純情戦士ミラキュルン




第二十話 奇跡の共闘!? 正義と悪の合同作戦!



 割り勘で支払って買い物を終えた大神は、アパートに戻った。
 食材が詰まった重たいレジ袋を提げた大神は、大きな不安と少しの期待を感じつつ美花の様子を窺った。 古びたアパートを見上げている美花は、目を丸くしていた。そして、フォートレス大神、との名前に首を傾げていた。 大神が感じたように、日焼けした板壁に錆の浮いたトタン屋根のボロアパートの名が要塞だというのは変なのだ。 だが、今更変えるのは手続きや看板の張り替えが面倒だから、違和感だらけの名前をそのまま継続させている。 それに、下手に物件の名をいじると、祖父のヴォルフガングの側近であったレピデュルスが文句を言ってくる。 数百年来の側近だったレピデュルスからすれば、いかなる珍妙な名前でもヴォルフガングが生きた証だからだ。

「……うーん」

 美花はどう言ったものかと考えていたが、当たり障りのない笑顔を作った。

「昭和の香りがしますね」

「中はもっと凄いから」

 大神は美花の反応が尤もだと思ったので否定も肯定もせず、立て付けの悪い玄関の引き戸を力任せに開けた。 共同玄関に備え付けられているスリッパを出して、美花に勧めてから、スニーカーを脱いで自分の靴箱に入れた。 美花も大神の靴箱に入れたが、二人の靴は大人と子供ほどサイズが違ったので、なんとなく笑い合った。ぎしぎしと 軋む板張りの床を歩いて大神の部屋がある二階に上ると、ユナイタスがムカデッドの部屋から出てきた。

「あ」

 大神が立ち止まると、ユナイタスもぎょっとした。

「おうおっ」

「どしたー、ゆーちゃん」

 自室から顔を覗かせたムカデッドは、大神とその背後の美花を見て太い触角を上向けた。

「あっ」

「あっ、ってなんだよその反応は」

 大神は妙な気配を感じ取ったので、美花に食材を任せてから、大股に歩いて二人に歩み寄った。

「いえあのそのね、そうっ、若旦那、俺も武藤もちぃーっとも悪意なんてないんすよ、いやマジでマジで」

 ユナイタスが両手を挙げて降伏のポーズを取ると、ムカデッドが外骨格を鳴らしながら頷いた。

「そうですそうです、俺もゆーちゃんも休みで暇だったから、そう、若旦那が何しようともちぃっとも……」

『悪意なんてないんすよ、いやマジでマジで』

『そう、若旦那が何しようともちぃっとも……』

「あヤベっ、受信切るの忘れてた」

 ムカデッドの言い訳が終わる前に、ユナイタスの頭部からクリアな二人の音声が返ってきた。

「お前ら、俺の部屋に何を仕掛けた。素直に白状すれば減給もしないし懲罰も与えないぞ」

 声を抑えながら二人に迫った大神に、ユナイタスはムカデッドを指した。

「おおおお俺じゃないっす俺じゃないっすマジ違うっす! 天井に俺の盗聴ユニットを仕込んだのは武藤で!」

「ばっ、ちげーよ! ノリノリだったのはゆーちゃんの方だろうが! 若旦那が面白いことになってるからって!」

 ムカデッドが部屋から這いずり出して喚くと、ユナイタスは円形の口を大きく開いた。

「俺の頭ん中から盗聴ユニットをむしり取ったのは武藤だろうが!」

「どっちが立案者だろうがこの際どうでもいい、今すぐオフにしろ。でないと、今度こそコアユニットにカタストローフェ シュラークを全力で叩き込んでやるぞ」

 大神があらん限りの殺意を込めて拳を握ると、ユナイタスはぶんぶんと首を縦に振った。

「了解っす超了解っす!」

 解除、と、ユナイタスが側頭部を小突くと、サラウンド状態になっていた三人の音声が途切れた。

「いやもうマジすんません、てか出来心っすマジでマジで。でもね、これマジでカナデちゃんの作戦で」

 ユナイタスがこの期に及んで罪をなすりつけようとしたので、ムカデッドは鋭い歯の生えた口を全開にした。

「俺をその名前で呼ぶなって何度言えば解るんだよ、ゆーちゃんこそ太助じゃねぇか! この丁稚奉公!」

「カナデちゃんこそ俺のコンプレックスを抉るな! しかも、リアル女子高生の前で! 後でその単純な脳内に メタルニューロンを仕込んで俺の支配下に置いてやる! いいじゃねぇかよカナデちゃん、ムカデ野郎のくせしてエロゲの 年上お姉さん系ヒロインかっつー可愛さじゃねぇかよ! ギャップ萌え狙いかよ!」

 小学生のような言い合いを始めた二人に、大神は身を引いて美花に向き直った。

「付き合ってられるか」

「あの、大神君」

 美花が小さく手を挙げ、質問してきた。

「失礼ですけど、あのお二人の本名って……」

「右側の一つ目で不定型な金属の怪人が湯ノ川太助、んで、左側の人型ムカデが武藤奏、っていうんだ。ついでに 言えば、湯ノ川は怪人名がユナイタスで、武藤はムカデッドっていうんだ」

 大神が説明すると、美花は納得した。

「ああ……」

 ヒーローである野々宮一家にも本名があるように、怪人にも本名があるのだ。考えてみたら当たり前だが。 ぎゃいぎゃいと子供じみたことで口論する二人に見るに見かね、大神が諌めようとすると、先に美花が発言した。

「あ、あの」

 美花の細い声に、怪人二人は途端に黙った。

「私、これから大神君の御部屋に御邪魔しますけど、静かにしますので、よろしくお願いします。えっと、それで、お昼に カレーを作るので、ユナイタスさんとムカデッドさんも良かったら御一緒にどうですか?」

「……えぇ?」

 大神は心底嫌な声が出てしまったが、幸か不幸かユナイタスとムカデッドの野太い嬌声に掻き消された。

「カレー、カレーっすかぁああっ! ひゃっはー!」

 変にテンションが上がったユナイタスが飛び跳ねると、ムカデッドはわしゃわしゃと無数の足を蠢かせた。

「やったなゆーちゃん、まともに飯らしい飯が食えるぜ俺達!」

「お前ら、何喰って生きてたんだ?」

 大神が不審がると、ユナイタスはひくっと円形の口を引きつらせた。

「聞かない方がいいっすよ、若旦那。俺はともかくカナデちゃんの悪食っぷりたるや……」

「想像が付くから聞かない、だから喋るな。せっかくの野々宮さんのカレーが食べづらくなったら困るじゃないか」

 出来上がるまで静かにしておけよ、と大神は二人に強く言い聞かせてから、美花の元に戻った。

「ごめん、野々宮さん。変な気を遣わせちゃって」

「いいえ」

 美花は首を横に振ってから、大神の肩越しに大喜びしている二人を見やった。

「私、怪人さんとは仲良くしたいですから」

 正義の味方であるミラキュルンには決して許されないことでも、ただの女子高生には許されていることだ。 けれど、素顔では優しくする反面で、週に一度の決闘では仲良くしたい怪人を痛め付ける、という矛盾があった。 だが、だからこそだ、とも思った。ミラキュルンは美花が出来ないことをするための姿であり、その逆もまた然りだ。 美花にだけ都合の良い綺麗事かもしれないが、敵と仲の良いヒーローがいてもいいじゃないか、との考えだった。

「他の人も、皆、野々宮さんみたいな考えだったら良かったんだけどな」

 そうすれば、姉の弓子も苦しまずに済む。大神は独り言のように言ってから、自室のドアの鍵を開けた。

「入って」

「御邪魔します」

 美花は大神に続いて大神の部屋に入り、その狭さに驚き、台所と呼ぶには狭すぎる台所にもまた驚いた。 そして、調味料すら少ない小型冷蔵庫にもまた驚いてから、カレーのために買ってきた食材を詰め込んだが、 入りきらなかったのでそれはテーブルに並べた。美花は入念に手を洗ってから、自前のエプロンを付けた。 忘れたら困るから先に、と炊飯器の内釜を出して四人分の米を入れ、研いでから水を張って炊飯器に入れた。 大きめの鍋と小さめの鍋を取り出し、先に味噌汁を作るために湯を沸かしながら、美花はまな板と包丁を出した。 けれど、手入れを怠った包丁は切れ味が悪いらしく、美花は苦労しながらも切り分けて小さな鍋に入れていった。 掃除だけでなく包丁も研いでおくべきだった、と大神は自分の注意力不足を自責しつつ、美花の背中を見守った。 料理をしている美花と言葉を交わしながら、窓際に座っていた大神は、無意識にタバコを取り出して火を付けた。

「すまん」

 灰皿を引き寄せた大神が火を消そうとすると、美花は手を止めて照れ混じりに微笑んだ。

「いえ。なんか、大人って感じがしますね」

 自分で言って恥ずかしくなったのか、美花は慌ててまな板に向いた。大神はタバコを銜えた口元を緩めた。 気にするかと思ったのだが、意外にも好反応だった。鋭太もだが、高校生の感覚ではそうなのかもしれない。実際、大神も 大人らしく見せるためにタバコを吸っている節がある。煙を肺に入れることに慣れない頃はパンツァーやファルコに笑われたな、 と情けないことまで思い出してしまった。
 いっそ、このまま世界が終わればいい。美花の作るカレーを食べ、話をして、別れる前に地球が滅べばいい。 そうなれば、大神はとても幸せだ。君が好きだと言えなくても、大神は美花が傍にいてくれればそれでいいのだ。 けれど、世界はそう簡単には滅びない。たとえ滅びかけても、ミラキュルンを始めとしたヒーローが守ってしまう。

「んあっ」

 美花が小さく悲鳴を上げたので、大神は腰を上げた。

「どうかしたのか、野々宮さん」

「いえ、なんでも……」

 美花は左手の人差し指を曲げたが、その指の腹には一筋の切れ目があり、一滴の血が膨らんでいた。

「いいよ、続きは俺がやる。絆創膏出すから」

「いいですよ、私がやるって言い出したんだから、ちゃんと最後まで」

 美花が情けなさと痛みで俯くと、大神は救急箱代わりの平たい缶から絆創膏を出し、美花の指に巻いた。

「ほら」

「はい……」

 美花は頷いて、大神と立ち位置を交代した。が、痛みに勝る照れに襲われて、動くに動けなくなってしまった。 自分自身の情けなさと大神の優しさが相まり、そして窓際に残る大神のタバコの匂いが止めに胸を刺してきた。 おかげでカレーどころではなくなってしまった美花は、顔の赤みを隠すために俯き、多少上擦った声で会話した。
 カレーが出来上がり、待ちかねていたユナイタスとムカデッドを加えて昼食が始まっても、美花は照れていた。 ユナイタスとムカデッドの中身はないくせにやかましい会話も耳には届かず、カレーの味も今一つ解らなかった。
 大神もまた美花と似たようなものだ。包丁の切れ味が悪すぎて美花は指を切ったのに、罪悪感は薄かった。 それどころか、やべぇ何これ超可愛い、と思ってしまった自分の頭の悪さと無遠慮さに腹立たしくなった。ユナイタスと ムカデッドを呼んだのは正解だった。二人が騒がなければ、大神と美花の間は持たなかっただろう。
 鍋一杯のカレーは、飢えた怪人達によって綺麗に食べ尽くされた。




 二つの長い影が、歩調に合わせて揺れていた。
 日が傾いただけで、すっかり気温が下がっている。先週と今週では、空気の冷え込み方が変わった。 排気ガスと埃の混じった風の匂いからも夏の鮮やかさは失われ、西日が差してくる時間も随分と早くなっていた。
 帰らせるのが惜しいが、帰らせないわけにはいかない。大神は歩調を緩めて歩きながら、尻尾を下げていた。 少し後ろに続く美花もまた、口数が少なかった。西日に縁取られた輪郭も下を向いて、前髪が目元を隠している。 大神のアパートは駅からそれほど遠くないのだが、真っ直ぐ向かう気にならず、少しだけ遠回りして歩いていた。 美花もそれに気付いているらしく、大神に合わせて歩調を緩めているが、元々歩くのが遅いので変わらなかった。 だらだらと歩きながら、野々宮家がマンションから一軒家に引っ越したことを聞いたが、住所までは聞かなかった。 この場で聞いてしまうと、メールや電話で住所を聞く楽しみがなくなってしまうような、そんな気がしたからだった。
 回り道をするうちに、いつのまにか河川敷に出ていた。土手に昇った大神が立ち止まると、美花も倣った。 野々宮家の以前の住まいである超高層マンションは、影絵になった街並みの中では一際存在感を誇っていた。

「一日って、短いですね」

 美花が寂しげに漏らしたので、大神は静かに答えた。

「そうだな」

「帰ったら、全部終わっちゃいそうですね」

 美花はトートバッグの取っ手を握り締め、オレンジ色に煌めく川面を見つめた。

「終わらないよ」

 大神は美花の隣に立ち、同じ景色を眺めた。

「また明日が来て、その次の日が来て、一週間が過ぎるけど、俺も野々宮さんもいるからさ」

「また、遊びに行ってもいいですか?」

「当たり前じゃないか」

「じゃ、じゃあ、今度は何にしましょうか。お昼御飯」

「外に行くのもいいんじゃないかな。俺は、安くて旨い店を結構知ってるし」

「でも、私、大神君の役に立ちたいんです」

「今でも充分役に立ってるよ、野々宮さんは」

「本当ですか? 私、邪魔じゃないですか? 迷惑じゃないですか?」

「野々宮さんに嘘なんか吐けるかよ」

 切実に思えるほど必死な美花が微笑ましくて頬を緩めた大神は、美花を見下ろした。

「だから、今日のところはお互いに自分の家に帰ろう。また都合が良い時に、俺の部屋に来てくれよ」

「は、はいっ!」

 美花が髪を乱すほど大きく頷くと、大神はなるべく自然な動作になるように意識しながらその手を取った。

「あんまり遅くなると、君のお兄さんが心配するしな」

「あ、はい、たぶん……」

 大神に手を引かれ、美花は涙が出そうなほど胸が痛んだ。初めて触れた大神の手は、とても熱かった。 獣人と人間では体温の違いがあるとは知っていたが、ここまでの温度差だとは思わなかったので少し戸惑った。 腕全体を覆う体毛と、人間の手のひらよりも肉厚な手と、目の前で揺れる尻尾しか美花の視界に入らなかった。 握り返していいものか、と迷っていたが、美花は離れないためだと自分に言い訳して大神の手を慎重に握った。
 息が詰まるほど、幸せだった。





 


09 9/15