アステロイド家族




救護戦艦リリアンヌ



 星を渡り、命を紡ぐ、白き箱船。


 家族が増えたことで、食卓を囲む人数も増えていた。
 それまでは、マサヨシとハルとミイムの三人で囲んでいたテーブルに、ジョニー・ヤブキが加わったからである。
マサヨシとハルが並んで座り、向かい側ではミイムとヤブキが並んでいるのだが、ミイムは不本意そうだった。
ミイムは、ヤブキの乗った訓練飛行艇が廃棄コロニーに衝突し、朝食を台無しにされた一件を根に持っている。
ミイム以外の者はヤブキのことを徐々に受け入れつつあるが、ミイムだけはヤブキに近付こうともしなかった。
マサヨシは、少しでも早く仲良くなってほしかったので二人を並べて座らせたが、あまり効果はなかったらしい。
食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言ったものだが、当のヤブキは、ミイムの隣の席で元気良く朝食を食べていた。
フルサイボーグの身なので普通の人間よりも燃費が悪いらしく、マサヨシが普段食べる量の倍近くは食べていた。
それを、ミイムは白い目で見ていた。嫌いな人間に自分の手料理を食べられるのは、あまり面白くないのだろう。
 いつのまにか、またヤブキのスープ皿が空になっていた。ヤブキはテーブルに置かれたスープ鍋に手を伸ばす。
これで、もう五回目のお代わりになる。ヤブキは鍋を持ち上げ、底に残っていたスープを全て自分の皿に入れた。

「あんたの頭には遠慮って言葉はないんですかぁ、うみゅう」

 ミイムが文句を言うも、ヤブキは躊躇もなくスープを掻き込んだ。

「オイラ、フルサイボーグっすから。食べるだけ食べておかないと、機能が維持出来ないんすよ」

「だったら液体燃料でも飲んどきゃいいと思いますぅ」

 ミイムは冷ややかな目で空になった鍋を一瞥したが、ヤブキは平然としている。

「つーか、ミイムって和食は作れないんすか? 洋食も悪くないんすけど、やっぱり白飯の方がエネルギー効率が」

「なんでボクを呼び捨てにするんですかぁ」

「いや、だって、オイラは二十でミイムは十七っすから。オイラは年上でミイムは年下っすから」 

「地球人とボクの老化速度は違いますよぉ。だから、厳密に言えば年下じゃないですぅ」

「でも、サチコ姉さんに聞いたら、クニクルス族とオイラ達の老化速度は似たかよったかだって」

「だからって、呼び捨てにされるほど親しくないですぅ。というか、呼び捨てられること自体が不愉快ですぅ」

「それはそれとして、オイラ、明日はパンじゃなくて白いご飯が食べたいんすけど」

「だったら自分で作ればいいですぅ」

「そうなると、納豆もないとまずいっすね! 今度作るっすよ、納豆!」

「勝手にすればいいですぅ」

「マサ兄貴は喰ったことないっすか、納豆」

 ミイムにあしらわれ続けたヤブキは、急にマサヨシに話を振った。マサヨシは、即座に答える。

「いや、ないな」

「そうっすか。あれ、いいんすけどねー。そっか、知らないんすか、そっかあ。旨いんすけどね、納豆」

 ヤブキは食べ終えた皿を全部重ねると、両手を合わせて一礼した。

「ごちそうさまでした!」

 やあ喰った喰った、と言いながら、ヤブキは自分の使った皿をシンクへ運んだ。一応、礼儀正しいことは正しい。
だが、それ以外がやかましすぎる。ミイムは自分の皿を洗うヤブキをちらりと見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
マサヨシも自分の分を食べ終えたが、ハルはまだだった。量は大したことはないが、食べるのが遅いのである。
従軍経験があるマサヨシやヤブキと違って急いだ経験がないから、一口一口をゆっくり噛み締め、嚥下している。
時折、それがじれったいと思う時もあるが、ハルにはハルのペースがあるので急かしてしまってはあまり良くない。
 ハルはハムの最後の一切れを口に入れて、これもまたゆっくり噛んで良く味わってから、ようやく飲み込んだ。
小さなコップに半分以上残っていたオレンジジュースを喉を鳴らして飲み干してから、ハルは満足げに息を吐いた。

「ごちそうさま」

「みゅうん。いつも綺麗に食べてくれて嬉しいですぅ」

 ミイムはころっと態度を変えると、ハルを撫でた。

「ハルちゃん、明日は何がいいですか?」

「んー…何がいいかなぁ…」

 ハルはピンク色のコップをテーブルに置き、首をかしげた。

「まだ思い付かない。だから、後でもいい?」

「みゅうみゅう、いいですよぉ」

 ミイムは、紙ナプキンでハルの口元に付いたパン屑やオレンジジュースを拭いた。

「朝ご飯が終わったら、食器のお片付けですぅ。その後はお洗濯に皆のお部屋のお掃除と、今日もボクはとおっても忙しいんですぅ。だから、お手伝いしてくれますかぁ、ハルちゃん?」

「うん、ママ! お手伝いが終わったら、またご本読んでくれる?」

 ハルは自分の皿を重ねながら、ミイムに尋ねた。ミイムはにっこり微笑み、頷く。

「みぃ。いくらだって読んであげますぅ」

「じゃ、それが終わったらオイラと遊ぶっす! 畑に行くっす!」

 と、自分の食器を洗い終えたヤブキが割り込んできたので、ミイムは睨み付けた。

「どうせまた、ただの泥遊びになるんですから却下ですぅ! 泥汚れって落ちにくいんですからぁ!」

「だから、汚れてもいい服に着替えてから遊べばいいだけって言ってるじゃないっすか」

「そういう問題じゃないですぅ! ハルちゃんはボクと遊ぶんですってば! 野蛮で無礼で不作法なあんたになんか渡さないですぅ!」

 ミイムは立ち上がるとテーブルを回り込み、ぎゅっとハルを抱き締めた。

「そういうハルはどうなんだ?」

 マサヨシはミイムに抱き締められているハルを見下ろし、尋ねた。ハルは皆を見渡したが、窓の外に向いた。

「遊ぶんだったら、パパもおじちゃんもお姉ちゃんも一緒がいい。その方が楽しいもん」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」

 窓の外で胡座を掻いていたイグニスは、満足げに頷いた。マサヨシはコーヒーを飲み終えると、腰を上げた。

「そうだな、それがいい。だが、何をどうして遊んだものかな」

〈話がまとまりそうなところ、悪いんだけど〉

 リビングのテーブル上の充電スタンドでスパイマシンを充電していたサチコが、ふわりと浮かび上がった。

「なんだ、サチコ」

 マサヨシが聞き返すと、サチコはマサヨシの前にやってきた。

〈木星のエウロパステーションにリリアンヌ号が寄港しているのよ。その旨を伝えるメールを、今朝方受け取ったの〉

「なるほど。定期検診か」

 マサヨシが言うと、ハルは嫌そうに眉を下げた。 

「えぇー。私、お医者さんきらーい…」

「そうぼやくな。検診を受けるのは俺もイグニスも同じだ」

 マサヨシはハルに笑みを見せてから、再度サチコに向いた。

「それで、俺達にエウロパステーションまで来いということか? それとも、連中が来てくれるのか?」

〈今回は後者ね。このコロニーまで、連絡用シャトルを出してくれるそうよ。メールにはミイムちゃんとヤブキ君のことも書いて返信しておいたわ〉

「気が利くな。少々足は出るが、ミイムとヤブキも検診を受けておくに越したことはないだろう」

 マサヨシは、二人に向いた。ヤブキは、ばつが悪そうに笑う。

「あー、そうっねー。オイラ、事故った後にセルフチェックはしたっすけど、精密検査はしてなかったっすから」

「みゅみゅ、ボクは別に大丈夫ですよぉ。それに、太陽系のお医者さんじゃボクのことはよく解らないと思いますぅ」

 少し不愉快げに唇を尖らせたミイムに、マサヨシは笑う。

「その点は大丈夫だ。リリアンヌ号に乗船している医者の大半は異星人だから、クニクルス族に関する知識も持ち合わせているだろう」

「俺達はもとい、お前も体が資本だ。調べておくに越したことはないぜ」

 イグニスが言うと、ヤブキは頷いた。

「そうっすよ。オイラは元々こっちの人間っすから、ここの生活にもすぐに慣れたっすけど、ミイムは異星人じゃないっすか。だから、ちゃんと調べてもらった方がいいっすよ! マサ兄貴が奢ってくれるみたいっすからね!」

「奢る…って、そういう表現をするもんなのか?」

 イグニスはヤブキの言い回しを理解しかねるのか、首を捻った。

「そうと決まれば、各自準備をしておくことだ。サチコ、今日一日、留守番を頼む」

 マサヨシがサチコに命じると、サチコはくるりと回転した。

〈ええ、解ったわ。マサヨシ達がリリアンヌ号に行っている間、しっかり我が家を守ってみせるんだから〉

「電卓女なんかに任せるのは嫌だが、体がなくちゃあ金は稼げねぇからな。まあ、休暇ってことにしとこうや」

 イグニスは立ち上がると、ガレージへ向かった。ヤブキは、マサヨシに向けて敬礼する。

「では、オイラも色々とあるんで準備をしてくるっす! リリアンヌ号は初診っすからね!」

 そしてヤブキは、マサヨシの部屋に駆け込んだ。まだ部屋が出来ていないので、マサヨシの部屋に居候している。
木星基地の兵舎から送り付けられた私物も、当然マサヨシの部屋に置いてあるのだが、思いの外量は多かった。
サイボーグなので衣服は少ないのだが、どうでもいいものが多い。二十歳の若者らしいと言えば、らしいのだが。
マサヨシの私物は元々それほど多くないので、今のところは均衡が取れているのだが、この先はまだ解らない。
だから、ヤブキの部屋も早く増設した方がいいだろう。家族同士の均衡を保つためにも、各自の部屋は必要だ。
 すると、マサヨシの部屋から盛大な音と情けない悲鳴がした。恐らく、ヤブキが荷物をひっくり返したのだろう。
彼が荷物をひっくり返すのはこれが初めてではないが、慣れない。何か壊されたのではないのか、と不安になる。
 ミイムはヤブキが起こす騒音すらも嫌なのか、顔をしかめていたが、ハルを連れてハルの部屋へと向かった。
マサヨシも自分の準備をしなければ、とは思うのだが、ヤブキの動向が心配になってきて動くに動けなくなった。
いっそのこと見に行けばいいと思うのだが、変なところで勇気が湧かず、ぼんやりとリビングに突っ立っていた。

「ただいま戻ったっす!」

 作業着から私服に着替えて戻ってきたヤブキに、マサヨシは言わずにはいられなかった。

「ヤブキ、何か壊さなかったか?」

「大丈夫っす! ひっくり返したのはオイラのマイクロコンテナっすから! で、床一面にデータディスクが散らばったっすけど、片付けたっすから! 約一枚行方不明っすけど、そのうち見つかるっすから!」

「それは、何のデータディスクなんだ?」

「成人男子の必需品、エロ動画コレクションっす!」

「探してこい今すぐに! というか、俺の部屋にそんなものをぶちまけるな!」

 マサヨシが詰め寄るも、ヤブキはへらへらしている。

「えー、いいじゃないっすかー。オイラのは結構健全っすよー健全ー」

「そういう問題か! 大体、俺の部屋にはハルも出入りするんだぞ!」

「マサ兄貴ってば、そういうのは一つもダウンロードしたことないんすか?」

「いや、まあ、若い頃にはだな」

 思い当たる節がないわけではないので、マサヨシは言葉を濁らせた。すると、ヤブキはにんまりする。

「もしかして、サチコ姉さんがバッキバキにフィルタリングしちゃってダウンロードどころかアクセスも出来ないとか」

〈あら、鋭いわね、ヤブキ君〉

 サチコが答えると、ヤブキは少し嫌そうにする。

「ネタだと思ったらマジだったんすか。ていうか、捌け口がないとダメっすよー、マジで」

〈スペースネット回線は、マサヨシやイグニスだけじゃなくハルちゃんも使うんだもの。万が一、マサヨシの通信履歴を辿っていかがわしいサイトを見ちゃうかもしれないでしょ? イグニスや他の宇宙船と交信する時は常時記録しているけど、ネット上までは監視出来ないのよ。マスターであるマサヨシからネットも監視出来る設定を行ってもらえば出来ないこともないんだけど、その設定がされていないから、私は監視出来る権限がないのよ。だから、せめてもの対策としてフィルタリングしているわけ〉

「でも、マサ兄貴にエロサイトを見せようとしないのはサチコ姉さんの私情じゃないっすか?」

〈まあ、そうね、ないと言えば嘘になるわね。私はコンピュータープログラムの疑似人格でしかないから、マサヨシの動物的な欲求に対して嫌悪感や不快感を感じることはないんだけど、出来ることなら見て欲しくないって思うわ〉

「それってカノジョの心理っすね!」

〈そ、そうかしら?〉

 サチコはやや動揺し、語気を乱した。マサヨシはヤブキに歩み寄り、強く言った。

「あんまり調子に乗るな! それと、サチコにいい加減なことを吹き込むな!」

「いい加減っすかねぇ。オイラとしちゃ、結構本気だったんすけど」

 ヤブキは派手なストラップが付いた情報端末を、ミリタリージャケットの胸ポケットに押し込んだ。

「俺からすればいい加減だ」

 マサヨシはリビングを出ようとしたが、思わず足を止めた。廊下に繋がる扉から、ミイムがじっと見ていたのだ。
ハルはまだ準備をしているのか、いなかった。マサヨシはそのことに安堵しつつも、ミイムの視線に多少狼狽えた。
その視線には軽蔑と落胆が入り交じり、切なげな表情を浮かべていた。まるで、初恋に破れた少女のようだった。
マサヨシはミイムに言い訳する必要はないと解っていたものの、妙な後ろめたさを感じてしまい、僅かに後退った。

「…何が言いたい、ミイム」

「うみゅうん…。やっぱり、パパさんとサチコさんの間にはボクが入る余地なんてなかったんですぅ」

 ミイムは、たおやかに壁にしなだれかかった。長い睫毛を儚げに伏せ、愛らしい声を弱らせる。

「普通の神経なら、カノジョにエロサイトのフィルタリングなんてさせないですぅ。ボクだったら、そんなことされたらドン引きですぅ。ていうか、色んな意味で嫌すぎですぅ。ぶっちゃけた話、パパさんってチェリーボーイだと思いますぅ」

「あ、やっぱりそう思うっすか? いやーオイラも薄々そうじゃないかって思っていたんすよ」

「その点だけは意見が合いましたねぇ、みゅう」

 と、ミイムは嫌みったらしく笑った。マサヨシは否定も肯定もしたくなかったので、毒突いた。

「お前達、そんなにシモの話題が楽しいか?」

「だって、ボク、ぴっちぴちの十七歳だもぉん」

 うみゅうん、とミイムは可愛らしく両の頬を押さえる。ヤブキは、大きく頷く。

「そうっすよ、普通はそうっすよ。楽しくないんだとしたら、マサ兄貴が枯れてるだけだと思うっすよ」

「どうせ俺はロートルだ」

 マサヨシは二人の相手をするのが嫌になって、自分の部屋に入った。やはり、ミイムもヤブキと同じく若い男だ。
昔なら付いて行けたのだろうが、今はもう無理だった。だが、否定も肯定も出来ない自分が物悲しいとは思った。
マサヨシは自分の荷物をまとめようと部屋を見渡したが、確かにヤブキの荷物のマイクロコンテナが動いていた。
あの中のどれかがエロ動画コレクションのデータディスクで一杯になっているかと思うと、呆れるよりも感心する。
考えようによっては、イグニスよりもエネルギッシュだ。ヤブキという男のエネルギーは、正に底なしなのだろう。
 クローゼットを開けて検診に必要なものを出していると、ふと、視界の隅にサチコの操るスパイマシンが入った。
マサヨシはサチコに何か言葉を掛けてやろうと思ったが、何を言うべきか思い付かず、結局黙り込んでしまった。
サチコもまた、マサヨシが何も言わないので黙っていた。それでいいはずなのに、良くないような気がしてしまう。
 ナビゲートコンピューターとマスターの関係はビジネスライクであるのが当然だが、サチコは家族の一員なのだ。
それなら言葉を掛けるのが当たり前だが、ナビゲートコンピューターとマスターの関係では掛けないのが普通だ。
マサヨシはどちらにするべきか悩みながら荷物をまとめていたが、荷物が出来上がっても、答えは出なかった。
 そして、二人が言葉を交わすこともなかった。







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