アステロイド家族




時には獣のように



 遺伝子に刻まれた、猛き獣が目を覚ます。


 その日。一番早く起きたのは、ヤブキだった。
 寝乱れた掛け布団を剥がしてから、両者を隔てているマイクロコンテナの壁の向こうにいるマサヨシを窺った。
いつ見ても、この男の寝顔は安らかではない。眉を寄せて口元を固めており、寝姿もほとんど動いていなかった。
体の下のシーツもあまりシワが寄っておらず、髪も乱れていない。ひたすら寝相の悪いヤブキとは正反対である。
元から寝相が悪かったのだが、サイボーグと化してから体格が大きくなりすぎたため、被害も大きくなっている。
眠る前はちゃんと積み上がっていた足元のマイクロコンテナが崩れていたので、大方、蹴り飛ばしたのだろう。
 ヤブキは脇腹から伸びた充電用のケーブルをコンセントから外して収納してから、崩れ落ちた箱を積み直した。
ごと、と思いの外大きい音がしたので、マサヨシの様子を見た。少しだけ反応したが、目を覚ますことはなかった。
何度となくマイクロコンテナをひっくり返し、マサヨシを起こしてしまったことがあるので、一応は気を付けている。
それでも、寝相は仕方ない。ヤブキは自分に言い訳しつつ、銀色の素肌を晒している上半身に服を着込んだ。
 訓練生時代からほとんど服は増えていないので、選ぶ手間もない。いつもと同じく、丈夫な軍の作業服を着る。
サスペンダーで吊るズボンは裾が絞られているので、長靴に丁度良いのだが、家の中ではブーツを履いている。
前に長靴で歩いていたら、ミイムに散々怒られたのである。ヤブキも、さすがにあれはまずかったと思っている。
そして、恰好だけは立派な兵士が出来上がった。歩兵訓練も受けていたので、専用の戦闘服を仕立てたのだ。
それをそのまま払い下げて、私服として使っている。階級章も認識票も剥がしているので、なんら問題はない。

「それでは、オイラはお先に」

 ヤブキは小声でマサヨシに挨拶してから、そっと扉を開けて部屋を出た。だが、ひっそりと静まりかえっていた。
先日の騒動の末に取り決めた朝食当番の順番では今日はミイムが作るはずなのだが、空気が冷え切っている。
いつもであれば、もっと温かい。熱を使って調理をするために空気全体が温まり、その匂いもしてくるはずだ。
だが、何もなかった。ヤブキはいつになく慎重に歩いてリビングとキッチンを覗くも、やはり、ミイムの姿はない。
彼の可愛らしいエプロンも椅子の背に引っ掛けられているままだ。冷蔵庫を開けると、材料も丸々残っている。
念のために玄関を見ると、ミイムの外履きの靴やサンダルも残っている。となれば、彼は家の中にいるだろう。

「どうした、ヤブキ」

 ヤブキが振り返ると、寝て起きたままの恰好でマサヨシが立っていた。

「おはようございます、マサ兄貴。今日の当番はミイムのはずなんすけど、まだいないんすよ。変っすね」

 ヤブキは訝りながら、マサヨシに返した。マサヨシは、髪を乱す。

「あいつが寝坊するとは考えにくいが、たまにはそういうこともあるのかもしれないな」

「オイラが朝ご飯を作っちゃってもいいんすけど、下手に作ると怒るっすからねー…」

 ヤブキが苦笑いしていると、マサヨシはミイムの部屋に向かった。

「とりあえず、ミイムの様子を見てくる。朝食を誰が作るかはそれから決めよう」

「はいっす」

 ヤブキはマサヨシの背に向けて、敬礼した。マサヨシはかすかな不安を覚えつつも、ミイムの部屋に向かった。
ただの寝坊ならそれに越したことはない。だが、もしも何かしらの原因があるとすれば、対処しなくてはならない。
マサヨシはミイムの部屋の扉をノックしたが、返事はなかった。もう一度ノックして呼び掛けるも、やはり無反応だ。
仕方ないので、マサヨシはミイムの部屋の扉を開けた。ハルの部屋に負けず劣らず、可愛らしい内装の部屋だ。
窓に掛けられたカーテンにはフリルがたっぷり付き、床に敷かれたラグもピンクで、男の住む部屋とは思えない。
当のミイムは、やはりピンク色のカバーが掛かったベッドに横たわっていたが、頬は紅潮して息遣いは荒かった。

「パパさぁん…」

 マサヨシに気付いたのか、ミイムは虚ろな目を上げた。マサヨシは、ミイムに近寄る。

「熱でもあるのか」

「ふみゅうん…」

 ミイムは涙で潤んだ金色の瞳を、マサヨシに向ける。すると、扉の隙間からサチコが滑り込んできた。

〈あら、大変! 大丈夫、ミイムちゃん?〉

「あんまりですぅ…」

 ミイムは表情も弱々しく、見るからにぐったりしている。

「朝から体が熱くってぇ、力が入らないんですぅ。でも、今日は、ボクが朝ご飯なんですぅ」

「そういう時はゆっくり休んでおけ」

 マサヨシは、汗ばんだミイムの額に手を触れた。サチコは、マサヨシの顔の傍に浮かぶ。

〈変ね、リリアンヌ号の検診の結果では何もなかったんだけど…。もちろん、バイタルチェックはしっかり行って、リリアンヌ号に検査結果を送信しておくわ。何らかの感染症や疾患を発症した可能性もあるから、マサヨシとハルちゃんはスペースファイターに避難するべきね。その間、ミイムちゃんはヤブキ君にお世話してもらえばいいわ。イグニスは役に立たないしね〉

「ボク、そんなの嫌ですぅ」

 ミイムが首を横に振るも、サチコは譲らない。

〈フルサイボーグのヤブキ君はマサヨシやハルちゃんと違って抵抗力が桁違いに強いから、適任なのよ。生憎、私は看護に適したヒューマノイドボディを持ち合わせていないし、イグニスはあの図体だもの。だから、ヤブキ君に頼むしかないのよ〉

「解ってくれ、ミイム。お前に続いて俺やハルまで倒れたら、取り返しの付かない事態になる。それを防ぐためにも、ヤブキに頼るしかないんだ。少しでいいから我慢してくれ」

 マサヨシが説き伏せるも、ミイムは掛け布団を引き上げ、顔を隠してしまう。

「うみゅうー…」

「とりあえず、俺はハルを連れて船に行く。場合によっては、何日か籠城することになりそうだな」

 マサヨシが立ち上がると、サチコもそれに続いた。

〈私も亜空間通信の準備をするわ。航行速度とルートから計算すると、リリアンヌ号は亜空間通信が使える距離にいるんだけど、それでも多少は時間が掛かるのよね。電波のパワーが足りればいいんだけど〉

 二人が出ていった後、ヤブキはミイムの部屋を覗いた。ミイムから近寄るなと言われていたが、今は非常時だ。
ヤブキが踏み込むと、ミイムはあからさまに不愉快げに眉根を歪めたが、ベッドから起き上がれないようだった。

「そういうわけっすから、しばらくオイラが」

「出て行けやコノヤロウですぅ」

 だが、言い返す元気はあるらしい。ヤブキは、小さく首を竦める。

「大丈夫っすよ。別に荒らさないっす。いくら見た目が美少女でも、男の部屋になんか興味ないっすよ」

 すると、ヤブキの背後の棚にきっちり並んでいたデータディスクが独りでにこぼれ落ち、床に数枚散らばった。
ヤブキは驚いたが、気にしなかった。隣のガレージに住むイグニスが目覚めて動き出すと、よくあることだからだ。
そのデータディスクを拾って棚に戻したヤブキはミイムに向くと、彼は忌々しげな目で、ヤブキをじっと睨んでいる。

「ボクの物に触るなですぅ」

「そんじゃ、オイラはイグ兄貴に事情を説明してくるっすから」

 ヤブキは部屋を出ると、ドアに扉が閉まった。軽く震動が起きるほどの力で音も凄まじく、先程以上に驚いた。
だが、これもまた気にしなかった。きっと、知らないうちに足でも引っかけたのだ。と、思いながら、家から出た。
ヤブキはガレージに向かい、ばしゃばしゃとシャッターを殴った。程なくして、イグニスがシャッターを押し上げた。

「なんだよ、うっせぇな」

 ミイムと同様に不愉快げなイグニスに、ヤブキは臆せずに敬礼した。

「おはようございます、イグ兄貴! 早速ですがご報告っす! ミイムが熱発就寝っす!」

「動作不良ってことか?」

「たぶんそんなところっす!」

「んで、俺にどうしろってんだよ」

 ガレージから出てきたイグニスは立ち上がり、ヤブキを見下ろした。ヤブキは敬礼を崩さない。

「ミイムの病状が判明するまでの間、マサ兄貴とハルはスペースファイターに一時避難するとのことっす! その間、オイラはミイムの世話を任されたっす! でもって、イグ兄貴もお留守番っす!」

「それは誰の判断だ。マサヨシか、それとも電卓女か?」

「半々ぐらいっす!」

「…なら、仕方ねぇな」

 イグニスは渋々、家に向いた。丁度、玄関から眠っているハルを抱きかかえたマサヨシが出てくるところだった。

「マサヨシ。ミイムはそんなに悪いのか?」

「俺が見たところではただの発熱に見えるが、そうではない可能性もあるんだよ」

 マサヨシは、腕からずり落ちそうになったハルと荷物を担ぎ直す。イグニスはマサヨシに近寄ると、片膝を付く。

「ハルとしばらく別れなきゃならねぇのは寂しいが、お前らの身の安全には変えられねぇしな。ただの疾患ならいいんだが、病原体となると厄介だ。事と次第によっては、数日といわず数週間掛かるかもしれねぇな」

〈あら。珪素の固まりにも病原体の恐ろしさは解るのね〉

 サチコの皮肉に、イグニスはすぐさま言い返す。

「馬鹿にするんじゃねぇぞ。組織を構成する物質が珪素か炭素かの違いだけで、俺達は立派な生命体なんだ。条件さえ満たせば病原体にだってなんだって感染しちまうんだよ。それぐらい常識だろうが、電卓女。それともなんだ、俺が侵されるのは錆とちゃちなコンピューターウィルスだけだって思ってんのか?」

〈それ以外にも一杯あるわよ。ゴミ中毒とか短気とか癇癪とか戦闘衝動とか浪費癖とか切りがないわ。どうせなら、この間の検診の時にオイルを抜いて圧力を下げてもらうべきだったわね。そうすれば、少しぐらいは大人しくなっていたかもしれないのに〉

「お前の方こそ、ハードディスクを抜いてへし折ってやる!」

〈残念でした、私のメインコンピュータールームに入れるのはマスター権限と生体認証コードを持つマサヨシだけなんですからね! マサヨシ以外はケーブルの一本だって触らせやしないんだから!〉

 睨み合う二人の間に、マサヨシは割り込んだ。

「いい加減にしろ。今、優先するべきはミイムじゃないか。お前達が言い争ってどうする」

「マサヨシ。ついでにこの電卓女もサイバークリニックに突っ込んで、徹底的にメンテナンスしてくれねぇか。余計な感情回路と言語プログラムを引っこ抜いてもらわねぇと、俺の理性回路が先に飛んじまう」

〈その言葉、そっくりお返しするわ〉

「いいから来い、サチコ。ハルが起きる前に、やるべきことを済ませておくぞ」

 マサヨシは顎でカタパルトの方向を示すと、サチコは途端に機嫌を戻してマサヨシを追った。

〈ええ、解ったわ〉

「現金っすよ、マジ現金」

 サチコの態度の変わりぶりに、ヤブキは呆れた。イグニスは唾を吐くような仕草をし、顔を背ける。

「だから俺はあいつが嫌いなんだよ。呆れるほど単調な感情回路と思考パターンしか持たねぇくせして、一端の生命体を気取ってやがる。そりゃ、お前みたいな蛋白質の脳髄に比べれば、ちったぁ処理速度が速いかもしれねぇが、それだけだ。疑似人格プログラムなんて、使うだけエネルギーの無駄遣いなんだよ」

「オイラにしてみれば似たかよったかなんすけど」

「今説明したばっかりだろうが! 俺とあいつは根本的に違うんだよ!」

 単細胞生物め、とイグニスはぼやきながら、家へと向かった。ヤブキはしばらく考えたが、結論は出なかった。
新時代に生まれた新人類であり、フルサイボーグの身でありながらも、ヤブキはコンピューターは得意ではない。
日常生活の中で使う分には支障を来さないのだが、専門的な知識や込み入った話になるとまるで理解出来ない。
意識接続型のネットゲームでプレイすることが出来ても、その仕組みを説明することが出来ないのと同じである。
だから、ヤブキにとっては自我を持つロボットと自我を持つコンピューターは近しいもので、区別が付けられない。
なので、イグニスの並べ立てた愚痴もサチコとの皮肉の応酬の内容も、言葉は解っても意味はよく解らなかった。

「とりあえず、お前は家に入っていろ。癪に障るが、電卓女の指示があるかもしれねぇからな」

 と、イグニスに親指で家を示され、ヤブキはまたも敬礼した。

「了解っす! ミイムに何か喰わせてやらなきゃならないっすからね! オイラもっすけど!」

「返事だけはいいんだよなぁ…」

 イグニスは半笑いを浮かべていたが、ふと、物音に気付いた。鋭敏な聴覚センサーが、異音に掻き乱される。
それはヤブキの聴覚センサーにも拾えたらしく、ヤブキも動きを止めている。二人の視線は、同じ方向に向いた。
ミイムの部屋だった。いつのまにかミイムの部屋の窓が開いており、風もないのに白いカーテンが揺れていた。

「起きた、んすかね?」

 ヤブキはふわふわと動くカーテンを、じっと見つめた。イグニスは透視ビジョンに切り替え、視線を凝らす。

「起きたのは確かだが…様子が変だ」

 イグニスの視界には、透過された家が映し出されていた。更にサーモグラフを追加すると、動くものが見えた。
壁や家具の輪郭だけが映し出された視界の中に、小柄な人影が立っているが、その足元が僅かに浮いていた。
この星系の単位にして数センチ程度だが、隙間が空いている。だが、ミイムと思しき人影の周囲には何もない。
細い両腕はだらりと垂らしているので、家具か何かに掴まっていたり、体を持ち上げているわけでもないようだ。
恐らく、サイコキネシスの類だろう。それ自体は珍しいものでもないのだが、ミイムの様子は明らかにおかしい。
ミイムの周囲を取り巻くように、物が浮かび上がっていた。データディスク、花瓶、模造宝石のアクセサリー、など。
その一つが、不意にカーテンに向かった。途端に白いカーテンは細長く伸びて布地を貫かれ、外に飛び出した。
 模造宝石の付いた派手なペンダントだった。イグニスのガレージへ向かっていたが、途中で急に方向転換した。
それは、迷わず二人を狙ってきた。その速度は凄まじく、サイボーグと機械生命体の目でなければ追えなかった。

「うひょわっ!」

 変な悲鳴を上げたヤブキが飛び退くと、イグニスの脚部に当たりそうになったので、イグニスも飛び退いた。
二人が回避したため、模造宝石のペンダントは地面に突っ込んだ。が、予想以上の衝撃で地面が吹き飛んだ。
青々とした芝生と軟らかな土が舞い上がり、散らばる。抉れの深さは、遠目に見ただけでも数十センチはある。
あれがまともに当たっていたとしたら、ヤブキは重傷を負い、イグニスも外装が歪んでしまっていたに違いない。

「俺に当たったらどうしてくれる!」

 この間、完璧に修理したばかりなのに。イグニスは予想以上に嵩んだ医療費を思い出し、声を荒げた。

「オイラの方こそ、当たったらどうしてくれるんすか! 外装バッカーンで体液ブシャーで脳髄グシャーっすよ!」

 情けなく尻もちを付いているヤブキが反論するも、イグニスは取り合わなかった。追撃が訪れたからである。

「うっせぇなぁ相変わらず!」

 イグニスは右腕の装甲を開いて内蔵のビームガンを出すと、ヤブキ目掛けて飛んでくる多数の物体へ掃射した。
エネルギーの無駄遣いだ、と思ったが、ヤブキが死んでは後が面倒なのだ。熱線を浴びた物体は、全て蒸発した。
辺りには、プラスチックの溶けた匂いや金属の焼ける匂いが漂う。ヤブキは立ち上がり、じりじりと後退っていく。

「なんか、マジヤバくないっすか?」

「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」

 イグニスは左腕の外装を開いてレーザーブレードのジェネレーターを出すと、エネルギーを両腕に流し込んだ。
ミイムの部屋の窓では、カーテンが激しく踊っていた。多数の物体に貫かれたせいで、穴だらけになっている。
そのカーテンが大きく膨らんだかと思うと、ベッドが飛び出してきた。ガラスと壁を砕きながら、ベッドが転がる。
あまりの音と衝撃に、ヤブキは引きつった声を上げた。だが、イグニスは動じず、ミイムの部屋を見据えていた。
 地面には砕けたベッドの破片とガラスの破片が突き刺さった布団が転がり、千切れたカーテンが揺れている。
無惨に破られた壁の奥から、見慣れた小柄な影が現れた。地面から数メートルの高さに浮かび、俯いている。
ふわふわしたピンク色の髪は怪しく蠢き、力なく伸び切っている両手両足が不気味で、纏っている雰囲気が違う。
それまで動かなかった前髪が、ぶわりと持ち上がった。その下から現れた金色の瞳も、凶暴な光を宿していた。

「おい、てめぇら」

 ヤブキでもイグニスでもない、低い声が聞こえた。

「メスはどこだ」

 その声の主は、明らかにミイムだった。だが、ミイムが発した声にしては恐ろしく低く、また男臭かった。

「メスって…どういう意味っすか?」

 ヤブキは後退りすぎて、イグニスの足に背をぶつけた。ミイムは舌打ちし、語気を荒らげた。

「この脳足らずが。聞いての通りだ。解らねぇんだったらその体に教え込んでやるよ、クソ野郎!」

「何なんだ、一体」

 イグニスも、さすがに戸惑った。ミイムは高く浮かび上がり、家もイグニスも越すと、にやりと口元を歪めた。

「てめぇらは邪魔だ。この俺様の高潔にして優秀なる遺伝子を残すためには、他のオスはいらねぇんだよ」

「オスって、オイラ達のことっすか?」

 恐る恐る、ヤブキがイグニスと自分を示した。ふん、とミイムは鼻を鳴らす。

「それ以外にももう一匹いるだろう。あれも見つけ次第、俺様が殺してやる。そして、あのメスを奪い取り、俺様の精をぶち込んでやるんだよ! 最後の忠告だ、死にたくなかったら俺様の視界から失せることだ!」

「…どうするっすか」

 ヤブキに問われ、イグニスは半歩足を下げた。

「炭素生物の繁殖方法ってのは、随分と荒っぽいんだな」

「ありゃ特殊な例っすよ! オイラは普通っていうかめっちゃ大人しいんすから! むっつりとも言うっすけど!」

 ヤブキはそう言いながら、更にミイムとの距離を開ける。イグニスはレーザーブレードを長く伸ばし、構える。

「何にせよ、あの野郎は俺達のハルを穢そうとしているんだな?」

「文面の通りならそうかもしれないっすけど、色々な意味で無理っすよ、いやマジで」

「だったら、方法は一つだ」

 イグニスが踏み出そうとしたので、ヤブキは慌ててその足に縋った。

「ダメダメダメダメっすよダメ! 殺したりしたら、それこそハルだけじゃなくて皆が悲しむっすよ!」

「じゃあどうするんだよ!」

 イグニスは足を払い、ヤブキを放した。ヤブキはよろけたが踏み止まり、力強く叫んだ。

「逃げるに決まってるっすよ!」

「この根性なしが!」

 イグニスは言い返すも、ヤブキの提案に同意せざるを得なかった。殺さないためには、逃げるしかないだろう。
ミイムは浮き上がらせたものを、再びサイコキネシスで飛ばしてきた。弾丸にも劣らぬ速度で、飛び抜けていく。
イグニスはレーザーブレードを振るって物体を焼き尽くすが、ミイムは次から次へと絶え間なく追撃を加えてくる。
ひとまず退いて体勢を立て直そう、とイグニスがヤブキに指示を出そうとしたが、既にヤブキの姿は失せていた。
イグニスの姿に隠れ、丁度ミイムの死角になっている場所を、サイボーグが出せる最大の速度で疾走していた。
その情けなさ極まる後ろ姿に悪態が口を吐きそうになったが、今はそれどころではないと、イグニスは判断した。
右腕のビームガンでミイムの足元の地面を撃ち、吹き飛ばす。一瞬だけだが、ミイムの視界を奪うことが出来た。
 イグニスは身を翻し、反重力装置を作動させると同時に脚部のスラスターを両方作動させて、一気に加速した。
飛行する最中に必死に逃げていたヤブキを掴んで手の中に収め、ミイムとの距離を広げながら、考え込んだ。
 敵は一人。脆弱な有機生命体。だが、殺してはならない。味方は一人。だが、何の役にも立たない上に弱い。
かといって、このまま放置すれば家が壊されてしまい、ハルが泣く。そして、そのハルが蹂躙されるかもしれない。
それだけは何としても阻止しなくては。だが、適度に手加減して傷付けないように戦う、というのは非常に難しい。
下手をすれば、ミイムだけでなく、ヤブキまで傷付けるかもしれない。鬱陶しくやかましい男だが、家族は家族だ。
こうなったら、戦わなければ。イグニスは粉塵を突き破って飛んでくるミイムの姿を見据え、思考回路を働かせた。
 全く、面倒なことになったものだ。







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