる程度の調査を行うだけに過ぎなかったのである。しかし、あちら側はどうなのだろうか。我らが異次元と呼ぶ、物理的法則そのものが異なる宇宙からしてみれば、こちら側は一体どのような世界に見えるのであろうか。原始の時代か、進化の最中か、或いは彼らと平等か、科学の概念すら異なっておるのか。これは我が輩の推測に過ぎないのであるが、ヒエムスとは、あちら側からの訪問者なのかもしれないのである。彼女の生体構造は新人類が進化したであろうものではあるが、生物学的な見地から考えれば、現在の新人類が彼女の状態に到達するまでは数万年は掛かる計算なのである」

「物理的法則が異なれば、必然的に進化も異なる。しかし、ヒエムスは貴様ら新人類と同等の蛋白質で肉体を構成し、同等の物を摂取しておった。私が考えるに、肉体は異次元を超越することが出来ないのやもしれぬ。それ故に、こちら側の物質を構成して肉体を成し、恐らくは精神体を憑依させておるのだろう。そして、それを精神体で維持しておったのだ。だが、今、姿を消したと言うことは、精神体が分離したために肉体を構成していた分子が分解されたということなのやもしれん」

 二人の長々とした論説に、メリンダは鬱陶しげにスパイマシンを背けた。

〈解ったようで解らないねぇ、あんたらの説明ってのは〉

「んで、結局てめぇらは何が言いたいんだよ。それとこれと、何か関係があるってのか?」

 ギルディーンは苛立ったように、組んだ腕を指先で叩いた。

「まあ、無関係ではあるまい。異質な存在が消失したと同時に発生した事象なのだからな」

 リリアンヌは二杯目のワインをグラスに注ぎ、分断された銀河が映し出されたメインモニターへと掲げた。

「だが、そこから先は解らん。ただ一つ言えることは、ヒエムスという個体が消えたことで、我らは更なる進化の機会を失ったのだ。生物とは常に変化し、変質し、変形しておる。その変異の中に彼女の生体構造を取り入れることが出来れば、少しはまともな未来が切り開けたのやもしれぬのだからな」

「もしかすると、そのヒエムスってのは俺達を調べに来たのかもな」

 ギルディーンはリリアンヌの手からワインボトルを引ったくると、マスクを開け、流し込んだ。 

「俺が言うのもなんだが、生き物ってのはどう足掻いたって愚かなもんだ。どの星に行っても戦いはあるし、同族殺しはするし、異種族がいれば滅ぼし合うし、資源があれば掘り尽くして、まともなモンは滅多に残さねぇ。だから、これ以上生かしておいても宇宙の無駄遣いだって思って、この宇宙ごと吹っ飛ばすつもりなんじゃねぇの?」

〈それもまた、有り得そうな話じゃないか〉

 メリンダはギルディーンに寄り添い、スパイマシンを上向けて分断された銀河系を仰ぎ見た。

〈けど、あたしらには、この状況を抗うだけの力はない。ワープドライブを行ったところで、次元断裂の影響をもろに受けちまうから、ワープ空間内で爆砕しちまう可能性が充分にある。かといって、通常航行を行っても、稼げる距離はタカが知れている。ギルと心中するのは願ってもいないことだけど、もうちょっとばかし生きていきたかったねぇ〉

「でもよ、抗うことが出来れば、やるだけやってみてぇって思うぜ」

 ギルディーンはメリンダのポッドを抱き寄せ、愛おしげに撫でた。

「俺もお前とならどこで死んだって構わねぇと思うし、お前を守るためなら何だってやるつもりだ。だが、俺には次元を塞ぐ力はねぇし、俺の剣がぶった切れるモノも限られている。そうだと解っていても、足掻いて足掻いて足掻き抜きたくなるもんさ。人間ってぇのは、意地汚ぇ生き物だからよ」

「貴様にしては筋の通った意見だ、ギルディーン」

 リリアンヌはかすかに口元を歪めると、ゲルシュタインの入ったワイングラスを高々と掲げた。

「全搭乗員に告ぐ!」

 ワイングラスを震わせるほど力強い声量で、ゲルシュタインは叫んだ。

「死力を尽くし、生存せよ! 使えるエネルギーは全てエンジンに回し、使えるであろう航法は全て使い、使える手段は何もかも使い切るのである! 我が艦はあらゆる命を救うために造られた救護戦艦である、己が命も救ってこそ救護戦艦と呼ばれるに相応しいのである!」

「その命令を待ってましたよ、艦長!」

 レオンハルトは勝ち気な笑みを作ると、管制席に声を上げた。

「リニア・マスドライバーは使えるか!」

「そんなの無茶ですよ、レオさん! だって、あの次元断裂のせいで磁気嵐も発生していて、センサーだって半分が死んでいて、リニア・マスドライバーを使うための磁場を作るためのエネルギーはありますけど、成功する保証なんてありませんよ!」

 フィオーネは半泣きでレオンハルトに言い返すが、レオンハルトは譲らなかった。

「だからどうした! 要は発射さえ出来ればいい、それから先は俺の腕でなんとかしてみせる!」

「で、でも、いくらレオさんだからって、不安定なリニア・マスドライバーで射出された船体の姿勢維持は…」

「何のための操舵士だと思ってんだよ! いいから早く準備をしやがれ、でないと生存もへったくれもねぇぞ!」

 レオンハルトは操縦桿を握り締める手に、震えるほど強く力を込めた。

「サイキックアンプリファーも解除して、俺に繋げろ! バランサーにする! 使えるものはなんだって使う!」

「でも、それじゃレオさんに掛かる負担が…」

 不安のあまり涙を滲ませるフィオーネに、レオンハルトは笑った。

「それぐらい、なんとかなるさ。俺は不死鳥の血を引く男だぞ?」

「だったら、俺にも仕事を寄越せ。なあに、今日だけは特別だ、タダ働きしてやるぜ!」

 がつんと胸を叩いたギルディーンに、リリアンヌは僅かに目を細めた。

「ならば、貴様には大役を任せよう。惑星ケレブルムに寄港した際に装備させた新機構、サイ・リアグラファーを最初に使用することを認めてやろう。あれの管理責任者は私だからな」

「サイ・リアグラファーってあれか、確か精神をそっくり取り出して疑似実体化させるっつー…」

「あれは使用者の精神状態に応じて性質も変化する特性を持っておって、光さえも切り裂けるという話だ。もっとも、その分使用者への負担が大きすぎて、壊れる者も少なからずおるようだがな」

「じゃ、さっさと用意してくれや」

 ギルディーンは胸の前で留めてあるベルトを外し、鞘を付けたままのバスタードソードをリリアンヌに差し出した。

「俺が艦を守っている間、お前がこいつを預かっててくれ」

「ああ」

 リリアンヌは彼の分厚い剣を受け取り、少し目を伏せた。ギルディーンは、ぽんぽんと彼女の頭を叩いた。

「なあに、すぐに帰ってきてやるさ。お前の親父さんとも、久々に酒が飲みてぇって思っていたしな」

〈いってらっしゃい、ギル。あたしはずうっとここで待っているよ〉

 メリンダが優しく囁くと、ギルディーンは彼女のポッドに口付けた。

「愛してるぜ、メリンダ」

 立ち上がったギルディーンは、大きな肩を揺すりながら歩き出した。

「さあて、戦うとすっかあ!」

 真紅のマントを翻しながらブリッジを後にしたギルディーンを横目に、リリアンヌが俯くと、メリンダが言った。

〈ほらほら、リリちゃんもさっさと行った行った。うちの宿六が思う存分暴れられるようにしてやるんだろ?〉

「…すまない」

 リリアンヌは声を落とし、小さく呟いた。すると、メリンダは笑みを零した。

〈いいんだよ。あたしはね、うちの宿六が思い切り暴れてる姿が一番好きなんだから〉

「それは私とて同じことだ」

 リリアンヌはバスタードソードを抱えて顔を上げ、足早にブリッジを後にした。

〈さあて、あたしも働くかねぇ。フィオちゃん、あたしにも管制を回しな! ギルを戦場まで導いてやるんだよ!〉

「了解です!」

 メリンダが管制席に声を上げると、フィオーネは涙を拭って答え、すぐさまコンソールを叩いてメリンダに繋げた。
ブリッジにいる者達は忙しなく動き、それぞれの戦いを始めている。生き残ることは、いついかなる時でも戦いだ。
それを見下ろしていたゲルシュタインは、触手を挙げ、メインモニターに映る銀河を分断した次元断裂を見上げた。
 惑星級宇宙戦艦、テラニア号は次元の彼方にあるのだろう。だが、ゲルシュタインはそれに辿り着けなかった。
救護戦艦リリアンヌ号の艦長に就任したのは、この銀河系や宇宙に散らばる数多の生命体の本質を識るためだ。
リリアンヌ号は、ゲルシュタインが知る限り最も多くの生命体に接触し、最も多くの生命体を調べ尽くしている艦だ。
あらゆる命が出会い、去り、あらゆる運命がぶつかり、交わる。そんな奇跡が毎日のように起きる唯一の場所だ。
 ヒエムスは、そんな命の一つだったのだろう。彼女の目的が何だったのか、今となっては知ることは出来ない。
だが、彼女が残してくれたものはある。新人類を始めとしたあらゆる命の先の姿を示す、生体情報を残してくれた。
情報には載っていても現実には誰も見たことのない、幽霊のように朧なテラニア号と接触することは出来なかった。
そこに至れば、全てが進むのだとゲルシュタインは確信していた。彼女を通じて、間接的には近付くことが出来た。
太陽系統一政府が流出させているテラニア号建設資金を、リリアンヌ号に経由させたのも、少しでも近付くためだ。
しかし、結局その姿を見ることは叶わなかった。手応えのない存在感が触手の先を掠めただけで、掴めなかった。
それで納得したわけではないし、探求心も知的好奇心も収まらない。けれど、引き際なのだとは思い知っていた。
 未知の世界は、宇宙の至る所に口を開けている。その中に身を投じ、知を求めるのは容易いが、帰り道はない。
ゲルシュタインが誰でもないただのスライムならば迷わずに次元断裂に身を投じ、次元の彼方に旅立っただろう。
だが、今のゲルシュタインの上にはリリアンヌ号に乗る全ての命が掛かり、皆の生存を心の底から望んでいる。
彼らの信頼を裏切ることが出来なければ、彼らの命を捨てることも出来ない。特に、竜の娘と不死鳥の男の命は。
 未知の世界を知るのは、次の機会でも構わない。長々と生きていれば、いずれまた機会が訪れてくれるだろう。
今は、その時ではないというだけだ。ゲルシュタインはワイングラスから這い出して、銀河の裂け目を見つめた。
 宇宙は広い。故に、深淵ですらも巨大だ。







08 11/5