酸の雨は星の落涙



第一話 堕落への墜落






 ねえ、王子様。
 あなたは、どこから来るのかしら。
 地の果て? 海の向こう? それとも、遠い遠い宇宙の彼方から?
 私は待っているわ。いつまでも、いつまでも、いつまでも、この星の片隅で。
 あなたに出会えるその時を、お誕生日よりも、クリスマスよりも、ずうっとずうっと楽しみにしているわ。

 ねえ、私の王子様。


 アリシア・スプリングフィールドの日記より




 戦場は、未だ遠い。
 目的の惑星クーは三光年も先だからだ。当然ながら目視出来るわけではないが、進行方向から目を逸らすのは愚行だ。 セラミックアーマーを震わせる水素エンジンの唸りが全身に染み、コクピット後部下方に設置されたペダルを踏む三本目の足を上げる。 他の機体との距離を一定に保ち、レーダー画面を主眼で見る一方で、後頭部の副眼で全長五千メートル以上もの巨大戦艦を見つめた。
 祖国、アイデクセ帝国の主戦力であり、大艦隊を率いる将軍が指揮を執る旗艦、宇宙戦艦シュトローム号である。宇宙戦闘機の コクピットからでは、全貌すら把握出来ない。操縦席から見えるのは、せいぜい船腹ぐらいなものだ。その船腹だけでも巨大で、 都市の夜景にも似た窓明かりが無数に輝いているが、重苦しい轟音は伝わってこない。改めて宇宙に来たことを認識しつつ、 ゲオルグ・ラ・ケル・タは側頭部に接続しているファイバーケーブルに触れた。シュトローム号のメインブリッジが受信した仔細な情報が 無線を通じて流れ込むが、脳が膨れてしまいそうだった。出撃前の改造で珪素回路と記憶容量を増やし、情報処理能力を上げたとはいえ、 自身の処理能力に限度がある。だが、改造は無駄ではなかったらしく、以前では理解しかねた航宙用語がすんなりと理解出来るように なっていた。経験の浅さを埋めるためには、まだまだ情報が必要だ。操縦の腕では追いつけなくても多少の底上げが出来る。
 ぢ、と脳障りなノイズが走り、ゲオルグ機が所属する小隊、ラーゲン小隊の隊員から通常回線の無線が入電した。異変でも起きたのかと 思ったが、そうではなさそうだ。ゲオルグの脳内に直接響いた同胞の声は明るかった。

『ラーゲン・ドライからラーゲン・フィアへ。セラミック頭、お前の主眼で戦地は見えたか!』

「ラーゲン・フィアからラーゲン・ドライへ。物理的に不可能だ」

『ラーゲン・ドライからラーゲン・フィアへ。なんだったら、シュトローム号の女子営舎の映像でも傍受してくれよ」

「ラーゲン・フィアからラーゲン・ドライへ。同上だ。エンデ」

 その後も細々と話し掛けられたが、ゲオルグが反応しないと解ると止まった。脳波を掻き乱すノイズが途切れると、 ゲオルグは神経が緩んだ。宇宙に出たことでただでさえ敏感になる神経を乱されるのは、肉体的に不快だ。
 かつて、帝国軍の格納庫で機械油にまみれながら駆けずり回っていた整備兵だった頃、ゲオルグは機体の爆発事故に 巻き込まれた。パイロットと近くにいた整備兵はいち早く逃げ出したが、隣のドッグで整備を行っていたゲオルグは逃げ遅れ、 爆発して四散したセラミックアーマーに左腕を持って行かれ、キャノピーの破片で頭蓋骨を砕かれ、主眼と副眼は熱で煮えてしまった。 ゲオルグ自身も死を覚悟したが、運の良いことにその基地にはサイボーグ手術に長けた軍医が揃っていた。脳漿を垂れ流しつつも 生き延びたゲオルグは、半ば人体実験にも近い形でサイボーグ手術を受けさせられ、研究材料に飢えていた軍医達の知的好奇心を 存分に満たすために、頭蓋骨が砕けた頭部にはセラミック製の新たな頭蓋骨と欠損部分を補うための人工脳と機械仕掛けの主眼と副眼を 与えられ、左腕もやはりセラミック製のものが与えられた。その後も手術を繰り返しているうちに、ゲオルグの戦場は格納庫から空へと 変わっていた。それまでは整備するだけだった戦闘機に乗るようになり、上に言われるがままに出撃しては空爆を繰り返すようになった。 それまでの自分では出来ないことであり、また、したくもないことを無感情に行えるようになった。爆発事故で負傷して脳を損傷した際に 人格も損傷したからだ。それ以降家族からは距離を置かれ、かつての友人達も離れてしまったが、それを悲しいとも寂しいとも 思えないまま、今日もまた戦場に駆り出されている。大気圏を飛行することには慣れたが、宇宙空間をまともに飛行するのは今回で まだ三度目だ。だから、機体の軽さに慣れず、宇宙空間を飛び交う宇宙線が掻き鳴らす作者不明の音楽にも馴染めなかった。
 目的の地である惑星クーは、アイデクセ帝国が支配する母星から五光年程度離れた星系に浮かぶ、水も大気も植物にも恵まれた 素晴らしい惑星だった。事前に送り込まれた偵察隊が送ってきた映像は瑞々しく、また美しかった。科学技術の進歩と反比例して荒廃しつつ ある母星を離れて移り住むには最適で、公転周期も自転周期も重力レベルも昼と夜の長さも、レギア人を受け入れるためにあるかのような 惑星だった。だが、惑星クーには先住民がいた。文明も低ければ民度も低い種族で、調査のために着陸した偵察部隊を迎撃して全員殺害した。 当初は移住目的で調査していた惑星だったが、この出来事を切っ掛けに帝国政府の方向性が変わり、惑星クーへの侵略戦争が始まった。 先発隊や艦隊も次々に向かっていて、シュトローム号を旗艦とした将軍艦隊はしんがりであり、最も手強い都市を陥落させるための主戦力だ。
 これまでにも、ゲオルグは戦ってきた。それはいずれも旧国境付近の反抗勢力を制圧するための空爆で、今回のような大規模な 侵攻作戦に加わるのは初めてだ。やることは大差がないとはいえ、若干の躊躇いは起きる。同じ姿をしているが旧い文化にしがみついている 土着の民族とは違い、惑星クーの原住民は全く別の生き物だ。同族なら殺しても殺しても母星で生まれ続けるが、惑星クーの原住民は 殺し尽くしてしまったら死に絶えてしまう。それがなんとなく惜しいと思ったが、それだけで、そこから先の感情は湧いてこなかった。 兵士としてはそれが正しいのだろうが、人としてはどうだろうとも考えてみるが、状況に見合った感情が組み上がるまでの歯車が全て 欠けているゲオルグは考えるだけで終わり、感覚的に感じることは出来ず終いだった。機械が好きすぎて内向的だったが感情豊かだった 少年時代の記憶はあるが、覚えているというだけだ。どうやっても、感情の機微を認識出来ない。
 今までもそうだった。だから、これからもそうなのだろう。諦観にも至らない結論を抱きながら、ゲオルグは進行方向を見据えていた。 人工頭蓋骨と強化外骨格を貫く形で頭部前面に埋まっている単眼を通じて人工網膜に映った無数の星々が、前触れもなく奇妙に湾曲し、 数千万光年の時を超えて現在に至った光が途切れた。途端に緊急警戒警報が鳴り響き、脳に伝わるノイズが激しさを増してシュトローム号の 動きも慌ただしくなった。敵襲だ。

『空間転移反応確認! 距離九千五百! 所属及び敵機数不明! 総員、第一級戦闘配備に付け!』

 オペレーターの報告が脳内に響き、ゲオルグは応答した。

「ラーゲン・フィア、了解!」

 ゲオルグに続き、ラーゲン小隊のメンバーの応答もあった。ゲオルグは操縦桿を倒して両翼のスラスターを開き、水素エンジンの 回転数を上げて加速しながらフォースフィールドを展開し、超電磁防御壁を纏う。プラズマ弾を始めとした光学兵器に対しては正に鉄壁で、 質量に制限はあるが物質を弾けるので、撃墜された機体の破片でもらい事故を喰らう確率も減らせるという優れものの装備だった。 もっとも、エネルギーの消費速度が早すぎるので使用回数は制限されているが、接近戦に持ち込めばフォースフィールドに勝る武器はない。
 ラーゲン小隊は訓練で体に叩き込んだ編成で、シュトローム号を始めとした巨艦達の先頭に躍り出た。全砲門を開けば小惑星程度なら 軽く粉砕出来る大艦隊だが、重すぎて足が遅すぎるし、フォースフィールドの展開も時間が掛かる。船腹に潜り込まれて集中砲火を喰らえば、 たちまち堕とされる。ラーゲン小隊を始めとした戦闘機部隊は、主戦力を守るための囮でもあり犠牲だ。この戦いでも生き残れたら幸運だ、 と頭の隅で考えはするが、自分に対して悲壮感など覚えるはずもなく、ゲオルグは湾曲空間から姿を現した敵戦闘機のマーキングを見た。 帝国軍機よりも見るからに進化した形状の宇宙戦闘機には惑星クーの連合旗が印されていたので、即座に報告した。

「敵機、所属確認! 惑星クー!」

 驚いた、という認識はなかったが、意外には思った。惑星クーの住人達は、いずれも文化的とは言い難い生活をしていたからだ。 人力で田畑を耕し、電力を使わずに水力や風力で穀物を脱穀し、木や土で成した建築物で暮らしていたような種族が、なぜ、これほどの 軍事力と技術を持っているのだ。

『侵略者共に告ぐ!』

 誰とも付かない声の通信が、全ての回線に向けて放たれた。驚いたことに、アイデクセ帝国の共通言語だった。

『我らは惑星クーの国家連合軍である! 再三の警告を無視し、惑星クーへと侵攻するのであれば、相応の態度を取らせてもらおう!』

 湾曲空間を押し広げるように巨体を引き摺り出したのは、シュトローム号を超える規模の超巨大戦艦だった。

『我らはかつて、宇宙を放浪する民であった! 母星を旅立ち、数万年に渡って宇宙を巡り、ようやく見つけ出したのが、新たな故郷 である惑星クーだ! 今、ここで撤退するのであれば、即刻攻撃を中止し、今後一切の接触を断とうではないか! だが、撤退しないのならば、 この場で全機撃墜する!』

『こちらはアイデクセ帝国軍将軍、シュネー・トライベンである!』

 敵艦隊からの全回線通信に応え、シュトローム号から将軍が通信を行った。

『貴殿の要求は理解した! だが、承諾するつもりはない! そして、我らの行動は断じて侵略ではない! 国土拡大のために 不可欠な戦略である! 貴殿が我らを阻まず、国民の移住を受け入れるというのなら、そちらの要求を受け入れることを思慮しよう!』

『残念だ、交渉は決裂した! 全軍、攻撃開始!』

 敵艦隊から発せられた命令が帝国軍にも響き渡り、震えた。間を置かずして、敵戦闘機部隊の機首が一斉にシュトローム号に 据えられ、プラズマ弾が雨霰と放たれた。ゲオルグは操縦桿を切り、初弾命中は回避したが前方に配備されていた機体には命中し、 二三機が呆気なく爆砕した。

「馬鹿な」

 ノイズと悲鳴を散らしながら砕けていく味方の機体を見つめ、ゲオルグは鈍く呟いた。フォースフィールドを展開しているはずだ。 プラズマ弾など跳ね返せるはずだ。跳ね返せなくても、中和し、放電出来るはずなのに。その後も次々にプラズマ弾が命中し、 帝国軍の前衛は蹴散らされて墜ちていく。ゲオルグに向かって突っ込んできた一機もプラズマ弾を散らしていたが、その輝きは 通常のプラズマ弾とはどこか違っていた。その疑問を追求する暇もなく、ゲオルグは急降下して弾幕を回避し、縦に急旋回しながら プラズマ弾を撒き散らして敵機に注いだ。しかし、敵もまたフォースフィールドを装備しているらしく、命中した部分でプラズマ弾が 弾け飛んで単なる電流と化してしまった。
 疑問を残したまま、ゲオルグは敵機を堕とすべく奮闘した。戦闘機部隊を突破されてシュトローム号の懐に入られてしまっては、 為す術がない。敵は正体不明の兵器を使うが、情報収集している暇はない。ゲオルグはシュトローム号の管制室に敵機の主要兵器に ついての情報を伝えるが、どこまで事実が伝わったのかは解らない。
 敵機は青い光の軌跡を引きながら、一機たりとも遅れることなく迫ってくる。余程優れた隊長が指揮を執っているのか、それとも 敵戦闘機部隊は一人の輩が全て操っているのか、そのどちらかだろう。後者だとしたら、恐ろしいまでの情報処理能力と演算能力を 持っていなければ出来ない芸当だ。プラズマ弾の域を超えた破壊力を有した主要兵器もさることながら、底知れない科学力を秘めている。
 感覚として認識出来なくても恐れが胸を過ぎったのか、僅かに思考が停止した。キャノピーの前面に迫った青白い閃光で思考力を 取り戻したが、操縦桿を動かしたタイミングがほんの一瞬遅かった。左翼と尾翼に敵弾が貫通し、キャノピーの後部に亀裂が走った。 左翼の水素エンジンも破損したらしく、出力がみるみるうちに低下していく。機首を上げて反撃に転じようとするが、姿勢すら戻らない。 ダメ押しに右翼にも敵弾が掠め、機体が回転した。
 加速の圧が、上下左右から襲い掛かってくる。内臓が掻き混ぜられ、視界が回り、体液という体液が出てしまいそうになる。 ゲオルグはなんとか姿勢を戻そうと操縦桿を立てようとするが、何度動かそうとも言うことを聞かず、回転は加速する一方だった。 このままではシュトローム号に激突し、爆砕する。ゲオルグは姿勢制御用スラスターの点火スイッチを乱暴に押すが、やはり作動せず、 それどころか点火スイッチのパネルが壊れてしまった。
 都市の夜景を思わせる明かりが灯る宇宙戦艦の外壁が襲い掛かってくる。自動制御されているプラズマ砲座がゲオルグの機体に 気付き、ぐるんと砲口を上げたが、放たれる前に敵戦闘機の掃射を受けて爆砕した。その攻撃を皮切りに、敵戦闘機部隊はシュトローム号を 舐めるように至近距離の飛行を始め、砲座だけでなく外壁にも掃射した。やはり全てのプラズマ弾がフォースフィールドだけでなく 外壁も貫通し、破損部分から電流と炎が噴出した。
 炎の範囲は広がり、損傷部分は拡大し、帝国の絶大な権力と軍事力を如実に示すために十数年の歳月を掛けて造り上げられた 宇宙戦艦は崩壊を始め、爆発が起きるたびに吹き飛んだ破片が無数に飛び散って敵の攻撃以上の弾幕になっていた。ゲオルグは最早 それを避けられるはずもなく、硬く尖ったセラミックの礫の雨に曝され、派手に損傷した機体は原型を失いつつあった。一際大きな破片が 尾翼を貫いた直後、再び回転が訪れた。今度は先程とは違って横に大きく回転した末、戦闘宙域から逸れていった。

「メーデー、メーデー。こちらラーゲン・フィア、救援を請う」

 事態を打開出来るとは思えないが、ゲオルグは無線に呼び掛けた。だが、応答はなかった。その代わりに悲鳴が聞こえ、 シュトローム号の管制室とメインブリッジがまとめて吹き飛ばされた。

「降伏するか、いや」

 死に物狂いで抵抗する方が兵士らしい。ゲオルグはそう考え、生きている武装がないかと調べようとした。

「うぐっ!?」

 すると、過電流が脳内の珪素回路を駆け抜け、鋭い衝撃が走った。

「なんだ、今のは」

 生身と機械の脳の損傷を避けるためにゲオルグは側頭部からケーブルを抜き、操作を続けようとしたが、機体が姿勢を変えた。 回転は止まったが、今度は加速が始まった。死んでいたはずの水素エンジンが最後の灯火を絞り出すように青い炎を吹き出し、 機体をどこかに押し出している。進行方向の障害物を調べようと顔を上げたが、レーダーを見るまでもなかった。目前には青い海と 地表が広がる惑星が浮かんでいたからだ。星図と照らし合わせる暇もなく、機体は名も知らぬ惑星の重力に引かれて墜ちていった。
 大気との摩擦を浴びた機体は激しい振動と猛烈な熱を帯び、崩壊する一歩手前の状態ではあったが、ゲオルグは至って 冷静だった。宇宙服を兼ねた装甲服であるセラミックアーマーを耐火設定に切り替え、冷却剤と消炎剤を混合したボンベを背負い、 緊急脱出レバーに手を掛けたまま、荒々しい旅路を味わっていた。
 墜落予測地点には、都市が見えていた。







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