純情戦士ミラキュルン




第十四話 忌まわしき因縁! ナイトメアVSマッハマン!



 虫の囁きと木々のざわめきが、いやに耳障りだった。
 照明もなく、月明かりも薄く、街の光に紛れて星々も見えない鉄塔の上は、相手の顔が見えづらいほどの暗闇だ。 だが、バトルマスクで超感覚を備えたマッハマンと、コウモリ怪人なので闇を見通せるナイトメアには無意味だった。 だから、マッハマンは気まずげなナイトメアを凝視し、ナイトメアは視線を彷徨わせつつマッハマンを見上げていた。 二人は五分以上黙り込んでいたが、互いにどうやって話を切り出せばいいのか解らず、言葉を選び続けていた。 マッハマンはナイトメアに聞きたいことは山ほどあり、問い質したかったが、無言で逃げるべきかとも思っていた。

「……ぁ」

 ナイトメアが風音に紛れるほど小さく声を漏らすと、マッハマンは鉄骨に座り直し、呟いた。

「とりあえず聞くけど、俺の後輩に怪人なんていたか?」

「今時、いない方が珍しいと思、いますが」

 声色を落としたナイトメアが口調を改めると、マッハマンは後頭部を押さえた。

「最初から知ってたのか?」

「はい。私めはコウモリ怪人でございますから、耳の感度が優れております。ですので、存じ上げている方で あればどのような姿に変身しようと声で判別出来るのでございます」

「で、その……」

 マッハマンはナイトメアを窺い、若干躊躇った後に尋ねた。

「お前、誰だ?」

「う……」

 ナイトメアは落胆を滲ませたが、気を取り直した。

「覚えておられないのですか? 確かに、私めは影が薄うございましたが」

「悪い。本当に思い出せない。俺は記憶力は悪い方じゃないんだが、お前のことは全く記憶にない」

「予想はしておりましたが、そんなに強く明言されてしまいますと心が抉られるのでございます」

 切なげに項垂れるナイトメアに、マッハマンは罪悪感が湧いてきたが思い出せないことに変わりなかった。 中学高校時代に交流のあった後輩を一通り思い出したが、親しい後輩にはナイトメアのような怪人はいなかった。 両親が世界最強クラスのヒーローなので、間違って叩きのめされたら大変だ、と思って関わらなかったのも一因だが。 ナイトメアの落ち込みようが悲哀を誘うほど陰鬱だったので、マッハマンは記憶を掘り起こして懸命に思い出した。
 中学高校時代の後輩。交流はあっただろうけど、記憶に止めるほどではなかった後輩。慕ってくれていた後輩。 部活動や委員会や仲間内で顔を合わせていた後輩達を思い起こしてみるが、どのほとんどが男子生徒だった。 仲の良い女子がいただろうか、とマッハマンは頭を抱えるほど深く考え込み、やっとのことで彼女を思い出した。

「ああ、そうだ!」

 頭から手を外したマッハマンは、膝を打った。

「内藤だ! そうか、お前、内藤芽依子だな!」

「思い出すのが遅うございます。口調まで変えたのに感付かれないとは、野々宮先輩も相当な天然にございます」

「度々悪い。だが、内藤は人間じゃなかったのか? あ、そうか、人間体に変身出来るのか」

「ヒーローであられますのに、その鈍さは致命的な欠点でございます」

「仕方ないだろう。根暗女子の典型みたいな内藤と本格派メイドの内藤も結び付かなかったってのに、怪人の ナイトメアと後輩の内藤芽依子がイコールだと認識出来るわけがねぇよ」

 と、そこまで言って、マッハマンは気付いた。

「お前、怪人名と本名がそのままなんだな。ないとうめいこ、ないとめい、ナイトメア、だろ?」

「そうでございます。怪人名が大前提で付けられた名前にございます」

「そりゃ実家が嫌になるな」

 彼女の名の由来に、マッハマンは心底同情した。ヒーローの目から見ても、それはひどすぎる。

「私めはこれにて帰らせて頂きます。先輩とまともにお話し出来る機会はそうそうございませんから、私めの秘めたる 気持ちを伝えたいと思っていたのに、このような空気では言えるものも言えないのでございます」

 ナイトメアは立ち上がって翼を広げたが、名残惜しげにマッハマンに振り向いた。

「なんだよ」

 帰るならさっさと帰ってくれ、との心境を隠そうともしないマッハマンに、ナイトメアは眉間を顰めた。

「引き留めないのでございますか。というか、この状況ではそれが普通の流れにございます」

「知らねぇよ! ていうか勝手にストーリーが出来上がった前提で話してんじゃねぇ!」

 マッハマンが腰を浮かせると、ナイトメアは振り返った。

「真夜中の山中、二人きり、そして年若い男女同士。普段は何とも思っていない相手であろうともほんの少しは 意識するシチュエーションではございませんか。女一人で夜道を歩かせても良心が痛まないのでございますか、ヒーローで あらせられますのに」

「俺のストライクゾーンは狭いんだよ! 先に言っておくが、メイドには欠片もそそられないからな! それにお前は 空が飛べるから夜道は歩く必要はねぇし、襲われたところで逆にやり返すだろうが! 怪人なんだから!」

「暗闇での急接近は、若旦那様には通用したのでございますが」

「そりゃお前んちの若旦那が変態だからだ。もしくは怪人だからだ」

「よくお解りで」

「解りたくもねぇよ」

 と、毒突いてから、マッハマンは新たな事実に気付いた。

「あれ? 若旦那ってあれだろ、大神家の若旦那だろ? 大神家は大神鋭太の実家で、この辺一帯の土地を所有してる 土地成金で、内藤が言い寄った相手で、確か人材派遣会社の取締役で、その若社長は怪人で……」

 今までの情報を整理したマッハマンは、ナイトメアに顔を向けた。

「てことは、もしかして、大神家の若旦那が経営している会社ってのは」

「悪の秘密結社ジャールにございます。ちなみに、若旦那様の御名前は大神剣司と申されます」

「ああ、そういうことか。だったら色々と納得出来る」

「具体的には何をどう納得したのでございますか」

「お前が俺にアレした理由だ。つまりはあれだろ、お前は悪の秘密結社の若旦那に言い寄ったはいいけど、怪人が 相手だと嫌だから生物学上は人間の俺に迫ったわけだろ?」

「そのようなことはございません。若旦那様は少々頼りないところはございますが先輩の数倍は優しい御方でございますし、 オオカミ怪人ですからモフモフしていて触り心地は最高でございますし、御実家を継がれているので資産も充分にありますし、 結婚すれば玉の輿に違いありません」

「じゃあ、なんで俺なんだよ」

「え、っと……」

 ナイトメアは急に勢いを失い、気恥ずかしげに俯いた。

「野々宮先輩は私めのヒーローだからでございます。高校に通っていた時からそう思っていたのですが、私が心から憎悪する 実家も家業も破壊してくれましたので、心を動かされるのは無理からぬことでございます」

「怪人がヒーローに憧れたらおかしいだろうが」

「乱暴ですが的確な指摘にございます」

 心なしか嬉しそうなナイトメアに、マッハマンは調子が狂ってきた。

「なんでこうなっちまうんだよ……」

 変身して外に出たのは腹ごなしを兼ねた気分転換だから、三十分もしないで帰宅するつもりだった。遠距離から 攻撃を仕掛けようとするナイトメアを見つけたから、攻撃される前に話を付けようと思って接近した。場合によっては 倒してしまおう、と思っていたが、告白されかけた上に正体までばらされてしまっては殴りづらい。コウモリ怪人ナイトメア、 だったら殴っても心が痛まないが、後輩の内藤芽依子、ではさすがに殴れるわけがない。

「……帰る」

 どっと疲れマッハマンがゆらりと浮かび上がると、ナイトメアも立ち上がった。

「でしたら、私も途中まで御一緒に」

「来るなよ。それとも何だ、俺んちの住所をジャールの若旦那に教えて潰させる気か」

「そのようなことはございません。ただ、夜の闇に紛れて見つめていたいと思っている程度でございます」

「余計に悪いじゃねぇか!」

 マッハマンはアフターバーナーから青い炎を噴出してエンジンを温めながら、ナイトメアを指した。

「いくら好きになられても、俺は絶対に靡かないからな! たとえ世界が滅んでも怪人とだけは付き合わねぇ!」

「では、人間体でしたら」

「そういう意味じゃねぇよ! 人間体になろうが怪人は怪人だ!」

 マッハマンは胸部装甲に染み入る機械熱とエンジンの振動を感じ取りながら、ナイトメアに背を向けた。

「それと、最後に聞いておく。メイドと怪人、どっちが素の内藤なんだ?」

「どちらも素の私めではございません。それらしく生きるために、それらしく振る舞っているだけにございます」

「ああ、だったらまだ正常だな」

 マッハマンは半笑いで返してから、彼女に追い付かれないよう、初速で出せるだけの速度を出して加速した。 状況が二転三転したばかりか、厄介なことが増えた。もちろん、最も厄介なことはナイトメアこと内藤芽依子だ。 メイドの時は堅苦しいが優秀なメイドで、後輩でしかなかった時は根暗で大人しい性格という印象しかなかった。 だから、まさかこれほど積極的に迫られるとは思っていなかった。ここまで凄まじいと、恐怖すら抱きそうになる。
 けれど、少しだけ嬉しいと思っていた。三年半前の戦いは、無駄ではなかったのだと知ることが出来たからだ。 誰も救えず、救われる必要もなく、単純に暴力を振り翳しただけで終わった戦いでも、芽依子は救われていた。 ヒーローではあるが本当の意味のヒーローにはなれないと思っていたが、彼女の中ではヒーローになれていた。 今だけは、芽依子を怪人ではなく哀れな身の上の後輩だと思おう。そうすれば、胸中の空しさが埋まってくれる。
 自分はヒーローなのだと実感出来る。




 翌日。先述通り、芽依子は重箱を回収に来た。
 コンビニのシフトが休みなので朝から本社にいたヴェアヴォルフは彼女を出迎えたが、少し違和感を感じた。 芽依子の外見はいつものメイド服姿で、畏まりすぎて時代掛かっている口調も変わらなかったが、何かが違う。 雰囲気というか、表情がどことなく柔らかく見える。目元の鋭さも口元の引き締め方も変わらないはずなのに。 何かいいことでもあったのだろうか、と考えながら、ヴェアヴォルフは給湯室の洗いカゴから重箱を持ってきた。

「昨日はありがとう、芽依子さん。おいしかったよ」

「勿体のう御言葉にございます」

 重箱を受け取った芽依子は、昨日と同じ風呂敷で重箱を丁寧に包んだ。

「重箱を洗って頂き、ありがとうございました。これで一手間省けたのでございます」

「いや、洗ったのは俺じゃなくてアラーニャだよ」

「そうであろうとも、ありがたいことには変わりないのでございます」

「それで」

 ヴェアヴォルフは腰を曲げ、芽依子と視線を合わせた。

「何かいいことでもあったのか?」

「そう見えますでしょうか」

「見える見える。見えるから、訊いたんじゃないか」

 ヴェアヴォルフが少し笑うと、自席で仕事に取り掛かっていたレピデュルスが振り向いた。

「うむ。私もそのように思うがな」

「そうでございましょうか」

 二人の反応を訝しんだ芽依子は、壁に掛けられた社名の入った鏡を窺ったが、顔の緩みは解らなかった。 というより、解らないようにしているはずだ。メイド服を着た後はどこまでもメイドらしく振る舞うことに尽力している。 表情も言葉も硬くさせ、あくまでも使用人の域を超えない立ち振る舞いに努めているから、表に出るわけがない。 それに、昨夜の出来事は芽依子には喜ばしいことだが、マッハマン、もとい、野々宮速人にしてみれば災難だ。 だから久々に会えて話し込めたことを喜ぶのは止そう、と思っているにも関わらず、途方もなく嬉しくなってしまう。
 そんな思いを抱えた芽依子は、ヴェアヴォルフを見やった。やはり、その嬉しさは彼に対しては感じない。 むしろ、顔を合わせると安堵感を感じる。成長したヴェアヴォルフは祖父のヴォルフガングに似ているからだろう。 結婚すれば幸せになるだろうが、恋を出来る相手ではない。家族であり、兄だとしか思えないからだ。

「若旦那様」

 重箱の包みを置いた芽依子は、ヴェアヴォルフの前で片膝を付いた。

「この度は大変御迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳なく思います」

「へえ、何を?」

 と、言いつつヴェアヴォルフがレピデュルスに目を向けると、レピデュルスは僅かに顔を逸らしていた。

「私めは使用人の分際でありながら、若旦那様に関係を迫りました。ですが、それは全て四天王の皆様が謀られた 作戦であり、私めは成功報酬と平穏を約束された人生を得られるならば、と思い、請け負ったのでございます」

 顔を上げた芽依子は、胸に手を当てた。

「当初は半分本気でございましたが、やはり己の心ばかりは偽れません。ですので、こうして事の次第を説明させて 頂いたのでございます。若旦那様、私めはあなたをお慕いする心には一欠片も偽りはございませんが、生涯の伴侶に 相応しい愛情を抱くことは出来ないのでございます。なぜなら私めには、思い人がいるからでございます」

「なるほどなぁ」

 ヴェアヴォルフは芽依子の話を聞き終えてから、レピデュルスに振り向いた。

「道理で話が急だと思ったよ。そうか、あれはお前達の作戦だったのか」

「……申し訳ございません、若旦那」

 気まずげなレピデュルスが細長い口を下げると、ヴェアヴォルフは腕を組んだ。

「細かい事情は後でじっくり説明してもらうとして、その芽依子さんが好きな人ってのは誰なんだ?」

「若旦那様も存じている方でございます」

 立ち上がり、スカートを払った芽依子は、淡く頬を染めて恥じらった。

「音速戦士マッハマンにございます」

「……え?」

「……なんということだ」

 唖然としたヴェアヴォルフに続き、レピデュルスが嘆いた。

「たとえ御許しを頂けなくとも、このナイトメア、愛の力でマッハマンを骨の髄まで溶かしてご覧にいれましょう」

 口元を緩めて牙を覗かせた芽依子に、ヴェアヴォルフは力なく呟いた。

「芽依子さんが誰を好きになろうと構わないけど、そうか、マッハマンかぁ……」

 音速戦士マッハマン。それは、純情戦士ミラキュルンが現れる以前にこの近隣で活躍していたヒーローだ。 その名の通り加速能力に秀でたヒーローで、並の怪人ではマッハマンに追いつけるどころか一瞬で戦いが終わる。 たとえ目で追えたとしても、攻撃を当てられない。既に引退しているので戦ったことはないが、難敵には違いない。 ミラキュルンだけでも手一杯なのに、芽依子がマッハマンに手を出したせいで戦ってしまうことになるかもしれない。 それに、マッハマンは以前に悪の組織である邪眼教団ミッドナイトを壊滅させている。もしや二の舞になるのでは。
 それは困るなぁ、でも俺も似たようなものだし、止めたいけど止められないなぁ、とヴェアヴォルフは思い悩んだ。 そうこうしているうちに、無表情を装っているが浮かれている芽依子は空の重箱を抱えて大神邸に帰ってしまった。 ヴェアヴォルフは己の立場と会社の存亡と正義と悪の戦いについて考え込みつつ、一番奥の自分の机に戻った。 だが、机には、目下直面している困難が待ち構えていた。実弟、大神鋭太の字の下手な履歴書と契約書である。
 どうにかしなければならないことは多すぎるが、一番どうにかしなければならないのは鋭太の一件だ。 社会勉強だ、と入社させるのは容易いが、入社させたところで就労経験のない鋭太がまともに働くとは思えない。 しかし、弟の意思を尊重しないのは実兄としてどうかと思う。だが、経営者としては受け入れがたい人材だった。 芽依子の茨の恋路が些事に思えるほど悩みに悩んだヴェアヴォルフは、印鑑を取り出すと契約書に捺印した。
 その瞬間、暗黒参謀ツヴァイヴォルフが誕生した。





 


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