純情戦士ミラキュルン




第十四話 忌まわしき因縁! ナイトメアVSマッハマン!



 悪の秘密結社ジャールにも残業はある。
 普段は、ヴェアヴォルフと正社員四天王はいずれも仕事の量をきちんと調節するので滅多に発生しない。 あるとすれば、余程の大事が起きた時だ。内藤芽依子は重箱を抱えて一人夜道を歩き、ジャールへと向かった。 市街地に入ると住宅街ではまばらだった街灯が増え、暗闇に強い目には若干痛いほどの光量が溢れ返っていた。 騒がしい駅前を過ぎ、仕事帰りのサラリーマンが行き交う歓楽街に入ると悪の秘密結社ジャール本社ビルが見えた。
 狭い階段を上った芽依子は社名入りスチールドアをノックすると、取締役の疲弊した声で、どうぞ、と返ってきた。 挨拶をしながらドアを開けた芽依子が目にしたのは、いつになく疲れ果てている正社員四天王と暗黒総統だった。 芽依子は夕食が入った重箱を応接セットのテーブルに置き、それぞれの机で項垂れる五人を見渡した。

「いかがなさいましたか、皆様」

「まあ、色々とな」

 軍服を脱いでいるヴェアヴォルフは襟元を開き、珍しくネクタイも緩めていた。

「なんでこうなっちまったんだろう……」

「全くですな、若旦那。確かに鋭太坊っちゃまも怪人には違いないのですが、その、なんとも申し上げにくいこと ではありますが、諸々の素養がございません」

 レピデュルスが嘆くと、パンツァーがぎいぎいと首を捻った。

「大体、坊っちゃまは若すぎんだよ。十七だぜ、十七。でもって、やることなすこと適当なんだよなぁ」

「坊っちゃまは、絶対に参謀の意味を解っておられませんでさぁ」

 ファルコは椅子にへたり込み、両翼をだらしなく下げていた。

「鋭太坊っちゃまが世界征服に目覚めたことは、とおっても喜ばしいんだけどぉ、ねぇ……」

 アラーニャは足先で口元を押さえ、ほうっとため息を零した。

「事の次第は理解出来たのでございます」

 芽依子は体の前で手を重ね、淡々と述べた。

「つまり、大神家のみそっかすであり出来損ないの代表格でありテンプレート通りのチャラ男である鋭太坊っちゃまが、 若旦那様方に無茶な申し出を仰ったのですね?」

「事実だけど、そこまで言わなくても」

 俺も若干心が痛い、とヴェアヴォルフが口元を歪めると、レピデュルスが椅子を回して芽依子に向き直った。

「一時間程前、鋭太坊っちゃまが突如として本社にいらっしゃったのだ。若旦那に御用があるのかと思ったのだが、 違うと仰ったのでお尋ねしたところ、鋭太坊っちゃまは我が社に入りたいと申されたのだ。だが、ただの怪人として入社 するのではなく、幹部として雇えと……」

「だが、その幹部の役職っつうのがまたいい加減でよぉ。参謀だぜ、参謀」

 パンツァーは分厚い指で潰れたソフトケースからタバコを引き抜くと、自前の着火装置で火を灯した。

「鋭太坊っちゃまが参謀なんつう言葉を知っていたのが意外だが、まあ、大方漫画かなんかだろうなぁ」

「それ以前に、俺らに参謀なんていりやすかねぇ?」

 自身のタバコを引き抜いて銜えたファルコは、パンツァーの着火装置を借りて火を灯し、蒸かした。

「作戦を立てるにしても、俺ら四天王と若旦那で充分でさぁ。そりゃ、新しい観点で立案された作戦っちゅうのは会社全体の 刺激にもなるんでしょうが、その中身がいい加減じゃあどうしようもありやせんぜ。ミラキュルンを追い詰めるどころか、 逆にやられちまいまさぁ」

「でもぉ、あんなに一生懸命な鋭太坊っちゃまを見たのは久し振りだしぃ、無下にしちゃうと悪い気がするのよぉ」

 アラーニャはすっかり冷めた緑茶を傾け、飲み干した。

「いくら怪人としての力がないって言ってもぉ、やっぱり鋭太坊っちゃまも怪人なのねぇ。血は争えないわぁ」

「芽依子さん、夕飯の出前、ありがとう。重箱は明日洗って帰すよ」

 ヴェアヴォルフが礼を述べると、芽依子は僅かに目を細めた。

「御心遣いに感謝いたします。ですが、重箱は私めが回収しますので御心配なきよう」

「忙しいだろうに悪いな」

「若旦那様の忙しさに比べれば、私めの忙しさなど昼下がりの縁側で惰眠を貪る飼いネコの如くにございます」

 芽依子は膝を曲げて一礼し、ドアに手を掛けようとしたところでレピデュルスに呼び止められた。

「芽依子よ」

「なんでございましょうか」

 ノブに掛けた手を外して振り返った芽依子に、レピデュルスは表情の窺いづらい複眼を向けた。

「私達に報告すべき事実はないのかね?」

「いえ、何も」

 失礼いたします、と再度礼をした芽依子は、冷房で冷え切ったドアノブを回して薄暗い階段の踊り場に出た。 タバコ臭いが過ごしやすかった社内の空気とは一変して蒸し暑くなり、メイド服の下の肌からは汗が浮き出した。 砂埃の付いた蛍光灯には羽虫やガなどが集まり、方向感覚を失っているために衝突してかちかちと鳴っていた。
 話すことなど何もない。メイド服の裾を踏まないように軽く持ち上げて階段を下りながら、芽依子は自戒した。 話したいことがあったとしても、話さなくてもいい。話したところで、その問題が根本から解決されるわけではない。 それに、余計な心配や迷惑を掛けるぐらいなら、自分の内側だけで押し込めて生きていた方が余程気が楽だ。
 芽依子は怪人だが怪人ではなく、人間だが人間ではないが、怪人として生きることに開き直れなかった。 しかし、人間として生きるだけでは物足りない。その狭間でぐらついている気持ちを、いつまでも引き摺っている。 怪人なのだから諦めろ、とは思うが、人間なのだから許される、とも思う。しかし、どちらでもないからダメだ、とも。
 望むべきは安定であり、安定こそが幸せだと信じている。だから、大神剣司に娶られたいと願い行動に出た。 若さ故に迷いがちな面はあるものの、基本的に真面目で優しく、酒もタバコも嗜む程度で賭け事は一切しない。 所有する土地のおかげで一定収入もあり、会社経営も彼なりに頑張っているし、結婚すれば大事にされるだろう。 それなのに、もう一歩が踏み出せずにいる。先日、強引な理由を付けて大神のアパートを訪ねた時もそうだった。 あのまま押し倒して既成事実でも作れば陥落出来たのに、幸せになれたはずなのに、最後の最後で躊躇った。
 恋をしているからだ。




 冷蔵庫を開けると、タッパーが待ち構えていた。
 一昨日の分がまだあるというのに、また新たなタッパーが増えていた。その中身は蓋を開けなくても解る。 昨日買い足したばかりの牛乳を持ってみると三分の二は使われており、夕食を作る際に使った砂糖も減っていた。 そして、プラスチックゴミのゴミ箱には粉ゼラチンの袋が入っている。速人は冷蔵庫を閉め、リビングを見やった。 リビングのソファーで寛いでいる妹、美花は、白い物体が大量に載った器を膝に抱えていて黙々と消費していた。 大型プラズマテレビでは一昨日速人がレンタルビデオ屋で借りてきたSF映画が映され、美花は見入っていた。 速人が好きな映画を気に入ってくれたのは嬉しいが、昨日からずっと美花は白いゼリー状の物体を処理している。 シンクの傍の洗いカゴには使用済みタッパーが伏せて置いてあったのだが、また新しく作ったので埋まったらしい。

「なあ」

 速人が声を掛けると、美花は振り向いた。

「何、お兄ちゃん?」

「お前、どれだけ杏仁豆腐を作ったんだよ?」

 速人が呆れると、美花はスプーンに掬った杏仁豆腐を口に入れた。

「……納得出来るまで」

「上手くいかないんだったら、俺に聞けよ。お前が見落としてる部分を見咎めてやるから」

「自分でやりたかったんだもん。作り方だってちゃんと調べたんだから」

「にしたって、作りすぎだ。食べ物を無駄にするな」

「無駄にしたくないから、一生懸命食べてるんじゃない」

「お前のペースだと、喰い終わる前に腐っちまう」

「じゃあ、お兄ちゃんも食べればいいじゃない」

「飽きるから嫌だ」

 速人は毒突いたが、食べなければ勿体ないのは事実だったので、また冷蔵庫を開けた。

「全くどうしようもねぇな……」

 食器棚から小鉢を取り出した速人は、一昨日作られた杏仁豆腐のタッパーを開いてたっぷりと掬い取った。 だが、手応えが妙だった。杏仁豆腐ならもう少し粘りけがありそうなものだが、クリーム状のものが掬い取れた。 試しに一口食べてみると、やけに水っぽかった。おまけに味が薄い。速人が口元を歪めると、美花が苦笑した。

「あ、それね、一番緩かったやつ。ゼラチンを溶かす時、お湯の量が多すぎたみたいで」

「だったら砂糖を足せ」

「昨日、それをやったらジャリジャリしちゃって……」

「どの段階で足したんだよ」

「えーっと、加熱し過ぎちゃまずいかなって思ったから、火から下ろした後に」

「余熱なんかで砂糖が溶けるかよ」

「え、でも、コーヒーとか紅茶の砂糖は独りでに溶けるじゃない」

「ただの液体と粘度の高い液体を一緒にするな」

「えー……?」

 美花は理解しがたいらしく、首をかしげた。

「味を足さなきゃ喰えたもんじゃないな」

 速人は失敗作の杏仁豆腐を小鉢に山盛りにすると、冷蔵庫から黒蜜のボトルを出して掛けた。

「これでちったぁマシになるだろ」

 速人は失敗作がまだ大量に残っているタッパーと黒蜜を冷蔵庫に戻し、リビングに入った。

「しかし、なんでまたあんな量の杏仁豆腐を作ったんだ」

「今日、ジャールの人達に杏仁豆腐を差し入れしたの。一昨日のは練習で、昨日のが本番で、今日のが復習。 一応喜んでもらえたけど、気を遣われちゃった。あんまりおいしくなかったみたいで」

「そりゃそうだろ。お前みたいな要領の悪いのが作ったもんなんだ、喰えはするが旨くはない」

 速人が隣に座ると、美花は眉を下げた。

「うん。ヴェアヴォルフさんからもそう言われちゃった」

「正直な男だな」

 速人は甘みを足したおかげで多少はまともになった杏仁豆腐を掬い、食べた。

「それで、ちょっと思ったの」

 美花は映画を見つめ、杏仁豆腐を食べる手を止めた。

「私の取り柄は、取り柄にならないなぁって」

「まあ、そうだろうな」

「あ、ひどい。そこは否定してよ」

「お前が自覚するのが遅すぎたんだ、俺はとっくの昔に認識してんだよ」

「う……」

 美花は少し言葉に詰まったが、気を取り直して続けた。

「成績だって真面目に授業受けているから普通だけど上位に入るわけでもないし、ヒーロー体質のくせに スポーツはどれも苦手だし、最近はやっとまともになったけど人付き合いも苦手だし、ヒーロー活動にしたって 今一つ冴えないし。だから、料理ぐらいは、って思ったんだけど、やっぱりダメだね」

「魔法少女アニメの第一話冒頭みたいな告白だな」

「そこで話の腰を折らないでよ。自分でもちょっとそれっぽいって思っちゃったけど」

 美花がむっとすると、速人は黒蜜掛け杏仁豆腐を食べてから返した。

「この世の中は、平凡な人間を求めてやまないんだ。だから、いっそのこと平凡さを貫いたらどうだ」

「でも、私、ヒーローだし」

「俺もヒーローだ。だが、俺がヒーロー活動中に出来たことと言えば、悪の組織を一つ潰したぐらいで世間をひっくり返した わけでもない。だが、俺はそれで充分満足している。その程度に止めておけば普通ってもんが認識出来るし、世間に 馴染みやすいからな」

「でも、お兄ちゃんは私よりもずっと強いよ。そりゃ、パワーと持久力は私の方があるけど、総合的な戦闘能力じゃ 到底敵わないもん」

「数字の上じゃな。だが、俺は弱いんだ」

 杏仁豆腐を食べ終えた速人は、スプーンを入れた器をテーブルに置いた。

「だから、俺はヒーローを辞めたんだ」

「そういえば、なんで? 一度も理由を聞いたことはなかったけど」

 美花に尋ねられ、速人は少し迷ったが答えた。

「突き詰めて考えれば、俺達も怪人みたいなもんだからだよ」

「あ、うん。それはちょっと思ったことがある」

「怪人だから世界征服を企む。ヒーローだから怪人を倒す。どっちにも動機らしい動機が見当たらないのに、相手が そういうものってだけで戦いが始まる。特にヒーローってのは、家族とか友人とか恋人とか仲間とか、在り来たりだけど具体的な 動機もないくせに悪の組織に乗り込んで怪人を叩き潰す。うちなんてその極みだ。両親はアメコミ臭い強さだから殺しても 死なないだろうし、美花だってへっぽこだがヒーローだからまあ死なないだろうし、親戚も大体がヒーローだから死なないだろうし、 友達にしたって人外が多いから打たれ強い。社会は俺達が思っているよりも頑強だし、色々と引っ掛かるところはあるが政府も 機能しているし、この国には戦争の危機もないわけじゃないけど起きてはいないし、世界情勢も不安だらけだけど均衡を保っている。 常識で考えれば小規模な悪の組織に世界征服が出来るわけがないし、大抵の組織は良識を弁えているから一般市民に被害を もたらさないし、現実にあくどいのは怪人よりも人間だ。一度そんなことを考えたら、ドツボに填っちまってさ」

「うん。守るものがないヒーローって、意味が解らないよね」

「だろ? 本末転倒という以前に、俺にはその本末がないんだよ」

「だから、辞めたの?」

「それ以外にもあるんだが、動機の大部分はその無力感だ」

「複雑だね」

「で、なんで美花は、今になって取り柄がないことを自覚したんだ?」

「まあ、色々と」

 美花は残り少なくなった杏仁豆腐を掬い、口に入れた。

「でも、やっぱり、私にはヒーローしかないみたい。だから、頑張るよ」

「部活動みたいな言い方だな」

「遠くないと思うけど」

「近くもねぇだろ」

 速人は空になった器を持ってキッチンに戻り、手早く洗ってから、美花の後ろを通り過ぎた。

「腹ごなししてくる」

 掃き出し窓の前に立った速人は、右手の拳を突き上げて叫んだ。

「変身!」

 右手の甲から放たれた青い光に包まれ、弾けると、マッハマンが出来上がった。

「音速戦士マッハマン、疾風を切り裂き、ただいま見参!」

 と、最後までポーズを決めてしまった自分に恥じ入りながら、マッハマンは窓を開けて夜空に飛び込んだ。 美花の見送りの声が聞こえたが、胸部装甲と連結している背部のジェットブースターの爆音で掻き消された。 バトルスーツに包まれた体では夜気の冷たさも風圧の痛さも解らないが、超感覚のおかげで夜空は良く見える。
 子供の頃は、空を飛ぶことだけしか考えていなかった。空を飛べるから、自分は凄いヒーローだと思った。 だが、世間には空を飛べるヒーローなど掃いて捨てるほど存在し、マッハマンの最高速度は史上最速ではない。 両親や妹は凄いと褒めてくれたが、世間の広さを知ると褒められても喜ぶ気が起きず、自分を誇る気が失せた。 悪の組織と敵対して戦えば少しは自信が付くと思ったが、そうではなく、戦えば戦うほど空しくなっただけだった。
 ヒーローのくせに、誰も救えず、守れない。今日、地球を救った神聖騎士セイントセイバーは、戦闘のセンスは 鈍いが実力はある。だが、マッハマンには出来ないだろう。巨大隕石を破壊出来たとしても、心から地球を守りたいと 思えないからだ。ヒーローに必要なのは力でもなければ必殺技でもなければ巨大ロボでもなく、確固たる正義だ。
 だが、マッハマンにはそれがない。





 


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