純情戦士ミラキュルン




第十五話 悪逆非道! 暗黒参謀ツヴァイヴォルフ!



 途中でそれぞれの昼食を買った後、悪の秘密結社ジャールを訪れた。
 ツヴァイヴォルフが先に入ると、案の定アラーニャが自分の机に座っていて経理の仕事を捌いていた。 社員の給料日が近付いているからだろう、いつもよりも忙しいらしくタイピングする六本の足の動きも早めだった。 アラーニャは二人に気付くと、集計中の画面を上書き保存してから立ち上がり、ぐんと体を伸ばして胸を反らした。 そして、上半身から生えた六本足を全て伸ばして凝りを解してから、八つの目を瞬かせつつ二人に歩み寄った。

「あらぁん、坊っちゃま、いらっしゃあい」

 アラーニャはツヴァイヴォルフの影に隠れている美花を見下ろし、首を傾げた。

「あらぁん、この可愛らしい子はどこのどなたぁ?」

「人質みてーな?」

 ツヴァイヴォルフが美花を指すと、アラーニャは身をくねらせた。

「なぁに、坊っちゃまの作戦? だけどぉ、今日は土曜日じゃないからぁ、ミラキュルンちゃんとは戦えないわよぅ」

「え? マジ?」

「そうよぉん。若旦那から教えられたでしょおん、ミラキュルンちゃんとの戦いのことぉ」

 アラーニャは細い足先でツヴァイヴォルフの顎に触れ、顔を寄せてきた。

「まぁな。けど、俺達は悪の秘密結社で、あいつはヒーローなんだから、いちいち約束守ることねーんじゃね?」

「悪の秘密結社だからぁ、守らなきゃならないことって一杯あるのよぉ。それがお約束ってやつなのよぉ」

 ツヴァイヴォルフに囁いたアラーニャは、腰を曲げて美花に顔を寄せた。

「本当にごめんなさいねぇ。坊っちゃまってばぁ、まだ会社に入ったばかりだからぁ、正義と悪の戦いのことを よく知らないのよぉ。何か予定があったらごめんなさいねぇ」

「いえ、大丈夫です」

 美花は首を横に振り、芋羊羹の紙袋を差し出した。

「こちらこそ、急に御邪魔してしまってすみません。これ、良かったら御茶請けにして下さい」

「あらぁん、いいのよぉ、そんなに気を遣わなくたってぇ」

 そうは言いつつも芋羊羹を受け取ったアラーニャは、給湯室に置いてから戻ってきた。

「それでぇ、あなた、坊っちゃまのお友達かしらぁん?」

「あ、ああ違うマジ違うし! な!」

 ツヴァイヴォルフが美花に否定を求めると、美花は押される形で頷いた。

「あ、はい、そうです。ツヴァイヴォルフさんと会ったのは、今日が初めてですから」

「そうなのぉん」

 アラーニャは少し訝しげだったが、両者の言い分を信じることにした。

「あなたのお名前、教えて頂けるかしらぁん」

「野々宮美花です」

「ジャールの経理係であり、四天王の一員、蠱惑のアラーニャよぉん」

 美花が頭を下げると、アラーニャも頭を下げた。顔を上げながら、美花は感付かれていないことに安堵していた。 素顔でジャールの本社に来るのは初めてだが、ミラキュルンの姿で訪問する時よりもいくらか緊張していた。 怪人の面々に対する嫌悪感はなく、特に四天王とは何度も会っているので、親しみすら覚えている始末である。 だが、それはミラキュルンが敵対しているヒーローだから気を遣っているだけなのでは、と思わないでもなかった。 変身前では無下にされるのでは、と不安を感じたがアラーニャの気の良さは人間相手でも変わらないようだった。

「さぁさぁ、こちらへどうぞぉ」

 アラーニャに促された美花が応接セットのソファーに座ると、当然のようにツヴァイヴォルフも座ろうとした。

「坊っちゃまはダメよぉ。まずは御客様にお茶をお出ししなきゃあん」

 アラーニャはしなやかな足でツヴァイヴォルフを絡め取って立たせると、ツヴァイヴォルフはむくれた。

「なんで俺が」

「なんでって、そりゃあ、坊っちゃまは社員だからよぉ。扱いはアルバイトだけどねぇん」

「つか、俺、茶なんて入れたことねーし」

「解らないんだったらぁ、私に聞けばいいじゃなぁい」

「……それなんかムカつくし」

 ツヴァイヴォルフは彼女の足を振り払い、手狭な給湯室に向かった。湯飲みやコップや食器が入った古びた 戸棚には、今し方美花が差し入れた芋羊羹の細長い箱が入っていた。戸棚の中央には電気ポットがあり、その傍には 急須があり、茶筒の蓋を開けてみると緑茶の茶葉が入っていた。その茶筒を手元に置いたツヴァイヴォルフは、湯飲みを 三つ取り出してコンロとシンクの間に並べてから悩んだ。
 この次はどうすればいいのだ。そもそも自分ではお茶を淹れないし、ペットボトルのお茶もあまり買わない。 一応、お茶は茶葉から出したものだとは知っているが、どうやればその状態に出来るのかがまず解らなかった。 ステンレス製の急須を開けると、出涸らしが入っている。捨てるべきか悩んだが、その上に茶葉を入れようとした。 だが、適量も解らない。だったら適当に入れてしまえ、とツヴァイヴォルフは茶こしから溢れるほど茶葉を入れた。 その上からどぼどぼと乱暴に湯を注いでから急須を傾け、三つの湯飲みに注いだがいずれも濃さが違っていた。 最初に入れた右端のものは少し薄いが、真ん中、左端に向かうに連れてヘドロのような色合いに変わっていった。 自分の知るお茶とは何か違う、とツヴァイヴォルフは少し引っ掛かったが、気にせずに手近な盆に載せて運んだ。
 そのお茶を二人の前に並べると、美花は手に取るのを迷ったようだったが、濃厚な茶が入った湯飲みを持った。 アラーニャもツヴァイヴォルフとお茶を見比べていたが、上両足の先で湯飲みを持ち上げて少し飲み、苦笑した。

「ちょおっと苦いかしらぁん」

「ん……」

 美花は懸命に顔に出さないように努力したが、我慢出来ずに顔をしかめた。

「確かに、ちょっと、こう……」

「そんなわけねーし」

 ツヴァイヴォルフは美花の向かいのソファーに座り、自分の分を飲んだが、二人の反応の正しさを思い知った。

「渋! つか何これ、マジ有り得ねーし!」

「たぶん、お茶の葉が多すぎたんじゃないかなぁ……」

 美花は飲むに飲めないお茶をテーブルに戻すと、アラーニャは足先をちょいちょいと振った。

「お茶の葉ってぇ、お茶一杯分につきスプーン半分くらいでいいのよぉ」

「うげぇ」

 ツヴァイヴォルフは湯飲みを下ろし、だらりと舌を出した。

「これじゃあ、御客様のお出迎えも出来ないわねぇん」

 アラーニャは手早く三人の湯飲みを回収して盆に載せると、立ち上がった。

「若旦那がいらっしゃったら、ちゃあんと話し合いしましょう。坊っちゃまの御仕事内容を」

「つか、俺の仕事は参謀だし」

 すかさずツヴァイヴォルフが口答えすると、アラーニャは口元を広げて毒の牙を見せつけた。

「それを言ったらぁ、私の本領だって経理じゃないのよねぇん。暗殺と情報収集なのよぉ」

 給湯室に入ったアラーニャは、ツヴァイヴォルフが淹れたものと前回のものが混じった出涸らしを捨てた。

「ああ、それとぉ、若旦那がいらっしゃるまでは時間があるからぁ、その間はお勉強でもしていたらぁ?」

「あ、それ、いいですね」

 美花が通学カバンを探ると、ツヴァイヴォルフは慌てた。

「つか、そんなことしなくていいし! 一応攫われてんだし、お前!」

「だって、今日は決闘の日じゃないし、本当なら勉強会になるはずだったし、時間を遊ばせておくのは勿体ないし」

「だったら外にでもさ、な」

「あ、せっかくだから、ツヴァイヴォルフさんも付き合って下さい」

「は!?」

「ツヴァイヴォルフさんって、私と同い年ぐらいですよね? だから、高校生ですよね?」

「あー、うん、まぁそうだし」

 そこまで解っているのになぜ感付かないのだろう、とツヴァイヴォルフは美花の鈍さになぜか感心してしまった。

「だから、ツヴァイヴォルフさんの高校も二学期に入りましたよね? 一学期の復習、しておかないと」

 教科書と参考書を取り出した美花に、ツヴァイヴォルフは腰を引いた。

「なんで俺がんなこと」

「高校が違うから範囲は違うかもしれませんけど、しないよりはいいですよ?」

 美花の確信的なようでいて的外れな言葉に、ツヴァイヴォルフはしばらく迷ってから返した。 

「んじゃ、さ、ちょっと教えてくんね?」

「いいですよ。大したことは教えられないですけど」

 美花の屈託のない笑顔を向けられ、ツヴァイヴォルフはそれ以上言うことが出来ず、曖昧な返事を漏らした。 こんなはずではなかったのに。悪役っぽいことをして終わるだけのつもりで、勉強なんか一切する気はなかった。 やり残していた夏休みの宿題も、提出期限ぎりぎりまで放っておくつもりだった。もちろん内容が解らないからだ。 一学期の復習なんて、かったるいどころか心底面倒だ。逃げ出したくなったが、美花を連れてきたのは自分だ。
 美花は昼食の買い出しに行ったアラーニャを見送ってから、買ってきた昼食のサンドイッチを取り出していた。 ツヴァイヴォルフもスポーツバッグから昼食のパンなどを取り出して並べていると、美花が給湯室へと向かった。

「お茶、淹れてきますね」

「おー」

 その方が余程良い、とツヴァイヴォルフは美花が立てる物音を聞き取りながら、背中を曲げて腰をずり下げた。 九月に入っても勢いの衰えぬ日差しの差し込む窓をぼんやりと眺めながら、ツヴァイヴォルフは考え込んでいた。 大神鋭太ではなくなったはずなのに、何一つ変わっていない。ただ、美花の言葉遣いが敬語になったぐらいだ。 それでは面白くない、と思っていたはずなのに、ここまで変わることがないとそれでもいいかもしれないと思った。 だが、暗黒参謀ツヴァイヴォルフになった意味が皆無だ。これでは、単純に美花を独占しているだけではないか。
 いや、それでいいのか。考えてみれば、ツヴァイヴォルフがむかむかしていたのは美花の気が逸れたせいだ。 美花は大神が好きで、大神も美花が好きだ。平行線の二人に苛々するが、吹っ切れない自分自身にも苛々する。 だから、こうして着替えて暗黒参謀ツヴァイヴォルフになり、大神鋭太のままでは出来ないことをしようとした。けれど、 美花を誘って一緒に勉強することぐらいは、別にツヴァイヴォルフにならなくても出来たことのように思う。

「どうぞ」

 美花はツヴァイヴォルフの前に湯飲みを置き、自分の席にも置いた。

「アラーニャさんが帰ってくる前に、お昼、頂いちゃいましょうか。その方が早く勉強に取りかかれますし」

「そーだな」

 ツヴァイヴォルフは熱い湯飲みを掴み、啜った。先程の緑の泥沼とは違い、今度はまともな緑茶だった。 美花も、今度こそおいしそうに緑茶を飲んでいる。ツヴァイヴォルフは美花から視線を外して、社内に巡らせた。 間を繋ぐ話題も思い付かず、かといって勉強のことを切り出すのは早々に嫌だったので意味もなく室内を眺めた。 ツヴァイヴォルフは姉や兄とは違ってジャールには入り浸らなかったので、未だに社内が物珍しく感じてしまう。

「あ、あの」

 余所見をしていたところに声を掛けられ、ツヴァイヴォルフは振り向いた。

「ん、何?」

「世界征服って、何をどうやってするんですか?」

「知らね。つか、俺、入ったばっかだし」

「あ、ごめんなさい」

「つか何、興味あんの?」

 意外だが少し嬉しく思ったツヴァイヴォルフが身を乗り出すと、美花は頷いた。

「あ、はい」

 世界征服する術を知れば、阻む術を知れるからだとは到底言えないが。

「ちょっと待ってろ。確か、この前兄貴が見せてくれたのがあるはずだから」

 ツヴァイヴォルフは湯飲みを置いて腰を上げ、取締役の机の後ろにあるスチール製の書類棚に向かった。

「え、あ」

 自分で言い出しておきながら良心が咎めた美花は引き留めかけたが、ツヴァイヴォルフは書類棚を開けた。 ガラスが填った扉には鍵が掛かっているかと思いきや、空いていたらしく、普通に開けてファイルを出している。 恐らく、社員全員分の給料の決算をするために、アラーニャが書類棚を空けたまま閉め忘れてしまったのだろう。 中には社外秘であろう社員名簿らしきファイルもあり、あれはさすがに見せないよね、と美花は不安に駆られた。 だが、ツヴァイヴォルフは躊躇いもなく社員名簿を引っ張り出し、他にも数冊の厚いファイルを抱えて運んできた。

「たぶんこの辺じゃね? 世界征服絡みのやつ」

 得意げに尻尾を振るツヴァイヴォルフに、美花は居たたまれなくなった。

「いえ……でも……部外者には見せない方が……」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ……」

 美花が説明を始めようとすると、階段を上る荒い足音が迫り、ジャールのドアが盛大に開かれた。

「やっぱりここにいたか、ツヴァイヴォルフ!」

 ドアを開けたのは他でもない暗黒総統ヴェアヴォルフだったが、余程機嫌が悪いのか尻尾が立っていた。

「あ」

 兄貴、とツヴァイヴォルフが言いかけると、ヴェアヴォルフは大股に歩み寄ってきた。

「お前の言動が気になって気になって仕事になりそうになかったから上がってきたんだ! 店長に無理言ってな!」

 ヴェアヴォルフはツヴァイヴォルフの前に立ちはだかり、テーブルに積み上がったファイルの山を指した。

「んで、これはなんだ。重要書類じゃないか。これをどうするつもりだったんだ」

「それは、なんつーか」

 ツヴァイヴォルフがはぐらかそうとすると、ヴェアヴォルフの迫力に美花が怯えて肩を縮めた。

「あ、あのおっ、ごめんなさいっ! 見ようと思ったわけじゃなくて、その、えっと、ちょっと話を聞くぐらいにしたかった んですけど、その、つ、ツヴァイヴォルフさんが、あっちの棚から持って来ちゃって……」

「あ、ああいいんだ! それは最初から解っていた! 野々宮さんだから!」

 ヴェアヴォルフは弟を押しのけると、涙目になりかけている美花に詰め寄った。

「はひぃっ」

 美花は返事をしようとしたが、驚いたせいで息を飲んでしまった。

「な、なんで、私の名前、御存知なんですか? だ、だって、ヴェアヴォルフさんとは、一応初対面で……」

「あ」

 つい素に戻ってしまったことを自覚したヴェアヴォルフは、身を引き、悪役モードに切り替えた。

「説明するまでもない、我らは悪の秘密結社だからだ! 悲願である世界征服を果たすため、ありとあらゆる情報を収集し、 ヒーローを抹殺するための作戦を立案している! 故に、一般市民に過ぎぬ貴様の名を知ることなど造作もないのだ!」

 ふははははははは、とマントを翻して高笑いを放つ兄を、ツヴァイヴォルフは感心しつつも哀れんだ。 ヤベェマジ自分捨ててる、と思いつつ美花を窺うと、美花はまたもやそっくり信じたのか大きな目を丸めていた。 こっちもマジヤベェ、と美花の頭の緩さに別の意味で哀れになったが、ツヴァイヴォルフはファイルの山を抱えた。 兄に平謝りしてからそれらを書類棚に戻していると、背後からはヴェアヴォルフの必死な言い訳が聞こえてきた。 ジャールは世界中に情報網を持っているだの秘密諜報員が何人もいるだの、聞いたこともないことばかりだった。 ツヴァイヴォルフでも胡散臭いと思うほど安っぽい作り話だが、それでも美花は微塵も疑っていないようだった。
 ヴェアヴォルフの大袈裟かつ陳腐な作り話は、アラーニャが帰ってくるまで続けられた。





 


09 8/20